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     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY 

   HANDBOOK

 

 

 カナヤマ 日本歴史辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 せ 』。

 No.5025。

 

#jpmenu     

メ ニュー (目次)。  

 ■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

 

 □ 日本史 辞典 (総合)       

 

□     ● 事柄順。

 

 

〇 ぜん   前近代日本の人名

              (ぜんきんだいにほんのじんめい)。

                      (古代〜江戸時代)。

               (⇒ 前近代日本社会

          ● 前近代日本では、

           父系一族名中心であり、 

          ● 前近代日本では、

           自由に個人名を改名

           する習慣があり、 

          ● 前近代日本では、

                       上層階層の者は、

            複数の個人名を持って

           いた。

 

 

 

  □ 日本史 辞典 の「 せ 」基本見出し語

     サイトの先頭ページへ。        

 

 

 

 ■  『 現在は、過去の成果であり、

     未来は、現在の成果である。 

 

 

 

■ 上位のWEBサイト。 

 □ (KOH) カナヤマ オフィシャル   >

          ホームページ

 □ (Cse)  国際理解総合サイト     >

          われら地球市民。 

 □ (Ke)   百科事典。           >

 □ (Khh)  歴史学ハンドブック     >

 □ (Kjhh) 日本史ハンドブック。     >

 □ (Kjhh) 日本史辞典(総合版)。   >

 □ (Kjhh) 日本史辞典・日本語版。   >

 □ (Kjhh) 日本史辞典の「 せ 」      >

          基本見出し語サイト。  

 □ (Kjhh) この日本語ページ。 

 

 

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◆ カナヤマ日本歴史辞典 

   日本語版。

 

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#jpdictionary(general)

 

◆ 日本史辞典

 

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#se

 

#thepremodernperson'sname

 

■ 前近代日本の人名。 

     (ぜんきんだいにほんのじんめい)。 

 

■ 前近代日本の人名。

 

■ 名称 : 前近代日本の人名 (ぜんきんだい

  にほんのじんめい)。

 

■ 時期 : 古代日本 〜 近世日本の時期頃 

   (大和時代(古墳・飛鳥白鳳時代)頃〜江戸

    時代頃)。

 

■ 前近代(古代から江戸時代頃まで)に呼称され

  た、日本人の人名。

 

■ 前近代日本の人名は、 父系一族名中心、 

  改名自由、 複数名所持。

 

● 前近代日本の人名は、 父系一族名中心であ

  り、 自由に個人名を改名する習慣があり、 上

  層階層の者は、複数の個人名を持っていた。

 

● 前近代の日本人の個人名は、固定していなか

  った。 一生のうち、個人名を何度も変えること

  が多かった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 41535。

 

 

#thepremodernperson'sname/menu

 

◆ 「前近代日本の人名」 各項目メニュー。

 

 □ 人名

 

 □ 現代の日本人の氏名

 

 □ 明治期の氏名確定

 

 □ 前近代の日本人の氏名 (総合)

 

 □ 前近代日本の一族名  

   (「氏姓」、「名字」、「屋号」 等)

 

 □ 前近代日本の個人名

   (「諱」、「通称」 、「号」、「律令官

   名」、「 法名」 等)

 

 □ 前近代日本の女性の氏名

 

 

 

 

 ■ 前近代日本の、一族名。 

 

  ■ 前近代日本の、一族名 (氏(うじ)、姓(せ

    い))には、 名字 と 氏姓 がある。

 

  ● 前近代日本では、名字とは、 

    「名字(みょうじ)の家名(かめい)」である。

 

  ● 前近代日本では、

    「氏姓(しせい、姓氏)」とは、 

    氏族名(しぞくめい) と 姓(かばね)」があり、 

    氏族名(しぞくめい)は、家すじを表す

    氏姓であり、 

    姓(かばね)は、 家柄の尊卑の区別を表す

    氏姓である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の、個人名。 

 

  ■ 前近代日本の、個人名(名(な))には、 

    諱(いみな) と 通称があり、 即ち、 

   「諱(いみな)の実名(じつめい)」 と 

   「通称(あだ名)の仮名(けみょう)」、 

   である。

        前近代日本では、号(ごう)、官名(か

   んめい)、法名(ほうみょう)なども個人名と

   して使用される。

 

 

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#thepremodernperson'sname-jinmei

 

 

◆ 人名。

 

  ■ 人名とは、 人(ひと)の個人としての独立性

    と家族等の共同体への帰属性を表すために、

    人に付けられる語 である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 一般的に、現代の人名は、 「共同体への帰

    属性を表す語」の一族名 と 「個人の独立性を

    表す語」の個人名 の2つの部分から成る。

 

  ● しかし、 世界各地では、共同体の慣習により、

    異なる名付けの体系をもち、呼称される場合も

    あり、 こうした構成でない人名は、 複雑である。

 

 

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#thepremodernperson'sname-gendaijinnoshimei

 

 

◆ 現代の日本人の氏名。

 

 

  ■ 現代日本の場合は、法律上の、氏名という

    体系がある。

 

  ● 現在の、日本国民の名前 は、法律上、原則

    として、「氏(うじ)」の一族名 と 「名(な)」の

    個人名 との組み合わせ から成る 「氏名(し

    めい)」 で呼称される。

 

  ● 日本国民の戸籍人名は、 氏名(姓名)で、 

    共同体への帰属性を表す語の「氏(うじ)」の

    一族名 と 

    個人の独立性を表す語の「名」の個人名 と 

    の2のつ部分から成る。

 

  ● 「氏(うじ)」は、 姓(せい)または苗字・名字

    (みょうじ)とも呼ばれる。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 現代日本では、 人を呼称する場合、

    姓(せい)、名(な)、通称(あだ名)、敬称、職名、

    号(雅号、筆号、屋号)、同一世襲人名 などを、

    単独で呼称したり、 それらを組み合わせて呼

    称したりしている。

 

 

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#thepremodernperson'sname-meijireform

 

 

◆ 明治期の氏名確定。

 

 

  ■ 日本では、 明治時代になって、明治新政府

    (近代日本政府)が、 近代国家として、 国民

    を直接把握する体制をとり、 新たに戸籍を編

    纂し、 1872年(明治5年)1月の戸籍法施行

    (壬申(じんしん)戸籍))で、すべての人 が、

    国民としての氏名(しめい)を、 公式に名乗る

    ようになった。 

       旧来の 「氏姓の氏族名・姓(かばね)」や

    「名字の家名」という2つの一族名の別を廃して、 

    1つの「氏(うじ)」の一族名とし、 旧来の「実名

    の諱(いみな)」や「仮名(けみょう)の通称」とい

    う2つの個人名の別を廃して、 1つの「名」の

    個人名とした。 この際、 今まで自由だった個

    人名の改名の習慣も禁止された。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ 明治期以後の日本人の戸籍人名は、 「氏(う

    じ)」(一族名)は、「実名の諱(いみな)」や「名

    字の家名」の系譜を、 「名(な)」(個人名)は、

    「実名の諱(いみな)」や「仮名(けみょう)の通

    称」の双方の系譜を引いている要素が大きい。

 

  ● 例えば、 明治初期に戸籍名を登録した人々

    の例を挙げると、 野口英世(のぐちひでよ)の

    英世は、 「実名の諱(いみな)」から採(と)っ

    た諱(いみな)系である。  夏目漱石(なつめ

    そうせき)の戸籍名の夏目金之助の金之助は、 

    「仮名(けみょう)の通称」から採(と)った通称

    系である。  西郷隆盛の隆盛は、父の「実名

    の諱(いみな)」から採(と)った諱(いみな)系

    である。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

        諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

     の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

        なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

       等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

     しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

     等の氏名を持っていた。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

     しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう) 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょう)を一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

     ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

      等の氏名を持っていた。

 

 

 「前近代日本の人名」 の各項目メニューへ戻る

 

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#thepremodernperson'sname-general

 

◆ 前近代の日本人の氏名 

  (総合)。

 

 □ 前近代日本での、複数パターン構

      成の氏名

 

 □ 前近代日本での、人名の呼び方

 

 □ 前近代日本での、人物の 当時の

      呼び名

 

 

  ■ 前近代日本の人名 (ぜんきんだいにほんの

    じんめい) とは、古代日本〜近世日本の時期

    頃 (大和時代〜江戸時代頃) に呼称された、

    日本人の人名 である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 近現代の日本人のように原則として(結婚、養

    子縁組などを除いて) 同じ名前を一生通すの

    ではなく、 前近代(古代〜江戸時代)の 日本

    では、 上層階層の者は 複数の個人名を持

    ち、自由に個人名を改名する 慣習があった。  

 

  

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#thepremodernperson'sname-general(pluraln.)

 

◆ 前近代日本での、複数

     パターン構成の氏名。

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

        諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

     の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

        なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

     しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

    等の氏名を持っていた。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

     しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう) 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名を一緒に呼ぶことは

    なかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

     ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

 「前近代の日本人の氏名(総合)」 の先頭へ戻る

 「前近代日本の人名」 各項目メニューへ戻る

 

 

 

 ■ 織田信長の場合。

 

  ● 「織田」(おだ)が、 

    一族名(「氏(う じ)」)の「名字の家名」。

 

  ● 「三郎」(さぶろう)が、

    個人名(「名(な)」)の「通称(あだ名) の

    仮名(けみょう)」。

 

  ● 「弾正忠」(だんじょうのちゅう) は、 

    個人名(「名(な)」) として利用した「律令官名

    (りつりょうかんめい)。

 

  ● 「」(たいら)が、 

    一族名(「氏(うじ)」)の、「氏姓の氏族名」。 

 

  ● 「朝臣」(あそん)が、

    一族名(「氏(うじ)」)の、「氏姓の姓(かばね)」 。

 

  ● 「信長(のぶなが)」は、 

    個人名(「名(な)」)の「(いみな)の実名」。

 

  ■ 当時、 織田信長は、 織田三郎(おださぶろう)、 

    織田弾正忠(おだだんじょうのちゅう) などと称し、 

    朝廷の公文書では、 「平朝臣信長」(たいらの

    あそん のぶなが) と記されていた。

 

 

  ■ 前近代の一般の日本人男性は、 

    前近代の厳格な身分制社会では、 

    「 通称 」、 私称の「 名字 」 のみ所持。 

    @ 「 名字+通称 」。

 

  ● 持っている私称の一族名の「名字」は、

    日常、使わず、 

    個人名の「通称」だけで、自称したり、

    呼ばれたりした。 

       例えば、 漁民のジョン万次郎の場合、

    「万次郎」 と自称したり、呼ばれたりした。

 

  ■ 前近代の上層の日本人女性は、 

    前近代の厳格な父系社会(家父長制社会)・

    身分制社会・では、 

    「 通称 」 と 公称の「 名字 」 を所持 。  

    @ 「 名字+通称 」。 

 

