エゾシカの 1999/05/01〜1999/05/31

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1999/05/31

○○プレイ

 小学生でも耳にしたことのある「プレイ」という英単語を様々な日本語に付けて遊んでみる。

 「電車プレイ」「馬プレイ」「納豆プレイ」「ネクタイプレイ」「病院プレイ」「篠原涼子プレイ」…。何気ない言葉と組み合わせるだけで、どういう訳か途端に淫靡な光景を想起させてしまうのは驚きである。想像力のトレーニングにはもってこいの遊びと言えよう。


1999/05/30

続・盛岡

 先日沸いた盛岡欲を満たすべく(1999/05/25参照)、この週末の休暇を利用して盛岡に足を運んだ。幸い当初の懸念のように「駅の中をうろついていた」だの「冷麺だけ食って帰ってきた」だのということはなく、動物園や農場で獣と戯れたり、盛岡冷麺やわんこそばなど、初体験の食べ物も味わってきた。私の旅行にしては珍しく好天にも恵まれ、なかなかいい旅行であった。

 旅行の詳細については「旅の足跡」でいずれ触れることにするのだが、東北新幹線の発車前アナウンスは「発車前の盗難には十分ご注意ください」であった(1999/05/21参照)。


1999/05/29

「Lucky animal !」の平和的利用

 元祖・動物占いとして名高い「Lucky animal !」が個人の幸福追求に多大な貢献をしていることは、皆様もよくご存じのとおりである。そこで、これをもっと他の事に貢献できるような使用法がないかどうか検討してみた結果、争い事の解決にも利用することができるのではと考えた。

 争い事の当事者同士がそれぞれ「Lucky animal !」にアクセスする。そこで出た動物で勝敗を決めるのである。片方が「ライオン」、もう片方が「シマウマ」なら、「ライオン」の勝ち、という具合である。パソコンさえあれば流血の事態や警察沙汰といった結末を迎えずに争い事の解決がはかれるのだ。問題は、「トガリネズミ」と「コモンツパイ」など、戦ったらどっちが勝つのかとんと見当がつかないもの同士が出てきた場合なのだが…。

 「このやり方では納得できん!」という血の気の多い方には別の方法をお奨めしたい。当事者同士が1回だけ「Lucky animal !」にアクセスし、そこで出た動物の流儀で戦うのである。「ウマ」ならお互い耳を後ろに思いっきり倒して噛みつき技で戦い、「アミメキリン」が出たらお互い激しく首をぶつけあって戦うのである。「カンガルー」など出たら大変である。尻尾だけで立ち上がり、お互い両手両足で殴り合うことになるのだが、尻尾の代わりに何を使って体を支えれば良いのだ。男性はともかく女性には至難の業であろうに。いずれにせよ、通常の戦い以上に体力を消耗すること必定なので、戦いも早々に決着がつくことであろう。


1999/05/28

馬と女

 明後日は東京競馬場で「オークス(優駿牝馬)」なるレースが開催される。TVでもCMが放映されているのだが、これが先月行われた「桜花賞」のCMと全く同じ。よくよく聴けば、歌の中の「♪そう、競馬にたとえりゃ、桜花賞」の部分が「♪そう、競馬にたとえりゃ、オークス」となっていた。「おーかしょー」が「おーくすー」になっているだけなのである。競馬をやり始めて2年、牝馬限定のレースが2回続けてこんなに似た名称だということに初めて気づいた。

 さらによくよく考えてみると、その次の牝馬限定レースは「秋華賞」ではないか。「おーかしょー」「おーくすー」と続き「しゅーかしょー」である。4歳の牝馬限定の3レースが3レースともそっくりの名称ということになる。今年大幅にTVCMの種類を減らす方針のJRA、当然秋も歌詞の使い回しをするものと思われる。

 因みに「秋華賞」の次の牝馬限定レースは3週間後の「エリザベス女王杯」。これは歌詞に採り入れるのに苦労しそうである。


1999/05/27

納豆三昧

 ちゃきちゃきの江戸っ子となって5年近くになる。江戸っ子といえば納豆である。そんなわけで先日、納豆三昧の生活を送ってみた。因みにこんな生活、こてこての関西人時代には他人に語ることすら憚られたものだった。

 まずはコンビニで品定め。パッケージ、付加価値、独自性など様々な観点から何パックかセレクトし、1食の量としてもやや過剰なくらい購入して帰った。パックにして10パック近く、ひたすら無心にかき混ぜ粘らせ次々と食べていった。「納豆の一気食い」という言葉がぴったりの光景である。

 今回最もおいしいと思ったのは、榎茸と大根おろし付きの納豆パック。まあ、他のパックはだしと芥子だけで食べたので、おいしく感じて当然なのだろうが。次回の納豆三昧の時には味付けに拘ってみたい。


