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カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 こ 』
No.1630。
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□ 日本史 辞典 (総合)。
□ こ ● 事柄順。
〇 こだ 後醍醐天皇 (ごだいごてんのう) 。
(生没年:1288〜1339年 )。
● 天皇在位:1318〜1339年。
○ 1317年の文保の和談(ぶんぽ
うのわだん)により、 1318年に天皇
に即位したが、 天 皇在位期間を
限られ、子の皇位継承もできず、
不満を持ち、鎌倉幕府に対し反乱
を起こす。
○ 鎌倉幕府を倒し、建武の新政
(天皇親政政治、1333〜36年)
を行うが、理想にはしり、失敗する。
〇 こだ 後醍醐・鎌倉幕府競合二
重年号 (ごだいご・かまくらばくふきょ
うごうにじゅうねんごう)。
● 鎌倉時代末期。
○ 1331年〜1333年。
● 後醍醐(ごだいご)天皇 (大覚寺統(だ
いかくじとう)) 方の暦年号。
嘉暦(かりゃく)⇒ 元徳(げんとく)元年
〜3年 (1329〜1331年) ⇒ 元弘
(げんこう)元年〜4年 (1331〜1334
年) ⇒ 建武(けんむ)。
● 光厳(こうごん)天皇 (鎌倉幕府擁立、
持明院統(じみょういんとう))方の暦年号。
嘉暦(かりゃく) ⇒ 元徳(げんとく)元
年〜4年 (1329〜1332年) ⇒ 正慶
(しょうきょう)元年〜2年 (1332〜133
3年)⇒ 暦年号編成中止。
(⇒ 和暦の二重年号存立)。
(⇒ 和暦年号一覧表)。
(⇒ 西暦和暦総括対照表)。
〇 ごた 五大老 (ごたいろう)。
○ 豊臣政権の最高権威をもつ職制。
● 五十音順 (アイウエオ順)。
■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
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◆ 日本史辞典
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□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
■ 後醍醐天皇
( ごだいごてんのう)。
■ 後醍醐天皇。
■ 名称 : 後醍醐天皇 (ごだいごてんのう)。
■ 生没年 : 1288〜1339年。
● 後醍醐天皇の、天皇在位:1318〜31年、13
33〜36年、南朝天皇在位:1336〜39年。
■ 鎌倉時代末期、建武時代、室町時代初期の天
皇。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 後醍醐天皇 (ごだいごてんのう、生没年:
1288〜1339年)は、 天皇在位は、1318
〜31年、1333〜36年で、南朝の天皇在位
は、1336〜39年であり、 鎌倉時代末期、
建武時代、室町時代初期(南北朝時代)の天
皇 である。
■ 後醍醐天皇は、 1317年の文保の和談(ぶ
んぽうのわだん)により、 1318年に天皇に
即位したが、 天 皇在位期間を限られ、子の皇
位継承もできず、不満を持ち、鎌倉幕府に対し
反乱を起こす。
■ 後醍醐天皇は、 鎌倉幕府を倒し、建武の新
政 (天皇親政政治、1333〜36年) を行う
が、理想にはしり、失敗する。
■ 後醍醐天皇 は、 自分の皇子の皇位継承や
天皇親政政治をめざし、 鎌倉幕府の倒幕を
計画し、 1324年に正中の変を起こし、 13
31年には元弘の変を起こし失敗し、1332年
に隠岐へ流される。 その後、 1333年に隠
岐(おき)を脱出し、反幕府勢力と手を組み、
北条執権の鎌倉幕府を倒した。
■ 後醍醐 天皇 は、 反幕府勢力を結集して、
1333年に、 鎌倉幕府を倒し、 建武政権
(1333〜36年)を樹立し、 建武の新政を
実現するが、 現実を無視し理想に走りすぎ
て政治は失敗し、 公武の不和から1335年
に足利尊氏が離反し、1336年に、建武政
権は、崩壊する。
■ 1336年に、 8月に、京(都)で、足利尊氏に
より、持明院統(じみょういんとう)の、光明(こ
うみょう)天皇が擁立(ようりつ)され、北朝とな
り、 12月に、大覚寺統(だいかくじとう)の後
醍醐天皇は、吉野へ逃れ、南朝となる。
以後57年間、 大覚寺統の南朝 と 持
明院統の北朝 の各天皇が即位し、1392年
