ここでは、私が新旧の日本的なものと感じるシーンを、日常より切取って撮影したものをお見せ致します。
★★★☆☆ 「天才アラーキー 写真ノ方法」 荒木経惟 集英社新書
還暦を迎えて、なお意気盛んで変化し続ける荒木経惟の、写真に対する心と姿勢と技術が、私とあなたの写真に参考になるやもしれぬので、ポイントを抜きだそう。
短いタイトルだけでも、なかなか含蓄に富む。"真実は見えない様に"、 "過去を引きずらなきゃ"、 "街の豊かさは住む人の笑顔に"、 "「物語」は被写体が持っている"、 "完成を求めて完成しない"、 "誘っちゃいけない、踏み込まなくちゃ"、 "影は未練なのだ"、・・・。
"写真は自分の肉体で撮る"という中に、「レンズ替えるっつんじゃなくて、自分がさがったり、被写体に自分が近づいて行ったりっつうことになるの。要するに、動く事なんだね。・・・遠くから「いいねえ」とか「襟足がいい」なんて言ってもダメなんだ。そばまで行って、囁くの。言葉もそうだけど、触るっつうことも大事なんですよ。ヘアメイクがモデルの髪を直したりするのは一切ダメって決めているんだ。私の場合、私がいじりに行くから。どんどんどんどん行くの・・・」
"「光りを」撮るか、「光りで」撮るか"なんていう言葉も、撮影者が、被写体と光との関係をどうとらえるか、その姿勢の本質が含まれている。ちなみに荒木は「光りで撮る」派。
最近は、デジカメも無論出荷数を伸ばしているが、銀塩写真もブームであり、鎌倉なんかは多くの一眼レフを抱えた元気な善男善女が歩いている。皆で一緒ではなく、自分のスタイルを作れているか。本当に撮りたいものは何で、その撮りたいものとの関係性をどう作り、その撮りたいものにどうアプローチするか。そんな本質を、軽妙洒脱に、しかししっかりと波乱万丈に生きてきた、荒木の言葉と写真は強く問いかける。
さて、私は何を撮るのか。何を中に見出すのか。切り取るだけではなく、もっと、もっと入り込まなくては。そして、歳を重ねた人でも、いやそういう人こそ、艶っぽく撮れるようになりたいものだのぅ。 (2001/6/11)
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八芳園1 Typical Japanese Sceneというところでしょうか |
八芳園2 無機質な本館の建物が残念・・・ |
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歌舞伎座 着物女性の麗しき後姿と歌舞伎座 |
鎌倉 長谷寺 暮れの歳の市での達磨様 |
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国立劇場 |
国立劇場 |
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木曾 |
木曾宿場 |
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鎌倉 |
鎌倉 |
京都 |
古都 奈良にて |
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九州 |
湯布院にて 原色の色使いが鮮やかなJR九州 |
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横浜 歌舞伎の見得のポーズが微笑ましい |
秋の落葉が水の中でゆれる |