1999/05/26

遅れた理由

 確かにいつも以上に疲れていた。しかし、それだけで「エゾシカの嘶き」をお休みしたいと思ったというわけではない。むしろ、早めに「エゾシカの嘶き」を書き上げて床に就くつもりであった。

 しかし、帰宅後鞄を開けて普段用いているノートパソコンを取り出したとき、あろうことかノートパソコンのバッテリーを職場に忘れてきたことに気づいた。部屋にはデスクトップパソコンがあるのだが、生憎こちらにはホームページを更新するための環境が整っていない。最小限のメールを書いた後「エゾシカの嘶き」を執筆し、アップロードするだけの時間、バッテリーが保つかどうか自信がなかったため、更新が遅れる旨だけを本ページおよびトップページにてお知らせした次第である。

 更新を楽しみにしていただいた方々に対して、深くお詫び申し上げます。


1999/05/25

盛岡

 先日TVで盛岡の冷麺が紹介されていたのを観て、無性に盛岡欲が沸いてきた。それにしても、簡単にメディアの影響を受けてしまったこともさることながら、事もあろうにルー大柴の推薦する場所に行きたくなったこと、それ以前にルー大柴の出演する番組を目にしてしまったことが我ながら恥ずかしかった。

 社会人になってからに限っても、花巻、遠野、宮古、平泉など、岩手県にはよく足を踏み入れていたが、盛岡は大抵単なる通過点であった。旅行の都度、「チャグチャグ馬コ(盛岡のお祭り)を観たい」「盛岡城跡を訪れたい」「冷麺が食べたい」「小岩井農場で獣と戯れたい」など、盛岡(小岩井農場は盛岡ではないのだが)への想いは少なからずあったにもかかわらず、結局、いつも盛岡以外により重要な目的があったために、いずれも果たせずじまいだった。

 いつもこの調子で、盛岡で楽しみたいことができないため、もし盛岡に足を運んだとしても結局「駅の中をうろついていた」だの「冷麺だけ食って帰ってきた」だのということになりかねないのが心配である。


1999/05/24

危険と性欲

 深夜情報番組によると、遊園地で絶叫遊技機に乗ると、人は危険を感じて種を保存する本能が働き、性欲が高ぶり頗る淫猥になるそうである。私にしてみれば冗談ではない。

 ジェットコースターはまだ多少は危険を感じて淫猥になる余裕があるかもしれない。しかし、いわゆる落ちもの系(後楽園ゆうえんちの「タワーハッカー」の類で、椅子に座って手足をぶらつかせたまま地上100mくらいまで一気に引き上げられ、一気に自由落下に近い状態で落ちていくようなもの)なぞ、危険を感じる余裕すらない。もともと高所恐怖症で、高いところから真下を見るのがとてつもなく怖いのである。高校時代など、テニスの審判台から降りることすら至難の業だった。他の種の危険ならともかく、地上100mで手足をぶらつかせながら情欲の炎を燃やす余裕など私には全くない。何で淫猥になるためにそんな死にそうな思いをせねばならないのだ。

 ところで、読者からのメールで、昨日(1999/05/23)の文章の中で話題にした人物の名字が間違っているとの強い叱責を受けた。「日本一有名な人妻」と言っても過言でない女性を旧姓で書いてしまったので、さり気なく修正しておいた。


1999/05/23

勝負事の喜びと悲しみ

 2年前にわざわざ名古屋まで足を運び、初めて競馬を観戦して馬券を買った。結局この時は数千円すってしまったのだが、今日この時と同じレースで無事この時の負け分を取り返すことができた(詳細は「EZOSHIKA PADDOCK」のここを参照)。2年前のレースで、馬券を買う参考として先輩に推薦していただいた馬(当時5着)が、今年のレースで勝ったというのも不思議な因縁である。

 他のレースではなく、「初体験の苦い想い出」となったレースで勝てたことに価値があるのだ。別にJRAに対して「ざまあみろ」とか「俺の勝ちだな」などと言うつもりはない。あくまで自分自身の中で、初めての苦い想い出や悔しさや「内心忸怩たる思い」をかなり払拭することができたのが、純粋に嬉しかった。

 しかしこの2時間後、再び悔しい思いをする羽目になってしまった。日曜19時前に恒例の、フグ田サザエとのジャンケン対決に負けたのである。あそこでパーを出していれば…。


1999/05/22

獣CM

 動物もののCMというのが時々ブレイクする。最近では熊がブレイクしていたようである。しかし哀しいことに、私のお気に入りの獣達はなかなかCMキャラにならないようである。スナック菓子のCMでキツネと競演しているだけのアザラシはまだましな方で、鹿はせいぜい清酒メーカーのCMで白い姿を晒すくらいだし、馬は近年では本来主役を張れるスポンサーのCMで、木村拓哉にまで主役を食われる有様である。カンガルー・ワラビーの類は出身国の観光協会のCMで一瞬その姿を見せるにとどまり、カワウソは唯一存在を誇示していた鉄工所の企業CMを降ろされた。ヤブイヌに至っては、CM出演の噂すら聞いたことがない。

