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 カナヤマ

 日本歴史辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 お 』

 No.0530。

 

 

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 ■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

 

 □ 日本史 辞典 (総合)

 

□          ● 事柄順。

 

 

〇 おお   大奥 

              (おおおく)。 《後宮》。

           (= 江戸城・大奥)。

           (= 徳川氏宗家(本家)

            奥御殿)。

                     (= 徳川氏宗家(本家)

            江戸幕府の後宮)。

           (1590年ー1868年)。

           ■ 江戸幕府・大奥の詳細

           な内容に関しては、

           □ 江戸幕府ガイドブック 

            □ 江戸幕府 関連年代順

            出来事ブック。 

          を参照してください。

           ○ 徳川氏宗家(本家)の

            当主の後宮。

           ○ 江戸幕府の将軍の

            後宮。

             ■ 大奥 (おおおく、1590年ー1868年

             とは、 江戸城・大奥であり、 徳川氏宗家

             (本家)の奥御殿(おくごてん)であり、 

             戸幕府の将軍の後宮である。

             ■ 大奥は、 江戸幕府の将軍(= 徳川氏

             宗家(本家)の当主)の家族の世話をする

             組織(役所)であり、 将軍のお世継ぎを生

             み育てる場所であった。

             ■ 大奥 (おおおく)とは、 徳川氏宗家

             (本家)(江戸幕府)の江戸城の後宮(こう

             きゅう)であり、 武家(武士)の 、江戸幕

             府・将軍の妻子の住い(住居スペース) で

                        ある。

             ● 大奥は、 徳川氏宗家(本家)の当主、

                        江戸幕府の将軍の後宮である。

             ● 大奥は、 江戸城本丸(表(おもて)・中

             奥(なかおく)・大奥)の一部であり、 約10

             00人の女性が暮らす、男子禁制の女の園

             (おんなのその)であった。

                 江戸幕府の将軍の寵愛を得る女の

             争いが起こった所でもある。

             ● 1590年に、日本本土支配者(= 天下人

                            (てんかびと))の豊臣秀吉の命(命令)によ

             り、 徳川家康の率いる徳川氏は、 中部地

             方 (三河、遠江、駿河、甲斐、信濃) から、 

             関東地方 (旧後北条氏領地) に領地替え

             となり、 江戸城の築城を開始する。 ここに、

             江戸城の大奥の歴史が始まる。

                1868年4月11日に、徳川慶喜(よし

             のぶ)の率いる徳川氏宗家(本家)は、江戸

             城を、明治政府(近代日本政府)に引き渡す。 

             ここに、江戸城の大奥の歴史が終わる。 

             ■ 奥御殿 (おくごてん)とは、 大名など

             の上級武士の後宮(こうきゅう)であり、 武

             家(武士)の、大名などの上級武士の妻子

             の住い(住居スペース)である。 

             ■ 奥 (おく、奥向(おくむき)) とは、

             前近代日本の妻子の住い(住居スペース)

             ある。 

 

〇 おお   大奥ガイドブック 

        江戸幕府・大奥

         ガイド ブック

              (おおおくがいどぶっく)。

          《後宮ガイドブック》。

 

〇 おお   大奥 簡略年表 

              (おおおく かんりゃくねんぴょう)。

          《後宮簡略年表》。

                ○ 大奥 (徳川氏宗家

           (本 家)の後宮、1590年ー

          1868年)の簡略年表。 

             (⇒ 日本史年表) 。

             ■ 大奥 簡略年表 (おおおく か

             んりゃくねんぴょう)は、 

              大奥 (徳川氏 宗家(本家)の後宮

             1590年ー1868年)の簡略年表

             である。 

 

〇 おお   大奥 詳細年表

               (おおおく しょうさいねん ぴょう)。

           《後宮詳細年表》。

                 ○ 大奥 (徳川氏宗家

           (本家)の 後宮、1590年

          ー1868年)の詳細年表。 

           (⇒ 日本史年表)。

             ■ 大奥 詳細年表 (おおおく し

             ょうさいねんぴょう)は、 

              大奥 (徳川氏宗家(本家)の後宮

             1590年ー1868年)の詳細年表

             である。 

 

 

   □ 日本史 辞典 の 「お」 基本見出し語 

       の 先頭ページへ。        

 

 

  ■  『 現在は、過去の成果であり、

      未来は、現在の成果である。 

 

 

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◆ 日本史辞典

 

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#o

 

 

#theookuinnerpalace

#innerpalace

 

 

■ 大奥。  

     (おおおく)。

 

 

  ■ 江戸幕府 大奥 (えどばくふ・おおおく) 

    の詳細な内容に関しては、 

    『 江戸幕府 大奥ガイドブック 』 を参照

    して下さい。

 

 

■ 大奥 (総合)

 

■ 名称 : 大奥 (おおおく)。

 

■ 大奥の存在期間 : 1590年 (秀吉の命(め

  い)により関東移封で家康の江戸城移動)から、 

  1868年 (官軍の江戸城無血開城) まで。

 

■ 大奥は、

  江戸幕府の官僚組織(役所)として、機能して

  いた。

 

■ 大奥は、

  愛と欲望が渦巻く女の園である。 

 

■ 大奥は、

  徳川宗家(本家)の当主、江戸幕府の将軍の

  後宮である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 41438。

 

 

 □ 大奥 詳細年表

 

 □ 江戸幕府・大奥が登場する、興

   味深い、ドキュメンタリー、ドラマ、

   映画

 

 

  ■ 大奥 (おおおく) とは、 徳川宗家(本家)の

    当主である、江戸幕府の将軍、の後宮 である。

 

  ■ 大奥は、 将軍の正室夫人である御台所(みだ

  いどころ)を頂点に、ピラミッド状に広がる組織

  (役所)であった。

     徳川宗家(本家)の将軍家では、 将軍の

  正室夫人である御台所が、将軍の子を産み、

  将軍(徳川家光)となった例は、 第2代将軍・

  徳川秀忠の正室夫人(御台所)のお江(おごう)

  のみである。 

     徳川宗家(本家)の将軍家では、 「御庭

  御目見え」(おにわおめみえ)などで側室夫人

  の女性が選ばれ、 ほとんど、御台所(将軍・

  正室夫人)に代わって側室夫人が将軍の子を

  産み、側室夫人の子の一人が将軍となった。

 

  ■ 大奥は、 将軍のお世継ぎを生み育てる場所

  であり、 健康で立派なお世継ぎを産み育てる

  場所である。

     しかし、大奥は、不健康な場所であり、

  大奥では、子供の死亡率は非常に高かった。

     子供の高死亡率の原因は、 鉛中毒(鉛

  汚染)とストレスなどである。

     大奥の女性の遺骨などの調査などにより、

  大奥では、大奥の女性は、当時、気品を保つ

  ため、鉛白(えんぱく)の真っ白な白粉(おしろ

  い)を顔、首、胸などにぬり、鉛中毒となってい

  た。

     女性の乾いた鉛白の白粉(おしろい)が

  空気中に漂い、女性や子供の鼻や口から体内

  に入り、鉛中毒(鉛汚染)を起こしていた。

     また、江戸幕府では、乳母・春日局(かす

  がのつぼね)のように、乳を与える乳母(うば)

  に政治権力を持たせないため、 乳の出るの

  女性 (多くは御家人(ごけにん、下級幕臣)の

  女性等) が顔に白い布を張って授乳中将軍の

  子が見えないように、将軍の子に乳を飲ませ

  ていたため、子の顔を見ないで乳をあげる女

  性はストレスがたまり、そのストレスが、子にも

  移り、将軍の子の健康な生育を妨げた。

 

