エゾシカの 1999/04/01〜1999/04/30

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1999/04/30

痴漢と笑いと憤り

 痴漢ブームである。しかも盛り上げているのが運輸省だのJRだのだからたまらない。以下は偶々4/28の新聞紙面を賑わせた東西の事件である。

 「千葉県警松戸署は27日夜、列車内で女性に痴漢行為をしたとして、松戸市松戸の運輸省港湾局係長(41)を県迷惑防止条例違反の疑いで現行犯逮捕した。調べによると、同容疑者は午後11時25分ごろ、JR常磐線下り快速列車内で、座席前に立っていた松戸市のパート女性(51)の太ももをスラックスの上からなでた疑い。」

 「JR西日本大阪支社の大阪土木技術センター所長(52)が2月、JR阪和線の電車内で女性に痴漢行為を働き、迷惑防止条例違反で大阪府警の取り調べを受け、3月10日付で懲戒解雇されていたことが28日わかった。調べによると、この所長は2月26日午後11時50分ごろ、友人と酒を飲み、1人で帰宅中の車内で、隣の席の大阪府堺市内のOL(19)の足などを触った疑い。」

 この際、41歳のオッサンがもう孫もいるであろう51歳の女性を触ったことや、定年間近の52歳のオッサンが娘より若い19歳の女性を触ったことは問題ではない(いややっぱりこれはこれで大問題なのだろうが)。本来痴漢行為とは最も遠いはずの人間達が痴漢行為を享受していたのが大問題なのである。

 80年代に生まれた新しい「笑い」として、権威が自らその権威を崩し、本来の地位と堕ちた地位とのギャップを笑う、というものがある。いわゆる「お堅い人」がバラエティ番組にこぞって出演し、たわいもないギャグで本来の姿とのギャップを見せることによって笑いを取る、といった手法が大流行した。当然こういった「笑い」は90年代には飽きられ、いかに自然に本来の姿と実際の行動とのギャップを見せるかが求められた。女性アイドルが真顔で自らの無知や奇癖を露呈するいわゆる「天然ボケ」などもこのパターンに含まれよう。

 90年代も終わろうとする今、私はこの手の「笑い」にも食傷気味である。こういった事件を見ても憤りしか覚えない。


1999/04/29

ニュースステーション

 久しぶりに「ニュースステーション」を最初から見た。学生時代は外出中を除き、1秒たりとも欠かさず見ていたのだが、社会人になってからはその時間帯に帰宅していることが少なくなったせいか、いつしか「ニュースステーション」へのロイヤリティが低下し、在宅時であっても他番組を見たりする事が多くなってきたようである。

 以前と比べてかなり様相が変化している。小宮さんが去ってもう1年になり、つい先日も菅沼さんが女性問題で降板するなど、メインメンバーだけでも大きな変化が見られる。その中で、スポーツコーナーの野崎さんは相変わらず出演しているようである。この人、もう10年くらい木曜のスポーツコーナーに出演しているのではないか。全く関係ないが、以前築地のドトールコーヒーでこの人を見かけたことがある。

 野崎さん登場の後は、感動というものを自身のテンションの高さでしか伝えることのできない川平慈英が出てきた。思わずチャンネルを替えてしまった。


1999/04/28

続・ドリンク剤

 昨日(1999/04/27)の内容について、早速別の方からご意見を頂いた。その方は夜帰宅する際にコンビニで翌日の朝食と共にドリンク剤を購入し、朝自宅でドリンク剤を服用して出社するそうである。なるほど、前日の夜に購入するのであれば、夜に開いていて、しかも何かのついでに立ち寄るコンビニでの購入というのは頗る自然である。さらにこの方が、朝から薬局の店頭でドリンク剤を服用するのを恥ずかしいと思う人だというので、尚更前日購入に走るのであろう。基本的に夜のドリンク剤需要というのは、これから一戦交えようとする男性のためのものだと思っていたので、この購入パターンは私には新鮮なものに感じられた。

 この方は今日が誕生日との事。今日は一戦交えるために夜のドリンク剤需要に寄与していることであろう。


1999/04/27

ドリンク剤

 ドリンク剤のコンビニ発売が解禁となって一月近くになる。「コンビニでの医薬品発売」という形ではなく「ドリンク剤を医薬品指定しない」という方法を採ったことによって、自動販売機発売など今後も販売チャネルが拡大しそうである。

 ウーロン茶や桃の天然水などと一緒にリポデタンDやリゲインなどが並んでいる光景に、未だに慣れることができない。それどころか、これらのドリンク剤の効果が薄れているようにすら感じられる。「清涼飲料水」である1本150円くらいの「赤まむし」などの怪しげなドリンクと同じものであるような気がしてならない。