  ● 持っている公称の(自分の父方の)一族名

    の「名字」は、日常、使わず。

 

  ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ば

    れたりした。

  ○ 例えば、 山内一豊の妻の千代(ちよ)の場合、

    「千代」と自称したり、呼ばれたりした。  

 

  ● 別に、高い身分の上層の女性は、

    公的な場のみで使用する、「 氏姓の

    氏族名・姓(かばね)+諱(いみな)の実名 」 

    を所持する。 

 

   B 「 氏姓の氏族名・姓(かばね)+諱(いみな)

     の実名 」。 

   (例) 北条政子の場合、 平 政子 (たいらの

       まさこ)。

 

  ■ 前近代の一般の女性の氏名は、 

    前近代の厳格な身分制社会・父系社会

    (家父長制社会)では、 

    「 通称 」 と 私称の「 名字 」のみ所持。 

    @ 「 名字+通称 」。

 

  ● 持っている私称の(自分の父方の)一族名

    の「名字」は、日常、使わず。

 

  ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ば

    れたりした。 

 

  ○ 楢崎龍 (ならさきりょう、お龍(おりょう)、

    坂本龍馬の夫人) の場合、

    「 龍(りょう) 」 と自称したり、呼ばれた

    りした。

 

  ■ 前近代日本では、 上層の者は、複数の

    個人名を持ち、個人名を自由に改名する習慣

    があった。 

        また、日本人の個人名は、固定していな

    かった。 一生のうち、個人名を何度も変えるこ

    とが多かった。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の人名 (ぜんきんだいにほ

    んのじんめい) とは、

    古代日本から近世日本の時期頃までの 

    (大和時代から江戸時代頃 までの) 

    の前近代に呼称された、日本人の人名 

    である。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 

    現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 

    「複数パターン(組合せ)構成の氏名」を持っ

    ていた。

 

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

         諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」

       (後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

     の場合。 

 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

 

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の 

    C 「 名字+諱(いみな)の実名 」パターンの

    呼び方、 C 「 織田 信長 」 と呼ばれるケー

    ス は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

 

    D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

      等の氏名を持っていた。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ

        けんしん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう)の「不識庵(不識院)謙信」 

    より謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえ

    すぎ けんしん) と後世の人に呼ばれた。

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょう)を一緒

    に呼ぶことはなかった。

    本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

 

     F 「 茶屋 四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

     等の氏名を持っていた。

 

  ■ 当辞典では、 

    前近代の人名の「正式名(本名)」は、 

    一般的に日本の歴史学(の書籍)で正式名

    (本名)として採用されている(使用されて

    いる)ものと同じように、 当時の人物の「名字

    の家名」 と 「実名の諱(いみな)」 との

    組み合わせを、「正式名(本名)」 としている。

 

  ● 例えば、 赤穂事件(忠臣蔵)で有名な、大石 

    内蔵助(おおいしくらのすけ)の場合は、 

    大石内蔵助の、フルネームの正式名は、 

     「大石 内蔵助 藤原 良雄」 (おおいし くら

    のすけ ふじわらのよしお)である。

       当辞典では、 一族名の「名字の家名」の

    「大石(おおいし)」 と、 個人名の「実名の諱

    (いみな)」の「良雄(よしお、よしたか)」 とを

    組み合わせて、 「大石 良雄 (おおいしよしお)」 

    を、 「大石 内蔵助 藤原 良雄」の、「正式名

    (本名)」 としている。

 

  ● 大石(おおいし)は、 

    一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」、 

    内蔵助(くらのすけ)は、 

    個人名(名(な))として使用される「律令官名」、

    藤原(ふじわら)は、 

    一族名(「氏(うじ)」)の「氏姓(しせい)の氏族名」、

    良雄(よしお、よしたか)は、 

    個人名(名(な))の「実名の諱(いみな)」、 

   である。

 

  ● (注意) 当時の人々は、 大石内蔵助を、

    「大石 良雄(おおいしよしお)」 と呼ぶこ

    とは少なかった(称すことは少なかった)。

       当時の人々は、 大石内蔵助を、 現代

    の歴史学で採用されている(使用されている)

    「正式名(本名)」の「大石 良雄(おおいしよし

    お)」 と呼ぶことは少なかった。 

       理由は、前近代日本では、 「名字の家

    名」と 「諱(いみな)の実名」 とを組み合わ

    せて2つの名前だけで呼ぶ(称する)習慣が

    なかったため。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

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#thepremodernperson'sname-general(callingnames)

 

 

◆ 前近代日本での、人名の

     呼び方。

 

 

  ■ 前近代の日本では、 人々は、 

    他の人を、通称(あだ名)、官位、号、敬称、

    職名、同一世襲人名 等で、単独で、 または、 

    それらを組み合わせて、呼んだ。 

 

 

  ■ 日本の前近代では、  個人名(名(な))の、

    「諱(いみな)の実名」を、他人が呼ぶことを

    嫌う 慣習があった

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ● (例) 坂本 龍馬(さかもと りょうま)の場合、 

    「名字の家名」は、坂本で、 

    「通称(あだ名)の仮名(けみょう)」は、龍馬で、 

    「諱(いみな)の実名」は、直陰(直柔)(なおかげ

    (なおなり)) である。

       人々は、通常、坂本 龍馬を、 坂本 龍馬

    と呼んだが、坂本 直陰(直柔)とは呼ばなかった。

 

 

  ■ 前近代日本では、 

    名前を組み合わせて、 人を呼称するとき、 

    「名字の家名 と 律令官名・武家官位」、 

    「名字の家名 と 通称(あだ名)の仮名(けみょう)」、

    「名字の家名 と 号(ごう)」、 

    「氏姓の氏族名・姓(かばね) と 諱(いみな)

    の実名」、 

    等で呼称した。

 

 

  ○ 「名字の家名 と 武家官位」の実例 :

 

    (例) 勝 安房守    

        (かつ あわのかみ、 勝海舟)。 

 

    (例) 松平 越前守  

        (まつ だいらえちぜんのかみ、 松平春嶽)

 

 

  ○ 「名字の家名」 と 「通称(あだ名)の仮名

    (けみょう)」の実例 :

 

    (例) 西郷 吉之助   

        (さいごう きちのすけ、 西郷隆盛)。

 

    (例) 坂本 龍馬    

        (さかもと りょうま、 坂本 龍馬)。

 

    (例) 勝 鱗太郎    

        (かつ りんたろう、 勝 海舟)。

 

 

  ○ 「名字の家名 と 号(ごう)」の実例 :

 

    (例) 松平 春嶽    

        (まつだいら しゅんがく、松平 春嶽)。

 

    (例) 勝 海舟     

        (かつ かいしゅう、勝 海舟)。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ○ 「名字の家名 と 諱(いみな)の実名」の実例 :

 

    (例) 松平慶永 

        (まつだいら よしなが、 松平 春嶽)。

 

    (例) 勝 義邦(安芳)

        (かつ よしくに(やすよし)、 勝 海舟)。

 

 

  ○ 「氏姓の氏族名・姓(かばね) と 諱(いみな)

     の実名」の実例 :

 

    (例) 平 朝臣 信長  

        (たいらの あそん のぶなが、織田信長)。 

 

    (例) 藤原 良雄    

        (ふじわらの よしお、大石 内蔵助)。

 

    (例) 平朝臣 隆盛

        (たいらのあそん たかもり、西郷隆盛 

        (1869年(明治2年)〜1877年

        (明治10年))。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ また、 前近代の日本では、 

    「名字の家名」 と 「実名の諱(いみな)」とを

    組み合せて2つの名前のみで、他者を、ほと

    んど呼ばなかった (他者を呼ぶ、呼び方は、

    ほとんど用いられなかった)。

 

  △ 「名字の家名」 と 「実名の諱(いみな)」

     の実例。  

 

   (例) △ 松平 慶永    ⇒  

       (まつだいら よしなが)。      

 

       ○ 「松平 越前守」(まつだいら えちぜん

          のかみ)と呼ばれ、

          または、「越前守 」とのみ呼ばれた。      

          「越前守」は、武家官位である。

 

       ○ 松平 春嶽 (まつだいら しゅんがく)

          と呼ばれ、

          または、「春嶽」 とのみ呼ばれた。      

          「春嶽」は、号である。

       ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

   (例) △ 勝 義邦(安芳) ⇒ 

         (かつ よしくに(やすよし))。

 

       ○ 「勝 安房守」(かつ あわのかみ)、

         「勝 安房」(かつ あわ)と呼ばれ、 または、

         「安房守」(あわのかみ) とのみ呼ばれた。

         「安房守」は、武家官位である。

 

       ○ 「勝 海舟」(かつ かいしゅう)と呼ばれ、、

         または、「海舟」とのみ呼ばれた。      

         「海舟」は、号である。

 

       ○ 「勝 麟太郎」(かつ りんたろう)と呼ばれ、

         または、「麟太郎」とのみ呼ばれた。      

         「麟太郎」は通称である。

 

  ● 現在の一般の通例にならって、 当辞典では、 

    一族名の「名字の家名」の「勝(かつ)」 と、 

    個人名の「諱(いみな)の実名」の「義邦(安芳)」

    (よしくに(やすよし))を組み合わせて、 

    「勝 義邦(安芳)」 を、 勝 海舟(麟太郎)の、 

    「正式名(本名)」 としている。

 

 

 ■ 前近代の歴史上の人物の正式名。

 

  ■ 「正式名(本名)」 

    = 「名字の家名」 + 「諱(いみな)の実名」。

 

  ■ 一般的に日本の歴史学(の書籍)で正式名

    (本名)として採用されている(使用されている)  

    「正式名(本名)」は、一般的に、当時の人物

    の 「名字の家名」 と 「諱(いみな)の実名」 

    との組み合わせである。

    (注意) 前近代日本では、 「名字の家名」と

    「諱(いみな)の実名」とを組み合わせて、2つ

    の名前だけで呼ぶ(称する)慣習はなかった。

 

  ■ 当辞典では、 前近代の人名の「正式名(本

    名)」では、 一般的に日本の歴史学(の書籍)

    で正式名(本名)として採用されている(使用

    されている)ものと同じように、 当時の人物

    の 「名字の家名」 と 「諱(いみな)の実名」 

    との組み合わせを、 人名の「正式名(本名)」 

    としている。

 

  ● (注意) 当時の人々は、 大石内蔵助を、

    「大石 良雄(おおいしよしお)」 と呼ぶこと

    は少なかった(称すことは少なかった)。

       当時の人々は、 大石内蔵助を、 現代

    の歴史学で採用されている(使用されている)

    「正式名(本名)」の「大石 良雄(おおいしよ

    しお)」 と呼ぶことは少なかった。 

       理由は、 前近代では、「名字の家名」

    と「諱(いみな)の実名」とを組み合わせて

    2つの名前だけで呼ぶ(称する)慣習がなか

    ったため。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

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#thepremodernperson'sname-general(fullformaln.)