  ■ 大奥 (おおおく)は、 秀吉の命(めい、命令)

  による関東移封での家康の江戸城移動の、15

  90年から、 官軍の江戸城無血開城の、1868

  年まで江戸城に存在し、 江戸幕府の官僚 組織

  (役所)として、機能していた。

 

  ■ 実は、 江戸時代、 江戸幕府の将軍と共に、大

  奥にいた、 将軍の母 (生母、乳母、義母) や 

  夫人 (正室、側室) と その側近の侍女 も、

  大きな政治権力をもち、 日本の政治を動かして

  いた。

 

  ● 大奥は、 江戸幕府の官僚組織(役所)として、

  機能していた。

 

  ● 江戸時代、 男性の将軍、幕閣(幕府重臣)、藩主

  と並んで、 実質的に、 大奥の女性の、将軍の母、

  夫人、実務総支配役も、 日本の政治を動かし、日

  本を支配していた。

 

 

  ■ 日本の歴史の中でも、女性の地位が極めて低か

  った江戸時代にあって、 大奥にいた女性 (将軍

  の母や夫人やその側近の御年寄(おとしより、上

  級幹部) は、例外として、 極めて地位が高かっ

  た と言える。

 

  ● 将軍と共に、大奥の女性の、将軍の母や妻も、 

  日本の政治を動かしていた。 例えば、2代将軍・

  秀忠正室夫人・お江与、 3代将軍・家光乳母(う

  ば)・春日局、 5代将軍・綱吉生母・桂昌院)など

  である。 そして、 大奥の女性が、幕府の役人や

  各藩主の人事権を左右することもあった。 

     幕府の幕閣(重臣)や各藩主は、 大奥の女

  性の、将軍の母や夫人の一言で、 任命、解任さ

  れることもあった。

 

  ■ お部屋様 (おへやさま)とは、 江戸幕府の将軍

  の側室夫人で、 将軍の子を産んだ女性である。

 

 

 ■ 江戸幕府の徳川将軍家。 

 

  ● 江戸幕府では、15代の徳川家将軍が、擁立(よう

  りつ)され、 江戸幕府は、 1603年より、1867

  年まで 265年間存続し、 日本を支配する。

 

  ● 江戸幕府の将軍は、江戸時代(1603〜1868)、

  日本の政治の最高権力者 で あった。 将軍は、

  徳川家の世襲制であった。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ■ 徳川将軍家の15代(15人)の将軍名、就任期間

    に関しては、当日本史辞典の『 徳川将軍家 』 を

    参照して下さい。

 

 

 ■ 徳川将軍家の大奥。

 

  ■ 大奥とは、 本丸の大奥である。

     将軍の一族は、大奥、二の丸、 西の丸

    の3箇所に居住していた。

       本丸の大奥には、 現将軍の夫人の

    正室夫人・側室夫人や成人前の子が住み、 

    二の丸には、 将軍の生母や元将軍側室

    夫人が住み、 

    西の丸には、 世子夫婦や大御所夫妻が、 

    住んでいた。

 

  ■ 徳川将軍家の、「江戸城本丸の大奥」とは、

    1603年〜1867年の265年間、日本を支

    配した、徳川将軍家15代の、 将軍の、妻、

    子とその家臣(奥女中、女官)が住む、生活

    空間 (場所)で あった。 

 

  ● 江戸城の本丸の大奥は、 広さ約2万平方メートル

  で、 約1000人の奥女中(女官)が住み込みで働い

  ていた。 原則として、将軍以外男子禁制であった。

 

  ● 江戸城の本丸の大奥は、 将軍 と 御台所 (み

  だいどころ、将軍の正室の夫人)の下(もと)に、 

  本丸の大奥の組織を束(たば)ねる上級幹部の、 

  御年寄(おとしより) がいて、 将軍や妻子の身

  の回りの世話をする、中級幹部の、御中 (おち

  ゅうろう)がいた。

 

  ■ 江戸幕府の大奥の詳細に関しては、「 江戸幕府

    大奥 ガイドブック   」 を参照して下さい。     

 

 

 ■ 儒教思想の本格的な導入と普及。

 

  ■ 江戸時代、日本を徳川家の下(もと)に統治する

    ため、徳川家独裁政権を長期に維持するため

    江戸幕府は、 儒教思想(特に朱子学)本格的

    に導入し、 普及させた。 自由・平等主義に逆行

    し、 江戸 幕府は、 儒教思想の基づく、 法令上、 

    道徳上、 不平等な身分制社会を形成した。

 

 

 ■ 「身分重視」身分階級制中心の社会。

 

  ■ 自由・平等主義の現代の日本と違い、 江戸時代

  の日本社会は、 厳しい身分階級制の社会であっ

  た。 儒教思想により、 能力より、階級(上下級武

  士、士農工商 等)、 家柄、 家格、 生まれた順

  番(例、長子相続)、 性別(男女) など、 生まれ

  ながらの身分が、 重要であり、 身分(貴賤)で、 

  その人が評価されることが多かった。  

 

  ● 実力主義と人間の身分が変動した戦国・安土桃山

  時代 (例、農民の秀吉が武家関白政権をつくる) 

  と違い、  日本の歴史の中でも、 江戸時代は、 

  比較的争いの少ない平和な時代であったが、 江戸

  時代の日本社会は、 身分が固定された、超・不平

  等社会で あった。

 

  ● 但し、下級武士の身分はお金で買え、農工商民は、

  下級武士になることはできた。  

  (例) 坂本龍馬は、土佐藩の下級武士(郷士)で、 

  龍馬の祖先(4代前)は、土佐の商人(豪商、質屋

  才谷屋)で、 武士の郷士株を買って、長男に与

  え、 武家の郷士坂本家を起こした。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 ■ 日本史上、女性の地位が最も低

    かった、江戸時代。

 

  ■ 三従の教え (さんじゅうのおしえ)とは、

    女性の一生は、親に従い、夫に従い、子

    に従って生きるという教えである。

 

  ● 三従の教えは、封建社会を守るため江戸幕府が

    普及した儒教思想の1つであった。 

 

  ● 男尊女卑の、女性の三従教えと良妻賢母は、

    江戸時代の封建社会を支えた。

 

  ●  江戸時代の女性への道徳書には、女性教訓書

    の「女大学」(おんなだいがく)などがある。

 

  ■ 安土桃山時代の日本では、比較的男女平等で

    あった。 しかし、江戸時代には、男尊女卑、男女

    不平等となり、女性の地位が日本史上で最も低

    下した。

 

  ● 徳川家康は、 林羅山(はやしらざん)などの

    朱子学の儒学者を用い、朱子学の儒教思想を、

    政治統治に全面採用した。

 

  ● 徳川家の江戸幕府は、 幕藩体制の長期安

    定政権をつくるため、 朱子学の儒教思想を全面

    採用し、 江戸時代に、 儒教基盤の封建制のピ

    ラミッド社会を形成した。

 

  ● 徳川家の江戸幕府は、 忠孝などの儒教思

  想により、 大名(藩主)を徳川家の江戸幕府の

  将軍に服従させ、 大名家臣(藩士)を大名(藩主)

