エゾシカの  2000/07/01〜2000/07/31

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2000/07/31

天下一品・6

 名古屋市内の「天下一品」の味の不味さについて述べた2000/07/14及び近郊の「天下一品」の不便さについて述べた2000/07/19を受けて、近郊に住む「エゾシカの嘶き」のコアな読者の方が結構な味かつ公共交通機関で足を運べる「天下一品」の店舗を教えて下さった為、偶々仕事帰りに其の店舗に寄ってみた。しかし帰宅時に利用する電車と反対方向に向かい、電車で10分、バスに乗り換え30分近く掛けて足を運ぶ事を「寄ってみた」とは通常言わぬのでは無かろうか。

 其れはさておき片道1時間弱掛けて向かった此の店舗、2000/07/19で触れた美味い店舗の味に酷似しており、其の優秀さを存分に発揮することとなった。更に言えば、2000/07/19で足を運んだ店舗で頂いた、7月中有効の割引券を、期限内に使用することが出来、経済的にも恵まれる結果となった。

 しかし問題は交通手段。店舗に向かう際には流石「車社会」(因みに名古屋人はどうやら此を誇りに思っているようなので幾ら其の点に於いて却って私のような「住民票上の名古屋人」が不便を感じた処で下手に論評すると無用なトラブルが発生しかねない為此処ではとやかく言うまい)の名古屋近郊という事で、夜の帰宅渋滞に巻き込まれて到着時刻が相当遅れる。更に此の店舗から帰宅するバスは、ラーメンを食べ終える時間帯には1時間に僅か2本、そして最終バスは21時台、而も運賃が高いときているため、そうそう足繁く通う事は困難であることから、休日に時間的余裕を持って訪れるのが最良の楽しみ方であろう。

 此処まで書いて2000/07/22に於いて「暫くは天下一品のラーメンを控え、食生活に気を配る必要があろう」などと述べた事を想い出した。結局此の時に述べた通り、「本当に食生活に気を配る心積もりがあるのかどうか些か疑問である」事を身を以て立証してしまったではないか。


2000/07/30

身近な疑問

 恥ずかし乍ら先日恐るべき事実を知ってしまった。正確に言えば、恐ろしい事に今に至るまで左様な事を全く知らなかったという事なのだが。

 都市瓦斯を利用する器具というものは、地域の瓦斯会社によって規格が異なるため、地域相互間の転居の際にまず使い物にならなくなるとの事。此を知らなかった私は其の場で即座に常識の無さを問われてしまったのだ。

 斯様な日常生活に密接不可分である筈の生活知識を身につけていなかったのには理由が無くも無い。今まで都市瓦斯を利用する様な器具を自ら購入した事も無ければ、瓦斯を自ら使用できる住環境に所帯を構えた事は、学生時代を除けば今回の転居が初めてなのである。

 其れにしても、幾ら聞いても今一つ納得がいかぬ。同様のライフラインである電気では左様な事は殆ど無いではないか。嘗ては周波数の異なる地域(富士川以東・以西)に於いて電器製品が共用出来ぬケースが少なからずあったようだが現在は殆どの電器製品が各々の地域で用いることが出来るようになっている筈である。瓦斯会社の規格を統一するのが困難であれば、瓦斯器具の方でそういった仕組みを採ることは出来ないのであろうか。極端な話、瓦斯ホースの太さを変えるなどして済むような話ではないのだろうか。

 此の歳になっても案外身近な処に未だ解明出来ぬ謎や疑問を発見する事が出来るものであると、自らの無知を差し置いて新鮮な驚きを感じる次第。


2000/07/29

左足

 東京に足を運んだ序でに、東京在住時に試そうと思っても行列に並ぶのが嫌でなかなか試すことが出来なかった「英国式リフレクソロジー」なるものを、偶々列の少ない時に遂に試すことが出来た。「リフレクソロジー」なる語感からは何となくスカトロ系の学問を想起させられる人が大半であろうが、日本語で言えば「足裏健康法」なる施術を受けるのである。一時「足裏健康法」なる宗教紛いの行為が巷間に席巻し、行為の首謀者が逮捕されるに至り「足裏健康法」なるイメージが悪くなってしまったからであろう、まだスカトロ系の学問の方がずっとイメージ的に好感を抱かせることが出来るという判断で、敢えて英語で名乗っているものと思われる。

 此処暫く足に浮腫を感じていた私は足裏から脹ら脛に至るまでのマッサージを受けたのだが、其の際に靴下を脱いで自らの素足を他人にさらけ出す際に、久し振りに左足の「模様」を意識する事になったのだ。

 実は私の左足、生まれつき足裏から脹ら脛に至るまでの内側の部分が赤紫色に染まっている。母が私を孕んでいた際に腹を何処かに打ち付けた結果、其の部位で胎児が内出血を起こしたらしく、出生時から私の左足は内出血のような状態であった。「手術しなくても何時か消えるであろう」との医者の言葉を裏切り、今尚此の痕は消えずに残っている。

 こういう物は得てして幼少の頃の方が気になったりするものなのであろうが、私の場合子供の頃は全く気にしていなかった。と言うのも「人間たるもの左足には模様が付いているものである」と確信していたのだ。此では気にしようにも気になる筈がない。プール等に於いて他人の足を目にする機会があっても「ああ、模様の無い人もいるのだなぁ」と思う程度であった。処が私と異なり親は此を結構気にしていたようで、私の足に模様が付いた経緯をさも残念そうに語る機会が幾度と無く存在した。そういった言葉を耳にしながら「どうやら私の足の方が常人とは異なるらしい」と感じ始めても、他人から指摘を受けたり此が元で苛められたりする事も無かった為、私の中では別にどうと言う事は無く幼少時代を過ごしたのであった。

 処が「大人というものは思った事、感じた事を即座に口にしないものである」と或る日気付いた事により、「周囲はきっと私の左足を目にして気になっているのだろうから寧ろこちらから積極的に此の模様の正体を語った方が良いのではないか。別に其れによって蔑まれたりする訳でも無いのだし」と考え始め、左足が人目に触れる度に「あ、これ実は…」と一々説明するようになり、決して劣等感を抱いている訳ではないのだが足の事が何かしら気になるようになってしまった。

 その内自らが精神的に大人になり、自分自身一々そんな事を口に出して説明する事自体極めて不自然であると気付いた時には、左足が人目に触れる度に「嗚呼きっと此の人は私の左足を見て驚いているであろう、しかし此の人が其の話題を仕掛けてこない以上私も其の人の驚きに対して気付かぬ振りをせねばならない」と、其の都度足の事で気を揉むようになってしまった。

 そして今日。見知らぬ人に訳の分からぬ模様の付いた足をさらけ出すばかりか其の足を数十分に亘って只管触らせるという嘗て無い経験をした事により、相手の心境を慮る一方で当方から其の事をわざわざ説明出来ぬもどかしさを感じ、自らの足の事が堪らない位気になったのである。


2000/07/28

続・心の底の欲望

 昨日(2000/07/27)の文章に於いて一部の猥想豊かな方々に誤解を招きかねない表現があることが判明した。「生身の獣とご無沙汰」とは決して「ダッチアニマルなる器具を用いて性欲を発散させており、実際の獣とは肉体関係を最近持っていない」と言うわけではなく「生きている獣を直接観たり接したりしていない」という事である。何度も此の場に於いて繰り返し主張している通り、私は獣と肉体関係を持ったことは無いのだ。

