8月28日(土)第九回登校拒否・不登校問題全国のつどい 
 記念講演 子どもたちの未来と日本の教育改革ー私たちの「人間的な自立」をめざしてー
                名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授 植田健男さん
 今日の教育改革は真に教育改革たり得ているか。誰の都合で変えているのか。子どもたちのことを考えて出てきているように思えない。政治・財界からの「新しい社会」の担い手としての「新たなエリート」の創出。少数の「創造的なエリート」と大多数の「流動的な労働者」という構図。エリート・高等専門技術者(3割)養成のためにはお金をかけるが柔軟活用型の人材(7割)にはお金をかけない。スリム化するということはいいイメージが先行するが、実は切り捨てるということ。教育とは子どものみのものでもなく、教師の一人の実践でもなく、子どもの自立と親の自立、人間的な自立。自分の体の主人公になること。
 午後は分科会に参加。地元和歌山の方が多かったが各地から参加されていた。経験者はみな似たような経験をしているので、お話しをお聞きするだけで状況が手にとるようにわかり、共感した。子どもが不登校したことをきっかけに多くの出会いが生まれたのは私だけではないことを実感した。(ユキ)


    8月27日(金)親子関係の悩みについての話&子どもの権利条約批准10周年記念シンポジウム 
 午前中のゆうスペースで、学校で起きた子どものトラブルの対処方法について親はどう関わったらいいのかという話が出た。たいていの場合は子ども自身が文句を言いつつも解決するでしょう。しかし、子どもの人権に関わることで子ども自身の解決力の許容を超えると思われる場合、親は悩みます。こんな時、相談できるところがあれば助かると言う話になった。そこで京都ならば、「京都弁護士会 子どもの権利110番」tel 075-231-2335がある。迷ったらとりあえず相談してみると、よいのではないだろうか(以前、不登校講座でここの弁護士さんの話を聞いた。子どもの立場に立って話を聞いてくださる感じがした)。(コーヒーカップ)

「進行する子どもの選別、監視、切捨てにどう立ち向かうか」
      ――教育基本法「改正」と青少年育成施策大綱を考える――
 あんだんてがお世話になっているA弁護士から案内をいただいていたので、日本弁護士会主催のシンポジウムに行ってきた。「青少年育成施策大綱」がちょうど新聞で発表されたばかりで、子どもたちにとってますます息苦しい世の中になっていくような危惧を感じていたので、ちょうど時宜を得たシンポジウムだった。
 子どもの権利委員会が日本の子どもたちがおかれている現状を適確に把握し、勧告しているのに感心した。でも、それを政府が実施するかどうかは、市民の監視が必要なんだそうだ。権利意識の薄弱な一市民の私としては理想と現実のギャップにため息が出るような思いだ。
(詳細はあんだんてレポートへ)  (フェルマータ)


    8月25日(水)イベントを終えて。。。 
 スタッフとして名前を入れてもらってまだ数ヶ月というのに、1周年の記念イベントに参加できて、今までのことを振り返るいい機会になりました。パネリストのみなさん、きてくださった皆さん、ありがとうございました。人の前に立つというのは本当に勇気が要りますよね。
 さて、今日は朝からイベントで記入いただいたアンケートの集計をしたり感想を言い合ったりしていると、自分自身の最初の頃の戸惑いを思い出す、不安な時期に同じような人の話を聞くだけでもホット一息つけるのに、ましてや本人が話してくれるというのはきっと安心を感じられた方が多かったのではないかしらん。
 家の息子もゲームを10時間近くやり続けていた時期は脳の壊れていく音が聞こえそうで、恐かった。止めて欲しかった。でも他にする事がない・・・という事実、不安から逃れるための手段・・・。認めるしかないですよね・・。私が見なくてすむ様に努力したことやなんかがよみがえってきます。
 途中でイベントの時に買いそびれたのでと冊子を購入する為事務所を訪れてくれた会員さん、他のスタッフも続々と事務所に・・・とてもにぎやかな1日でした。(小梅)


