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  TOKUGAWA (EDO) SHOGUNATE 

  GOVERNMENT.

 

 

『   (Kjhh)21726

  カナヤマ 江戸幕府

  大奥ガイドブック 

  大奥 年表

  No.11。  』

 

 

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 □ 江戸幕府 大奥ガイド

    ブックの内容。

 

  □ 江戸幕府・大奥

       簡略年表。

 

 □ 江戸幕府・大奥

    詳細年表。

 

  □ 大奥 年表 

     1573年〜171 3年。

 

  □ 大奥 年表 

        1714年〜1852年。

 

  □ 大奥 年表 

        1853年〜1868年。

 

 

 

   

   ○ 幕末の江戸幕府・大奥の実力者の

     天璋院・篤姫 (てんしょういん・あつ

     ひめ、篤姫役: 宮崎あおい)。  

   ○ ドラマ「篤姫」での天璋院・篤姫フォト

          ( 宮崎あおいが演じる篤姫)。

   ○ テレビ局のドラマ「篤姫」の出版本の

      書籍販促用PRフォト。

 

 

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          ブック 大奥年表。

 

 

■ カナヤマ 主要 公式ホー

   ムページ略語一覧表。

   KOH  CSE   UCF   KHAS (KASH)

   CCF  KBIH   KPH    HCF  KANH

     QGN  KWDB  TTFW  TTWH  AWM

     KGJ   KJHH  KH H   KCB  KCTS

     I MB  KHIB  RH  KIOS  KE  LKOH 

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◆ 江戸幕府 大奥 ガイド

   ブックの内容 :

 

 ■ 江戸幕府 大奥 ガイドブック。

 

 ■ 江戸幕府 大奥の、初学者・初心者向

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 ■ 初学者・初心者用 オンライン 江戸幕府  

   大奥ガイドブック。

 

 ■ 江戸幕府 大奥 の 入門 ガイドブック。

 

 ■ 江戸幕府 大奥 (えどばくふ おおおく) 

   関連 初学者・初心者向 インターネット用 

   オンライン書籍(ブック)。

 

 ■ この電子書籍1冊で (この本1冊で)、 

   江戸幕府の、大奥のこと(概略)が、

   一通り、わかる。 

 

 ■ 江戸時代に、 江戸幕府の将軍が、 

   最高権力者として、日本を支配していた。  

     そして、江戸幕府(徳川宗家)の後宮

   の大奥にいる将軍の母や夫人とその側

   近、大奥監督者も、将軍と共に、日本の

   政治を動かしていた。

 

 ■ TKKI カナヤマ著 江戸幕府・大奥  

   ガイドブック。

 

 

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◆ (Kjhh) 

   江戸幕府 大奥 

   ガイドブック 

   大奥 年表。

 

 

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◆ 江戸幕府 大奥  

   簡略年表。 

          (えどばくふ おおおく

     かんりゃくねんぴょう)。

 

   ○ 『 では、 江戸幕府・大奥に関係

      する出来事を、年代順に、見て

           みよう。 』

 

 

◆ 江戸幕府・大奥 簡略年表。

 

■ 1590年   ● 徳川氏の関東領地換え。

 (天正18年)  豊臣秀吉の命(めい、命令)により、

           中部地方から関東地方への徳川氏

           の領地換えにより、 江戸城が、徳

           川氏の本城(ほんじょう、本拠地の

           城)となり、 徳川家康の妻子が、

           江戸城に移り、 江戸城の後宮の

           大奥が誕生する。  

           ● 初めは、大奥は、 徳川氏当主・

           将軍の、夫人(正室夫人、側室夫

           人)や 元服(成人)前の子が単に

           居住する場所であった。

           ● 徳川家康の2人の正室夫人は

           既に死去し、家康の側室夫人たち

           や子供たち、家康世子 ・徳川秀忠

           の乳母(うば)の大姥局(おおばの

           つぼね)が、江戸城の大奥に入 り、

           家康の側室夫人たちや大姥局が、

           交代で、  大奥の監督者(大奥の

           実務の実権をもつ人)となる。

           ● 家康の側室夫人たちは、15

           98年(慶長3年)まで、江戸 城

           の大奥に居住し、それ以後は、

           家康が死去する1616年まで、

           家康と共に、家康の政務居城

           の伏見城、豊臣大阪城・西の丸、

           江戸城、駿府城に居住する。

           ● 一方、家康三男の徳川秀忠

           は、1590年(天正18年)に上

           洛し、豊臣秀吉に謁見する。 

           その後、秀忠は、畿内在留の多

           い家康に代わり、江戸城で関東

           領国の支配に当たり、また、畿内

           と関東の往復を繰り返す。

              1595年(文禄4年)9月に、

           秀忠は、お江(おごう)と婚儀を

           結ぶ。 

              秀忠の正室夫人のお江与

           (お江)と子(娘)は、1599年(慶

           長4年)頃まで、豊臣氏の人質とし

           て、畿内(きない)の大阪や伏見

           の徳川屋敷に居住する。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

              大奥ガイドブック。

 

■ 1598年   ● 1598年(慶長3年)の豊臣秀吉

 (慶長 3年)    死去後、京(都)の伏見城(豊臣

             秀吉築・前期木幡山伏見城)を、

             徳川家康が、豊臣氏大老として、

             政務居城(1598年ー1599年

             9月)とし、入城する。

           ●  家康の側室夫人達は、伏見城

             に移る。

 

■ 1599年頃  ● 1599年(慶長4年)頃に、徳

 (慶長 4年)    川秀忠の正室夫人のお江与(お

             えよ、お江(おごう))と子(娘)が、

             豊臣氏の人質から解放され、

             畿内(きない)の大阪や伏見の徳

             川屋敷から、江戸城の大奥に移

             る。 

             

■ 1603年   ● 徳川 家康 (とくがわ いえやす)

 (慶長 8年)   が、 征夷大将軍となり、江戸に

            幕府を開き、江戸幕府(1603年

            〜1867年)が樹立される。

            ● 家康が、江戸幕府の初代将軍

            (将軍在任:1603年〜1605年)

