聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。
2001.06
★は借りた新着、☆は新規購入。
今回集中的に論評したディスクなど:
ビューティフル・ソングス・コンサート / あらかわ遊園 /
オッフェンバックの喜歌劇『シュフルーリ氏のお宅で』 / Lo Borges: Sonho Real
それでも人は歌う (feat. Pat Metheny Group: Letter From Home) / Ivan Lins: Live at MCG
プロジェクトXはちょっと... / ビデオ『あめふりりんちゃん』/ Dois Corregos (Soundtrack)
◆思い付き次第思い付いただけ更新しています。
◆日付はその日付のコメント自身への、CDタイトル前などのマーク(◆)はそのレビュー項目自身へのダイレクトリンクになっています。
◆文中のCDタイトルのリンクは、以前のコメントへ遡れるようにしてるつもりですが、かなり気まぐれです。
6/29 私も「プロジェクトX」はどうかと思います。
>K.T.さん(6/27付)。浪花節もそうなんですけど、アレってほとんど男しか出て来なくないですか? それも「銃後の守り」を固める主婦付きの。それはまあ、ナントカの開発秘話ってのが豊富な1950-60年代がそういう時代なんだからしょうがない、と言う人もあろうけど、だがそういうネタを放送で重点的に採り上げるってことは、そういうオトコ像オンナ像を美化して再生産することじゃあないんでしょうか。これ観て「すげえなあ」とか言ってる場合ではないと思います。
◆で、話はごろっと変わってレビューを。まずは珍しくビデオ。といってもお子様用でありまして、「NHKおかあさんといっしょ(っつう番組名は常々気に食わないが)最新ソングブック『あめふりりんちゃん』」(NHKビデオ/ポニーキャニオン, 2001)☆を購入し、息子の知育に励んでおります。てか、やっぱりここ2年ほどの新作にはすごいものがあります。とくにタイトルトラックの「あめふりりんちゃん」(栗原正己作曲、栗コーダーカルテット編曲・演奏)、素晴らしすぎ。その他にも「1作家1曲」式の委嘱で、知久寿焼作曲、たま編曲・演奏の「ハオハオ」、あのパラダイス山元作曲・何故か清水信之編曲の「たこやきなんぼマンボ」など聴きどころ一杯。また、今回改めて気付かされたのが、先々代の歌のおにいさん、坂田修のソングライティング力。「夢のパレード」「虹のむこうに」はきっちり書けているにとどまらない、確実に歌い継がれるだろう佳曲。
ところでこのビデオ、もう一つ見どころがあって、それはあの、お母さんたちに人気の体操のおにいさんこと佐藤弘道が「ちかてつ」でゴーゴーを踊るのだが、どう踊るかと言うと... それはネタばれなので内緒。皆さん貸しビデオ屋で見かけたら借りて下さい。それからCD。最近通勤途上では何かとPat Metheny Group: "We Live Here" (Geffen, 1995)が掛かりますが、って自分で掛けてるんですが、端正なメロディラインだなあと改めて感心したり。あとはやはりLo Borges: "Sonho Real"がよく回ってます。新しいところでは、静かな盤なので家でだけ掛けてますがこんなところを:
◆"Dois Corregos" --- trilha sonora do filme de Carlos Reichenbach (Velas/Universal, 1999)☆
Ivan Linsがそのほとんどを手掛けたサントラ盤。映画自体はどういう内容かわかりませんが、ブックレットのスチルを見た限りでは、数奇な運命をたどる2人の幼なじみもしくは姉弟、といった感じでしょうか。