まで、 朝廷は、 南北朝の対立となった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 後醍醐天皇と鎌倉幕府の対立。
後醍醐天皇は、 両統迭立(りょうとうて
つりつ)による後醍醐天皇の皇子皇位継承
見込みなしを契機(けいき)(きっかけ)に、
北条執権の鎌倉幕府と対立し、や がて、倒
幕を決意する。
北条執権の鎌倉幕府の介入による、13
17年の「文保の和談」(ぶんぽうのわだん)
で、 持明院統の花園天皇が皇位を大覚寺
統の尊治(たかはる)親王(後醍醐天皇)に
譲ることが決まる。 その他に、「文保の和
談」では、大覚寺統内の皇位継承候補の皇
族は複数いて、後醍醐天皇の兄弟の子・邦
良(くによし)親王(大覚寺統の後二条天皇の
皇子)が、後醍醐天皇の次の皇位を継承し、
その後は 両統迭立(りょうとうてつりつ)で、
持明院統の量仁(かずひと)親王が皇位を継
ぐことが決まった。
「文保の和談」により、1318年に後醍醐
天皇 (在位1318〜32、1333〜39年)は、
天皇に即位するが、 後醍醐天皇の子孫に
は、皇位継承の見込みがなかった。
大覚寺統の後醍醐天皇は、自分の皇子
を天皇にすることを切望し、鎌倉幕府と対立
した。
後醍醐天皇は、 自分の皇子の皇位継承
や天皇親政政治をめざし、 鎌倉幕府の倒幕
を計画し、 1324年の正中の変(しょうちゅ
うのへん) と 1331年の元弘の変(げんこ
うのへん) の2つの倒幕計画を起こすが、い
ずれも失敗する。 鎌倉幕府により、1332
年に、隠岐(おき)に配流(はいる)される。
一方、邦良(くによし)親王は急死したの
で1332年に持明院統の量仁(かずひと)親
王が、光厳(こうごん)天皇(在位1332〜33
年)として即位する。
1333年に、後醍醐天皇は、隠岐(おき)
を脱出し、 足利尊氏(あしかがたかうじ)、
新田義貞(にったよしさだ)などの反幕府勢
力と手を組み、 北条執権の鎌倉幕府を倒
し、1333年に、建武(けんむ)政権(1333
〜36年)を成立させた。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 朝廷の分裂。
1336年に、朝廷は、 大覚寺統(だいか
くじとう)の「南朝」(なんちょう) と 持明院統
(じみょういんとう)の「北朝」(ほくちょう) の
2つに分裂する。
● 1336年に、建武(けんむ)政権(1333〜
京(都)より吉野(よしの)に移ると、 1336
年に、京(都)では、足利尊氏に擁立された、
持明院統の光明(こうみょう)天皇(在位133
6〜48年)が、即位し、 ここに、朝廷は、吉
野の大覚寺統の「南朝」 と 京(都)の持明
院統の「北朝」に分裂し、南北朝時代 (136
2年〜1392年) となる。
■ 朝廷の合体 (南北朝の合一)。
義満(あしかがよしみつ)は、 南朝側と交渉
朝」を合一させるのに、成功し、 大覚寺統と
持明院統の対立は、 ここに解消した。
足利義満は南朝側と交渉し、大覚寺統の
南朝の後亀山(ごかめやま)天皇が1392年
に、皇位を放棄して入京し、 朝廷の天皇は、
持明院統の北朝の後小松(ごこまつ)天皇一
人となった。
1392年の南北朝合体後は、大覚寺統
の南朝は消滅し、南北朝という区別はなくなり、
後小松天皇の持明院統の北朝の天皇が、朝廷
の皇位を代々を継ぐ。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
倒し、建武政権(1333〜36年)の樹立に協力
した人々には、 足利 尊氏、 新田 義貞、 楠木
正成、 護良親王、 北畠 親房、 北畠 顕家 な
どがいた。
■ 鎌倉幕府倒幕・建武政権樹立に中心
的役割を果たした人々。
倒し、建武政権(1333〜36年)の樹立に協力
した人々には、 足利 尊氏、 新田 義貞、 楠木
正成、 護良親王、 北畠 親房、 北畠 顕家 な
どがいた。
■ 足利尊氏。
政権 (1333〜36年)の樹立に協力した。
しかし、 1335年(建武2年)11月に、 後
醍醐天皇の建武政権に反旗を翻(ひるがえ)す。
1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ
う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336
年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝
が成立する。
1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜
1392年)の征夷大将軍に就任し、室町幕府(足
利幕府)を開く。
■ 新田 義貞。
新田 義貞 (にった よしさだ) は、 後醍醐天
権(1333〜36年)の樹立に協力し、 後醍醐天
皇や南朝に最後まで味方した、武 将 である。
1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ
う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336
年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝
が成立する。
新田 義貞は、 足利尊氏方の軍と戦い、 13
38年閏7月に、 藤島(ふじしま)の戦いで敗死す
る。
1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜
1392年)の征夷大将軍に就任する。
1339年8月に、南朝(1336〜1392年)の
後醍醐天皇が没す。
■ 楠木 正成。
楠木 正成 (くすのき まさしげ)は、河内(か
わち)の豪族で、 後醍醐天皇に味方し、北条執
権の鎌倉幕府を倒し、建武政 権(1333〜36年)
の樹立に協力し、 後醍醐天皇に最後まで味方し
た、武将 である。
楠木 正季 (くすのき まさすえ)は、 楠木 正
成の弟で、 楠木 正成を支える。
楠木 正成は、 足利尊氏方の軍と戦い、13
36年(建武3年)5月に、 湊川(みなとがわ)の
戦いで敗死する。
1336年8月に、 足利尊氏は光明(こうみょ
う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336
年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝
が成立する。
1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜
1392年)の征夷大将軍に就任する。
1339年8月に、南朝(1336〜1392年)の
後醍醐天皇が没す。
■ 護良親王。
護良親王 (もりよし・もりなが しんのう) は、
後醍醐天皇の皇子で、 後醍醐天皇に味方し、北
条執権の鎌倉幕府を倒し、建 武政権(1333〜
36年)の樹立に協力し、 建武政権の征夷大将
軍となる。
護良親王の別名は、 大塔宮 (おうとうのみ
や)である。
護良親王は、1332年に挙兵し、令旨(りょう
じ)を全国各地の武士に乱発する。
1333年に、足利尊氏の挙兵により、鎌倉幕
府に不満を持つ全国の武士も離反し鎌倉幕府が
滅亡する。 その後、後醍醐天皇が、建武政権を
樹立する。
しかし、建武政権樹立後、護良親王(大塔宮)
は、 後醍醐天皇に疎(うと)まれ、 足利氏に身
柄を預けられ、軟禁される。
護良親王(大塔宮)は、 1335年(建武2年)
7月に、軟禁先の鎌倉で、足利尊氏の実弟の足利
直義(ただよし)に殺害される。
1336年8月に、足利尊氏は 、光明(こうみょ
う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336
年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝
が成立する。
1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜
1392年)の征夷大将軍に就任する。
1339年8月に、南朝(1336〜1392年)の
後醍醐天皇が没す。
■ 北畠 親房。
北畠 親房 (きたばたけ ちかふさ)は、公家・
倉幕府を倒し、建武政権(1333〜36年)の樹立
に協力し、 後醍醐天皇や南朝に味方した公家で
ある。
1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ
う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336
年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝
が成立する。
1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜
1392年)の征夷大将軍に就任する。
1339年8月に、南朝(1336〜1392年)の
後醍醐天皇が没す。
■ 北畠 顕家。
北畠 顕家 (きたばたけ あきいえ)は、公家・
大納言・北畠親房(ちかふさ)の男子であり、 後
建武政権(1333〜36年)の樹立に協力し、 後