    8月24日(火)児童虐待事例研究会 
 京都弁護士会子どもの権利委員会より研究会のお知らせをいただき参加した。(ユキ)
詳しくはあんだんてレポートへ


    8月21日(土)あんだんて一周年記念イベント 
 あんだんて一周年記念イベント「不登校経験者シンポジウム 今だから言えること」のイベントがあった。暑さの厳しい中で、50名ほどの方が参加してくださった。やはりお母さんの参加が目立ったが、お孫さんを心配してと思われるおばあさんや、小さな子どもさんを連れた方、ご夫婦で参加された方などもおられた。
 パネラーは不登校を経験した4人の若者(男性2人・女性2人)。私はまだ子どもが小さいので、前に並んだ若者達の姿がとても立派に見えた。若々しくて、おしゃれで・・。「なんだ、全然普通の若者と変わりないじゃない。」考えてみれば当たり前のことなのだけど、黙っていれば不登校だったのかどうかもわからない。学校へ行かなくても、こんなふうにちゃんと育つんだ。単純な私は、もうそれだけで安心した。
その上、彼らの話を聞いている内に、不登校をした方が普通に学校へ行くよりも、もしかしたらずっとしっかりとした人間に育つのではないか、とさえ思えてきた。彼らは実によく考える。まじめで思慮深く、意志がしっかりしていて。それでいて、人の気持ちや考えも柔軟に受け入れることが出来る。親を責めるような発言は一言もなく、ある青年は「親の人はもうそんなに自分の責任を感じないでください。もう充分悩まれたのではないですか」とまで言ってくれた。本当に優しいなあ。
彼らの不登校時代の様子をお聞きすると、昼夜逆転していたり、ゲームにのめり込んでいたり、外出できなかったり、勉強に全く手がつかなかったり・・と今現在不登校をしている子どもたちの様子と全く変わりなかったらしい。でも今は、それぞれに自分らしい夢や目標を見つけて前向きに動いていらっしゃる。「彼らは特別良くできた子どもたちなのでは…?」とちょっとひがみたくなる私だが、それでも、不登校をしていてもこうして普通に、いやそれ以上に立派に育つのだという事実は、今我が子の不登校で悩んでいる親御さんにとってはやはり希望がもてたのではないでしょうか。私はとっても心が軽くなったし、私の子どもたちも、こんな風に自分らしい生き方を見つけて欲しいなあと思った。
 人前で自分のことを話すって、とても勇気のいることだと思う。パネラー役を引き受けてくださった方々に、改めてお礼を言いたい。ありがとう!!
 それから、彼らの立派な姿の後ろには、ずっと側にいて支えてきた親や家族の存在も忘れてはならないと思う。親御さんもここに来るまでには辛い時期があったことでしょうね。本当にご苦労さまでした。
 不登校は、学校へ行くか行かないかという現象から始まるけど、その問題が解決するとき、不登校という長い暗いトンネルから抜け出るとき、それはもう違う問題に置き換わっているではないかな。自分はどう生きるのか。どんな価値観をもって歩いていくのか。人間として誰もが、一度は深く考えなくてはならない課題。学校へ行きながら、何となく自分なりの答えを見つけることが出来る人も多いけど、不登校をしている子どもたちは、今その課題に深くじっくりと向き合っているのではないかしら。私はどうかな?こんな歳になってしまったけれど、今もう一度考え直してみるのもいいかもね。(ラスカル)  詳しくはあんだんてレポートへ(準備中)


    8月20日(金)父親を支えるのは 
 いよいよ明日はイベント。さくら、花、ユキと4人で準備をしていると、たびたび参加申し込みの電話がかかってくる。19日に読売新聞に情報を出してもらえたので、初めての方がお問合せくださる。小学生の子どもづれでも参加できますか?という方もあり、子ども次第でいけるかどうか・・・という方も。なかなか出にくい事情でも参加したいというお気持ちに切実さを感じる。明日のイベントがそんな期待に沿えるようなものになるかどうか、ちょっと不安。でも、パネラーの人たちがしっかり語ってくれるだろう、と心強い気もしている。
 午後からCocoが来てくれた。字のきれいな彼女を待ち構えて、大きな張り紙にイベント名を書いてもらった。
 3時ごろ久しぶりに技連校の先生が秋の学校説明会の件で来られた。4月から心機一転して頑張って通学するつもりで入ったけれど、まだしんどさを抱えている子どもさんも多い。出て来れなくなった生徒の家庭訪問、親御さんとの連絡、子どもの気持ちを理解しようとあんだんてにも足をはこんでくださっていた。そんな子どもの気持ちに沿っていくサポートが功を奏しているようだ。その中でも、お父さんとの面談が印象的だった。
 一般的に言って、母親は親の会や良い支援者につながれば、子どもの気持ちも理解できるようになり、対応の仕方もわかってくるけれど、父親は仕事先でも友だちにも相談できず、家ではよく分からないのに「そっとしといてやって。」「なんにも言わんとって」と妻から口止めされたりする。毎日社会の厳しさに直面している父親にとっては、毎日家でごろごろしているようにしか見えない子どもを認めることは至難であるのも理解できる。見かねて「そんなことでどうする!」と叱れば、子どもはますます具合わるくなり、妻からは非難される。ある時期、母親以上に孤独を感じているかもしれない。そんな時、同性どうしとして男性教師がお父さんと面談して、父親としての思いを十分聴いてくださり、また子どもの状態を理解できるように話してくださったり、これから学校と家庭でどのように連携していくかを話してくださったら、どんなにかほっと落ち着かれることだろう。思春期の男の子(特に15,6歳以降)にとって父親の存在は親が思っている以上に大きい。男性教師の役割は、そんなところにもあると感じた。もちろん、女性教師もお父さんにアプローチしてくださるとずい分子どもへのプレッシャーが軽減されると思う。(フェルマータ) 