            となる。 

            ● 家康の初代将軍時の、江戸城

             の大奥の監督者(大奥の実務の

             実権を握る人)は、 家康世子の

                        徳川秀忠の乳母(うば)の大姥局

             (おおばのつぼね、生没年:152

             5年〜1613年))である。

            ● 家康の初代将軍時、家康の側

             室夫人たちは、家康と共に、政務

             居城の伏見城( 家康築・後期・木

             幡山伏見城)に居住する。 

 

■ 1605年   ● 徳川 秀忠 (ひでただ、将軍在

 (慶長10年)   任:1605年〜1623年、家康の

            三男)が、 江戸幕府の第2代将

            軍となる。 

              大御所(お おごしょ、引退後の

            将軍)の徳川家康が、生きている

            間、江戸幕府の政治の実権をもつ。

            ● 秀忠の2代将軍時、秀忠正室・

                       お江与(お 江)が、 大奥の最高

            権力者となる。

               また、秀忠・乳母の大姥局(お

                        おばのつぼね、生没年:1525年

             〜1613年)が、 江戸城の大奥

             の監督者(大奥の実務の実権を

             握る人)となる。 

            ● 秀忠の2代将軍時、大御所とな

             った徳川家康の側室夫人たちは、

             1605年から1607年まで、家 康

             の政務居城の伏見城(ふしみじょ

             う、家康築・後期・木幡山伏見城)

             に居住し、1607年から1616年

             まで、家康の政務居城の駿府城

             (すんぷじょう)に居住する。 

 

■ 1618年     ● 徳川家光・生母のお江与(おえ

 (元和 4年)    よ、お江(おごう)) と、 家光・乳

             母 (うば)のお福(おふく、春日局

             (かすがのつぼね))が、  大奥法

             度(おおおくはっと)を定める。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

               大奥ガイドブック。

 

■ 1623年    ● 徳川 家光 (いえみつ、将軍在任:

 (元和 9年)   1623年〜1651年、秀忠のニ男) 

            が、 江戸幕府の第3代将軍となる。  

              大御所(お おごしょ、引退後の将

            軍)の徳川秀忠が、生きている間、

            江戸幕府の政治の実権をもつ。

            ● 徳川秀忠の長男で、家光の腹

             違いの兄は早世する。

            ● 家光の3代将軍時の、江戸城の

             大奥の監督者(大奥の実務の実

             権を握る人)は、 家光乳母(うば)

             のお福(おふく、春日局)であり、

             お福(春日局)死後は、お万(おま

             ん)である。

            ● お福(春日局)は、町でスカウト

             した、お楽(おらく、後の徳川家綱

             (いえつな)生母)、 お夏(おなつ、

             後の徳川家宣(いえのぶ)祖母)、 

             お玉(おたま、後の徳川綱吉(つな

             よし)生母)、の3人の体の(じょう

             ぶ)丈夫な町娘を大奥に入れる。 

                それら3人の町娘は徳川家光

             のお手付きとなり、それぞれ家光

             の男子を産む。 

 

■ 1651年   ● 徳川 家綱 (いえつな、将軍在任:

 (慶安 4年)   1651年〜1580年、家光の長男)

            が、 江戸幕府の第4代将軍となる。 

            ● 家綱の4代将軍時の、江戸城の

             大奥の監督者(大奥の実務の実

             権を握る人)は、家綱・乳母の矢島

             局(やじまのつぼね)である。

 

■ 1680年   ● 徳川 綱吉 (つなよし、将軍在任:

 (延宝 8年)    1680年〜1709年、家光の四男) 

             が、江戸幕府の第5代将軍となる。 

            ● 綱吉の5代将軍時の、大奥の最

             高権力者は、 綱吉・生母の桂昌

             院(けいしょういん、お玉(おたま)) 

             である。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

■ 1709年   ● 徳川 家宣 (いえのぶ、将軍在任:  

 (宝永 6年)    1709年〜1712年、家光の孫)が、

             江戸幕府の第6代将軍となる。 

            ● 家宣の6代将軍時の、大奥の最

             高権力者は、 家宣の正室夫人の

             熙子(ひろこ、天英院(てんえいい

             ん))である。

 

■ 1713年   ● 徳川 家継 (いえつぐ、将軍在任:

 (正徳 3年)   1713年〜1716年、家宣の四男)

            が、 4歳位で、江戸幕府の第7代

            将軍となる。

           ● 家継の5代将軍時の、最初の17

             13〜1714年の間、大奥の最高

             権力者は、 家継生母の月光院

             (お喜世)(げっこういん(おきよ))

             であり、月光院(お喜世)付御年寄

             (おとしより、大奥上級幹部)の絵

             島(えじま)が、大奥の監督者(実

             務の実権を握る人)であった。

           ● 1714年(正徳4年)の江島生島

             事件後は、 月光院(お喜世)は

             面目を失い、絵島は失脚、配流

             (はいる)となり、家継の7代将軍

             時の、1714年(正徳4年)〜17

             16年(正徳6年)の間、大奥の最

             高権力者は、 6代将軍・家宣・正

             室夫人の熙子(天英院)となる。

             

■ 1714年   ● 絵島生島(えじまいくしま)事件が

 (正徳 4年)   起こり、 大奥の風紀が粛清される。 

              1714年(正徳4年)の絵島生島

            事件後、月光院(げっこういん、お喜

            世(おきよ))は、面目を失い、1714

            年から1716年までの間、再び、徳

            川家宣・正室夫人の天英院(てんえ

            いいん、熙子(ひろこ))が、大奥の

            最高権力者となる。 

 

■ 1716年   ● 江戸幕府の6代将軍・徳川家宣

  (正徳 6年)      (いえのぶ)の正室夫人の天英院

            (てんえいいん、熙子(ひろこ))が、

            1716年(正徳6年)に、7代将軍・

            徳川家継(いえつぐ)死去時、次期

            8代将軍に徳川吉宗を指名する。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

■ 1716年   ● 徳川 吉宗 (よしむね、将軍在任:

  (正徳 6年)      1716年〜1745年、家康の曾孫、

            紀州藩主) が、1716年(正徳6年)

            に、江戸幕府の第8代将軍となる。

            ● その後、8代将軍・徳川吉宗の治

            世に、 財政再建の名目で、 大奥

            の人員が、大幅に縮小される。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

■ 1745年   ● 徳川 家重 (いえしげ、将軍在任:

