エゾシカの  1999/08/01〜1999/08/31

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1999/08/31

酒池肉林

 世間一般には誰しもが夢見て何度か実行しているとされる「酒池肉林」。一般的には、多くの肉体に囲まれて酒を酌み交わしながら各人の肉体を思う存分弄び、各人が壊れるまで狂ったようにがんがん肉体をぶつけ合い貪り食らう行為を指していると考えられているが、「酒池」はいいとして「肉林」の解釈は甚だ誤っていると言わざるをえない。

 一昔前、殷の紂王が宴席で、「酒で池を作り、肉をぶらさげて林のようにした」のがこの語の原義である。実際彼は多くの肉体に囲まれて酒を酌み交わしながら各人の肉体を思う存分弄び、各人が壊れるまで狂ったようにがんがん肉体をぶつけ合い貪り食らう行為を楽しんでいたことと思われるが、少なくともそれを「酒池肉林」の語に肩代わりさせるのは、「酒池肉林」に対して些か失礼な行為ではなかろうか。

 因みに私は残念なことに、酒も肉(除く挽肉等)も受け付けない体質である。私にとっての「酒池肉林」は、「炮烙之刑」に並ぶ拷問と言えよう。


1999/08/30

航空性中耳炎

 先日、飛行機を利用する機会があった。いつもの如く耳に気圧を感じて一時的に痛くなった。と思ったら、着陸後もまだ耳の痛みが取れない。それどころか、痛みを持つ耳が明らかに聞こえにくくなっている。耳をほじくり返したところ、どういう訳か耳垢の代わりに血の固まりが出てきた。まあそのうち治るだろうと思いつつ帰りも飛行機に乗っていつもの如く耳に気圧を感じつつ帰路に就いた。

 その翌日、電話していると相変わらず聞こえが悪く、時に耳に痛みを感じる症状が続いたため、医者に行くことになった。マイクロカメラで耳の奥を覗いたところ、異常のある耳の鼓膜は真っ赤に腫れ、出血が認められた。病名は「航空性中耳炎」。何かかっこいい。それはともかく、完治まで3週間とのことである。

 さて、私は来週、1000kmほど離れた地に向かわねばならない。飛行機に乗ってかっこいい病気としばらくつき合うことになるのか、電車に乗って疲労困憊で帰ってくるのか、それとも、最初から移動を諦めることになるのか…。


1999/08/29

車内放送

 先日、高速バスを利用する機会があった。着席してくつろぐ体勢になって、読書に没頭していたところ、いきなり大音声でしょぼいBGMが流れて来るではないか。何かで聞き覚えがあるなと思ったら、そう、市販エロビデオなどで女優が絶頂に達して一段落した後くらいに流れてくる音楽のようなBGM。そういったBGMを大音声で車内で流す感性に驚いた。

 BGMが少し流れた後、車内設備等の案内になり、再び車内は静寂を取り戻した。再び読書に復帰してしばらくしたところ、また女優が絶頂に達したらしい。今度のBGMに続いたのは停車するバス停の案内で「間もなく○○インターです」とのアナウンス。ちょっと待てよ、バス停が近づく度に、アナウンスよりも大きな音を立てているこのBGMかよ。その度に読書や睡眠を思いっきり妨げられることになるではないか。

 高速バスということで、途中からは停車しないため、それ以上余計なBGMを聞かずに済んだ。それにしても、音のセンスもさることながら、音が大きすぎる。長時間乗車するに際し利用者がそれぞれの方法でくつろいでいる時に、停車の度に大きな音を立てなくても良かろう。しかもよく考えれば、それらのバス停は乗車専用であり、既に乗車している者に対して注意喚起する必要などないのではないか。


1999/08/28

夜景・7

 今までに見た最も印象深い夜景は、札幌・藻岩山からの夜景である。展望台からは、視界を遮るものが殆どないため、内陸部の繁華街から海側まで札幌の街が360度、しかも遙か遠くまで見渡せるため、光の明るさや闇の静けさを存分に楽しむことができる。また、空気が澄んでいるせいか光と闇との境がくっきりと見えるのも札幌の夜景の特徴の一つである。

 以前、ある人物と知り合った初めてのきっかけが、藻岩山の夜景の話であった。いつかは共に夜景を見に行こうと約束しつつ、その2年近く後に独りで行くことになった。夜景を眺めつつ、「ああ、あの頃は幸せだったなぁ」と、浸っても仕方がないとはわかっていながら、自然と感傷に浸っていた。

 今後もその夜景を観るたびに、嫌でもこのような感傷に浸ってしまうことであろう。それはそれで悪いことではない。大切な想い出をいつまでも記憶の中に留めておく方が、感傷から解放されるよりも余程人生においてプラスになるのではなかろうか。昔からの持論を改めて感じつつ、藻岩山からの夜景に見入っていたのだった。

