エゾシカの  2000/09/01〜2000/09/30

最新 前月 翌月 一覧 「EZOSHIKA TOWN」トップ ※明朝体推奨

2000/09/30

入れ違い

 先日「入れ違い」なる言葉を使った際に此の語の漂わせるエロティシズムがそこはかとなく感じられた。当初は「私が或る場所に入った際に別の人が其の場から退出したこと」という様を示すために用いたのだが、極純粋に此の語を解釈すれば「本来入れようとした場所若しくは入れるべき場所とは異なる場所に入れてしまったこと」という事になる。此の文章を、猥褻な語については作為的に暈かしたり主語を省略したり回りくどくするという日本語の作法に鑑みて修正を加えてみると、「本来女陰に陰茎を挿入して然るべき処を肛門に挿入してしまったこと」という事になるのであろう。

 処で10年余り前の事、哲学界に「ニューアカデミズム」なる概念が台頭し、「構造と力」なる哲学書がベストセラーとなって「構造」なる語が一般人をも席巻する一大ブームとなったのだが、ほぼ同時期に、アダルトヴィデオ女優と詩人との共著による「性の構造」なる書物も密かなベストセラーとして一部の向きに人気を博していたのだ。因みに私は前者は目にしなかったのだが、後者は購読の上精読させて頂いた。

 其の「性の構造」に収録されていた詩の中に「踏み込む亀頭 戸惑う肛門」という一節があったのだが、今回「入れ違い」なる語にエロティシズムを感じ取った瞬間、10年振りに其のフレーズが頭の中を繰り返し巡ったのであった。

 蛇足であるが、此の文章をしたためる際に広辞苑で「入れ違い」を調べてみた処、「いれちがうこと」との事。幾ら次に「入れ違う」の解説があるとはいえ、此では私にエロティシズムを感じさせ潜在的記憶を覚醒させた程の語に対してあんまりではないか。


2000/09/29

そして時は流れ

 他のサイトを巡っていた処、非常に悲しむべき記述を目にして一気に気分が暗くなると共に、時代の流れをひしひしと感じることとなった。

 中部・関西地区の人間であれば知らぬ人は居まい。凡そ三重県に通じる国道という国道沿い、三重県内の鉄道沿線に、恰も傷口に塩を擦り込むかの如きしつこさで此でもか此でもかと言わんばかりに立ち並んでいた道案内看板。京都市内の一等地のビルの屋上に並ぶ数多の最先端の業種の看板と共に威風堂々と建っていた看板。中部地区限定で、週末の早朝にテーマソングをBGMに放映されていたTVCM。此処まで説明を要すまい。三重県を代表する観光施設「元祖・国際秘宝館」が今夏に潰れたとの事である。

 初めて其の存在を知ったのは学生時代の事であった。三重で行われる合宿の為に先輩の車に乗せて頂き、京都市内から一路伊勢に向かっていた時の事。何時しか道路沿いの電柱に「秘宝館まであと○km」なる看板が電柱毎に立ち並んでいるのが目に付いた。而も10kmや20kmでは無い。「あと35km」などという、誰がそんな遠いところから標識をあてにするのかと思えるような地点から看板は並んでいるのである。そしていよいよ問題の地点を通り過ぎ、我々は腰を抜かす事となった。70年代のラヴホテルの如き洋風宮殿風の外見に、人間の感性のどの部分をどう働かせたらこうなるのかと思えるような毒々しい色遣い。色だけではない。宮殿の上部に付いている玉葱風の屋根にはでかでかと「性 SEX」と一々記述されていたのだ。

 此の衝撃を胸に抱きつつ時は流れ、数年前に愛知県で生活していた時の事である。知人に誘われ、車を飛ばして足を向ける事となった。学生時代の衝撃度は其の儘に、其の建物は厳然と存在していたのである。しかし驚いたのは其の建物だけではなかった。確か数千円位する入場料を支払い、「福引券」を2枚頂いて中に入ったのだが、予想通り男女のヌード人形及び剥製(即ち人間だけではなく獣も展示されていた)が交わる様を嫌と言うほど目にした後に、福引きコーナーで一度目の福引を行うこととした。

 「500円です」「は?券があるのですが…」「この券は1000円の福引を500円で楽しめるものなのです」そんな事何処にも書いていないし誰からも説明を受けていない。渋々金を払って手にした景品は、古いエロ月刊誌の詰め合わせであった。更に進む内に二度目の福引コーナーが現れたのだが、予想通り其処でも500円を支払うことになり、2度目の福引を行うことになった。此処で入手したのは電池式ミニヴァイブレーターであったのだが、結局此方の景品は一度も使用していない為、価格に見合った分の働きをせずに今に至る。

 退館の際に名刺大の証明書を頂いた。「性愛学指導員之証」なる其の証明書、私は「元祖国際秘宝館にて第30期生として男女性愛の全教科を優秀な成績をもって修めたことを証明しここに指導員の資格を授与」されたとの事である。因みに此の証明書は今でも免許証及び他の資格証等と共に、私の定期入れの中に大切に仕舞われている。

 展示物自体はオッサン共が悦ぶようなありがちのものであり、特筆すべき点は余り無いのだが、其のパワフルな宣伝活動、建物の存在自体のインパクト、そして館内で観られた飽くなき商魂、何れも私が嘗て体験した中で最高レヴェルのものであったのだ。此の世の中から斯様な存在が消えてしまった事が私の心に大きな穴を空けてしまい、冒頭の心境に至った次第。


2000/09/28

競馬予想

 実は今週末の競馬について全く検討作業を行っていない。而も今回から「EZOSHIKA PADDOCK」上に於いて今秋の大レースについての予想を公開せねばならないにも拘わらず此の有様である。確かに今週に限れば、週明けから昨日に至るまでの間職場から離れて寄宿生活を行っていたという特殊事由が存在する。しかし実は此の傾向、左様な特殊事由の有無に拘わらず、此処最近頻発している様に思えるのだ。

 3年前の春に競馬に接し、秋に競馬予想を自ら行うようになって以来、毎週月曜日に競馬雑誌を購入し、週末までには一通り目を通した上で、前日及び前々日の反省及び週末の競馬予想に資するという生活を続けているのだが、どうした事か名古屋に来て以来此の生活パターンが狂いつつあり、枕元には未だ目を完全に通してない「競馬ブック」が数週間分転がっているという有様である。

 ちゃきちゃきの江戸っ子時代の競馬予想生活を振り返るに、断じて今以上に時間的余裕があった訳ではない。しかし或る意味に於いて自らの裁量で過ごす事の出来る時間帯が存在したのだ。時間の大半を睡眠若しくは競馬雑誌精読に費やしていた通勤時間帯がそうなのである。此の時間をもっと有益な事に費やせなかったのかとも思うのだが此処では論じまい。

 当時通勤に於いて電車内で過ごしていた時間は30分強程度であったか。全てを競馬雑誌精読に費やせば通勤片道2回分程で1週間分の検討が済む。処が通勤時の乗車時間が僅か2分という現在では、とてもでは無いが雑誌などに目を通せぬ。

 と此処まで考えて不可思議な事に気が付いた。現在時間的余裕がちゃきちゃきの江戸っ子時代以上に存在するのであれば、帰宅後に寓居で競馬雑誌を読めば其れで済む話ではないか。何故通勤時間でないと競馬の検討が出来ないのか。此はひょっとすると、私の心の何処かに「競馬予想」=「通勤時間」=「ビジネスマンとしての時間帯」=「仕事に準じた行為」なる等式が存在しているのでは無かろうか。若しそうだとすれば、此は生活スタイルや生活意識の変革すら必要となり兼ねぬ位非常に由々しき問題である。


2000/09/27

行く夏を惜しんで

 私の周囲から夏が去りつつある事に先日漸く気付いたのだが、実は今夏については全くと言って良い程夏らしい事を行っていない事にも気付いてしまった。

 海に対して或る種の憧れを昔から抱いている私は、毎夏最低一度は海に足を運び自ら潮の感触を嗜むのが常であったのだが、今年に限っては終ぞ左様な海の楽しみ方を実践していない。

 夏らしいイヴェントには元々関心が薄い。花火大会にせよ夏祭りにせよ、イヴェント其の物を楽しむものでは決して無く、イヴェントに乗じて同行者と乳繰りあった挙げ句に夜には二人だけで本来の趣旨とは全く異なる筈の肉体イヴェントを勝手に寝床で開催するものなのであり、縦令此が「真夏の夜の夢」だの「一夏のアヴァンチュール」だのといった夏特有の現象と称されようが、私には別に此が「夏らしさを感じるイヴェント」だとは直ちに考えられぬのである。尤も正確に言えば、夏に左様な行為を共に楽しむべき人物が存在しない為に関心の抱き様が無いという事なのだが。

 イヴェントだけではない。夏らしい食物も味わっていない。昨年なんぞは毎週日曜の夜のデザートとして西瓜を購入して一心不乱に貪り食らいつつ、18時58分頃に行われるフグ田サザエとのTVじゃんけん対決に備えていたものであったが、今夏は西瓜なる食物自体を口にしていないのだ。