 以前CM制作の打ち合わせで、「speed&power」というテーマに合致する商品のキャラクターの検討を行っていた際に、私は馬を提案した。馬の足の速さ、体つきや走るときの力強さが合致していることに異論はあるまい。ところが馬はいざCMにする段階で非常に見せ方が下品になる動物であることを指摘された。確かに「馬の強さ」をキャラクター化すると、「鼻息」だの「巨大な一物」だの「精力絶倫」だのになってしまう。

 となると、今後馬をキャラクターにしたCMを実現させるには、最初から下品系商品のキャラクターにするか、消費者の馬に対する下品なイメージを払拭させるしかない。正月早々オンエアのCMで、木村拓哉に「名馬の仕事、それは種付け!種付け!」と歌って踊らせている場合ではないのである。ポケモン人気の続いているうちに、ポニータ(ポケモンNo.77)あたりをメジャーにして何とかどこかのCMキャラにできないものだろうか。


1999/05/21

発車前の盗難

 ここ数年、年に何回かは東海道新幹線を利用する。いつも気になるのが、発車前の車内放送で「最近発車前の盗難が増えてきております」のくだり。数年前も「最近発車前の盗難が増えて」いた。それから数年間、乗車の度に「最近発車前の盗難が増えて」きて、今日も相変わらず「最近発車前の盗難が増えて」いるらしい。何年もの間、「発車前の盗難が増えてきて」いるのであれば、今なんぞ新幹線は、埼京線の「痴漢電車」に並ぶ「盗難電車」になり、発車前の車内では毎回毎回どこぞのスリ組織が跋扈してはあちらこちらで「財布がなくなった」だの「鞄がすり替わっている」だの阿鼻叫喚の巷と化していることになってしまう。

 単なる注意喚起なのであれば「発車前の盗難にご注意ください」で十分なのではないか。そもそも本当に数年にわたって盗難が増えているのであれば、盗人達を日々のさばらせ繁殖させながら列車を走らせていること自体が問題視されかねないような気がする。

 少なくとも私は新幹線がそんなに危険な列車だと認識したことはないだけに、余計に気になってしまうのだ。


1999/05/20

ネーミング戦略

 最近「たのしいネーミング百科」という本を暇つぶしに読んでいる。内容は、江戸期から1970年代あたりまでの商品のネーミングを年表風にまとめ、それに天野祐吉氏らが座談会形式で解説を加えているというものであり、当時の人たちの商品に対するネーミングの考え方、また逆に、そのようなネーミングの商品を受け入れる世相というものを読み取ることができ、ネーミング戦略の観点からも、日本大衆史の観点からも楽しめる一冊となっている。この本、3年くらい前に買って読んだのだが、先日本棚の整理をしていたら久しぶりに見つけてそそられたので、読み直している次第である。

 それにしても昔の商品ネーミングはとにかくアナーキーである。商品内容をオーバーにしている名前あり、差別問題になりそうな名前あり、国際問題になりそうな名前あり、口にはしたくないような下品な名前あり…。

 この中で興味を惹かれたのが、19世紀末の福原資生堂(現・資生堂)のネーミング戦略。消費者の知らないような新成分を配合した化粧品類を市場に出す際、メディアの発達した今では、その商品の広告の中で、新成分名とその価値(効能)をメディアで訴求することにより、「商品」とその「効能」とをより強く消費者に刷り込むことができる。たとえば、「Z-pt(ジンクピリチオン)がフケ・かゆみに効く」ことを広告で説明し、「今度のシャンプーはZ-pt配合」と訴えることにより、「今度のシャンプーはフケ・かゆみに効く」という方が、ただ単に「今度のシャンプーはフケ・かゆみに効く」と訴えるよりも、新成分の価値を説いた分、より強く消費者に伝わることになる。すなわち、質・量ともに充実したメディアにより、「三段論法」で商品の価値を消費者に十分浸透されることが可能なのである。

 ところがメディアの充実していなかった19世紀末にはそんな余裕はない。当時の商品のネーミングは「小町水」(化粧水)といったイメージのみの訴求、「ちぢれげ直し薬」(整髪剤)といった効能のみの訴求が一般的であった。その中で福原資生堂は「アネモシン春風山」(あかとり香水)、「ラウリン花たちばな」(ふけとり香水)など、「何かようわからんけど効きそうな新成分の名前」をそのままネーミングに取り入れることにより、商品名、新成分、効能(あくまで新成分名からくるイメージだが)を一度に伝えることに成功したのである。

