シンハラ語Q and A 


サンフランシスコ会議の事を詳しく知りたいのですが?

Q13『熱帯語の記憶』に「サンフランシスコ会議」の事が触れられています。あの会議でスリランカ(当時セイロン)が日本を支持する演説をしたとありましたが、それはどんな話だったのですか。

 その部分は『熱帯語』の本の中でも少し詳しくお話させていただきました。
 日本という国の再独立という問題は現代世界史の中では欠くことの出来ない事柄なのです。特に、私たち日本人は”当事者”としてこのことをよく知っていなければならないのです。俺は戦争になんか行っていねぇぞ、と駄々を捏ねないでくださいね。残念ですが、日本国はこの件に関して、国内向けには、ほとんど”無視”を決め込んでいるんですよね。かつてNHKは「日本の戦後」という番組でジャヤワルデネの演説を取り上げました。しかし、あれから20年ほど過ぎて「そのとき歴史が動いた」の世代になると同じサンフランシスコ会議を扱ったとき、ジャヤワルデネ演説も、彼の名さえも消されてしまいました。しかも、アナウンサーはサンフランシスコ講和会議と言っているのに、外務省資料にサンフランシスコ平和会議と記載されているのをカメラでしかっり伝えたりしている。なんてアンバランス。今、日本はすごい勢いで戦前のある時期に向かおうとしているようです。スリランカから日本を眺めているとそのことがよく見える。クレイモアが毎日爆発し、クフィルが爆弾を落とし、今度はミグを買い足そうとしているスリランカですが、そんな危ない南の島国から見ても、日本の今はもっと危ない。
 ただ、注意していただきたいのですが、”無視”というのは国内居住の日本人に対してであって、対外的には、事ある毎にサンフランシスコ講和会議(対日平和条約)でジャワルデネ代表が行なった演説を評価する広報を日本政府は行っています。


ジャヤワルデネの言葉


 そのジャヤワルデネ演説、評価されているんですよ。日本に再独立をもたらしたサンフランシスコ平和会議では、参加各国の代表が演説に対して大いに感銘したという記録が『日本外交史』のサンフランシスコ平和会議の部分に補足として加えられています。あまり知られていないのですが、あの演説に心を打たれた日本人も多くいるのです。「憎しみは憎しみをもってしてもあがなう事は出来ない。ただ愛だけが憎しみを開放する」とブッダの言葉ダンマパダをひいて語ったジャヤワルデネ氏。その胸像がいくいつか日本に建てられていて、その中で誰の目にも容易に触れることができるのは高徳院、鎌倉の大仏様にあるのもです。そう言えば、女性雑誌のMOREが、この「サンフランシスコの憎しみ」を説いて聞かせたジャヤワルデネ元大統領とのインタビュー記事を特集したことがあります。

 ジャヤワルデネ氏のスリランカ国内での政治的評価はともかくとして、日本人としてスリランカに関わるのなら、このサンフランシスコのジャヤワルデネのことはちょっと知っておいて欲しいのです。

 さて、皆さんが気にかかるのは、「その演説は一体どんな内容だったのか」という全体像だと思います。演説は英語で行われました(写真の演壇上がJR/ジャヤワルデネ氏)。その全文をスリランカ大使館が作った和訳と共ににここに掲載しますので"日本が再独立を果たす"契機を作ったセイロン代表の言葉を確かめてください。→ジャヤワルデネ・セイロン代表の発言全文

参考→サンフランシスコ平和会議とコロンボの共同墓地


2001-Mar-09/2006-Dec-11/2015-Apl-01 Khasya Report