    8月18日(水)お盆休みも終わって 
 先週はお盆休みをいただいた。その間、フェルマータが留守電をチェックしてくれたり、ユキと3人で通信の追加印刷をして事務所に寄ったりしていたが、一周年イベントの参加者がまだ少ない。読売新聞への掲載もお願いしたが、まだ反応がない。と思っているところに、読売新聞から問い合わせの電話があった。簡単にではあるけれど、掲載していただけるようだ。いろんな形で多くの人の目に触れて、参加者が増えればうれしい。
 そうこうしているうちに、電話が立て続けになり始めた。パザパの問い合せもあったが、ほとんどがイベントの参加申し込みだ。新聞でご覧になった方、HPを見てくださった方はもちろんだか、親の会や親しくしている小児科医の先生の紹介という方も多い。私たちのネットワーク広がりを身をもって感じる。結局今日だけで20名くらいの申し込みがあった。
 また午後からはパザパの購入のためにわざわざ事務所に来てくださる方も。子どもさんが不登校になられてから、いいカウンセラーに出会われていい支援を受けてこられているようだが、それでも不安は募るのだろう。「少し先を歩いている方の姿を見たり、話を聞くとホッとします。来てよかった」と言ってくださりうれしかった。これは今度のイベントの大きな目的の一つでもある。参加してくださるようお誘いしたが、日程が合わないようで残念だ。同じように参加したくても、日程の都合などで参加できない方も多いと思う。当日の様子は記録して、何らかの形でお伝えできればと思っている。
 しかしまあ、1週間ぶりに会うスタッフの口は動く、動く(笑)。この忙しい中、お盆休みの間にあったことを報告し、グチりあう。これも私たちのエネルギー源だね。(さくら) 


    8月8日(日)SSWしが研究会 
 SSWしがの研究会は、毎回さまざまな立場で子どもを支援している方が、現場の報告とともに意見を聞かせてもらえるので、いつも目を開かれる思いがする。 今回は、ある困難校の高校の先生が学校の様子を報告してくださった。何年も前から、高校のランク付けはできあがっていて、困難校と言われる高校に入ると、入った当初から子ども本人も、親も、教師さえもはずかしいという気持ちを持っている。学校の格差に社会の階層の格差が如実にあらわれており、経済的に困窮し、授業料が払えない家庭がクラスに何人かいる。一方、進学校には経済的にめぐまれた家庭が多い。
 小、中学校から学力がついていないのに、放って置かれた子どもたちが、だんだん年齢が高くなるにつれてじっと席に座って辛抱しなくなってきており、高校では授業時間中におしゃべりしたりうろうろしたり、・・・教室から出て行くように言うと、廊下をうろうろ、違うクラスの教室に入り込んだり。トイレがたまり場になり、そこでお弁当をたべたりもするらしい。ちゃんと1時間すわっていられないので、授業が成立しないそうだ。
 先生たちは、問題を起こす生徒の対応に追われて、長期的にどうしていかなければならないか考えたり、話し合う余裕もない。管理職は2年交代で転勤になるので、問題に展望を持って取り組んでいこうとする人がだれもいない。 わからない授業を1日辛抱して椅子に座っているというのは、相当修練のいることだろうと同情してしまった。
 そういう子どもたちは、学校でも家でも居場所がなく、学校を中退してもバイクでやってきて、まわりをうろうろしている。最初は先生に罵声をあびせたりするが、気心が知れてくるとかまって欲しい気持ちがつよい。ほめられると、すごく喜んでがんばったりするので、かわいいとおっしゃっていた。
 一般的に高校が大学進学のステップとしてしか機能していない以上、この子達に本当に必要な生きる力をつけてくれるところではないのだと思う。大人として、社会人として生きていく知識や知恵、経験、人間関係をつくっていく能力など、教えながら一緒にやっていってくれる人が必要なんだと思う。本当は、全ての高校生に必要だと思う。教科の先生以外に、ゆっくり話を聴いてくれる人、子どもの立場に立って問題解決の道を考えてくれる人、最低限社会生活に必要な学力をつけさせてくれる人(授業だって本当は分かりたいんだと思う)、が求められているのだと思う。 そこのケアがなされないと、不登校も中退も増えるばかりなのだ。(フェルマータ) 