 価値の伴わないイメージは淘汰される現在において、この手口は使えないだろうが、この発想自体は注目すべきものだと思う。


1999/05/19

感染の恐怖

 2年ほど前に、HIVウイルスの検査を受けたことがある。

 HIVウイルスの怖さはかなり前から「AIDSの恐怖」として知っていた。しかしあくまでその「怖さ」というのは、自分が感染することに対する恐怖であり、何かの間違いで自分が感染した結果、知らぬうちに他人に感染させることに対する恐怖というものは真剣に考える機会がなかった。ある日久しぶりに献血し、その際「自分がHIV感染者でないか、もう一度よく考えたうえで献血してほしい」との趣旨の問診票や啓蒙パンフレットを見て、「もし自分が感染していたとしたら、全く関係ない人、いや、時には自分が何としてでも命を救ってあげたい人が、俺の一方的『善意』により何も知らずに死んでいくのだ」ということを強く思い知らされたのが、検査を受けるに至った動機である。

 新宿にある検査室に足を運ぶまでは「感染していないことをはっきりと確認したい」という気持ちでいっぱいだったのだが、受付を済ませて待合室に入ると、既に自分が感染者であるかのような気分になってしまった。まあ一般的に病院などは、自分の体に異常を認めてから足を運ぶものだから、「待合室」=「体調不良」という条件反射が起こるのも仕方あるまい。

 問題はそれから検査結果が出る2週間である。この間、「感染していたらどうしよう」という恐怖が私を襲っていた。他人との接し方に気を遣ったりしたこともあったし、寝不足等で少し体調が優れないだけでも「発病の予兆ではないか」など思ったりしたこともあった。結局この手の恐怖は2週間後に無事払拭された。

 しかし、訳もなく体調不良に陥ると、何ともないとわかっていながらもこの時の恐怖が蘇ってくる時が未だにあるのだ。


1999/05/18

獣尻取り

 今日は文章を書くのに疲れたので、獣で一人尻取りを楽しんでみる。

 ヤブイヌ(イヌ科)→ヌートリア(ヌートリア科)→アイアイ(アイアイ科)→イイズナ(イタチ科)→ナマケモノ(ナマケモノ科)→ノロ(シカ科)→ロバ(ウマ科)→バク(バク科)→クラカケアザラシ(アザラシ科)→シマウマ(ウマ科)→マーラ(テンジクネズミ科)→ラクダ(ラクダ科)→ダックスフント(イヌ科)→トガリネズミ(トガリネズミ科)→ミーアキャット(マングース科)→トナカイ(シカ科)→インドゾウ(ゾウ科)→ウンピョウ(ネコ科)→ウシ(ウシ科)→シカ(シカ科)→カモシカ(ウシ科)→カモノハシ(カモノハシ科)→シロサイ(サイ科)→イノシシ(イノシシ科)→シロイルカ(イッカク科)

 発見!無意識のうちに草食獣を贔屓している!


1999/05/17

続・動物占い

 動物占い(1999/05/13)の結果が出た。先述の通り、人には5つの動物キャラが存在するのだが、私の場合、「表面」=ゾウ、「意思決定」=黒ヒョウ、「希望」=チータ、「隠れキャラ」=コアラ、そして「本質」=ライオンらしい。当初自分でこういうタイプではないかと思っていたのとは大違いである。これを言葉で解釈すれば、「人前では威厳あるように振る舞う」「物事を考えるときは面子や立場にこだわる」「ぶっちぎりで勝つことに憧れている」「困ったときには物事を長期的展望に立って判断する」「本性は自分にも他人にもやたら厳しい」てな奴である。これってほんまに俺かよ。

 こうして見ると、「Lucky animal !」の方が占いとしての精度が高いのではないかと思われてくる。ちなみにさっき「Lucky animal !」を試してみたら「マーラ」だった。


1999/05/16

トランクス

 珍しく下着を買いに行った。当然グンゼの「BODY WILD」(「エゾシカの嘶き」でお馴染みの、例の篠原涼子のやつである)も派手に陳列されていたのだが、トランクス派の私は買わなかった。

 大学時代からトランクスを愛用している。一つにはトランクス派共通の支持理由である「股間の束縛感が少ない」という理由から、もう一つ「下着姿を他人に見られたときにさほど恥ずかしさを感じない」という理由からである。

 学生時代は部屋に冷房がなく、暑い室内では下着で過ごしていた。ブリーフなら何かと生々しさを感じるが、トランクスは形状および機能面から、短パン感覚で着用できるという点に魅力を感じた。不意の来客に対してもその格好で応対できなくもない(もちろん相手にもよる)。