醍醐天皇や南朝に最後まで味方した武将 であ
る。
1336年8月に、足利尊氏は光明(こうみょ
う)天皇を擁立し即位させ北朝が成立し、1336
年12月に、後醍醐天皇は、吉野に潜幸し、南朝
が成立する。
北畠 顕家は、 足利尊氏方の軍と戦い、133
8年5月に、石津(いしづ)の戦いで敗死する。
1338年8月に、足利尊氏は、北朝(1336〜
1392年)の征夷大将軍に就任する。
1339年8月に、南朝(1336〜1392年)の
後醍醐天皇が没す。
◆ 後醍醐天皇 簡略年表。
■ 1317年 正和 6年
( 1月 1日ー 2月 2日)。
文保 (ぶんぽう) 元年
( 2月 3日ー12月29日または30日)。
● 1317年4月に、 文保の和談(ぶん
ぽうのわだん)が成る。
■ 1318年 文保 2年。
■ 1319年 文保 3年
( 1月 1日ー 4月27日)。
元応 (げんおう) 元年
( 4月28日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
■ 1320年 元応 2年。
■ 1321年 元応 3年
( 1月 1日ー 2月22日)。
元亨 (げんこう) 元年
( 2月23日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
■ 1322年 元亨 2年。
■ 1323年 元亨 3年。
■ 1324年 元亨 4年。
( 1月 1日ー12月 8日)。
正中 (しょうちゅう) 元年
(12月 9日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
● 1324年9月に、 正中の変が起こる。
■ 1325年 正中 2年。
■ 1326年 正中 3年
( 1月 1日ー 4月25日)。
嘉暦 (かりゃく) 元年
( 4月26日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
■ 1327年 嘉暦 2年。
■ 1328年 嘉暦 3年。
■ 1329年 嘉暦 4年。
( 1月 1日ー 8月28日)。
元徳 (げんとく) 元年
( 8月29日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
■ 1330年 元徳 2年。
■ 1331年 ◆ 光厳(こうごん)天皇(持明院統(じみょ
ういんとう)、鎌倉幕府擁立)方の暦年号。
元徳 3年。
◆ 後醍醐(ごだいご)天皇(大覚寺統(だ
いかくじとう))方の暦年号。
元徳 3年
( 1月 1日ー 8月 8日)。
元弘 (げんこう) 元年
( 8月 9日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
● 1331年5月に、 元弘の変(1331年
5月〜1332年3月)が、起こる。
● 1331年8月に、 後醍醐天皇が笠置寺
(かさぎでら、山城・笠置山の寺)に行幸(ぎ
ょうこう)する。
● 1331年9月に、 楠木正成(くすのきま
さしげ)が、挙兵する。
1331年9月に、鎌倉幕府は、持明院統
(じみょういんとう)の光厳(こうごん)天皇を
擁立し即位させる。
■ 1332年 ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)
方の暦年号。
元徳 4年
( 1月 1日ー 4月27日)。
正慶 (しょうきょう、しょうけい) 元年
( 4月28日ー12月29日または30日)。
◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。
元弘 2年。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
● 1332年3月に、 後醍醐天皇が隠岐
(おき)に配流される。
■ 1333年 ◆ 光厳天皇(持明院統、鎌倉幕府擁立)
方の暦年号。
正慶 2年
( 1月1日ー 5月25日)。
鎌倉幕府滅亡により暦年号編成中止。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。
元弘 3年。
● 1333年閏2月に、 後醍醐天皇が隠岐
(おき)から脱出する。
● 1333年5月に、 足利尊氏(足利高氏)
(ろくはらたんだい)を攻め滅ぼす。
● 1333年5月に、 新田義貞(にったよし
さだ)が、鎌倉を攻め、鎌倉幕府を滅ぼす。
● 1333年6月に、 後醍醐天皇が、京(都)
に戻り、建武政権(1333〜36年)を樹立す
