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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。

     KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK

 

 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 あ 』

 No.1130。

 

 

メ ニュー (目次)  #jpmenu     

■ 次の項目を選び、クリックして下さい。    

□ 日本史 辞典 (総合)     

□            浅井氏関係。

            ●  事柄順。

〇 あさ  浅井三姉妹

            (あざいさんしまい)。 《人名》。

            (= 茶々(ちゃちゃ )、初(はつ)、江

          (ごう))。

         (16世紀後期〜17世紀前期)。

         ○ 安土桃山時代・江戸時代初期

         に活躍した三姉妹。

         ○ 浅井長政(あざいながまさ)とお市

         (おいち、小谷方(おだにのかた))との

         間に生まれた3人の娘、 (1) 茶

         々 (ちゃちゃ、= 淀殿(よどどの)、豊臣

          秀吉・側室夫人)、  (2) 初 (

             つ、= お初(おはつ) 、京極高次(きょ

          うごくたかつぐ)・正室夫人、常高院

          (じょうこういん))、 (3) 江 (ごう、=

                  お江与(おえ よ)、崇源院(すうげんい

          ん)、徳川秀忠(ひでただ)・正室夫人)。

             ■ 浅井長政(あざいながまさ)とお市(おい

             ち、小谷方(おだにのかた)、織田信長妹)と

             の間の子の浅井3姉妹は、茶々、初、江(ち

             ちゃ・はつ・ごう)である。

                茶々(ちゃちゃ)は、 淀殿(よどどの)と

             も呼ばれ、 豊臣秀吉・側室夫人となり、 豊

             臣秀頼(ひでより)の生母となる。

                初(はつ)は、 常高院(じょうこういん)

             とも呼ばれ、 京極高次(きょうごくたかつぐ)・

             正室夫人となる。

                江(ごう)は、 江与(えよ)、崇源院(す

             うげんいん)とも呼ばれ、江戸幕府・第2代

             将軍・徳川秀忠・正室 夫人となり、 江戸幕

                            府・第3代将軍・徳川家光の生母となる。

             ● 1573年に、小谷城 (おだにじょう)は、 

             織田信長配下の秀吉に攻められて、落城し

             た。 その際、浅井長政は、小谷城で自害

             し、 長政の妻子のお市と浅井3姉妹 (茶

             々、初、江)は小谷城から落ち延びた。

             ● 1583年に、北庄城 (きたのしょうじょ

             う)は、 羽柴秀吉(豊臣秀吉)に攻められ

             て、落城した。 その際、お市と柴田勝家

             は北庄城で自害し、お市の子・浅井3姉妹 

             (茶々、初、江)は北庄城から落ち延びた。

             ● 1615年に、豊臣大阪城 (とよとみお

             おさかじょう)う)は、 徳川家康に攻められ

             て、落城した。 その際、茶々(淀殿)と豊臣

             秀頼は豊臣大阪城で自害し、江と徳川秀忠

             との間の娘の千姫(せんひめ)は豊臣大阪

             城から落ち延びた。

             (⇒ 織田信長)。

             (⇒ 織田信長ガイドブック)。

                           (⇒ 淀殿お初お江)。

                           (⇒ 浅井長政お市)。

                           (⇒ 小谷城、北庄城、豊臣大阪城)。

〇 あさ  浅井長政

             (あざい ながまさ)。  《人名》。

          (生没年:1545ー1573年)。

                    ○ 北近江(きたおうみ、現・滋賀県

          北部)の戦国大名。

          ○ 織田信長の妹・お市(小谷方)

          の夫。

          ○ 浅井三姉妹の実父。

             ● 浅井長政 (あざいながまさ、生没年:

             1545ー1573年)は、 北近江(きたおうみ、

             現・滋賀県 北部)の戦国大名であった。

             ● 浅井長政は、 織田信長の妹・お市(小

             谷方)の夫であり、 浅井三姉妹の実父であ

             る。

             (⇒ 織田信長)。

             (⇒ 織田信長ガイドブック)。

                           (⇒ 淀殿お初お江)。

                           (⇒ お市小谷城)。

〇 あさ  浅井 久政。 

            (あざい ひさまさ)。 《人名》。

                    ○ 北近江(きたおうみ)の戦国大名。

          ○ 浅井長政の父。

             ● 浅井久政 (あざいひさまさ)は、 浅井

             長政の父で、 北近江(きたおうみ、 現・滋

             賀県北部)の戦国大名であった。

       (⇒ 浅井 長政小谷城)。

 

 

□ 日本史 辞典 の 「 あ 」 基本見出し語

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■  『 現在は、過去の成果であり、

    未来は、現在の成果である。 

 

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◆ 日本史辞典

 

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□ 日本史 辞典 の 「 あ 」 基本見出し語

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#a

 

#azaisanshimai

 

 浅井三姉妹   

     (あざいさんしまい)。

 

 浅井三姉妹。

■ 生没年 : 16世紀後半〜17世紀前半頃。

■ 名称 : 浅井三姉妹 (あざいさんしまい)。

 茶々 (ちゃちゃ) 初 (はつ)、  江 (ごう)。

■ 浅井長政とお市の方との間に生まれた、3人の娘。

● 近江(おうみ)の戦国大名の、 浅井長政(あざいな が

  まさ) と 織田信長の妹の、 お市の方(おいち のか

  た) との間に生まれた、3人の娘 ( 茶々(ちゃち ゃ、

  淀殿(よどどの))、 (はつ、常高院)、 (ごう、小

   督(おごう)、お江与(おえよ)、崇源院(すうげんいん)

   即ち、 戦国のセレブ三姉妹。

■ 北近江 (きたおうみ、現在の滋賀県北部) で、生まれ、

  育った。

■ 浅井三姉妹の父の、浅井長政 は、北近江の戦国大名

  で、 浅井 三姉妹の母の、お市 は、織田信長の妹。 

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 80741。

 

□ 小谷城 画像アルバム No.1

□ 浅井三姉妹 が登場する、興味深い、ドラ

  マ、映画、ドキュメンタリー

 

 

  

   ○ 上記は、 上野樹里(うえのじゅり)の演じる、  

    お江 (おごう、小督(おごう)、お江与(おえよ)、

        崇源院(す うげんいん))。

   ○ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国 』 (NHKテレビ・

    2011年大河ドラマ)のドラマPR壁紙。

 

 

■ 浅井三姉妹 (あざいさんしまい) は、 生没年は、16

  世紀後半〜17世紀前半で、 北近江(きたおうみ、現在

  の滋賀県北部)で、生まれ、育った。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 浅井三姉妹は、 茶々(ちゃちゃ)、  (はつ)、 江(ご

  う)  で、 浅井長政 (あざいながまさ) と お市 (おいち) 

  との間に生まれた3人の娘の、茶々(ちゃちゃ、淀殿(よど

  どの))、 初 (はつ、お初 (おはつ))、 江 (ごう、督(ごう)、

  お江与(おえよ)) である。

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 浅井3姉妹。

    浅井長政(あざいながまさ)とお市(おいち、小谷方

  (おだにのかた)、織田信長妹)との間の子の浅井3姉

   は、茶々、初、江(ちちゃ・はつ・ごう)である。

      茶々(ちゃちゃ)は、 淀殿(よどどの)とも呼ばれ、

  豊臣秀吉・側室夫人となり、 豊臣秀頼(ひでより)の生

   母となる。

     (はつ)は、 常高院(じょうこういん)とも呼ばれ、 

  京極高次(きょうごくたかつぐ)・正室夫人となる。

     (ごう)は、 江与(えよ)、崇源院(すうげんいん)

