ーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ(原水禁運動の歩み)

 1945年8月、広島と長崎に相次いで原爆が投下されました。熱線・衝撃波・放射能によって、広島・長崎の都市は廃墟となり、在日外国人を含む数十万人の住民が被爆しました。死者の正確な数はいまだに不明ですが、多くの被爆者が放射能障害でその後も亡くなっていきました。犠牲者は被爆直後から、苦しいうめきの息の下から、残虐な原爆の廃絶を訴えてきました。しかし敗戦後日本はアメリカの占領下に置かれ、原爆の報道は禁止され、広島・長崎の被爆者の原爆をなくせの声は日本国内でさえ広く知られることはなかったのです。

と人類は共存できない(原水禁運動の主張)
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 原水禁の運動は、核実験反対と核兵器廃絶・被爆者の救援といった課題に取り組む中で豊富化し、次第にあらゆる「核」に反対する運動へと発展してきました。結成時から長く原水禁の精神的な支柱であった、故森滝市郎原水禁議長の「核と人類は共存できない」という言葉に象徴されるように、私たちは人間と「核」が絶対に相容れないものであるという立場に立っています。核兵器であれ、発電用の原子力であれ、私たちはあらゆる「核」利用を完全に否定しているのです。
●核兵器の廃絶をめざして
 現在、私たちの核兵器の廃絶を求める運動にとって、またとない機会を迎えています。国際司法裁判所が核兵器が国際法に違反するという勧告的意見を示し、私たちの長年の要求であった包括的核実験禁止条約が成立しました。以前からの反核運動の仲間だけでなく、これまで核政策の中心にいた人々の中からも核軍縮を求める声があがっています。核兵器への包囲網がかつてなく強まっているいまこそ、私たちのもつ力のすべてを注いで核兵器廃絶へ向けた動きを一歩でも二歩でも進めていくことが必要です。
●脱原発の世界をつくる
 チェルノブイリ原発の事故を見ても明らかなように、原子力を利用した施設ではひとたび事故がおこると、莫大な被害をもたらします。いかなる安全対策を施したとしても人間が動かすものである以上、絶対に安全ということはあり得ません。技術を過信し、原子力を人間が完全に制御できるという傲慢な発想に対して、私たちは警鐘を鳴らしてきました。とくに日本では、危険なプルトニウムを利用した核燃料サイクル計画が強引に推し進められようとしており、私たちはこれに強く反対し、脱原発の世界をめざします。
●ヒバクシャとの連帯
 現在、世界には多くのヒバクシャが存在し、その数は2500万人以上に及ぶといわれています。広島・長崎のヒバクシャは半世紀をへてなお後遺症害に苦しんでいます。その一方でチェルノブイリなど原発の事故によるヒバクシャ、ウラン採掘地周辺や核実験によるヒバクシャ、核兵器の開発にともなうヒバクシャなど、新たなヒバクシャも大勢生み出されてきたのです。私たちは世界のヒバクシャとのネットワークを強化し、世界の反核・非核を願う人々との共同行動を追求しながら、核のない世界をつくらなくてはなりません。

のない社会をめざして(原水禁運動の任務)

 現在、原水禁運動を担う組織として、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」と、旧民社党・同盟系の「核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)」、現在も日本共産党の影響下にある「原水爆禁止日本協議会(原水協)」の3団体が存在しています。核禁会議は独自の運動がほとんど存在せず社会的影響力をほとんどもちませんが、原水禁と原水協は日本の平和運動のなかで大きな位置を占め、互いに対抗しながら運動を続けています。両者と独自に原水禁運動に取り組んでいる団体も少なくありませんが、たいていは原水禁か原水協のどちらかと関係を持ちながら活動する場合が多く、原水禁運動を担う組織が分裂している影響はいまだに日本の平和運動に大きな傷跡を残しています。

上記は原水禁国民会議の組織としての見解を反映するものではありません。
本Webサイトとしての独自の主張です。原水禁の見解は下記の原水禁国民会議のHPをご覧ください。

●原水禁国民会議HP: http://www.jca.apc.org/gensuikin/

●共同行動と排除の論理
●原水禁の組織
●原水禁運動の歩み
  (1)
(2)(3)
関係資料

●原水禁運動の基本原則

●原水禁結成宣言他
●64年大会時の森瀧演説
●原水禁運動統一テーゼ
●禁協合意文書他
参考資料

3・1ビキニ・デーの意義

●原爆と原発のつながり