    8月7日(土)京都子どもと家族と支える会 
 2ヶ月に1回の例会にユキと参加した。今回のテーマは「不登校」。メンバーの小学校教諭からの事例紹介の後、参加者で意見交換をした。
 発言者の小学校教諭は、仕事の傍ら子どもや家族の支援について勉強をしたり、ボランティアもされている方。赴任校では自ら進んで、不登校の子どものいるクラスを担任されているとか。2つの事例を紹介されたが、いずれのケースも子どもや家族の状況を的確に捉え、また自分一人で抱えることなく養護教諭やほかの先生も巻き込んで、今必要だと思われる支援を積極的にされている。例えばその子の存在がクラスでも薄く、地域からも孤立していると感じれば、まずクラスの子どもたちがその子に関心を持つようなクラス作りに着手し、そこから子ども同士のつながりを作る。お母さんが学校に対し信頼感を持っていないと感じれば、養護教諭などと連絡を取って学校の中にお母さんの味方を増やすなど、「学校で大事にされている、大切にされている」ということを伝えられるような取り組みをする。「今までのことではなくて、今からどうするかが大切」という言葉が、その姿勢を的確に表している。このような支援をすることで、親にも変化が生まれ、子どもも少しずつ登校を始めているようで、この先生の姿勢には頭が下がる思いだ。
 しかし、このように子どもや家族の支援を深く理解し、積極的に支援できる先生がどれだけいるか?またこのような気持ちを持ちつつも、その学校の状況に振り回されてしまっている先生がどれだけいるか?と思うと、正直なところかなり絶望的な気持ちになる。実際に参加者の教育現場の人からも、同じような声が挙がった。
 また先生の支援は、その立場からどうしても「学校に戻す」という方向に向いてしまう。もちろんそれは仕方のないことだし、親もできれば学校に通えるようになってほしいと思っていたり、子どもたちにもそういう気持ちはある。だからこそ、担任一人が抱えることなく、第3者の冷静な目で、今この子には何が必要なのかを判断し助言することも必要になる。
 そこで重要な役割を果たすのが、学校現場とは一線を引く立場のスクールカウンセラーであり教育相談などの専任の教諭であるが、小学校での配置はまだまだだし、中学校などで配置されていてもチームとして機能していないケースが多いことも現実問題だ。またどの学校にも配置されている養護教諭も、難しい立場にあるようだ。日々の仕事に追いまくられている学校現場に、これ以上のことを求めるは酷なようだが、しわ寄せは子どもたちに来るのだ。新聞報道では不登校の数が減少し、今の施策が功を奏しているように書かれているが、単に数が減ればいいという問題ではない。表面的なものに振り回されず、子どもたちが安心して過ごせる学校作りとは何かをしっかりと考える必要性を改めて強く感じた。(さくら)

 今回は不登校児童への取り組みについてお話しいただいた。あんだんての活動のなかでも関心のある取り組みのひとつ。やはり担任の先生の影響力は大きいように思う。
 どこの家庭にもちょっとバランスのよくないところがあるけれど、たとえば子どもが不登校になったことでそれまでよりも担任の先生が家族にかかわる機会がふえる。家族だけで話し合い、相談して解決するということが案外難しい。子どもが学校に所属していることで学校の先生、いいかえれば第三者がかかわれる糸口がある。今、なにか相談したいと思ったときに相談できる人があるかないかで状況が大きく変わってしまう。寄り添って一緒に考え、閉塞した状況に少し風を通すことができれば不登校だけでなく、虐待などいろいろな問題にも変化があらわれるのではと思う。(ユキ) 


    8月6日(金)久しぶりの当番 
 4月から働きに行っているので、久しぶりに当番を引き受けられた私。♪あんだんて♪の日誌や相談記録にも目を通し、スタッフの熱心な活動ぶりに頭が下がった。また、相談者もこのグループを利用してくださってる様子でうれしく思った。
 21日にひとまち交流館でするイベントの打ち合わせをしたり、パザパの電話注文を受けたり、発送の作業をしたりといつもの忙しさ。私は口の方がよく動いていた。反省。(花) 


    8月4日(水)「運営会議」 と にぎあう事務所 
 月1回の運営会議、先月はお休みしたので久しぶりに、にぎやかな事務所に…。8月21日のイベントの打ち合わせ、いつものように話題があっちへ飛んだりこっちへ飛んだりしながら決まってくいく。たくさんの方が参加して下さるとうれしい。
 朝1番にセイル大阪の方が来られたり、会議の合い間に、イベントや「PAS A PAS」の申し込みがあったり、電話で問い合わせをされた方が1時間もたたないうちに事務所まで買いに来て下さったり、夕方には個別の相談と、たくさんの交流のあった1日だった。(マーガレット) 

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