 朝から店を開けている薬局が通勤途上に多いこと、それらの店ではかなり安価で販売していることなどから、実際に購入するときもコンビニでは買わない。そういう人種にとって今回の法改正は、販売チャネルが拡大されたというメリットが享受されることなく、「今まで医薬品だったドリンク剤が医薬部外品になってしまった」=「効果が薄れた」というマイナスの効果しか生み出していないことになってしまう。

 だいたい、内容も変わっていないのに「医薬品」から「医薬部外品」になるのなら、今までありがたく服用してきたドリンク剤はいったい何だったのだ。

 

1999/04/26

洋画

 先日宿泊したホテルのTVのアダルトプログラムは「調教師 悦楽の教え」という映画であった。「悦楽」という言葉以前に「調教師」という言葉に反応し、思わず全力疾走する馬を思い浮かべてしまったのが多少哀しかったが。

 この映画、もとのタイトルは「TEACH ME」というタイトルである。ここから「調教師 悦楽の教え」という邦題を考えついた方の感性にはただただ感服するばかりである。確かに「新婚のジャニーンは夫とのセックスの相性がうまくいかず友人に相談を持ちかけると『秘密の館』というセラピーを紹介された。そのセラピーとは彼女の肉体からエロスを呼び覚ます衝撃的なレッスンだった。」(ホテルの番組案内より)という内容を見ると、「調教師 悦楽の教え」というタイトルを考えつく人も何人かはいるかもしれない。

 それにしても、このタイトルを考えついた人がもし学園ものの映画のタイトルを考えたとしたら、「TEACH ME」は「保健室の課外授業」とか「女教師・真理子と少年」とかになるのだろう。家族の絆を描く映画のタイトルを考えたとしたら、「TEACH ME」は「父と娘・夜の花嫁修業」とか「未亡人・尚子と少年」とかになるのであろう。子供向き映画のタイトルを考えたとしたら、「TEACH ME」は「少女凌辱!」とか「亜美ちゃんとおにいちゃん」とかになるのであろう。あな恐ろし。


1999/04/25

マニア

 1999/04/09でMEGA WEBについて書いたのだが、今日また行ってきた。その際同行者が「自動車マニアは敬愛される存在なのに、鉄道マニアは敬遠される存在である」という趣旨の発言をしていた。

 「自動車マニア」という人種に対し、我々はステレオタイプ的なイメージというものを持ち合わせていない。その一方で「鉄道マニア」という人種に対しては、外見においても内面においてもイメージが相当共有化されていると思われる。しかもその共有化されたイメージが(ここでいちいち列挙しないが)かなり人々にとって負の感情を惹起させるものであるようである。

 鉄道マニア諸兄は、内面はどうせ簡単に変わらないものだろうから、まずは外面についてもっと個性的になることが「鉄道マニア」に対する負のイメージのステレオタイプ化を避けることにつながるものと思われる。


1999/04/24

旅欲

 ここしばらく様々な人と会う機会が多くなり、様々な価値観に触れることができた。それらをもう一度反芻しながら自分を改めて見つめ直そうと思い、急に旅欲が高まってきた。

 過去にも何度かこういう気分になったことがある。自分と異なる価値観に接した時に、冷静に自分の価値観を見つめ直そうとして花巻で宮沢賢治に触れたこと。大切な人と別れたという現実を受け入れるために思いっきり自分を省みようとして、昔から自分を暖かく受け入れてくれそうな気がする倉敷に行ったこと。まとまった休みが取れたときに、日常の不自由ない生活では味わえない価値観を得ようとして1年に1回瀬戸内海の小島に行っていたこと…。さて今度はいつどこに行こうか。


1999/04/23

朝の内臓ショー

 最近週末は不健全な生活を送っている。土曜の夜は徹底的に夜更かししてしまい、朝の6時頃に就寝することが多い。起きている間はBGM代わりにTVをつけているのだが、この朝6時に至るまでの間、個性的な番組を目にしている。

 テレビ東京の朝5時からの医学番組。人体の切開はごくごく当たり前で、切開して血があふれ出した部位から腸や内臓を鉗子などでえぐり出し、まだひくひくと動いているピンク色のそれらをどアップで画面狭しと映し出しているのである。私のように「さあ今から寝よう」と思っている人はまだいい。楽しい週末の朝を清々しくすごそうと、朝食にご飯と味噌汁を取りながらTVをつけているような人はどうすれば良いのだ。確かに眠気は一挙に吹き飛ぶであろうが、この人がその日を清々しく過ごせるとはとても思えない。朝最初に見た風景が血塗れの内臓である。通常は憂鬱な1日を送ることになるだろう。さらにこれが家族団欒の朝食だとすると、父母と子の間にいったいどういった空気が流れるのであろうか。

