聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

1999.05.16-31

>06.01-15
<05.01-15
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★は借りた新着、☆は新規購入。


5/16 まだ「親戚の結婚式だから」というだけではモーニングを誂えたりしない年齢だが、結婚式(教会式)のベスト・マンつまり立会人を仰せつかったとなれば話は別。百貨店のフォーマル売場であれこれノウハウを聞き出しつつ選んで、サイズ合わせ。馬子にも衣裳、と自分で思ってるんだから何をかいわんや。

5/17 パット・メセニー・グループ『イマジナリー・デイ』
宇多田ヒカル『ファースト・ラヴ』
(1999)★
意外と上出来なので驚く。というか、以前買物中に耳にした感じでは、曲がこなれていない、つまり、サビとそれ以外がてんでバラバラという印象が強かったのだが、改めてきちんと通して聴くと、細かいところまで行き届いた音作りと、ウタダ本人のヴォーカルの上手さがむしろ際立つ。そしてサビのあざといほどの周到さ。繰り返し聴いているとまた楽曲のガタつきが耳につき始めるのだが。さて次作はどうするんだろう。素材はいい人みたいなので上手く生かしてほしい気がする。

5/20 保育園の保護者会が午後一であるので、ついでに丸一日休暇を取る。しかしあろうことか、その前日夕方から膝の力が抜けて息切れがする。これは風邪の前兆に違いあるめえ、と葛根湯の薬を呷ってさっさと寝るも、夜中に発熱し大汗。朝にはかろうじて普通に立ち居振舞える体調になったが、折角やろうと思っていたことが十分に出来ず、何だか空しくなってきた。

では、と早めに出掛けて、保護者会の前に近所の蕎麦屋で昼飯を、と思ったら何と臨時休業。他に飯屋も思い当たらないので、久々に図書館で時間を潰す。

李博士(イ・パクサ)『李博士のポンチャック大百科』(1996) ★
日本の歌謡曲20数曲をヴォーカル1+キーボード1+打ち込みのみでノンストップ・メドレーする荒技。サワリ程度は知っていたけど、通して聴くとこれは大変なシロモノである。日頃からポンチャックのある世界に棲んでいるのでないと、この「ウアウアウアウア」というダミ声のフィル・インを楽しむのはちょっと難しいのでは。
これをテクノの文脈で評価しようとする石野卓球を批判する物言いをかつて目にしたが、それは2つの観点からズレていたように思う。卓球は逆に、テクノを芸能の文脈と強引に接続しようとしたに過ぎないのだ。彼自身の音楽が折に触れてそうしてきたように。だがもう1つ、それは、考えるに卓球のこの発想は所詮ムチャなことなのだ。テクノ的方法論の前における素材の平等性は、テクノを「都市の民謡」(卓球談)として捉えることをも拒絶して転がり続ける。ポンチャックとてひとたまりもあるまい。芸能は、そうした貪欲で自動的な増殖メカニズムとは別のところで、ただひたすらに回り続けるものだと思う。構造的にはともかく意識的には。
しかし、これのサポートしてるキーボードの人、ある意味上手いな。何でも自分流に弾いちゃってるけど、指は名人芸のように速く回ったりしてるし。「行き当たりばったりピアノ弾き」たる私としてはちょっと見習いたかったりする。

5/21 クラナド『フアム』(1982)★
この直後、彼らはシングル「ハリーズ・ゲームのテーマ」で、幽玄とも言える新境地を開拓し、大きな支持を得る。このアルバムはそれ以前の彼らのフォークロアなサウンドを伝えつつも、所々ドラマティックな構成感を持ち込んだりして次への展開を予感させている。彼らの末妹エンヤの唯一の参加アルバムだが、そういう観点から聴くと、のちにソロになってからのエンヤの作品にも、こうしたケルト的な旋法・和声感覚が意外と色濃く残っていることがわかる。素朴だが味わい深い作品。