  とも呼ばれ、江戸幕府・第2代将軍・徳川秀忠・正室 夫

  人となり、 江戸幕府・第3代将軍・徳川家光の生母と

  なる。

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 小谷城は、 浅井長政 (あざいながまさ)、  お市 

  (おいち、小谷方(おだにのかた)、浅井長政・正室夫人、

  織田信長の妹、浅井3姉妹の生母)、 浅井3姉妹の、

  (1) 茶々 (ちゃちゃ淀殿)、  (2) 初 (はつ、お初

  常高院(じょうこういん))、 (3) 江(ご う、お江江与

  (えよ)、崇源院(すうげんいん)) が住んでいたお

  ある。

 ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 小谷城 (おだにじょう)は、 浅井長政 (あざいながま

  さ)、 お市 (おいち、小谷方(おだにのかた)、浅井長

  政・正室夫人、織田信長の妹、浅井3姉妹の生母)、 浅

  井3姉妹 (茶々(ちゃちゃ、淀殿(よどどの))、 初(は

  つ、常高院(じょうこういん))、 江(ごう、江与(えよ)、崇

  源院(すうげんいん))) が住んでいたお城である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 茶々(ちゃちゃ、淀殿(よどどの)) は、 浅井長政の長女で、 豊臣

 秀吉の側室(妻)となり、 秀吉との間に、 男子の豊臣秀頼をもうけた。

● 淀殿(よどどの)は、 茶々(ちゃちゃ)と称し、 淀の方(よどのかた)、

  淀君とも呼ばれる。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 初 (はつ、お初 (おはつ)) は、浅井長政の次女で、 京極高次の

 正室(夫人)となった。

● お初 (おはつ) は、 落飾後、常高院 と称した。

 

■ 江 (ごう、督(ごう)、お江与(おえよ)) は、浅井長政の三女で、 徳

 川秀忠の正室・夫人となり、 徳川秀忠との間に、 男子の徳川家光を

 もうけた。

● お江与(おえよ) は、江(ごう)、督 (ごう)、お江(おごう)、小督(おご

 う)とも称し、 生没年は、1573年 (天正元年)〜1626年(寛永3年)

 である。

● お江与(おえよ) は、 落飾後、崇源院(すうげんいん) と称した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 浅井三姉妹の父の、浅井長政 は、北近江(きたおうみ、現在の滋

 賀県北部)の戦国大名で、 浅井三姉妹の母の、お市 は、織田信長

 の妹 である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 浅井長政 は、1564年、織田信長と同盟を結び、1567年、同盟

 を強固にするため、 織田信長の妹のお市と政略結婚した。 しかし、

 後に、信長と決裂し、戦い、敗れて、自害し、浅井氏は、1573年に、

 滅亡した。

@ 1564年(永禄7年)の、浅井家と織田家の同盟は、「同盟がある

 限り、織田は朝倉に進軍せず、どのような事態でも朝倉に進軍する

 時は必ず一報をいれる」という条件を付した同盟であった。

A 1570年(元亀元年)に、信長は、長政と交わした「朝倉への不戦

 の誓い」を破り、徳川家康と共に、越前の朝倉方の城を攻め始めた。 

 浅井は、朝倉との同盟関係を重視し、 織田・徳川軍を背後から急襲

 した。 信長は、苦戦しながら、 近江を脱出した(金ヶ崎の退き口)。

B その後、1570〜73年までの間、織田信長と浅井長政 は戦い、

 信長は、北近江に攻め寄せ、小谷城(おだにじょう)を囲んで、1573

 年(天正元年)に、遂に、落城させる。 お市は、 長政と運命を共に

 する覚悟であったが、 夫の長政に諌(いさ)められて、 お市は、浅

 井三姉妹を連れて、 小谷城を脱出し、信長の元へ落ちのびた。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 浅井三姉妹の父・浅井長政が、母の兄・織田信長に敵対する。

● 1573年(天正元年)に、 浅井長政の小谷城が、織田信長(配下

 の豊臣秀吉)の軍勢に攻められ、 落城すると、 茶々(淀殿)ら3人

 の娘(3姉妹) は、母・お市と共に、城を落ちのびる。

● このとき、 父・浅井長政、祖父の浅井久政は、自害し、 長政の

 先妻の子で腹違いの兄の万福丸は、 捕らえられ、 信長の命で秀

 吉により処刑される。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ その後、 お市と浅井三姉妹 は、 伯父の織田信包(のぶかね)