 この番組、毎週見ていたら、1年くらいで性格が少しは変わりそうである。


1999/04/22

5年の月日

 先週末のことだが、京都に住む妹と食事をとった。年齢は私より3歳若く、身長は私より5cmほど大きく、体重は私より10kgほど重い(推定)。2人でとった食事は、前菜120g、きのこのピザ、ワタリガニのスパゲティ、魚介類のスパゲティ、ジュース2杯、ケーキ3個、というものであった。

 ちなみに5年ほど前に、「カプリチョーザ」というイタリア料理のチェーン店にこの2人で行ったときにとった食事は、パスタ2皿、ピザ2皿、ライスボール2人前(行ったことのある人はご存じだと思うが、この店の1皿は2人前である)であった。注文の途中で店員に「ちょっと待ってください、当店の1皿の分量はご存じでしょうか?」と止めらそうになったことが印象に残っている。

 5年もたつと食が細るものだ。歳はとりたくない。


1999/04/21

続・広告における「競合問題」

 丁度1週間前の1999/04/14「広告における『競合問題』」で、篠原涼子の恥丘の見事さについて書いたが、この問題の広告ポスターが駅に貼られているのを今日見た。交通広告では諸般の規制が弱いのかどうかしらないが、駅ポスターではその恥丘を強調するポーズの写真が素材として用いられていた。私は篠原涼子のファンではない(そのくせして彼女のデビュー曲「愛しさと切なさと心強さと」をカラオケで歌ったりすることがある)のだが、その恥丘の写真には目を奪われた。白昼から変質者扱いされるのはいやだったし、何よりもその時は非常に急いでいたため、一応知らないふりしてそのポスターの前から立ち去った。

 しかし、篠原涼子ファンでも恥丘フェチでもない私が目を奪われるくらいであることを考えると、時間帯によっては篠原涼子ファンや恥丘フェチがその広告の前で十人十色の楽しみに耽っている可能性が非常に大きい。駅は何らかの対処法を考えているのであろうか、他人事ながら心配である。以前私は、広末涼子の声の出るポスターに向かってオヤジ共が接吻しようとしているのを見かけ、楽しい週末を不機嫌な気持ちで過ごしたことがあった(ちなみに私はオヤジ共の醜悪さに対して不機嫌になったのであり、決して広末涼子を汚されたことに対して不機嫌になったのではない)。楽しみに耽るのは自由だが、その醜悪な姿を公衆の面前で示さないで欲しい。


 

1999/04/20

狼狽

 先日友人とのメールのやりとりでふと疑問に思うことがあった。「狼狽」という言葉があるが、「狼」はオオカミであるとして、「狽」とは何なのか。気になって調べてみたところ、「狽」もオオカミであった。つまり、「狼狽」というのは、「オオカミくんとオオカミちゃん」とか、「オオカミ王とオオカミ姫」とか、「オオカミ少年とオオカミ博士」とかのようなもののようなのである。

 それはそれで良い。問題は、これらの組み合わせが何故「うろたえ騒ぐ様」を表すのか。早速友人から回答が来た。どうやら「狽は狼の一種。一説に、狼は前足が長く後足は短いが、狽はその逆。両者は常に共に行動し、離れると倒れて、うろたえることから…」(広辞苑より孫引き)ということらしい。よくわからぬが、前足が長く後ろ足が短い「狼」と、前足が短く後ろ足が長い「狽」とが離れると倒れるらしい。いったいどうしてひっついていると倒れないのか、2人はどういう格好でひっついているのか、考えてはいけないような想像がどんどん広がり、興味は尽きない。獣界も奥が深すぎる。


1999/04/19

贖罪

 先週末、私の最も好きな馬が半年ぶりにレースに出走することになった。久しぶりであり、背中に背負う人+荷物の重さも、今回はかなり重い。何とか無事に走って欲しい、との思いも込め、この馬の複勝(3着以内に入れば「当たり」となる)を少し買った。その馬は結局最後に頑張って、何とか3着に入ることができ、私は彼のおかげで幾ばくかのお金を手にすることができた。

 よくよく考えてみると、好きな馬を賭けの対象として金銭を得るという行為は、好きな人を自慰の対象として快感を得るというのと同じではないかという気がしてきた。私は今まで心底好きになった人を自慰の対象にしたことがないのが、控えめな私にしては珍しく胸を張って自慢できることである。しかるに、馬で同様のこと(もちろん「馬で自慰をした」という訳ではない)を行ってしまった。