る (建武の新政(1333〜36年)を始める)。
● 1333年6月に、後醍醐天皇は、帰京し
(京(都)に戻り)、個別安堵法(こべつあんど
ほう)、記録所(きろくしょ)、恩賞方(おんしょ
うがた)を設置する。
● 1333年9月に、 後醍醐天皇は、雑訴
決断所(ざっそけつだんしょ)、武者所(むし
ゃどころ)を設置する。
■ 1334年 ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。
元弘 4年
( 1月 1日ー 1月28日)。
建武 (けんむ) 元年
( 1月29日ー12月29日または30日)。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
● 1334年11月に、 足利尊氏を敵視する、
護良親王(もりよししんのう)が鎌倉に配流(は
いる)される。
■ 1335年 ◆ 後醍醐天皇(大覚寺統)方の暦年号。
建武 2年。
● 1335年7月に、 中先代の乱(なかせ
んだいのらん)が起こる。 乱中に、足利尊
氏の実弟の足利直義(ただよし)が、 護良
親王(もりよししんのう)を殺害する。
● 1335年11月に、 足利尊氏が、建武
政権(1333〜36年) に反する。
■ 1336年 ◆ 北朝(持明院統、光厳・光明(こうご
ん・こうみょう)天皇系統)方 の暦年号。
建武 3年。
● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。
◆ 南朝(大覚寺統、後醍醐天皇系統)
方 の暦年号。
建武 3年
( 1月 1日ー 2月28日)。
延元 (えんげん) 元年
( 2月29日ー12月29日または30日)。
● 1336年5月に、足利尊氏は、湊川(み
なとがわ)の戦いで、勝利を得る。
足利尊氏に敵対する、楠木正成(くす
のきまさしげ)が、 湊川(みなとがわ)の戦
いで敗死する。
● 1336年8月に、 足利尊氏は、持明院
統の光明(こうみょう)天皇を擁立する。
● 1336年11月に、 足利尊氏は、建武
式目を制定する。
● 1336年12月に、 後醍醐天皇が、吉
野に潜幸する (南北朝分立)。
■ 1337年 ◆ 北朝(持明院統) 方の暦年号。
建武 4年。
◆ 南朝(大覚寺統) 方の暦年号。
延元 2年。
■ 1338年 ◆ 北朝(持明院統) 方の暦年号。
建武 5年
( 1月 1日ー 8月27日)。
暦応 (りゃくおう、れきおう) 元年
( 8月28日ー12月29日または30日)。
◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号。
延元 3年。
● 1338年5月に、 足利尊氏に敵対する、
北畠顕家(きたばたけあきいえ)が、石津(い
しづ)の戦いで敗死する。
● 1338年閏7月に、 足利尊氏に敵対す
る、新田義貞(にったよしさだ)が、藤島(ふじ
しま)の戦いで敗死する。
● 1338年8月に、 足利尊氏が、北朝の
府)の初 代将軍となる。
■ 1339年 ◆ 北朝(持明院統)方 の暦年号。
暦応 2年。
◆ 南朝(大覚寺統)方 の暦年号。
延元 4年。
● 1339年8月に、 後醍醐天皇が、崩御
(ほうぎょ)する(死去する)。
#theemperorgodaigo-appearingscenes
♪♪ 後醍醐 天皇が登場する、面白く、
興味深い関連ドキュメンタリー、ドラ
マ、映画。
★ 後醍醐天皇が登場する、興味深い、
ドキュメンタリー。
■ BS歴史館 『 疾走(しっそう)!足
利尊氏 南北朝の扉を開く!? 』
(NHK2014年3月13日・本放送テレビ・
ドキュメンタリー番組)。
★ 後醍醐天皇が登場する、興味深
い関連ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画 は、フィクションです。
歴史のドラマや映画は、史実(歴史上の事
実) と 架空の出来事が、 混じって、描か
れています。 また、現代風にアレンジして
あります。
■ 『 太平記 (たいへいき) 』
(NHK1991年大河ドラマ)。
● 日本の鎌倉時代末期、建武時代、室町時
代初期を描いたドラマ 。
■ 足利 尊氏の 生涯 や 尊氏が、鎌倉幕
府打倒に尽力し、 後醍醐天皇と袂(たもと)
をわかち、 北朝をたて、 室町幕府(足利
幕府)を樹立し、 幕府の基礎を確立する活
躍を描いたテレビドラマ。
● 後醍醐 天皇 を演じた俳優名 :
片岡 孝夫。
○ ドラマ「太平記」のPRフォト。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上