この盤、Ivan Lins好きにはたまらない彼のスキャットが美しいオケをバックに聴かせます。が...音が割れるのはどうにかならんもんでしょうか。Velasレーベルにしてマスタリングの失敗というのはちょっと頂けない気がします。で、サントラ盤にはありがちな話ながら、フィーチャーが少ないので、お好きな方以外には取っ付きにくいかも知れません。もっとも、IvanとアレンジのNelson Ayresの共作名義で1曲、John Lennon風のトラックがあってこれは珍品というか、実に良く書けたパスティーシュなので一聴の価値あり。
6/26 それでも人は歌うというか、日頃の言葉やしぐさを介したやりとりからどうしてもこぼれ落ちてしまう、しかし本当はかけがえのない思いとか、そういうもどかしさとか切なさとか。そういったものが本当は歌われているんだろう。だから、歌詞ってあまり意味深でなくてもいいのかも。いや、これは語弊があるな。以前あるのにスガシカオを聴かせたとき、あんな小難しい歌詞はどうか、というような趣旨の反応があったのだが、それは彼の曲すべてに当てはまるわけじゃない。「黄金の月」とか「愛について」などは特にその行間をこそ読むべきだろう。とりわけ「愛について」の「Oh baby ぼくは君に 話しかけてる/あの日のように いつものように」という一節は、その前後に歌われた思いをそれこそ出会った日から語りかけているのに決して届かないかなしみをこそ歌っているのだ。だからあんなに希望に溢れていそうに強がって歌うのだ。それがホンモノの歌でなくて何だろう。
◆Pat Metheny Group: "Letter From Home" (Geffen, 1989)
これをほんの数日前に聴いていたらまるで受け付けなかっただろうと思うのだが、昨日からどうにも食指が動いて引っ張り出して聴いている。それは「歌いつづけること」に踏ん切りがついたせいかも知れない。え、歌じゃない? 確かに歌詞ありは1曲しかないけど、どんなに気を利かせた言葉にも乗らないからこそスキャットで歌うんじゃないか。言葉は色んなところに遠慮してねじ曲がってしまうものだから、せめて歌を遠くまで届かせよう。歌に逃げてるんじゃなく歌は生きようとする力そのものなんだよ。アモーレとマンジャーレに並んで「カンターレ」があるのは伊達や酔狂じゃない。と思う。◆Ivan Lins: "Live at MCG" (Jazz MCG/Heads Up, 1999)☆
Manchester Craftsmen's Guildでのライブ録音というのがシリーズで出ているらしいのだが、これもその1枚で1997年収録。今年2月の来日公演は、バンドのメンバーもアレンジや構成もこの盤とほぼ同じなので、ライブを懐かしみながら聴く。が、やはり時とともに練れて来たということか、今年の来日時の演奏の方に軍配。Live at Blue Note Tokyo, February 2001ってのがもし出たら買ってしまうだろうなあ。
6/20 音楽なんて所詮負け犬の遠吠えなのか?なんてことを思ってしまうほど昨今は「弱い」のだが、それでも心をつかむ音楽には出会えるものだ。という詳細はもう少し下のほうで。
今しがた、とは夜も10時半過ぎだが、夏を通り越して秋が来たかと思うような心地よい涼風を浴びながら、洗濯物を干してきた。なんかここんとこ毎年そうだが、初夏と初秋はいつまでも続いてほしいと切に思う。っても今日は初秋もどきに過ぎないのだけれど。でも初夏と初秋の風の中にいると自分のカタチがはっきりするような気分になりませんか?
