ラティオ

 [Ratio] 天海護少年が緑の星で誕生した際に名づけられた名で、いわば彼の本名である。ラテン語で「理性」を意味する。
 マモル少年本人は自身をあくまで「地球人・天海護」として認識しているが、機界31原種ソール11遊星主赤の星の生き残りであるJアークの面々など三重連太陽系ゆかりの者からは、否応なく「ラティオ」として見られ、またそのように扱われる。それは、単純に三重連太陽系におけるマモル少年の記録が「ラティオ」の名によるばかりではない。三重連太陽系にとって「ラティオ」は、ただひとりの少年ではなく、特別な意味を持つ存在なのである。
 マモル少年が緑の星で生を受ける頃、三重連太陽系は惑星ごとに異なった統治形態をとる星間国家群であったと思われる。彼らの発祥がいずこの惑星であったかは依然不明のままであるが、恒星系全体へと生活圏を広げた彼らは、それぞれの惑星で独自の文明と技術を発展させていたようだ。しかし、脳科学とナノテクノロジーに多大な発展を見せた紫の星がその発達した科学文明とは裏腹に、人心を頽廃の極に追いやり、遂には心の負荷、ストレスを「物理的に」除去するシステム、すなわちゾンダーメタルの開発に着手した事から、三重連太陽系全体が滅亡の危機に晒される事になる。試験段階での暴走か、あるいは実用段階での人為的な暴走、即ち犯罪によってか、ゾンダーメタルはマイナス思念の除去の手段として知的生命体の機界昇華を結論し、爆発的な増殖を開始した。紫の星は瞬く間に機界昇華され、のみならずゾンダーメタルは星間インフラを伝播して近隣の衛星や惑星にも拡大し、侵食していったのである。緑の星や赤の星がその指導者を中心として抵抗戦争を続けるうち、三重連太陽系の記録が「宇宙の復元力」、あるいは「自然の抗体」と呼ぶ小さな生命、「ラティオ」が誕生したのである。
 緑の星はその指導者であるカインをはじめとして、背の翅翼など様々な特殊能力を有する者を数多く輩出してきた経緯があるが、そのカインの子息として誕生した「ラティオ」の能力は、明らかに突然変異に類するものであった。ゾンダー理論の根幹である素粒子Z0との反物質性を、生体的に有するラティオの特性は対機界31原種の抵抗戦線を維持する各惑星の指導者にとって、正に希望の象徴であった。それは自然、つまりは宇宙が彼らがこのまま座して機界昇華されるのをよしとせず、その生存を認めたものと感じた、あるいはそのように考えたかったのである。
 非常時でもあったために、「ラティオ」の生体情報とその特性の解析はゾンダーに抵抗する全ての惑星の共同で進められ、驚異的な速度で進行した。「ラティオ」の生後2ヶ月の段階で、「ラティオ」の能力と、緑の星の人々の魂の還る宝石と呼ばれていた結晶体、即ちGクリスタルを合わせて精製された対機界昇華反物質サーキット−Gストーンは完成し、その技術は赤の星へと渡ってJジュエルとして結実する。機界文明に属する者にとって、「ラティオ」は死神に等しい存在であり、逆に機界文明に反する者にとっては救世主そのものであった。
 だがGストーン、そしてJジュエルをもってしても機界文明の侵攻を止める事はかなわず、三重連太陽系のあらゆる有人惑星、衛星、コロニーは機界昇華され、滅亡した。それが生き残った者たちの間での「ラティオ」への認識を複雑なものとしている。「ラティオ」を基に造られた対機界31原種戦用生体兵器「アルマ」にとって、「ラティオ」は自身の原型であると同時に、自身らがそれより優れた存在であり、しかしながらそれでも自身らが母星を救えなかったという、親近感と、捻じれた優越感と、拭いきれない挫折感と劣等感の複合的な対象である。ソール11遊星主にとっては「遅すぎた救世主」であり、畏敬と、歪んだ憎悪との相反的感情の対象である。彼らが「ラティオ」とマモル少年を呼ぶ時、そこには呼ぶ者の言い知れない苦悩と煩悶と憎悪と親愛が込められているのである。
 しかし、当のマモル少年にそれを推し測る術はなく、また彼自身の意志とは懸け離れたところで渦巻く意図に対して、彼が責任を負う立場にない事は明白である。だが、事実彼を巡る様々な策謀は否応なく彼を翻弄し、苦悩させる。わずか10歳の少年にとって、それは如何に過酷な境遇だろうか。だが、それでもマモル少年はしなやかに健やかに成長していく。両親や獅子王凱をはじめとした周囲の大人たち、そして初野華ら友人たちの支えが彼のと共にいつもあるのだから。そして、それが天海護少年を「勇者」たらしめてきたのである。