 此の儘では悔しくて堪らぬとの一心で、先日冷麦を大量に作った。茹で上がった麺を一気に流水で冷やし、其処にありったけの氷をぶち込む。予め冷やしておいた器に冷えた麺汁を張り、在り合わせの大量の胡麻と鰹節を薬味に用いて食す。一口毎に体内から身体が冷やされていくのが感じられたのだ。

 夏真っ盛りの時に味わうべきであった。


2000/09/26

日本経済新聞ウェブサイト

 「エゾシカの嘶き」のライヴァルとして名高い日本経済新聞が最近ではウェブサイト上に於いてもなかなか侮れぬ活躍をしているとの情報を読者の方から頂いた。日本経済新聞社のウェブサイトに於いて連日時事、産業、社会、文化等に関する五択問題が出題されているのだが、其の中に以下の様な質問があったとの事で、当該サイトの画面を目にしてみた。

 或るメーカーが近々「これまでの商品では絶対に不可欠だった『水』を使わないで済む自動●●●機・SN-KT12A」を発売するのだが、其の●●●を当てよという問題である。選択肢に目を移してみると、

 1.食器洗
 2.米とぎ
 3.洗たく
 4.窓ふき
 5.尻洗浄

 とある。悩もうとする直前、最後の選択肢が私の目を奪ってしまった。「尻洗浄」である。日本経済新聞社のサイトでいきなり「尻洗浄」である。

 確かに「SN-KT12A」なる商品名を素直に読めば「尻拭い(SN)簡単(KT)・アヌス(A)」となるのだが、幾ら何でも日本経済新聞社のサイトに於いて「水を使わぬ自動尻洗浄機」なるドクター中松ばりの珍商品が採り上げられるものであろうか。

 更に、もし此の商品が「水を使わぬ自動尻洗浄機」ではないとすれば、日本経済新聞社の関係者が「食器」だの「米とぎ」などと共にどさくさに紛れて勝手に「尻洗浄」なる選択肢を捻り出して並べた事になり、此は此で笑いや驚きを呼び起こす問題作であると言えよう。

 因みに正解は自動「米とぎ」機。日経、益々以て侮り難し。


2000/09/25

助平

 抑も「助平」とは何ぞや。日本語の原点に立ち返りて広辞苑を繙く。「助兵衛」なる見出しの下、「好色の人。すきもの」とある。此では良く解らぬので更に「好色」を調べてみた処、今回の用法に合致した意味としては「女色を好むこと。また、色好みの男」との事。しかし此では男色家を除く大多数の男性を指すことになり、厳密に広辞苑の用法を採用する限りでは世間の半数近くの人間が「助平」という事になってしまうではないか。此では「助平」の定義としては余りに緩慢な感が否めぬ。

 仕方なく無い知恵を絞って考えてみる。1.始終股間を休める暇も無い位日夜性欲発散行為を嗜んでいる(=実行説)、2.其の人の日常の言動や思想自体が淫猥な物として発露されている(=発露説)、3.寧ろ淫猥な思想を発露させる事無く自らの内部に於いて肥大化させている(=思索説)、等が挙げられようが、1は寧ろ「絶倫」なる語で表現すべきかも知れぬ。3は「むっつり助平」という語が近年活発に用いられている模様。感覚的には2が最も「助平」に相応しいのでは無かろうか。しかし此とてあくまで私的な解釈に過ぎぬ。広辞苑の次版に於ける明確な定義付けを期待する次第。


2000/09/24

夜の

 街頭の電光掲示板で目にした交通安全の広告。内容は、夜間の外出時には蛍光塗料や電灯等の発光物を着用するよう勧めるものであったのだが、最後に「夜の交通安全」なるフレーズが出てきて少し驚いてしまったのだ。無論「夜の交通安全」とは文字通り「夜間に於ける交通安全」を指すのであろうが、私の頭の中ではどうした事か、此が避妊慫慂の惹句に受け止められてしまった。どうやら無意識の内に、精子と卵子との衝突事故を無くそうという意味に解釈したようである。

 私の感覚が世間からずれてしまったのであろうか。否そうではない、「夜の」という言葉に何等かの魔力があるのでは無いかと思い、検証を加えてみる事にした。

 「旅行」に「夜の」を付けてみる。「夜の旅行」。夜な夜な歌舞伎町(東京)だの薄野(北海道)だの福原(兵庫)だの金津園(岐阜)だのの風俗街を徘徊し彷徨った挙げ句、普段味わえぬ異なる土地の女性を腰も抜けんばかりに存分に賞味するという、成田アキラの風俗レポートの様な光景が想像されるではないか。此を文字通り夜行列車等を用いた旅行と解するには若干無理があろう。何故なら此の場合は決して夜がメインの旅行ではなく昼夜の別無く旅行を楽しんでいるという事であり、「夜の旅行」と限定するには余りに不適切なのである。

 同様に言葉を作ってみる。「夜の動物園」。私の様な人種で在れば此を文字通りに解し、人間達の視線に疲れた獣達がひっそりとした檻の中で外敵に襲われることも無く休眠をとっている光景が想像されようが、特段獣の生態に関心を示さぬ大多数の方々にしてみれば「行為中に極度の興奮状態に陥って、馬やライオンやオオカミのような声にならぬ嘶きや雄叫びを挙げているシーン」だの「肉食獣が獲物にかぶりつくかの様に相手の肉体を隅から隅までびちゃびちゃ音を立てて嘗め回したり囓ったり貪ったり爪を立てたり摘んだりするシーン」だのが容易に想起されよう。

 「夜のオリンピック」はどうか。開催国及び居住国の関係で、オリンピックのTV中継が夜に及ぶケースも存在するのであろうが、今回のシドニーオリンピックを殆ど時差の無い日本で観戦する分については文字通りの「夜のオリンピック」は考えられまい。従って自ずから、互いの性技を研鑽するかの如くあの手此の手の決め技を次から次へと繰り出しつつゴールに向かって驀進し交わる光景が想起されて然るべきなのである。

 大体落ち着いて考えてみれば30年も前に「夜の診察室」なる映画が存在していたではないか。当時此のタイトルを見て「人っ子一人いない静まりかえった病院」だの「密着!緊急病棟24時」のような緊迫した夜間診療所を想像した者は誰一人いまい。

 矢張り「夜の」という語には時制を示す以外の魔力が存在している。冒頭に述べた私の感覚は微塵も狂ったもので無かったようである。


2000/09/23

シドニー

 初めての海外旅行は3年前のオーストラリアであった。詳細は既に「旅の足跡」に記載しているので掻い摘んで述べる事にするが、時期的には丁度今頃、最初の滞在地はシドニーであった。

 其れにしても私の初体験は余りに悲惨であった。航空機が降り立つべきシドニー空港が4年振りの霧の為に閉鎖となり、一時的に遙か北に離れたブリースベン空港に着陸して閉鎖解除を只管待つ羽目になった。漸くシドニー空港に着陸できるようになり、当初予定より半日遅れで何とかシドニー入りする事が出来た。

 悲惨なのは無論此だけではない。シドニー滞在の3日間は只管雨であった。現地で傘を購入するも数回開閉した程度で壊れてしまい、大雨の中新しい傘を購入しに街中を駆け巡るなどの苦難を経ねばならなかった。只でさえ冬が明けたばかりの所に降り頻る雨。其れなりの衣服を準備した積もりが、予想以上の寒さに現地で衣服を求めて奔走することとなった。

 巡った観光地の風景、どれ一つとっても雨や苦難が付き纏う。初めてということで通常以上に気合いを入れて臨んだ挙げ句悲惨な体験となった悲しみの大きさは、旅行の場合も性体験の場合も同様では無かろうか。

 処で、当時抱いていた悲しみは最近怒りや悔しさへと変容を遂げつつある。オリンピックの為に日々テレヴィ等を通じて流されるシドニーの光景、季節的にも私の旅行と同時期であるにも拘わらず、何故斯様に美しいのだ、心地良いのだ。私が3年前に体験したシドニーとは一体何だったのだ。


2000/09/22

続・新・広告における競合問題

 同様のタイトルで「続」だの「新」だの「2000」だのを付与して全く異なるネタを展開している為、ここらで一度整理しておく。そうでもしないと今後此のテーマについて述べる際に自分でもどういったタイトルを付与すれば良いのかが全く判らなくなる虞があるのだ。

 大きな流れとしては以下の3本に大別されよう。

 1.篠原涼子の恥丘に纏わるネタ(「広告における『競合問題』」シリーズ):1999/04/141999/04/211999/05/051999/08/20
 2.織田裕二が出演CM企業を同一業種内で替えたネタ(「新・広告における『競合問題』」シリーズ):1999/10/02
 3.篠原涼子が降板した出演CMの其の後のネタ(「広告における競合問題2000」シリーズ):2000/04/20

