Web-Suopei  生きているうちに 謝罪と賠償を!

南京大虐殺の被害とは?

 1937年、日本軍は上海に上陸し、当時の中国の首都であった南京を目指して進軍しました。その途上で日本軍兵士は、虐殺、強姦、放火、略奪の限りを尽くしました。 同年12月1日、大本営による南京攻略命令に従い、日本軍の各部隊は競って南京に殺到し、同月13日には南京を占領。南京市内においても日本軍兵士は中国人捕虜や市民に対する虐殺、略奪、暴行、放火、強姦を繰り返しました。これら一連の事件を「南京大虐殺」と呼んでいます。

 

李 秀英さんの写真■被害者の証言

日本兵に銃剣でめった斬りにされ、九死に一生を得ましたが、お腹の子を流産しました。

                                                李 秀英


 私は18歳で結婚し、妊娠していた時、日本軍が南京に入って来ました。難民区にあるアメリカ人の学校の地下室に60〜70人ほどの人たちと避難していましたが、日本兵が地下室に入って来ました。私は、父から日本兵によって女性が強姦されていることを聞いていましたので、死んでもはずかしめは受けまいと頭をコンクリートの壁に打ちつけて気絶し、幸いその場は助かりました。ある日の午後、日本兵の一人が私の服を脱がせようとしました。相手のすきを見て、私はその兵の銃剣を抜きとり立ち上がりました。日本兵たちが駆けつけ、私の顔や体をめった斬りにしました。37箇所もの傷を負った私は気が付いた時は病院で、危うく命をとりとめましたが死産でした。私の歯は義歯となり、右頬の傷跡はいまも雨が降ると痛みます。日本政府は反省し、賠償すべきだと思います。(聴取要旨)

 

 >>李秀英さんの被害詳細(裁判所の認定事実)

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