 に預けられ(の庇護の下(もと)におかれ)、主に、伊勢で暮す。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 1582年(天正10年)に、本能寺の変で織田信長の死去後、 母

 のお市が、 織田家重臣の柴田勝家と再婚すると、 茶々(淀殿)ら

 3人の娘(3姉妹)は、 母・お市と共に、 北庄城(きたのしょうじょう、

 福井県福井市)へ移る。

  その後、 1583年に、柴田勝家の北庄城 が、豊臣秀吉の軍勢

 に攻められ、柴田勝家と母・お市が自害し、 落城時、 茶々(淀殿)

 ら3人の娘(浅井三姉妹) は、逃がされ、 城を落ちのびる。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ その後、 浅井三姉妹 は、 織田長益(ながます、有楽斎(うらく

 さい))、京極龍子(きょうごくたつこ)らの庇護の下(もと)におかれた。 

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

     ■ 織田信長の浅井・朝倉攻め。

        1573年(天正元年)8月8日に、織田信

     長は、北近江 (きたおうみ、現・滋賀県北部

     の相当地域) に、約3万人の軍勢を率いて

     出兵し、8月10日に、浅井氏の小谷城の向え

     にある(の喉元にあたる)、虎御前山(とらご

     ぜんやま)の砦(とりで)に入り、浅井氏(あざ

     いし、あさいし)の小谷城(おだにじょう)を包

     囲する。

        1573年(天正元年)年8月10日に、越

     前国 (えちぜんのくに、福井県東部)から

     北近江に浅井氏の救援にきた約1万5000

     人の兵の朝倉軍が現れ、8月13日に、北近

     江で、織田信長は、朝倉軍と戦い、撃破する。 

        その後、織田信長は、小谷城の攻撃を

     後回しにして、織田信長の織田軍は、敗走

     する朝倉遠征軍を追撃し、8月14日に、朝

     倉義景(あさくらよしげ)と朝倉軍を刀根坂

     (とねざか)の戦いで撃破し、刀根山を越え、

     越前国に敦賀(つるが)に着陣し、その後、

     敦賀を平定し、敦賀を経由して、8月16日

     には、木芽峠(きのめとうげ)を越え、織田

     信長は、8月18日に、越前府中(えちぜん

     ふちゅう)の龍門寺(りゅうもんじ)に着陣す

     る。 

        1573年(天正元年)年8月18日に、

     織田信長は、越前の朝倉氏の本拠地の一

     乗谷の市街地を襲撃制圧し、焼き払う。

     柴田勝家らの織田軍が8月18日に、一乗

     谷に攻め込み、放火は三日三晩続いた。

         1573年(天正元年)8月15日に一

     乗谷に帰っていた朝倉義景は、織田軍が

     来る前に、手勢のみを率いて、本拠地の

     一乗谷(いちじょうだに)の館を捨てて、

     山田庄(やまだのしょう)に逃(のが)れる。

        山田庄へ逃げた朝倉義景は、更に柴

     田勝家らの織田軍に攻め立てられ、 一族

     の朝倉景鏡(あさくらかげあきら)や平泉寺

     (へいせんじ)の僧兵にも裏切られ、1573

     年(天正元年)8月20日に朝倉氏当主の

     倉義景は、山田庄の(大野郡の)六坊賢松

     寺(ろくぼうけんしょうじ、福井県大野市)で、

     自刃(じじん、自害)し、越前の朝倉氏は滅

     亡する。

        織田信長は、越前国より戻り、1573

     年(天正元年)8月26日に、浅井氏の小谷

     城の向えにある、虎御前山(とらごぜんや

     ま)の砦に戻る。 8月27日に、木下秀吉

     (豊臣秀吉)の攻撃によって、小谷城の京

     極丸(きょうごくまる)が陥落し、これで久政

     が守る小丸と長政が守る本丸との間が

     断ち切られ、8月28日に小丸が落ち、浅井

     長政の父・久政が自刃(じじん、自害)し、8