 夜景強化週間も、途中で飽きることなく無事終了したようである。


1999/08/27

夜景・6

 彼女の誕生日の夜、ケーキをプレゼントする。ケーキの上には年齢の数だけの蝋燭が、いや、1本少ない数の蝋燭が灯されている。彼女は蝋燭の火を一気に吹き消した後、「私の年を忘れたの?1本足りないわ」と詰る。そこで窓の外を見てもらう。そこにはライトアップされた東京タワー。「ほら、あれが残り1本の蝋燭だよ」まさにその瞬間、タワーを照らす照明が消えた。

 書いている方が恥ずかしくなるこの情景、「部長 島耕作」の一シーンである。これを読んで、東京タワーのライトアップが消えるときがあるということを初めて知った。

 前にいた職場は、窓から外を見ると真正面に東京タワーがあり、その手前に芝浦のビル群、右手奥に新宿副都心、少し左に目を移すとお台場の景色がそれぞれ目に入った。いずれも夜の東京を美しく彩る施設である。贅沢な夜景を味わいつつ、残業に勤しむ日々を送っていた。

 夜11時、東京タワーのライトアップが消される瞬間を初めて目の当たりにしたとき、最も大きな東京の象徴が一瞬にして消えるという、さながら大魔術を観ているかのようなような気分になった。一晩中点灯しているのだけが夜景の妙ではない。一瞬で切り替わる光と闇のコントラストの大きさもまた、十分にそそられる魅力だということを実感した。


1999/08/26

夜景・5

 「悲しくなったとき、いつもここに泣きに来る」知人がそういっていた場所に連れていってもらった事がある。夜、周囲に民家もない場所に、煌々と光り輝く電照の光が辺り一面に広がっている。電照菊のビニールハウスだそうだ。

 その夜景を観ていて、無性に切ない気持ちになった。別に心苦しくなるような懸案も抱えていない。しかし「ああ、これが『切ない』という感覚なのか」というくらい、純粋にその景色に胸を締め付けられたのだ。

 1999/08/24でも書いたが、闇の中に点在する光をずっと観ていると、光に導かれてどこまでも闇の中に自分が吸い込まれていきそうな気分になる。ましてや空港とは異なり、周囲には誰もいないうえ、人通りも全くない。「寂しさ」から「恐怖感」を濾過することにより、純度の高い「切なさ」が生じてしまう。

 悪酔いしたら吐けば楽になるかのように、思いっきり泣けば楽になる場合もあろう。「思いっきり泣く」のにふさわしい気分と空間とを提供してくれる夜景。一度そういう場所で私も思いっきり泣いてみたいものだ。考えてみればそれ以前に「思いっきり泣く」ような出来事が見つからないのだが。


1999/08/25

夜景・4

 夜のローカル線の車窓から、民家の灯の光がよく見えるときがある。周囲には他に光がないものだから、昼間は注目されない光景でも夜になると非常に目立つのである。窓から漏れる光が見えるどころか、室内の人間の一挙手一投足、観ているテレビ番組など、住民の生活が丸見えになる。

 列車で通り過ぎる刹那の間に触れる、全国数千万世帯のうちの一世帯の生活。偶然の一瞬に切り取られた光景から、ある人々の日常を想像する。さながら、一枚の絵画や写真に触れて解釈を楽しむかのような楽しみ。夜の旅ならではの贅沢である。


1999/08/24

夜景・3

 空港の夜景にたまらなくそそられる。滑走路の両脇に真っ直ぐ並んでいる青、緑、黄などのライトが、だだっ広く何もない空港敷地に輝いている様をずっと観ていると、その時の心境によっては、闇の中の光のラインが自分を導誰も知らない何処かに吸い込んでしまうような錯覚に陥ることがある。

 逆に、日常生活においてそういった錯覚に陥りたいとき、たとえば「大切な人と誰にも邪魔されないところに行きたい」だとか「目の前にある忘れたくても忘れられない現実を投げ捨てて何処かに行きたい」などという気分の時、最も手っ取り早い方法として、近くにある東京国際空港に足を運ぶことにしている。

 ただ、東京国際空港、一つだけ難点がある。滑走路も大きく光のラインを堪能する分には不自由ないのだが、周囲の巨大電飾看板がどうしようもなく雰囲気をぶち壊すのである。少しの時間でいいから、電飾を消してもらう時間がないものだろうか。