 とは言え世間では思う存分自らの猥想を膨らませて私が獣と肉体関係を持っている事にしようとしている人達が居るようで、「彼の新居の布団には馬の鬣が付着している」だの「『EZOSHIKA TOWN』のアクセス20000人記念として、ウェブサイト上に於いて過去の獣との肉体関係をカミングアウトするらしい」だのの噂が絶えぬ。今の内に此等の噂を完全否定しておく。

 其れにしても上記の文章、自分で読み返してみても「否定すればするほど真実に思えてくる」の典型のような文章に思えてくるのが困った処である。


2000/07/27

心の底の欲望

 先日「エゾシカの嘶き」のコアな愛読者から「お前には最近頓に獣愛に傾倒している傾向がみられる」との指摘を受けた。処が実際に振り返ってみるに、獣愛について多少なりとも触れた文章を今月分について探してみても、精々2000/07/242000/07/152000/07/112000/07/02辺りくらいしか存在しない。此の僅かな文章群から「獣愛に傾倒している」と判断する処をみると、私が獣愛について触れる機会が多いのではなく、私が最近物した獣愛系の文章が偶々此のコアな愛読者の獣愛心をいたくヒットしたという方が実態に合っているものと思われる。

 とは言え私の方も5月に広島の動物園を訪れて以来、噸と生身の獣とご無沙汰である。とりわけ生身の馬とは2月に乗馬クラブに足を運んで以来接する機会が無い儘ほぼ半年経っている。転居の煩わしさで適当に気を紛らわせているものの、其の実心の底では密かに満たされぬ馬欲を持て余して悶々としているのかも知れぬ。取り敢えず来月早々に東山動物園に足を運んで馬欲も含め獣欲を満たす予定なのだが、其れ迄に、街を歩いている際に不意に視界にセクシーな牝馬が飛び込んできたりせぬ事を只只祈るばかりである。


2000/07/26

出鱈目本

 とんでも無い出鱈目を一生懸命真顔で主張するという芸風に惹かれることが多い。其の点に於いて私が最も評価しているものの一つに、学生時代に知人から勧められた別役実の「けものづくし」「鳥づくし」「虫づくし」等一連の著作がある。「真説・動物学大系」などという仰々しいサブタイトルの下、それぞれの動物の種毎に数頁に亘り論文が纏められているのだが、此等がもうとんでもなく一見理路整然とした出鱈目に終始しているのである。只単にとんでもない事を語るのは比較的容易なのだが、此等の好き勝手な論旨をひねくり出すにあたって民話だとか過去の文献だとかを真面目に引用して極めて「それっぽい」雰囲気を出している所が非常に愉快である。更に、所々に脚注を設けているのだが、此が又本文の解説になっているようで全然なっていなかったりなど、非常に人を食ったものになっている。

 処で、先日書物の整理をしていた際、或るペットマニュアルを発見した。採り上げられている動物を飼育するにあたって住居をどう改造すれば良いか(及び改修費概算)、餌として日常何を与えればよいか、日頃どう接してあげれば良いか、等々、通常のペットマニュアル以上に詳細に述べられている。処が、対象となっている動物は、ライオン、ゾウ、キリン、ゴリラ、ダチョウ、ラクダ、パンダ、コアラ、ナマケモノ、コビトカバ、ペンギン、アシカ、ラッコ、イルカ。一体世の中に此のマニュアルを必要とする人間が如何ほど存在するというのか。

 此のペットマニュアルには乗り物の操縦マニュアル(対象となっているのは戦車、潜水艦等)という、同様の芸風で書かれた姉妹本も存在したのだが、5年程前に一時話題になった割には、類似の書物を見掛けることなく現在に至っている。前半で触れた別役実の此の種の著作物も、大半が絶版となっているのだ(最近一部復刊しているようだが)。世間では此の手の芸風は受け容れられ難い物なのであろうか。


2000/07/25

定額IPサーヴィス

 知らぬ間に「フレッツ」という名前になった、NTTの定額IPサーヴィスを本日より用いることになった。要はインターネットに常時繋いだままでも電話料金は一定という此のサーヴィス、東京在住時代に一度NTT東日本に申し込んだものの、申し込みが殺到していてお前の所は暫く使用出来ぬと宣告され、やっと使用可能との知らせが届いた時には既に名古屋への転勤が決まっていたという誠に間の悪い事になったのだが、其の一方で転勤先の名古屋に於いて7月から此のサーヴィスが提供される事が決まり、誠にタイミングの良い事になったのだ。

 今回定額IPサーヴィスを申し込んだ目的は常時接続にある訳ではない。平日昼間は不在の上休日にしてもそうそうしょっちゅうインターネットに耽っていない。只単に価格に惹かれただけなのである。単純計算で月22.5時間以上インターネットを使用すれば十分にペイすることになる。此だけではなく、定額IPサーヴィスを用いた場合、私が利用しているプロヴァイダの利用料も月1000円弱になってしまうのである。良く解らぬが現状が馬鹿らしく思える位遙かに安くヴォリュームのあるサーヴィスを受ける事が出来るのである。

 しかし其れにしても何かこんな処で「おトク」感や「お値うち」感(2000/06/17参照)を主張してしまうとは、私も立派な名古屋人になってしまいそうではないか。


2000/07/24

ブランド広告

 巷に掲示されているエルメスのポスター。遠目に見て獣の香りを感じた私は人目も憚らず思い切りエルメスの店舗前のポスターに近づきよくよく観てみた。

 アヴェクと思しき2人が画面の左右に於いて互いに向かい合い、右側の女性が左側の男性の顔を触っている。処が通常のアヴェクとは異なる点が2つあった。一つは2人とも目隠しをしている点、もう一つは左側の男性と思われた人物が馬である点である。

 此の写真の情景を推測してみると、女性が馬に対して「私は目が見えなくても匂いで貴方の姿を感じているのよ」と無言で語りかけ、馬は其れに対して感謝の念を抱いている。そして2人の意識は女性が馬に触れている事によって相互に伝わっている、こんなところでは無かろうか。お互いがお互いに対して種を越えて抱く愛。此正に獣愛以外の何物でも無かろう。

 以前読んだ「よいこの広告」なる書物に於いて、アパレル企業・ベネトンで広告の一切を取り仕切っているクリエイティヴ・ディレクターの「商品は店頭で売ればよい。広告は商品の裏側にあるメーカーの性格、考え方、感性を知らせるもの」なる考えが紹介されていた。

 今回のエルメスの広告も、別に商品が宣伝されているわけではなく、路線的にはベネトン的な広告だと思われる。即ち、エルメスの企業姿勢が「獣愛」であることを、全国の獣愛家及び其の他の人々に遍く伝えているものと言えよう。更に言えばそういった企業姿勢をアピールすることによって商品の増売だとかブランドの囲い込みだとかに繋がるという事は、実は獣愛には人心に深く染み渡るものが存在しているという事であろう。