     28日から9月1日までの間に、小谷城の

     本丸(ほんまる)も陥落し、浅井長政は、小

     谷城の本丸近くの赤尾清綱(あかおきよつ

     な)の屋敷に入って、自刃(自害)し、北近江

     の朝倉氏は、滅亡する。

        浅井長政は、落城前に、1573年(天

     正元年)8月28日夜に、浅井長政に嫁(と

     つ)いだ信長の妹のお市とその女子(茶々、

     初、江(ちゃちゃ、はつ、ごう)の3人の娘)を

     駕籠(かご)で信長の陣に送り届ける。

          浅井長政の嫡男(当時10歳)の万福

     丸(まんぷくまる)は、お市の腹ではなく

     側室夫人との子であり、 朝倉方に人質とし

     て送られていたが、織田軍により、探し出さ

     れて、敦賀(つるが)で捕えられ、磔刑にされ

     た。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

#azaisanshimai-appearingscenes

 

♪♪ 浅井三姉妹 が登場する、興味深い、

    ドキュメンタリー、ドラマ、映画。

 

★ 浅井三姉妹 が登場する、興味深い関

   連ドラマ、映画 

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

     歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実) 

     と架空の出来事が混じって描か れています。 

      また、現代風にアレンジし てあります。

 

■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』。 

    (NHKテレビ・2011年大河ドラマ) 

■ 浅井三姉妹の詳細を描く。

■ 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描く。

● 茶々(ちゃちゃ、淀の方)を演じた女優 : 

   宮沢 りえ (みやざわ・りえ)。

● 初 (はつ、常高院)を演じた女優 : 

   水川 あさみ (みずかわ・あさみ)。

● 江 (ごう、お江(おごう)、小督(おごう)、

   お江与(おえよ)、崇源院(すうげんいん))

   を演じた俳優名 : 上野 樹里 (うえの・じゅり) 。

● 浅井3姉妹の父の、浅井長政を演じた俳優名 : 

   時任 三郎(ときとう・さぶろう)。

● 浅井3姉妹の母の、お市(おいち)を演じた女優 : 

   鈴木 保奈美 (すずき・ほなみ)。

 

■ 『 天地人 (てんちじん) 』 。  

   (NHKテレビ・2009年大河ドラマ)。

● 淀の方(茶々)を演じた女優 : 

   深田 恭子 (ふかだ きょうこ)。

 

■ 『 寧々〜おんな太閤記 (ねね おんな

     たいこうき) 』 。 

     (テレビ東京・2009年制作・テレビドラマ)。 

● 淀の方(茶々)を演じた女優 : 吹石 一恵 

  (ふきいし かづえ)。

● 初 (はつ、常高院)を演じた女優 : 小林 涼子。

 

■ 『 茶々 天涯の貴妃 (ちゃちゃ てん

      がいのおんな) 』 。 

     (日本の2007年制作・東映映画)。 

● 茶々(淀の方)を演じた女優 : 和央 ようか。

● 初 (はつ、常高院)を演じた女優 : 

   富田 靖子 (とみた やすこ)。

● 江 (ごう、お江(おごう)、小督(おごう)、

     お江与(おえよ)、崇源院(すうげんいん))

   を演じた女優 : 寺島 しのぶ。

 

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#azainagamasa

 

■ 浅井 長政  

     (あざい ながまさ)。

 

■ 浅井 長政。

■ 生没年 : 1545〜73年。

■ 名称 : 浅井 長政 (あざい ながまさ、 あさい ながまさ)。

■ 近江国(おうみのくに、滋賀県)の戦国大名。

■ 織田信長と一時期、同盟し、織田信長の妹、お市(おいち)