◆Lo Borges: "Sonho Real" (Dubas Musica/Universal, 2001)☆
先週の土曜つまり6/16は、ある旧い仲間の集まりが渋谷であって、その前に髪を切りに行ったのだが、早めに終わったのでCD買いに寄る時間ができたのだった。すかさず渋谷Towerのワールド売場に行き、色々迷って2枚選んだうちの1枚がコレ。あ、その日会った仲間の一人がやっぱりTowerの袋を提げてて楽しかったな。これはAriolaから1984年に出たものを、Dubas主宰のRonaldo Bastosがどうやら音源を買い取って再発したものらしい。EMIからのベスト盤2枚組では1981年から1996年まで飛んでいるので、その間どうしてたのかと思ったら、実は別のレーベルと契約していただけらしい。ただ寡作なのは間違いなく、この間にも2-3枚くらいしか出ていない模様。
個人的には1979-81年頃の彼の作品に魅力を感じていたので、最初から期待はしていたのだが、まさに期待通りというか。青くて繊細で浮遊感がありたおやかで。というと抽象的だが敢えて分析的に言えば、Brian Wilsonを思わせるルート音を外したベース進行に載せて展開する、テンションの多いコード進行と、そこから外れない一方できれいに跳躍を見せるメロディ、そして軽やかな声。この盤ではそれに加えて、Toninho HortaとWagner Tisoがアレンジを担当したトラックがそのテイストに膨らみを持たせて秀逸。Toninhoの場合は素朴さと軽さと勢い。Wagnerは得意の弦/ホーンアレンジが冴えて、Lo(と弟のTelo)の書く曲に果てしない距離感を与えている。もしLo Borgesを知らない人が最初に聴くなら、この盤はお薦め。
6/10 弱すぎ。6/8の晩はこんな集まりがあって、「アダルト会議」とは言うが果たして誰が本当にアダルトだったのか、はたまたこれは「会議」と言えるのだろうか、など、お題へのツッコミは数限りなく可能(笑)ながら、賑やかなひとときでありました。主催のよしいさんお疲れ様でした、てか結構疲れたまってるように見えましたのでご自愛のほど。
にしても私はいくらなんでも酒に弱すぎではないか。4時間弱かけてスプモーニ×1+ビール330cc×3という酒量にもかかわらず集中力は早い段階から低下、TFJさんの音楽話(それも私一人が聞いてるんでは勿体ないような楽しいお話でしたが)に没頭するという見事なシングルタスクぶりをお目に掛け、お恥ずかしいこと限りなし。無愛想ですみませんでした>各位。ま、潰れなかっただけよしとするか...。
で、それはさておきこの日の格言:「どんなに商品が良くて、営業マンが感じ良くても、肝腎の商品が届かなければどうしようもない」(c)TFJ氏。これは満場一致の結論なので心するように>TeTeS@西麻布話は変わって、最近届いてうれしかったリスト:
Matthew Sweet: "Altered Beast" (Zoo, 1993)☆ 彼はFleetwood Macの"Tusk"がお気に入りなんだそうだけど、聴くほどになるほどと思わせる部分あり。何か、バラードになるととっても米国中西部な感じというか、Dan Fogelbergというか。個人的にはとても琴線に触れるロック歌謡です。
U2: "Zooropa" (Island, 1993)☆ やはり良いです。でも今は特に切々と歌い上げる'Stay (Faraway, So Close!)'にグッと来ます。6/9にはセッションで新展開あって何とオリジナル制作に着手。あ、でも、もし上手く行ったらまた続報ということにしよっと。
6/7 雨にぬれても♪れぃんどっきふぉーりのンまへっ、とか唄ってる場合ではない。今日の東京は物凄い夕立だった。たまの息子のお迎え担当日に限ってこれかい。しかも勤め先を出た5時過ぎが一番激しかったような...。で、思い出したが、息子のお迎え担当大臣である連れ合いは、「夕立は5時15分に止む」という法則を毎年ずぶぬれになりながら確認してきたのだという(5時迎えが多いのだな)。今日も止みこそしなかったが5時半にはフツーの雨であった。「この苦労をダンナにも体験させてくだされ」と連れ合いが天に祈ったのかもしれない。すみません、ご苦労お察しします。
◆実は。6/3に久々に公演を観に行った\(^0^)/のでそのレビューを書きます。...で、あれほど息子の預け先に困っていたのに、どうやって行けたのか? 実は私には、息子を預ける最終兵器「いもうと」というものがあったのである。ふっふっふ。じゃなくて予定が合って助かったよ感謝感謝。ジジババと一緒の留守番では気乗りがしなくても、一番歳の近いオトナの親戚たる我が妹とならば、息子は世界の果てまでも付いて行く(ってことはないか)。ので、私たちがムーブ町屋ホールにいる間、息子はいもうとくんと「あらかわ遊園」でまったりと遊んでいたのである。
この「あらかわ遊園」、あとから私らも行って合流したのだが、これがまた最高である。乗り物なんて7つしかないし(でもどれも結構楽しそう)。水遊び場とかミニアスレチックとかあって、就学前後までの年頃のお子様には丁度いいサイズ。で年齢層もその辺が中心なので、雰囲気ものどかなことこの上ない。下町ののどかな休日をあなたも。てな感じである。◆というわけで、モーツァルト劇場公演・喜歌劇『シュフルーリ氏のお宅で』(オッフェンバック作曲・日本語版。訳詞=高橋英郎)を観た。小ホール公演ということでピアノ伴奏+歌手(主役級4名+数名)という簡素(だが歌としては十分)な構成。19世紀半ば。パリのブルジョワ、シュフルーリ氏はイタリアの名だたるオペラ歌手を自邸に集めてのサロンコンサートを控え鼻高々。と思いきや直前に歌手たちは体調不良によりキャンセル。面子丸潰れの危機に瀕する氏を救うのは娘のエルネスティーヌとその恋人で若き作曲家バビラス。二人はロッシーニやヴェルディをつぎはぎした出鱈目イタリアオペラをでっち上げて名歌手に扮し、ついでに二人の結婚をシュフルーリ氏に認めさせようと画策するが...?