 整理が済んだところで此のテーマについて触れることにする。流れとしては上述の2の流れを汲むことになろう。

 元来自動車製造業の企業は「お前ら何でそんなに金あるねん」と言いたくなる程に暴力的な広告展開を行っている為、必然的に其のCMの露出度も相当高い物になり、商品と出演者の商品の結びつきも他のCMと比べても必然的に強くイメージされる事になる。

 そんな訳で、日産自動車の大衆車のCMに於いて「ブルーバード、お前の時代だ」と主張していた沢田研二がいきなり他の中年男性達と共にトヨタ自動車の高級車のCMに出演したり、マツダの家族向け大衆車のCMにほのぼの父親役で長年出演していた所ジョージが気がつけばトヨタ自動車のスポーツカーのCMで犬と競演したりなど、或る自動車のCMで活躍していた出演者がいきなり別会社の自動車のCMに登場したりすると勢い当惑してしまうのである。

 そして今月あたりから非常に気になっている自動車CMの出演者。1999/11/10でも触れたトヨタ自動車のCMに出演していながら最近では日産自動車のCMに平気で出演しているエゾシカ。尤も此で視聴者が当惑する事になったとしてエゾシカ達に責任を負わせるのは余りに酷であると、此の場を借りて彼等の弁護を行う次第。


2000/09/21

面白い

 先輩と自由に意見を交わしていた時の事だったと思う。其の先輩の意見の中に、着眼点等に於いて独自の視点が感じられて興味深い点があった。彼女が一頻り自分の意見を語った後私に意見を求めた際、私は只管感心して「其れは面白いです」と答えた直後、途端に彼女の表情や口調が険しくなり「『面白い』ってどういう事?何か凄く馬鹿にされたような気分なんだけど」と詰問される事となった。

 言う迄もなく私は"interesting"(興味深い、心惹かれる)の意で「面白い」と言ったのであり、決して"fun"(滑稽な、可笑しい)の意で言った訳では無い。私の場合、後者の意味を表現する際には「面白い」ではなく「おもろい」「けったいな」を用いる。因みに広辞苑に於いて、前者の意は2番目、後者の意は3番目に記載されており、広辞苑ルール(2000/09/20参照)に拠れば私の用法が原義に近いという事になる。

 大体、実際問題として、或る意見を拝聴した処、賛成だの反対だのを論じる以前に其の意見及び意見の背景にある思想に惹かれた場合、他に適当な表現があるのであろうか。「興味深い」「心惹かれる」よりは「面白い」の方が主体的、能動的に関心を抱いている様子が表現出来て好ましく思えるのだが。

 其れにしても此の単語も酷く誤解を受けやすい言葉である。例えば或る人間に多大な興味及び関心を抱いた時に「なかなか面白い人ですね」などと伝えると、言われた方としては期せずして芸人気分になってしまうのでは無かろうか。斯様に誤解を受けるだけならまだ良い。上述のケースのように、当方としては大いに好意を寄せているにも拘わらず、其れが相手にとっては貶していると受け止められ、怒りを買ってしまうと非常に悲しいのだ。


2000/09/20

適当

 日常用いる際に案外神経を遣う言葉の一つに「適当」なる単語がある。広辞苑に拠れば「1.ある状態や目的などに、ほどよくあてはまること。2.その場に合せて要領よくやること。いい加減」とあり、語源に近いものから列記するという広辞苑の大原則に当て嵌めれば元々前者の意味なのであろう。私自身「適当」なる語を用いる際にはほぼ例外なく1の意で用いており、2の意味を表現する際には「適当」なる語を用いずに「好い加減」という表現を用いる事が多い。

 処が世間には様々な人々が存在しており、「適当」を2の意味でしか用いず、1の意味を表現する際には「適切」なる語が用いられる場合が屡々ある。無論此は此で正確な用法なのであるが、1の意味と2の意味とがほぼ正反対であるが為に、当方の意図する所が全く伝わらないどころか会話の相手の逆鱗に触れるケースすら存在し兼ねないのだ。

 例えば職場に於いて上司から「方法は君に任せるのでこういった結果を出すように」との指示を受け、「与えられた仕事を最も適したと思われる方法で完遂した」事を報告する為に「適当にやりました」と表現した場合、報告の受け手が「此奴に仕事の方法を任したら思いっきり手を抜き兼ねぬ」「此奴はやっつけ仕事しか出来ぬのか」などと解釈する可能性が極めて高いものと思われる。とはいえ普段口語の中で「適切」なる表現を用いる機会が殆ど無い私の場合、此処で暫し悩んでしまう事となってしまうのだ。

 そう悩んでいた所に先日後輩からメールを貰ったのだが、其の中で、「別にどうでも良いことだから余り構わなくとも良い」という意味を表現する為に、「テキトーにあしらって下さい」という表現が用いられていた。成る程、片仮名の軽薄性を活かして其の語の持つ軽薄な方の意味を明示するという方法があるのだと思い、皆が此の表現方法を用いれば上述の様な誤解も無くなるであろうと考えた直後、そんな区別など話し言葉に於いては全く用いることが出来ない事に気付いて再び悩んでいるところなのである。


2000/09/19

続・金属探知器

 空港の金属探知器に纏わる逸話として巷間に広く流布しているものの一つに、或るアイドルの事件が挙げられよう。

 彼女がマネージャーと共に空港の搭乗口に赴いた時の事である。手荷物が金属探知器のチェックに引っ掛かってしまった。「中を改めさせ給え」と迫る係員、「此だけは見せられませぬ」と拒むアイドル。暫く遣り取りがあった挙げ句、アイドルは泣く泣く手荷物を見せることになったのだが、其の中には電動ヴァイブレイターが入っていたのだ。マネージャー曰く「お前飛行機の中でぐらい我慢せいよ」。其れ以来彼女が芸能界で日の目を見ることは無かった。

 一時一世を風靡するほど爆発的に流行したネタだったのだが、当時より私にはどうも引っ掛かる点があったのだ。彼女が本当に機内にてヴァイブレイターを用いようと考えていたのであれば当初より股間に挿入していたのでは無かろうか。第一手荷物に入れておれば上記のような過程を経て発見されるのは火を見るより明らかである一方で、股間に装着しておけば膣壁がエックス線の透過を防止するなどという淡い期待が抱け、縦しんば金属探知器に引っ掛かった処で「骨折の為に金属ボルトを膣内に装着しているので御座います」などと言い訳してみたり、「何をするか!検査に乗じて私の股間をまさぐるとは!」などと逆切れしてみたりするなどして窮地を脱する事も可能なのである。否抑も飛行中の時間が我慢出来ない位なら、搭乗チェック及び離発着の時間すら股間を休めるのも勿体無いと考えるのが通常人の感覚である。

 さて今回は人命に関わる話なのであり、アイドルの股間など此以上構って居れぬ為早速本題に入る。刃物等危険物の有無を確認する為にエックス線を用いて金属探知器による手荷物チェックが実施されるのだが、エックス線を照射するだけでは所詮金属の形しか判らぬのではないか。即ち、金属製ノートパソコンの筐体に拳銃を隠しておいたり、金属製の鞄内に包丁を張り付けたり、金属製(言う迄も無いが外部はシリコンなりゴムなりウレタンなりで覆われている)ヴァイブレイターの内部に彫刻刀を仕込んだりしていた場合、金属探知器前の係員はエックス線画面を見ても「ああノートパソコンだな」「ああ鞄だな」「ああヴァイブレイターだな」で済んでしまうのでは無かろうか。此では犯罪の水際防止に全く繋がらぬ。他に私の知らぬ方法で仕込みノートパソコンなり仕込み鞄なり仕込みヴァイブレイターなりを発見する方法が存在するのであろうか。


2000/09/18

金属探知器

 先日名古屋空港にて搭乗の際に非常に凝ったボディチェックを受けた(2000/09/14参照)のだが、私の場合毎回ほぼ例外無く金属探知器に引っ掛かるのである。因みに原因もほぼ例外無くベルトのバックル。

 危険防止の意味に於いて厳格な搭乗チェックには吝かではないどころか寧ろ必要なものであると考えている。又、原因が判っているので在ればボディチェック前にベルトを外しておけば良いではないかという意見もあろう。しかし、世間に於いて金属製バックルのベルトを着用している人間など数多存在すると思われるにも拘わらず、何故周囲の人間は無事に金属探知器を通過するのに私だけが決まって機械に反応してしまうのであろうか。

 機械に反応してボディチェックを受ける事自体を愉しむ人種も存在すると聞く。女性に身体を軽く触られたり叩かれたりする事を愉しんだり、「どや、姉ちゃん。ここも触ってみいひんか?触れば触るほど金属みたいにカチコチになるんやで」などと言葉巧みに股間を触らせて愉しんだりと、此の手の例は枚挙に遑がない。しかし私は断じてそういった行為を愉しまないし、縦しんば愉しんだとして不運にもオッサンにボディチェックを受ける事になると、「どや、オッサン。ここも触ってみいひんか?触れば触るほど金属みたいにカチコチになるんやで」「そうですか、では少し触らせていただきます」などという事になる危険性が十二分にあり、少なくとも私にとっては此は苦痛以外の何物でもないでは無いか。