  に服従させ、 農工商民を大名家臣(藩士)の武士

  に服従させ、 大名家臣(藩士)の武士や農商工民

  の夫人を、大名家臣(藩士)の武士や農商工民の

  夫に服従させ、 江戸時代に、儒教基盤の封建制

  のピラミッド社会を形成し、 約260年に及ぶ、戦

  いのない、平和な、秩序のある、不平等社会を実

  現させた。

 

  ● 江戸時代の日本では、 三従の教えや良妻賢母

  (男性は仕事・女性は家事育児) などの儒教思想

  により、 女性の男性服従が確立した。 しかし、

  明治時代に入り、改善が始まり、戦後、現代日本

  で、再び、男女平等となる。

  ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府・大奥ガイドブック。

 

 

 ■ 「お家第一」、家父長制中心の武家

    社会。

 

  ■ 現代と違い、江戸時代の武家社会では、儒教思

  想により、 「家」が「個人」より大事であり、 「個人」

  は、 「家」のために、全てを犠牲にした。

 

  ● 江戸時代の武家社会では、 武家は、「家」意識

  が非常に強く、「家」に対する忠誠心が重んじられ、 

  また、「家」を存続させるため、あらゆる努力をはら

  った。 

 

  ● 「家」と「家」との結婚。  武家の女性は、 家長

    の命令に従った。  武家の女性は、 原則として、 

    男性を選べず、 家長の決めた相手と結婚した。  

    武家の女性は、 個人の相手の男性とでななく、 

    「○○家」の男性 と結婚した。 

 

  ● 現代日本は、個人と個人の自由恋愛結婚であ

    るが、 その「家」と「家」との結婚の形態が、

    今でも、形式的に残っている。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

 ■ 「一夫多妻制」 

    一夫多妻制の武家社会。

 

  ■ 家を存続させる為の 武家の「一夫多妻制」。

  江戸時代は、 医療未発達栄養学の知識も

  乏しく病気等で子供成人死亡率が高

  かったため、 将軍 は、  世襲の、徳川将軍家

  (徳川宗家)という家を存続させ、家の「お血筋」

  を絶(た)やさぬため、 多くの夫人(妻)を持ち、 

  多くの子をつくり、 男子の跡継ぎを確保しよう

  とした。 

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

 ■ 大奥の使命。

 

  ■ 江戸城本丸の、大奥の使命とは、 徳川将軍

  家(徳川宗家)の世襲制の将軍の「お血筋」を

  絶(た)やさぬことであった。  将軍のお世継ぎ

  を誕生させ、 元服(成人)まで、養育すること

  であった。

 

 

 ■ 将軍のプライベート空間の大奥

 

  ■ 江戸城本丸の、大奥とは、 将軍のプライベート

  空間であり、将軍の正室夫人の御台所(みだい

  どころ)から雑用係まで、 約1000人もの女性が、

  大奥で、勤務していた。

 

  ● 江戸時代中期に残された「女中分限帳」(大奥

  女性の名簿)の分析などから、 江戸城本丸の

  大奥の実際の人数は、 1000人位とされている。

 

  ■ 大奥の詳細に関しては、

    『  江戸幕府 大奥 ガイドブック  』 を

    参照して下さい。     

 

  ■ 江戸幕府の大奥は、 幕府財政の4分の1

    以上を支出し、約1000人の奥女中(女官)がいる、 

    巨大で、特殊な組織であり、 お世継ぎを誕生

    させ、養育する、江戸幕府の政府機関であった。 

    江戸幕府の本丸の大奥の奥女中(侍女)は、 

    将軍の跡継ぎの出産や養育に専念した。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

  ● 江戸時代、時期により金額は異なるが、だい

  たい、 幕府財政年間一般支出80万両(約64

  0億円)の4分の1の20万両(約160億円) が、

  大奥に支出され、 そのうち半分の10万両(約

  80億円)が大奥の女性の服飾代 (服代・装身

  具代等) であった。 

 

  ● 現代の女性も、 ドレス代、装身具代にお金を

  かけるが、 女性の本質は、今も昔も変わって

  いない。 大奥の女性も、 トレンディーなドレス・

  靴・ブランドバック・アクセサリー等 オシャレに

  夢中になる現代女性とあまり変わらなかった。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  ■ 江戸幕府の大奥とは、 将軍のお世継ぎ誕生・

  養育システムを担う、江戸幕府の機構(官僚組

  織)の1つであり、 大奥は、江戸時代 に、事

  実上、日本の政治 (行政・司法・立法)  

  将軍継嗣に、 深く関与した。

 

 

  ■ 世襲制の将軍継承者を誕生させ、養育する場

    所の、大奥。

 

  ● 江戸城本丸の、大奥は、 世襲制の将軍の後

  継者を生み、元服(成人)まで育てる場所であ

  った。

  ● 江戸城本丸の、大奥で、 将軍が、誕生し、 

  長く養育されることにより、 大奥の女性が、 

  次期将軍を決定したり、 現将軍を操ったり、

  幕閣(幕府重臣)人事を左右する場合もあっ

  た。

 

  ■ 将軍世襲制の江戸幕府では、 将軍は、「御血

  筋(おちすじ) 」 が第一で、 次期将軍を生み、

  育てる大奥の女性が、 次期将軍の決定権を左

  右することも多く、 キングメーカーとして、 江戸

  時代の日本の政治に絶大な影響を与えた。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 ■ 「禁断の園」、「謎の女性集団」、

    「燃え上がる嫉妬の炎」の大奥。

 

  ■ 江戸城本丸の、大奥は、 江戸城の本丸 (現、

  皇居東御苑、1万坪、33000平方メートル) の

  一部にあり、 江戸時代初めは、単に、徳川家

  当主・幕府将軍の夫人(正室・側室 )やその子

  供が暮す場所であったが、 お福(おふく、春日

  局 (かすがのつぼね、徳川家光の乳母 (うば))

  が 大奥の総支配になって、 1618年(元和4

  年)に大奥法度(おおおくはっと)を定めて以後、 

  通常、将軍以外男子禁制で、 大奥内は、 奥

  女中(将軍臣下の女性)のみで構成され、 奥女

  中(女官)は、約1000人 を要する、女性だけの

  「女の園」であった。 

 

  ● 一般的に、大奥の内情は、江戸時代、 秘密と

    された。 但し、「徳川実記」、その他の書物

    には、 大奥の一部に関する記録がある。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

  ■ 江戸時代当時、 江戸幕府に関する、多くの本

  が、編集されたが、 公式記録の本は、その組

  織を擁護し、その組織に都合よく書かれた箇所

  も多く、また、 噂話(うわさばなし)を単にその

  まま記載した本も、 多く出廻った。

 

  ● 江戸幕府の公式記録である 「徳川実記」 や 

  「続徳川実記」(未完成)は、 江戸幕府が対面

  を保つため、 史実と異なり都合よく書かれた

  箇所もあり、 現在は、 他の、多くの江戸時代

  の書物、資料、発掘調査等と照合して、 内容

  が判断されている。

 

  ■ 大奥の内情・実態が詳しくわかるようになった

  のは、 明治期以降で、1868年(慶応4年)4月、

  江戸城無血開城で、大奥より暇(ひま)を出された

  奥女中の女性が、陳述し、その記録が残り、明ら

  かになった。

    江戸時代は、 江戸幕府の大奥の約定で、 

  大奥の奥女中には、「守秘義務」があり、 江戸幕

  府が日本を支配する江戸時代の間は、 大奥の

  奥女中(女官)は、退任後も、 大奥のことは、公

  式には話せなかった。

  ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

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#innerpalace-appearingscenes