1999/08/23

続・夜景

 折角だから、今週を勝手に「夜景強化週間」とする。勿論、飽きたらやめる。

 学生時代、夜アルバイトに出かける際、眼鏡の調子が悪いことに気づき、視力0.1に満たない裸眼で自転車を漕いでバイト先に向かった。その時に観た夜の街の光、まるで花畑のようなものであった。目の焦点がうまく合わず、一つ一つの光がぼんやりと大きく見えるのだ。いつも見慣れた、通り慣れた景色の街が、夜の光でえも言えぬ幻想的なものになる。建物のネオンや看板はさながら花畑の様相で、信号の花は次々に咲いてはすぐに散っていく。

 思う存分幻想の中に身を任せようと思ったのだが、よく考えると通行量の多い大通りに狭い路肩、いつ車に轢かれても人を轢いてもおかしくない状態、危険極まりない。いくら素晴しい景色だとはいえ、自転車に乗って味わうのはこの時限りにした。


1999/08/22

夜景

 学生時代に旅行でほぼ全国を回ったのだが、東京だけは好きになれなかった。更に言えば、通り過ぎるだけでも嫌だった。関西人である自分とは異なる人種の人々が不必要に密集し蠢いていること、人々の日常生活が溢れ返っていて「非日常」が感じられなさそうなところ、そして何よりも、観ても美しそうな風景がないと思われることが、その理由であった。

 しかし「この美しさはそうそうあるまい」と思えるような光景が東京に存在することがわかった。少し高いところから観た東京の夜景である。関東平野に広がる光のイルミネーションは、「観られることを意識していない」という意味において「自然」な美しさであった。「電気」という人工のものから生み出される雄大な「自然」。

 金曜の深夜(正確には土曜)、タクシーに乗って首都高速から都心の夜景を楽しみ、先ほど飛行機から東京湾岸の夜景を満喫した。別に夜景を楽しむためにそうした訳ではないのだが、なかなか贅沢な夜景鑑賞であった。


1999/08/21

雨男

 東京はそうではなかった。現地の天気予報もそうではなかった。しかし実際に、今日旅先に足を踏み入れた途端、傘がないと困るくらいの雨が降っていた。

 そこで、「旅の足跡」に記している1997年以降の旅行先に、今回の旅行を加えた27回のうち、雨または雪に祟られた旅行が何回あるか数えてみた。1997年が11回中5回。1998年は9回中6回。1999年は意外と6回中1回、計26回中12回が雨に祟られている。今回の旅行を含め、全体の半分近くが雨ではないか。その中でも「シドニー空港が4年ぶりに霧で閉鎖」だの「北海道に台風上陸」だの「所謂『晴れの特異日』に大雨」だの、通常起こり得ない筈のケースも存在した。何たること。しかも一人旅に限ってみると、3年間で悪天候率が何と6割!私はこんなに雨男だったのかよ!


1999/08/20

広告における「競合問題」・4

 1999/05/05以来の篠原涼子ネタになる。もう殆ど内容的には連続性を有しないタイトルだが。

 偶々篠原涼子の歌をカラオケで唄ったところ、画面には本人が出演していた。数年前の曲ということで、当たり前だが若い。この数年後に広告で男物のパンツを履かされ、卑猥な体位を取らされ、自らの恥丘を誇示させられることになろうとは、いったい誰が想像したであろう。現在から振り返ってその映像を見るにつけ、諸行無常を強く感じた次第である。


1999/08/19

記念日

 今日届いたメールによれば、8/19は「バイクの日」らしい。まあ「バイク」と読めないこともない。きっと同様に、「はいく」と読んで「俳句の日」になっており、全国の俳人が今日という日を愛でているのだろうし、「は〜ん、いく〜ぅ」と読んで「絶頂の日」になっており、全国の官能家が今日という日を愛でているのであろう。こんな調子で「○○の日」と称していれば、誰でも単なる語呂合わせだとか何かにゆかりのある日だとかで記念日を作り、人々を踊らせることができるのではないか。

 個人的には、「作られた記念日」というのが好きではない。いや、正確には、「作られた記念日」によって踊らされるのが好きではない。バレンタインデーしかり、クリスマスイヴしかり。本来我々に縁もゆかりも喜ぶ意義もない筈の日であるにも拘らず、祝うことを強制されるばかりか、「贈り物を贈らねばならない」「ホテルで一晩中獣のように交わり狂わなければならない」など、具体的な行動さえ制約されねばならない。

 自分とは関係のない宗教家の誕生日だとか殉教日だとかを祝っても仕方なかろう。不特定多数の人と、訳も分からないままにある特定の日を祝う必然性を感じない。誰でもその人固有の記念日なんていくらでも持っている。その日が来るたびに、自分の心の中で祝ったり、そういった記念日を共に喜び合える人との間で贈り物の授受や獣のような欲望の授受が行われる方がどんなに嬉しいことか。


