”日々の澱に震えて、E.リーダーへの投函しなかった恋文”
− 精一杯絞り出された「癒し」の声−。エディ・リーダーの張りつめた表現地層に省みる我が身


 カート・コバーンのローマ昏睡事件を聞いた時、ああ、この人は安定を罪だと思ってるな、可哀想だなあと思った。彼の場合はすごく極端なとこまで行ってしまったけど、そこまで行かなくても、安定を居心地悪く感じる人は多いと思う。私も実はそういう人なのだ。安定が心地好くないなら、ハナっからそんなもの求めなきゃいいのだけれど、 やはりどうしても追いかけてしまう。どこにいたって居心地悪く、いつも他のところ−ゴロンとねころんだ形をそのままふんわりと受け止めてくれるようなところ−を探してばかり、いつもいつも…

 毎日の行いなんか所詮そんなふうで、報われようのないバラバラなものと諦めてしまえば楽だが、「きっと何処かにもっと心地好いところがあって、この一歩はそこにたどり着くためのもの」と美しくつじつまのあった幻想を温めながら辛い思いをして生きてる人もいる。 そういう無垢な人を見ると、何か気の毒な思いがしたり、でも、もう一方で私は、自分がとても醜く枯れてしまったような気になり、悲しくなる。もう、そういう素朴さは戻ってこないんだろうな。

 「曲を書き、唄いながら音楽を楽しみたいだけ」という素朴な想いでスコットランドの田舎からロンドンに出てきたシンガーが、そこで思いがけない大ヒットを打ち出した。 すべてが順調に見えたこの時から、彼女の中の葛藤が始まっていた。−好きな音楽をやることで自分が傷付き、崩壊していく−。音楽は彼女にとって両刃の剣となってしまっていた。

 フェアグラウンド・アトラクションの何か釈然としない解散劇から約5年。2枚目のソロアルバム『天使の嘆息』をリリースしたエディ・リーダーはインタヴューに対して極めて肯定的、前向きで整理された言葉で答えてくれた。でも、受話器を通して耳に届くその声はおどおどと震え、なんども口ごもり、 時折過剰に熱く語られる言葉の裏には、社会で、業界で、そして自分自身の内面でもままならない”自分”の存在に対する居心地の悪さにもがき苦しむ女性の姿があまりに鮮明に浮かび上がってしまった。失敗を含めた過去の道程のすべてが今の自分のためになっていると、自分に言いきかせるようにくり返される肯定の言葉の数々はそのまま、彼女自身の心細さを示していた。

●ソロ1作目から2年半たっていますが、何してたんです?
「2人目の子供を産んで、その子にかかりっきり。仕事の方もレコード会社を変わったり、曲を書いたり、 今度のアルバムのスタッフたちと出会ったり……色々」

●今回のスタッフはkdラングのアルバムを手がけた人達ですよね。
「ええ、偶然にね。プロデューサーのグレッグ・ペニーは私が選んだの。 あとのミュージシャンは彼のお陰でついてきたわ。キーボードのテディ・バロウィッキ−はジェーン・シベリーの『バウンド・バイ・ザ・ビューティー』に参加してた人で、このアルバムは私1年ずっと聴き続けたくらい大好きなものだったの。彼の演奏は美しくて独創的で、私も負けないように精一杯歌わなくちゃと思ったわ。 ベースのデビッド・ペルチはこれまた大好きなメアリー・マーガレット・オハラの『ミス・アメリカ』でプレーしてた人。あんなに素晴らしいアルバムに参加してた人たちとレコーディングできるなんてとても光栄だったわ」

●フェアグラウンド・アトラクションのマーク・E・ネヴィンも参加してますよね。
「あ……ええ(口ごもる)、関係改善と言うか……、あ、 この言葉が適切かどうかわからないけど……、フェアグラウンド・アトラクションの解散はとてもショッキングな事件だったのよ……」

●イヤなこと思い出させちゃいました……ごめんなさい。
「いいえ、いいのよ(笑)。でも……バンドは私にとって家族みたいなものだったから、彼らが去っていったのはすごく辛いことだったわ……。一人ぼっちにされたような気になって、精神的に追い込まれてしまったの。 そんな時マークは父親みたいに優しくしてくれたわ。食事したり飲み行ったり、彼の家族と一緒にピクニックに行ったり……それで、彼の曲をまた歌ってみようってことになったの」

●今作をフェアグラウンドの復活と言う人もいると思いますけど、どうです?
「彼も私も変化してるんだけど、他人がそういうなら受け入れなくちゃね。 確かにマークの曲は懐かしい場所に帰ってきたって感じで歌えたんだし」

●マークの曲”ライト・プレイス”は、困難を経てやっといるべき場所を見つけたという女性の気持ちを歌っていますが、これはあなたの心境ですか?
「そうね。20代の頃はすごくナイーブで、人生の落とし穴に気づいてなかったわ。 歌を歌うというエゴを通すために家庭や仕事でトラブルが続いてずっと苦しかったけど、ライト・プレイスにたどりついた今わかるの、私が歩んできた道程の一歩一歩がすべて自分のためだったんだって……」