 

 

♪♪ 江戸幕府の大奥が登場する、興味

        深い、ドキュメンタリー、ドラマ、

    映画。

 

 ★ 江戸幕府の大奥が登場する、興味

      深い、 ドキュメンタリー。

 

 

 ▼ 江戸時代・全時代の大奥。

 

 ■ 偉人たちの健康診断・歴史に

    学ぶ健康法 

    『 大奥 不健康物語 』。 

     (NHKテレビ・2018年4月25日・

     本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 大奥・全時代の詳細を述べる。

  ■ 徳川家斉について述べる。

 

 

 ■ 歴史秘話ヒストリア  

    『 大奥の秘密〜‘‘出世の花道’’

      を生きた女たち〜 』。 

     (NHKテレビ・2010年(H22)6月9日・

     本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 大奥・全時代の詳細を述べる。

 

 

 ▼ 江戸時代前期の大奥。

 

 ■ 歴史秘話ヒスとリア 

   『 大奥 シンデレラ・ストーリー 

     〜将軍の母・桂昌院 

     元祖「玉の輿」物語〜 』。 

   (NHKテレビ・2012年(H24)2月8日・

   本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

 

 ▼ 江戸時代中期の大奥。

 

 ■ 片岡愛之助の解明!歴史捜査 

    『 江戸城 禁断の女の園! 

        大奥重大事件の真相を

     追え! 』。

     (日テレ・テレビ・2016年1月31日・

      本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 大奥(全時代)の詳細を述べる。

  ■ 絵島生島事件の詳細を述べる。

 

 

 ■ その時歴史が動いた 

    『 大奥 悲しみの果てに 

     〜徳川家宣正室 天英

      院 熙子の生涯〜 』。 

      (NHKテレビ・2006年(H18)4月・

       本放送・ドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 江戸中期の大奥を述べる。

  ■ 絵島生島事件を述べる。

 

 

 ▼ 江戸時代後期の大奥。

 

 ■ 謎解き!江戸のススメ 

   『 11代将軍 徳川家斉 』。 

    (TBSテレビ・2014年(平成26年)

    8月4日・本放送・ドキュメンタリー)。

 

  ■ 江戸後期の大奥を述べる。

  ■ 徳川家斉の生涯を詳細に述べる。

 

 

 ■ その時歴史が動いた 

    『 大奥 華(はな)にも意地あり

     〜江戸城無血開城・天章院

     篤姫〜 』。 

     (日本のNHK2007年(H19)4月・

      本放送のドキュメンタリー番組)。

 

  ■ 幕末の大奥を述べる。

  ■ 天章院 篤姫の詳細を述べる。

 

 

 ★ 江戸幕府の大奥が登場する、興味

    深い、ドラマ、映画。

 

  ● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

    歴史のドラマ、映画は、史実 (歴史の事

    実) と 架空の出来事が、 混じって、 描

    かれています。 また、現代風にアレンジし

    てあります。

 

  ■ 次の大奥のドラマや映画は、 単に、セレブ

    女性の愛憎劇や女性の玉の輿(たまのこし)

    の物語だけではなく、 江戸時代の状況や政

    治権力闘争も描いており、 江戸時代の日本

    を理解するのに、役に立 つ。  また、当時の

    人たちが 人生をどう切り開いていったか

    知ることもできる。

 

  ● 江戸時代の政治権力闘争とは、 江戸時代

    に日本を支配していた、江戸幕府の政治権

    力の実権を、誰が握るかという主導権争いで

    ある。

 

 

 ▼ 江戸時代前期の大奥。

 

 ■ 『 大奥・第一章 

            (おおおく・だいいっしょう) 』 。

     (フジテレビの2004・2005年制作テレビ

     ドラマ)。

 

  ■ 江戸時代・初期の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の初代将軍・徳川家康(いえやす)、

    第2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)、第3代

    将軍・徳川家光(いえみつ)の時代 と その

    時代の大奥を描いたドラマ。

 

  ● 春日局 (かすがのつぼね、お福(おふく))

    を演じた女優名: 松下由樹。

  ● 松下由樹、 高島礼子、 瀬戸朝香 など

    が出演。

 

 

 ■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』。

     (NHKテレビ・2011年大河ドラマ)。 

 

  ■ 江戸時代初期の大奥を描く。

  ● 江(ごう)を演じる女優名 : 上野 樹里 

     (うえのじゅり)。

 

 

 ■ 『 天下騒乱〜徳川三代の 

         陰謀 (てんかそうらん〜とく

       がわさんだいのいんぼう) 』。 

     (テレビ東京の2006年制作テレビ

      ドラマ)。 

 

  ■ 江戸時代・初期の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の初代将軍家康、2代将軍秀忠、

    3代将軍家光 時代 と その時代の江戸

    幕府の大奥が登場するドラマ。 

 

 

 ■ 『 女帝 春日局 

       ( じょてい かすがのつぼね) 』 。 

     (日本の1990年東映制作映画)。 

 

  ■ 江戸時代・初期の大奥を描いている。

 

 

 ▼ 江戸時代中期の大奥。

 

 ■ 『 大奥・華の乱 

      (おおおく はなのらん) 』 。 

     (フジテレビ・2005年制作テレビドラマ)。

 

  ■ 江戸時代中期の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の第4代将軍・徳川家綱(いえ

    つな)、第5代将軍・徳川綱吉(つなよし) 

    時代 と、 その時代の大奥を描いた

    ドラマ。

 

  ● 内山理名、藤原紀香、小池栄子、 

    高岡早紀などが出演。

 

 

 ■ 『 大奥・もうひとつの物語 』。 

     (フジテレビの2006年制作テレビ

      ドラマ)。

 

  ■ 江戸時代中期の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の第6代将軍・徳川家宣(いえ

     のぶ)時代 と その時代の大奥を描い

    たドラマ。

 

  ● 深田恭子、高島礼子、井川遥、浅野ゆう子 

     などが出演。

 

 

 ■ 『 大奥 (おおおく) 』 。 

     (日本の2006年制作東映・映画)。

 

  ■ 江戸時代中期の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の第7代将軍家継(いえつぐ) 

    時代 とその時代の大奥を描いた映画。

 

  ● 仲間由紀恵、高島礼子、井川遥、浅野 

    ゆう子などが出演。

 

 

 ▼ 江戸時代後期の大奥。

 

 ■ 『 第一部 〜最凶の女〜 』。 

    (フジテレビの2016年1月22日・

     本放送テレビドラマ)。

 

  ■ 江戸時代後期の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の第11代将軍・徳川家斉(いえ

     なり)時代 と その時代の大奥を描いた

    ドラマ。

 

 

 ■ 『 篤姫 (あつひめ) 』。 

     (NHKテレビの2008年大河ドラマ)。 

 

  ■ 江戸時代・幕末の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の第12代将軍家慶、第13代将軍

     家定、第14代将軍家茂、第15代将軍慶喜 

     の時代 と、 その時代の大奥 及び 明治

     時代初期 と その 時期の天璋院・篤姫(て

    んしょういん・あつひめ)の行動を描いた、ドラ

    マ。 

 

  ● 宮崎あおい主演。 

 

   

   ○ PRフォト。

     (ドラマ「篤姫」の書籍販促PR用フォト)。

 

 

 ■ 『 大奥・幕末の女たち 』。

     (フジテレビの2003年・2004年制作

     テレビドラマ)。

 