 (延享 2年)   1745年〜1760年、徳川吉宗の長

            男)が、 江戸幕府の第9代将軍とな

            る。 

           ● 家重将軍時代、 家重は、大奥に

            入浸(いりびた)りとなる。

 

■ 1760年   ● 徳川 家治 (いえはる、将軍在任:

 (宝暦10年)   1760年〜1786年、家重の長男)

            が、江戸幕府の第10代将軍となる。 

 

■ 1787年   ● 徳川 家斉 (いえなり、将軍在任:

 (天明 7年)    1787年〜1837年、 吉宗の曾

             孫、一橋徳川家当主・徳川治済の

             長男)が、 江戸幕府の第11代

             将軍となる。 

           ● 家斉将軍時代、 家斉正室夫人の

            篤姫(あつひめ、広大院(こうだいい

            ん)、薩摩藩出身)が、大奥の権力者

            となる。

               そして、広大院・篤姫の側近の

            花町(はなまち、後に大奥火事で焼

            死)が、大奥の監督者(大奥の実務

            の実権を握る人)となる。 

               家斉将軍時代の後半期は、

            側室夫人の1人のお美代(おみよ)  

            が、大奥の監督者(大奥の実務の

            実権を握る人)となる。 

           ● 多妻多子の徳川家斉。

              徳川家斉は、側室夫人・約40人、

            子供・約55人をもつ。  

           ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

              大奥ガイドブック。

 

■ 1837年   ● 徳川 家慶 (いえよし、将軍在任:

 (天保 8年)    1837 年〜1853年、家斉のニ男)

             が、江戸幕府の第12代将軍となる。 

           ● 家慶将軍時代に、 御年寄(おとし

             より、大奥上級幹部)の姉小路(あ

             ねこうじ)が、 大奥の監督者(大奥

             の実務の実権を握る人)となる。 

 

■ 1853年   ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任:

 (嘉永 6年)    1853 年〜1858年、家慶の四男)

             が、 江戸幕府の第13代将軍となる。 

           ● 徳川家定将軍時代に、 家定の生

             母・本寿院(ほんじゅいん)と家定乳

             母(うば)の歌橋(うたはし)が大奥

             の最高権力者となる。 

                また、御年寄(おとしより、大

              奥上級幹部)の滝山(たきやま、

              御年寄在任:1853年〜1867

              年)が、 大奥の監督者 (大奥の

              実務の実権を握る人)となる。 

           ● 第13代将軍となった、徳川家定

             は体が弱かったため、 次期14

             代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、 

             雄藩連合政治を望み次期14代将

             軍に一橋慶喜(ひとつばし よしの

             ぶ、水戸藩出身・一橋家当主)を

             擁(よう)する、一橋派 と、 徳川

             氏独裁政治を望み次期14代将軍

             に徳川 慶福(よしとみ、紀伊藩藩

             主)を擁する、紀州派(南紀派) 

             とが、対立する (1853年頃〜

             1859年頃)。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

               大奥ガイドブック。

 

 

■ 1858年   ● 1858年(安政5年)12月、徳川

 (安政 5年)    家茂 (いえもち、 将軍在任:18

             58年〜1866年、 家斉の孫、紀

             州藩主・徳川慶福) が、 江戸幕

             府の第14代将軍となる。

            ● 家茂将軍時代、天璋院・篤姫(て

             んしょういん・あつひめ、家茂の義

             母) と、 家茂・生母の実成院(じ

             っせいいん)が、大奥の最高権力

             者となる。 

                御年寄の滝山が、大奥の監督 

             者(大奥の実務の実権をもつ人)と

             なる。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

■ 1866年   ● 1866年(慶応2年)12月に、

 (慶応 2年)    徳川 慶喜 (よしのぶ、将軍在任:

             1866年〜1867年、家康の子孫、

             9代水戸藩主・徳川斉昭の七男、

             一橋徳川家当主) が、 江戸幕府

             の第15代将軍となる。

           ● 徳川慶喜の大奥改革に、和宮と

             共に、天璋院・篤姫は、反対する。

           ● 慶喜の妻子は、大奥に入らず。

                慶喜将軍時代は、天璋院・篤

            姫(てんしょういん・あつひめ)と和宮

            (かずのみや)が、大奥の最高権力

            者となる。

 

■ 1867年   ● 大政奉還。

 (慶応 3年)      1867年(慶応3年)10月に、

             江戸幕府は、大政奉還(政権を朝廷

             へ返上)を行う。 

            ● 江戸幕府の大政奉還により、江戸

             幕府が、名目的に、終焉(しゅうえん)

             する。

 

■ 1868年   ● 江戸城・無血開城。

 (慶応 4年)      1868年(慶応4年)4月に、江戸

             幕府(徳川宗家)の本城(ほんじょう、

             本拠地の城)の江戸城が、無血開城

             される。 討幕軍が、江戸城に入場

             する。

           ● 大奥法度は廃止となり、 江戸城の

             後宮の大奥は、江戸城・無血開城に

             より、消滅する。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

 

    

   ○ 幕末の大奥の実力者の天璋院・篤姫

     (てんしょういん・あつひめ、篤姫役:

      宮崎あおい)。  

   ○ ドラマ「篤姫」での天璋院・篤姫フォト。

   ○ テレビ局のドラマ「篤姫」の出版本の

      書籍販促用PRフォト。

 

 

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#innerpalacedetailedchronology

 

◆ 江戸幕府 大奥 

     詳細年表 

          (えどばくふ おおおく

      しょうさいねんぴょう)。

 

   ○ 『 では、 江戸幕府・大奥に関係

      する出来事を、年代順に、見て

           みよう。 』

 

 

◆ 江戸幕府・大奥 詳細年表。

 

 □ 大奥 年表 

    1573年〜171 3年。

 

 □ 大奥 年表 

       1714年〜1852年。

 

 □ 大奥 年表 

       1853年〜1868年。

 

 

  ■ 当年表は、 大奥(1590年〜1868年)

    が存在した時代の詳細年表である。

 

  ■ 歴史学の立場から、年代を追って、江戸

    幕府・大奥の実像 (歴史的 有名な出来

    事には、虚像と実像があるが) を見てみ

    よう。

 