●アーティストとして女性から何か期待を背負ってるという感じはありますか。
「期待というか……自然と関心は持たれるでしょうね。私に何かメッセージが言えるとすれば、ペチャパイだって太ってたって、痩せてたって、愚かだって、とにかく自分に誇りを持ってっていうこと。 失敗したって、ムチャしたって、ステージの床を転がったっていいのよ。男性と同じようにね。だから若い女の子が私を見て『彼女があれで平気なんだから私だってこれでいいんだわ』って思ってくれると嬉しいわ」

●このアルバムを「疎外感を持ち、不安な気持ちでいる人たちへの贈り物」と言ってたのはそういうことだったんですね。
「ええ、私も疎外感に悩まされてたことがあるわ。 いろいろなことが一度に起きて……それに耐え切れずバラバラになってしまったの。世界を相手に一人ぼっちでいるような気がして、他人と話していても自分が……あ、愚かに感じられて、会話もできなくなって、外出もできず、食事さえ作れない状態で、子供の泣き声を聞いても何もできなかった……」

●辛いことを思い出させてしまいました……。
「あ、いいえ、大丈夫よ。続けて」

●今はそんな状態からは抜け出したんですね。
「ええ、長い時間かかったけど、セラピーに通ってもう完璧に自分自身に戻れたわ。音楽がなかったらもっとひどい状態になってたんじゃないかって考えると、 私にとっては音楽が贈り物だったんだなって思うわ。私と同じように感じている人がいたら、『大丈夫よ、私もあなたと同じ経験をしたの。あなただけじゃないの』と言ってあげたい」

●グランジに共感できると言っていたことがありましたが、そういう辛い経験が影響しているんでしょうか。
「どうかしら……。今作にも怒りのこもった曲をいくつか入れたつもりだけど、でも、あまり効果はなかったわ。 表現の方法が間違っていたみたいで、自分自身の感情が収まっただけで聞き返しても意味はなかったの。ニルヴァーナやREMのように怒りを表現しても居心地が悪くならなければいいんだけど……」

●時々怒ることありますか。 
「怒っても何にも生まれないし、絶望的になるだけだからあまり怒らないようにしてたんだけど、怒ることも必要だってセラピストに言われて 、今は怒る訓練をしてるわ(笑)。母親になるのも、女性になるのも訓練が必要なのよ」

●真面目ですねぇ。
「真面目!そんなことないわ(笑)。いつも誠実でありたいとは思ってるけど」

●”天使の嘆息”のビデオ・クリップ見たんですが、メディア嫌いのあなたが天使の格好で吊されてるんで驚きましたが。
『ああ、あれ!あれはジョーク(笑)。監督のアイデアなのよ。ホントはヴィム・ヴェンダースの映画みたいなボロボロでタバコ吸ってるような天使をやりたかったんだけど、他人のアドバイスを取り入れてああなったの。 悪くなかったわ。作品が自分の手を離れてしまうこともあるけど、仕方ないのよね」

●メディアを利用してやろうとか思ってません?
「あー、というよりも……メディアに対して自分をさらす勇気が持てるようになったというのかしら……。それから愚かであることを恐れなくなった。 今はとにかくたくさんの人に私の歌を聴いてもらって、女性ボーカルとして認めてもらいたいの。ず−っと歌い続けていたいから」

●9月には来日ですよね。
「ええ、楽しみだわ」

●で、マ−クも来るんですか。
「いいえ、フェアグラウンドの曲はいくつかやるつもりだけど、ソングライターと一緒にステージに上がるなんて、トイレの中まで見られてるみたいで全然ダメなの。 でも、こういうところも直していかなくちゃね(笑)」

「私はやっとあるべき場所へたどりついた」と唄う彼女の声を聴いて、エディ・リーダーの表舞台復帰を一度は確信した私だったが、現実はそんなに甘いものではなかったらしい。どうやらソロ活動を始めた頃から続いているセラピー通いは、仕事と家庭の両立というありきたりの困難にはまり込んでしまった彼女の弱さの悲しくもわかりやすい結末のようだった。 自分の弱さ、バランスの悪さを無意識のうちに隠そうとする彼女の言葉を聞いていたら、−弱くてもいいんである。フラフラしてもいいんである。私たちが望むのは迷いなく先頭を突き進む水先案内人なんかではなく、私たちと同じように行き先を見失い、悩み苦しんでいるあなたなのです−と言いたくなってしまった。とっちらかってしまった”自分”をけなげに繋ぎ合わせようとする彼女の姿勢は私自身の報われない毎日のつじつま合わせにまた少しだけ勇気を与えてくれるような気がした。

筆者: 橋中佐和

from rockin' on '94/9号

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