聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。
2001.07
★は借りた新着、☆は新規購入。
今回集中的に論評したディスクなど:
小泉総理の馬脚 / そらNHKはあきまへんわ / オリジナル曲公開中 /
宇多田ヒカル: Distance / Misia: Marvelous / お薦めしたいブラジルのアーチスト /
でPat Metheny Groupもお薦めしたりして / 納涼のCaetano: "Livro"
◆思い付き次第思い付いただけ更新しています。
◆日付はその日付のコメント自身への、CDタイトル前などのマーク(◆)はそのレビュー項目自身へのダイレクトリンクになっています。
◆文中のCDタイトルのリンクは、以前のコメントへ遡れるようにしてるつもりですが、かなり気まぐれです。
7/22 夏草の誘い (<Joni Mitchell: "Hiss of the Summer Lawn"の邦題らしい。ちょっとズレてる気が...)
さて参院選の舌戦も半ば、ちょっとおさらいをしておきましょうか。
・徳田虎チャンの「自由連合」が比例区名簿に泡沫タレント候補を山と並べて批判を食らってましたが、 あれって逆に非拘束式という制度そのものへの批判として良く出来てるって気がしませんか? だって、何も考えずふと目に留まったタレントの名前を書いた票を掻き集めると議席が取れちゃうトンデモ選挙制度だ、ってことがこれほど明瞭になった事例もないでしょ?
・小泉の空疎さ加減をちゃんと報道できないマスコミも困ったもんです。日米会談後の会見もそうですが、大体まず「訊いたことに答えろよな」って言いたくなりませんか小泉? そんなおバカなお調子者を指して「パフォーマンスが上手い」なんて評してること自体、自分はまともにモノを考える能力もありませ〜んて白状してるようなもんでしょ。どうよマスコミ。
◆Pat Metheny Group: "Letter From Home" (Geffen, 1989)
また聴いているのであるが。私がブラジル方面へ傾斜していく際の重要な触媒であった1枚。Milton NascimentoやIvan Linsに親しんでしまった耳には今一つたおやか過ぎるキライはあるのだが、それが個性というものであって。Miltonの影響は明白なのだが、それ以前からMethenyの書く旋律線にあったアイリッシュの系譜とか、ジャズを経由して来たボサノバ的クロマチック進行といったものがそれと一体化して織りなすテクスチャは、風のような軽さと果てしない距離感に彩られて、ブラジルのミュージシャンとは一線を画した「サウダージ」感覚を醸し出している。だから、何度も思い出しては引っ張り出す。◆Caetano Veloso: "Livro" (Mercury, 1997)
こんなに暑いとつい掛けてしまう納涼音楽。ってな扱いが失礼かも知れないのは重々承知なんだけど、でもこのT-1のサンバ、というかチンバラーダ付きボサノバって、たまらなく夏の日なのだよなあ。人生はダンス。
7/15 半ば私信でありつつ、半ば自分自身への備忘録も兼ねて>A嬢:
帰国は順調でしたでしょうか。さてお約束の解説です。但し私もブラジル音楽をあまねく万遍なく聴いているなんて訳ではないので、行き当たりばったりの結果出会った良質の音楽という以上のものではありません。とはいえ、まあ、出来る範囲での客観的な記述を心掛けてはみようと思います。
お薦めのアーチストについてですが、Ivan Linsは確か多少はお聴きだったかと。ボサノヴァ的なブラジル音楽観からすると、彼の絞り出すようなボーカルスタイルといい、超ダイナミックなメロディラインといい、まるで正反対という印象を受けるでしょうが、コードのテクスチャの繊細さは先人A. C. ジョビンも顔負けと言っていいと思います。80年以降の作品ではアレンジが世界的にDX-7化&打ち込み化したことの影響で、その良さが明確には出ていない盤が多い気もするのですが、ライブ盤(お薦めは"20 Anos", GALA/Som Livre, Brazil, 1990)ではバンドとの一体感もあってか、ボーカル、楽曲の良さとも最大限に引き出されていると思います。