 無事に金属探知器を潜り抜ける人達に問いたい。貴方達は一体どういったベルトを着用しているのか。もしバックルが金属製だとしたら、如何にしてチェックを受けずに金属探知器を通過しているのか。ボディチェックを女性から受ける際に思わず愉しんでしまわないのか。因みに最後だけは全く関係の無い単なる個人的関心なのだが。


2000/09/17

携帯電話の影響

 航空機への搭乗時に於ける諸注意の一つに、「携帯電話は航空機の機器類に支障を与える虞があるので必ず電源を切るように」なるものがある。そういえば私のちゃきちゃきの江戸っ子時代にはJR東日本が「ペースメーカー着用者に対して影響を及ぼす可能性があるので駅及び車内に於いては携帯電話の電源を切っておくように」なるアナウンスを頻りにしていたように思える。

 しかし良く解らぬのが何れにせよ「支障を与える虞がある」「影響を及ぼす可能性がある」と、断定に至っていないのである。航空機の運行支障だの人命への影響だのという重大な事柄について未だ因果関係が明確でないとは一体どういう事なのだ。素人考えでは実際に航空機(当然離陸状態になくても良い)内やペースメーカーを人体と同様の素材で包んだものの近くなどで、携帯電話の電源を入れたり切ったりしてみることを繰り返して結果を蓄積することにより容易に把握出来るのでは無かろうか。

 にも拘わらず、そういった調査を行っているのかどうかも判らぬ、誰が責任をもってそういった調査を行うのかも判らぬ、何らかの結論が出たのかどうかも判らぬ、もし結論が出たとして其れが如何程の拘束力を持つのかも判らぬ、といった状況が現実なのではないか。過去には或る協議会に於いて電磁波の影響が議論されたりだとか、郵政省あたりが腰を上げようとしているだとか、海外では携帯電話による事故が既に発生しているだとか、そういった話が無くも無いのだが、結局現状に於ける世間の認識は「虞」「可能性」止まりなのである。

 此の現状、旗色が良くないと思われる携帯電話サイド(単に携帯電話会社に止まらずもっと大きなものが存在するのかも知れぬ)から「取り敢えず技術面で解決出来るようになる迄は何とか…」等という圧力のようなものが働いているとしか思えぬのだが。

 というネタを旅行帰りの航空機内で温めつつ帰宅して此処数日分の日本経済新聞を目にしていた処、9月16日付別紙で「乗り物と携帯電話マナー」と題したコラムが記されているではないか。仕方ない、今回は潔く日経に対して負けを認めよう。


2000/09/16

ロシア人

 昨日から今日にかけて、北海道の小樽からレンタカーを借りて日本海沿岸を北上し、途中彼方此方で道草を食いまくりながら稚内へと辿り着いた。

 其の最中で留萌港に寄った時の事。ゼロヨン(1980年代頃から若者の間で流行した遊戯。自動車による400m走を一対一で行い勝敗を決する。主として集団のリーダーを決したり、一人の女性を奪い合う場合に行われる。現時点では五輪競技に採用されていない)が十分楽しめるのではないかと思われる程長い直線の岸壁を巡って漁港気分を満喫していた処、如何にも其の漁港風景にしっくり来る年期の入った船を見つけた。

 船体及び甲板等の錆具合を鑑みるに、ひょっとすると廃船かも知れぬと思い、近寄ってあわよくば岸壁から甲板に伸ばされた梯子を用いてちょっと乗ってみようかという気分になって船に近づいた処、背後から人の気配を感じた。

 振り返ってみたら背の高い外国人が私を凄まじい形相で睨んでいる。どうやら陸地で買い物を済ませ船に戻ってきたようである。慌てて目を背け船から離れた。船を再度確認するとロシア船籍の船。タイミングを間違えれば私は其の儘ロシアに連行されていたか、船員達のリンチを受ける事になっていたであろう。其れ位の恐怖を感じさせる位の睨み様であった。

 処で、本日のシドニーオリンピック女子柔道の決勝戦。勝った日本人の喜ぶ姿を凄まじい形相で睨み付ける敗者のロシア人の姿を目にして、期せずして留萌港での恐怖が蘇る事となったのだ。


2000/09/15

問題作 実録・真昼の獣愛

 以下の文章の中には所謂「猥褻な表現」「獣愛に関する記述」「同性愛に関する記述」が含まれている。18歳未満の方及び獣愛や同性愛に理解の無い方を対象にしたアダルトチェックを設ける気など更々無いので、此等の方々も努々たじろぐことなく是非刮目して味読して頂きたい。

 昨日の事である。私は北海道の観光牧場を訪れ、一頭毎に仕切られた馬房を巡り、それぞれの馬に対して声を掛けたり同じポーズを取ったり等して遊んでいた。

 或る馬が馬房からぬうっと首を突き出して佇んで居た。「此の馬は人懐っこそうだ。仲良くなれるかも知れぬ」と思いつつ其の馬の前に立とうとしたのだが、正に其の瞬間其の馬は更に顔を接近させて来たため流石の私も驚いて後退りしてしまったのだ。

 少し離れて馬房の前の看板を見ると、名前はRICKY、せん馬(去勢済みの牡馬。2000/08/19参照)の5歳。父はWoodmanという世界レヴェルの有名種牡馬。眼も馬にしては鋭く、白目が他馬に比べて目立っている。本来ならば競走馬として最も脂の乗った時期、何かの事情で周囲の期待に応えることが出来ずに此方に来たのだろう。

 先程は後退りしてしまい相手を驚かせてしまったのではないか。今度は心の準備をしっかりして再度彼に近づいたのだが、矢張り彼は鼻先を私の顔や衣服に擦り寄せてきてくれた。良かった、嫌われなくて。

 さて、私も彼の顔を撫で回している内、彼は今度は唇を私に寄せようとしてきた。最初、彼は私に噛み付こうとしているのでは無いかと思い、噛まれても身体に影響が及ばぬよう、服の袖を口に近づけてあげたのだが、彼は「僕がしたいのはそんな事じゃないんだよ」と言いたいかの様に、全く噛む素振りなど見せずに私の顔、更に言えば私の口を狙って何度も唇を寄せようとしてきたのだ。

 私の中には何かしらの抵抗があった。「今日はここまでだよ」と念じつつ、鼻と鼻とを引っ付けて暫くじっとしていた。そうこうしている内に別の客が近づく気配があったので、「人前でちょっと恥ずかしいから離れるよ」と彼に念じつつ一時的に顔を離した処、彼も「うん、判った」と言わんばかりに、すっと顔を離して他の客に愛嬌を振りまいていた。

 そして周囲に人が居なくなると同時に、彼は再度私の唇を求めてきたのだが、先程迄食べていたと思われる飼料の残り滓が大量に付着して汚れた彼の唇を見ると、矢張り其処から先に進むのには私は抵抗を禁じ得なかった。

 其の矢先、いきなり彼が顔を背けてとった行動に私は途轍もなく驚いた。私の心を即座に察知したのであろうか、「じゃあこれならいいかい?」と言わんばかりに彼は汚れた唇を器用に自らの肩で一頻り拭い、再度唇を私に寄せようとした。彼の直向きな気持ちに半ば感心しつつ、「何とかこれで我慢してくれよ」との思いで彼の顔や首を存分に愛撫してあげる事にした。

 「自分が相手の身体を触っていて気持ち良いと思える時は、相手も其処を触られるのが気持ち良いという事である」という人間界の性行為に於ける法則を彼にも当てはめ、感触の良い鼻先や眼の周囲、そして馬を少しでも知っている人なら御存知かと思うが通常触れてはならぬとされている耳、しかも内部迄を思い切って撫で回したのであった。通常の馬なら「何すんねん」と暴れても不思議ではないのだが、「君だったら許してあげるよ」とでも言いたそうに只管じっと触らせてくれたのだ。

 もう30分は経ったであろうか。当初乗る予定だった帰りのバスもやり過ごし、私の手も彼の脂垢でかぴかぴになってきた。そろそろ…という気配を察知したのだろう、彼はもう一度鼻と鼻との接触を求めてきて私もそれに応じていた処、いきなり彼は意表を突いて、唇をぬっと伸ばして…私の唇を奪ったのであった。其れは正に、恋人同士が暫く顔を近づけている内にいきなり片方がさっと唇を奪うという、誰しもが一度はしたりされたりした事のある行為を想起させるものであった。

 一度体験してしまえば後はもう同じである。其の後二、三回程互いに接吻を愉しんだであろうか。再び別の客が来る気配を感じ、顔を離したのであった。今度客が去って再び彼の様子を覗いた処、当初の目的を果たしてほっとしたのであろう、もう私には目も呉れずに一心不乱に餌にむしゃぶりついていた。矢張り獣は獣である。