1999/08/18

 気がつけば、枕元に読みかけの本が数冊積んだままになっている。週末を読書にあてようと思って気に入った本を買い漁っているうちに、気がつけば週末の自由時間で読み切れる分量を超えてしまったようである。

 いずれの本も非常に魅力的であり、ぱらぱらとページを繰ってみると「これはいったん読み始めるとなかなか中断できないぞ」と思ってしまうため、平日の夜などはなかなか読むことができない。そうこうしているうちに更に読みたい本が増えていっており、うかうか本屋に足を運んだりすると危険極まりない。今週末でどこまで読みこなすことができるか、非常に楽しみである。って、読むのは私自身ではないか。


1999/08/17

人物と文章

 中学・高校時代、先輩、後輩を問わず、「この人は!」と思う人にノートを渡し、自由に文章を書いてもらうことにより、その人がどんなことに関心があり、何を考えているのか知ろうとしていた時期があった。書いてもらった文章の中で最も傑作だったのは、ある後輩のページであった。

 彼に文章を書いてもらったところ、丁度1ページ強にわたってしまったようで、2ページ目は数行の文章が書かれていただけで異常に余白が多かった。その余白の上に彼は何と書いたか。「スペースが余ったので、『空間の美』をお楽しみ下さい」とあった。この一言で、彼が異常に余った空間を目の前にして苦吟する様子や、その結果空間を生かす名案を思いついて喜び勇んでいる様子が偲ばれ、普段真面目一徹の顔しか見せていなかった彼の、健気でお茶目な一面を垣間見ることができたのである。

 自分という人物を、今まで書いてきた文章から分析し、新たな自分を見出すという試みも非常に面白いのではないかと思っている。そのうちこの場で行ってみたい。


1999/08/16

玄倉川増水事故

 珍しく時事問題を扱うことにする。2日前に起こった、神奈川県の玄倉川でキャンプをしていた社員旅行の一行18人が大雨で増水した川に流された事故である。

 マスコミ報道を見てみると、事故直後は「自然の恐ろしさ」という切り口で語られることの多かったこの事故、時間が経つにつれ、再三の増水警報を全く無視した一行の無軌道ぶりを批判する報道が増え、その一方でいつもの如く救助体制に問題はなかったのか、上流にあったダムを放水する判断は正しかったのか、という切り口が出てきているようである。

 いつもお決まりの切り口でしかこの種の事故を考えることができないと、よほど「驚愕の新事実」「誰も語らなかった秘密」のようなものが出てこない限り、どうしても固定化された意見しか持てなくなる。従って、こういった事故について冷静に分析するには、常に素っ頓狂な切り口からの分析を試みることが必要になる。

 例えば、オートキャンプの隆盛に事故の遠因を見いだし、数年前にレジャートレンドとして唱えられていた「安・近・短」志向を徹底的に批判してみたり、お盆期間にわざわざ一族郎党で会社のキャンプに参加したということから、お盆に先祖を敬うという昔ながらの風習が失われつつあることを徹底的に嘆いてみたり、心配に思った人が朝6時に起こしにいったところ全員が熟睡していたことから、疲労と睡眠との相関関係を徹底的に分析してみたりなど、ヴィヴィッドな感性が現在のマスコミに求められていると言えよう。


1999/08/15

 そういえば未だに書いていなかったのだが、1999/08/05のクイズの解答は、「埼玉県川越市」であった。「川越東武ホテル」でも正解である。当然正解者はいない。そもそも応募者もいなかったのだが。

 川越に期待していたものは、城であった。私が旅先で具体的な目的を持って行動する際、その目的の主なものは一つが獣(動物園、競馬、乗馬など)、もう一つが城である。獣については敢えてここで触れるまでもないと思われるので、ここでは城について述べることにする。

 日本史好きの私が最も惹かれた時代が、所謂戦国時代であった。戦国時代と幕末期というのは、誰もが世間の勢力地図を書き換えるチャンスを持っており、実際に幅広いジャンルの人々がダイナミックに世間を動かしていたという、それだけで幾つものドラマがある時代である。前者は主に武力が世間を動かしており、後者は思想が世間を動かしていた。前者の方が見ていて楽しいので、興味を抱いていたのである。そして学生時代、知人に戦国時代のパソコンゲームを勧められたことがきっかけとなり、私の中で「戦国ブーム」が大ブレイクした。ゲームを極めていくのと時を同じくして、書物を読み漁ったり、戦国の匂いが残っている地区を訪れたりしていた。

 戦国の匂いを最も現在にまで留めているものが城ではなかろうか。墓や首塚、合戦碑などは、どう頑張っても戦国当時の再現という点で城には及ばない。人は生き返らないし、合戦というイベントを再現させる訳にはいかない。しかし城はまさに、当時世間を動かしていた人たちの行動や思想を今に残したものである。たとえ建物が後世復元されたものでも、石垣や盛土や堀などからそれを感じ取ることができる。