 これで儲けたお金は「ローゼンカバリー基金」として、何らかの形で彼に還元してあげたいと思っている。


1999/04/18

最新技術

 少し前に、TVでユニークな鮮魚の保存法を紹介していた。魚を一時的に眠らせることによって、新鮮さを保つとともに、水槽で動き回ることによって起こる搬送時の損傷を防ぐという一石二鳥のものである。方法も、薬を使ったりするものではなく、針をある箇所(これは紹介されなかった)に刺すだけのものという、一瞬で簡単にできるものであった。

 おいしい魚を食べたいのもさることながら、私はもっと他のことにこの技術を活かせないものかと考えた。列車の中で泣きわめく幼児、それをもてあます親、幼児に対して折檻することもできずにただ堪え忍ぶ周囲の乗客。この幼児を一瞬で簡単に一時的に眠らせて、現地に着いたら元気に動き回らせることができれば、幼児も親も周囲の乗客も、どんなに列車での移動が快適なものになるだろうか。


1999/04/17

受刑

 今私は刑罰を受けている。半月ばかり前だったか、あるサイトの掲示板に書き込む際に、「■返信は返信ボタンを押して書き込むべし■題名書かないと死刑■適宜改行しないと死刑■半角カタカナを使用すると死刑という条文を斜め読みしたがために、適宜改行をし忘れてしまった。幸い刑一等を減じられ、「上毛かるた暗唱の刑」に処せられている。

 暗唱していて感じたのは「えっ!?こんな人まで上毛出身!?」という驚きであった。登場する人名をすべて挙げると、武将の新田義貞から始まり、江戸時代の関孝和、明治以降の文化人である新島襄、内村鑑三、田山花袋、地元の人もどれくらい知っているのか気になる傳次平、塩原太助、茂左衛門(名前だけやんけこいつ)がおり、前者5人については以前からよく知っているつもりであったが上毛出身者だとは知らなかった。

 今日、刑期を確認する意味で、インターネット上の「Java版上毛かるた」(※リンクの許可を受けていないので、各自検索エンジンでお探しください)を試してみた。コンピュータには勝ったものの、まだ満点は取れなかった。刑期は長引きそうである。


1999/04/16

お詫び

 このページはいつも就寝前に更新しているのだが、昨夜は知らぬ間に寝てしまっていた。ベッドで仰向けになって膝上にノートパソコンを置き、他のサイトを覗いているうちに寝てしまったようである。画面には回線の自動切断のメッセージが出ていたから、30分間はプロバイダーに金を捨てていたようなもんである。このページがいつ更新されるかを夜通し待ち続けた読者の方々、この場を借りてお詫び申し上げます。

 帰宅が0時過ぎ、その後着替えて早速パソコンを開いていたから、12時間寝ていたことになる。長時間眠りについたり、朝寝過ごしたりするのは日常茶飯事なのだが、知らぬ間に寝てしまっているというのは最近になってのことである。実は1999/04/07の記事も、帰宅後知らぬ間に寝てしまい、丑三つ時に目を覚まして慌てて書いた文章である。10日で2回も。そんな訳で、今後ともそういう可能性がないとはいえない。その時はご了承ください。


1999/04/15

フォント

 以前(1999/04/11)に、このページの配色の話を書いたのだが、今日はフォントの話である。このページは「MS明朝」で書かれているのだが、これは熟慮の結果なのである。

 フォントのイメージとして、明朝体は格調高い評論文、ゴシック体は淡々とした情報伝達、丸文字体はかわいらしさ、教科書体は説教臭さ、痩金体、相撲体、綜藝体などは「お前年賀状ソフトか何かでたまたま不必要にたくさん入手したフォントをうれしそうに使ってるんやな」、などというイメージをそれぞれ抱いてしまう。「EZOSHIKA TOWN」の他のページは確かにゴシック体が最良かもしれないが、まさにこのページにはどう考えても明朝体以外にあり得ない。そう考えて、他のページとは一線を画したデザインにしているのだ。明朝体以外でご覧の方は、是非一度、明朝体にして全文を再度熟読していただきたい。

 2年ほど前、「新世紀エヴァンゲリオン」に傾倒している人と仕事をやっていたときのこと、私は得意先に提出する資料などに、すべて極太明朝体を使っていた。まだ「エヴァンゲリオン」およびそのアニメの中で多用されていた極太明朝体が巷間でブレイクする前のことであった。