2000/09/14

数多の失態

 何とか北海道に到着したのだが、昨日から今日の到着時にかけて今回の旅行を巡って感じた極度の不安及び緊張の数々を挙げてみることにする。

 其の一:今年度の職場健康診断に於いて、眼鏡による矯正視力が0.5前後である事が判明した。此の儘だと眼鏡着用で自動車の運転が困難となる。コンタクトで矯正すれば恐らく此の条件はクリアするものと思われるが、私の場合は一日装着しているだけで結構目がしょぼつく為、今回の旅行のように2日間の運転に用いるのには若干不安が残る。出発迄に新しい眼鏡を購入しようと思いつつ、てっきり忘れていた事に気付いた。

 其の二:そんな訳でコンタクトの手入れをしっかりと行っておこうと思ったのは良いのだが、どういう訳か昨夜に限り此の作業を浴槽内で行ってしまい、其の結果右側のレンズが行方不明になってしまった。幸い程無く発見され、事無きを得た。

 其の三:行程をチェックする際に、レンタカー申し込み時の内容確認メールを見直した処、オートマティック車を申し込んだ筈が「ミッション車でも可」となっているではないか。ミッション車など、自動車教習所以外で弄った事無いぞ。

 其の四:同じく行程チェックの際に判明した事。旅行最終日、稚内から新千歳空港に到着する列車の時刻と、新千歳空港から名古屋に行く航空機の出発時刻とが4分差しか無く、乗り継ぎが事実上不可能な事に気付いた。列車を早めようとすると稚内を前日に発たねばならぬ。航空機を後らせようとしてもどうしようも無い程満席。一体どうなるのだ。

 其の五:そんな不安を抱きつつ床に就いたのが午前3時過ぎ。名古屋駅発6時30分のバスに乗車すべく、6時にはJRの最寄り駅に向かった。「ああ今日もダイヤ乱れてるんやろうなぁ。全然電車来る気配無いなぁ」と思いつつ時刻表に目を遣ると、抑も始発列車自体が6時30分以降。電車が来ないのも当然である。慌てて駅の改札を出たのだが、タクシーなど姿形も見えない。結局10分程走って名古屋鉄道の駅に向かい、其処から無事名古屋駅に到着した。

 其の六:名古屋駅を6時30分に出るバスは7時には名古屋空港に到着する予定で、7時45分発の航空機に余裕で間に合う筈であった。処が朝のラッシュ時間である事に加え、バスの経路が先日の豪雨の影響で不通となった道路の迂回路となっていたために只管遅れてしまい、名古屋空港到着はぎりぎりの時間であった。

 其の七:相当焦っていたのであろう。手荷物を空港会社に預けずに済む様、二個の鞄を一つにまとめるべく、一方をもう一方の中に納めようとしたところ、無理な力が加わりファスナーが壊れた。鞄開きっ放し。

 其の八:まだ続くのかよ。通常より割安の往復航空券を購入しようとしたのだが、片道しか購入できない自動発売機の前に並んでしまい、結局片道毎に購入する事に。

 其の九:搭乗時の金属検査に引っ掛かり、検査を受けることになったのだが内容が相当厳しかった。女性が軽く身体をぽんぽんと触る程度かと思ったのだが、実際には若い兄ちゃんが探知機や素手で全身を隈無く触るばかりか、最終的にはTシャツを捲り臍まで見せる羽目に。結局ベルトのバックルが原因だと判明したが、そんなもの私だけに限った事では無いではないか。

 其の十:新千歳空港到着時は大雨。傘持ってきてないぞ。

 以上、解決済みの問題が二、三、五、六、九。解決不能な問題が一、七、八。未解決の問題が四、十。現地到着に至るまでに此処まではらはらする経験など嘗て無い。此等数々の大失態、一体今迄何回旅行をしてきたというのだ。


2000/09/13

海豹・海驢・海獺

 (海豹)普段「エゾシカの嘶き」を執筆する際にはほぼ間違いなくソファ兼寝床となっているベッドに寝そべっている。元々ノートパソコンを入手した際、当時の手狭な寓居に於いては机が物置と化しており、寝床にてパソコンを弄くる他無かった為、何時しか寝そべってパソコンを操作するのが当たり前となってしまったのだ。(海獺)無論職場に於いては左様な無様な真似は行っていないし、1999/07/29の様に公共交通機関内に於いて「エゾシカの嘶き」を執筆する際も人前に横たわったりする訳でもない。

 寝そべるスタイルには大きく分けて二種類、変種を含めると三種類ある。一つは所謂「海豹型」と呼ばれるものであり、腹這いになって肘をつき、枕の上に置いたパソコンを操作する方法である。此だと背中がしゃんとして健康面でも良さそうなのだが、其の反面肘に負担が掛かり過ぎる、目がディスプレイと近づきすぎて視力の低下を招き兼ねない、といった欠点がある。又、此の変種として、腹這いの際に大きく脚を開く「海驢型」というものがあり、運動不足や脚の浮腫を感じた際に股間や脹ら脛の血行を促す事になる。勿論長時間此の体制でいると股が裂け兼ねぬので、速やかに「海豹型」に体位を整える必要があるのだが。

 もう一つは所謂「海獺型」と呼ばれるものであり、仰向けになり股間辺りにパソコンを載せて操作する方法である。背中には掛け布団や枕を置いて、丁度上半身がディスプレイに向かうようにするのがコツである。此の方法だと(海豹)非常に姿勢良くパソコンを操作出来、目にも負担が掛からぬという(海驢)メリットがある反面、頸を宙に浮かせるために(海豹)首が痛む事、そして其れ以上に、ノートパソコンが加熱する事により、股間が過度に暖まる事となり、何かとややこしい不都合が生じ兼ねない事がデメリットとして挙げられよう。

 (海驢)さて、目聡い方々は既にお気づきかも知れぬが、(海豹)此の文章を執筆する際にどういった体位を採っているかを、其の体位名を括弧内に記すことにより明示してみた。文章の内容と其の時採っていた体位との間に何か相関関係が読みとれないかと思ったのだが、振り返ってみると「もっと落ち着いた格好で文章を書けないのか」という怒りを己に対して抱くに過ぎなかった。


2000/09/12

検索エンジン・3

 2000/07/01で述べた通り、実は6月中旬辺りから目立たぬようにひっそりとアクセス状況解析サーヴィスを受けており、「エゾシカの嘶き」にどのサイトからどれ位の人が訪れているのか、どう言ったキーワードで「エゾシカの嘶き」に訪れる人が多いかを見る事が出来るようになっている。其処で、ここら辺で6月中旬から8月末までのアクセス状況を分析してみる事にする。

 曜日別アクセス数を見て若干驚いた。平日と週末との差が歴然としている。元々週末のアクセス数が少ない事は従来から把握していたのだが、具体的な累積数値で目にするとどうしようも無い程の差が付いているのだ。更に驚くべきは時間帯別アクセス数。ピークは何と12時台、企業の昼休み時間帯であるではないか。そして其の次に大きなピークは朝9〜10時台。始業時かよ。「インターネットのアクセス数は深夜23時〜2時がピーク」という常識を打ち破っており、素直に受け止めると、大多数のアクセス者は勤務先等のパソコンを用いて「エゾシカの嘶き」を読んでいるということになり、「エゾシカの嘶き」が混沌とした現代を生き抜くビジネスマンの必須アイテムであると認められており数多の企業が「エゾシカの嘶き」を職場で見る事を奨励しているものと推測されよう。恐らく何処の企業でも、朝のミーティングだとか午後一の会議の席上だとかで「昨日のエゾシカの嘶きに拠ると…」だとか「何!?お前はまだ読んでないのか!そんな事で部下を掌握できるとでも思っているのか!」だとかという会話が為されているものと思われる。

 処で、此に加え、2000/07/01で垣間見た様に、読者がどういった切っ掛けで「エゾシカの嘶き」に辿り着いたかを把握する一助として、どういった検索語で「エゾシカの嘶き」に訪れたのかを調べてみた。2000/07/01の時点では「アダルトヴィデオ」なる検索語がトップであったのだが、此の期間を2ヶ月延ばしてみて結果に変化があったのであろうか。

 変化はあった。1位に躍り出たのは「陰核」である。2位の「アダルトヴィデオ」(前にも書いたが何故「ヴィ」なのだ)を鼻差凌いでいる。「陰核」で此方に辿り着いた方々もきっとショックだと思うが、私も此の結果はショッキングなものであった。因みに以下続くのは意味不明なものを除けば「i」(iモードの事か)、「名古屋駅から空港までのアクセス」、「口内射精」、「東京キャバクラ」、「少年犯罪 バスハイジャック」、「陰唇」、「三大珍獣」、「馬の弾糞」。更に頻度が少ないものの私の度肝を抜いた物としては「覗き 女子便所」、「馬 陰茎 写真」、「ヒサヤ大黒堂 上野 痔」、「ピアス 陰唇」、「小学生の触診検査」、「ラーメンスープ 手首」、「合宿 陰茎」…。あ、あんたら…一体何が知りたいのや…。