ニール・ヤング『ハーヴェスト』(1972)★
ニール・ヤング研究第2弾。思い出したのだが、この人を最初に意識したのは、ニコレット・ラーソンの「溢れる愛」の作者としてだった。確かに、ソングライティング、オーケストレーションともにその繊細さは通底するとはいうものの、"A man needs a maid" とか歌われた日にゃあさすがにノケゾリますわ。

5/25 ニール・ヤング『ハーヴェスト・ムーン』(1992) ★
というわけで、「20年後の『ハーヴェスト』」だが、特に新味もなく、これにて研究打ち切りを決定したニール・ヤングである。暫定的な結論は、『スリープス・ウィズ・エンジェルズ』(1994)は突然変異的な傑作である、というところか。

『李博士のポンチャック大百科』

5/26 ケイト・ブッシュ『ハウンズ・オヴ・ラヴ』
そうそう、これ邦題を『愛のかたち』とか言うそうで。頼むからやめてくれえ。

うおおおお、久々の中古屋&Wave。中古盤すら大して安くはないが、これを逃すとまたしばらく買えないのでボコボコと買い込む。旧友悪友のうさみ氏と呑んだ帰りの電車で待ち切れずまず1枚。おおみっともない酔っ払いだああ。
椎名林檎『ここでキスして。』マキシ・シングル(1999)☆
アラニス・モリセットのフォロワーとか言われてるようだが、でもそれって「ここキス」1曲だけなんだろうなあ。一頃よく流れていたT-3「リモートコントローラー」なんてまるで違う世界だし、強烈な浮遊感を醸し出すT-2「眩暈」もそう。個人的にはこの曲にヤラれた。これ書けるんか20歳前で。林檎おそるべし、かも。

5/27 興奮醒めやらず買いたてほやほやを2枚持って出勤。ああ。

エルメート・パスコアール『神々の祭り』(1992)☆
手法的には全然違うが、敢えて「ブラジルのオーネット爺さん」と呼ぼう。それほど、彼の奔放なメロディ展開、ヴィヴィッドなリズム感覚の与える快楽の質は、オーネットを彷彿とさせるのだった。この中に、時のブラジル大統領の演説の「節回し」をそのままキーボードが一緒に弾いてみせる、というのがあって、話だけ聞くと何だかライヒのドキュメンタリー・ミュージックみたいだが、実際はまずそのままの演説が1回流れて、もう一度繰り返す時にキーボードがユニゾンする。ただそれだけ。なのに妙にオカシイ。やってることがオカシイ、ってだけじゃなく。

ミルトン・ナシメント『出会いと別れ』(1985)☆
キーボーディストの盟友ヴァグネル・チゾとの最後のコラボレーション。チゾ独特の、打楽器と管を巧みにフィーチャーしたスペクタクル映画的なオーケストレーションは、確かに健在だが、80年代ならではのペラペラなキーボード音(DX7か?)が時々水を差すのは何とも哀しい。

ああそして今日は今日とて、ブラジルものを漁りにHMVへと向かうのだった。そしてボコボコと買い込む買い込む。最後にさすがに1枚戻したぞ。

イヴァン・リンス『私の天使(Anjo de Mim)』(1995)☆
ううー、渋い。渋すぎ。こんなにボサノヴァっぽいイヴァンは初めてでは。

カルリーニョス・ブラウン『オムレツ・マン』(1998)☆
前作よりずーっと歌もの的な意味でポップなんだが、しかしそれが何か怪しげな見世物化していて妙にそそられる。プロデュースがマリーザ・モンチ。やるなあマリーザ。

5/28-31 エルメート・パスコアール一発ぶっ放してから帰省。義弟の結婚式に出席。婚礼ピアノもまずまずの出来。ってか、終止音のアルペジオは何とか「きらリン」と上手く決まった、という程度だが。CDを持って行かなかったのでこの間は聴かない生活。息子に「フニクリ・フニクラ」を弾かされたりはあったが。



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