聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2000.05.16-31

>06.01-30
<05.01-15
<index

★は借りた新着、☆は新規購入。

今回集中的に論評したディスクなど:
栗原はるみの本で菓子作り
Youssou N'dour: "Set"


5/16 昨日メガネを壊してしまったのである。どういう風にかと言うのも恥ずかしい壊し方なのだが言ってしまうと、FAX用トナーの箱を積み上げ中に手を滑らせて、メガネ吹き飛ばされるわ落ちたメガネの真上にトナーがでーんと落ちるわ。そりゃ平らに伸されますってな具合で、今朝は半日休暇をもらってメガネ作り。時間が中途半端に余ったので出社前に渋谷のタワーに足を伸ばす。しかしまあWorldの品揃えすごいすごい。ブラジルは新宿に負けるかもしれないが、フラメンコ/スペイン欲しかったら(専門店以外では)ここしかないか。なお通勤BGMは文字通りのぺしゃんこ気分を建て直すべく矢野顕子 "Go Girl" (Sony, 1999) "Oui Oui" (Sony, 1997)。

帰宅後は早速、調達したてのマノロ・サンルーカル Manolo Sanlucar: "Locura de Brisa y Trino" (Mercury, 2000)☆。カンテ(歌)のゲストにカルメン・リナーレス Carmen Linares をフィーチャー、ギターとカンテ以外にはパーカスのみというシンプルな構成で、研ぎ澄まされたリズムを刻み出す。"Tauromagia" (PolyGram, 1988) で見せてたフレージングやコードチェンジの鋭さはそのままに、しかし今回の新作は何ともゆったりとした時の流れを紡ぎ出している。空気に陽差しが満ち満ちているような、穏やかな潮風に身を委ねているような。ヘレスに近い彼の出身地サンルーカルの港町ってこんな空気なんだろうか。くうう、やっぱ最高だあこの人は。

トニーニョ・オルタ Toninho Horta: "Durango Kid" (Big World, 1993)☆
これまた当人の歌とギター(一部多重録り)のみでシンプルに構成した1枚(ちなみに"Durango Kid 2"というのもあるが未入手)。歌上手くないけどせつなくて良い。それもそうだが、リズムに徹しているに見せて実はギター超絶的にすごいかも。思い切りリラックスできる曲調のはずなのに、気が付くと手に汗握って聴いてる。あーこりゃ今月初めの来日ライブ行かなかったのが惜しまれる。ううむ。

5/17 ram jam world: "rough and ready" (a.k.a./WEA, 1997)
朝本浩文と渡辺省二郎によるユニット。改めて最初から聴いてみたが、最初の3トラックくらいは、ドラムンベースってこんな感じでしょーという器用さ以上のものがあまり感じられず、コード展開なんかもおざなりで、こりゃ何なんだと思ったけど、ゲストボーカル+コーラスを大きくフィーチャーしたT-4&8 "Serachin'" や T-7 "Five" (Boy Georgeをフィーチャーたぁ、やってくれます)、疑似ボサノヴァ風スパニッシュ・バラードのT-12 "Corazon"などは実にこなれた良い出来。UAに書いた曲などでもそうだけど、朝本浩文はいい意味でソングライター的な資質の人だと思う。しかも音にはかなりゆったりと隙間を設けたほうが生きるタイプの歌。UAで言えば「ミルクティー」みたいな傾向の。ここでのT-1みたいに折角メロ悪くないのにムンベやりすぎて台無し、というのはちょっとどうか。

さて、平たくなったほうのメガネは一昨日に駄目もとで修理に出しておいたのだが、恐る恐る取りに行ったら何と直ってた。ロウ付けが1カ所開きかけているらしいが、まあ大事に使えば大丈夫そう。新調のと併せてコーディネート楽しめる身分に。棚から道楽。

Manolo Sanlucar: "Locura de Brisa y Trino"
これ実は全編、かのフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩に基づいていて、タイトルもその一節から採っている。とはいえ和訳ですら読んだことないので、何を言っているのかわからないのだが。辞書を引き引きタイトルを訳してみると、『そよ風とさえずりの熱狂』。うわ、サイケでいいなあ。