  ■ 江戸時代・幕末の大奥を描く。

  ■ 江戸幕府の第12代将軍家慶(いえのぶ)、

    13代将軍家定(いえさだ)、14代将軍家

    茂(いえもち)、15代将軍慶喜(よしのぶ) 

    の時代 及び 明治初期を描いた、ドラマ。

 

  ● 菅野美穂、安達祐実、浅野ゆう子、

    池脇千鶴など が出演。

 

 

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◆ 江戸幕府・大奥  

  簡略年表。 

         (えどばくふ おおおく かんりゃく

    ねんぴょう)。

 

■ 江戸幕府・大奥 簡略年表

 

■ 1590年  ● 豊臣秀吉の命(めい)による徳川家の関東

           領地換えにより、 江戸城が、 徳川家の本城

           となり、 徳川家康の妻子が、江戸城に移り、

           江戸城の奥御殿(おくごてん)即ち、大奥 が誕

           生する。 

             初めは、大奥は、将軍の 夫人(正室、側室)

           や元服(成人)前の子 が単に居住する場所で

           あった。

              徳川家康が駿府城へ移動する1607年

           (慶長12年)まで、家康の側室夫人が、交代

           で、大奥の実務の実権を持つ。 徳川家康は、

           二人目の正室夫人の秀吉の妹のあさひ即ち

           「駿河御前」が1590年に死去以後、正室夫

           人をもたず。

                      ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1599年頃 ● 秀忠正室夫人・お江(おごう、お江与)が、 

  (慶長 4年)  京(都)の伏見城から、江戸城の大奥に入る

            (移動する)。

 

■ 1603年  ● 徳川 家康 (いえやす、将軍在任1603〜

           05) が、 江戸幕府・初代将軍となる。  江

           戸幕府が、樹立される。

 

■ 1604年  ● お江(おごう)が、竹千代(徳川家光)を出

 (慶長 9年)  産する。 

           ● 徳川 家康の命(めい)で、竹千代の乳母と

           して、お福(おふく)が大奥に入る。

 

■ 1605年  ● 徳川 秀忠 (ひでただ、将軍在任1605〜

           23、家康の三男)が、 江戸幕府・第2代将軍

           となる。 

          ● 大姥局の侍女、お静(おしず)が、秀忠に見

           初められ、男子(保科正之、会津松平家初代

           当主、会津藩祖)を生む。

           ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1607年  ● 徳川家康が、大御所として江戸幕府の実権

 (慶長12年)  を持ったまま、江戸城より駿府城(すんぷじょう)

           へ移る。 家康の側室夫人達も、家康の駿府城

           に移る。

           ● 秀忠正室・お江与(おえよ)が、 大奥の最高

                       権力者となる。 大奥の実務の実権は、秀忠乳

                       母・大姥局(おおばのつぼね、1525〜1613

                       年))が握る。 

 

■ 1613年頃 ● 秀忠乳母・大姥局が大奥を去り、民部卿局

 (慶長18年)  (みんぶきょうのつぼね)とお福(おふく)が大

           奥の実務の実権を握る。

 

■ 1618年   ●  徳川秀忠が、正室夫人のお江(おごう)と家

           光乳母のお福(おふく、春日局) の助言を得て、

           大奥法度(おおおくはっと) を定める。

             大奥は、正式に、将軍の世継(よつぎ)を生

           み、育てる場所となる。

 

           ● これ以後、 正室夫人のお江(おごう)と家

           光乳母のお福(おふく、春日局) の二人が、協

           力して大奥の(中身の)システムを確立する。

           ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1623年   ● 徳川 家光 (いえみつ、将軍在任1623〜

           51、秀忠のニ男) (秀忠の長男、 家光の腹

           違いの兄は早世) が、 江戸幕府・第3代将軍

           となる。  家光将軍時代、家光乳母・お福(春

           日局)が大奥の実務の実権を握る。 

             お福(春日局)が、 お楽(おらく、後の家綱

           生母)、 お玉(おたま、後の綱吉生母)、 お夏

           (おなつ、後の家宣祖母) の3人の丈夫な町娘

           を大奥に入れ、 町娘は家光に見初(みそ)めら

           れ、それぞれ家光の男子を産む。

             お福(春日局)の死後(1643年)は、 以前

            家光に見初められ尼僧院主で還俗(げんぞく)

           した、お万(おまん、永光院)が、 大奥の実務

           の実権(1643〜51年)を握る。  

 

■ 1651年  ● 徳川 家綱 (いえつな、将軍在任1651〜

           80、家光の長男)が、 江戸幕府・第4代将軍

           となる。 家綱将軍時代、家綱乳母・矢島局(や

           じまのつぼね) が、御年寄(実務幹部)となり、

           大奥の実務の実権を握る。 

 

■ 1680年  ● 徳川 綱吉 (つなよし、将軍在任1680〜

           1709、家光の四男) が、 江戸幕府・第5代

           将軍となる。 綱吉将軍時代、お玉(おたま、桂

           昌院(けいしょういん)が、 大奥の最高権力者

           となる。

 

■ 1709年  ● 徳川 家宣 (いえのぶ、将軍在任1709〜

           12、家光の孫) が、江戸幕府・第6代将軍と

           なる。 家宣将軍時代、家宣正室夫人・熙子(ひ

           ろこ、天英院)が、大奥の最高権力者となる。

                     ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1713年  ● 徳川 家継 (いえつぐ、将軍在任1713〜

           16、家宣の四男)が、4歳で、江戸幕府・第7代

           将軍となる。 家継将軍時代、1713〜14年、

           家継生母・月光院(お喜世)が、大奥の最高権

           力者となる。 1713〜14年、 月光院付御年

           寄・絵島が、大奥の実務の実権を握る。 

 

■ 1714年  ● 絵島生島(えじまいくしま)事件が起こり、大

           奥の風紀が粛清される。

             1714年の絵島生島事件後、月光院(お喜

           世)は、面目を失い、1714〜16年、再び、家

           宣正室夫人・熙子(天英院)が、大奥の権力者

           となる。 

 

■ 1716年   ● 熙子(天英院)が、 1716年、 次期8代将

                    軍に徳川吉宗を指名する。

                       徳川 吉宗 (よしむね、将軍在任1716〜

           45、家康の曾孫、紀州藩主) が、1716年、 

           江戸幕府・第8代将軍となる。 

             その後、吉宗将軍時代、 財政再建の名目 

           で、大奥の人員が、大幅に縮小される。

                     ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1745年   ● 徳川 家重 (いえしげ、将軍在任1745〜60、

           吉宗の長男) が、 江戸幕府・第9代将軍となる。

            家重将軍時代、 家重は、大奥に入浸(いりびた)

           りとなる。

 

■ 1760年  ● 徳川 家治 (いえはる、将軍在任1760〜86、

           家重の長男)が、 江戸幕府・第10代将軍となる。 

 

■ 1787年  ● 徳川 家斉 (いえなり、将軍在任1787〜183

           7、吉宗の曾孫、一橋徳川家当主・徳川治済の長

           男) が、 江戸幕府・第11代将軍となる。 家斉

           将軍時代、 家斉は、側室40人、子供55人を持

           つ。 その後半期、お美代(おみよ)が、大奥の実

           務権力者となる。

 

■ 1837年  ● 徳川 家慶 (いえよし、将軍在任1837〜53、

           家斉のニ男) が、 江戸 幕府 第12代将軍と

           なる。 家慶将軍時代、御年寄の姉小路(あねこ

           うじ)が大奥の実務の実権を握る。

                     ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1853年  ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任1853〜58、