 今ふと気づいたのだが、かつて競馬観戦に行ったときには同時に城も巡っていた。新潟競馬場のついでに新発田城、福島競馬場のついでに白河城、京都競馬場のついでに淀城跡。となると、次は必然的に、小倉競馬場のついでに小倉城ということになりそうな気がする。


1999/08/14

両生爬虫類館オープン

 1999/08/12で上野動物園欲が湧いたので、この週末に行こうと考えた。ちょうど今朝まで会社にいたので、仕事帰りに上野に向かうつもりでいた。しかし、朝から関東地区は大雨、傘を差して歩く事すら困難な状況であったため、断腸の思いで上野行きを断念した。

 その代わりと言っては何だが、帰宅後「どうぶつと動物園」の今月号にあった「上野動物園特集」をじっくりと読んだ。7月に完成した「両生爬虫類館」の記事が大半であったのだが、哺乳類にしか興味のない私にとっても、「これは非常に面白いのではないか」と思わせるような内容である。規模の大きさ、建物の美しさ、展示動物の希少さ等は言うに及ばず、何よりも私の関心を惹いたのはそのポリシーである。「アニマルライツの尊重」(「動物が飼育下でも可能な限り快適に生活する権利を認め、自然的で可能な限り広い放飼場を確保する」など)、「動物と動物を取り巻く環境が同時にわかる展示」、「種の保存を重視した施設づくり」「独創的な展示内容を持った施設づくり」という4点、自分が来館者の立場でも展示動物の立場でも、一度はそこで生活してみたくなるような理想的な環境ではないか。これでますます上野動物園欲が高まっていくのであった。


1999/08/13

かま猫

 「尊敬する動物は?」と尋ねられたら、「かま猫」と答えることにしている。残念ながら、未だかつてそのような質問を受けたことはないのだが。

 宮沢賢治の小説「猫の事務所」の主人公として登場するかま猫、一見「やぶ犬」の友達のように見えるが、ヤブイヌがれっきとしたイヌ科の動物の種名であるのに対して、かま猫は「生まれ付きは何猫でもいいのですが、夜かまどの中にはいってねむる癖があるために、いつでもからだが煤できたなく、殊に鼻と耳にはまっくろにすみがついて、何だか狸のような猫のことを云う」そうである。

 小説における彼は、猫の歴史と地理を調べる「猫の第六事務所」の書記というエリートで、仕事においても努力家であるのだが、その姿の汚さから他の3人の書記に嫌われており、何とかみんなによく思われようとあれこれ工夫して彼らに接するのだが、却って嫌われてしまう。

 職場で他の書記達の嫌がらせを受け、体が煤で汚れないように無理してかまどの外で寝ようとするが寒さに耐えかねてかまどに戻り、皮膚が薄いという生まれ付きの体質を「やっぱり僕が悪いんだ、仕方ないなぁ」と考えては涙し、それでも「事務長さんが親切にして下さる」「かま猫仲間が第六事務所で働く僕のことを名誉に思っている」ことから、「どんなにつらくてもぼくはやめないぞ、きっとこらえるぞ」と、泣きながら握り拳を握るような、ひたすら健気な奴なのである。

 このような健気さ、当然私は持ち合わせていないのだが、このかま猫の姿を憧れや理想像として常に心の中に抱いている。

 因みに作者の宮沢賢治はどうもこのかま猫に対してさほど思い入れが強いわけではないように思える。もともとこの小説が、役人の世界を風刺する目的で書かれたこと、小説の結末もかま猫にとってはハッピーエンドでないこと、文中で「ぼくはかま猫に同情します」と、哀れみや不憫さをもって彼を語ろうとしていることなどを考えると、あくまで他の書記の馬鹿さ加減を引き立てる役としてかま猫を登場させたに過ぎないのではなかろうか。そう考えると、作者からもそう暖かくない目で見られているかま猫が、ますます健気に思えてしまう。


1999/08/12

上野の獣達

 数日前の事、偶々食事会の帰りに上野動物園界隈を通り過ぎた。期せずして、久しぶりに上野の獣達の匂いを嗜むことになった。幸い同好の士もいたことから、獣を愛でる喜びを語らいながら歩き進んだ。

 上野の獣達とは随分ご無沙汰している。最近堕落したキャラクターが街角に氾濫しているパンダをはじめ、毎年、元素記号などユニークなテーマに沿って命名されているサル、「あれ?何でお前こんなところにおるねん」と思いたくなるようなところの水場にいるビーバー、「お前ら昼と夜とが逆転させられてるのに気づいてるのか?」と突っ込みたくなる夜行獣等々、無性に懐かしく思えてきた。近々足を運んでみることにしよう。