 

 

◆ 前近代日本での人物の

   当時の呼び名。

 

  ● 前近代日本での、歴史上の人物の

    当時の呼び名。

 

 

 ■ 前近代日本の、一族名。 

 

  ■ 前近代日本の、一族名 (氏(うじ)、姓(せい)) 

    には、 氏姓 や 名字 があった。

 

  ● 「氏姓(しせい、姓氏)」には、 

    氏族名(しぞくめい) や 姓(かばね)」があり、 

    氏族名(しぞくめい)は、 家すじを表す氏姓であり、 

    姓(かばね)は、 家柄の尊卑の区別を表す氏姓 

    である。

 

  ● 名字は、 「名字(みょうじ)の家名(かめい)」

    である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の、個人名。 

 

  ■ 前近代日本の、個人名(名(な))には、 

    諱(いみな)、通称、律令官名・武家官位など

    があり、 即ち、 

    「諱(いみな)の実名(じつめい)」 と 

    「通称(あだ名)の仮名(けみょう)」、 

    「律令官名(りつりょうかんめい)・武家

    官位(ぶけかんい)」、

    などである。

 

 

 

 ■ 前近代日本の上層の日本人成人

    男性の人名の場合。 

 

  ■ 一般的に、前近代日本の、上層の日本人成人

    男子は、  

    現代日本人の名字と名の2群(グループ)構成

    の氏名とは異なり、

    一族名(「氏(うじ)」)は、 

    「氏姓」 や 「名字」を所持し 

    個人名(「名(な)」は 

    「諱」 や 「通称」 や 「律令官名・武家官位」

    などを所持する。

 

  ● 一般的に、前近代日本(古代から江戸時代まで)

    の、上層の日本人成人男子は、  

    一族名 (「氏(うじ)」)は、 

    「氏姓(しせい)の氏族名(しぞくめい)・姓(かばね)」 

    や 「名字(みょうじ)の家名」を所持し 

    個人名 (「名(な)」は、

    「諱(いみな)の実名」 や 「通称(あだ名)の仮名

    (けみょう)」 や 「律令官名(りつりょうかんめい)・

    武家官位(ぶけかんい)」

    などを所持する。

 

   (A1) 「名字の家名」

        + 「通称(あだ名)の仮名(けみょう) 」

   (A2) 「名字の家名」 

        + 「律令官名・武家官位」

   (B1) 「名字の家名」 

        + 「諱(いみな)の実名」。

   (B2) 「氏姓の氏族名・姓」 (「氏姓の氏族 名」 + 

        「氏姓の姓(かばね)」)

        + 「諱(いみな)の実名」。

 

 

 ■ 前近代日本の上層の日本人

    成人男性の人名の場合。 

 

  ■ 前近代日本の上層の日本人成人男子は、

    少なくとも、2つの氏名を所持していた。

 

    (A1) 通常(日常生活)では、

       「名字の家名」 + 

       「仮名(けみょう)の通称(あだ名)」

       を使用する。

 

       (例) 西郷 吉之助  

       (さいごう きちのすけ、西郷隆盛)。 

 

    (B1) 公式の場では、

       「名字の家名」 + 「諱(いみな)の実名」。

       を使用する。

 

       (例) 西郷 隆永  

       (さいごう たかなが、西郷隆盛)。 

 

 

 ■ 前近代日本の名門の上層の日本

    人成人男性の人名の場合。 

 

  ■ 前近代日本の名門の上層の日本人成人男子は、

    少なくとも、4つの氏名を所持していた。

 

    (A1) 通常(日常生活)では、

       「名字の家名」 + 

       「仮名(けみょう)の通称(あだ名)」 

       を使用する。

 

       (例) 織田 三郎  

       (おだ さぶろう、織田信長)。 

 

    (A2) 通常(日常生活)では、

       「名字の家名」 + 「律令官名(武家官位)」

       を使用する。

 

       (例) 織田 弾正忠  

       (おだ だんじょうのちゅう、織田信長)。 

 

    (B1) 公式の場では、

       「名字の家名」 + 「諱(いみな)の実名」。

       を使用する。

 

       (例) 織田 信長  

       (おだ のぶなが、織田信長)。 

 

    (B2) 公式の場では、

       「氏姓の氏族名・姓(かばね)」 + 

       「実名の諱(いみな)」。

       を使用する。

 

       (例) 平 朝臣 信長  

       (たいらの あそん のぶなが、織田信長)。 

 

 

 

 ■ 織田信長の場合。

 

  ● 織田信長の氏名まとめ一覧

    「 織田 三郎 弾正忠 平 朝臣 信長 」。

     (おだ さぶろう だんじょうのちゅう 

     たいらの あそん のぶなが)。

 

  ■ 前近代日本の上層の日本人成人男子である、

    織田信長は、活躍当時、次のような氏名を

    所持していた。

 

    (A1) 通常(日常生活)では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「通称(あだ名)

       の仮名(けみょう)」を使用する。

 

       (例) 織田 三郎 と呼ばれる。

       (おだ さぶろう、織田信長)。 

 

    (A2) 通常(日常生活)では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「律令官名(りつ

       りょうかんめい)・武家官位(ぶけかんい)」

       を使用する。

 

       (例) 織田 弾正忠 と呼ばれる。

       (おだ だんじょうのちゅう、

       織田信長の律令官名)。 

       (例) 織田 上総介 と呼ばれる。

       (おだ かずさのすけ、

       織田信長の武家官位(自称))。 

 

    (B1) 公式の場では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「諱(いみな)の

       実名」を使用する。

 

       (例) 織田 信長 と呼ばれる。  

       (おだ のぶなが、織田信長)。 

 

       〇 安土桃山時代当時、「名字+諱(いみな)

         の実名」パターンの「織田 信長」という

         呼称が使われた例は少ない。

 

    (B2) 公式の場では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「氏姓の氏族名(しぞ

       くめい)・姓(かばね)」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「諱(いみな)の実名」。

       を使用する。

 

       (例) 平 朝臣 信長 と呼ばれる。

       (たいらのあそん のぶなが、織田信長)。

 

       〇 朝廷の公文書では、「平朝臣信長」

       (たいらの あそん のぶなが) と 記されて

       いた。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

   ■ 織田信長の

     一族名 (氏(うじ)、姓(せい))の、 

     「名字」 (名字(みょうじ)の家名(かめい))は、 

     織田 (おだ)である。

 

   ■ 織田信長の

     一族名 (氏(うじ)、姓(せい))の、 

     「氏姓」 (氏姓(しせい、姓氏)の氏族名

     (しぞくめい) と 姓(かばね))は、

     平 朝臣 (たいらのあそん)である。

     氏姓の氏族名は、「平」(たいら)であり、

     氏姓の姓は、「朝臣」である。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

   ■ 織田信長の

     個人名 (名(な))の、

     「諱」 (「諱(いみな)の実名(じつめい)」)は、  

     信長 (のぶなが)である。

 

   ■ 織田信長の

     個人名 (名(な))の、

     「通称」 (「通称(つうしょう、あだ名)

     の仮名(けみょう)」)は、

     三郎 (さぶろう)である。

 

   ■ 織田信長の

     個人名 (名(な))の、

     「律令官名(りつりょうかんめい)・武家官位

     (ぶけかんい)」は、

     弾正忠 (だんじょうのちゅう)である。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 

 ■ 西郷隆盛の場合。

 

  ● 西郷隆盛の氏名まとめ一覧

    「 西郷 吉之助 平 朝臣 隆永・隆盛 」。

      (さいごう きちのすけ たいらのあそん 

      たかなが・たかもり)。

 

  ■ 前近代日本の上層の日本人成人男子である、

    西郷隆盛は、活躍当時、次のような氏名を

    所持していた。

 

    (A1) 通常(日常生活)では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「通称(あだ名)

       の仮名(けみょう)」を使用する。

 

       (例) 西郷 吉之助 と呼ばれる。

       (さいごう きちのすけ、西郷隆盛)。 

 

    (B1) 公式の場では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「諱(いみな)の

       実名」を使用する。

 

       (例) 西郷 隆永 と呼ばれる。  

       (さいごう たかなが、成人後1869年(明治

        2年)まで、西郷隆盛)。 

 

    (B2) 公式の場では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「氏姓の氏族名(しぞ

       くめい)・姓(かばね)」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「諱(いみな)の実名」。

       を使用する。

 

       (例) 平朝臣 隆盛 と呼ばれる。

        (たいらのあそん たかもり、西郷隆盛 

        (1869年(明治2年)〜1877年

        (明治10年))。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

   ■ 西郷隆盛の

     一族名 (氏(うじ)、姓(せい))の、 

     「名字」 (名字(みょうじ)の家名(かめい))は、 

     西郷 (さいごう)である。

 

   ■ 西郷隆盛の

     一族名 (氏(うじ)、姓(せい))の、 

     「氏姓」 (氏姓(しせい、姓氏)の氏族名

     (しぞくめい) と 姓(かばね))は、

     平 朝臣 (たいらのあそん)である。

     氏姓の氏族名は、「平」(たいら)であり、

     氏姓の姓は、「朝臣」である。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

   ■ 西郷隆盛の

     個人名 (名(な))の、

     「諱」 (「諱(いみな)の実名(じつめい)」)は、  

     隆永(たかなが)、隆盛(たかもり)である。

 

   ■ 西郷隆盛の

     個人名 (名(な))の、

     「通称」 (「通称(つうしょう、あだ名)

     の仮名(けみょう)」)は、

     吉之助 (きちのすけ)である。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 

 ■ 大石内蔵助の場合。

 

  ● 大石内蔵助の氏名まとめ一覧

     「大石 内蔵助 藤原 良雄」。 

          (おおいし くらのすけ ふじわらの よしお)。

 

  ■ 前近代日本の上層の日本人成人男子である、

    赤穂事件で有名な大石内蔵助は、活躍当時、

    次のような氏名を所持していた。

 

    (A1) 通常(日常生活)では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「通称(あだ名)

       の仮名(けみょう)」を使用する。

 

       (例) 大石 内蔵助 と呼ばれる。

       (おおいし くらのすけ、大石内蔵助の

        内蔵助は通称の百官名)。 

 

 

    (B1) 公式の場では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「名字の家名」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「諱(いみな)の

       実名」を使用する。

 

       (例) 大石 良雄 と呼ばれる。  

       (おおいし よしお・よしたか、大石内蔵助)。 

 

       〇 江戸時代当時、「名字+諱(いみな)

         の実名」パターンの「大石 良雄」という

         呼称が使われた例は少ない。

 

    (B2) 公式の場では、

       一族名(「氏(うじ)」)の「氏姓の氏族名(しぞ

       くめい)・姓(かばね)」 と、 

       個人名(「名(な)」 )の「諱(いみな)の実名」。

       を使用する。

 