 エルメスの成功を願わずにはおれない。残念ながら私自身はブランドに興味が無いために商品増売だとかに協力できないのだが。


2000/07/23

新聞勧誘員

 「さんまのSUPERからくりTV」を観ようとしていた矢先、予期せぬ来客があった。引っ越ししてからというものの、荷物配送人、瓦斯工事人、ピザ宅配人以外はやって来たことが無く、ましてや不意の来客とは初めてのことである。インターホン越しに話を聞けば転居の挨拶との事。同じ建物の住民かと思った私は愚かであった。

 扉を開けると共に半身を三和土に潜り込ませるという典型的セールスマンの行動、手一杯に持っている生活用品、首からぶら下げているのは集金用の鞄であろうか。何のことは無い、新聞勧誘員であった。

 どうやら寓居の近くに住むらしい此の勧誘員、先ずは挨拶もそこそこにいきなり市内の地図を私に手渡す。其の後世間話をしていたと思ったら突然手にしている生活用品を私に押しつけて「半年で結構ですから」などと忽ち商談(というか押し売りではないか)に入っている。「東京から来たんだったら尚更新聞を読んでおかないと」「職場で読んでいるから必要無い」「休日も新聞を読む必要があろう」「休日の分も読んでいる」「部屋で読む方が落ち着くだろう」「否職場で読むのだ」等という問答が続いている内に「さんまのSUPERからくりTV」が始まろうとしていたので会話を切り上げて扉を閉めようとしたら詫び一つないばかりか何か良く解らぬ捨て台詞を吐かれて逃げられてしまった。

 勝手に人の時間をとって不愉快な気分にさせておいて反省の弁すら無い。何たる輩。学生時代、寓居及び近隣に於いて其の新聞社の配達員が月末になると早朝深夜に住民宅の扉を思いっきり叩き上げて大声で住民の名前を叫ぶ等という暴力団紛いの行動で集金活動を行っていた事を想い出し、「全く此の新聞社の勧誘員は…」と思ってしまった。

 とはいえ、赤の他人から此の地区の住民として認められた事が密かに少し嬉しかったりするのだ。


2000/07/22

天下一品・5

 兵庫への通院がてら、帰りに大阪で天下一品に立ち寄った。味はそこそこだったのだが、此の店では叉焼を非常に薄く細かく刻んで麺の上に載せており、比較的原型に近い肉が苦手でありラーメンを食する際には殆ど叉焼を残すか同行者に渡すかしていた私にとっても平気で口に運ぶことが出来た。

 さて其れはさておき、考えてみれば此処一週間程で天下一品のラーメンを3食口にしたことになるのだが、此は恐らく学生時代以来のハイペースではないかと思われる。当時最もペースの速かった時期には、1999/12/12で触れた3食連続という経験があったのだが、其の結果激しい下痢に襲われたのだ。当時は大学生でありながら大学受験を志すという訳の分からぬ立場にあり、下痢に襲われたのが事も有ろうに大学入試模擬試験の最中という、何とも間の悪いタイミングであった。更に間の悪いことには偶々前日から寓居のトイレが壊れており、試験が終わって帰宅した後もトイレの修理が終わるまでは何かと難儀したものだった。

 処で、当時はまだ10代という健康面に於いて恵まれた立場であった。にも拘わらず3食連続で此の有様である。年齢面や健康面等を考えると、今の私が1週間に3食というのは相当危険な行為ではあるまいか。暫くは天下一品のラーメンを控え、食生活に気を配る必要があろう。そう思う一方で「先週東京に行った際に天下一品に寄ってたら『1週間で東京、名古屋、大阪の天下一品を制覇!』という事になっていたのに…」という後悔も感じている。本当に食生活に気を配る心積もりがあるのかどうか些か疑問である。


2000/07/21

御意見番

 「政界の御意見番」「芸能界の御意見番」等と称される人物が確かに存在する。処で「御意見番」とは何か。どうやら「御意見番」では広辞苑にも載っていないため、「意見」するために「番」に就いている人物と解して「意見」を調べてみる。多義の中から此処では「思う所を述べて人を諫めること。忠告」と解するべきだと思われる。

 翻って、此処暫く露出度の高い「政界の御意見番」と呼ばれている男性顔負けの女性だとか「芸能界の御意見番」と呼ばれている女性のような男性だとかについては、本当に「意見」をしていると解されるのであろうか。只単に我々でも思ったり感じたりするような事について「思う所を述べて」いるだけではないのか。勿論彼等の発言はマスコミを巡って其の対象者の耳に入る事になるのであろうが、別に彼等の発言が其程突飛な物とは思えぬどころか我々の感性に只管近いものであり、そんな事一々彼等から「御意見番として」コメントを採るような話ではないではないか。実際に彼等が、政界や所属政党に変革を起こすような行動をとったり、芸能界や有名人のトラブルを解決したり何らかの提言を行ったりしている訳では無かろうに。真に御意見番に求められている行為は此の様な「人を諫める」事ではないのか。

 尤も此は「御意見番」と呼ばれている人達の責任ではなく、勝手にそう呼んでいる側の責任なのだが。


2000/07/20

続・死刑

 1999/12/07の続報。当該高校時代のクラスメイトに対して先日死刑判決が言い渡された。どうやら彼は控訴もせずに刑に服する意向を示しており、何れ法務大臣の判断に於いて、法に基づき殺害される事になるのだ。

 そうなんだよな、殺害なんだよな。彼が5年前に行った行為も「殺害」、其の結果として彼自身が今後受けるべき行為も「殺害」。後者が如何に当然の帰結とは言え、彼の関係者にとって二重の衝撃を受ける事は間違い無かろう。

 彼の父親は我々とっては「クラスメイトの父親」というよりは「中学・高校の体育指導教官」であり、高校時代の3年間しか接点の無かった当該クラスメイト以上に私にとっては或る意味大きな存在であった。それ故、当該クラスメイトの心境を慮ると同時に彼の父親の心境についても慮るところが大きいのだ。

 正に「二重の衝撃」を最も強く感じている一人である彼の父親。どんな心境で何を思っているのだろうか。などと慮ってみたところで、余人の想像を遙か絶するもの、慮ること自体が無駄ではないかという気がしないでもないとも思いつつ、こんな事を考える機会など恐らく一生無いと思われるため、此の際に色々と自らの感性や想像力を働かせてみている次第。

※追記:7月25日、結局東京高等裁判所に控訴したとの事。


2000/07/19

天下一品・4

 偶々後輩達に誘われ、仕事帰りに隣町の天下一品に足を運ぶことになった。わざわざ後輩の一人の住処に向かい、車に乗せてもらうこと数分、恐らく車社会の地域でなければ辺鄙としか言い様のない国道沿いの店舗に到着した。2000/07/14で述べた店舗の味に戦き、最早私の中に於いては此の地区の天下一品の味については強い絶望感を抱いていたのだが、此の店舗は違った。京都在住時代に食していた天下一品の味に只管近い。聞いてみれば後輩達を其の店舗に頻繁に連れて行っていた人物達は何れも学生時代を京都で過ごしていたのだ。流石本場の京都の味を知っている者達が認めた味である事よ。