  ■ 江戸時代については、『 近世日本歴史

    年表 』を、 明治時代については、

    『 近代日本歴史年表 』 を参照してくだ

    さい。

 

  ■ より理解を深めるために、当年表と近い

    時期の日本史辞典の年表 や年代順出来

    事の、『 安土桃山時代年表、 江戸時代

    初期年表、 お江(おごう) 年表、 豊臣

    秀吉 年表、 徳川家康 年表、 上杉景勝

    (かげかつ) 年表、 直江兼続 年表、 

    幕末 年表、 明治維新 年表、 篤姫 (あ

    つひめ) 年表、 西郷隆盛 年表、 坂本

    龍馬 年表 』 も参照して ください。

 

   ■ 天璋院・篤姫(てんしょういん・あつひめ)

     の詳細 な内容に関しては、

     『 天璋院・篤姫 ガイドブック 』を参照

     してください。

 

   ■ 当年表は、 西暦を先に、 その後ろの

     ( )内に和暦を記載している。

 

 

 ■  日本の暦。

   ■ 和暦の、旧暦(太陰太陽暦)

      と 新暦(太陽暦)。

 

   ■ 日本では、 大化(たいか)元年(西

     暦645年)から明治5年(西暦1872

     年)まで旧暦(太陰太陽暦)を使用し 、

     1873年(明治6年)から現在まで新

     暦(太陽暦、現使用のグレゴリオ暦)

     を使用している。

 

   ■ 日本の太陽暦の採用。

      明治新政府の旧暦から新暦への切

      り替え。

        明治新政府(近代日本政府)は、

     近代化のため、旧暦(太陰太陽暦)

     の1872年(明治5年)12月2日の

     翌日(12月3日)を、 新暦(太陽暦、

     現使用のグレゴリオ暦)の1873年

     (明治6年)1月1日とした。 

 

   ■ 当書の日付(年月日)は、 一般の

     日本歴史書と同様に、1872年(明

     治5年)以前は日本の旧暦(太陰太

     陽暦)の年月日を記載し、 1873年

     (明治6年)以後は日本の新暦(太 陽

     暦、現使用のグレゴリオ暦))の年月

     日を記載している。

   ● TKKI カナヤマ著 和暦ガイドブック。

 

 

 

    

   ○ 幕末の大奥の実力者の天璋院・篤姫

     (てんしょういん・あつひめ、篤姫役:

      宮崎あおい)。  

   ○ ドラマ「篤姫」での天璋院・篤姫フォト。

   ○ テレビ局のドラマ「篤姫」の出版本の

      書籍販促用PRフォト。

 

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#innerpalacedetailedchronology-1573

 

◆ 江戸幕府・大奥

   詳細年表。

 

 

 ■ 1573年   ● 天正改元。    

  (天正 元年)    1573年7月28日に、 和暦

             の「元亀」(げんき) が、 「 天正」 

             (てんしょう、天正元年・1573年・

             7月28日〜 天正20年・ 1592

             年・12月8日) に改元される。 

 

 ■ 1590年   ● 徳川氏の関東領地換え。

  (天正18年)   豊臣秀吉の命(めい、命令)により、

             中部地方から関東地方への徳川氏

             の領地換えにより、 江戸城が、徳

             川氏の本城(ほんじょう、本拠地の

             城)となり、 徳川家康の妻子が、

             江戸城に移り、 江戸城の後宮の

             大奥が誕生する。  

            ● 初めは、大奥は、 徳川氏当主・

             将軍の、夫人(正室夫人、側室夫

             人)や 元服(成人)前の子が単に

             居住する場所であった。

            ● 徳川家康の2人の正室夫人は

             既に死去し、家康の側室夫人たち

             や子供たち、家康世子 ・徳川秀忠

             の乳母(うば)の大姥局(おおばの

             つぼね)が、江戸城の大奥に入り、

             家康の側室夫人たちや大姥局が、

              交代で、  大奥監督者(大奥の

             実務の実権をもつ人)となる。

            ● 家康の側室夫人たちは、15

             98年(慶長3年)まで、江戸 城

             の大奥に居住し、それ以後は、

             家康が死去する1616年まで、

             家康と共に、家康の政務居城

             の伏見城、豊臣大阪城・西の丸、

             江戸城、駿府城に居住する。

            ● 一方、家康三男の徳川秀忠

             は、1590年(天正18年)に上

             洛し、豊臣秀吉に謁見する。 

             その後、秀忠は、畿内在留の多

             い家康に代わり、江戸城で関東

             領国の支配に当たり、また、畿内

             と関東の往復を繰り返す。

               1595年(文禄4年)9月に、

             秀忠は、お江(おごう)と婚儀を

             結ぶ。 

               秀忠の正室夫人のお江与

             (お江)と子(娘)は、1599年(慶

             長4年)頃まで、豊臣氏の人質とし

             て、畿内(きない)の大阪や伏見

             の徳川屋敷に居住する。

             ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

              大奥ガイドブック。

 

 ■ 1598年   ● 1598年(慶長3年)の豊臣秀吉

  (慶長 3年)    死去後、京(都)の伏見城(豊臣

              秀吉築・前期木幡山伏見城)を、

              徳川家康が、豊臣氏大老として、

              政務居城(1598年ー1599年9

              月)とし、入城する。

            ●  家康の側室夫人達は、伏見城

              に移る。

 

 ■ 1599年頃  ● 1599年(慶長4年)頃に、徳

  (慶長 4年)    川秀忠の正室夫人のお江与(お

              えよ、お江(おごう))と子(娘)が、

              豊臣氏の人質から解放され、

              畿内(きない)の大阪や伏見の徳

              川屋敷から、江戸城の大奥に移

              る。 

 

 ■ 1599年    ● 徳川家康が、豊臣氏大老として、

  (慶長 4年)    豊臣大阪城・西の丸を、政務居城

              (1599年9月ー1600年6月)と

              し、入城する。

                 家康の側室夫人達も、 伏見城

              から豊臣大阪城・西の丸 へ移る。

 