Toninho Hortaは歌が「ヘタウマ」もしくは「ヘタヘタ」なせいか---個人的には結構いい味わいだと思うんですが---、その楽曲の素晴らしさに比べると知名度が低いです。彼のコード進行には結構ジャズのテンションコードのセオリーが感じられるんですが、それを実に自在に操り、メロディも自在に跳躍してえも言われぬ浮揚感があります。1990年代になって録音したアコギの弾き語り+αの2作品("Durango Kid", "Durango Kid 2", Big World, USA, 1993&95)が世間的には評価が高いようなのですが、ギターの一人オーケストラ的超絶技巧が前面に出たこれらよりも、個人的には代表作テンコ盛りで、楽曲の良さそのものが楽しめる"Terra Dos Passaros" (Dubas Musica, Brazil, 1995. 録音1976/79)のほうが好きです。
Boca Livreは男声4人のボーカルグループ...と言い切るのはちょっと失礼かと思うくらい幅の広い音楽性を持ってます。まず全員楽器を持ちますし、楽曲も自作曲で素晴らしいものが幾つもあります。ただ、イメージを掴むためには、彼らはMilton Nascimentoや彼を囲むミナス出身者を中心とした音楽的コミュニティ"Clube da Esquina"(街角のクラブ)から出て、そのメンバーの音楽を広く採り上げていると説明するのが良いと思います。実際、MiltonやHorta、あるいはLo Borgesの曲でも、彼らの演奏こそが定番! と思える録音は多いです。私もあまり沢山聴いてはいないのですが、デビュー盤と思われる"Boca Livre" (MP,B/Warner, Brazil, 1997)、そして"Dancando Pelas Sombras" (Xenophile, USA, 1995)はいずれも好盤です。
Hermeto Pascoalは以上に比べると随分毛色が違います。まず基本的にインストですし、Hortaのようなミナス的繊細さも、Linsのカリオカらしい強靱な線の強さも無縁な感じがします。敢えて言えば、目眩くリズムの森というか。リズム楽器が前面に出ているという訳でもでないのですが、ショーロやサンバだけでなくノルデスチ(北東部)のリズムパターンなどもベースにして、Hermetoのピアノやアコーディオン、そしてCarlos Maltaのサックスやフルートで奏でられる旋律はそれ自身踊っているような躍動感に溢れています。で、コード感覚がちょっとヘンです。そこがまたテンション高めてて良いのですが。とにかくテンション高い音楽なので、ヘンにダウナーな時に聴くのは避けた方がいいかも。お薦めは"So Nao Toca Quem Nao Quer" (Intuition, Germany, 1992)なのですが、手に入るかどうか。こんなんよくCD Nowに出てたなあと思います。
あれれ、もう一人くらいお薦めしましたよね? 誰にしたんだっけ。
7/12 ほーらねNHKがまた大ポカやって猛抗議を受けてます。わはは。
ところで昨夕は一時帰国中の旧友(女性)と何年ぶりかに会ってアイスクリーム食いながら色々話したり。1日4つのアポを掛け持ちという多忙にもかかわらずそのうちの1つに私をリストアップしてくれてありがとう。楽しかったす。音楽のこと話すヒマなかったけど渡したリストの解説は近日中にここに載せるから見てね>A嬢
で、今週はふとした成り行きで職場友達からウタダとMisia借りてます。というか、先行するシングルのプロダクションがいずれも面白かったのでそのうち聴きたいと思っていたところ。たまには音楽の話とかもしてみるもんだね。ラッキー。
◆宇多田ヒカル: "Distance" (東芝EMI, 2001)★