 ビジネスマンの必須アイテムとなる一方で、そんじょそこらのエロサイトも真っ青になる言葉のオンパレード。あんまりな結果に人知れず頭を抱え込む一方で、密かに自らのサイトの奥深さを感じ悦に入る次第。


2000/09/11

もう濡れ濡れ

 昨日(2000/09/10)の予想通り、半濡れ状態のトランクス、半濡れ状態の靴下、半濡れ状態のカッターシャツ、流石にシャツの半濡れは風邪に良くないので普段は着ぬランニングシャツを身につけた上、スーツに身を包んで出勤することとなった。尤も唯一乾いていたランニングシャツも、人並み以上に発汗が激しいという私の体質のお陰で直ぐに半濡れ状態となったのだが。因みに半濡れの衣類というものは水が傷んだような妙な臭気を発する。此に汗に拠る体臭が仄かに混じり、得も言えぬ空気の中職場で過ごすこととなった。幾ら好青年と雖も、汗が似合う場面と似合ってはならぬ場面とが存在するものである。

 名古屋市内は夕方頃から黒雲に包まれた中での大雨。比較的高い位置にある職場からは既に外の風景が全く見えぬ。こんな中帰宅できるのかと思いつつ帰路に就こうとした処、名古屋駅構内に人が溢れかえっている惨状が目に入った。普段用いているJRも、用いて帰れぬ事もない名古屋鉄道も動いていない。復旧の見込みは立たない為タクシーで帰宅しようと思いつつ乗場を覗いてみるが、行列が凄まじい上動く気配が無い。仕方無く歩いて帰ろうと決意。此の時ばかりは寓居が職場から辛うじて徒歩圏にある事を誇りに思ったものであった。

 其の誇りが崩れるのにそう時間は掛からなかった。暫く歩いている内に池と化した交差点を目の当たりにした。最も水量の少なそうな部分を選んで足を下ろした瞬間、忽ち踝辺り迄が泥水に包まれたのであった。憖じ徒歩という選択肢が容易に浮かんだばかりに生じた悲劇。

 而もよくよく考えてみると、名古屋駅から寓居にかけてはなだらかな下り坂となっており、途中の交差点が池と化しているということは、坂の終端とほぼ同じ高さにある寓居は途轍もなく恐ろしい事態となっているのではないかと思われた。そう考えている内にも脹ら脛辺りまで浸水しているのが常態となっており、折角クリーニングから下ろしたばかりのスーツの運命すら案じられた。

 果たして坂の終端に着いたところ、一体何処をどう歩けばよいのか見当がつかぬ位辺り一面が水浸しとなっていた。否、もう水浸しなる生易しいものではない。空き缶等の塵や草木やどういう訳か靴までも流れている立派な川である。浸水の度合いは激しさを増し、最早股下浸水から股上に迫らんとする勢い。今歩きながら放尿しても誰も咎めまい、否咎められまい等と詰まらぬ事を考えつつ、何とか寓居に辿り着く事が出来たのだ。

 結局朝の状態を遙かに凌ぐ濡れ具合となってしまった。因みに雨脚は衰える気配を知らぬ。明朝は泳がずして通勤出来まい。今夜は水泳の練習で眠る暇など無かろう。


2000/09/10

今週末

 此の週末の行動を振り返ってみるに、5日程更新が遅れていた「エゾシカの嘶き」を一気に書き上げたり、最近何かと付き合いの増えた関係各所のサイトを覗き回ったり、溜まっていたメールの返事を書いたり、ほぼ1年振りに読者の方々への「EZOSHIKA TOWN」便り(「アンケート」コーナーより申し込み可能)を作成したり、先日購入した椎名林檎のヴィデオ「性的ヒーリング(其ノ壱、其ノ弐)」を何度も何度も見返したり、何時もの如く競馬中継で馬顔を愉しんだり、其れ以上に今の私に重要な事として数日後に迫った北海道旅行の行き先決定及び交通機関等の予約を済ませたりと、此処最近の私生活に於ける懸案事項を済ませる事が出来たような気がする。とは言え実は風邪で寝込んでおり、寝たり起きたりの合間にベッドから上記の行為を済ませていた為に結局丸二日間ごろごろしていただけなのだが。

 其れにしても、名古屋に来て以来週末の2日間を丸々ごろごろしていたのは初めてではないか。最初の内は日々生活用品の買い出しに出掛け、生活が落ち着いてからというもの週末の内何れかは知人等と過ごしたり旅行を楽しんだりしていたのだ。

 因みに来週末は北海道旅行、再来週末は翌日から受講する研修の準備、そして其の翌週から年末に掛けては業務が繁忙期に入る為に週末をどう過ごせるのか見当もつかぬ。そう考えると風邪をひいていたにも拘わらず「今週末でないと出来ない」事がそこそこ実現できた有意義な週末であった。

 とは言いつつ、密かに「毎週末やるべき」事である洗濯を忘れていたのに今更気付いたのだ。先程慌てて行ったものの、雨脚の近づきつつある今夜中に乾くとは到底思えぬ。明日は濡れた下着に濡れたカッターシャツを着用して出勤とは…。


2000/09/09

特別企画

 実は密かに「エゾシカの嘶き・iモード篇」のリニューアルを図ろうとしている。1999/04に記した文章をテーマ別に再編集したものを公開して以降、恥ずかしながら一度たりとも更新せずに現在に至っているのだ。

 iモードサイト市場が未成熟な所為であろう、取り敢えずサイトさえ立ち上げておけばメディアに採り上げられる傾向にあり、「エゾシカの嘶き・iモード篇」も嘗て書籍で紹介された事があったのだが、採り上げて頂ける事に対する嬉しさの裏側には心配も同居していたのだ。

 此の手の書物を参考に「エゾシカの嘶き・iモード篇」を訪れた方は、最初は愉しく御覧頂けるのであろうが次回以降は何度訪れても全く更新されぬ文章に激昂し、二度と訪れなくなる可能性が極めて高い、というかほぼ間違いなくそうなるであろう。当初の目論見としては、携帯電話から「エゾシカの嘶き・iモード篇」を御覧になった方々が後からパソコンで「エゾシカの嘶き」を鑑賞して頂ければ其れで良いと思い、取り敢えずiモードサイトを立ち上げたのだが、実際にiモード利用者が一々其処まで面倒な事をするのか今となっては甚だ疑問である。少なくとも私は左様な手間を掛ける事が無いのだ。

 更に其の不安を裏付けるかのように、2ヶ月程前に或る雑誌社から「ひょっとしたら『エゾシカの嘶き・iモード篇』を採り上げさせてもらうかも知れん」という連絡を受けたにも拘わらず、全く音沙汰無しなのである。対象サイトの内容が貧困か否かは連絡段階で先方に於いて確認済の筈。となると問題は、内容が時を経て陳腐化しているにも拘わらず全く更新が成されていない点以外に考えられぬ。

 という訳で、過去の文章の中から選りすぐった作品を「エゾシカの嘶き・iモード篇」に掲載する事にした。処が選別作業の際に問題が生じるのだ。私自身が「此は名作である」と信じて疑わぬ作品が、世間に於いては「詰まらぬ」だの「文章が下手」だの「下品」だの頗る不評というケースが屡々存在するのである。己を信じて選りすぐるのか、世間受けする作品を選ぶべきなのかで悩んだ結果、まあ一度此処等で世間の判断を仰いでみるのも面白かろう、自らの感性に基づく選別作業など何時でも出来るではないか、と思い、既に1ヶ月前に訪れておりながら本人も含め誰も気にしていない「連載500回記念」と絡めて、選別作業を世間に委ねる事にした次第。

 処で、早速えらい事に気付いた。1年間の文章を対象にし、其の中から選りすぐった作品でサイトを構築するという事は、同様の方法を採る限り、更に1年間の文章を溜めないと其の次の更新が出来ないではないか。「更新頻度が少ない(というか皆無)」という問題意識から出発した今回の企画、立ち上げ初日にして早くも難題を抱えてしまった。


2000/09/08

後輩の悪戯

 数年前に愛知県に居た時の事。同じ住処の中に非常に仲の良い後輩がいたのだが、或る時どういう訳か漁港のネタで盛り上がり、「此からの旅行は漁港の時代」「雑誌にも『今漁港巡りが熱い!』などと採り上げられる事必定」「どうやら『るるぶ漁港』がJTBから発刊されるらしい」などという好い加減な馬鹿話になってしまった。馬鹿話を単なる馬鹿話で留めるだけでなく実践に移すのが取り柄である私は其の数日後、仕事を終えた其の足で寝台列車に乗り込んで下関の漁港を訪れ、土産に河豚の干物を用意した上で「早速トレンドの最先端を走ってきたぞ。やっぱ漁港やで」と彼に報告を済ませた。

 さて、其れから数年を経た今日の事。他部署との打ち合わせの合間に雑談となったのだが、其の雑談の際に相手が口にした言葉。「そういえばエゾシカさん、以前職場で部長が『河豚が食べたい』と言った時に、わざわざ会社から下関に行って河豚を買ってきた事があったんですよね」

 んな事あるかいな。相手に問い質した処、彼は其の話を冒頭に述べた後輩から聞いたとの事。勝手に話を脚色して他人に広めてたんかいっ!しかも数年間も其の話が流布して他人の記憶に刷り込まれてたんかいっ!更に言えば、広める方も広める方やけど聞いた方も信じるなよ!