 ■ 1600年    ● 徳川家康が、1600年(慶長5

  (慶長 5年)    年)6月に、豊臣氏大老として、

              豊臣大阪城・西の丸を出て、上杉

              征伐のため、東国に向かう。

                 家康の側室夫人達も、豊臣

              大阪城・西の丸から出て、東国

              に向かう。

 

 ■ 1600年    ● 徳川家康が、1600年(慶長5年)

  (慶長 5年)    7月に、江戸城に入る (1600年

              7月〜9月)。

                 家康の側室夫人達も、 江戸城

               の大奥に入る。

 

 ■ 1600年    ● 徳川家康が、1600年(慶長5年)

  (慶長 5年)    9月の関ヶ原の戦いに勝利後、

              豊臣大阪城・西の丸 を、政務居城

              (1600年9月ー1601年3月)とし、

              豊臣大阪城に入城する。

                家康の側室夫人達も、 江戸城

               から豊臣大阪城・西の丸に移る。

 

 ■ 1601年    ● 徳川家康は、 落城した伏見城を

  (慶長 6年)    再建するため、豊臣大阪城・西の

              丸から出て、1601年(慶長6年)

              3月に伏見城に入城し再建に着手

              し、1602年(慶長7年)に、伏見城

              (家康築・後期・木幡山伏見城)を

              再建する。 そして、1607年(慶

              長12年)まで、伏見城を政務居城 

              (1601年3月〜1607年)とする。 

                家康の側室夫人たちも、豊臣

              大阪城・西の丸から伏見城に移る。

 

 ■ 1603年   ● 徳川 家康 (とくがわ いえやす)

  (慶長 8年)   が、 征夷大将軍となり、江戸に

             幕府を開き、江戸幕府(1603年

             〜1867年)が樹立される。

            ● 家康が、江戸幕府の初代将軍

             (将軍在任:1603年〜1605年)

             となる。 

            ● 家康の初代将軍時の、江戸城

             の大奥の監督者(大奥の実務の

             実権を握る人)は、 家康世子の

                        徳川秀忠の乳母(うば)の大姥局

             (おおばのつぼね、生没年:152

             5年〜1613年))である。

             ● 家康の初代将軍時、家康の側

             室夫人たちは、家康と共に、政務

             居城の伏見城( 家康築・後期・木

             幡山伏見城)に居住する。 

 

 ■ 1604年   ● お江(おごう)が、竹千代(徳川家

  (慶長 9年)   光)を出産する。 徳川家康の命

             (めい、命令)で、竹千代の乳母(う

             ば)として、お福(おふく)が大奥に

             入る。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1605年   ● 徳川 秀忠 (ひでただ、将軍在

  (慶長10年)    任:1605年〜1623年、家康の

              三男)が、 江戸幕府の第2代将

              軍となる。 

               大御所(お おごしょ、引退後の

              将軍)の徳川家康が、生きている

               間、江戸幕府の政治の実権をも

              つ。

            ● 秀忠の2代将軍時、秀忠正室・

                          お江与(お江))が、 大奥の最高

              権力者となる。

               また、秀忠・乳母の大姥局(お

                         おばのつぼね、生没年:1525年

              〜1613年)が、 江戸城の大奥

              の監督者(大奥の実務の実権を

              握る人)となる。 

             ● 秀忠の2代将軍時、大御所と

              なった徳川家康の側室夫人た

              ちは、1605年から1607年ま

              で、家 康の政務居城の伏見城

              (ふしみじょう、家康築・後期・

              木幡山伏見城)に居住し、16

              07年から1616年まで、家康

              の政務居城の駿府城(すんぷ

              じょう)に居住する。 

 

 ■ 1607年    ● 大御所の徳川家康は、江戸幕

  (慶長12年)     府の実権をもったまま、政務居

               城(1607年ー1616年)を伏

              見城(家康築・後期木幡山伏見

              城)から駿府城(すんぷじょう)に

              移す。   

                家康の側室夫人たちも、 伏

              見城から家康の駿府城に移る。

 

 ■ 1611年   ● 大姥局の侍女のお静(おしづ、

  (慶長16年)    生没年:1584年ー1635年)

              が、2代将軍の徳川秀忠に見

              初(みそ)められ、 男子の幸

              松 (こうまつ、保科正之(ほし

              なまさゆき、会津松平家・初代

              当主、会津藩祖、生没年:16

              11年ー1672年)を産む。

                徳川秀忠は、正室夫人の嫉

              妬深いお江与(お江)には、わ

              からないように、養育させる。

             ● 保科正之(幼名:幸松)は、

              3代将軍・徳川家光や4代将

              軍・徳川家綱を補佐し、江戸

              幕府の基盤を強化する。

 

 ■ 1613年頃  ● 秀忠乳母の大姥局が大奥を去

  (慶長18年)     り、お江与(お江)側近の民部卿

              局(みんぶきょうのつぼね)と 家

               光・乳母のお福(おふく)が、大

               奥監督者(大奥の実務の実権を

              握る人)となる。

 

 ■ 1618年    ● 徳川家光・生母のお江与(おえ

  (元和 4年)    よ、お江(おごう)) と、 家光・乳

              母 (うば)のお福(おふく、春日局

              (かすがのつぼね))が、  大奥

              法度(おおおくはっと)を定める。

             ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1623年    ● 徳川 家光 (いえみつ、将軍在任:

  (元和 9年)    1623年〜1651年、秀忠のニ男) 

              が、 江戸幕府の第3代将軍となる。  

              大御所(お おごしょ、引退後の将

              軍)の徳川秀忠が、生きている間、

              江戸幕府の政治の実権をもつ。

             ● 徳川秀忠の長男で、家光の腹

              違いの兄は早世する。

             ● 家光の3代将軍時の、江戸城の

              大奥の監督者(大奥の実務の実

              権を握る人)は、 家光乳母(うば)

              のお福(おふく、春日局)であり、

              お福(春日局)死後は、お万(おま

              ん)である。

             ● お福(春日局)は、町でスカウト

              した、お楽(おらく、後の徳川家綱

              (いえつな)生母)、 お夏(おなつ、

              後の徳川家宣(いえのぶ)祖母)、 

              お玉(おたま、後の徳川綱吉(つな

              よし)生母)、の3人の体の(じょう

              ぶ)丈夫な町娘を大奥に入れる。 

                それら3人の町娘は徳川家光

              のお手付きとなり、それぞれ家光

              の男子を産む。 

 

