Eddi Reader Biography 

[Fairground Attraction解散後] [Mirmama発表] [Eddi Reader発表] [Candyfloss and Medicine発表] [Angels & Electricity発表]

 

 Eddi ReaderことSadenia Readerはイギリスはグラスゴーで '59の8月29日に7人兄弟の長女として生まれた。'90に名盤 Cakeでデビューしたネオアコバンド、Trash Can Sinatrasのメンバー、Francis Reader(Frank Reader, Frank Readと表記されることも)は実弟である。

 子供の頃彼女にとって音楽は恐怖から逃れる手段だったらしい。ことあるごとに音楽により空想に耽り、気持ちを楽にしていた。この体験が転じて「他の人を私の音楽で癒すことができれば」という思うようになり、後に歌の世界に入っていくことになる。音楽の世界に入る前はElla FitzgeraldやBillie Holiday, Judy Garlandが好きだったらしい。

 18歳の頃からグラスゴーでストリートミュージシャンとして活動し、'80頃にはサーカス団とヨーロッパを旅しながらバスキングを行うようになる。'83にはロンドンに出てセッション・ヴォーカリストとして活動し、Gang of FourやAlison Moyet, Eurythmics, Waterboysのバックでレコーディングやツアーに参加するなどしていた。Alison Moyetとのツアーではバックアップシンガーとして来日もしている。

 '84にはMark E. Nevinと出会い短期間活動を共にする。その後暫くは別々に活動をするが、'87にはMark, Simon Edwards, Roy DoddsとともにFairground Attractionを結成(→Fairground Attractionとしての活動は別サイト、remembering...Fairground Attraction参照)。

 Fairground Attraction解散後はフェスティバルへの単発の参加やテレビドラマYour Cheatin' Heartでの女優としての出演などはあったようだが、暫くの間はグループ解散のショックと育児のため、親元のアイルランドで音楽から離れた生活を送る。セカンドアルバムを発表する頃まではセラピーにも通っていたらしい(*1)。しかし元同僚のRoy Doddsの親身なサポートで再び音楽活動を行うことを決意するようになり、'91にはコンピレーション盤、The Tree and the Bird and the Fish and the Bell にソロ名義としては初となるThe Glasgow Barrowlandsを提供する。ちなみに後に活動を共にすることになるBoo Hewerdine とはこの頃行われたレコーディングセッション中に出会い、'91にはBoo Hewerdineプロデュースのアルバム(Laurie FreeloveのSmells Like Truth)にEddiが参加したりもしている。

 その後ロンドンに戻り、Roy Doddsの他にNeil & Calum MacColl, Phil Steriopoulosを加え、The Patron Saints of Imperfectionを結成しアルバムのレコーディングに入る。ソロとしての記念すべきデビュー作は、'92にまず日本において「エディ・リーダー」というセルフタイトルで、本国イギリスでは少し遅れてEddi Reader with the Patron Saints of Imperfection名義で、Fairground Attractionとの契約が残っていたRCAから"Mirmama"として発表された(後にアメリカでも発売)。ここからは先行シングルAll or Nothing の他にHoneychild, What You Do with What You've Got がシングルカットされた。'92の4月にはプロモ来日(このときのインタビューはこちら)、そして6月にはLiberty Horsesの2人を前座として(二人ともバンドのメンバーでもあった)ソロとして初の来日公演も行った。しかしセールス的には振るわなかったこともあってRCAとの契約はこれで終了し、Eddiはワーナー傘下のBlanco Y Negroに移籍する。

 '93にはBoo Hewerdineと、彼を通して知り合ったと思われるClive Gregsonと共演した3曲入りシングル、Wonderful Lie をBooのレーベル、Haven Recordsから発表。現在まで続くBoo Hewerdineとのコラボレーションの出発点となる。また同時期にはRichard ThompsonのトリビュートアルバムThe World is A Wonderful Place に3人の共演によるDimming of the Dayも提供している。Eddi, Boo, Cliveの3人に元Everything But the GirlのドラマーRob Petersを加えてイギリス国内ではツアーも行った。

 レーベルを変わっての第一作、Eddi Reader はイギリスでは'94 の6月(日本では7月)に発表された。プロデューサーにk.d.Langなどを手掛けたGreg Pennyを迎えたこのアルバムではBoo Hewerdineと共作した他にMark E. Nevin提供の曲も収められ、Eddiの新たなる出発にふさわしい華のある内容となった。Greg Pennyが連れてきたというTeddy Borowieckiはこの後Eddiの音楽に欠かせない存在となっていく。イギリスでファーストシングルとしてリリースされたPatience of Angels(この他にJoke, Dear John がシングルカットされた)は20位台を記録する、ソロとなって初めてのヒットとなり、アルバムも初登場で4位となるヒットを記録。そしてEddiは翌'95のBrits AwardsでBest British Female Artist賞を受賞した。'94の9月には来日公演も行い、タワーレコード新宿店でインストア・ライブを行うという嬉しい驚きもあった。この頃には、Eddiを含むFairground Attractionの4人がBrian Kennedyのライブで揃って、(全員一緒ではないが)数曲演奏したこともあったらしい。