 他部署の方から、ある資料を急いで得意先にお持ちしたいので至急送ってきて欲しいとの話があった。私は社内メールでそのファイルを彼にお送りした。「なかなかユニークなフォントですね」というのが彼の言葉だった。普段は流行に疎い私だが、その時ばかりは「俺はあなた方も知らない極太明朝体を使うことによって時代の最先端を先取りしているのだ」という優越感でいっぱいだった。ところがその人の次の言葉に驚いた。「でもこれ、コギャルみたいですね」よくよく話を聞くと、彼のところにファイルを転送した時点で、彼のパソコンに極太明朝が入っていなかったため、代替フォントとして「変体少女仮名」が選択されてしまっていたのだ。「変体少女仮名」がインストールされているパソコンもパソコンだが、何よりもそんな資料が得意先に渡らなくてほっとした。得意先の方に「変体少女仮名」を咎められるのを心配したのではない。得意先の方が「今、変体少女仮名がトレンディー!」と勘違いして当方の資料に変体少女仮名を強要してくるのが心配だったのである。


1999/04/14

広告における「競合問題」

 篠原涼子が出演しているグンゼの男性向けパンツのCM、最近どうやら新作がオンエアされているようである。確か私の記憶では篠原涼子は女性であったと思うのだが、そのCMでは妙に股間前部が盛り上がっているように見える。あれはいったい何なのだ。男性下着らしさを出すために、わざわざ詰め物を入れているのか。だったら最初から女性(篠原涼子が女性であるという前提で)を起用しなければよい。となると、あれは篠原涼子の恥丘なのであろうか。あれだけ素晴らしい恥丘を持っているのであれば、その恥丘を強調できる女性用下着のCMに出演させたいと思うのが通常の神経の持ち主である。

 ただ、広告業界には、いわゆる「競合問題」(A社と契約したタレントは、契約期間中および契約終了後一定の期間内はA社の競合ライバル企業とは契約できない)というのがあり、たとえば、コーセーの化粧品の顔となっている中山美穂は、資生堂やカネボウのCMには出演できない。しかし冷静に考えると、男性用下着と女性用下着それぞれのマーケットは通常は排反の関係にあるため、男性用下着のCMに出ているからといって女性用下着のCMに出るのが問題にはならないような気がするのだが。


1999/04/13

おかあさんといっしょ

 「だんご3兄弟」ブームで期せずして熱いまなざしを受けている「おかあさんといっしょ」であるが、最近、「だんご3兄弟」以外にも大きなトピックスがあった。言うまでもなく、速水けんたろうおにいさんと茂森あゆみおねえさんの引退である。

 友人の薦めでこの番組に改めて触れて深く傾倒していた学生時代に活躍していた、坂田おさむおにいさんと神崎ゆうこおねえさんの後を継ぐということで、当初から注目して見守っていた。最後の最後で大ヒット曲を出して注目を浴びて引退ということで、いい形で杉田あきひろおにいさんとつのだりょうこおねえさんにバトンタッチできることになり、ほっとした。

 今後、けんたろうおにいさんはソロコンサート活動、あゆみおねえさんはタレント活動とのこと。年末の紅白出演を含め、ご活躍をお祈りしたい。

 それにしても、最後の最後で、けんたろうおにいさんの年齢が36歳だと知ってショックだった。子供達にとっては「おにいさん」というよりは「おとうさん」やんけ。


1999/04/12

趣味

 この時期、職場では「調査表」なるものの提出が義務づけられている。記入すべき事柄は、現住所関連、健康状態関連、資格関連、趣味・特技関連、家族関連、希望勤務地・職種関連であり、これらをA4用紙1枚に記入する。

 たいていの項目については事実を淡々と書けば良いのだが、毎回深く考え込んでしまう項目がある。他ならぬ「趣味」である。

 「これは私の趣味です」とある程度胸を張って言える趣味は確かに持っている。問題はそれをどう表現するかである。「旅行」はまあ良い。「城を巡り、戦国時代の人物の気分に浸るのが好き。特に明智光秀にゆかりの史跡に出会うとえもいえぬ感慨に浸る」というのを単に「歴史」といった漠然とした言葉で語っていいものなのか。仮に「歴史」と書いたことによって、人事面接で「邪馬台国論争について説明してください」「興味ないのでわかりません」という問答がなされ、調査表虚偽申告を理由に解雇されたりするとたまらない。だいたいこの会社、入社面接の際に「三国志が好きです」と言ったがために「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉の解説を要求してくるようなところである。