例のJam & Lewisプロデュースの2曲を含む全13トラックだが、やっぱJam & Lewisモノは、従来のウタダとは異なる要素が入ってシナジー効果出てると思うなあ。じゃあ従来の延長にあるウタダがショボいかというと全然そうではなくて、ソングライティングも練れて来てるし、歌詞なんてもう他の追随を許さないし(真摯に理詰めでそれでいて感傷的で、シビレるよねホントに)、これは大変なことになったと、もうみんな言ってる気がするけど心からそう思うです。中でも感嘆してしまったのが歌いっぷりで、以前に比べると、線の細いところはより細く、ファルセットも多用して聴かせるこれは「私はディーバじゃないのよ宣言」ではないかと思う。つまり、前作の頃は和製R&Bシンガー(ってことはいわば女優であって、作家ではない)の一群につかず離れずで位置づけられていたことに対して、本作ではそれとは違うスタンス/路線を明確に打ち出しているのだけれど、それを象徴しているのがこの歌唱法じゃないか、と。言うなれば私小説、しかしそれは個人的なことを一般化する強靱な言語能力(音楽言語も含めて)を持ち合わせたそれだ。一体どこまで行くのかウタダ。◆Misia: "Marvelous" (BMG, 2001)★
敢えて比較して書いてしまうと、Misiaはセルフプロデュースするディーバ路線を徹底的に追求する構えと言えようか。ディーバなので自分で曲はほとんど書かないのだが、セルフプロデュースなので歌いたい作家を恐らくは自身の考えで選んでいる。そのラインアップが、シングル先行していたDreams Come Trueに加え、目立つところでは鷺巣詩郎と清水信之! ドリカムとのコラボも驚いたが、これらも1stからはちょっと想像しにくい。というのは、1stで中心的だったのはR&B〜HipHopであり、鷺巣の弦アレンジをあしらったLisa Stansfield路線はあくまで周縁だったからだ。それが今回は中心軸を成すにいたって、Misiaはあくまで日本的に翻案(adaptation)されたSuburban Soulを、自分の歌を軸に再構築しようと奮闘しているのだと思えてならない。個人的好みとしては今一つ合わないものの、今後どう進むのか目が離せない気になってきた。一体何するんだMisia。
7/4 7月4日に踏まれてこの前の日曜に、日米首脳会談後の小泉の記者会見が流れてたんだけど、あれは何でありましょう。普通、あんなに切れ切れに喋るのであれば「慎重に言葉を選んで」「思慮深い内容を伝える」ことが期待されるのに、繰り返すのは紋切り型のお題目と「断行する」ばかり。あれではバカだと自分で言ってるのと同じではありませんか。
などと思いながら流しておくと、それを見て息子がこんなことを言う。
「このひと、ひとりぐらし?」
「どうしてそう訊くの?」と連れ合いが答える。
「んーおとうさんとか、おかあさんとか、いるのかなあ」
「いると思うよ」
「んー、でもー、なかまとかは、いるのかなあ」
「10人くらいはいると思うよ」
まあ(太字部分)訊く方も訊く方だが答えも答えである(笑)。それにしても生中継の記者会見ってのは、その人の本質があられもなく伝わってしまうということなんだろうかねえ。それはそうとK.Tさん(7/2付)、そりゃNHKなんて昔からどうかしてるんでして、去年の朝ドラではこんなおマヌケをやらかしてますし。ただ、結構「プロX」好きな人って周囲でもいるので、あかんなあと思う訳です。
朝ドラと言えば今年のは沖縄風物が出るのでよく見ますけど、話の本質は「女は色ボケ」という、斉藤美奈子『紅一点論』(ビレッジセンター出版局、1998)そのまんまの超ステレオタイプで泣けてきます。◆さて。忘れた頃に蒸し返すんですが、オリジナル曲録音プロジェクトが無事(?)終了しまして、実は都内某所で今度の土日まで流れております。あるイベントの会場ビデオのBGMでして、ギター+ベース+ソプラノサックスで、Windham HillとECMの中間みたいなことをやっています。作曲は相棒のMさんですがベースラインは私がだいたい作りました。でもタイムがヨタってるんで実は恥ずかしいです。というわけでここでは公表しませんが興味がおありの方にはメールでこっそりお教えしますので、まあお暇でしたらご連絡下さい。
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