       (例) 藤原 良雄 と呼ばれる。

       (ふじわらの よしお・よしたか、大石内蔵助の

       氏姓の氏族名のみ・姓はない、藤原秀郷の末

       裔小山氏の一族であるため)。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

   ■ 大石内蔵助の

     一族名 (氏(うじ)、姓(せい))の、 

     「名字」 (名字(みょうじ)の家名(かめい))は、 

     大石 (おおいし)である。

 

   ■ 大石内蔵助の

     一族名 (氏(うじ)、姓(せい))の、 

     「氏姓」 (氏姓(しせい、姓氏)の氏族名

     (しぞくめい) と 姓(かばね))の

     藤原 (ふじわら)である。

     氏姓の氏族名は、藤原 (ふじわら)であり、

     氏姓の姓は、ない。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

   ■ 大石内蔵助の

     個人名 (名(な))の、

     「諱」 (「諱(いみな)の実名(じつめい)」)は、  

     良雄 (よしお・よしたか)である。

 

   ■ 大石内蔵助の

     個人名 (名(な))の、

     「通称」 (「通称(つうしょう、あだ名)

     の仮名(けみょう)」)は、

     内蔵助 (くらのすけ)である。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 

 

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#thepremodernperson'sname-woman'sname

 

 

◆ 前近代日本の、女性の氏名。

 

 

 □ 前近代日本の、一般の女性の氏名

 

 □ 前近代日本の、上層の女性の氏名

 

 □ 前近代日本の、上層の名家の女性

    の氏名

 

 □ 前近代日本の、女性の正式名(本名)

 

 □ 前近代日本の家父長制の夫婦別姓

 

 

 

 

  ■ 前近代日本では、女性は、慣習で、通常、

    個人名でのみ自他呼称する。

 

  ■ 前近代日本では、女性は、慣習で、通常、 

      所持する一族名の名字を付けず、 個人

      名のみで、  名乗ったり、呼ばれたりした。

              

   ● 前近代日本では(江戸時代以前では)、

     女性は、通常(日常生活では)、

     名字を使わず、名のみで自他呼称する。 

              

     (例) 斎藤美菜という女性は、

       「私は、美菜です。」

       他人からは、「お美菜」と呼ば れる。

              

   ■ 前近代日本の女性は、古文書(こもんじょ)

     では、個人名の実名の記載は、少ない。

              

     <女性氏名の記載例>

     徳川家康室 (= 徳川家康の夫人)。

     徳川家康女 (= 徳川家康の娘)。

 

 

 

  ■ 前近代日本の女性は、通常、一族名を称さず 

    (上層男性は、一族名を称した)。

 

  ● 前近代日本では、女性は、

    男性と異なり、実家でも、婚家でも、 

    上層の名家の女性を除いて、 自分の個人名

    に一族名「氏(うじ)」を加えて、通常、 他人

    に名乗ったり、 他人からそう呼ばれることは

    なかった。

 

  ● 前近代日本では、女性は、

    自分の個人名でのみ、名乗ったり、呼ばれた

    りした。

 

  ● 一般的に、 日本が「父系社会」(家父長制

    社会)となった鎌倉時代以後、 

    上層の名家の女性を除き、 

    親は、娘に、 「一族 (家)」(実家)に対する

    帰属意識を求めず、 また、

    女性は、男性に比較して、「一族(家)」(実家) 

    に対する帰属意識が薄(うす)かったことも一

    因である。

       現代風にいえば、 親は、娘を結婚や養

    女で他家にやり、娘はその婚家・養女先の人

    間になるという考えが強く、 

       一方、女性は、 他家に嫁ぎ、その婚家の

    人間になる という意識が強かった ことも一因

    である。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

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#thepremodernperson'sname-woman'sname(ordinary)

 

 

◆ 前近代日本の、一般の女

     性の氏名。

 

 ■ 前近代日本の一般の女性の氏名。 

 

  ■ 前近代日本の一般の女性は、 

    前近代 日本の厳格な父系社会(家父長制

    社会)・身分制社会では、  

    個人名の、「 通称 」 と 一族名の、私称

    の「 名字 」  の氏名のみを所持する。 

 

 

    ■ 前近代日本の一般の女性は、通常、個人名

     のみで、自他呼称する。

 

  ● 前近代日本の一般の女性は、 

    所持している私称の(自分の父方の)一族名

    の「名字」は、日常、使わず。

 

  ● 前近代日本の一般の女性は、 

    個人名の「通称」だけで、通常、自称したり(名

    乗ったり)、 呼ばれたりした。 

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の家父長制の夫婦別姓。 

 

  ■ (注意) 明治5年(1872年)1月の戸籍法

    施行(壬申(じんしん)戸籍)まで、 前近代日

    本の女性は、 夫婦別姓で、夫の一族名(氏・

    名字)を称さず。

 

  ● (注意) 明治5年(1872年)1月の戸籍法

    施行(壬申(じんしん)戸籍)まで、 前近代日

    本の女性は、 婚儀(結婚)後も、婚儀(結婚)

    後も実家の一族名(氏・名字、山本)を保持

    (所持)し、 夫の一族名(氏・名字)を称さず。 

 

 

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#thepremodernperson'sname-woman'sname(upperclass)

 

 

◆ 前近代日本の、

     上層の女性の氏名。

 

 

  ■ 前近代日本の上層の女性は、 

    前近代日本の厳格な父系社会(家父長制社会)・

    身分制社会では、 

    個人名の、「 通称 」 と  一族名の、公称

    「 名字 」 を所持する。 

 

    ■ 前近代日本の上層の女性は、通常、個人名

     のみで、自他呼称する。

 

  ● 前近代日本の上層の女性は、 

    所持している公称の(自分の父方の)一族名

    の「名字」は、日常、使わず。

 

  ● 前近代日本の上層の女性は、 

    個人名の「通称」だけで、通常、自称したり(名

    乗ったり)、 呼ばれたりした。 

      例として、 山内一豊(やまうちかずとよ)

    の正室夫人の千代(ちよ)の場合、

    「千代」と自称したり、呼ばれたり する。  

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 別に、高い身分の上層の女性は、 公式な場

    のみで使用する 「 氏姓の氏族名・姓(かば

    ね)と諱(いみな)の実名 」 を所持する。 

      例として、 豊臣秀吉の正室夫人のねね

    (おね)の場合、 豊臣吉子とも呼ばれる。

 

 

  ■ 例として、 山内一豊(やまうちかずとよ)

    の正室夫人の千代(ちよ)の場合。

 

   (1) ○ 「千代」 (ちよ) 

         (千代の生まれたときからの個人名の実名)。

 

       ○ 「見性院」 (けんしょういん) 

         (千代の落飾(らくしょく、出家)後

         の個人名の法名(ほうみょう))、

       などと千代は、名乗ったり、呼ばれたりする。

 

   (2) △ 「若宮 千代」 

         (若宮は、 千代の実家の一族名「氏(うじ)」

         で、若宮千代は、千代の所持氏名、正式

         氏名ではあるが) 

         通常は、千代は、個人名のみの「千代」で

         自称したり、呼ばれたりする。

 

       X 「山内 千代」   

         (山内は、千代の婚家の一族名「氏(うじ)」

          ではあるが、だが、千代は、山内家の系

         統(血統)を引いていないため山内千代

         とは称さず。)

          千代は、当時、「山内千代」と名乗ったり、

         呼ばれたりすることなかった。 

                     

   (3) ○ 「遠藤盛数 女」 

                 (= 若宮 喜助友興の娘)。

         (女は娘の意で、 遠藤盛数(えんどう

         もりかず)は、千代の父で、美濃斎藤

         氏家臣である)。

             千代は、当時、遠藤盛数 女と

         文書に書かれたり、呼ばれたりする。

         

       ○ 「山内 一豊 室」 (= 山内一豊の夫人)

         (室は夫人(妻)の意で、山内一豊は

         千代の夫である)。

             千代は、当時、山内 一豊 室と

         文書に書かれたり、呼ばれたりする。

 

      ● 前近代日本の古文書では、日本女性は、

        「遠藤盛数 女」、「山内 一豊 室」のよう

        に、記載されることが多く、本人の個人名

        の実名がわからないことが多い。

         

 

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#thepremodernperson'sname-woman'sname(prestigiousfamily)

 

 

◆ 前近代日本の、上層の

     名家の女性の氏名。

 

 

  ■ 上層の名家の女性は、 

    自分の個人名に実家の一族名「氏(うじ)」

    を加えて、名乗ったり、 呼ばれたりするこ

    とはあった。

 

  ● 名門出身の上層の女性の場合、 名門の実家

    の「一族 (家)」に対する帰属意識が強かった。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  (例) 源頼朝(みなもとのよりとも)の正室(夫人)の、 

     北条政子(ほうじょうまさこ)の場合、

 

    ○ 「平 政子」(たいらの まさこ) 

      と名乗ったり、呼ばれたりすることはあった 

      (公的な場面でのみ)。

 

    ○ 北条政子の父の北条時政(ときまさ) は、 

      坂東(ばんどう)平氏の血筋を引き、「一族名

      (「氏(うじ)」)の「氏姓(しせい)の氏族名」 が 

      「平」(たいら)なので、 父系の系列(血統)

      の一族名を示す「平」 を、 公の場面で、 

      実家でも、婚家でも、称したりすることはあった。

 

 

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#thepremodernperson'sname-woman'sname(formal)

 

 

◆ 前近代日本の、女性の

     正式名(本名)。

 

  ■ 現在の一般の歴史書で採用されている、 

    前近代日本の、女性の正式名。

 

 

 ■ 本人の居住場所から、採用した

    正式名称

 

  ● 本人の居住場所 + 「の方(のかた)」 または 

    「殿(どの)」。

 

 ■ 本人の通称から、採用した正式名称。 

 

  ● 「お」 + 本人の通称名 + 「の方(のかた)」 。

 

 ■ 本人の通称と父系一族名から、

    採用した正式名称。 

 

  ● 父系一族名の「名字の家名」 + 通称名。

 

 ■ 本人の諱(いみな)と父系一族名

    から、採用した正式名称。 

 

  ● 父系一族名の「名字の家名」 + 通称名。

 

 

 ■ 本人の居住場所から、採用した

   正式名称

 

  ○ 前近代日本では、当時は、女性は、次の

    ように、呼ばれる。

 

  ■ 本人の居住場所 

    + 「の方(のかた)」 または 「殿(どの)」。

 

  ■ (例) 淀殿(よどどの、豊臣秀吉側室・夫人)の場合、 

    「淀殿」(よどどの)、「淀の方」、「西の丸殿」。 

 

  ● (例) 淀殿が、 淀城(よどじょう)に居住して

    いたことがあるため。

 