 さらに記入時に困るのが、「獣(哺乳類オンリー)を見たり触ったりすることによって何らかの愛情を交換させる」というのをどう表現すれば良いのかである。「獣愛」などという言葉できれいにまとめようものなら、それこそ「異常性欲により他の社員に危害を加えるおそれあり」などという理由で解雇されかねない。他人に自らの性癖をどうこう言われたくない。いやそもそもそれ以前に、私は獣に対して断じて性欲を抱いたりはしないのだ。

 結局、この趣味は「動物」という言葉で無理にまとめた。案の定上司から「『動物飼育』とかだったらわかるが『動物』という趣味は表現としておかしいだろう」と指摘されてしまった。


1999/04/11

 白黒端末や、ブラウザの「フォント指定」を用いて「エゾシカの嘶き」をご覧の方はご存じないと思うが、このコーナーについては、黒塗りバックにMS明朝体で作成されている。で、フォント色だが、先日まで水色(特定の文字だけ赤にしていた)だったのを、今日灰色にしてみた。

 改めてわかったのだが、黒という色は他のものとの相性が良く、伝えるべきものがどうにでも変わってくるものである。黒地に白だとお知らせ文、黒地に赤だとホラー小説、黒地に緑だと読ませる文章、黒地に茶色だと檄文、黒地にピンクだとエロ小説、ってな感じである。

 そう考えると、黒で悪を気取ったり、黒で悲しみを装ったり、黒でいい子ちゃんのつもりになったりするサントリーの「BOSS BLACK」のCMはなかなか深い味を持っているといえよう。商品自体は全く深みのない味なのだが。


1999/04/10

東京都知事選

 明日は東京都知事選である。ちゃきちゃきの江戸っ子(ここ5年ほどだけだが)である私も投票に行くことになる。「EZOSHIKA PADDOCK」の桜花賞予想風に言えば、◎石原慎太郎、○鳩山邦夫、▲舛添要一、△明石康、×柿澤弘治といったところか。雨の不良馬場ではこんな感じに落ち着きそうだ。

 さて、このメンバーで別のレースを行ったらどうなるだろう。「精力絶倫賞」とかいうものだと、◎舛添要一、○石原慎太郎、▲鳩山邦夫、△宮崎喜文、×ドクター・中松といったところか。ドクター・中松が自ら「バイアグラ以上」と自信を持って世に問う発明品「ラブジェット」を用いて本当に効果があるかどうかがレースの勝敗の鍵を握るとみた。「あぶなそうな人ステークス」だと、◎津田宣明、○羽柴誠三秀吉、▲宮崎喜文、△さとうぶんじ、×舛添要一となる。

 トータルでは、舛添要一のコース適性および距離適性の高さが目立った結果となった。


1999/04/09

MEGA WEB

 先日、お台場に新しくできたスポット「パレットタウン」に行ってきた。トヨタが運営している「MEGA WEB」という施設に足を運ぶのが目的である。

 日本初という本格的商業ベースの非接触型ICカード(カードリーダーを通さなくても決済が可能)を体験したいという欲望と、トヨタの新しいマーケティングの方向性が垣間見える施設なのではないかという好奇心とが、私をお台場に駆り立てたのであった。要は「嬉しがりのミーハー」である。そんな訳だから、カーライフを充実させようとか、恋人といちゃいちゃしながら楽しいひとときを過ごそうとかいう目的は毛頭なく、独りでメモ帳とデジカメとを携えて館内を回っていた。車とアミューズメントを売り物にしている施設に対する最大の冒涜行為である。

 意外に思ったのは、独りで訪れて車と戯れている人間がそこそこ目に付いたことだった。行く前には「E-com(館内を走る自動電動自動車)の車内で好き放題にいちゃつきまくろうとする若いカップルがうようよいるんだろう」というイメージを抱いていたのだが、少し裏切られた。アミューズメントパークというコンセプトから作られたというよりは、むしろディーラーがばかでかくなってアミューズメントの要素を付加した、というものだと考えれば(私にはそう思える)、そういう人たちが多くてもそう不思議ではない。この人たちも、MEGA WEBは独りで訪れることができても、パレットタウン内の観覧車を独りで楽しむような人種ではあるまい。

 独りといえば、私は渋谷や原宿を独りで歩くことにたまらない恥ずかしさを感じてしまうのだが…。


1999/04/08

ぼったくりバー

 昨夜の事だが、先輩に誘われて雀荘に行った。考えてみれば学生時代以来である。ところがその雀荘、中に入るとぼったくりバーだった(それまでにどっかで気付けよ)。先日花見で皆さんから集金したお酒の代金で財布が膨れ上がっていた私などいいカモで、あっという間に10万円ほど取られてしまった。さっさと集めたお金を銀行に預けるべきだった。

