未来予測

 瞳原種がその透徹した遠距離探知能力とともに有する能力で、文字通りごく近い未来に起こるであろう出来事を事前に予測する事ができる。これにより機界31原種はあらゆる敵対勢力に対して絶対の戦略的優位性を保つことができるのである。
 古代中国において孫武によって記されたとされている兵法書「孫子(呉の孫武撰とも言われる)」は簡潔警抜な記述による名文で後世の兵学に大きな影響を与えた。「呉子」「六韜」「三略」などの著名な兵法書も基本的にはこの「孫子」の類書である。戦いの略術の法則とその準拠を説く中で、孫武がことに重要視したのは「情報」であった。彼我の兵力、陣形、地形、補給路、天候、季節、指揮官のひととなりに至るまで、いかに多く、いかに多様で、かつ正確な情報を得ることができるか、言い換えればいかにして敵に対し情報の量と質に置いて優位に立つかが戦争の勝敗の分かれ目であり、その厳然たる法則は現在に至っても全く変わらない。戦いの手法が原始的な歩兵同士の戦争からボタンひとつで大量破壊兵器を敵国に送り込めるまでに変化したとしてもである。そしてあらゆる情報の中でも究極のものは、未来の情報に他ならない。瞳原種はその未来の情報を感知することができ、それゆえに機界31原種はその事態に対し極めて適切な対応策や予防策を準備することができるのである。
 だが、果たして本当に未来を「知る」ことなどできるのであろうか。現在我々は様々な統計や情報から未来をある程度「予測」することはできる。毎日聞く天気予報などがいい例であろう。だが周知のとおり天気予報はしばしば外れる。これは別に気象庁や気象予報士の罪ではない。たとえ一日であれ、未来の天気を完全に知ることなど不可能なのだ。また「確率」による思考の罠もしばしば我々の判断を誤らせる。たとえば「降水確率30%」という予報を聞いて傘を持っていくか、いかないかは、最終的に個人の判断である。その結果雨に濡れることになってもそれは「30%の確率が的中した」のであって天気予報が嘘をついたわけではない。極言すれば「30%の雨が降る確率」と「70%の降らない確率」は実際に結果が現れるまでは完全に等価であり、どちらの事態が生じるかは正に五分五分なのである。パーセンテージが的中した、というのはあまねく結果論に過ぎない。我々は提供されるパーセンテージをある程度参考にすることしかできない。そのことで不利益を被ってもその責任は判断を下した個人に帰せられるべきだろう。もちろん不利益を被る可能性を極力減らすための個人的な努力やそれを可能とし、保護する組織的な施策は怠るべきではない。
 ともかく、現実に我々は明日何が起こるかなど知る由もない。だが何度も繰り返すように正確な情報に基づく科学的な統計によって、ある程度未来を予測することは可能である。瞳原種の未来予測能力もこの高度な応用に過ぎない。例えば機界最強7原種オービットベース襲撃に際して、瞳原種はサイボーグ・ガイおよびソルダートJの動きを正確に予測し腕原種に絶対的な優位をもたらした。だが瞳原種は全てを予測していたわけではない。であればその直後のマイクサウンダース13世によるソリタリーウェーブ攻撃も予測し、これを予防できていたはずである。ここから成り立つ一つの推論は、瞳原種の未来予測は時間的にも空間的にも極めて限定されてしか働かないということだ。つまり意識しない未来に対してまで予測を行うことは不可能なのである。
 瞳原種は「全ての未来を知る」ことができるのではない。統計的に高い確率で起こりうる事態を即座にピックアップすることができるだけなのだ。それでもサイボーグ・ガイやソルダートJの素早い動きを予測することは十分可能である。戦闘に限らず技術というものは洗練されればされるほど様式化しやすい。なぜなら数ある技術の中でも真に効果的な技法は数えるほどしかないからだ。さまざまな技術の中で自然淘汰がなされ真に有効な技法だけが生き残り、体系づけられる。それが即ち技術の洗練であり、技術の成熟に伴い避けることのできない道なのである。裏を返せばそれらに対する有効な対応法も自ずと限られる。それがつまり「統計的に高い確率で起こりうる事態」に対応する方法なのだ。人間同士の白兵戦の場合、敵に対して正面から突撃するのは得策ではない。よって側面や後方からの攻撃が効果的である。つまりこの時点で「正面から突撃してくる」可能性は極めて低く、否定される。これに瞳原種の透徹した感知能力を併用すれば、高度な三次元戦闘を得意とするソルダートJやサイボーグ・ガイといえどもその動きを容易に予測されてしまうのである。更にこれに加え、機界司令パスダーをはじめとした情報端末によりもたらされた情報や、かつての三重連太陽系における戦闘経験などが瞳原種の予測を更に確実なものにしてくれるのである。
 だが、この未来予測もあくまで可能性の高い事態に対応するものであるから、いわゆる「奇をてらった」作戦に対しては予測がつきにくい。また情報を得られていない新たな要素の存在もこうした未来予測を阻む。スサノオによるリフレクタービームが原種艦隊に対して高い効果を発揮したのも、リフレクタービームが初使用された対頭脳原種戦ではその真価が十分に発揮されず、情報が不足していたためである。また先述したとおり瞳原種が意識しない未来に対しては極めて予測範囲が狭まる。オービットベースにおける機動部隊との戦闘に気をとられた瞳原種は、ディスクXのプレスが今まさに行われているという事実を感知することができなかった。これにはマモル少年によって中枢部の占拠を目指したの両原種が撤退を余儀なくされ、機動部隊と交戦した肋骨肝臓の両原種もまたオービットベース内から排除されてしまったために、戦力の合流を図る必要もあったためだが、結果から言えばあの時腕・瞳の両原種は何をおいてもまず研究開発部の壊滅を図るべきだったのである。これは機動部隊による有効な陽動作戦であったといえよう。またその直後の重力レンズによるソリタリーウェーブの収束も獅子王凱機動部隊隊長の奇抜な発想によってもたらされたものでこれも瞳原種の予測の範囲を超えていた。ことGGGに対し、未来予測は決して確かな結果を約束しない。なぜなら可能性を超克することこそが彼らの勇者たる所以であり、その繰り返しがGGGに勝利をもたらしてきたのだから。