   の方と政略結婚し、お市との間に、浅井三姉妹 (あざいさ

   んしまい、茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、江(ごう)) をもうけ

   る。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 72138。

 

□ 小谷城 画像アルバム   No.1

 

 

■ 浅井長政 (あざいながまさ、生没年 1545〜73年) とは、 

   近江国(おうみのくに、滋賀県)の戦国大名 である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 浅井長政 は、 尾張(おわり、愛知県西部)の戦国大名の織

  田信長と一時期、同盟し、織田信長の妹、お市(おいち)の方と

  政略結婚し、 お市との間に、浅井三姉妹 (あざいさんしまい、

  茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、江(ごう))をもうける。 

     茶々(ちゃちゃ)は、後の淀殿で、豊臣秀吉側室で、豊臣

  秀頼の生母であり、 江(ごう)は、後のお江与(おえよ)で、徳

  川秀忠・正室夫人で、徳川家光の生母である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 浅井長政は、尾張の戦国大名の織田信長と一時期、同盟し、

  近江の大半を領有し、小谷城(おだにじょう)に拠って勢力をふ

  るった。 

     後に、 浅井長政は、1570年から越前国(えちぜんのく

  に、福井県北部)の朝倉義景(あさくらよしかげ)と結んで、織

  田信長と敵対して、1570年に、姉川(あねがわ)の戦で、織

  田信長・徳川家康軍に敗れ、織田信長と約3年間戦い (15

  70−1573年)、1573年に、織田信長に攻められて、居城・

  小谷城(おだにじょう)は落城し、 自害(自殺)し、北近江 (き

  たおうみ、現・滋賀県北部)に三代続いた浅井氏は、ここに、

  滅亡した。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

     ■ 織田信長の浅井・朝倉攻め。

        1573年(天正元年)8月8日に、織田信

     長は、北近江 (きたおうみ、現・滋賀県北部

     の相当地域) に、約3万人の軍勢を率いて

     出兵し、8月10日に、浅井氏の小谷城の向え

     にある(の喉元にあたる)、虎御前山(とらご

     ぜんやま)の砦(とりで)に入り、浅井氏(あざ

     いし、あさいし)の小谷城(おだにじょう)を包

     囲する。

        1573年(天正元年)年8月10日に、越

     前国 (えちぜんのくに、福井県東部)から

     北近江に浅井氏の救援にきた約1万5000

     人の兵の朝倉軍が現れ、8月13日に、北近

     江で、織田信長は、朝倉軍と戦い、撃破する。 

        その後、織田信長は、小谷城の攻撃を

     後回しにして、織田信長の織田軍は、敗走

     する朝倉遠征軍を追撃し、8月14日に、朝

     倉義景(あさくらよしげ)と朝倉軍を刀根坂

     (とねざか)の戦いで撃破し、刀根山を越え、

     越前国に敦賀(つるが)に着陣し、その後、

     敦賀を平定し、敦賀を経由して、8月16日

     には、木芽峠(きのめとうげ)を越え、織田

     信長は、8月18日に、越前府中(えちぜん

     ふちゅう)の龍門寺(りゅうもんじ)に着陣す

     る。 

        1573年(天正元年)年8月18日に、

     織田信長は、越前の朝倉氏の本拠地の一

     乗谷の市街地を襲撃制圧し、焼き払う。

     柴田勝家らの織田軍が8月18日に、一乗

     谷に攻め込み、放火は三日三晩続いた。

         1573年(天正元年)8月15日に一

     乗谷に帰っていた朝倉義景は、織田軍が

     来る前に、手勢のみを率いて、本拠地の

     一乗谷(いちじょうだに)の館を捨てて、

     山田庄(やまだのしょう)に逃(のが)れる。

        山田庄へ逃げた朝倉義景は、更に柴

     田勝家らの織田軍に攻め立てられ、 一族

     の朝倉景鏡(あさくらかげあきら)や平泉寺