オペラを日本語で上演するということには何故か世間ではあまり理解がないらしいが、悲劇ものはともかく、こうした喜劇はまさに一瞬の笑いやリズムが大事なので、日本語で聴けてこそ楽しめるものだろう。今回の公演も歌手はみな上手いばかりでなく「役者としても」ノッていて、歌の醍醐味も演劇の楽しみも十分に満たしてくれた。惜しむらくは、ピアノ伴奏でなくオケだったらば、イタリアオペラのパロディの部分ももっと大仰に響いて更に笑えただろうなあ、というあたりだろうか。同劇場の次回公演(10 月)は新国立の中劇場で『コシ・ファン・トゥッテ』である。もう今から楽しみ。
6/3 過去と今とが出会う場所。てと大袈裟ですが、昨年10月の日記を補完。メモそのものはあったのだけれど書き飛ばしもいいとこなので要整形、しかしなかなか取り掛かれず今日まで引っ張ってしまいました。別に今更誰に読めというのでもないけど、ようやく胸のつかえが下りたというか。昨年の中でも仕事の方がピークだった9〜10月の記録というのは大事です。というか、この時期をただひたすら駆け抜けてしまったことの良し悪しというのを今更ながら考えます。
古い話はまあそのくらいにして、と。
◆あくまで備忘録的に書きますが、こないだ深夜に「ビューティフル・ソングス・コンサート」というジョイントライブの放映をしていたのでビデオにとって見てみました。矢野顕子、鈴木慶一、大貫妙子、奥田民生、宮沢和史という、ああなるほどねっていうメンバーで互いの持ち歌を歌ったり、同じ歌詞に曲つけたのを披露したりという企画。しかしNHKってすごいと思うのは、途中のドキュメンタリー部分のテロップに「世代もジャンルも異なる5人が集まり...」だもの。ジャンルは大体同じだってば(笑)。世代だって2つしかないし。
それはともかく、どうかなあと思うのは、こういう企画は3000人も入るハコでやるもんじゃないんじゃないか、と。もっと極端に言えば、聴衆がいないかのような状態で、つまり5人がそれぞれお互いに音楽を投げ掛けあうだけの形であるべきだったような気がする。もし一般聴衆に公開するなら、ライブは無しでドキュメンタリーフィルムのみにするとか、そういう具合に。
そう考える最大の理由は、同じ詞(糸井重里作)に曲をつけるという企画の部分にある。何よりもこの企画、聴かせるに値する出来だと作者たち自身が確信できるものが出来上がる確率が、かなり低いと思うのだ。それは限られた時間での仕事という要素にもよるし、詞のクセ次第ではメンバーの誰かが特に難儀する可能性があるということにもよる(実際、糸井とのコラボの多い矢野と、矢野とのコラボが多い宮沢以外は、結構持て余しているように感じられた)。聴衆に対して歌いたいのなら、結果だけにしてほしいと思うのは、単に聴衆という消費者のワガママではなく、単にコミュニケーションとはそうしたものだからだと思うのだが、どうだろう。とはいえ、まあ互いの持ち歌をカバーし合う中には上出来なのもあったし、そこは楽しめたのだけど。特に矢野のピアノってどうしてあんなにきれいに---華麗に、というよりはなめらかに---手が動くんだろう。そして発せられる音にムダがない。見てて飽きない。
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