  ● (例) 淀殿の場合、 「淀の方」 (よどのかた)。 

     淀殿が、 淀城(よどじょう)に居住していた

     ことがあるため。

 

  ● (例) 淀殿の場合、 「西の丸殿」 (にしのまる

        どの)。 

     淀殿が、 伏見城(ふしみじょう)の西の丸に

     居住していたことがあるため。

 

 

 

 ■ 本人の通称から、採用した正式

    名称。 

 

  ○ 前近代日本では、当時は、女性は、次の

    ように、呼ばれる。

 

  ■ 「お」 + 本人の通称名 + 「の方(のかた)」。

 

  ● (例) 淀殿の場合、 「お茶々の方」 (おちゃ

        ちゃのかた)。 

        淀殿の通称が、茶々のため。

 

  ● (例) お江(おごう、徳川秀忠正室・夫人)の場合、 

        「お江の方」

        (おごうのかた)、お江与の方(おえよのかた)。 

        お江の通称が、江(ごう)、江与(えよ)のため。

 

 

 

 ■ 本人の通称と父系一族名から、

    採用した正式名称。 

 

  ○ 前近代日本では、当時は、女性は、次の

    ように、呼ばれる。

 

  ● 父系一族名の「名字の家名」 

    + 個人名の「通称名」。

 

  ● (例) 淀殿の場合、 「浅井 茶々」 (あざい 

        ちゃちゃ)。 

        淀殿の父方の一族名の「名字の家名」が、

        浅井氏のため。

  ● (例) お江(おごう)の場合、 「浅井 江」 

        (あざい ごう)。 

        お江の父方の一族名の「名字の家名」が、

        浅井氏のため。

 

  (注意)

  ○ 前近代日本では、当時は、女性 は、上記のように、

    呼ばれることは、少なかった。 

    前近代日本では、当時は、女性は、 通常、個人名

    のみで呼ばれたため。 

 

 ■ 本人の諱(いみな)と父系一族名

   から、採用した正式名称。 

 

  ● 父系一族名の「名字の家名」 + 個人名の

    「諱(いみな)」。

 

  ■ 名門の女性の場合。

 

  ● (例) 北条政子(源頼朝の正室・夫人)の場合、 

        「北条 政子」(ほうじょう まさこ)。 

        北条政子の父方の一族名の「名字の家名」

        が、北条氏のため。

 

  ● (例) 日野富子(足利義政の正室・夫人)の場合、 

        「日野 富子」(ひの とみこ)。 

        日野富子の父方の一族名の「名字の家名」

        が、日野氏のため。

 

  ● (例) 淀殿の場合、 「浅井 菊子」(あざいきくこ)。 

        淀殿の父方の一族名の「名字の家名」が、浅

        井氏のため。

 

  ● (例) お江(おごう)の場合、 「浅井 達子」 (あ

        ざい たつこ)。 

        お江の父方の一族名の「名字の家名」が、浅

        井氏のため。

 

  (注意)

  ○ 前近代日本では、当時は、名門でない一般の女

    性は、上記のように、呼ばれることは、少なかった。 

 

  ○ 前近代日本では、当時は、女性は、 通常、個人

    名のみで呼ばれた。

 

  ○ 前近代の男性は、 公式の場以外、父系一族名

    の「名字の家名」+「諱(いみな)」 で呼ばれる

    ことは、 少なかった。 日常、「名字の家名」+

    「通称」 で、呼ばれた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-woman'sname(differentf.n.)

 

 

◆ 前近代日本の、夫婦別姓。

 

 

   □ 前近代日本 の家父長制の

      夫婦別姓。  

 

  ■ 婚儀(結婚)後も、 前近代の日本女性は、 

    自分の個人名に夫の婚家の一族名「氏(うじ)」

    を加えて、 名乗ることはなかった。

 

  ● 前近代日本では、  一族名の「氏(うじ)」 は

    家族関係を示すものではなく父系の系統(血

     統)の一族名を示す名称であったため。   

 

  ○ 前近代日本の厳格な父系社会(家父長制社会)

    ・身分制社会では、女性は、 婚儀(結婚)後、 

    夫の一族名の名字を、名乗らなかったし、また、 

    夫の一族名の名字を付けて呼ばれなかった。 

    もし名字を名乗る場合は、 当時の女性は、婚

    儀(結婚)後も、実家の名字(一族名)を名乗った。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  (例) 山内一豊(やまうちかずとよ)の正室(妻)

     の、千代(ちよ)の場合。

 

  (1) ○ 「千代」 (ちよ) (千代の生まれたとき

        からの個人名の通称)。

 

      ○ 「見性院」 (けんしょういん) (千代の

        落飾(らくしょく、出家)後の個人名の

        法名(ほうみょう)(院号))。

     などと名乗ったり、呼ばれたりした。

 

  (2) △ 「若宮 千代」   

        若宮 は、 千代の実家の一族名「氏(うじ)」、

        左記は千代の正式名だが、 通常は、個人

        名のみの「千代」で自称したり、呼ばれたり

        した。

     X 「山内 千代」    

        と名乗ったり、呼ばれたりはしなかった。

        山内は、 千代の婚家の一族名 (「氏(うじ)」) 。

             千代は、山内家の系統(血統)を引いてい

        ないため山内千代 とは称さず。

                

  (3) ○ 「若宮 喜助友興 女」 

        (= 若宮 喜助友興の娘)

        (「女」は娘の意、 若宮 喜助友興は、

         千代の父で、浅井家の家臣)

      ○ 「山内 一豊 室」 (= 山内一豊の夫人)

        (「室」は夫人(妻)の意、山内一豊は、

        千代の夫)

     などと記載されることが多かった (史料では、女

     性名はこのような記載多し)。

 

 

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#thepremodernperson'sname-givenname

 

 

◆ 前近代日本の、個人名

     (名(な))。

 

 ● 前近代の個人名(名(な))の、 諱

     (いみな)、 通称(つうしょう)、 号 (ごう)、 

    律令官名 (りつりょうかんめい)、法名

     (ほうみょう) 等。

 

 

 □ (いみな)

 

    □ 偏諱 (へんき、かたいみな) 

 

      □ 通字 (つうじ、系字(けいじ))

 

 □ 通称 (つうしょう)

 

 □ (ごう)

 

 □ 律令官名 (りつりょうかんめい)

 

 □ 法名 ( ほうみょう)

 

 

 

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  ■ 日本では、前近代と現代の氏名を比較すると、 

       前近代の一族名(「氏(うじ)」)には、 氏姓 (し

      せい)、 名字 (みょうじ)、 屋号 (やごう) 等

      があり、 また、 前近代の個人名(「名(な)」)

      には、  (いみな、実名)、 通称 (あだ名)、 

     (ごう)、 律令官名 (りつりょうかんめい)、 

    法名 (ほうみょう) 等があった。 

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

 

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

       諱(いみな)の実名 」。 

 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

 

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」

       (後世の呼び名)。

 

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

 

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

        なが)、 

 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

    等の氏名を持っていた。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう) 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょう)を一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-givenname/tsusho

 

 

◆ 前近代の個人名

   (「名(な)」)の、  

     「通称 (つうしょう)

    (個人名の、あだ名、仮名(けみょう)

         (あざな))。

 

 

  ■ 通称 (つうしょう)とは、 

    前近代日本では、 個人名の1つで、 個人

    名のあだ名であり、字(あざな)であり、仮名

    (けみょう)とも言う。

 

  ■ 前近代の上層の日本人男性は、 

    前近代の日本では (1872年(明治5年)の

    「戸籍令施行」以前では)、 自分の持つ「諱

    (いみな)の実名」を他人が呼ぶことを嫌う習

    慣があったので、 「通称」 が発達した。

 

  ● 前近代の日本では、 

    「諱(いみな)の個人名(名(な))の実名」を

    他人が呼ぶことを嫌う習慣があったので、 

    「 通称の個人名(名(な))  (あだ名、

    仮名(けみょう),字(あざな) 」 が発達した。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  ■ 仮名(けみょう) とは、 

    諱(いみな、個人名の実名)の代わりに用いる

    名ことである。

 

 

 ■ (例) 坂本龍馬の場合。

 

  ■ (例) 日常名は、 坂本 龍馬  公式名は、 

    坂本 直陰(直柔) 。 

 

  ● 坂本 龍馬 (さかもと りょうま)の場合、 

    直陰(直柔) (なおかげ(なおなり) は、

    「 諱(いみな)の実名」 で、 龍馬 は、

    「通称」 である。

 

  ● 他人は、 坂本龍馬の「個人名(名(な))」を、 

    「個人名(名(な))の 諱(いみな)の実名」の 、

    「直陰(直柔)」 (なおかげ(なおなり とは

    呼ばず、 通常、日常では、 「個人名(名

    (な))の通称」の、「龍馬」と呼んだ。 

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 ■ (例) 勝 海舟の場合。

 

  ● (例) 日常名は、 勝 海舟、勝 麟太郎 

     公式名は、勝 義邦(安芳) 。 

 

  ● 勝 麟太郎 (かつ りんたろう、勝 海舟

    の場合、 義邦(安芳)(よしくに(やすよし))は、 

    「諱(いみな)の実名」 で、 海舟は、「号」、 

    麟太郎 は、「 通称」 である。

 

  ● 他人は、 勝 麟太郎の「個人名(名(な))」 を、 

    「個人名(名(な))の 諱(いみな)の実名」の 、

    「義邦(安芳)(よしくに(やすよし)) とは呼ばず、

    通常、 日常では、 「個人名(名(な))の「号」や

    「通称」の、「海舟」、「麟太郎」 と呼んだ。 

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  ■ 男性の場合には、 個人名(名(な))の通称 

    として、 誕生順名 (例、太郎、二郎、三郎) 

    がよく用いられた。

 

    (例) 勝 麟太郎の場合、 当時、 勝 麟太郎、 

    織田信長の場合、 織田 三郎 (おださぶろう) 

    などと称した。

    ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ 前近代の一般の日本人男性は、 

    前近代の厳格な身分制社会では、 

    「 通称 」、 私称の「 名字 」 のみ所持。 

 

  ● 持っている私称の一族名の「名字」は、

    日常、使わず、

 

  ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ば

    れたりした。 

 

  (例、 漁民のジョン万次郎の場合、万次郎

     と自称したり、呼ばれたりした)。

 

  ■ 前近代の上層の日本人女性は、  

    前近代の厳格な父系社会では、 

    「 通称 」、 公称の「 名字 」 を所持、 

     別に、高い身分の上層の女性は、公式

     な場のみで使用する、「 氏姓の氏族名・

     姓(かばね)+諱(いみな)の実名 」 

     を所持。 

 

   ● 持っている公称の(自分の父方の)一族名

     の「名字」は、 日常、使わず、

 

   ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ば

     れたりした。

     (例、 山内一豊の妻の千代の場合、

      「千代」と自称したり、呼ばれたりした)。  

 