 最近では住居の部屋の外(といっても屋内だが)にも抵抗なくトランクス姿で出ている。羞恥心が薄れるのが私にとってのトランクスの難点である。


1999/05/15

携帯電話と「エゾシカの嘶き」

 2年ぶりに携帯電話を買い換えた。関西で契約した電話の機種変更ということで、ちゃきちゃきの江戸っ子(ここ5年ほど)である私には困難を強いられる買い換えであった。

 番号を替えない機種変更の方法として選択肢は3つあり、1.関東の地域会社の直営店で機種変更の手続きを行う、2.関西まで出向いて小売店で機種変更を行う、3.関西の小売店に申し込んで、現物を郵送でやりとりする、がある。1の場合は「直営店なので価格が異常に高い」2の場合は「時間が勿体ないうえ休日は営業していない小売店が多い」3の場合は「携帯電話を手放している期間が長く、その間不便」という問題点があり、結局私は3を選択した。

 今度の携帯電話ではホームページを閲覧することができる。もともと「エゾシカの嘶き」はそういった利用法を意識したページ造りにしており、わざと画像なし、色もほとんどなし、リンクもなしといった造りになっている。今回の機種変更は、実際に携帯電話で利用する際の問題点などをチェックする目的も多少あったのである。

 さて、早速1999/05/14の時点での当ページを閲覧してみた。「容量オーバー」ということで、わずか4日間分しか表示されなかったのが非常に残念であった。おそらく1999/05/14のような量だと、1日分で容量オーバーであろう。何か対処法を検討せねばならない。


1999/05/14

新型寝台列車の受容性

 一昨年の東京モーターショー以来、久しぶりに他会社の内覧(新商品などを報道各社や関係各社に公開すること)に出席した。今回は、7月に上野−札幌にデビューするJR東日本の新型寝台列車「カシオペア」の内覧である。

 ただ単に車内設備がどうだだとか広さがどうだだとかは、そのうち好事家向けの雑誌で特集が組まれるだろうし、旅行商品としての価値がどうだだとか商品戦略やマーケティング戦略がどうだだとかは、旅行雑誌やビジネス雑誌などで特集が組まれるだろう。この列車は「オール2人用個室」ということで、メインターゲットは時間も金もほどほどにある(そもそも東京地区から北海道に鉄道で行くということ自体、時間にも金にも恵まれていないと不可能である)中高年の番いあたりになると思われるので、彼らの回春旅行需要にどの程度応えた列車になっているのかについて述べていきたい。

 最も部屋数の多い「カシオペアツイン」というタイプの部屋について、3点ほど気になった点がある。まず、ベッドがL字型になっている。「L」の字の縦の部分に1人、横の部分に1人、という感じである。これでは相手の寝顔を楽しんだり、眠りに就く直前にうとうとした振りをして相手に気づかれるか気づかれないかの程度に触れてみたり、朝寝ぼけた振りをして相手に甘えてみたり甘えられてみたり、などといった楽しみが不可能である。

 また、17時間の道中部屋の中で過ごせるように、トイレや洗面台が室内にもあるのだが、この狭さの中でトイレがあるということは、排尿、脱糞、放屁の音を相手に楽しんでもらうことを強要するようなものである。私はそんなもの、聞きたくもないし聞かれたくもない。尤も、長年連れ添った仲の番いであれば、そんなことは気にならないのかもしれないが。

 また、このタイプの部屋は、昼のソファを繋ぎ合わせて夜にベッドに改造して使用する。従って、ベッドに改造した際にソファの繋ぎ目がちょうど背中あたりにくるのである(実際に人目も憚らずにベッドで寝転がってみたので間違いない)。この上で一戦交えるとどうなるか。下に組み敷かれている側は快感に溺れるにあたってかなり背中に違和感を感じねばならない。それを避けるためには後背位や座位、果てには駅弁プレイやまんぐり返しなどの些かアクロバティックな体位しか楽しめなく、お互いによほど若々しい肉体を持っていないと少し苦しかろう。

 友人同士で利用するのならともかく、番いでの利用の際には上級の部屋を利用するべきである。


1999/05/13

動物占い

 コンビニで「動物占い」という本を見つけ、その場で買って帰った。どうやらそのコンビニの情報端末でも「動物占い」ができるらしい。動物占いの先駆者的存在である、我らが「EZOSHIKA TOWN」の「Lucky animal !」をWEB上で運営している者としては、強力ライバル出現といったところか。互いに切磋琢磨しながら、1人でも多くの人に動物占いを楽しんでいただけるように努めていきたい。

 その「動物占い」によると、人には「本質」の他に「表面」「意思決定」「希望」「隠れキャラ」という、計5つの動物キャラが棲んでいるらしい。ライオン、チータ、ペガサス、ゾウ、サル、オオカミ、コアラ、トラ、クロヒョウ、ヒツジ、タヌキ、子ジカ、以上12頭の中から動物キャラが決定される。

 本をざっと一読した上で自分を判断してみると、「表面」=タヌキ、「意思決定」=コアラ、「希望」=オオカミ、「隠れキャラ」=ヒツジ、そして「本質」=ペガサスといったところではなかろうか。実際に生年月日を用いて占えば、「本質」=ライオンらしいが、これはこれでわからないでもない。