 現金だけならまだしも、クレジットカードまで奪われてしまったので、慌ててカード会社に電話しようとした。普段は手帳にカード会社の電話番号を書き留めているのだが、人間、焦っているときは必要な情報がなかなか見つからない、そうこうしているうちにカードを不正利用されたら大ごとである。先日利用限度額がアップしたのがこういう時には何とも恨めしい。

 電話ボックスで電話帳を見たのだが、JCBのカード紛失係の番号は載っていない。すぐに住居に戻ってインターネットでJCBのサイトに行こうとして、 http://www.jcb.co.jp/ と入力したが、表示されたのはアダルトサイト。

 ここでやっと夢だと気づいて目が覚めた。久しぶりに見た怖い夢だった。


1999/04/07

生活における諸問題

 日々の生活において、ここしばらく抱いていた問題を提起しておく。ご関心のある向きは、これら問題についてご検討されたうえで、さらなる思索を深めて頂きたい。その結果をメールや「EZOSHIKA BBS」などで教えていただければ、こちらも日々悩み尽くしてきた甲斐があるというものだ。

1.「スーパーホップス」のTVCMで活躍している瀬戸朝香、しばらく見ないうちに顔がまん丸と太ってしまっていないか。それでいて、皆がほとんどそれについて話題にしないのはなぜか。

2.「なっちゃん」は夏みかん味だから「なっちゃん」なのであり、りんご味なら「なっちゃん」でなく「りっちゃん」として発売すべきではないか。それでいて桃味の炭酸が「ごめんね」とは何ともぶっ飛びすぎている。

3.DA PUMPがひたすら踊っている「CCレモン」のTVCM、何か大きく間違っていないか。広告担当者は真剣に自らの意思であのCM案を通したのか。それともDA PUMPおよびその関係者に何か人に言えない弱みでも握られているのか。そうであるとすればその「弱み」とは何か。

 すべてサントリーの広報にでも確認すればすむ話のような気がしてきた。3についてはなかなか口を割ってくれなさそうだが。


1999/04/06

指厄

 通勤前に鞄の整理をしていたら、たまたま手帳からシャープペンの先が出ていて、左手中指先端の脇に軽く刺さった。刺さったことに気づかず、そのまま5mmほど切ってしまった。中途半端に切れたせいか、出血はさほどなかったため、ティッシュで軽く血を拭い、そのまま会社に向かった。しかしそれにしても痛みは一人前だった。

 その数時間後、会社で昔のファイルを探っていたところ、ホッチキスの針が出ていて、左手薬指先端の脇に軽く刺さった。刺さったことに気づかず、そのまま5mmほど切ってしまった。中途半端に切れたせいか、出血はさほどなかったものの、絆創膏を巻いておいた。しかしそれにしても痛みは一人前だった。

 その数時間後、シュレッダーを使った。指を巻き込まれることがなく、ちょっとほっとした。


1999/04/05

捜索願い

 今日、ある友人から数年ぶりにメールを頂いた。その内容が面白い。先日あるカレー屋でその友人が私らしき人物を見かけたらしい。「世に自分の顔を持つ人は3人いる」と言われるように、ただ単に容姿が似ているだけならばどこかにいるかもしれない。どうやらその私もどきの人物は、容姿だけでなく、貧乏ゆすりの仕草などまで似ていたらしい。どうでもいいことだが、私の貧乏ゆすりの仕草がインプットされているとは驚きである。

 こういう報告を受けるとその人物を捜したくなるというのが人の常である。長年会っていないその友人のイメージに近いと思われる私の昔の顔写真は、サイトで公開しているので、似ている人を見かけたという人は是非ご連絡いただきたい。さすがに貧乏ゆすりの仕草までサイトで公開できなかったので、いささか不十分な資料かも知れないが。

 ちなみに、友人がその人物をカレー屋で目撃した日時には、私は川崎のヨドバシカメラでPostPet2001を購入していた。


1999/04/04

カツオ

 今日の「サザエさん」は「お花見穴場情報」であった。なんか「トゥナイト2」の特集みたいなタイトルである。それはともかく、職場の花見の幹事である私には必見のネタである。

 内容は、カツオが花見の穴場を知って、家族や友人を交えての花見を計画したのだが、直前にそこの桜が散ってしまっていたことを知って計画倒れにならぬようにその事実をひた隠しにする、といったものであった。そして当然カツオの隠し事はばれてサザエに折檻されるのだが、別の花見スポットが見つかって良かったね、というストーリーである。決して、我々に有益な「穴場情報」をノリスケの取材で披露する、というわけではなかった。