 ■ 1626年    ● お江 (おごう、お江与、崇源院

  (寛永 3年)    (すうげんいん)、徳川秀忠正室

              夫人、徳川家光生母、生没年:

              1573年〜1626年)が、 死去

              する。

 

 ■ 1643年    ● お福 (おふく、春日局(かすが

  (寛永20年)    のつぼね)、徳川家光・乳母(う

              ば)、生没年:1579年〜1643

              年)が、 死去する。

             ● 1643年(寛永20年)のお福

               (春日局)の死後は、 以前家

              光に見初(みそ)められ尼僧院

              主で還俗した、お万(おまん、永

              光院)が、 大奥の監督者(実務

              の実権をもつ人、監督期間:16

              43年〜1651年)となる。  

             

 ■ 1651年   ● 徳川 家綱 (いえつな、将軍在

  (慶安 4年)    任:1651年〜1580年、家光

              の長男)が、 江戸幕府の第4

              代将軍となる。 

             ● 家綱の4代将軍時の、江戸城

              の大奥の監督者(大奥の実務

              の実権を握る人)は、家綱・乳

              母(うば)の矢島局(やじまのつ

              ぼね)である。

 

 ■ 1680年   ● 徳川 綱吉 (つなよし、将軍在

  (延宝 8年)    任:1680年〜1709年、家光

              の四男) が、江戸幕府の第5

              代将軍となる。 

             ● 綱吉の5代将軍時の、大奥の

              最高権力者は、 綱吉・生母の

              桂昌院(けいしょういん、お玉

              (おたま)) である。

             ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1709年   ● 徳川 家宣 (いえのぶ、将軍在任:  

  (宝永 6年)    1709年〜1712年、家光の孫)が、

             江戸幕府の第6代将軍となる。 

            ● 家宣の6代将軍時の、大奥の最

             高権力者は、 家宣の正室夫人の

             熙子(ひろこ、天英院(てんえいい

             ん))である。

 

 ■ 1713年   ● 徳川 家継 (いえつぐ、将軍在任:

  (正徳 3年)   1713年〜1716年、家宣の四男)

             が、 4歳位で、江戸幕府の第7代

             将軍となる。

            ● 家継の5代将軍時の、最初の17

             13〜1714年の間、大奥の最高

             権力者は、 家継生母の月光院

             (お喜世)(げっこういん(おきよ))

             であり、月光院(お喜世)付御年寄

             (おとしより、大奥上級幹部)の絵

             島(えじま)が、大奥の監督者(実

             務の実権を握る人)であった。

            ● 1714年(正徳4年)の江島生

             島事件後は、月光院(お喜世)は

             面目を失い、絵島は失脚、配流

             (はいる)となり、家継の7代将軍

             時の、1714年(正徳4年)〜17

             16年(正徳6年)の間、大奥の最

             高権力者は、 6代将軍・家宣・正

             室夫人の熙子(天英院)となる。

             

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#innerpalacedetailedchronology-1714

 

 ■ 1714年   ● 絵島生島(えじまいくしま)事件が

  (正徳 4年)   起こり、 大奥の風紀が粛清される。 

              1714年(正徳4年)の絵島生島

             事件後、月光院(げっこういん、お喜

             世(おきよ))は、面目を失い、1714

             年から1716年までの間、再び、徳

             川家宣・正室夫人の天英院(てんえ

             いいん、熙子(ひろこ))が、大奥の

             最高権力者となる。 

 

 ■ 1716年   ● 江戸幕府の6代将軍・徳川家宣

   (正徳 6年)      (いえのぶ)の正室夫人の天英院

             (てんえいいん、熙子(ひろこ))が、

             1716年(正徳6年)に、7代将軍・

             徳川家継(いえつぐ)死去時、次期

             8代将軍に徳川吉宗を指名する。

             ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1716年   ● 徳川 吉宗 (よしむね、将軍在任:

   (正徳 6年)      1716年〜1745年、家康の曾孫、

             紀州藩主) が、1716年(正徳6年)

             に、江戸幕府の第8代将軍となる。

             ● その後、8代将軍・徳川吉宗の治

             世に、 財政再建の名目で、 大奥

             の人員が、大幅に縮小される。

             ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1745年   ● 徳川 家重 (いえしげ、将軍在任:

  (延享 2年)   1745年〜1760年、徳川吉宗の長

             男)が、 江戸幕府の第9代将軍とな

             る。 

            ● 家重将軍時代、 家重は、大奥に

             入浸(いりびた)りとなる。

 

 ■ 1760年   ● 徳川 家治 (いえはる、将軍在任:

  (宝暦10年)   1760年〜1786年、家重の長男)

             が、江戸幕府の第10代将軍となる。 

 

 ■ 1787年   ● 徳川 家斉 (いえなり、将軍在任:

  (天明 7年)    1787年〜1837年、 吉宗の曾

              孫、一橋徳川家当主・徳川治済の

              長男)が、 江戸幕府の第11代

              将軍となる。 

            ● 家斉将軍時代、 家斉正室夫人の

             篤姫(あつひめ、広大院(こうだいい

             ん)、薩摩藩出身)が、大奥の権力者

             となる。

               そして、広大院・篤姫の側近の

             花町(はなまち、後に大奥火事で焼

             死)が、大奥の監督者(大奥の実務

             の実権を握る人)となる。 

               家斉将軍時代の後半期は、

             側室夫人の1人のお美代(おみよ)  

             が、大奥の監督者(大奥の実務の

             実権を握る人)となる。 

            ● 多妻多子の徳川家斉。

              徳川家斉は、側室夫人・約40人、

             子供・約55人をもつ。  

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

              大奥ガイドブック。

 

 ■ 1830年   ● 天保改元。    

  (文政13年 )      1830年12月10日に、和暦の

  (天保 元年)    「文政」(ぶんせい) が、 「 天保」 

              (てんぽう、天保元年・1830年・

              12月10日〜天保15年・ 1844年・

              12月2日) に改元される。 

 

 ■ 1837年   ● 徳川 家慶 (いえよし、将軍在任:

  (天保 8年)    1837 年〜1853年、家斉のニ男)

