原爆から原発へ 原発から原爆へ


(1)

 原子爆弾と原子力発電所はいたる所で何重にも重なり合っている。

 現在日本で稼働中のすべての発電炉は、ヒロシマ原爆の材料となったウラン235の分裂連鎖反応を用いており、広島市民の上に降り注いだのと同じ死の灰を毎日作り出している。

 すべての発電炉の中では死の灰とともに、ナガサキ原爆の材料となったプルトニウム239が毎日作り出されている。もともと世界で最初の原子炉は、ナガサキ原爆の材料を得るために運転されたのであった。世界最初の再処理工場が運転されたのも、その目的のためであったことはいうまでもない。

 イギリスやカナダでの天然ウラン原子炉に対して、アメリカで濃縮ウランを材料とする現在の軽水炉が開発された最大の要因は、アメリカが原爆による世界支配をもくろみ、しゃにむに、ウラン濃縮の能力をたかめたことにあった。この濃縮ウラン能力のはけ口こそ軽水炉―濃縮ウラン型原子炉であった。

 さらに、日本の発電炉のほとんど(一基を除くすべて)がそれである軽水炉は、原子力潜水艦の動力機関として開発されたものである。必要とあれば一年でも水中に潜っていたい軍事用潜水艦にとって原子力動力は最適なものであったのである(これに反して、商業用船舶にとって原子力動力など無用の長物である。むつ開発の真の目的は何なのか?)。

 このように現在日本で使用されている原子力発電の技術は、その生まれも育ちも原子爆弾と原子力潜水艦という軍事技術なのである。

(2)

 現在でもいくつかの国家がやめようとしない原水爆実験は、原子力発電所の環境汚染をおおいかくすための最良の隠れみのになっている。原子力発電所の故障修理、点検時に出てくる多量の放射能廃液は、中国核実験等に合わせて、海洋に排出されていることがわかっている。核爆発実験による大気汚染がないならば、原子力発電所周辺のセシウム137やジルコニウム95による汚染は容易にあばき出されるであろうが、現在は核爆発実験による汚染のかげにかくされてしまっている。現在ではいくつかの原子炉の「鉄あか」中の誘導放射能が、原発に放射能汚染を証明しているだけである。

 いいかえれば、原発による環境の日常的放射能汚染は、核爆発実験による大気の汚染とのかねあいで許容されてしまっているのである。

 同じことが、潜在的危険性についてもいえよう。原発や再処理施設がはらんでいる潜在的危険性の大きさは、他の工業施設のそれとは全く隔絶している。だから、原発推進派は他の施設とちがい原発施設の一定程度以上の災害は「天災の類」であって設計者や企業は免責されるべきであると主張し、事実、法律によって企業(又は保険会社)は60億円を限度としてそれ以上の損害賠償支払いを免責されているのである(もし本気で確率が無視できると考えているなら、いくらでも支払うと胸を張ればよい筈であるのに)。

 このような巨大な危険性をはらむ存在物は本来ならば到底、人類社会に許容されるものではありえない。より巨大な危険性すなわち原水爆兵器がすでに存在してしまっているという憎むべき現実が、その比較のもとに、原発という巨大な危険物を許してしまっているのである。

(3)

 現代を原子力時代と呼ぶのは根本的に間違っている。現代は原水爆時代でしかない(武谷三男「原子力」「核時代」勁草書房)。われわれのまわりに存在している「原子力技術」は、原子爆弾の落とし子であり、原水爆時代にだけ許容される軍事技術に過ぎないのである。原発の巨大な危険性、再処理工場の恐るべき汚染、手のつけようがない高放射能廃棄物、このような存在物は、平和な生活には適合しえないものである。

 人類は未だ平和な生活にふさわしい原子力技術を手にしていないことだけは確実である。現代を「原子力時代」だと錯覚し、われわれが「原子力技術」を手にしていると錯覚するほど恐ろしいことはない。

 われわれは何よりも原水爆時代を終らさなければならない。原水爆時代を「原子力時代」といつわり、危険物(原発)と核物質(プルトニウム239)をこの列島に充満させることは、原水爆時代を続ける企みにひとしい。それは、思想や理念の上で広島・長崎・ビキニの犠牲をないがしろにし、原水爆時代を続けるというにとどまらず、現実に日本の「核武装」の技術的物質的基礎になることによって、原水爆禁止時代を続けさせるのである。1978年に入って、自民党政権は、「核武装は憲法に違反しない」と公言し始めている。

 つぎつぎと設置される原子力発電所が、原水爆時代を維持させ拡大させているとき、原発問題を棚上げにして、原水爆禁止を語ることは、原水爆禁止運動を「夏祭り」におとしめることだ。いまこそ、原水爆禁止と「原子力開発」阻止とが固く結びつけられなければならない。

 何よりも原水爆時代を終らさなければならない。33年前の悲惨・残酷・苦しみ、33年間続いている悲惨・残酷・苦しみに、固執し続けよ。原水爆時代を「原子力時代」といつわり、軍事技術を「平和利用」といつわり原水爆時代を維持・拡大している「原子力開発」を告発せよ。

(故・水戸巌氏/芝浦工業大学教授『広島・長崎〜東海村より』から)