           家慶の四男)が、 江戸幕府・第13代将軍となる。 

             家定将軍時代、家定生母・本寿院(ほんじゅい

           ん)と家定乳母・歌橋(うたはし)が、大奥の権力

           者となる。 将軍付御年寄・滝山が、大奥の実務

           の実権を握る。 

 

■ 1858年  ● 徳川 家茂 (いえもち、 将軍在任1858〜6

           6、 家斉の孫、紀州藩主) が、江戸幕府第14

           代将軍となる。 家茂将軍時代、天璋院(篤姫)が、

           大奥の最高権力者となる。 将軍付御年寄・滝山

           が、大奥の実務の実権を保つ。 

 

■ 1866年  ● 徳川 慶喜 (よしのぶ、将軍在任1866〜67、

           家康の子孫、9代水戸藩主・徳川斉昭の七男、一

           橋徳川家当主) が、江戸幕府第15代将軍とな

           る。 慶喜将軍時代、天璋院(篤姫)と和宮が、大

           奥の権力者となる。 

              慶喜の正室・側室(妻達)は、大奥には居住

           せず。

                     ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1867年  ● 幕府の大政奉還により、江戸幕府が、終焉(し

           ゅうえん)する。

 

■ 1868年  ● 大奥法度は廃止となり、 江戸城の大奥が、江

           戸城無血開城により、消滅する。

 

 

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#innerpalacedetailedchronology

 

◆ 江戸幕府・大奥  

  詳細年表 。 

         (えどばくふ おおおく しょうさい

    ねんぴょう)。

 

■ 江戸幕府・大奥 詳細年表

 

  □ 大奥年表 1573年〜1713年

 

  □ 大奥年表 1714年〜1852年

 

  □ 大奥年表 1853年〜1868年

 

 

  ■ 当年表は、大奥(1590年〜1868年)が存在した

   時代の詳細年表 である。

 

  ■ 歴史学の立場から、年代を追って、江戸幕府・大奥 

   の実像 (歴史的 有名な出来事には、虚像と実像があ

   りますが) を見てみよう。

  ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典 31432。

 

  ■ 江戸幕府 大奥 (えどばくふ・おおおく) の詳細 な

   内容に関しては、 『 江戸幕府 大奥 ガイドブック(要

   覧) 』 を参照して下さい。

 

  ■ 江戸時代については、『 近世日本歴史詳細年表 』

   を、 明治時代については、  『 近代日本歴史詳細

   年表 』 を参照して下さい。

 

  ■ より理解を深めるために、当年表と近い時期の日本

   史辞典の年表の、『 安土桃山時代  年表、 江戸時代

   初期 年表、 お江(おごう) 年表、 豊臣 秀吉 年表

   徳川家康 年表、 上杉景勝(かげかつ) 年表 直江

   兼続 年表、 幕末 年表明治維新 年表 篤姫 (あ

   つひめ) 年表、 西郷隆盛 年表、 本龍馬 年表 』 

   も参照して下さい。

 

  ■ 当年表は、 西暦を先に、 その後ろの( )内に和暦

   を記載している。

 

  ■ 当年表の日付は、 1872年(明治5年)以前は旧暦

   (太陰太陽暦)を、 1873年(明治6年)以後は新暦(

   陽暦) を記載している。

 

  ● 当年表の日付(年月日)は、一般的な歴史書籍で使

   用されているのと同じように、 1872年(明治5年)12

   月2日までは、 旧暦(太陰太陽暦)を用い、 1873年

   (明治6年)1月1日以後は、 新暦(現在の太陽暦、グ

   レゴリオ暦)を用いている。

 

 

   

   ○ 幕末の大奥の実力者、篤姫 (あつひめ、

     天璋院(てんしょういん)) (上、NHK大河

     ドラマ「篤姫」での天璋院篤姫フォト) 。

   

 

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 江戸幕府・大奥

   詳細年表。

 

   ● では、 江戸幕府・大奥 (えどばくふ おおおく) 

     に関係する出来事を、年代順に、 見てみよう。

 

#innerpalacedetailedchronology-1573

 

■ 1573年  ● 天正改元。    

  (天正 元年)    1573年7月28日に、 和暦の「元亀」

           (げんき) が、 「 天正」 (てんしょう、天正

           元年・1573年・7月28日〜 天正20年・

           1592年・12月8日) に改元される。 

■ 1590年  ● 豊臣秀吉の命(めい)による徳川家の関

 (天正18年)  東領地換えにより、江戸城が、 徳川家の

           本城となり、 徳川家康の妻子が、 江戸城

           に移り、 江戸城の大奥が誕生する。 初め

           は、大奥 は、徳川家当主・将軍の、夫人

           (正室、側室)や元服(成人)前の子 が単

           に居住する場所 であった。

             徳川家康の側室夫人達や徳川秀忠の乳

           母の大姥局(おおばのつぼね)が、江戸城

           の大奥に入る。 

             徳川家康が駿府城へ移動する1607年

           (慶長12年)まで、 家康の側室夫人(2人の

           正室夫人は既に死去)が、交代で、大奥の

           実務の実権を持つ。

■ 1599年頃  ● 秀忠正室・お江与(おえよ)が、 京(都)

 (慶長 4年)   の伏見城から、江戸城の大奥に入る(移動

            する)。

■ 1603年   ● 徳川 家康 (いえやす、将軍在任1603

 (慶長 8年)   〜05)が、江戸幕府・初代将軍となる。 

            江戸幕府が、樹立される。

■ 1604年   ● お江(おごう)が、竹千代(徳川家光)を出

 (慶長 9年)   産する。 家康の命(めい)で、竹千代の

            乳母(うば)として、お福(おふく)が大奥に

            入る。

                      ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1605年   ● 徳川 秀忠 (ひでただ、将軍在任1605

 (慶長10年)   〜23、家康の三男)が、 江戸幕府・第2

            代将軍となる。 

            ●  大姥局の侍女、お静が、 秀忠に見初

            (みそ)められ、 男子(保科正之(ほしな

            まさゆき)、後の会津松平家初代当主、

            会津藩祖)を生む。

■ 1607年   ● 徳川家康が、大御所として江戸幕府の

 (慶長12年)   実権を持ったまま、 江戸城より駿府城(す

            んぷじょう)へ移る。 家康の側室夫人達も、

            家康の駿府城に移る。

            ● 秀忠正室夫人・お江与(おえよ)が、大奥

            の最高権力者となる。 大奥の実務の実権

            は、秀忠乳母・大姥局(おおばのつぼね、

            1525〜1613年))が握る。 

■ 1613年頃  ● 秀忠乳母・大姥局が大奥を去り、民部卿

 (慶長18年)    (みんぶきょうのつぼね)とお福が大奥の

             実務の実権を握る。

■ 1618年   ●  徳川秀忠が、正室夫人のお江(おごう)と家

 (元和 4年)  光乳母のお福(おふく、春日局) の助言を得て、

           大奥法度(おおおくはっと) を定める。

             大奥は、正式に、将軍の世継(よつぎ)を生

           み、育てる場所となる。

           ● これ以後、 正室夫人のお江(おごう)と家

           光乳母のお福(おふく、春日局) の二人が、協

           力して大奥の(中身の)システムを確立する。

           ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1623年   ● 徳川 家光 (いえみつ、将軍在任1623〜