 

  ■ 前近代の一般の女性の氏名は、 

    前近代の厳格な身分制社会・父系社

    会では、 「 通称 」、 私称の「 名字 」 

    のみ所持。 

 

  ● 持っている私称の(自分の父方の)一族名の

    「名字」は、日常、使わず、

 

  ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ばれ

    たりした。 

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ 前近代の一般の日本人男性は、 

    前近代の厳格な身分制社会では、 

    持っている私称の一族名の「名字」は、日常、

    使わず、 個人名の「通称」だけで、自称した

    り、呼ばれたりした (例、  漁民のジョン万

    次郎の場合、万次郎」 と自称したり、呼ば

    れたりした)。

 

  ■ 前近代の上層の日本人女性は、  

    前近代の厳格な父系社会では、 

    持っている公称の(自分の父方の)一族名の

    「名字」は、 日常、使わず、個人名の「通称」

    だけで、自称したり、呼ばれたりした (例、 山

    内一豊の妻の千代の場合、  「千代」と自称

    したり、呼ばれたりした)。  

       また、 「父親名+娘」または「夫名(おっ

    とめい)+夫人」 等という言い方で、自称し

    たり、呼ばれたりもした (千代の場合、 「若宮

    喜助友興の娘」、「山内一豊の妻(夫人)」と自

    称したり、呼ばれたりもした)。

        別に、高い身分の上層の女性は、

    公式な場のみで使用する、「 氏姓の氏族名・

    姓(かばね)+諱(いみな)の実名 」 を所持した。 

 

  ● 文献では、 日本人女性は、

    「 父親名+娘 」 (例、山内一豊の妻

    の千代の場合、「若宮 喜助友興 女」 (若宮

    喜助友興の娘))、 「夫名(おっとめい)+夫人」 

    (例、千代の場合、「山内一豊室 」 (山内一豊の

    夫人))等と記載されていることが多い。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ 前近代の一般の女性の氏名は、 前近代の厳

    格な身分制社会・父系社会では、 持っている私

    称の(自分の父方の)一族名の「名字」は、日常、

    使わず、個人名の「通称」だけで、自称したり、

    呼ばれたりした。 

      また、「父親名+娘」または「夫名(おっとめ

    い)+夫人」 等という言い方で、自称した り、呼

    ばれたりすることもあった。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ)  通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

       諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう)   通称 」 。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、  

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

       等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

    D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

      等の氏名を持っていた。

   ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう) 「不識庵(不識院)謙信」 より

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょう)を一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-givenname/imina

 

 

◆ 前近代の個人名

   (「名(な)」)の、

   「諱 (いみな)(個人名の実名)

 

 

 □ 偏諱 (へんき、かたいみな)

 

 □ 通字 (つうじ、系字(けいじ)

 

 

 

  ■  (いみな) とは、 前近代日本では、 

    個人名の1つで、 前近代の個人名の実名 

    である。

 

  ■  (いみな) とは、 個人名の実名(本名)で、 

    本人に対する敬意として口に出すことを憚(は

    ばか)る名のことである。

 

  ■ 諱(いみな、個人名の実名)は、 平安時代

    中期から、 漢字二字からなる名が一般的になる。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ 前近代の上層階層の日本人男性 や 前近代

    の最上層の日本人女性は、

    諱(いみな、個人名の実名)を所持していた(持

    っていた )。

    (例) 坂本龍馬の諱(いみな)は、 直陰(直柔) 

        (なおかげ(なお なり)。

    (例) お江(おごう)の諱(いみな)は、 達子 

        (さとこ) である。

 

 

  ■ 前近代の上層階層の日本人男性 や 前近

    代の最上層の日本人女性は、 

    前近代の日本では (1872年(明治5年)の

    「戸籍令施行」以前では)、 諱(いみな、個人

    名の実名)を持っていたが、 自分の持つ「諱(い

    みな)の実名」を、 他人が呼ぶことを嫌う習

    慣があったので、 「通称 の字(あざな)」が 

    発達した。

 

  ● 前近代の日本では、 

    「諱(いみな)」 (個人名(名(な))の実名) を、

    他人が呼ぶことを嫌う習慣があったので、 

    「通称 (つうしょう)」 (個人名(名(な))の、字

    (あざな)、あだ名、仮名(けみょう)) が発達した。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) お江(小督)の場合。

 

  ● (例) 日常名は、 お江(小督、おごう)、

    お江与(おえよ)、崇源院 (すうげんいん)。 

    公式名は、 浅井 達子 (あざい さとこ)。 

 

  ● お江(小督)の場合、 お江(小督、おごう)、

    お江与(おえよ)は、 通称であり、 崇源院

    (すうげんいん)は、 戒名の院号 であり、  

    通常、日常で、 使用された。

 

  ● お江(小督) の公式名の、「達子」 (さとこ)は、 

    朝廷より賜 (たまわ)った名 (朝廷より従一位

    を賜った際に授かった名) で、 諱(いみな)

    であり、 公(おおやけ)の場面、公文書でのみ

    使用された。 

 

 

  ■ (例) 坂本龍馬の場合。

 

  ● (例) 日常名は、 坂本 龍馬  公式名は、 

    坂本 直陰(直柔) 。 

 

  ● 坂本 龍馬 (さかもと りょうま)の場合、 

    直陰(直柔) (なおかげ(なおなり) は、

    「諱(いみな) の実名」 で、 龍馬 は、

    「通称の字(あざな)」である。

 

  ● 他人 は、 坂本龍馬の「個人名(名(な))」を、 

    個人名(名(な))の実名である、「諱(いみな)」

    の、直陰(直柔)」 (なおかげ(なおなり とは

    呼ばず、 通常、日常では、 個人名(名(な))

    の字(あざな))である、「 通称」の、「龍馬」と呼

    んだ。 

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ (例) 勝 海舟(かつ かいしゅう)の場合。

 

  ● (例) 日常名は、 勝 海舟、勝 麟太郎 

     公式名は、勝 義邦(安芳) 。 

 

  ● 勝 海舟 (勝 麟太郎(りんたろう))の場合、 

    義邦(安芳)(よしく に(やすよし)) は、 

    「諱(いみな)の実名」 で、  海舟は、「号」、 

    麟太郎 は、「 通称の字(あざな)」 である。

 

  ● 他人は、 勝 海舟の「個人名(名(な))」 を、 

    個人名(名(な))の実名である、「諱(いみな)」

    の 、「義邦(安芳)(よしくに(やすよし)) とは

    呼ばず、 通常、 日常では、 個人名(名(な))

    の「号」や「通称」の、「海舟」、「麟 太郎」 と呼

    んだ。 

    

 

 

  ■ 本人の諱(いみな)は、 

    朝廷との関(かか)わりのある階層以外、 

    生活で使われることは滅多(めった)になかった。 

    従って、 周囲の者が諱(いみな)を知らなかっ

    たり後世(こうせい)に伝わらないこともよく

    起こった

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ 西郷 隆盛の「隆盛」は、 

    父の「諱(いみな)」(個人名の実名)から採(と)

    った諱(いみな)系の個人名 である。

 

  ■ これは、本人の諱(いみな、個人名の実名)は、 

    ほとんど知られておらず、周囲の者が、本人

    の諱を知らなかったために、誤記されてしまっ

    た例である。

 

  ● (実例) 西郷 隆盛(さいごうたかもり) の場合。

     前近代(幕末)での、西郷隆盛の氏名は、

     「西郷 吉之助、 西郷 隆永」(さいごう きち

     のすけ、さいごう たかなが) であった。 

        しかし、 親友の吉井友実が、 西郷隆盛

     の「本人の諱(いみな)の隆永」を知らず、 

     西郷隆盛の「父の諱(いみな)の隆盛」を彼の

     ものと勘違いして、1869年(明治2年)に、 

     朝廷に奏上(そうじょう)してしまったため、 

     明治新政府(近代日本政府)の公文書では、

     西郷隆盛は、 「平 朝臣 隆盛」(たいらの あ

      そん たかもり) と記載され、 「戸籍令施行」

     (1872年(明治5年)1月)以後は、戸籍にも

     同様に「西郷隆盛」と記載され、 「西郷隆盛」 

     (さいごうたかもり) と呼ばれるようになって

     しまった!!

 

 

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 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね)    

         諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字  諱(いみな)の実名 」。  

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「  朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

 

    D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

      等の氏名を持っていた。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう) 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

 ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょう)を一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

   F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

     等の氏名を持っていた。

 

 

 

 

#thepremodernperson'sname-givenname/imina(henki)

 

 

◆ 偏諱 (へんき、かたいみな)

 

 

  ■ 偏諱授与 (へんきじゅよ、かたいみなじゅよ) 

    とは、 別名、 一字拝領(いちじはいりょう) 

    とも言う。

 

  ■ 偏諱授与は、 

    主君が、自分の諱(いみな、個人名の実名)

    の一字を、主従関係の証として、 臣下(家

    臣)に与えることである。

 

  ■ 偏諱授与 は、臣下(家臣)が、主君の諱

    (いみな、個人名の実名)の一字を、主従関

    係の証として、 主君より受けることである。

 

  ■ 諱(いみな、個人名の実名)は、 平安時代

    中期から、 漢字二字からなる名が一般的に

    なる。

 

  ■ 中世、近世の日本で (鎌倉時代から江戸時

    代まで)、 貴人が、臣下へ、恩恵の付与として、 

    偏諱(へんき)を与える例がよく見られた。

 

  ● 中世、近世の日本で (鎌倉時代から江戸時代

    まで)、 武家で、漢字二字の諱(いみな、個人

    名の実名)の一字を、 主従関係の証として、 

    主君が臣下(家臣)に与えることが頻繁に行わ

    れた (臣下(家臣)が主君より偏諱 (へんき)

    を貰(もら)う習慣があった) 。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ 実例

  ● 鎌倉時代に、 鎌倉幕府執権の北条時宗

    (ほうじょうときむね) は、 鎌倉幕府の

    6代将軍の宗尊親王(むねたかしんのう)

    から「宗」の偏諱 (へんき)を賜(たまわ)り

    (一字を貰(もら)い)、 時宗と称す。

 

  ● 建武時代に、 足利尊氏(あしかがたかう

    じ) は、 後醍醐天皇の諱(いみな)の尊

    治(たかはる)より「尊」の偏諱 (へんき)を

    賜り(一字を貰い)、 尊氏称す。

 

  ● 室町時代後期(戦国時代)に、 武田晴信 

    (たけだはるのぶ、武田信玄)は、 室町幕

    府12代将軍足利義晴(あしかがよしはる)

    より「晴」の偏諱 (へんき)を賜り(一字を貰

    い)、 晴信と称す。

 

  ● 江戸時代に、 徳川光圀 (とくがわみつくに、

    水戸黄門)は、 徳川幕府3代将軍・徳川家光

    (とくがわいえみつ)より「光」の偏諱 (へんき)