 只惜しむらくは其の店舗が公共交通機関を用いてはまず行けない位置に存在している事。寓居から自転車で行くにしても15kmの道程は相当きつい。とはいえ此の為だけに自家用車を購入するなどという愚かな事は…しないと断言できないところが如何にも私らしい。少なくとも自家用車の購入代金+諸経費が、京都の天下一品本店への交通費の何回分に当たるのか位の計算はするであろう。序でに言えば、讃岐饂飩を一日中食べる為の交通費(レンタカー代含む)との比較も行うものと思われる。

 という訳で早速行ってみる。自家用車については車種、新車・中古車、駐車場料金等に拠り金額が全然変わってくるが、面倒臭いので新車購入+諸経費+2年間の駐車料金(此の先現在の会社に勤めるという前提に於いては名古屋生活が最低2年間は続くと思われる)で200万円としておく。此に対して京都の天下一品本店に1回通う際の交通費は、此も面倒臭いので諸割引制度を無視して新幹線「ひかり」自由席利用で定価を支払うとして、(4930円+220円(京都市交通局バス利用))×2=10300円。同様に讃岐饂飩ツアー(週末金曜夜出発、日曜帰着)を行うとして、此も面倒臭いので諸割引制度を無視して新幹線「ひかり」自由席利用の定価で計算すると、11000円×2+11000円(トヨタレンタリースで最も安い車種を土日の2日間借りた場合の定価)=33000円。

 即ち、自家用車を寓居から天下一品清洲店に通うためだけに用いると仮定した場合、天下一品本店に195回以上足を運ぶか、讃岐饂飩ツアーを61回行わなければ「自家用車を有効に用いた」事にならぬ。矢張り天下一品に通うためだけに自家用車を購入するというのは愚かな行為であると言えよう。


2000/07/18

贅沢

 物品を購入する際に其の行為が「贅沢」と呼ばれるには以下の3つのケースが考えられる。「高価な物品を購入する」「其の人にとって明らかに不要な物品を購入する」「同種の物品の価格水準と比較して明らかに高価な物品を購入する」であり、一つ目は「絶対的贅沢」、後の二つは「相対的贅沢」と呼ぶことが出来よう。

 さて、三つ目の「贅沢」を味わうことになった。私にとっては生涯最大の贅沢になるのかも知れぬ。通常千円〜二千円程度で入手することが出来、若干通常とは異なった素材を用いたものでも精々数千円で市販されているような物品を購入するにあたり、其の数倍もの価格の物を購入したのだ。

 転居の際に些か粗雑な扱いをしたのだろうか、其れとも天寿を全うしたのか、枕が破れて蕎麦殻が布団に散らかっているのに気付いた。此は非常に拙い。何故なら私は枕が無いと横になって眠れないのである。旅先では駅のベンチやコンクリートの上にでも平気で寝ていたのだが、どんなに荷物になろうが空気枕だとか大型時刻表だとかを必ず持参して就寝時の枕にしていた。高校時代には枕を紛失してしまい、暫くの間広辞苑にタオルを巻いて枕代わりにしていた。

 そんな訳で直ちに枕を購入することになったのだが、普段から快眠と言える程の心地良い睡眠をとる機会が非常に少ない為、此の機会に睡眠に良さそうなものを選ぼうと思った。実際に店舗に向かうと素材によって数千円の差が生じている。其の中で一際目立っていたのが今回購入した枕。良く解らぬ片仮名の素材を使用しており、宇宙船の緩衝剤にも用いられているとの事。確かに感触が何とも言えぬ独特のものである。ウレタンのように適度の堅さを持ちつつ、羽毛のようにどんどん頭が沈んでいく。「何か良く判らぬが良さそうである」と思い価格に目を遣ると「大変お求めやすい価格になりました!」との大きな文字。で幾らなのかと見ると、「どこがお求めやすい価格やねん!」というツッコミを待っていたかのような価格であった。とはいえ未知の感触に魅せられた私は、「まあ1回買ったら半永久的に使えるもんやし、1回くらいの投資としてはええやろ」と思って「贅沢」を味わう事になったのだ。

 実際に使ってみたところ、価格だけの事はあったのだ。頸部や頭部に余計な力が全く掛からず、首から上が本当にリラックスした状態で眠りに就けるのである。なかなか実のある「贅沢」であった。


2000/07/17

指差し

 転居の手続きを行うため、東京と名古屋の役所に足を運んだ。各種申請等については夜間や休日でも直接役所に赴くことなく出来る世の中になった今でも、戸籍関係の手続きともなると本人(若しくは然るべき人間)が平日の日中に役所で手続きを行うという方法しか無いようである。免許証や身分証明書等の呈示を行うことによる本人確認が必要な手続きということで、直接役所に赴く必然性は理解できるのだが、平日の昼間にしか行えぬ理由が良く解らぬ。休日であっても職員が少人数乍ら窓口に居る訳であり(少なくとも東京の大田区役所はそうであった)、何故彼等が転居届を受け付けられぬのか。身寄りの無い当方にしてみれば此は非常に切実な問題であり、転居の度に転出先と転入先の役所に私自身が足を運ばねばならないため、土日にしか休日の無い勤務環境に置かれている限り、平日に最低一日休みをとって2地区の役所を巡らねばならぬ。

 東京と名古屋であれば何とか一日で手続きを終えることが可能であるが、此が極端な話盛岡から和歌山への転居であり現在和歌山に住んでいるというケースであれば、早朝から和歌山を出て関西空港(所要時間バスで40分)若しくは伊丹空港(所要時間どんな方法でも約2時間)に向かい、花巻空港なり仙台空港なり或いは秋田空港なりへの便(何れも所要時間70〜90分、而も一日1〜2便しか無い)を選んで兎に角東北地方に足を踏み入れ、後は鉄道で盛岡に向かい、市役所にて転出届を行うことになる。そして同じコースで和歌山に戻り、市役所で転入届を行わねばならぬのだが、航空機の便を考えれば一日では不可能である。現実的な方法としては、盛岡在住の間に転出の手続きを行い、和歌山転入の際に転入の手続きを行う事になろうが、「会社を抜け出して私事を行っても黙認する」などという太っ腹な会社に勤めている訳でなければ合計2日間の休みを取る事になるのだ。

 2文目以降は若干本来の趣旨とは外れてしまった。2箇所の役所に行って双方でえらい体験をしたのだ。一日に2回、東京、名古屋の役所に於いて、職員から指を差されたのである。現在社会に於いて見も知らぬ一般人に指を差したり差されたりする機会というのが如何ほど存在しようか。少なくとも民間企業のサーヴィスマニュアルの類に於いては禁忌とされている行為であり、「お客様を指し示すときは五指を揃えるように」等記されているものと思われる。

 別に其の行為によって直ちに不愉快になったというわけでもないのだが、今時其れ位の社会生活に於ける対人接触の基本を弁えぬ人間に、全く異なる地域に於いて一日に2回も遭遇したという事実、そして遭遇したシーンが同一の場面であった事実に、只管驚いた次第。


2000/07/16

片付け

 先日部屋が一気に片付いた。「片付いた」とはいえ段ボールが数個片づいて生活空間が若干広くなった程度であり、まだ10個以上ある段ボールの山が視界に入ってきてはうんざりしているのだ。