1999/05/12

 喉の具合が良くない。何というか、首を鷲掴みにされて絞め上げられ、じたばた暴れて何とか解放された瞬間、噎せ返りまくっているような感じで咳き込むのである。

 子供の頃、喧嘩の際などによく素手で首を絞めたり絞められたりしていたが、あれくらいの力で気管支が絞まるのであれば、相手がじたばたするのを無視してそのまま絞め続ければ、簡単に人を殺めてしまえそうな気がする。何て恐ろしい行為だったのだろう。

 ちなみに、首吊りなどで、頸動脈を絞めて脳への血液の循環を止めることによって絶命する(こっちは「縊死」といって、先述の「窒息死」とは別のカテゴリーらしい)のには15分から長くて数十分ほどかかるそうである。ああ、今夜は嫌な夢を見そうだ。


1999/05/11

オッサンの帰宅

 いい年したオッサンが会社から帰宅するシーンを考える。

 <パターンA>実家の戸を開ける夫。妻「あなたお疲れさま、食事にします?お風呂にします?」夫「風呂」妻「丁度今いい湯加減で沸いてますよ。着替え用意しときますね」

 <パターンB>帰路に就く途中で自宅に電話。夫「お前かい?今日は遅くなるから先に寝てとくれ。飯は食ったし、風呂はシャワーで済ますから」

 自分はどちらのパターンになりそうか考えてみたのだが、パターンAの亜種として、妻から「食事にします?お風呂にします?」と聞かれた際に、「瞑想」とか「やっぱ魚には白」とか「市中引回しの上磔獄門」とか言って毎回毎回妻を困らせては喜ぶというタイプになりそうな気がする。


1999/05/10

ラ王

 今日は体調が優れないため、短めに。

 椎名桔平亡き後の「日清ラ王」のCMで、ラ王を買った女性の車を男が追いかけ、追いついてラ王を奪い、走行する車上で食べるシーンがあるのだが、車に追いついて車の天井を破って侵入するまではいいとして、ラ王を奪ってから食べるに至るまで、湯はいったいどこで調達したのだろうか。


1999/05/09

動物熱

 このGWの資料をいろいろ漁ってみたのだが、1999/05/03で身をもって体験した世間の動物熱というものがやはりただならぬものであるということがわかった。新聞記事などから4/29〜5/5のデータを見ると、ズーラシアに足を運んだ人は20万3000人との事。その他では、東武動物公園を訪れた人が13万6000人(昨年と比べて+1万8000人)、多摩動物公園が12万人(+3000人)、浜松市動物園11万4000人(+6000人)、葛西臨海水族園9万7800人(+8900人)、犬山モンキーパーク8万6100人(-2600人)などということだそうだ。この他にも、上野公園を訪れた37万人の大半は当然恩賜上野動物園にも足を踏み入れているものと思われるし、ズーラシアの入場制限で入れなかった人達は近くの町田リス園に流れているものと思われる。また、天皇賞・春の開催された京都競馬場に訪れた12万人(+2万人)は当然馬と戯れているものと思われるし、その他データが公表されなかった動物関連施設をも含めると、このGWに全国の主要観光地を訪れた5376万人の1割程度を占める数百万人単位の人が、動物関連施設で動物熱を冷ましてきたものと推測される。改めて、動物熱を冷ますことができなかった自分を哀しく感じる。


1999/05/08

ドリンク剤・3

 近所の薬局では今、リゲインだのリポビタンDだの、ドリンク剤のセールを実施している。大半が先日、医薬品から医薬部外品に移行したものである。しかし驚くべき事に商品のラベルは「医薬品」のままであった。コンビニに行けば同じ商品が「医薬部外品」として陳列されている。薬局に置いていれば「医薬品」でいいのだろうか。たとえ旧在庫品だとしても、医薬部外品指定から1ヶ月以上たつ。たとえばラベルの上からシールを貼るなど対処法もあろう。

 一部医薬品の医薬部外品への移行の是非、薬局・薬店以外での医薬品の販売の是非についてはここでは問題でない。「同じものが同時期に、人体への影響の度合いが全く異なるものとして扱われている」という矛盾が非常に気色悪いのである。ドリンク剤愛飲家としては看過できない問題である。


1999/05/07

ヤブイヌ

 昨今の獣ブームの中、後輩(1999/04/02参照)が早速「ズーラシア」に行ってきたそうなのだが、そこにいたく彼の気を惹いた動物がいたらしい。ヤブイヌという極めて和風で庶民的な名前を持つこの動物、イヌなのだが顔立ちはイヌというよりブタであり、常に藪の中に隠れていて時たま「☆☆〜」(再現不能)という奇妙な鳴き声を発しているそうである。ズーラシア最大の目玉であるオカピに次ぐ珍獣であるにも関わらず、ヤブイヌ関連のグッズは全く販売されていなくて、他の一般的な動物に人気を奪われているらしい。