    を賜り(一字を貰い)、 光圀と称す。

 

  ● 江戸時代に、 徳川幕府15代将軍徳川慶喜 

    (とくがわよしのぶ、一橋慶喜)は、 徳川幕府

    12代将軍・徳川家慶(とくがわいえよし)より

    「慶」の偏諱(へんき)を賜り(一字を貰い)、慶

    喜と称す。

 

 

#thepremodernperson'sname-givenname/imina(tsuji)

 

 

◆ 通字 (つうじ)

 

 

  ■ 諱(いみな、個人名の実名)は、 

    平安時代中期から、 漢字二字からなる名

    が一般的になる。

 

  ■ 通字 (つうじ)とは、 別名、系字 ( けいじ)

    で、 先祖代々家に継承される、特定の文字

    を、諱(いみな、個人名の実名)の中に、入

    れることである。

 

  ■ 日本の古代から近世まで、 諱(いみな、

    個人名の実名)に、先祖代々家に継承され

    る、特定の文字を入れる習慣があった。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  ■ 実例として、

  ● 平安後期から現在まで、 天皇家の男子

    の諱(いみな、個人名の実名)の大半に、

    「仁」(ひと)の字が入れられている。

 

  ● 北条氏の「時」(とき)、 足利氏の「義」

    (よし)、 長尾氏(越後上杉氏)の「景」

    (かげ)、 武田氏の「信」(のぶ)、 織田

    氏の「信」(のぶ)、 島津氏の「忠」(ただ)

    や「久」(ひさ) などがある。

 

 

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#thepremodernperson'sname-givenname/rituryokanmei

 

 

◆ 前近代の個人名

   (「名(な)」) の、

     「律令官名・武家官位」。

 

 

  ■ 律令官名 ( りつりょうかんめい)や武家

    官位は、 前近代日本では、 

    個人名の1つで、 前近代の個人名として、

    武士の間で、よく利用された。

 

 

  ■ 男性の場合には、 個人名(名(な))として、  

    律令官名(官職名)や武家官位 (例、武蔵守

    (むさしのかみ)) が、武士の間で、 よく利

    用された。

       例えば、 戦国大名の織田信長の場合、 

    当時、 織田弾正忠 (おだ だんじょうのちゅう、

    律令官名) と呼ばれたり、 徳川将軍家の

    剣術指南役で江戸幕府・大目付の柳生宗矩

    (やぎゅうむねのり)は、 柳生但馬守(やぎゅ

    うたじまのかみ、律令官名)などと呼ばれた。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字  律令官名(りつりょうかんめい) 」 。  

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

       諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

    D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

   等の氏名を持っていた。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

         しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう) 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょう)を一緒

    に呼ぶことはなかった。

    本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

   F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

   等の氏名を持っていた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-givenname/go

 

 

◆ 前近代の個人名

     (「名(な)」) の、

      「号(ごう)」。

 

 

  ■  ( ごう) とは、 前近代日本では、 

    個人名の1つで、 人生の転機や隠居

    時などに称する前近代の個人名である。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  ■ 前近代日本では、 人生の転機や隠居時

    などに、 個人名(「名(な)」)の「諱(いみな)

    の実名 」を、音読みや僧侶風・文化人風の

    「号(ごう)」と呼 ばれる個人名(「名(な)」)

    に改める風習もあった。

 

  ● 例えば、幕末、明治初期に活躍した、越前

    藩主の松平慶永(まつだいらよしなが)が、 

    松平春嶽(しゅんがく)の「春嶽」という号を

    持った。 

       また、土佐藩主 の山内豊信(やまうち

    とよしげ)は、 山内容堂(ようどう)の「容堂」

    という号を持った。

        幕臣で海軍奉行の勝麟太郎(かつり

    んたろう)は、 勝海舟の「海舟」という号を

    もった。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 文化人の雅号もあった。 安土桃山時代活

    躍した絵師(えし)、狩野永徳(かのうえいとく)

   の「永徳」、 江戸時代に活躍した俳人(はいじん)、 

   松尾芭蕉(まつおばしょう)の「芭蕉」、 江戸時

   代に活躍した文学者、国学者、の上田秋成(うえ

   だあきなり、1734〜1809年)の「秋成」 など

   である。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

     の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

         諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字  (ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう) 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

    等の氏名を持っていた。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう) 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょう)を一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

       等の氏名を持っていた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-givenname/kaimyo

 

 

◆ 前近代の個人名

     (「名(な)」)の、

     「法名( ほうみょう)」。

 

 

  ■ 法名(ほうみょう)は、 前近代日本では、個人 

    名の1つで、 出家時などに称し、 前近代日本

    で、生前に個人名として、使用された。

       法名(ほうみょう) は、 仏門に入った人の

    名である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 前近代日本では、 僧侶や出家した者は、 

    在家の個人名(「名(な)」)の俗名(ぞくみょう)の、

    「諱(いみな)の実名」や通称名等をやめて、法

    名(ほうみょう)を、 個人名(「名な)」)として、 

    生前に、 名乗った。 

       漢字二字でつけることが多かった。

 

  ■ 前近代日本では、 出家するということは、 俗

    世との縁を絶つことを意味したので、 世俗の氏

    名(姓名)の俗名(ぞくみょう)を捨て、 仏門の

    戒律を守る者の名という意味の法名(ほうみょう)

    をつけた。 

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 現在一般的に使われている、上杉謙信や武田

    信玄のように、 世俗の一族名(「氏(うじ)」)の

    「名字の家名」の武田、上杉の下に、 法名(ほ

    うみょう) の信玄、謙信 をつけて呼称するのは、 

    本来は、おかしなことである。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ 武田信玄 は、 1559年(永禄2年)に、 出家

    して(入道して)、 徳栄軒信玄 と称した。 上杉

    謙信 は、1570年に、出家して(入道して)、不識

    庵(不識院)謙信 と称した。 

 

  〇 「 徳栄軒信玄 」 より 信玄をとり、武田信玄

    と呼ばれる。

 

  〇 「 不識庵(不識院)謙信 」 より 謙信をとり、

    上杉謙信と呼ばれる。 

 

  ● 俗名(ぞくみょう)と法名(ほうみょう)は、本来、

    一緒に使ってはいけないが、 武田信玄や上杉

    謙信のように、俗名の一族名と法名の個人名の

    組み合わせが、今日、一般世間で使われ、その

    まま定着してしまった。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

  ■ 禅僧は、法名(ほうみょう)の上に、更に法名を

    付けることもあった。

      例えば、 一休さんの、一休 宗純(いっきゅう

    そうじゅん) は、 一休も 宗純も、2つとも法名

    である。

 

  ■ 日本では、前近代と現代の氏名を比較すると、 

    前近代の一族名(「氏(うじ)」)には、 氏姓 (し

    せい)、 名字 (みょうじ)、 屋号 (やごう) 等

    があり、また、 前近代の個人名(「名(な)」)に

    は、  (いみな、実名)、 通称 (つうしょう、あ

    だ名)、  (ごう)、 律令官名 (りつりょうかん

    めい)、 法名 (ほうみょう) 等があった。 

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

       諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字  法名(ほうみょう 」

       (後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

      なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

    等の氏名を持っていた。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

  ○ 法名(ほうみょう 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょうを一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-surname

 

 

◆ 前近代日本の、一族名

  (氏(うじ)、姓(せい))。

 

 ● 前近代日本の一族名(「氏(うじ)

    姓(せい))の、氏姓 (しせい)、名字

    (みょうじ)、屋号 (やごう)等。

 

 

 □ 氏姓 (しせい)

 

 □ 名字  (みょうじ)

 

 □ 屋号 (やごう)

 

 

 

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  ● 前近代日本の氏名。

  ■ 日本では、前近代と現代の氏名を比較すると、 

    前近代の一族名(「氏(うじ)」)には、 氏姓 (し

    せい)、 名字 (みょうじ)、 屋号 (やごう) 等

    があり、 また、 前近代の個人名(「名(な)」)

    には、  (いみな、実名)、 通称 (あだ名)、 

     (ごう)、 律令官名 (りつりょうかんめい)、 

    法名 (ほうみょう) 等があった。 

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

        諱(いみな)の実名 」。  

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

      なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

    等の氏名を持っていた。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

  ○ 法名(ほうみょう 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょうを一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-surname/myoji

 

 

◆ 前近代の一族名(「氏(うじ)

   姓(せい ))の、

     名字(みょうじ)

 

 

  ■ 名字 (みょうじ)は、 前近代日本では、 

    一族名の1つで、 名字の家名という一族名 

    である。

 

  ■ 一族名 (氏(うじ)、姓(せい))には、 

    氏姓(しせい)、 名字(みょうじ)、屋号

    (やごう) 等があり、  「氏姓(しせい、姓氏)

    の氏族名(しぞくめい)と姓(かばね)」 であり、 

    「名字(みょうじ)の家名(かめい)」、「商号等

    の屋号やごう)」 である。

 

 

 ■ 前近代の日本の一般庶民の

     一族名 (「氏(うじ)、(姓(せい))

 

  ■ 古代中期から中世初期の奈良時代から鎌倉

   時代まで、 百姓身分等の 一般庶民は、 

   氏集団に属し、氏族名を持っていた (一族名

   (「氏(うじ)」)の「氏姓(しせい)の氏族名」を

   もっていた)。  

     古代の律令国家の時代  (奈良時代、

   平安時代初期)には、一般庶民は、どの氏族

   組織の一員であるかを示す、戸籍に登録した、

   氏集団である、律令戸籍の氏族名を持っていた。 

   律令制崩壊後、 平安中期から鎌倉期頃ま

   では、 一般庶民は、貴族・大寺院などの寄人

   (よりうど)から与えられた氏の実利的氏集団 

   (例、秦氏、清原氏) に属し、 その氏集団の

   氏族名を持つようになった。

 

 

  ■ 中世中期の鎌倉時代末以後、 

    百姓身分等の一般庶民は、婚姻関係を

    基礎にした継続的な家組織をもつようになり、 

    氏集団への依存度が減少し、

    氏族名 (一族名(「氏(うじ)」)の「氏姓(し

    せい)の氏族名」) を名乗る習慣が減少していき、 

    代わりに、 独立的家名としての、私称の、

    名字 (みょうじ)」 (一族名(「氏(うじ))」)の

    「名字の家名」) を、名乗ることが一般的に

    なった。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  ■ 前近代の日本では、百姓身分等の一般庶民は、 

    村や町の自 治的領域内では、 個々の「家」に

    属しており、 当然ながら、  私称の、名字(一族

    名(「氏(うじ))」)の「名字の家名」) を持っていた。

       しかし、江戸時代では、公式な場で、「 名字 」

    を名乗るのは、 武士や公家などに限られた。

 

