Web-Suopei  生きているうちに 謝罪と賠償を!

慰安婦の被害とは?

 「慰安婦」制度とは、日本軍が占領し駐屯した中国・東南アジアに大小の慰安所を設け、女性たちを日本軍兵士の性的慰安・性的奴隷とした制度のことです。中国においては、日中戦争が始まった翌年の1938年頃からこの「慰安所」が拡大しました。中国人「慰安婦」訴訟、海南島戦時性奴隷被害訴訟の原告等は村で平穏な生活を送っていましたが、駐屯地に連行・監禁され、日本兵に昼夜強姦されました。虐待も日常的に行われました。PTSD (心的外傷後ストレス障害)の症状が見られるなど、戦後も精神的苦痛が銃いています。のちに家庭をもってからも、子どもへの虐待を行うなど次世代にも影響が及んでいます。

 

 とくに山西省では日本軍による八路軍のせん滅作戦が行われ、みせしめとして女性たちにたいしての性暴力が多発します。山西省盂県の進圭村では、日本軍によって、近隣の村むらから駐屯地に少女たちが連行され、2週間から数月間、監禁されて性奴隷として兵士たちに強姦されました。

 李秀梅さん(原告の一人)は、15歳の時に日本軍駐屯地に強制的に連行され、5ヶ月間日本兵に強姦され続け、右目は殴られて失明し、やっと村に戻ると母親は悲嘆のあまり自殺してしまいました。彼女たちの心と身体は、戦後ずっと癒されてきませんでした。

 また日本軍は、海南島の女性を駐屯地や軍が設置した「慰安所」に監禁して強姦しました。原告の一人黄有良さんは14歳の時、日本兵が突然家にやってきて強姦され、駐屯地に連行されました。

 

李 秀梅さんの写真■被害者の証言  5ケ月間、日本兵に強姦され続けた 李 秀梅


 日本兵は震え泣き叫ぶ15歳の私を引きたてて、日本軍の駐屯地へ連れてゆき、洞穴式の住居に監禁しました。中にはすでに2人の女性が入れられていました。最初に赤ら顔の隊長と呼ばれる日本兵が来て私たちを強姦しました。その日から毎日のように、日本兵から強姦され続け、少しでも抵抗すると殴られたり蹴られたりしました。私はベルトで打たれたとき、バックルが右眼に当って失明しました。外に出られるのは、大小使用の桶の中身を捨てたり、水を汲むときだけでした。食物はとうもろこしや冷えた粟がゆなどで、無い日もありました。着るものは連れてこられたときのものだけで、強姦が続くときは服を身につける暇もありませんでした。ようやく釈放され村に帰りましたが、母は自殺していました。日本政府の心からの謝罪、苦痛への賠償を求めます。(聴取要旨)

 

■被害者の証言  郭喜翠

 郭喜翠さんは1927年、山西省西藩郷銅炉村で生まれました。郭さんの姉は最初の夫が日本兵に殺害されてしまったので、再婚し宋庄村に住んでいましたが、郭さんはここに同居し、子守や家事の手伝いをしていました。

 1942 年旧暦7月のある日、日本兵と清郷隊(地元の住民により組織された日本軍に協力した武装組織)が宋庄村にやってきました。郭さんの姉の夫が八路軍に協力する活動をしていたことが日本軍に密告され、郭さんと姉夫婦、子ども3人が進圭村の日本軍拠点に連行されました。姉の夫は日本軍の情報隊長によって、棒で何度も殴られるなどの拷問をうけました。その後別の場所に移され、日本軍によって殺害されてしまいました。

 郭さんは当時15歳で、両親が決めた許嫁がいましたが、まだ結婚しておらず、性体験はなく初潮もむかえていませんでした。しかし、その夜、郭さんは清郷隊員によって、日本軍の隊長のいる建物につれていかれました。隊長は郭さんの服をはぎとると二度強姦しました。郭さんは陰部から出血し、その夜は痛みと恐怖から眠ることができませんでした。姉と子どもたちは翌日解放されましたが、郭さんは引き続き監禁され、昼間は複数の日本兵と清郷隊員に輪姦され、夜から未明にかけては隊長などに強姦されました。時には日本兵に陰部を切断されたこともあり、そこは治療を受けることもできなかったため、化膿し、発熱し、浮腫が全身に広がったりしました。連行された半月後、郭さんは動くこともできないほど衰弱してしまいました。家族が銀50元を払ってようやく解放されました。家に帰っても寝たり起きたりという状態でした。一週間後、郭さんを最初に強姦した隊長が郭さんの家にやってきました。郭さんは家族のことを思い、再び進圭村に行きました。郭さんは最初に監禁された所に再び監禁され、強姦され続けました。合計郭さんは3回進圭村に行き、監禁、強姦、輪姦されました。

 郭さんは旧暦9月ごろ解放され、宋庄村に戻りましたが、郭さんが身体的にも精神的にも極度に衰弱していたため、銅炉村に住む母方の祖母にかくまってもらい、母がつききりで看病しました。

 5年後、郭さんは許嫁と結婚し、5人の子どもをもうけましたが、今でも戦時中の監禁・強姦などに起因すると思われる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状がみられます。

 

西野留美子さんの解説(1999年12月10日の講演)

 

精神科医・桑山紀彦さんの解説(1998年8月25日) 精神科医がみた「癒し」

Copyright © 中国人戦争被害者の要求を実現するネットワーク All Rights Reserved.