              が、江戸幕府の第12代将軍となる。 

            ● 家慶将軍時代に、 御年寄(おとし

              より、大奥上級幹部)の姉小路(あ

              ねこうじ)が、 大奥の監督者(大奥

              の実務の実権を握る人)となる。 

 

 ■ 1844年   ● 弘化改元。    

  (天保15年)       1844年12月2日に、和暦の

  (弘化 元年)    「天保」(てんぽう) が、 「 弘化」 

               (こうか、弘化元年・1844年・12

              月2日〜弘化5年・1848年・2月

              28日) に改元される。 

 

 ■ 1848年   ● 嘉永改元。   

  (嘉永 元年)     1848年2月28日に、和暦の

              「弘化」(こうか)が、 「嘉永」(かえ

              い、嘉永元年・1848年・2月28日

              〜嘉永7年・1854年・11月27日) 

              に改元される。 

 

 ■ 1851年   ● 1851年(嘉永4年)2月に、島津

  (嘉永 4年)    斉彬(なりあきら)が、11代薩摩藩

              主となる。

 

 

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#innerpalacedetailedchronology-1853

 

 ■ 1853年   ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任:

  (嘉永 6年)    1853 年〜1858年、家慶の四男)

              が、 江戸幕府の第13代将軍となる。 

            ● 徳川家定将軍時代に、 家定の生

              母・本寿院(ほんじゅいん)と家定乳

              母(うば)の歌橋(うたはし)が大奥

              の最高権力者となる。 

                また、御年寄(おとしより、大

               奥上級幹部)の滝山(たきやま、

               御年寄在任:1853年〜1867

               年)が、 大奥の監督者 (大奥の

               実務の実権を握る人)となる。 

            ● 第13代将軍となった、徳川家定

              は体が弱かったため、 次期14

              代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、 

              雄藩連合政治を望み次期14代将

              軍に一橋慶喜(ひとつばし よしの

              ぶ、水戸藩出身・一橋家当主)を

              擁(よう)する、一橋派 と、 徳川

              氏独裁政治を望み次期14代将軍

              に徳川 慶福(よしとみ、紀伊藩藩

              主)を擁する、紀州派(南紀派) 

              とが、対立する (1853年頃〜

              1859年頃)。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1853年   ● 1853年6月、アメリカのペリー

  (嘉永 6年)      艦隊が日本来航。 開国を要求。

 

 ■ 1853年   ● 江戸幕府の老中首座・阿部正弘

  (嘉永 6年)    (あべまさひろ)が、 挙国的な対策

             を立てようと、 開国について、諸

             大名や色々な人物に、意見を求め

             たため、 これ以後、日本各地で、 

             外国勢力を武力で追い払うことを

             主張する、尊皇(王)攘夷派( そん

             のうじょういは) と、 開国し外国

             勢力と協力して、先進の西洋文化

             を採り入れて国を発展させること

             を主張する、開国派(かいこくは) 

             とが対立する (1853年頃〜18

             67年頃)。

 

 ■ 1853年   ● 篤姫 (あつひめ、於一(おかつ、

  (嘉永 6年)    島津一)が、  島津氏本家の養女

              となる。 篤姫は、島津篤子 (しま

              づあつこ)と称し、篤姫(あつひめ)

              と呼ばれる。

 

 ■ 1853年   ● 1853年 8月、江戸幕府の老中

  (嘉永 6年)    首座・阿部正弘(まさひろ)と島津

              斉彬(なりあきら)の話し合いで、 

              篤姫(あつひめ)の輿入(こしい)れ

              が決まる(内定する)。

 

 ■ 1854年   ● 1854年3月、日米和親条約締結。 

  (嘉永 7年)     日本部分開国。 

             ● 1854年〜1855年に、幕府・老

              中首座の阿部正弘は、 欧米列強

              の米英露蘭と和親条約を締結する。

 

 ■ 1854年   ● 安政改元。    

  (安政 元年)    1854年11月27日に、和暦の「嘉

             永」(かえい)が、 「安政」  (あせん

             い、安政元年・1854年・11月27日

             〜安政7年・1860年・3月18日) 

             に改元される。 

 

 ■ 1856年   ● 1856年(安政3年)11月、篤姫 

  (安政 3年)    (あつひめ、近衛 敬子 (このえすみ

               こ、一橋派) が、江戸城・大奥に入

              る。 

 

 ■ 1856年   ● 1856年(安政3年)12月、薩摩

  (安政 3年)    藩出身の篤姫(近衛敬子) が、 

              家定(いえさだ)と婚礼 の式を挙

              げ、13代将軍・徳川家定(いえさ

              だ)の正室夫人となる。 

 

 ■ 1858年   ● 1858年(安政5年)6月、日米

  (安政 5年)    修好通商条約締結。 

             ●  安政の5カ国条約締結。

              1858年(安政5年)6月から9

                           月まで、江戸幕府・大老の井伊

              直弼(なおすけ)は、 勅許(ち

              ょっきょ)を得ず、 欧米列強の

              米蘭露英仏と不平等な「安政の

              5カ国条約」(修好通商条約)を

              締結する。 日本完全開国。

 

 ■ 1858年   ● 1858年(安政5年)12月、徳川

  (安政 5年)    家茂 (いえもち、 将軍在任:18

              58年〜1866年、 家斉の孫、紀

              州藩主・徳川慶福) が、 江戸幕

              府の第14代将軍となる。

             ● 家茂将軍時代、天璋院・篤姫(て

              んしょういん・あつひめ、家茂の義

              母) と、 家茂・生母の実成院(じ

              っせいいん)が、大奥の最高権力

              者となる。 

                御年寄の滝山が、大奥の監督 

              者(大奥の実務の実権をもつ人)

              となる。

             ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

                大奥ガイドブック。

 

 ■ 1860年   ● 万延改元。  

  (万延 元年)    1860年3月18日に、和暦の「安

               政」(あんせい)が、 「万延」(まん

               えん、万延元年・1860年・3月18

               日〜万延2年・1861年・2月19日) 

              に改元される。 

 

