自己責任とはいうものの |
〜 Chichen Itza |
カンクンに2泊し、多少時差ボケがましになってきたところで、いよいよマヤ遺跡を巡る旅に出ることにする。まずは、後古典期を代表する複合都市、チチェンイツァだ。 ユカタン半島きっての大都市メリダへと向かうハイウェイを疾走する。路肩には低木のジャングルが延々と続いている。熱帯の密林というと、競うように生い茂る巨木に覆われ鬱蒼としているイメージがあるが、ここはそうした原始の光景からは程遠い。樹林間にも適度に陽が射し込み、気候的には草原に灌木が点在するサバンナの方がむしろ近いのではという気がする。 チチェンイツァも、発見当初はひょっとしたら森に埋もれていたのかもしれないが、今はきちんと整備された史跡公園といった趣だ。メインゲートをくぐると、陸上競技場の何倍もありそうな広場に、代名詞でもあるエル・カスティージョ、通称ククルカンのピラミッドがさっそく姿を現す。 四方に設けられた91段の階段と頂上の1段とで、91×4+1=365日を表すというこの建造物は、現代の水準に照らし合わせても幾何学的な完成度が優れて高く、どの角度から見てもほれぼれするほど美しい。これで鉄器はおろか青銅器すら使用せずに造り上げたというのだから、なおさら驚きだ。 「登ってもいいんですか」 「大丈夫ですよ。でも、気をつけて行って来てくださいね」 しかし、最初の一歩を踏み出したところですぐ、それが容易ならざる道であることに気がついた。あまりに急勾配であるため、普通の階段のように背筋を伸ばして登ろうとすると、そっくり返ってしまいかねないのだ。 考えてみれば、なぜカスティージョがこれほど美しいかといえば、その形状がほとんど正四角錐であるからだ。ということは、ざっと計算しても斜面の傾斜は45°以上あるだろう。スキー場では30°を超えると真っ逆さまという感覚だから、体感的には垂直な壁を登るのに近い。しかも、当然ながら掴まる柵もなければ上から手を差し伸べてくれる綱もない。 背中を汗が伝う。暑いせいもあるが、それだけではない。意を決して、石に張り付く蛙のように階段に手のひらをべったりと付き、ほとんど這うようにして登る。シャツもズボンも埃まみれになるが、そんなこと気にしていられない。 やっとの思いで登り切ったところで振り返ってみた。案の定、下界がほぼ垂直に落下している。これはぜひ写真に収めなければ。しかし、カメラを構えようとして立ち上がった途端、危うくバランスを崩しそうになる。いかん。シャレにならない。本当に一歩間違えたら命に関わりそうだ。 それでも頂上からの眺めはさすがに絶景だった。ほぼ完全な形で残る神殿の周囲をぐるりと一周することで、360°のパノラマを存分に楽しめる。遺跡エリアのほぼ全域を見渡すことができ、ジャングルに響く鳥や獣の鳴き声も頻繁に聞こえてくる。心地よい風が背中の汗を拭い去っていく。 しかし、登ったからには降りなければならないのは自明の理。薄々感じてはいたのだが、やはり下りの恐怖は上りの比ではなかった。おだてられて木に上ってしまった豚は、もしかしたらこんな気持ちだったのかもしれない。拭き渡る風の中、決心がつかない僕はいつまでも階段の縁に腰かけたまま、下界を見下ろしていた。 |
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驚異のメキシコ |
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