 本棚に書物を詰め込む作業を行ったのだが、「いやぁよく此だけの本を今の今まで大事にとっておいたなぁ」と感心すること頻りであった。そして感心しながら作業を中断してそういった本をぱらぱらと捲ったりする為、どんどん作業時間がかかってしまう結果となったのだが。

 さて、本来であれば昨日あたりにはもう少し部屋を片付ける事が可能な筈であった。先日机を購入した際に、昨日配達を受け取れる様指示したのだが、終日到着を待っていたにも拘わらず結局到着せず。小売店に苦情の電話を入れた処「担当者もメーカーも休みなので週明けに再度電話しろ」との事。私が居ない平日の昼間にでも配達して室内に搬入してもらえるというのであれば問題は無いのだが、そういう訳にもいかぬ為、結局週明け以降の休日あたりに私が部屋に居ないと荷物が受け取れぬ。嗚呼只でさえ片付けが遅々として進まぬというのに何たる事よ。


2000/07/15

続・異種交配

 昔記したものを読んでふと思った。1999/06/08で触れた、シマウマとロバとの異種交配の件なのだが、昔から此の手のニュースは得てして非常に好意的に採り上げられる。遡れば1959年、王子動物園に於いてヒョウとライオンとの子であるレオポンが誕生した事により、以来兵庫県での動物の話題といえば明けても暮れてもレオポンであったようであり、私が子供の頃に於いてもまだ「王子動物園のレオポン」の話題は、「上野動物園のパンダ」だとか「比婆山のツチノコ」だとかを遙かに凌駕する程のものであったのだ。

 しかしそれにしても、である。シマウマとロバの性交だとか、ヒョウとライオンの性交については斯様に老若男女を問わず皆が挙って前向きに受け止めるにも拘わらず、人間と他動物との性交については、其れが一部の人達にとって到底受け容れられぬ行為である事を考えても、余りに世間全体の受け止め方が批判的であるまいか。

 「子孫を残すことなく己の欲望の儘に動物を操っている」という理由で斯様な行為が忌み嫌われているのであろうか。しかし恐らく、斯様な行為で子孫が残った方がずっと忌み嫌われそうな気がするのだが。

 誤解無きよう述べておくが、私自身決して他動物との性交を望んでいる訳ではない。しかし中立的な立場で考えれば考えるほど、人間対他動物との性行為が不必要に虐げられている、換言すれば他動物間での性行為に対して称賛の声を挙げる事との整合性が保たれていない事について、疑念を感じずにはおれないのである。他動物間性交を称賛し、人間対他動物性交を蔑視する人達は、自らの内部に於いてどの様にここら辺の整合性をとっているのであろうか。


2000/07/14

天下一品・3

 先週末に探索を試みるも発見することが出来なかった「天下一品」の店舗の位置を地図で或る程度把握することが出来た為、仕事帰りに足を向けてみることにした。店舗は大通りに面しており発見できないのが不思議な位分かりやすい位置にあり、夜が異常に早い名古屋、大通りでありながら街灯以外の電飾や看板の類も見当たらぬ中、1軒だけ電光メッセージを流していた。

 中はこぢんまりとした家族経営の中華料理店といった感じであり、実際に店員は恐らく夫婦ではないかと思われる人物をはじめとする老人達であり、此処四半世紀で勢力を拡大した新興ラーメンチェーン店の雰囲気を感じさせぬものであった。また、「イカ団子定食」等のオリジナルメニューだとか餃子のたれだとか什器の類については、寧ろ中華料理チェーン店「王将」を想起させた。

 何時もの如く「こってり」を注文しようとして店員に「スタミナですね」と聞き返されて仰天した。此処では「あっさり」に対応するメニューは「こってり」ではなく「スタミナ」と呼ばれているのだ。

 さて、味については此処では触れぬ。1999/12/23で触れたのと同種の味であるとだけ記しておく。わざわざ此の店舗に足を運ぶくらいなら、ちょっと無理をしてでも距離的に近くなった京都の本店に足を運びたい。ってラーメン一杯に其処まで交通費を掛けるものでも無かろうが。


2000/07/13

視聴覚

 先週末にテレヴィ、ヴィデオ、オーディオのセッティングを行い、それらの機器の前にソファ兼ベッドを備え付けたことにより、若干人間らしい生活を営めるようになったような気がする。其れまでは日々のニュースの類を知るには翌朝に職場で新聞を目にする程度であり、リアルタイムの情報だとか映像によって理解を深めるべき情報だとか些末な情報だとかについては今一つ疎くなってきていたのだ。例えばプロ野球の結果等はわざわざインターネットで取り寄せたりするまでもないし、翌朝にわざわざ新聞記事を漁るようなものでもない。そんな訳で先週なんぞは阪神タイガースの勝敗の結果ですら暫く分からなかったのだ。まあ寧ろこのまま暫く分からぬ方が良かったのではないかとも、此の3日間で中日ドラゴンズに3連敗したのを見て思ったのだが。

 其れはさておき、暫し視聴覚設備から隔絶された生活を送ることにより、幾ら生活に直接関係ない情報であろうと目で視たり耳で聴いたりする情報が有るのと無いのとで感覚面に於いて想像以上に大きな差があるという事に改めて気付いた。其程までに情報収集の過程に於いて視覚・聴覚というものの比重というものが大きいのであろう。冷静に考えれば自明の理なのだろうが。

 という事を先程購入したT.M.Revolutionのリミックスアルバムを聴きつつ考えてみた次第。


2000/07/12

警官

 京都で生活していた学生時代、自らの足として自転車は必要不可欠なものであった。此の街、殊に北方は思うように公共交通機関が使えないのである。鉄道については東西にJR、西に阪急、東に京阪の路面電車(当時)が延びており、南北には京阪、京福、京都市営地下鉄が走っている。こう書くと一見鉄道網が張り巡らされている様に見えるが此等は地下鉄と京福電車を除けばあくまでも京都から他都市に向かうためのものである上、私の生活圏からは何れも微妙にずれており、京都市内を移動する分には全くと言っていいほど使い物にならぬ。市内を網の目のように走っている市バスが市民の足として知られているのだが、此とて京都観光の自家用車等によって引き起こされる慢性的な渋滞の為、時刻表通りになかなか使えないのだ。

 というか、自転車さえあれば日常生活を送りにあたり殆ど不自由しないのである。学校も知人の住居もバイト先も観光地もコンヴィニも飲食店もほぼ間違いなく自転車圏内に存在する為、わざわざ金を払って公共交通機関を利用するまでも無いのだ。其れにしても学校から自転車圏内に大半の下宿生が生息している都市というのも恐らくそう多くないような気がする。

 さて、そういった生活の中で自転車がなくなったということになれば一大事である。一度だけそういった状況を味わったことがある。

 講義を終え帰宅しようとした処、自転車が見当たらぬ。当時の自転車はサドルの前部と後部で異常な程の傾斜がついているという非常に特徴のあるものであった為に一目で他の自転車と区別が付くのだが、幾ら何処を探しても出て来ない。金が無く新しい自転車を買い直すという考えなど全く起こさなかった私は当然の如く帰宅途中で交番に寄り、警官に自転車紛失の旨伝え、盗難届を作成して頂くに至った。