     (へいせんじ)の僧兵にも裏切られ、1573

     年(天正元年)8月20日に朝倉氏当主の

     倉義景は、山田庄の(大野郡の)六坊賢松

     寺(ろくぼうけんしょうじ、福井県大野市)で、

     自刃(じじん、自害)し、越前の朝倉氏は滅

     亡する。

        織田信長は、越前国より戻り、1573

     年(天正元年)8月26日に、浅井氏の小谷

     城の向えにある、虎御前山(とらごぜんや

     ま)の砦に戻る。 8月27日に、木下秀吉

     (豊臣秀吉)の攻撃によって、小谷城の京

     極丸(きょうごくまる)が陥落し、これで久政

     が守る小丸と長政が守る本丸との間が

     断ち切られ、8月28日に小丸が落ち、浅井

     長政の父・久政が自刃(じじん、自害)し、8

     28日から9月1日までの間に、小谷城の

     本丸(ほんまる)も陥落し、浅井長政は、小

     谷城の本丸近くの赤尾清綱(あかおきよつ

     な)の屋敷に入って、自刃(自害)し、北近江

     の朝倉氏は、滅亡する。

        浅井長政は、落城前に、1573年(天

     正元年)8月28日夜に、浅井長政に嫁(と

     つ)いだ信長の妹のお市とその女子(茶々、

     初、江(ちゃちゃ、はつ、ごう)の3人の娘)を

     駕籠(かご)で信長の陣に送り届ける。

          浅井長政の嫡男(当時10歳)の万福

     丸(まんぷくまる)は、お市の腹ではなく

     側室夫人との子であり、 朝倉方に人質とし

     て送られていたが、織田軍により、探し出さ

     れて、敦賀(つるが)で捕えられ、磔刑にされ

     た。

   ● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

♪♪ 浅井長政 が登場する、興味深い、ドキ

    ュメンタリー、ドラマ、映画。

 

 浅井長政 が登場する、興味深い、ドラマ、

   映画。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。 

     歴史のドラマ、映画は、 史実(歴史上の事実) 

     と架空の出来事が混じって描か れています。 

      また、現代風にアレンジし てあります。

 

■ 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』。 

    (NHKテレビ・2011年大河ドラマ) 

■ 室町時代後期(戦国時代)、安土桃山時代、

  江戸時代初期を描く。

 

(E) 『 江(ごう)〜姫たちの戦国〜 』

    第1回・「湖国の姫」・2011年1月9日・

        本放送・NHKテレビ・大河ドラマ。

■ 浅井長政の詳細を描く。

 浅井長政と織田信長の妹・お市との婚儀

  から1573年の小谷城の落城までを描く。

     浅井長政とお市の2人の生活浅井

  3姉妹(茶々、初、江)の誕生や3人の生活

  を描く。

● 浅井長政 (お市の夫、浅井3姉妹の父)を

   演じた俳優名 : 

     時任 三郎(ときとう・さぶろう)。

   

● お市(おいち、浅井長政夫人、浅井3姉妹の

  母)を演じた女優 : 

  鈴木 保奈美 (すずき・ほなみ)。

● 茶々(ちゃちゃ、淀の方、浅井長政の娘)を

   演じた女優 : 宮沢 りえ (みやざわ・りえ)。

● 初 (はつ、常高院、浅井長政の娘)を演じた

   女優 : 水川 あさみ (みずかわ・あさみ)。

● 江 (ごう、、浅井長政の娘、お江(おごう)、

   小督(おごう)、お江与(おえよ)、崇源院

  (すうげんいん))を演じた俳優名 :

   上野 樹里 (うえの・じゅり) 。

 

■ 『 天地人 (てんちじん) 』。  

   (NHKテレビ・2009年大河ドラマ)。

 

■ 『 寧々〜おんな太閤記 (ねね 

      おんなたいこうき) 』。

   (テレビ東京・2009年制作・テレビドラマ)。 

 

■ 『 茶々 天涯の貴妃 (ちゃちゃ 

      てんがいのおんな) 』 。 

   (日本の2007年制作・東映映画)。 

 

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上