 

  ■ 前近代の上層の日本人男性 は、

     次のような形式で、 名字を称した。

 

  ■ 西郷隆盛の場合。

  ● 西郷隆盛の名字は、 

    「西郷」 (さいごう)であり、 

    「 名字+通称 」の、西郷 吉之助 (きちのすけ)、 

    「 名字+諱(いみな)の実名 」の、西郷 隆永 

    (たかなが)、

    「 名字+号(ごう) 」の、西郷 南洲 (なんしゅう)

    等という形式で、称した。

 

  ■ 織田信長の場合。

  ● 織田信長のの名字は、 

    「織田」(おだ)であり、 

    「 名字+通称 」の、織田 三郎(おだ さぶろう) 、 

    「 名字+律令官名(りつりょうかんめい)」の、織田 

    弾正忠(おだ だんじょうのちゅう)、 

    「 名字+諱(いみな)の実名 」の、織田 信長 (お

    だ のぶなが) 

    等という形式で、称した。

 

  ● 前近代では、 現在の正式名の「 名字+諱

    (いみな)の実名 」パターンの 呼び方、 西郷 

    隆永 」、「 織田 信長 」と呼ばれるケース は

    当時は、少なかった。

 

 

  ■ 前近代日本の一般の日本人男性は、 

    前近代の厳格な身分制社会では、 

    「 通称 」、 私称の「 名字 」 のみ所持 する。 

 

  ● 持っている私称の一族名の「名字」は、

    日常、使わず、 

 

  ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ばれ

    たりした。 

 

  (例、 漁民のジョン万次郎の場合、万次郎」 と

    自称したり、呼ばれたりした)。

 

 

  ■ 前近代の上層の日本人女性は、  

    前近代の厳格な父系社会では、 

    「 通称 」、 公称の「 名字 」 を所持、 

    別に、高い身分の上層の女性は、公式の

    場のみで使用する、「 氏姓の氏族名・姓

    (かばね)+諱(いみな)の実名 」 を所持

    する。 

 

  ● 持っている公称の(自分の父方の)一族名

    の「名字」は、 日常、使わず。

 

  ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ば

    れたりした。

 

  (例、 山内一豊の妻の千代の場合、千代

    と自称したり、呼ばれたりした)。  

 

 

  ■ 前近代日本の一般の女性の氏名は、 

    前近代の厳格な身分制社会・父系社会では、

    「 通称 」、 私称の「 名字 」 のみ所持

    する。 

 

  ● 持っている私称の(自分の父方の)一族名

    の「名字」は、日常、使わず。

 

  ● 個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ば

    れたりした。 

 

 

  ■ 前近代日本の一般の日本人男性は、 

    前近代の厳格な身分制社会では、 

    持っている私称の一族名の「名字」は、日常、

    使わず、 個人名の「通称」だけで、自称した

    り、呼ばれたりした (例、  漁民のジョン万

    次郎の場合、幕末、「万次郎」 と自称したり、

    呼ばれたりした)。

 

 

  ■ 前近代日本の上層の日本人女性は、  

    前近代の厳格な父系社会では、 

    持っている公称の(自分の父方の)一族名の

    「名字」は、 日常、使わず、

    個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ば

    れたりした 

    (例、 山内一豊の妻の千代の場合、 

    「千代」と自称したり、呼ばれたりした)。  

       また、 「父親名+娘」または「夫名(おっ

    とめい)+夫人」 等という言い方で、自称した

    り、呼ばれたりもした 

    (千代の場合、 「若宮 喜助友興の娘」、

    「山内一豊の妻(夫人)」と自称したり、呼ばれ

    たりもした)。

       別に、高い身分の上層の女性は、

    公式の場のみで使用する、「 氏姓の氏族名・

    姓(かばね)+諱(いみな)の実名 」 を所持した。 

 

  ● 文献では、 日本人女性は、 「 父親名+娘 」 

    (例、山内一豊の妻の千代の場合、「若宮 喜助

    友興 女」 (若宮 喜助友興の娘))、 「夫名(お

    っとめい)+夫人」 (例、千代の場合、「山内一豊

    室 」 (山内一豊の夫人))等と記載されていること

    が多い。

 

 

  ■ 前近代日本の一般の女性の氏名は、 

    前近代の厳格な身分制社会・父系社会では、

    持っている私称の(自分の父方の)一族名の

    「名字」は、日常、使わず、

    個人名の「通称」だけで、自称したり、呼ばれ

    たりした。 

       また、「父親名+娘」または「夫名(おっと

    めい)+夫人」 等という言い方で、自称した り、

    呼ばれたりもした。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ)  通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 +  律令官名(りつりょうかんめい) 」。 

    B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

        諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字  (いみな)の実名 」。  

     D 「 名字  (ごう) 」。

       E 「 名字  法名(ほうみょう 」 (後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

    等の氏名を持っていた。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょうを一緒

    に呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

 「前近代日本の、一族名」 の先頭へ戻る

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#thepremodernperson'sname-surname/yago

 

 

◆ 前近代の一族名( 「氏(うじ)

   姓(せい))の、屋号(やごう)

 

 

  ■ 屋号 (やごう)は、 前近代日本では、 

    一族名の1つで、 商号等の屋号を、

    前近代の一族名として使用した。

 

  ■ 一族名 (氏(うじ)、姓(せい))には、 

    氏姓(しせい)、名字(みょうじ)、屋号(やごう)

    等があり、  「氏姓(しせい、姓氏)の氏族名

    (しぞくめい)と姓かばね)」 であり、 「名字

    (みょうじ)の家名(かめい)」、「商号等の屋号

    (やごう)」 である。

 

  ■ 町人には、 「屋号」を、一族名(「氏(うじ)」)

    として使う例も見られる。

 

  ■ 例えば、 茶屋 四郎次郎 (ちゃやしろうじろう) 

    や 紀伊国屋 文左衛門 (きのくにや ぶんざえ

    もん) で、 屋号の、茶屋 や 紀伊国屋は、

    一族名(「氏(うじ)」)として用いられた。  

       また、四郎次郎 や 文左衛門 は、個人名

    (「名(な)」)の通称である。

 

  ● 紀伊国屋 文左衛門は、 実在した人物か、

    架空の人物か不明である。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね) + 

         諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう)  + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「 平 朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

    等の氏名を持っていた。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょうを一緒に

    呼ぶことはなかった。

      本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

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#thepremodernperson'sname-surname/shisei

 

 

◆ 前近代の一族名( 「氏(うじ)

   姓(せい))の、

      氏姓 (しせい)

 

 

  ■ 氏姓 (しせい)は、 前近代日本では、 

    一族名の1つで、 前近代の、氏族名や

    姓(かばね)という一族名である。

 

  ■ 一族名 (氏(うじ)、姓(せい))には、 

    氏姓(しせい)、名字(みょうじ)、屋号(やごう)

    等があり、  「氏姓(しせい、姓氏)の氏族名

    (しぞくめい)と姓(かばね)」 であり、 「名字

    (みょうじ)の家名(かめい)」、「商号等の屋号

    (やごう)」 である。

 

  ■ 氏姓(しせい、姓氏)の、氏族名(しぞくめい)は、

    家すじを表す名で、 氏姓(しせい、姓氏)の、

    姓(かばね)は、家柄の尊卑の区別を表す名 

    である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ 西郷隆盛の場合。

 

  ● 西郷隆盛の氏姓は、 

    「平朝臣」 (たいらの あそん) であり、 

    朝廷の公文書では、 

    西郷隆盛は、「平 朝臣 隆盛」 (たいらの

    あそん たかもり) と 記されていた。

 

  ● 「平 朝臣 隆盛」は、 

    一族名の「氏姓の氏族名(しぞくめい) と、

    一族名の「氏姓の姓(かばね)」  と、 

    個人名の諱(いみな)の実名」である。

 

 

  ■ 織田信長の場合。

 

  ● 織田信長の氏姓は、 

    「平朝臣」 (たいらの あそん) であり、 

    朝廷の公文書では、 

    織田信長は、「平 朝臣 信長」 (たいらの

    あそん のぶなが) と 記されていた。

 

  ● 「平 朝臣 信長」は、 

    一族名の「氏姓の氏族名(しぞくめい)」 と

    一族名の「氏姓の姓(かばね)」 と

    個人名の諱(いみな)の実名」である。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 前近代日本の人名。

 

  ■ 前近代日本の上層階層の日本人成人男性 

    は、 現代日本人の名字と名のワンパターン

    構成の氏名ではなく、 「複数パターン(組合

    せ)構成の氏名」 を持っていた。

 

  ▼ 一族名 (氏(うじ)) + 個人名 (名(な)) 

    の組み合わせ。

 

  ■ @ 「 名字(みょうじ) + 通称(つうしょう)」。  

     A 「 名字 + 律令官名(りつりょうかんめい) 」 。 

     B 「 氏姓(しせい)の氏族名・姓(かばね)  

         諱(いみな)の実名 」。 

     C 「 名字 + 諱(いみな)の実名 」。 

     D 「 名字 + 号(ごう) 」。

       E 「 名字 + 法名(ほうみょう 」(後世の呼び名)。

     F 「 屋号(やごう) + 通称 」。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の織田 信長 (おだ のぶなが) 

        の場合。 

    @ 「 織田 三郎 」(おだ さぶろう)、 

    A 「 織田 弾正忠  」(おだ だんじょうのちゅう)、

    B 「  朝臣 信長 」(たいらの あそん のぶ

       なが)、 

    C 「  織田 信長 」(おだ のぶなが) 

    等の氏名を持っていた。 

 

  〇 現在の正式名の C 「 名字+諱(いみな)の

    実名 」パターンの 呼び方、 C 「 織田 信長 」

    と呼ばれるケース は、 当時は、少なかった。

 

 

  ■ (例) 越前藩主の松平 慶永 (まつだいら よ

        しなが) の場合。 

     D 「  松平 春嶽 」(まつだいら しゅんがく) 

     等の氏名を持っていた。

    ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

  ■ (例) 戦国大名の上杉 謙信 (うえすぎ けん

        しん) の場合。 

 

  ○ 法名(ほうみょう 「不識庵(不識院)謙信」 より 

    謙信をとって、 E 「 上杉 謙信 」 (うえすぎ

    けんしん) と後世の人に呼ばれた。 

 

  ○ 当時は、俗世の名字と法名(ほうみょうを一緒

    に呼ぶことはなかった。

    本人は、当時は、「 不識庵(不識院)謙信 」

    と称していた。

 

 

  ■ (例) 豪商の茶屋 四郎次郎 (ちゃや しろうじ

        ろう) の場合。 

    F 「 茶屋  四郎次郎 」(ちゃや しろうじろう) 

    等の氏名を持っていた。

 

 

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 『 あなたのハートには 

   何が残りましたか? 』。

 

 

 

以  上。