 作成の最中、警官が声を荒げて私を怒る場面が一度あった。当日の日付を記入する際、日頃から使い慣れている西暦で記入しようとした処いきなり「昭和で書きなさい!」という恫喝にも近い声が飛んだ。別に公式文書の要件に元号による記入が挙げられている訳でもなく、西暦で書いたところで其の書類の正当性が失われる訳でもないのだが、当方はあくまで生活に不可欠な自転車を捜索していただく立場であり、そんな事は口には出せぬ。大人しく仰せの儘に従うことにした。

 書面の最後に印鑑が必要との事。成る程其れも道理。処が普段印鑑を持ち歩く習慣など無い学生が其処で押印出来る筈も無い。偶々寓居が近いこともあり、印鑑を取りに戻る旨警官に申し出た処、どういう訳か頑なに拒まれて拇印の押捺を行うよう指示された。流石に此については何で被害者が加害者の如き行為を強要されねばならぬのだという意識が強かったため、暫く押し問答を続けたのだが、結局先方は「拇印を押せ」の一点張り、そして当方は生活に不可欠な自転車を捜索していただく立場に立ち返ってしまい、最終的に拇印の押捺に応じることとなった。

 結局其の2日後、鍵を壊された状態の自転車を学内に於いて自ら発見した。其れだけに、此の時の警官に対する怒りが募る結果となってしまったのだ。


2000/07/11

仮説と調査

 職場から最寄り駅に至るまでの間に夜景スポットがあり、帰宅の時間帯辺りになれば老若男女を問わず多くのアヴェクで賑わっている。一日の勤めを終えてほっと一息つきながら職場を抜けたと思ったらいきなり視界に多数のアヴェクという、目の毒極まりない状況であるのだ。

 否別にそういった状況を目にして「よし俺も」と同様の行為が出来れば問題ないのだが、残念なことにそういった行為を共に楽しむべき人物が存在しない。若し仮に私が相手を問わず適当に見繕って同様の行為をしていたところで、当然其の光景が職場の方々の目に入る事になり、翌日になれば「あいつおなごを連れてええ雰囲気になっとった」だの「彼は男と夜景を見てたぞ。まさか…」だの「あの人、夜景を見ながら隣の馬の首を抱き締めてたわ。やはりあの噂は…」だのといった会話が職場を飛び交い兼ねぬ。

 何れにせよ私はアヴェク達に同化する事能わず、常に目の毒を感じつつ日々帰宅せねばならぬ。其れであるのならばせめてそういった光景を目にする事を何らかの形で有意義なものにしたい。例えば曜日別分析、年齢別分析、性別分析、行為別分析等、隣のアヴェクとの間隔分析、等を行うことにより其処から名古屋人の民族性等が浮き彫りにならないだろうか。何らかの仮説を立ててみて早速調査に取り掛かることとしたい。

 しかし「名古屋人の民族性等を浮き彫りにする」というのは本当に「有意義なもの」なのかという、根本的な疑問が無くもないのだが。


2000/07/10

共時性

 以前より共時性なる概念に興味を抱いていた。別にユングのファンというわけではなく、「シンクロニシティ」(=共時性)なる曲を2作も発表していたグループのファンだっただけなのだが。

 さて、先日此の共時性を感じることが出来た。2000/07/07でも触れたように、「漏れ聞く」を「濡れ聞く」と間違えたらとんでもない事になると気付いた翌日であろうか。何時も巡回している読み物サイトに於いて、良く似た漢字から意味のとんでもない相違が発生するという同様の文章(勿論「濡れ聞く」という言葉から股間を濡らす人妻を登場させるようなものではない)を目にしたのである。因みに私が2000/07/07の文章を物したのは実際には其の数日後。決してお互いの思考が直接触れ合った訳ではない。正に共時性。

 しかしよく考えてみれば、此の手の事例は過去に日本経済新聞と私との間に散々あったではないか。それらの時には共時性なんぞ終ぞ感じなかったぞ。片や「おお!共時性!」、片や「おお!日本経済新聞記者にネタを提供してやったぞ!」。何れもほぼ毎日接しているものであるにも拘わらず何なのだ此の違いは。密かに私は心の何処かに日本経済新聞を受け容れない何かがあるのかも知れぬ。


2000/07/09

旅欲の行方

 今年も既に半ばを過ぎて、驚愕の事実に気付いてしまった。「旅の足跡」をご覧になってお判りの様に、今年は今日に至るまでに旅行を3度しか行っていないのである。因みに昨年は年間9度のうち前半に4度、一昨年は9度中前半5度、其の前は12度中7度であり、此のペースだと「旅の足跡」始まって以来の旅行不作年となり兼ねぬ。

 そう考えた途端、沸々と旅行欲が湧いてきた。大体当初の予定では転勤など念頭に無く、7月頭には一昨年に参加した北海道の馬牧場巡りツアーに参加する予定だったではないか。また此とは別に、今年中に達成しようと企んでいた「JRA全競馬場での観戦」も、6〜7月にしか開催の無い函館競馬を逃せばもう年内達成は不可能である。処が今週末も来週末も生活の為の予定が入っており、函館訪問は非常に困難である。嗚呼北海道よ北海道。今年は何故に斯様な程タイミングが悪いのだ(って2月に訪れたばかりではないか)。こんな事になるのであれば、2000/04/26では見送ったものの、GW中に北海道を訪れておくべきであったか。

 そんな事を考えている内に、また2000/04/26のように、近い週末に旅欲を満たすのであれば、という仮定の下で候補地を検討してみる。今回は2000/06/23で触れたとおり、環境の変化が私の旅行パターンに多大な影響を及ぼす結果となりそうである。

 今回本命に推したいのは、前回も候補に上った金沢。名古屋から1泊2日では、兼六園+動物園+競馬ということで過不足無くなかなか手頃な場所では無かろうか。とは言え夏に足を向けるような所であるかと言えば若干疑問が無くもない。そして対抗は和歌山。城巡りを楽しむ身として、是非和歌山城を訪れてみたい。大体和歌山に足を踏み入れる事自体、恐らく10年振り位のような気がする。今記憶を辿ってみたところ、他の都道府県は全て此処数年以内に何らかの形で足を踏み入れているのだ。知らぬ間に和歌山は私の中で秘境と化していたのである。後は棊子麺や味噌煮込饂飩の看板溢れる街から飛び出して讃岐饂飩に現を抜かしてみるか。金曜の仕事帰りに新幹線で岡山に向かえば、香川で朝打ち立ての饂飩を口にすることが可能となる。後は穴候補として、7月中に時間があれば函館を挙げておきたい。

 しかしこう書いてみたら、別に東京に居ようが名古屋に居ようが、私の旅欲自体はさほど変化していないような気がする。

 蛇足であるが、2000/04/26に於いて「兼六園」を誤って堂々と「偕楽園」と記していた事に先ほど気付いた。あっ、そう言えば2年前に訪れようとして大雨の為に断念した偕楽園にも足を運ばねばならぬ。とは言え此も夏場に足を運ぶような所でも無かろうが。


2000/07/08

尻を鍛える

 不動産業者への書類提出、洗濯機の購入、書棚の物色、クリーニング店の探索、「天下一品」の発掘等の目的で、此の週末は自転車で寓居から半径数km辺りをぐるぐると駆けずり回った。お陰で尻が痛い。