 このプロフィールだけでも私の好奇心を刺激するのに十分である。帰宅後インターネットと「学研の図鑑・どうぶつ」でヤブイヌの情報収集に励んだ。何とまあ不細工で愛嬌のある姿であろうか!最近草食獣にばかり心を奪われていたのだが、久しぶりに肉食獣に熱くなってしまった。

 翌日は何が何でも早起きしてズーラシアに行ってヤブイヌと会って来るぞ!と決意したのに、目覚ましをかける間もなく知らぬ間に眠りについており、起きたらこのざま(この文章の執筆は翌日の午後)。自分自身非常に悔しいとともに、文章の公開が遅くなってしまって申し訳なく思っております。


1999/05/06

お姉さんと私

 帰宅後「エゾシカの嘶き」の執筆に取りかかろうとして、インターネット上で諸般の情報収集を行っていたら、「EZOSHIKA BBS」上で今日の「エゾシカの嘶き」のタイトルが私の狂信的なファンによって決定されていたのに気づいた。偶にはファンサービスも良かろうと思い、今回はそのタイトルに則って執筆することにする。

 子供の頃、「ロンパールーム」という番組があった。おねえさんと10人前後の幼児がおゆうぎをし、おねえさんのトークで大いに盛り上がり、最後はみんな揃って牛乳で酒色の宴を楽しむ、という番組であった。これだけなら「やってる人間はおもろいやろうけど見てるだけやったら何にもおもろうないやんけ」という番組であるが、そうでもないのである。「鏡よ鏡よ鏡さん」というコーナーで、おねえさんが魔法の鏡を通して我々の姿を確認し、「○○くん、△△くん、××ちゃん、今日も元気にしているかな?◇◇くん、☆☆ちゃん、好き嫌いをしちゃだめよ」などと、名前を呼んで声をかけてくれるのである。このコーナーによって我々は、会場で酒色の宴を楽しんでいる幼児達に負けず劣らず優越感を抱くことができるのであった。いや、できる「筈」なのであった。

 というのも、私はおねえさんに名前を呼ばれたことが一度もないのである。確かに、決して奇妙な名前ではないのだが、かつて同じ名前の人と会ったことがほとんどない。おねえさんの「名前リスト」に入らないのも当然である。しかしそれは純粋な子供心を傷つけるのに十分すぎた。いつも見るたびに「あ、かずひろくんが呼ばれた」「今日はゆみちゃんが呼ばれた」「こうへいくん、これで呼ばれたの2回目やんか」など、いつまでたってもおねえさんに知ってもらえない悲しみとともに、どんどんおねえさんと親しい関係を築きあげる友人達に遅れをとっているという悲しみ(子供は本当につまらぬことで優越感・劣等感を抱くものである)も加わり、親に対して「何でこんな名前つけたん?」と怒りをぶつけたりもしたものだった。

 最近は名前で呼ばれることもないばかりか、名字で呼ばれることすら少なくなってきた。苦い想い出もいつかは懐かしく思えるものである。


1999/05/05

広告における「競合問題」・3

 このタイトルを見て、1999/04/141999/04/21を思い出し「おっ、篠原涼子の恥丘ネタか」と期待した人は考えが多少甘い。

 JR山手線でふと気がついたのだが、車内の扉袋(扉の脇の部分)にツーカーセルラー東京の広告が入っていた。これだけなら何ともないのだが、その扉のところには東京デジタルホンの広告が入っていたのだ。つまり、競合関係(しかも、片方と契約すればもう片方とは契約することがないという、極めて排他的な競合関係)にある企業の広告が仲良く並んでJRの車内に収まっていたのだ。

 学生時代、サークルのパンフレットの広告取りを担当していた頃、先輩に激怒されたことが2回あり、1回はゲイバーの広告契約を取ってきたこと、もう1回は競合関係にある企業の広告を同じページに掲載したことだった。雑誌の専門誌だとか、新聞の「○○特集」のページにある特集関連企業だとかならいざ知らず、一般的に交通広告ではこういうことは許容されていることなのだろうか?ご存じの方(JR東日本企画の方大歓迎)がいらっしゃれば、是非教えていただきたい。

 せっかくだから、このテーマには欠かせなくなった篠原涼子についても触れておく。グンゼのホームページで「BODY WILD」のコーナーから、件のCM動画やポスター画像がダウンロードできる。掲示板もあるので、興味のある向きは「お前の恥丘、最高だぜ!」などという書き込みでもしてはいかがだろうか。できれば商品に対する意見も書いていた方がベターであろう。


