セイロンのゼロ戦

サンフランシスコ平和会議とセイロンのゼロ戦


2005-7-22
サンフランシスコ平和会議とセイロンのゼロ戦
日本帝国軍機、セイロン を爆撃す映画にならなかったセイロンの日本兵
日本兵、トリンコで救助 される映画にならなかったセイロンの日本兵
映画にならなかったセイロン の日本兵映画にならなかったセイロンの日本兵
爆撃関係資料1
爆撃関係資料2
参考→サンフランシスコ平和会議のことを詳しく知りたいのですが



トリンコの日本兵;資料2

 1942年4月5日と9日の日本軍によるセイロン(現スリランカ)爆撃にかかわった爆撃機等は防衛研究所戦史部資料に次のように記録されている。ここでは航空母艦・爆撃機などの名称を記すが、兵士等は匿名とした。また、このインド洋作戦の時、30隻といわれる潜水艦がインド洋に集結したが、この情報も省いた。かつてインド洋のゼロ戦が映画化されようと計画された時、そのシナリオにはドイツの潜水艦がゼロ戦のパイロットをスリランカから日本軍の下へ運ぶという設定があったが、当時のインド洋にあったのはドイツ潜水艦ばかりでなく、日本軍の潜水艦も大挙してその海で作戦を展開していたことを考慮する必要がある。

 コロンボ爆撃 1942年4月5日
◎コロンボ飛行場、艦船攻撃のとき
撃墜された戦闘機・爆撃機7機、 戦死10名
蒼龍艦 ゼロ戦1機 1等飛行兵1名 
瑞鶴艦 99式爆撃機5機 飛行特務少尉1名、1等飛行兵曹4名、2等飛行兵曹3名、3等飛行兵曹2名
翔鶴艦 99式艦爆機1機 大尉1名、飛行兵曹長1名

 トリンコマリ爆撃 1942年4月9日
◎トリンコマリ港湾施設・石油貯蔵基地攻撃のとき
撃墜された戦闘機;爆撃機3機 戦死5名
飛龍艦 ゼロ戦2機 大尉1名、1等飛行兵 1名
      97式艦攻 2等飛行兵 3名 
     ※この3名による石油タンク突入があった。→資料①参照

◎港湾施設攻撃の直後、英空母ハーメスを発見し攻撃のとき
撃墜された戦闘機;爆撃機5機 戦死9名(内1名は未確認)
蒼龍艦 99式艦爆 飛行兵長2名、1等飛行兵曹3名、2等飛行兵曹1名、3等飛行兵曹2名
翔鶴艦 ゼロ戦 1等飛行兵曹1名 
※ゼロ戦の1等飛行兵は海上墜落が確認されていないため機は不明機とされている。スリランカで救われたゼロ戦パイロットはこの機の乗員と思われる。「日本兵、トリンコで救助される」はこの不明機のことを指している。


 日本側の記録では24名(うち1名は不明)が戦死したと記録されていて、生存者の情報はない。だが、スリランカ側資料では日本兵の生存記録が残されている。戦死者、生存者とも姓名が確認できるのは2名にとどまり、それらの名は日本側資料にある名と一致しない。 
 スリランカ(当時セイロン)側資料に寄れば日本兵の死者は公設墓地に埋葬されている。敵国の兵士を丁重に埋葬するスリランカの精神は後に日本政府を感動させることになる。
 スリランカ側の捕虜・死者関係の資料と日本側の防衛戦史部資料は突合せをしても一致するところが少ない。以下にスリランカ側の日本兵埋葬関係資料を紹介する。
 
1941年から45年の間、捕虜として収監された日本兵の埋葬記録
 
セイロン(現スリランカ)戦争墓地委員会には9名の日本兵捕虜の埋葬記録がある。ただし、スリランカ外務省は日本兵捕虜に所持品などがあったかどうかは記録になく確認できないとしている。

埋葬記録

1氏名不詳 パイロット 死亡日不詳 墓碑No3580 カナッテ墓地
2氏名不詳 パイロット 死亡日不詳 墓碑No3581 カナッテ墓地
3 K・Y  海軍兵  1945.04,11没 墓碑No3582 カナッテ墓地
4 T・M  海軍兵 1945.04.23没 墓碑No.3583 カナッテ墓地
5氏名不詳 海軍兵 1942,11,12没 墓碑No2 リベラメントゥ墓地
6氏名不詳 海軍兵 1942,11,12没 墓碑No3 リベラメントゥ墓地
7氏名不詳 海軍兵 1942,11,12没 墓碑No4 リベラメントゥ墓地
8氏名不詳 海軍兵 1942,04,05没 墓碑No5 リベラメントゥ墓地
9氏名不詳 海軍兵 1942,04,05没 墓碑No6 リベラメントゥ墓地

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