 しまなみ海道を自転車で走った時(2000/05/05参照)は、久しぶりの自転車、しかも乗り慣れぬレンタサイクル、更に長距離且つアップダウンが激しいということもあり、尻が痛くなって当然であった。処が、其れから僅か2ヶ月、以前乗り慣れた自転車、比較的高低差のない道路という好条件が揃っていたにも拘わらず、今回も尻が虫にでも刺されたかのように腫れ上がっているのである。

 前の寓居に於いては当初自転車置き場を用いることを許されず、どう見てもゴミ集積場の為に作られたとしか思えぬコーナーに自転車の収納を余儀なくされていた。而も自転車を使用するときは管理人にゴミ集積場の鍵を借りて自転車を取り出さねばならない。確かに盗難の心配は無いのだが、此では気軽な足としての機能が果たせぬ。そんな訳で、数年間殆ど自転車を使わぬ時期が生じていたのだ。此の間に私の尻はすっかり退化してしまったようである。

 結局其れで殆ど不自由することなく過ごせていたのだが、今回の寓居は自転車無しでは週末の生活などに若干支障を来しかねぬ。日頃から尻の鍛錬に努め、自転車に負けぬ尻を創り上げたい。と仰々しく言ったものの、精々自転車に乗る事位しか尻を鍛える方法など無いと思うが。


2000/07/07

濡れ聞く

 漏れ聞くところによると、という文章を書こうとしてふと思ったのだが、「漏れる」と「濡れる」は字格好がそっくりではないか。只でさえ最近は寄る年波の所為か視力が落ちまくっているだけに、何時「漏れる」と「濡れる」を間違ってもおかしくはないのだ。

 そこで間違えたときの事を考えてみる。「濡れ聞く」。何ともエロティックな言葉の響きよ。最近仕事で忙しい夫の所為で欲求不満に陥っている団地妻が、今夜も午前様の夫を待つ夜に隣室の新婚夫妻の激しい性行為の奏でる音声を聞きつつ(マンションというシチュエーションにて隣室の独身男性のエロヴィデオの音声を聞きつつ、でも可)愛液の分泌の止まるところを知らぬ股間がしとどに濡れそぼっているシーンが誰しも容易に脳裏に浮かぶではないか。

 えらいことである。「濡れ聞く」と誤記しただけで、其れを目にする人達に上記のような猥想を惹起させ、挙げ句の果てには猥想を想起させた廉で私自身の品性までが疑われかねないではないか。左様な事態に陥らぬうちに眼鏡を買い換えた方が良い。


2000/07/06

フランダースの犬

 転居ネタにも飽きてきた。書いてる本人がそうだから読んでる方々は尚更のことであろう。

 丁度此の時期だったと思う(というか、今過去の記録を漁ったら7/22であった)。学生時代に嗜んでいた野宿旅行で四国に行った時である。終列車で到着した或る駅の待合室でいつもの如く寝袋を広げて寝ようとした処、駅員から注意をされて追い出された。其れだけではなく駅前で寝ることすら拒否されてしまった。確かに駅前には宿もあり、阿波踊りの時期とも若干ずれていることもあって飛び込みで宿泊することも可能であったかも知れなかった。処が学生の私はそんな金すら持ち合わせていない。仕方なく今来た線路を歩いて引き返し、何処か寝られそうな駅を探し求めた。途中で「教会前」という駅が先にあることに気付き、「おお、何と良い名前だ。きっと素敵な教会が駅前に建っており、俺はその前でパトラッシュと共に深い眠りに就くネロの気分に浸れるのだ」と、何故悲劇の主人公にならねばならないのだというツッコミを受けても仕方が無いような妄想を抱きつつ、数駅遣り過ごしてわざわざ教会前駅まで向かったのだ。

 深夜の暗闇の中、駅前に其の姿が認められた教会は、思いっきり道場の雰囲気溢れる天理教か何かの教会であった。数q歩いた挙げ句の妄想を大きく打ち砕くだけの現実に、途轍もない脱力感・疲労感を抱きつつ短くなってしまった夜を睡眠に充てたのであった。此こそ正に悲劇の主人公状態である。


2000/07/05

新職業

 現在の寓居では一面に積まれた段ボールの中に一畳分の空間を拵え、其処にひいた布団の上で生活を行っている。其れ以外には電話回線を接続し、日常の衣装をクローゼットに納め、本棚(当然棚のみ)をセッティングしたという程度のものである。

 さて、これから荷ほどきを行うと同時に、テレヴィやオーディオ機器やベッドをセッティングする必要があるのだが、それらを一体どの様に配置するのが生活のし易さ及び空間の有効活用という観点から有効であるのかを考えねばならぬ。其れと同時に、セッティングにあたり新たに揃えねばならない物品(ベッド、テレヴィ台等)を揃えていかねばならぬ。即ち、部屋の将来のイメージを描きつつ、其のイメージに沿った物品を揃えつつ、部屋の片づけを行わねばならないという、非常に面倒臭い作業を行う必要があるのだ。

 具体的にどう面倒臭いかというと、例えばベッドをここら辺りに置きたいと考えた処で、其の寸法にぴったり合致したベッドを購入せねばならない。部屋の採寸が必要であるとともに、実際に其の寸法に合致するベッドを探し求めねばならぬ。当然費用面・機能面での検討も必要であり、サイズはぴったりなのに価格がどうもだとか機能的に不満だとかといった場合には、一から再検討する必要が生じる。

 また、実際に店頭で物品を目にする事により、「お、これは良い」と思った挙げ句、今度は其の物品を室内でどう活かすかなんぞを検討してしまい、結局配置計画を一から練り直す事になりかねない。

 学生時代のように寓居が広ければ適当に物を揃えていれば良かった。社会人になってから今までのように寓居に予め家具類がセットされていれば物を揃える必要も無かった。処が現状では私自身が部屋のコーディネーターと家具問屋とを行わねばならぬ。通常の人間にとっては此の行為自体が楽しいものであると感じるのであろうが、只でさえ面倒臭がりの私にとってはそういった行為にさほどの時間を割く事は困難である。

 逆に言えば、そういった人間を対象とした「部屋コーディネーター兼家具問屋」的な職業がビジネスとして成立するのではないかという気がしてきた。不動産屋だとか引っ越し業者だとかとタイアップすることにより、そこそこ活動の場も生まれるのではないか。尤も私のような性格の者には決して務まらぬ職業ではあるのだが。


2000/07/04

深酒

 酒が全く飲めないのにも拘わらず、前夜に珍しく自発的に深酒を嗜んでしまった。そこで前に深酒を嗜んだのは一体何時だったかを思い起こしてみる。

 抑も「飲みに行く」という機会自体が非常に少ない。少なくともプライヴェートに於いて自主的・自発的にアルコールを求める機会は皆無であるので、飲みに行くケースとして考えられるのは、職場でのイヴェント、身近な人物の歓迎会、送別会、対外的な付き合い(他会社との懇親会から合コンの類に至るまで)程度か。