 3作目は曲作りはBoo Hewerdine, Teddy Borowieckiと共にロンドンの自宅で、レコーディングはチェルシーのスネイク・ランチ・スタジオで行われた。'96年6月、アルバムに先行してリリースされたシングルTown Without Pity は前作からの大幅な変化を予想させる、今までにないタイプの曲であったが、その後7月にリリースされたアルバム、Candyfloss & Medicine は前2作の要素を残しつつもストリングスをふんだんに取り入れ、歌詞、歌唱の点でも今まで以上の成熟を感じさせる内容であった。全英最高24位を記録したこのアルバムからはTown Without Pity の他Medicine がシングルカットされ、10月には日本にもツアーで訪れた。アメリカでもこのアルバムは'97にRepriseから曲順、曲目を変更して発売された。

 第4作、Angels & Elecrtricity は'98年5月にイギリスで、日本では6月に発売された。前作よりもわかりやすく、ストリングスなどの使用を抑えてアコースティック感溢れるこのアルバムは、今までのEddiの音楽の集大成と言えるもので、バラエティに富んだ内容となった。イギリスではこのアルバムからシングルカットはされなかったが、日本ではニュース番組に使われたPrayer Wheel がシングル・カットされた。イギリス国内のツアーに続いて10月には来日し4公演を行ったが、残念なことにその後まもなくEddiはBlanco Y Negroとの契約を切られてしまう。しかしアメリカでは'99の3月になってCompassからアルバムがリリースされ、同時期に新作を発表した、CompassでのレーベルメイトでもあるBoo Hewerdine, Clive Gregsonと共にアメリカでミニツアーを行った。このころ、Eddi, Boo, Cliveの3人は、ナッシュビルにあるCliveの自宅で、アルバム1枚分のレコーディングしたと後にCliveが語っている(The Girl Who Fell in Love with the Moonシングルに収録されたYou Don't Know Me、Driftwoodに収録されたSarasotaはその時に録音されたと思われる)。

'99〜'00にかけては、イギリス国内の小規模なツアー、Fleadh, Cambridge Folk Festival(見に行きました、レポートはこちら)などのフェスティバルや、いくつかのチャリティライブへ参加したほか、Big CountryやDavid Hughes, Savourna Stevensonといったところのアルバムに参加したりしている。年末に近くなって第5作Simple Soulのリリースが発表され、まずアメリカでCompassから1/9に、イギリスではRough Tradeから1/29に、日本ではユニバーサル・インターナショナルから1/25に発売された。約2年半ぶりの新作となったこのアルバムで、Eddiはこれまでよりもリラックスした、まったく力みのない歌を聴かせており、新境地に達したことを感じさせてくれた。アルバム発表に伴って、イギリスでは1月下旬からツアーを行い、その後アメリカを回った後、3月中旬に待望の来日を果たし、4公演が行われた。このツアーの東京公演は、ピーター・バラカン氏の担当するテレビ番組Peter Barakan Showにより録画され、その後同番組で2回に分けてインタビューとともに放送された。またイギリスツアーにおいてロンドン公演が録音・録画され、そのときの演奏がVirtueTVによりビデオで公開され、また「オフィシャル・ブートレッグ」としてCD化された。来日にやや遅れて、Angels & Electricityまでをまとめたベストアルバムも発売された。

来日公演後、Eddiは再度イギリスをツアーした後、Hothouse Flowersの前座としてアメリカを回ったり(後にSings the Songs of Robert Burnsに収録されるWild Mountainsideがここで初めてお披露目されている)、カナダのフェスティバルに参加している。秋にはまたイギリス国内をツアーで回っているが、Simple Soulリリース前からその存在が明らかになっていた、Simple Soulと同時期に録音されていたDriftwoodが、このツアーの会場で発売開始されている。その後Driftwoodが日本でのみ店頭発売されるのが決まったことを受け、11月には翌'02年の3月に来日公演が行われることが決定、日本では'01年の来日公演からの5曲がボーナストラックとして加えられて1/23に発売された。オーストラリアを回った後、3月の中旬に2年連続の来日を果たし、東京2公演、大阪1公演が行われた。このツアーはEddi, Boo Hewerdine, Colin Reidの3人だけによるアコースティックセットで、イギリスではこれまでたびたび行われて来た形態ではあったが、日本では初めてということもあって、これまでのどのツアーにもまして、素晴らしいツアーであった。日本公演の後は、イギリス国内のほか、初のスペイン公演やアイルランド公演を行い、年末の12/23には地元グラスゴーでクリスマスライブを行って'02年を締めくくった。

'03年は、年が明けて間もなく開催されたCeltic Connectionsへの出演で始まった。ここでThe Royal Scottish National Orchestraをバックにスコットランドの伝説的詩人Robert Burnsの曲を披露し、その後、予告されていたようにオーケストラとともにスタジオに入って、Robert Burnsの曲を集めたアルバムのレコーディングを行った。イギリスでは5/12にSings the Songs of Robert Burnsとしてリリースされたのアルバムの発売に数日先立って、イギリスではツアーが行われ、このうちの4公演が「オフィシャル・ブートレッグ」として発売された。8月に入ってようやく日本でもSings the Songs of Robert Burnsの発売が決まり(日本での発売元はビクターエンタテインメントに変更され、9/21発売予定)、来日公演の決定が待たれる。

Originally written: Mar. 5, '00
Last updated: Aug.24. '03

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