 まあそれにしても、数年前の悪戯が今になって笑いを取ることになろうとは、件の後輩自身も思いもよらなかったであろうに。


2000/09/07

続・旅欲の行方・北海道編

 間際行動の末の自業自得といえば其れ迄なのだが、2000/09/04で触れた、来週の北海道旅行が非常に危険な状態にある。往復ともに北海道への足がなかなか確保できないのだ。世間的にも3連休の最終日である復路の航空機が満席なのは予測できたが、平日である往路の航空機迄も席が取れないというのはどういう事だ。

 便を問わなければ取り敢えず空席も散見される。しかし4日間の内、初日の夜に現地に着いて、最終日の早朝に現地を出発するのであれば、実質2日間しか旅行出来ないではないか。新幹線で東京若しくは大阪に行き、其処から航空機を利用する手を考えたり、仙台や新潟で航空機を乗り換える手を考えたりしたのだが、此とて空席が無い。

 そして其れ以上に大きな問題が横たわっているのだ。結局北海道の何処を訪れるのかが未だに決まっていないのである。好い加減にしないと、車は兎も角宿は確保できるのだろうか。今年は諦めていた処折角遅蒔きながら確保出来た夏休み、此で良いのか。


2000/09/06

名古屋のTVCM

 名古屋に来て以来一度もTVCMについて本格的に論究した事が無いことに最近気付いた。6月までのちゃきちゃきの江戸っ子時代には旅ネタや獣ネタに続く位の労力を費やして述べていたテーマを蔑ろにするとは一体どうしたことか。

 東京地区で放映されているTVCMの何割かは中京地区に於いては放送されていない。此自体は至極当然なのだが、中京地区は「東京地区・大阪地区に次ぐ第三の市場」と言われている(少なくとも地元はそう信じている)にも拘わらず、全国区のTVCMが流れる割合が其の割に少ないのである。余り具体的には書けぬが、実際に全国区の企業が限られた広告費の範囲内で広告展開を行う場合、大抵は東京地区及び大阪地区を押さえるものの、中京地区まで手を伸ばすケースは案外多くないのだ。

 勿論、其の分地元企業等による所謂「ローカルCM」が流れている。通常ローカルCMなるものは非常にユニークであり、中小企業から商店レヴェルに至るまで幅広い作品が放映されていて其れだけでも飽きないのだが、どうした事か、此が亦詰まらぬ上にヴァリエーションに極めて乏しい。第一、2ヶ月名古屋で生活した私の頭の中に現在残っているローカルCMが、サウナと競艇と携帯電話とテレヴィ局のCM程度だという事は相当異常な状況と言えまいか。

 大企業が全国展開の為に力を入れて本格的に作った(否必ずしもそうではない、というかそうでない場合の方が多いか)TVCMの占める割合が少ない上、ローカルCMも少なく詰まらぬという事になれば、採り上げようにも印象に無い為に採り上げられない、採り上げるべきユニークさが無く採り上げたくない、といった事になるのも当然の事と言えよう。

 とはいえ中京地区という土壌がユニークなTVCMを育む土壌を有していないのかといえば必ずしもそうとは言えぬ部分があるのだ。以前愛知で生活していた時に、中京地区全体を巻き込む位のパワーを有したTVCMが確かに放映されていたのだ。

 「ミカとパパの物語」(パパとミカだったかも知れぬ)というタイトルの一連のTVCM、ドラマ仕立てで生活の一部に於けるミカとパパとの会話を中心にし、季節毎に進行していく。此の2人の顔は出て来ず、而も会話を聞いている限りでは、どうも2人は親子では無いのではないかとも思われるのだ。高が15秒で「ミカとパパとの関係が気になる」「続きが早く知りたい」「一体何処の広告なのか」「而も一体何が言いたいのか」などと、頭の中にもやもやを生じさせてしまうのである。中京地区のスポーツ新聞等に於いて「ミカは何歳なのか」「どうやってパパと知り合ったのか」などというホットな議論が行われたり、TVCMの最後で必ずパパに物を買ってと強請るミカの口調が流行したりと、名古屋の電器小売店のTVCMが大きな社会現象を形成していたのだ。

 数年前の広告レヴェルを振り返ってみて、中京地区の広告の奮起を大いに期待する次第。


2000/09/05

関西弁ポルノ

 自らが関西出身であり半生の多くを関西で過ごしたからといって決して身贔屓している訳では無いのだが、日本語の中で所謂関西弁程淫猥なオケージョンに於いて相応しい言葉は無いのでは無かろうか。とは言え私は比較する程多くの言葉を知っている訳でもなければましてや多くの言葉に接する事が出来る程豊富に淫猥なオケージョンを経験している訳でもない。更に言えば、此処では「私の妻は名古屋出身なので、言葉責めの際には名古屋弁でないとギンギンに勃起しない」だとか「中学の授業で古事記に接し、伊弉諾尊と伊弉冉尊との性交シーンで何度も自慰行為に耽った為、古語でないと射精できなくなってしまった」だとか「ナキウサギの金切り声を耳にするとじわっと股間が濡れてくるのが判るの」だとかという人達は全く考慮に入れていない。従って冒頭の意見はあくまで私個人の意見の域を出ないのだが、少なくとも「関西弁が淫猥なオケージョンに於いて相応しい」という点についてはそうそう異論が有るまい。例えば「ああ、もう堪らないよ!」という一言をとっても此だけではどういったオケージョンなのか判りにくいが、「おお、もう堪えられへんがな!」とするだけで忽ち淫猥な光景が脳裏に浮かんだりするではないか。尤も此とて人によっては「でら堪えれんでかんわ!」だとか「あな堪え難し」だとか「チチッ!チチチッ!」だとかの方が淫猥なオケージョンに相応しいと感じるケースも十分存在しようが。

 此の理由については今後の検討課題というか現在も日々検討を重ね続けているので今後の機会に触れることにするとして、一つ不思議でならない事があるのだ。此程淫猥なオケージョンに適し、且つ全国的にも或る程度認知がある筈の関西弁が、巷間に溢れるエロ小説だのエロヴィデオだのに於いて用いられている機会が案外少ないのである。尚此処で「案外少ない」と言うのも、別に私が国内のエロ小説やエロヴィデオを鑑賞し尽くしている訳では決して無く、あくまで自らの乏しい経験の中から主観的に述べているのに過ぎないのだが。

 偶に関西弁に接する機会が無くもないが、そういったケースというのは大抵の場合、矢鱈精力絶倫系のオッサンが登場する一シーンだとかに限定されている。極々稀に全編関西弁で統一されたエロヴィデオなんぞに接したと思ったら、何の事は無い、関西の素人制作の裏ヴィデオだったりするのだ。

 ひょっとすると、本格的に淫猥なオケージョンを演出する一環として関西弁を駆使できる程の人材がポルノ界に不足しているのでは無かろうか。一々検証してみる気は無いのだが、少なくともポルノ界に於いて未発達の分野が存在すると共に、其の分野に於いて将来性が期待できる、という事は現時点での認識として誤っていないのでは無いと言えなくも無い。


2000/09/04

旅欲の行方・北海道編

 擦った揉んだの末に4日連続で休暇を取ることが出来る事となった。尤も当初より3連休となる9/15〜17の前日を休むというだけなのだが。

 当然の事ながら行き先は、長期休暇が取得できた場合の大本命である北海道である。既に気分は北の大地。馬やエゾシカやナキウサギ達が私を心待ちにしているのだ。

 しかし喜び勇んで航空機や宿やレンタカーを予約しようとしてはたと気付いた。私は北海道の何処に行くのだ。此では航空機も宿もレンタカーも全く予約出来ぬではないか。其処で毎度旅欲が湧いた時と同様、様々な案を此の場で比較検討することにする。

 本命は月並みながら日高地方。馬を愛で獣欲を満たした後は、昨年の此の時期に訪れたものの当日いきなり土砂崩れに見舞われ通行する事能わざりし襟裳岬の東西沿岸踏破(1999/09/07参照)を行うのも良かろう。只一つ問題なのは、コースにせよ内容にせよ、昨年のリターンマッチの域を出ておらず新鮮味に欠ける点である。