 内容的には役に立つものではなかったが、少なくともカツオは私よりも幹事としての手腕が優れているということだけはわかった。少し哀しい。


1999/04/03

食べ方

 料金着払い小包でソフトウェアを購入し、3月分の住居費を支払ったら、あっという間に手持ちのお金が無くなってしまった。夕方から予定があったので、慌てて銀行のATMに走ったが、直前に閉まってしまっていた。夜の食事に困り、財布の中にマクドナルドのサービス券があったのに気づき、てりやきバーガー+チキンナゲット+コーラを147円で済ますことができた。

 さて、いつも思うのだが、このてりやきバーガー、異常なほどマヨネーズが多い。いや、量的にはそうでもないのかもしれないが、とにかく食べるときに必ず大量にはみ出てしまうのである。

 みすぼらしさすら感じてしまう包装紙を半分ほど剥いて、地面とほぼ45度の角度になるように持ち、上部から齧っていくうちに、気がつけばマヨネーズの大半が包装紙の底にたまっている。てりやきバーガーを食べてる最中、ほのかにマヨネーズ味を感じるのだが、「ほのかに」くらいでは、マクドナルドの調理場の兄ちゃんの努力や気持ちをないがしろにした気がして罪悪感に苛まれることになる。包装紙の底にたまったマヨネーズを後で舐め取ればいいではないかと思われるだろうが、私には生暖かいマヨネーズを単独で口に運ぶ気にはさすがになれない。

 てりやきバーガーを地面に水平に持ったまま食べていくにしても、上下から力をかければ必ずどこかからマヨネーズははみ出てしまう。下手をすれば食べている部分からはみ出たマヨネーズが服にかかるおそれすらある。ことはそう簡単な問題ではない。

 何かいい方法はないのだろうか。本来てりやきバーガーごときで罪悪感に苛まれるようなものでもなかろう。


1999/04/02

獣を感じる

 帰宅しようとしてフロアのエレベーターの前に立ったとき、何かしらの予感はあった。

 はたして、エレベーターの扉が開くと、やはりあの後輩が乗っていた。彼にはどういうわけかとてつもなく精神的に獣を感じるのである。彼が私の背後に来たときに、こちらを向いているかそうでないかが後ろ越しにわかってしまい、その都度私はびくっとして振り返ってしまうのである。もともと私は後ろから声をかけられるとびくっとするたちなのだが、声もかけられずにこちらを向かれているだけでびくっとするという経験は滅多になかった。そんなわけだから、エレベーターで一緒になる予感がしても、さほど不思議ではないように思えてしまう。

 思うに、お互いの先祖を少し辿ると、片や草原で獲物を追いかける肉食獣、片や追いかけられて逃げ惑う草食獣であったに違いない。因果は巡るものだ。


1999/04/01

動物教育

 半年くらい前から思っていたのだが、幼少の頃から誰もが知って慣れ親しんでいるはずのキリンというのは、冷静に見ればかなり奇特な動物ではなかろうか。

 どう考えても不必要なくらい長い首に、全身を覆う黄色地に褐色の斑。偶々純粋無垢な幼少時代からその人智を超えたつくりを刷り込まれているからこそ、今では特段気にせずにその姿を理解することができるが、もしも幼少の頃にキリンの写真や絵などに接したことがなく、いきなり何かの機会に「キリン」という単語に接し、「ジラフ科の哺乳動物。熱帯アフリカにすむ。地球上もっとも背の高い獣で、高さ六メートルにもなる。前足と首が長く、頭上に短い角がふつうは二本ある。全身に黒または褐色のまだらがある。草食性。ジラフ。(現代新国語辞典)」などという解説文を見たところで、良からぬ妄想が膨れ、恐ろしい化け物に襲われるのではないかという恐怖感に包まれること必定である。

 逆に、物心ついた後、写真や絵に接した場合、「これはいったい何ぞや?」という疑念を抱かずにはおれまい。「これは生物か否か?」「生物だとしたら地球上の生物か否か?」「地球上の生物だとしたら、いったい彼は何を好んでこのようないでたちになっているのか?」などとひたすら答えのでない悩みに捕らわれよう。通常の人が人生の多感な時期を恋愛で悩んで「思春期」を過ごすように、この人は人生の貴重な時間をキリンで悩み「思麒麟期」を過ごすのであろう。

 幼少期からの動物教育をないがしろにしておくと、いずれ人類は精神を病んで滅びかねない。


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