1999/08/11

美しき哉日本語

 日常よく用いる単語で、口にする度にそのセンスの良さに惚れ惚れするものの一つに「床上手」という言葉がある。

 「床あしらいが上手なこと。閨房の技術にたけていること。」(小学館「国語大辞典」)という解説を読んでも今ひとつぴんとこないこの言葉、言ってみれば「テクニシャン」とかになるのだろうか。何か具体的に指や舌や時には器具すら用いて様々な技を繰り出したり、言葉で「ほれほれここがええのか?それともここか?どこがええのか言うてみ」などと責めたりしているさまが想像され、猥褻なことこの上ない。「テクニシャン」という言葉を口にする度に自然と口元は緩み、淫猥な笑みが浮かぶ。その表情で「あんたなかなかテクニシャンでおますな」などと呟いてみると、客観的にはちょっと恥ずかしい。

 それに比べて「床上手」の美しさよ!日本文化の象徴である「床」に、名人、巧者を意味する「上手」である。日本人の日常に見事に溶け込むべく洗練されたこの言葉、和歌や俳句にも見事にマッチする。「床上手 此処が良いかと 春の夜」「暇の隙 秋の夜長に 床上手」即興で2句作ってみた。極めて淫猥な内容を述べた句であるにも関わらず、古今東西の名句と比べてもひけを取らぬほどの美しさ、高尚さを持ち合わせている。言葉の美しさを噛み締めていただくとともに、「床上手」を「テクニシャン」に置き換えた途端、名句が死んでしまうことも認識していただきたい。

 こういった美しい日本語を絶やさぬためにも、「床上手」という言葉を常日頃から生活の中で用いていくことが、我々に今求められているのかもしれない。


1999/08/10

日常と非日常

 旅行の目的を「日常からの解放」もしくは「非日常の追究」とすると、先週末の旅行は若干この目的から外れたものだったと言わざるを得ない。

 土曜は昼頃から旅先に向かう予定が結局競馬のメインレース前にやっと目覚めてしまうという失態を犯し、慌てて旅先に向かった。現在通勤に用いている路線に、以前通勤で用いていた路線を乗り継ぎながら隣県の目的地に。夜の街を散々歩き倒し、深夜にホテルに戻った後は、普段の週末のように夜更かしし、朝はチェックアウトぎりぎりまで寝ていた。夜の街を歩き倒した以外はほとんど週末に行っている行動である。結局「非日常からの解放」「日常の追究」のような旅行になってしまった。

 確かによく考えれば、先週までは非日常的な日常を過ごしていたため、旅行の目的が通常とは逆になってしまったのかもしれない。日常は日常的である方が非日常を楽しめるようである。ああややこしい文章。


1999/08/09

危機意識

 日曜の夕方あたりから携帯電話に無言のメッセージが何件も入っていたのに気づいた(その都度気づけよ)。発信元は「番号非通知」。非常に気色悪かったのだが、今日も何件か着信があったようだった(だからその都度気づけよ)。偶々電話を手にしたときに着信があったので、電話に出てみたところ、土曜日に宿泊したホテルからの電話であった。支払いの際に提示したクレジットカードを忘れてしまっていたらしい。ひたすら恐縮しまくって、書留で送ってきていただけるという先方に感謝しまくった。

 しかしこれがホテルのフロントだったから良かったものの、他のところに忘れてしまっていたとしたらいったいどういうことになっていたか。今日ホテルからの電話を受けるまで、カードが財布から消えていることに気づかなかった。今頃知らぬ間に訳の分からぬ宝飾品などの高額商品を購入され、インターネット上では裏ビデオを申し込まれたり有料エロサイトの毎月の支払いに用いられたり、大変なことになっていた。

 とまあ当然のことをここまで書いてきたのも、自分でこう書くことによって事の重大さを感じないと、「ああなんか助かった」などと、過剰なほど楽観的になりかねないからである。逆に言えばこのように書いてみるまでそう大して危機感を感じなかったのである。今こそ草食獣の感覚を身につけるべきだと強く認識している。


1999/08/08

 飲酒の習慣がある訳ではないのだが、冷蔵庫の中に酒を保存していたことがある。正確には「飲酒の習慣がある訳ではない」どころか、体質的にアルコールを受けつけないのだが。

 大学に入学したての頃、私が下戸であることを知らない後輩が下宿にお祝いに持ってきてくれたワイン。結局これは来訪者に振る舞ったり、眠れぬ夜の睡眠薬代わりにちびちび舐めたりし、何年か後に全て使い切ることができた。そういえば、気が滅入っている時に気を紛らわそうと酒を飲んだら、神経が余計鋭敏になって途轍もなく落ち込みがひどくなるということを、この酒に教えてもらった。