 プライヴェート系の飲み会では此処数年アルコールを口にしていない。というかアルコールを口にすることを強制される危険性の強い飲み会には参加しない事にしている。また、仕事関連の飲み会については、少なくとも此処1年については、当時の上司が私同様アルコールを受け付けない体質であったということで、職場や仕事関連でアルコールを強いられる機会は無かったような気がする。其れ以前に遡り、1年数ヶ月前に他会社との懇親会で深酒を嗜んだ記憶がある程度である。

 おおそんなに久しぶりの経験だったのか!自分の中では2年前に他会社を去る際の送別会で連日アルコール漬けになっていた際の意識が強く残っており、昨日の深酒がさほど稀なものという意識は無かったのだが。


2000/07/03

名古屋のテレヴィ文化

 好むと好まざるとに関わらず今後再び名古屋の文化を味わわねばならない。という訳で名古屋に着くや否や先ず「ぴあ」を購入して精読することにした。とはいえ映画だの音楽情報だの演劇だのについてはほぼ東京とほぼ同じではないかと思われた事、其れ以前に私自身そういった方面に噸と疎い事等から読み飛ばし、結局テレヴィ欄位しか目を通していないのだが。

 先ずチェックしたのは競馬番組。東京では土日共午の刻から申の刻辺りまでの約4時間、チャンネルは途中で変われども長時間に渡り馬に浸る事が出来た上、夜は其の日のレース回顧に加え、土曜深夜には競馬ヴァラエティ番組がオンエアされている。此が名古屋ではどう変化するか。基本的には未の刻から申の刻辺りまでの約2時間が競馬タイムとなっており、週によっては午の刻から未の刻辺りまでも別の局で競馬番組をオンエアしているようである。夜はレース回顧は行われるものの、競馬ヴァラエティ番組を視聴することは出来ぬ。どうやら此の地に於いては競馬より競輪の方が地位が高いように思える。おっと、よく見れば平日にも地方競馬の中継を行っている日があるではないか!

 其れ以外で気付いたのは、大阪同様吉本興業系の番組が放送されていること。確か以前大阪から名古屋に出てきた際に別段不自由しなかったものの名古屋から東京に出てきて感じた不自由の一つが、「何でお笑い番組の代わりに糞つまらん情報ヴァラエティ番組を放送しているのだ!」というものであった。東京では週末の未明(寅〜卯)に時折放送している吉本新喜劇が名古屋では土曜の昼間に観ることが出来るのをはじめとして、6年前に東京に来るまで楽しんでいた数々の関西ローカルのお笑い番組を堪能することが出来る。

 また、視聴率の高い時間帯に名古屋ローカルの番組を充てている所為であろう、東京地区で視聴率の高い番組、一部の層に好まれている深夜番組等でも平気で訳の分からぬ時間帯に放送されているのには驚いた。「タモリ倶楽部」や「第四学区」が平日のど真ん中に放送されていたり、「進ぬ!電波少年」が真っ昼間に放送されたりしているという事実に只管当惑してしまうのである。何れもそんな時間帯に観たくなるような番組でも無かろうに。

 そう言えば、7/1だけに限った事なのかも知れぬが、「恋のから騒ぎ」が再放送を含め一日に3度も(しかも朝夜と時間帯を変えて)放送されている。此は一体どういう趣旨なのか。

 とまあいろいろと書いてきたのだが、肝心のテレヴィを未だセッティングしていないのである。


2000/07/02

新寓居

 やっとの事で新寓居への引っ越しを完了した。前日は休日にしては珍しく午前に起床し、引っ越し準備に取り掛かったのだが、結局完了したのは本日午前8時過ぎ。引っ越し業者の方が訪れていた時には、まだハンガー掛けにスーツが数着残っていた状態であった。前夜辺りには書籍類を片づけてすっかり広くなった寝床を目にしつつ、「おお!俺の寝床って実はこんなに広かったのか!東京最後の夜は寝床を書籍類に奪われる事無く目一杯使って寝てやるぞ!」と思っていたのだが、終ぞ其の寝床で目一杯の睡眠を摂ることは無かった。

 新寓居の近くを買い物がてら自転車で回っている内に、僅か徒歩数分圏内にラヴホテルが2軒も並んでいるのに驚いた。そして其等のホテルに於いては、場外馬券売り場が近いという事もあり、なかなかユニークなサーヴィスを提供していたのだ。

 性欲のみならず馬欲までも旺盛な人の為であろう、室内に於いては無料で競馬中継を放送。そして、時間内であれば場外馬券売り場に行って戻ってくるのも可能との事。其処までやるのであればいっそのことサーヴィスをもっと徹底させ、「馬同伴可能」位の事も検討してみてはどうであろうか。糞尿の掃除が大変な事だとは思うが。尤も馬を同伴してラヴホテルに行く位であれば、最初から馬を寓居に連れてくれば済む話であり、わざわざラヴホテルに検討を迫るまでも無いではないか。

 しかし此の文章、読み返してみると、まるで私が馬と肉体関係を持ちたがっているかのように見えてしまうのが不思議である。


2000/07/01

続・検索エンジン

 あくまで内緒の話なのだが、此のページの最後尾に仕掛けを施し、「エゾシカの嘶き」を訪れた人のうち、何処の検索エンジンから何というキーワードを拠り所にした人が何人いるのかが判るようにしてみた。そして6月分のアクセスについて、どういったキーワードから「エゾシカの嘶き」に辿り着く人が多いのかを調べてみたところ、腰を抜かさんばかりの結果に只管当惑した。

 1位はダントツで「アダルトヴィデオ」であった。AV情報を求める人達が陰茎を極限にまで勃起させつつ忙しなくキーボードを叩いて息を荒げながら血走った目でサイトを訪れた結果が「エゾシカの嘶き」とは余りに可哀相である。しかし其れにしてもよくまあ「ヴィデオ」なる表記で検索するものである。恐らく谷崎潤一郎なんぞと同時代の人間なのであろう。或る意味インターネットからもAVからも縁遠いと思われる人が、インターネットでアダルト「ヴィ」デオの情報を一生懸命得ようとしている様が興味深い。

 2位の単語もショッキングなものであった。幾ら何でも「口内射精」で検索しなくても良かろうに。

 そしてその次辺りに「少年犯罪」などという社会派ワードが出てくるのである。其れにしても「少年犯罪」で「エゾシカの嘶き」に来られても何も得る物が無かろうに。同様に「バスハイジャック」「バス乗っ取り」などという単語が顔を覗かせ、「顔写真」という単語も出てきている処をみると、何か或る一定の目的でサイトを漁っていた人達が「エゾシカの嘶き」に辿り着き、「けっ、此処には17歳の犯人の顔写真がないやんけ」と舌打ちしながら去っていた事であろう。

 其の他散見されたのは「陰茎」「陰核」だとか「同性愛」だとか「縛る」だとか。サイトのカラー、即ち私の趣味に適うようなキーワードとしては精々「馬」とか「明智」とかがあった程度。比較的まともなキーワードとしては「新薬被験者バイト」とかがあった位。どうでもいいのだが1件だけあった「トゾプニの嘶き」なるキーワードは一体何ぞや。

 其れにしても検索エンジンから「エゾシカの嘶き」に訪れた人はさぞかし不本意な思いをされた事であろう。因みに私も今回の結果は、様々な人のアクセスを歓迎し喜ぶ一方、些か不本意なものであったのだが。


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