洗礼〜Chichen Itza
 
洗礼
〜 Chichen Itza
 

   カスティージョ以外にも、チチェンイツァは広いエリアに見どころが点在する。球戯場や戦士の神殿のように広場に面しているものは言うに及ばず、森の小道を辿って行く聖なる泉セノーテなど、様々なタイプの遺跡を歩いて回るのは、さながらハイキングのようだ。  次の集合まで多少時間があったので、古代の天文台の跡と言われるカラコルに行くつもりでいたところ、空の隅が何だか怪しくなってきた。今まで雲ひとつない青だったところに、もくもくと何やら黒いものが湧き出している。
「ひと雨、来そうだね。一応、準備しとくか」
「なんたって熱帯だもんね。たまにはスコールくらい来てくれないと」
 そんな会話を交わしていた矢先、一瞬空が光ったかと思うと、ただならぬ轟音が響いた。そして、間髪を置かず猛烈な雨が降り始めた。慌てて、この時のために用意していた合羽を頭から被る。とりあえず、何よりも守るべきは写真だ。首から下げていたカメラをシャツで覆い隠し、その上から合羽のボタンを留める。いわば二重に防護するわけだ。蒸し暑いことこの上ないが、贅沢など言っていられない。
 急速に視界が暗くなってくる。風も出てきた。周囲は一面の芝生で、身を隠すところなどどこにもない。背中を丸めて足元を確保するのが精一杯だ。いくら熱帯とはいえ、こんなにも急変するのか。さっきまであんなに晴れていたじゃないか。
「とにかく建物に入らないと。入口まで走るぞ」
「走るのはいいけど、道わかるの?」
「確かあっちにゲートがあったはずだ」
 雨脚が強過ぎて顔を上げられない。一瞬、上目遣いで見るのだが、数m先はもう真っ暗で、どこに何があるのかまるで判別できない。地面がどんどんぬかるんでくる。油断すると脚を取られそうだ。滑って転んだら悲惨なことになるのが容易に想像できるだけに、急ぎつつも足取りが慎重になる。
 息が切れてきたので少しペースを緩め、合羽のフードを上げ周囲を見た。しかし、目の前にあったのは全く見覚えのない景色だった。
 何が起きたのか、しばらくわからなかった。広場を横切っていたはずなのに、僕たちが今いるのは両側を木々に囲まれた狭い道だ。車一台通るのがやっとの幅で、奥へ奥へと続いている。迷ったか。でも、いったいどこで間違えたのだろう。それとも、これがジャングルの怖さなのだろうか。山で遭難する人の気持ちが少しわかったような気がする。
 それでも、道があるということは、その先にいずれ建物があるのではないか。後戻りするよりは進んだ方が突破できる可能性があると踏む。
 どれくらい歩いただろうか、気がつくと大型バスが何台も並ぶ駐車場に出ていた。その先にようやく見覚えのあるレストハウスを確認する。どうやら、最初に方向を誤ったらしい。直進すべきところをぐるりと遠回りしてしまっていたようだ。
 合羽でガードしていたにもかかわらず、パンツまでびしょ濡れだ。これが熱帯のスコールというものか。どこから水が入ったのか、想像もつかない。
 嫌な予感がした。カメラを取り出してみると、スイッチを切った覚えがないのに液晶表示が消えている。これといって濡れてはいないのだが、案の定、シャッターボタンを押してもウンともスンとも言わない。やられた。
 

   
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驚異のメキシコ
 

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