5/18 Toninho Horta: "Durango Kid"
頭ん中トニーニョで一杯になって、Toninho Horta e Orquesta Fantasma: "Terra dos Passaros" (DubasMusica, 1995)を引っ張り出す。"Durango Kid" の冒頭を飾る 'Ceu de Brasilia' (ブラジリアの空)でこれも幕を開ける。アコースティック・ギター一本のDurango版と対照的に、フルオケをバックに、ディストーションの掛かったエレキギターで。ふわあっと空に舞い上がる感覚。しかし、こうやって比べてみると、歌ちっとも上達してないなあ、彼は(笑)。

Lo Borges: Meus Momentos 2CDs, Disc 1

5/19 Toninho Horta: "Durango Kid"
スガシカオ『クローバー』
(Kitty, 1997)
連れ合いと"Sweet" の歌詞がヤバくてちょっと...と話していた流れで、「黄金の月」を聴くことになった。二人して口ずさみながらうるうる。傍目に見てたら相当ヘンな光景だったと思う。この曲、息子には以前刷り込んでおいたので何度リピートしても平気である。ふふふ。

5/20 Toninho Horta: "Durango Kid"

このところ、連れ合いの仕事が立て込んでいるので、久々に料理大臣に就任している。今日は土曜ということで、子供の喜びそうなお菓子でも作ればとの提案を受け、栗原はるみの本を見ながらアップルパイを作ってみる。...んー、刻みが多い。多すぎる。刻む技術が身に付いてる人には何てことないんだろうが、指太くてコントロール甘くて、おまけに一度自分の指を斬りつけて連れを動転させた過去を持つ身にはちょっと辛い。そういう点を除けば、栗原はるみの菓子作りというのは、「安くて手に入りやすい材料で」「やたら手間をかけないで」「しかも甘すぎず」という、家庭で気軽に作れることを最大限考えてあるレシピなので有り難い。

最近「カリスマ」主婦として絶大な人気を集めるこの人だが、料理をはじめとする家事を、楽しく肩の張らない、しかもちょっとした工夫でクリエイティブになりうるものとして提示しているのは、金銭に換算されないため低く見られがちな「シャドーワーク」たる家事に積極的な価値を見出すものとして好感が持てる。ただ、彼女がカリスマ「主婦」としてプレゼンされるという構造は、むしろ女性を「主婦」というカテゴリーに強く縛り付ける働きもしかねない気がして、ちょっと複雑だ。栗原はるみを見て、がぜん家事をやる気になる男性が増えたら面白いんだろうが、そういう仕掛けにはなっていないんだろうなあ。しかし、家事という分野が「主婦」という存在から切り離されて、単に人の営みとして価値あるものとして立ち現れるとき、その時こそ家事が「シャドーワーク」から解き放たれる時だと思うのだ。

なーんつって包丁さばきの練習になってよかったよかった。実に抑えた甘み&リンゴの酸味が生きた美味しいパイの焼き上がりである。引き続き、オレンジジュースをゆるく固めたフルフルのゼリーを仕込む。

5/21 Gilberto Gil: A Insuperavel Coletanea de... (WEA, 1997)

ゼリー最高である。フルーツカクテルと一緒に食べたのだが、ゼリー自体は砂糖入れてないのでもう夏ミカンのように爽やか。おまけに、ギリギリにゆるく固めるので、スプーンですくってフルフル、口に入れるともっちりとした舌触り。

5/22 ハイポジ『4n5』(Comtemp, 1999) ★
これがおそらく現時点での最新盤。前作『ハウス』が「どうしちゃったの」って方向性だったので、まずは買わずに恐る恐る借りてみた。...短い(笑)。40分弱で終わっちゃうのは実に呆気ない。だがクオリティ的には以前の水準に戻りつつあるんじゃないか。「テクノ」だとオビで謳ってたので、ああまた流行りに擦り寄ってるんじゃないかと心配したが、しっかりもりばやし自身の采配が行き届いている模様。テクノって言うより80年代のパンクっぽいエレクトロを、自然に身につけた流儀で遊んでる感じというか。テイ・トウワが1曲、相変わらずのヘンなしゃべりネタのサンプルでいいとこ見せてるのも親和性高い。但し、ファンタスティック・プラスティック・マシーンの田中知之が手掛けたトラックは、まあ、そういうものになってしまっていて、それとしてはまあ良いのだけれど、じゃあなんでわざわざもりばやしに歌わせてるの? てな感じではある。