 ■ 1860年   ● 桜田門外の変。 

  (万延 元年)   1860年3月、江戸幕府の大老・

              井伊直弼(いいなおすけ)が、

              江戸城外で、殺害される。 

             ● これ以後、 江戸幕府は公武合体政

              策をすすめ、 尊皇攘夷派・急進派 

              と、 公武合体派・佐幕派 とが対立

              する (1960年頃〜1864年頃)。

 

 ■ 1861年   ● 文久改元。  

  (文久 元年)    1861年2月19日に、和暦の「万

              延」(まんえん)が、 「文久」  (ぶん

               きゅう、文久元年・1861年・2月19

               日〜文久4年・1864年・2月20日) 

              に改元される。 

 

 ■ 1862年   ● 1862年(文久2年)2月、江戸幕 

  (文久 2年)    府14代将軍・徳川家茂 と、 孝明

               天皇の妹・皇女・和宮の婚儀が為

               (な)される (公武合体の政策のた

              め)。

 

 ■ 1864年   ● 元治改元。  

  (元治 元年)    1864年2月20日に、和暦の「文

             久」(ぶんきゅう)が、 「元治」  (げ

             んじ、元治元年・1864年・2月20日

             〜元治2年・1865年・4月7日) に

             改元される。 

 

 ■ 1864年   ● 禁門の変(蛤御門の変)。

  (元治 元年)      1864年(元治元年)7月に、

              禁門の変 (きんもんのへん、蛤御

              門(はまぐりごもん)の変)が起こる。 

 

 ■ 1864年   ● 1864年(元治元年)8月、江戸

  (元治 元年)    幕府は、第1次長州征討 (1864

              年(元治元年)8月〜12月)を開始

              する。

 

 ■ 1864年   ● 1864年 (元治元年)11月、 長州

  (元治 元年)    藩は、江戸幕府に屈服し、幕府に

              対し恭順(きょうじゅん)の 態度を

              とる。 1864年(元治元年)12月

              に、幕府軍は、 引き揚げる。

 

 ■ 1864年   ● 功山寺(こうざんじ)挙兵。

  (元治 元年)       1864年(元治元年)12月

              15日に、長州藩で、高杉晋作(た

              かすぎしんさく)が、奇兵隊を率い

              て挙兵する。 

                その後、高杉晋作は、江戸

              幕府に恭順した長 州藩の保守派

              (俗論派)を退(しりぞ)け、長州藩

              の藩論を、討幕へ転換させる。

            ● これ以後、日本各地で、 尊皇

              (王)討幕派 と 公武合体派・

              佐幕派 とが対立する (1864

              年頃〜1866年頃)。

 

 ■ 1865年   ● 慶応改元。  

  (慶応 元年)      1865年4月7日に、和暦の

              「元治」(げんじ)が、「慶応」 (け

               いおう、慶応元年・1865年・4月

               7日〜慶応4年・1868年・9月8

              日) に改元される。 

 

 ■ 1866年   ● 薩長同盟成立。

  (慶応 2年)     1866年(慶応2年)1月に、薩

              長の反幕府政治・軍事同盟の密

              約が結ばれる。   

             ● これ以後、日本各地で、尊皇

              (王)討幕派 と 公議政体派・

              佐幕派 とが対立する (1866

              年頃〜1867年頃)。

 

 ■ 1866年   ● 1866年(慶応2年)6月、江戸幕

  (慶応 2年)    府は、長州藩に対し、第2次長州

              征討(1866年(慶応2年)6月〜

              7月)を開始する。

            ● 第2次長州征討で、坂本龍馬は、

              長州藩海軍を支援する。

 

 ■ 1866年   ● 1866年(慶応2年)7月に、江戸

  (慶応 2年)    幕府・14代将軍の徳川家茂(いえ

              もち)死去する(病死する)。 

                第2次長州征討は中止となり、 

              事実上、失敗し、江戸幕府は、権

              威を低下させる。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1866年   ● 1866年(慶応2年)12月に、

  (慶応 2年)    徳川 慶喜 (よしのぶ、将軍在任:

              1866年〜1867年、家康の子孫、

              9代水戸藩主・徳川斉昭の七男、

              一橋徳川家当主) が、 江戸幕府

              の第15代将軍となる。

            ● 徳川慶喜の大奥改革に、和宮と

              共に、天璋院・篤姫は、反対する。

            ● 慶喜の妻子は、大奥に入らず。

                慶喜将軍時代は、天璋院・篤

             姫(てんしょういん・あつひめ)と和

             宮(かずのみや)が、大奥の最高権

             力者となる。

 

 ■ 1867年   ● 1867年(慶応3年)に、大奥の

  (慶応 3年)    御年寄(おとしより、大奥上級幹

              部)の滝山が、大奥を去る。

                滝山は、 4代の将軍時代

              (家慶、家定、家茂、慶喜)の大

              奥で勤務して、3代将軍時代(家

              定、家茂、慶喜)の大奥の監督

              者(大奥の実務の実権をもつ人)

              であった。

            ● 滝山は、未婚のため、滝山側近

              の奥女中を幼女とし、その幼女

              の川口(現・埼玉県・川口市)の

              実家に退く。

                

 ■ 1867年   ● 大政奉還。

  (慶応 3年)      1867年(慶応3年)10月に、

              江戸幕府は、大政奉還(政権を朝

              廷へ返上)を行う。 

             ● 江戸幕府の大政奉還により、江

              戸幕府が、名目的に、終焉(しゅう

              えん)する。

 

 ■ 1868年   ● 江戸城・無血開城。

  (慶応 4年)      1868年(慶応4年)4月に、

              江戸幕府(徳川宗家)の本城(ほ

              んじょう、本拠地の城)の江戸城

              が、無血開城される。 討幕軍が、

              江戸城に入場する。

            ● 大奥法度は廃止となり、 江戸

              城の後宮の大奥は、江戸城・無

              血開城により、消滅する。

            ● TKKI カナヤマ著 江戸幕府  

               大奥ガイドブック。

 

 ■ 1868年   ● 明治改元。  

  (明治 元年)     1868年9月8日に、和暦の

             「慶応」(けいおう) が、「明治」 (め

              いじ、明治元年・1868年・9月8日

              〜明治45年・1912年・7月30日) 

             に改元される。 

 

 

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 『 あなたのハートには 

   何が残りましたか? 』。

 

 

以  上。