「海南島に来て、実際におばあさんに会って、戦跡を見学して、考え方、感じ方が変わりましたか」
そう聞かれた。聞いたその本人は、わたしが「変わった」と答えることを期待していたのだろう、きっと。
海南島戦時性暴力被害訴訟の弁護団が2006年2月26日〜3月2日にかけて海南島を訪問した際、ハイナンNETからも数名、同行することができた。冒頭の質問は、今回の弁護団の海南島訪問を取材していたCCTV(中央電子台)の人から投げかけられた言葉だ。
被害を受けたおばあさんたちが、その記憶を抱えていまも生きているのだということを実感したこと。日本軍がここまでやってきて、村を占領し、家を焼き、物を奪い、人びとを殺していたのだ、ということを実感したこと。そして、そのことをふまえて、いまなお、苦しんでいる人がいるというときに、日本政府が知らぬ存ぜぬを決め込んでいることへの怒りを新たにしたこと、そういうふうに考え方、感じ方が変わりました、と答えることを期待していたのだろうか。
陳亜扁さん、林亜金さん、譚亜洞さんのお宅を訪問し、お会いして、そして占領を記念した日本軍が彫った石碑、「慰安所」として使われていた建物、日本軍兵営跡、などを見学して、気持ちが変わったのです、と言うことは容易い、かもしれない。だけれども、そこへ至る過程は、もう少し複雑なのではないかしら、そう思ってしまう。
考え方、感じ方が「普通の日本人/歴史に向き合おうとしない日本人」とは違う、と言うことは、免罪符」にはなりえないし、「あたしは違うんだ」と居直ることは尚更たちが悪い。もちろん、行かなければ分からないことは、たくさんあるのだろうし、現に今回の訪問で、学んだことはたくさんある。これからの課題も私なりに見えてきた。行くことができて、本当によかった、と思う。それでも、どのような形で行くにしても、一学生が、アルバイトをして貯めたお金で旅行をできる(そして「帰る場」がある)、ということ自体、立ち止まり、考えざるをえない点のはずなのだろう、そうも思ってしまうのだ。ここまで含めて、やっと、上のように考え方、感じ方が変わりました、と答えられるのかもしれない。(2006年6月)