 また、千利休没後400年で世が「利休ブーム」に浮かれていた時、私も利休ブームに乗ろうとしてリキュールを購入したことがあった。飲み口はいいのだが、所詮受け付けることのできないアルコール。結局これも麦茶やウーロン茶で非常に薄いカクテル擬きを作ったり、燗でアルコールを少々飛ばしたりして、睡眠薬代わりに飲んでいたものだった。

 そういえば、今も冷蔵庫の中には、納豆や写真のフィルム等とともにビールの缶が入っている。確か小銭のない時に近くの自動販売機でジュースを買おうとしたところ、お札を受け付けない機械であったため、その横にあったお札の使えるビールの自動販売機で小銭を作るためだけに買ったビールである。さすがにこれはちびちびと飲むわけにはいかないし、勿論ビール一缶など一度に飲むことなどできない。何か面白い活用法がないか、目下思案中である。


1999/08/07

ライター

 排煙の習慣がある訳ではないのだが、一時使い捨てライターを持ち歩いていたことがある。決して私は「火を見ると落ち着く」だとか「物が燃えているのを見ながらベッドで燃える」だとかいう人種ではない。また、ホステスのように「煙草を吸おうとする人にさり気なく火をつけてあげる」などという、排煙者に媚びたようなことをしようとしていた訳でもない。ただ単に、人から貰ったのでそのまま大事に持ち歩いていたのに過ぎなかった。結局そのライターは本来の目的で用いられることなく、誰かに貸してそのまま私の手から離れてしまった。

 ところで、今日旅先で衣類を買った私は、今それについているプラスチック製のタグを外すのに難儀している。歯で噛み切ろうとしたがなかなか切れない。ホテルのフロントに鋏を借りればいいのだが、わざわざ浴衣を着替えてフロントに行くのも面倒臭い。火で焼き切ろうと思ったが、この部屋にはマッチの類が備え付けられていない。こういう時こそライターを持ち歩いていれば…。


1999/08/06

 中高一貫校にいた私は、その6年間寮生活を送っていたのだが、同じ寮の3年ほど先輩に、クールでそこそこかっこいい先輩がいた。しかしこの人には奇癖があるとの評判があった。彼は枕が2つないと眠れないそうである。

 「どうやら1つは抱いて寝るらしいで」友人にそう聞いた私は、その先輩が枕の上に頭を載せ、腹に枕を抱えている図を想像してしまったのだが、その友人の次の言葉を聞いて腰を抜かした。「で、もう一つは股に挟んでるらしいわ」当時その人に対して抱いていたイメージが音を立てて崩れるとともに、枕を2つも用いながら、2つとも一般に「正常」とされる使い方をしていないという贅沢さに心を打たれたものだった。

 そして近年「抱き枕」なるグッズがヒットしたとき、「きっとあの先輩が、いつも使っている枕を1つに合体させたい一心で開発したに違いない」と、当時の話を思い出したのだった。


1999/08/05

出題者が正解を知らないクイズ

 今週末、久しぶりに1泊旅行に出かけようと思っているのだが、問題は行き先である。いくつか候補は考えているのだが、いずれも一長一短があり、未だに決めかねている。

 まず考えたのが、1年半ぶりに新装オープンとなった小倉競馬場。JRA全10ヶ所の競馬場のうち7ヶ所目の訪問地として選びたいのだが、今年正月に九州に行ったばかりであること、なんかやたら暑そうなイメージがあることから、それほど乗り気になれない。「馬欲を満たす」という意味で次に考えたのが新潟競馬場。しかしこれは昨年訪れていること、競馬以外の楽しみがそうそう思いつかないことから、これも今ひとつである。実はこの夏は函館競馬場に行きたかったのだが、ばたばたしているうちに今年度の競馬の開催が終わってしまった。

 馬関連以外で訪れたい街が尾道。以前訪れたときは雨でなかなか市内観光ができなかったので、その時の雪辱戦を晴らすべく、5月の「しまなみ海道」開通以降密かに狙っていた。しかし、1泊2日で往復+市内観光+「しまなみ海道」(当然自転車で通行)は少しきついと思われることから、これも思ったほど食指が伸びない。季節的には東北がいいと思ったのも束の間、考えてみれば前回の旅行先が東北ではないか。

 一つの試みとして、私の週末の宿泊先当てクイズを執り行うことにする。参加ご希望の方は、ここをクリックして、私が今週末の夜を過ごすであろう地名(例えば「車中泊」「膝枕」「愛人宅」「回転ベッド」などはそれぞれ「東田子の浦〜三河塩津間車中泊」「六本木で膝枕」「ブエノスアイレスの愛人宅」「大阪・桜宮の回転ベッド」などのように具体的な地名を指定しない限り無効)をご記入のうえ、送信していただきたい。別に当たったからといって何もないと思うが。