1999/05/04

宿

 GWも終わりかけになって、旅行雑誌のGW特集を読み始めている。あれこれ宿の紹介を見ているうちに、学生時代の旅行を思い出した。

 当時、一人旅の場合は野宿だとか夜行列車での就寝が通常だったため、宿に泊まるというだけでわくわく気分を味わっていた。宿といってもホテルとかではなくユースホステル一本なのだが、全国ユースホステル一覧を見ながら「ここは食事がおいしそう」「ここなら楽しい話が聞けそう」などという理由で宿泊地を決め、宿泊にあたって「どんな食事が出るんだろうか」「どういった人たちがいるのだろうか」などを楽しみにしながら足を運んだものだった。

 しかし社会人になってからは大半がビジネスホテル利用になっている。経済的に多少余裕ができたこと、一人だと「とりあえず風呂に入って寝れればいいや」と思うようになったことがその大きな理由である。従って、今は一人旅において、宿選びを楽しんだり、宿泊すること自体に心躍らせたりすることはあまりない。旅行の楽しみの一部を失ってきている。勿体ない。


1999/05/03

ズーラシア体験記、の筈が

 極めて無念である。せっかくのGWの楽しみがほとんどなくなってしまった。

 朝起きて寝ぼけ眼をこすり、私は横浜市北部に向かった。今お台場のパレットタウンよりも横浜のコスモワールドよりも熱いスポットである「ズーラシア」に行くためである。今回のGWは旅行もせずにここに足を運ぶことだけを考えていたのだ(これはさすがに大袈裟だが)。

 道中で食事を摂り、京浜急行からJR東神奈川駅に乗り換えて、きっぷを買ってホームに入り、キヨスクで買ったフィルムをカメラに装填した途端、「本日ズーラシアは入場規制のため現在入場できません」との無情なアナウンスが駅に響いた。その瞬間、私の手の中山駅(ズーラシア最寄り駅)までのきっぷと、先ほど装填したばかりのフィルムが無用のものとなってしまった。

 GWの真っ只中である。人々はヴァカンスに出かけているか、休み疲れで家でごろごろしているかと読んでいた私が甘かった。世間の「動物熱」はそんなもんじゃなかったのだ。ヴァカンスを断念し、休み疲れも何のそので、関東地区のファミリーやカップルや獣欲高き人たちは、こぞってズーラシアで獣欲を満たし、動物熱をおさめてきたのだ。その中で私の獣欲が満たされなかったことが、無念でなくて何であろう。明日、明後日は自由な時間が割けないのだ。

 近いうちにこの無念を晴らさないと、死んでも死にきれない。(昨日と同じ締め)


1999/05/02

未発表曲

 今日はあるアーティストの1周忌の日であったようだ。昨年のこの日は朝からこのニュースばかりやっていたような気がする。私はこの人の所属するグループは知っていたが、この人個人については知らなかった。葬式の時、私の職場のビルを取り囲むかのように参列者の長蛇の列ができていたのを見て、何か知らんがファンの多い人やなぁと思った程度である。

 さて、いつも気になっていることがあるのだが、アーティストが死んだときや引退したとき、何故かどこからともなく未発表曲がうようよと出てくる。確かこの人の場合も最近になってまた「新曲」が出たようであるし、尾崎豊なぞは毎年のようにアルバムが出ているような気がする。

 しかしそもそも未発表曲というものは本人が納得がいかないなど何らかの理由で世に出すことをためらった曲ではないのか。それを発売するというのは故人(もしくはその世界から足を洗った人)に対して非常に失礼なことだと思うのだが。もし私が死んだときに、「エゾシカの嘶き」で公開していない(というかできない)没文章がWEB上で公開されたりなどしたら、死んでも死にきれない。


1999/05/01

メーデーと憤り

 今日はメーデーであった。労働者の祭典ということらしい。職場の労働組合の委員として、晴天の代々木公園で模擬店を開き、蒲鉾や鯣や塩辛を売っていた。それにしても酒のつまみばっかしやんけ。

 週休2日制の企業では一般的に今日は5連休の初日である。人によっては4/30に休日をとって、4/28の夜や4/29から長期のヴァカンスを楽しんでいる。それでなくても4/30の夜や5/1から、10月までもう味わえない「連休」を満喫しているに違いない。子供が学校でヴァカンスは明日からという人も、一人で動物園巡りをしたり、翌日に控えた競馬の「天皇賞・春」の予想に頭を悩ませたりと、通常の労働者ならいくらでもそれぞれの楽しみを持っている「はず」なのである。

 ああそれなのに、それなのに。何故そんな貴重な日に、こぞって(東京地区の場合)代々木公園くんだりで会社の人間とまったりとした時を過ごさねばならないのだ。年に1回あるかないかという労働者の楽しい権利を「労働者の祭典」が奪う矛盾。メーデーの趣旨には大いに賛同するのだが、イベントに理解を示すことは私にはできない。

 このような状況を鑑み、連合は2001年からメーデーを5月第2土曜日あたりに移動させるよう検討しているとの事。ちなみに、2000年のメーデーは、5/1,2と休みをとれば9連休の真っ只中…。


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