5/24 仕事で朝から横浜へ。陽差しも随分強くなったと思いつつ、Dori Caymmi: 2 em 1 (EMI-Odeon Brasil, 1980, 1982/1994)、ハイポジ『4n5』『かなしいことなんかじゃない』(Kitty, 1996)など鳴らして往還。

5/26 ユッスー・ンドゥール Youssou N'dour: "Set" (Virgin, 1991) ☆
"Eyes Open" がリラックスした笑みと包容に満ちたイメージだとすると、こちらは切迫した緊張感のなかで糾弾し、暴くような。ある意味「厳しい」音楽かも。あと、"Eyes Open" や "Lion"に比べてポリリズム的要素が強いのが特徴でもあり、代え難い魅力だと思う。西アフリカの伝統的ポリリズムの構成や流儀を知らないので、そういった起源論には触れられないが、ロック音楽が米国黒人音楽に取材しながらも基本的には西洋的な単一リズム(用語よくわからないので、こう言っておく)、つまり基本ビートと従属的なリズム(「ウラ拍」とか「揺れ」とか呼ぶような)とのヒエラルキカルな関係性が確定している構造に依拠しているのに対し、ユッスーはここに改めてポリリズムの手法、つまり大枠での周期性(例えば、16拍相当分で1サイクル)という最大公約数での一致を除けば、多層的なリズムそれぞれの自律性が高いような構造を、真横からぶつけているように思える。彼自身、西洋的単一リズムのフォーマットに乗ることで「世界化」を果たした面があると私は思っているので、ここでのアプローチはそうした自身の方法論に対する異議申し立のように見える。歌われている歌詞内容の厳しさ、責めるような激しさも、このポリリズムの多用と相俟ってインパクトを強めている、というより、同じことの2つの側面かも知れないとすら思う。

マリーザ・モンチ Marisa Monte: "A Great Noise" (Metro Blue, 1996) ☆
前半スタジオ、後半ライブ録音という構成。だが個人的には、前半の新作はどこかこなれ過ぎたというか、フォーマットが固まりすぎて今一つピンと来なくて、むしろ後半ライブの威勢の良さが楽しかった。ブラジルのアーチストはライブのほうがパワーを感じるタイプが多い気がする。この人もそう。パーンと解き放つような勢いがバンドとの一体感からはじき出される楽しさ。

5/27 連れ合いが仕事してる間に息子を連れて出掛けたが、途中から小雨に見舞われ、傘を持たなかった我々はそこらの軒先で雨宿りしながら小走りで地下鉄の入口に向かったのだった。意外とこんな日のことを子供は覚えているのかも知れない。私自身も忘れない気がするが。

5/28 ご近所セッションの第2回。"So Danco Samba"のギター+ベースはかなり形になってきた。ちょっと唄もつけてみたり。ピアノ+ベースでは"Girl From Ipanema" "Samba de Uma Nota So"などを合わせてみる。そして終了後、相方の家にて子供同士を横で遊ばせながらの酒盛り兼打ち合わせへとなだれ込む。もはやお決まりのパターンとして定着の様相。そしてついにこの日の選曲会議にて、Pat Methenyモノに挑戦することが決定。Charlie Hadenとのデュオ、'Waltz For Ruth' ("Beyond The Missouri Sky" (Verve, 1997)収録)。確かに、多重なし、ギターとベースのみなので、編成的にはOKなのだが、技巧的にどうか? 酔った勢いで決めて大丈夫か。事実この時の試聴で初めてベースソロのレベルの高さに気づいて顔面蒼白の私ではある。

5/30 Marisa Monte: "A Great Noise"
イヴァン・リンス『ノーヴォ・テンポ』Ivan Lins: "Novo Tempo"
(EMI-Odeon Brasil, 1980)
Charlie Haden & Pat Metheny: "Beyond The Missouri Sky"
とんでもないことを我々はしようとしているのかもしれない、と'Waltz For Ruth'を聴きながら改めて深く嘆息する。でもカッコいいよなあ、この曲。



→インデックスへ
→ただおん目次に戻る

ただ音楽のことばかり

(c) 2000 Shinichi Hyomi. All Rights Reserved.