 (元和 9年)   51、秀忠のニ男) (秀忠の長男、家光の腹

            違いの兄、は早世) が、 江戸幕府・第3代

            将軍となる。 家光将軍時代、 家光乳母・お

            福(春日局)が、大奥の実務の実権を握る。 

               お福(春日局)が、 町でスカウトした、お

            楽(おらく、後の徳川家綱生母)、お玉(おた

            ま、後の徳川綱吉生母)、 お夏(おなつ、のち

            の徳川家宣祖母) の3人の丈夫(じょうぶ)な

            町娘を大奥に入れ、 3人の町娘は家光に見 

            初(みそ)められ、それぞれ、家光の男子を産

            む。 

            ● お福(春日局)の死後(1643年)は、以前

            家光に見初められ尼僧院主で還俗した、お万

            (永光院)が、 大奥の実務の実権(1643〜

            51年)を握る。  

■ 1651年   ● 徳川 家綱 (いえつな、将軍在任1651〜

 (慶安 4年)   80、家光の長男)が、 江戸幕府・第4代将

            軍となる。 家綱将軍時代、家綱乳母(うば)・

            矢島局(やじまのつぼね) が、御年寄(上級

            幹部)となり、大奥の実務の実権を握る。 

■ 1680年   ● 徳川 綱吉 (つなよし、将軍在任1680

 (延宝 8年)   〜1709、家光の四男) が、 江戸幕府・

            第5代将軍となる。 綱吉将軍時代、将軍生

            母の桂昌院(けいしょういん、お玉(おたま)) 

            が、 大奥の最高権力者 となる。

                       ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1709年   ● 徳川 家宣 (いえのぶ、将軍在任1709  

 (宝永 6年)    〜12、家光の孫) が、江戸幕府・第6代

            将軍となる。 家宣将軍時代、家宣正室夫人・

            熙子(天英院)が、大奥の最高権力者となる。

■ 1713年   ● 徳川 家継 (いえつぐ、将軍在任1713〜

 (正徳 3年)   16、家宣の四男)が、 4歳位で、江戸幕府

            ・第7代将軍となる。 家継将軍時代、1713

            〜14年、家継生母・月光院(お喜世)が、大

            奥の最高権力者となる。 1713〜14年の

            間、 月光院(お喜世)付御年寄(おとしより、

            大奥上級幹部)の絵島(えじま)が、大奥の実

            務の実権を握る。 

 

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#innerpalacedetailedchronology-1714

 

■ 1714年   ● 絵島生島(えじまいくしま)事件が起こり、 

 (正徳 4年)   大奥の風紀が粛清される。 

              1714年の絵島生島事件後、月光院(お

            喜世)は、面目を失い、1714〜16年の間、

            再び、家宣正室夫人・熙子(天英院)が、大

            奥の最高権力者となる。 

■ 1716年   ● 家宣正室夫人・熙子(天英院)が、 1716

  (正徳 6年)      年、 次期将軍に徳川吉宗を指名する。

                     ● 徳川 吉宗 (よしむね、将軍在任1716〜

            45、家康の曾孫、紀州藩主) が、1716年、

            江戸幕府・第8代将軍となる。 

              その後、吉宗将軍時代、 財政再建等が

            目的で、大奥の人員が、大幅に縮小される

            (吉宗の大奥のリストラの断行)。

           ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1745年   ● 徳川 家重 (いえしげ、将軍在任1745

 (延享 2年)   〜60、吉宗の長男)が、 江戸幕府・第9代

            将軍となる。 家重将軍時代、 家重は、大

            奥に入浸(いりびた)りとなる。

■ 1760年   ● 徳川 家治 (いえはる、将軍在任1760

 (宝暦10年)   〜86、家重の長男)が、江戸幕府・第10

            代将軍となる。 

■ 1787年   ● 徳川 家斉 (いえなり、将軍在任1787

 (天明 7年)   〜1837、 吉宗の曾孫、一橋徳川家当主

            ・徳川治済の長男)が、江戸幕府・第11代

            将軍となる。 家斉将軍時代、 家斉正室

            夫人の篤姫(あつひめ、広大院(こうだいい

            ん)、薩摩藩出身)とその側近の花町(はな

            まち、後に大奥火事で焼死)が、大奥の権

            力者となる。 家斉は、側室夫人約40人、

            子供約55人を持つ。  家斉将軍時代の

            後半期は、側室夫人の1人のお美代(お 

            みよ) が、大奥の実権を握る。

                     ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1830年   ● 天保改元。    

 (天保 元年)     1830年12月10日に、 和暦の「文

            政」(ぶんせい) が、 「 天保」 (てんぽ

            う、天保元年・1830年・12月10日〜天

            保15年・ 1844年・12月2日) に改元

            される。 

■ 1837年   ● 徳川 家慶 (いえよし、将軍在任1837

 (天保 8年)   〜53、家斉のニ男)が、江戸幕府 第12

            代将軍となる。 家慶将軍時代、 御年寄

            (おとしより、上級幹部)の姉小路(あねこ

            うじ) が大奥の実務の実権を握る。

■ 1848年   ● 嘉永改元。   

  (嘉永 元年)    1848年2月28日に、和暦の「弘化」

            (こうか)が、 「嘉永」(かえい、嘉永元年・

            1848年・2月28日〜嘉永7年・1854

            年・11月27日) に改元される。 

■ 1851年   ● 1851年2月、島津斉彬(なりあきら)が、

 (嘉永 4年)   11代薩摩藩主となる。

 

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#innerpalacedetailedchronology-1853

 

■ 1853年   ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任1853

 (嘉永 6年)   〜58年、家慶の四男)が、 江戸幕府・第

            13代将軍となる。 

           ● これ以後、 家定は体が弱かったため、 

            次期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こ

            り、 雄藩連合政治を望み次期14代将軍

            に一橋慶喜 (ひとつばし よしのぶ、水戸

            藩出身一橋家当主)を擁(よう)する、一橋

            派 と、 徳川独裁政治を望み次期14代

            将軍に徳川 慶福(よしとみ、紀伊藩藩主)

            を擁する、紀州派(南紀派) とが、対立す

            る (1853年〜1859年頃)。

           ● 家定将軍時代に、 家定の生母・本寿院

            (ほんじゅいん)と家定乳母・歌橋(うたはし)

            が、大奥の権力者となる。 また、将軍付御

             年寄・滝山(たきやま)(御年寄り在任、18

            53〜1867年)が、  大奥の実務の実権

            を握る。 

                      ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1853年   ● 1853年6月、アメリカのペリー艦隊が日

 (嘉永 6年)   本来航。 開国を要求。

■ 1853年   ● 江戸幕府の老中首座・阿部正弘が、 挙

 (嘉永 6年)   国的な対策を立てようと、 開国について、

            諸大名や色々な人物に、意見を求めたた

            め、 これ以後、日本各地で、 外国勢力を

            武力で追い払うことを主張する、尊皇(王)