 対抗は、札幌〜稚内の北海道西海岸300km余りを車で走り回るというプラン。実は密かに心に抱いている小さな夢の一つとして、「一生の内に北海道沿岸を自ら車を操り一周する」というものがあり、数年前から着々と実行に移しつつある。先述の「襟裳岬東西沿岸踏破」も此の一環として行おうとしていたものであるのだ。道北の湿原辺りでうろうろしながらでも2日位有れば十分可能であり、此を実行に移すことにより、札幌〜稚内〜網走〜根室〜釧路及び襟裳岬〜苫小牧を踏破した事になるのだ。自らの中で達成感が満たされる事必定。しかし此にも問題点があり、名古屋〜稚内の航空便が存在しないのである。

 他に私を魅了せんとしているのが美瑛。絵の様な風景の中に溶け込み、丘の稜線に心を奪われてみるのも良かろう。此も数年前に訪れた際、レンタサイクルを借りるや否や大雨に見舞われ、丘も見ずに退散したという苦い過去があり、是非リヴェンジを果たしたいと思っていたのだ。しかし一つ心配なのが私の雨男振り。美瑛を目的にした旅行で雨に見舞われればもう何をしに北海道に行ったのか判らぬ事になり兼ねぬ。

 後気になるのは実は久々の探訪となる道東。霧で有名であるにも拘わらず、雨男の私が嘗て2度訪れて2度共湖面を臨む事が出来た摩周湖を訪れて自らの強運振りを再確認するのも亦善し。発情したエゾシカに混じり共に発情してみたりするのも亦一興。処が此にも問題点があり、一つは「霧の晴れた摩周湖を見ると婚期を逃す」という言い伝えが有るにも拘わらず2度も見てしまった私が今回も湖面を見てしまうと、ひょっとしたら一生婚期が訪れない虞も存在する事、もう一つは残念ながら私はエゾシカの発情を見ても共に発情する事が出来ず、縦しんば発情したとしてもエゾシカが私を受け容れてくれる可能性が極めて低いと思われる事が難点なのである。


2000/09/03

オフ会では無いものの

 昨日のオフ会に続き、密かに今日も「エゾシカの嘶き」のコアな読者の方とお会いする事となった。名古屋近郊で私も其の味を認めた天下一品(2000/07/31参照)でラーメンを食べ、寓居近くの場外馬券売場に足を向けた後は、転居後2ヶ月を経過しても未だ片付かぬ寓居(状況については2000/07/16参照)で今一つ充実せぬ競馬番組(2000/08/19参照)を観戦するという、正に此処暫くの「エゾシカの嘶き」をフィーチャーしたかの如き行動をとっていたのだ。

 流石にコアな読者という事で、「此の漢字は読めぬ」「此の文章には苛立ち途中で読むのを止めた」「抑も何故私を『コアな読者』と称するのか」等という忌憚無き意見を頂いたり、今後ネタにすべき話題に関する思索を共に膨らませたり等、今後の作品執筆に重要な影響を与えて頂いたりすると共に、当方も作品の背景や根底に存在する思想を語ったりも出来たのである。

 斯くの如く、読者の方と共に作品及び思想を発展させ交換するといった行為も、或る意味昨日述べた「内なる属性を以て他人と接する」という行為の一環と言えまいか。此も亦楽しからず哉。


2000/09/02

オフ会

 現在自分が主にどの様な属性を背負って他人と関わっているのかを思い起こしてみる。

 初めて接する人に対して自らの属性を込めた自己紹介を行うケースを振り返るに、最も多いのが「何処其処に勤めておりますエゾシカと申します」(言う迄も無いが日常生活上本当に「エゾシカ」と名乗っている訳では無い)と、勤務先の企業名及び所属部署名を語る機会であると思われる。まあ考えてみれば初対面の人と接する機会というのが殆ど業務若しくは業務の延長という事もあるのだろうが。従って当然其処から続く話と言えば自らが当該企業に勤めている事を意識したものになり、恰も自分自身が当該企業若しくは業種、職種についての責任を背負ったかの如き気分になってしまうのである(例えば広告代理店勤務だと「すご〜い!タレントとかに会えるの?」だとか「毎晩毎晩合コンばっかりしてるの?」だとか「今度のあそこのTVCMって面白いよね」だとかという、広告代理店勤務の人間に用意されたかの如き質問の山を受けることにより、好むと好まざるとに拘わらず、自らが広告代理店勤務を意識してしまうのでは無かろうか)。

 次に多いのが「何処其処に住んでおりますエゾシカと申します」と、居住地を明らかにするケースであろう。旅先等、完全にプライヴェートの場で接する人間に対しては此のケースが大半と言えよう。当然今後の会話の中では居住地に関する話題が続くことになり、恰も自らが其の土地の代表であるかの如き気分になってしまうのである(例えば北海道出身だと「寒いとこで産まれたんですね」だとか「経済も沈んでて大変ですね」だとか「日頃から雲丹や蟹を食ってたんだろ」だとかという、北海道出身者に用意されたかの如き質問の山を受けることにより、好むと好まざるとに拘わらず、自らが北海道出身者だという事を意識してしまうのでは無かろうか)。

 一方、自らの内なる属性(趣味、嗜好等)を初対面の人間に最初から晒す機会というのはそうそう無いであろう。「明智光秀を尊敬しているエゾシカと申します」だの「日常会話でボケとツッコミを意識しているエゾシカと申します」だの「最近獣愛にはまっているエゾシカと申します」だのといきなり言われた方は当惑するばかりか場合によっては逃げてしまう虞すら存在する。

 即ち、人というものは見知らぬ他人と接する際、何らかの属性を(内に抱いてではなく)背負わされて其れを常に心の何処かで意識しながら他人と接するものであると言えるのでは無かろうか。否其の事自体を否定するものではない。只個人的に、背負わされた属性を取っ払い、内なる属性を以て他人と接する機会も時には有れば気も楽だろうと思うのである。

 そんな訳で、属性を背負うことなく他人と接する機会を立て続けに作る事になった。先週の「獣医師広報板」のオフラインミーティング、そして今日行われた或るサイトのオフラインミーティングである。

 オフラインミーティング(以下「オフ会」と謂う)なる催し物、普段インターネット等のオンラインで接している人達が生で接する機会なのだが、先週は「獣が好き」という理由、今日は「或る参加者の文章及び思想がいたく気に入った」という理由で参加させて頂いた。匿名環境であるインターネット上で自らの内なる属性のみを互いにアピールした上で、其の内なる属性に惹かれた者達が集う。其の段階では背負わされた属性は存在しない。職場や居住地で盛り上がるのは、顔を合わせて暫く趣味、嗜好を語り合った後でも十分事足りるのだ。

 日常生活に於いて余程余計な属性を背負っている所為なのであろうか、其れともオフ会の内容自体が非常に愉しい物であった所為なのであろうか、きっと両者共関係しているのであろう。オフ会参加後にはスポーツの後の様な心地良い疲労感を感じつつ、帰路に就くことができたのだ。


2000/09/01

防災訓練

 以前の「エゾシカの嘶き」と比べ、近年では月を追う毎に一日当たりの文章が長くなる傾向にある。昔は数行で済ませるものや、一人尻取りを楽しむものなどが散見されたのだが、最近では複数の段落や複数の内容で一日の文章を成すケースが大半である。

 其れは其れで一向に構わぬのだが、何時しか自らの内部に於いて「こんだけの文章やったらいかんのとちゃうか」等という、己の文章としての短文に対する抵抗感が無意識のうちに醸成されている感がある。別に文章の価値が其の分量で決定するものとも限らぬ為、今月は時々意識して短い文章を物してみることにより、そういった抵抗感を徐々に薄めていこうと考えている。

 屡々あることだが前置きが長くなった。此の日は所謂「防災の日」である。尤も正直な処、今では関東大震災の発生日よりは阪神・淡路大震災の発生日の方が防災を考えるのに適切ではないかと思ったりもするのだが。

 私の勤める会社に於いては此の日は早朝から職場毎に作成された緊急連絡網を用いて、各家庭を通じて電話による「伝言ゲーム」を行い、最後の人が最初の人に其の内容を報告する事になる。「伝言ゲーム」とはいえ、内容は大抵「連絡差し上げました」という趣旨のものであり、当然の如く途中で「生麦生米生卵」だとかという言葉に変えて笑いをとろうとする事(2000/08/11参照)などほぼ不可能である。

 前日は仕事中にパソコンがフリーズし、午後の作業をパーにしてしまってブルーな気分で合コンに出席した処、体調不良と相俟ってテンションが全く上がらぬ儘、俄雨に打たれて帰宅するという辛い状態で不貞寝してしまったのだが、翌朝4基の目覚まし時計とほぼ同時刻に、連絡網を用いて上司から電話が掛かってきた。

 上司の第一声は「○○です。昨日はどうもありがとう」であった。体調を崩して前日急遽休んだ上司から、其の代わりに仕事を進めていた私に対する労いだったのであろう。処が寝惚けている私の返事は「ん…ああ、昨日はありがとうございました、お疲れ様でした」。てっきり相手を前夜の合コンの主催者と勘違いしていたのであった。頗る失礼な奴である。


最新 前月 翌月 一覧 「EZOSHIKA TOWN」トップ