 意表を突いて都内のホテルに潜伏というのも…面白くなさそうだなぁ…。


1999/08/04

苦労と喜び

 最近痴漢だの乱交だのとなかなかお盛んな東京放送の制作しているドラマのビデオを先日購入した。

 ビデオの入手には難航を極めた。発売日当日に買おうと、当時出張していた地域の店舗を駆けずり回り、都内は近場から大型店まで回り、旅行時には旅先の店舗を必ず覗いて探し求めて3ヶ月、残念ながらどの店舗でも発見することができず、結局近所の店で予約して入手した。あっけない幕切れであった。苦労して探し回った割には、最後は「今までの苦労は何だったのだ」という方法で入手したことになる。

 何事にも言えるのだが、欲しかったものがすぐに入手できた場合、当然入手の喜びを感じることになる。欲しかったものが苦労の甲斐あって入手できた場合、入手の喜びは時間の経過に伴い減退していくが、苦労が報われたことによる喜びを感じる時がある。

 ここで、時間の経過をt、喜びの大きさをyとすると、y=-a*t+b(a,bは正の定数、bは欲しかったものがすぐに入手できたときの喜びの大きさ)とでも表せよう。t>b/aの場合、期待されるべき喜びは怒りに転じることになる。

 また、苦労が報われた結果としての喜びの大きさをzとすると、z=c*t+b(b,cは正の定数)とでもなろうか。「散々苦労して結果を得たけど、喜びは得られず空しかった」という場合は、y+z<0の場合、つまりt>2b/(a-c)となる。なおこの式の前提条件として、a>cであることが必要である。つまり「どんな場合でもy+z>0」という人にはこの式は成立しない。

 この歳になって自分で一次関数を作って遊ぶことになるとは思わなかった。


1999/08/03

健気な動物

 スーパーの肉売場に行くと、牛くんや豚くんがニコニコしながら、商品の牛や豚を勧めている店頭広告をよく見かける。よく考えると不思議である。人間に殺され食べられてしまう彼ら自身が、人間に対してニコニコしたり力強さを誇示したりして自分達の死体を勧めているのである。

 以前肉業界の広告を担当している方に対してその点を指摘したところ、「だからといって牛さんや豚さんの泣き顔を広告にしたら、誰も買ってくれないじゃないですか」とのこと。よくよく考えればこれも一理。

 そう考えると、増売のため一心に、店頭で自分たちの死体をニコニコしながら勧めている牛くんや豚くんは、実に健気とは言えまいか。


1999/08/02

説得力なき意見

 偶々深夜番組を見ていての感想。

 今夜の特集は「日焼けは危険!」。司会は東幹久。お前が言っても洒落にしかならんっ!

 司会者のコメント「夜遊びは肌に良くない」。司会は東幹久。お前が言ったら洒落にならんっ!


1999/08/01

視点を変えて

 同じ場所に繰り返し旅行に行くことがある。目的には大きく分けて2つあり、1つは、その土地が常に持っている雰囲気に触れようとするためである。その土地の持つ心地よく素晴しい雰囲気は不変であり、いつ行っても自分にとっては安心できる、という土地があり、私にとっては倉敷がその代表である。もう1つは、同じ場所を異なった視点、異なった条件で楽しもうとするためである。私にとっては季節を変えて道東を訪れるのがその一例である。

 これらは別に旅行に限らず、小説、音楽、映画、さらに言えば人間関係などについても同じことが言えよう。

 さて、本題に入るが、先日観て深い感銘を受けた映画「ファザーレス 父なき時代」(詳細については1999/07/01参照)を、土砂降りの中渋谷に足を運んで(1999/07/11参照)再び観ることになった。

 最初に観たときは、主人公が自らのテーマの解答を求めるために、家族や自分自身を傷つける覚悟でどこまでも突き進む様子にいたく感動し、自分自身の生き方にも何かの影響があったのではないかと感じたのだが、その後この映画について語る集会(1999/07/03参照)で、「主人公には全く感動しなく、主人公を取り巻く家族の人々の強さ、包容力の豊かさというものがよくわかって感動できた」という意見を伺い、次にこの映画を観る機会があれば、家族の人々、主人公と同じような子を持つ親の立場に回ってこの映画を味わってみたい、と思ったのだ。

 視点を変えて映画を観た結果、最初に観たときにはむしろ反感すら覚えていた家族の方に対しても、「家族の人々の強さ、包容力の豊かさ」というものを感じることができた。また、それがわかったからこそ、そういった家族の人々の内面の素晴らしさを最終的に引き出すことのできた主人公に対して、感動とともに、羨ましさ、憧れをも一層強く抱くことができた。


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