            攘夷派(そんのうじょういは) と、 開国し

            外国勢力と協力して、先進の西洋文化を

            採り入れて国を発展させることを主張する、

            開国派(かいこくは) とが対立する (18

            53年〜1867年頃)。

■ 1853年   ● 篤姫 (あつひめ、於一(おかつ、島津

 (嘉永 6年)   一)、  島津家本家の養女となる。 篤

            姫は、島津篤子 (しまづあつこ)、篤姫(あ

            つひめ) と称す。

■ 1853年   ● 1853年  8月、江戸幕府の老中首座・

 (嘉永 6年)   阿部正弘(まさひろ)と島津斉彬(なりあき

            ら)との話し合 いで、 篤姫(あつひめ)の

            輿入(こしい)れが決まる(内定する)。

■ 1854年   ● 1854年3月、日米和親条約締結。 

 (嘉永 7年)   日本開国。 

            ● 1854〜55年に、幕府・老中首座・阿部

            正弘は、 欧米列強の米英露蘭と和親条

            約を締結する。

■ 1854年   ● 安政改元。    

 (安政 元年)    1854年11月27日に、和暦の「嘉永」(か

            えい)が、 「安政」  (あせんい、安政元年・

            1854年・11月27日〜安政7年・1860年

            ・3月18日) に改元される。 

■ 1856年   ● 1856年11月、篤姫 (あつひめ、近衛

 (安政 3年)   敬子 (このえすみこ、一橋派)、江戸城・大

            奥に入る。 

■ 1856年   ● 1856年12月、薩摩藩出身の篤姫(近衛

 (安政 3年)   敬子) が、 家定(いえさだ)と婚礼 の式を挙

            げ、13代将軍・徳川家定(いえさだ)の正室

            夫人 となる。 

■ 1858年   ● 1858年6月、日米修好通商条約締結。 

 (安政 5年)  ●  安政の5カ国条約締結。 1858年6月〜

             9月に、幕府・大老・ 井伊直弼(なおすけ)

                         は、 勅許を得ず、欧米列強の米蘭露英

             仏と不平等な「安政の5カ国条約」(修好

             通商条約)を締結する。 

■ 1858年   ● 1858年12月、徳川家茂(いえもち、慶

 (安政 5年)   福) が、幕府14代将軍 となる。 

           ● 徳川 家茂 (いえもち、 将軍在任1858

            〜66、 家斉の孫、 紀州藩主) が、 江戸

            幕府 第14代将軍となる。 家茂将軍時代、

            天璋院(てんしょういん、篤姫)と家茂生母が、

            大奥の権力者となる。 将軍付御年寄・滝山

            が、 大奥の実務の実権を保つ。

            ● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

■ 1860年   ● 万延改元。  

 (万延 元年)    1860年3月18日に、和暦の「安政」(あ

            んせい)が、 「万延」(まんえん、万延元年・

            1860年・3月18日〜万延2年・1861年・

            2月19日) に改元される。 

■ 1860年   ● 1860年 3月、桜田門外の変。 大老・

 (万延 元年)   井伊直弼が、暗殺される。 

            ● これ以後、 江戸幕府は公武合体政策を

            すすめ、 尊皇攘夷派・急進派 と 公武合

            体派・佐幕派 とが対立する (1960年〜

            1864年頃)。

■ 1861年   ● 文久改元。  

 (文久 元年)    1861年2月19日に、和暦の「万延」(ま

            んえん)が、 「文久」  (ぶんきゅう、文久元

            年・1861年・2月19日〜文久4年・1864

            年・2月20日) に改元される。 

■ 1862年   ● 1862年 2月、江戸幕府将軍・徳川家茂 

 (文久 2年)   と 孝明天皇の妹・皇女・和宮の婚儀が為

            (な)される (公武合体の政策のため)。

■ 1864年   ● 元治改元。  

 (元治 元年)    1864年2月20日に、和暦の「文久」(ぶ

            んきゅう)が、 「元治」  (げんじ、元治元年

            ・1864年・2月20日〜元治2年・1865年・

            4月7日) に改元される。 

■ 1864年   ● 1864年7月、禁門(きんもん)の変 

 (元治 元年)   (蛤御門(はまぐりごもん)の変)。 

■ 1864年   ● 1864年8月、幕府、第1次長州征討 

 (元治 元年)   (1864年8月〜12月) 開始。

■ 1864年   ● 1864年11月、 長州藩は、幕府に屈服

 (元治 元年)   し、幕府に対し恭順(きょうじゅん)の 態度を

            とった。 1864年12月に、幕府軍は、 引

            き揚げる。

■ 1864年   ● 1864年12月15日に、長州藩で、高杉

 (元治 元年)   晋作(たかすぎしんさく)が、奇兵隊を率い

            て挙兵する (功山寺(こうざんじ)挙兵)。 

              その後、高杉晋作は、幕府に恭順した長

            州藩の保守派(俗論派)を退(しりぞ)け、

            長州藩の藩論を、討幕へ転換させた。

           ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕派 

            と 公武合体派・佐幕派 とが対立する (18

            64年〜1866年頃) 。

■ 1865年   ● 慶応改元。  

 (慶応 元年)   1865年4月7日に、和暦の「元治」(げんじ)

             が、「慶応」  (けいおう、慶応元年・1865

             年・4月7日〜慶応4年・1868年・9月8日) 

             に改元される。 

■ 1866年   ● 1866年1月、薩長同盟成立。 薩長の

 (慶応 2年)    反幕府政治・軍事同盟の密約。   

            ● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕

             派 と 公議政体派・佐幕派 とが対立する 

             (1866〜1867年頃)。

■ 1866年   ● 1866年6月、幕府は、長州に対し、第2

 (慶応 2年)   次長州征討(1866年6〜7月)を開始する。

           ● 第2次長州征討で、龍馬は、長州藩海軍

            を支援する。

■ 1866年   ● 1866年7月、幕府将軍・徳川家茂死去

 (慶応 2年)   (病死)。 第2次長州征討、中止となる。 

            事実上、失敗し、江戸幕府は、権威を低下

            させる。

           ● TKKI カナヤマ 著 日本史辞典。

■ 1866年   ● 1866年12月、徳川慶喜(よしのぶ)、

 (慶応 2年)   幕府15代将軍となる。 和宮と共に、篤姫

            (天璋院)は、慶喜の大奥改革に反対する。

           ● 徳川 慶喜 (よしのぶ、将軍在任1866

            〜67、家康の子孫、9代水戸藩主・徳川斉

            昭の七男、一橋徳川家当主) が、江戸幕

            府第15代将軍となる。 慶喜の妻子は、大

            奥に入らず。

              慶喜将軍時代は、天璋院(篤姫)と和宮

            (かずのみや)が、大奥の権力者となる。

■ 1867年   ● 1867年10月、江戸幕府、大政奉還(政

 (慶応 3年)   権を朝廷へ返上)。 

            ● 幕府の大政奉還により、江戸幕府が、終

             焉(しゅうえん)する。

■ 1868年   ● 1868年4月、江戸幕府(徳川宗家)の

 (慶応 4年)   本拠地の江戸城、無血開城。 討幕軍、江

            戸入場。

            ● 大奥法度は廃止となり、 江戸城の大奥

            が、江戸城無血開城により、消滅する。

            ● 大奥の女性は、急いで、大奥を退去した。

            天璋院(篤姫)は、多くの大奥女中の再就職

            先の世話をした。

■ 1868年   ● 明治改元。  

 (明治 元年)    1868年9月8日に、和暦の「慶応」(けい

            おう) が、「明治」 (めいじ、明治元年・18

            68年・9月8日〜明治45年・1912年・7月

            30日) に改元される。 

 

■ 江戸幕府の大奥の詳細の内容に関しては、「  江戸幕府

  大奥 ガイドブック (要覧   」 を参照して下さい。     

 

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 『 あなたのハートには 

   何が残りましたか? 』

 

 

 

以  上。