むすび山から高川山むすび山付近から高川山を遠望する。左手は田野倉方面

御坂山塊といえば狭義には三ツ峠山を東端とするらしいが、笹子峠で大菩薩山塊と接するとする広義に従うと山塊北東端の顕著なピークは高川山となる。本社ヶ丸や鶴ヶ鳥屋山から続く稜線は大畑(大幡)峠でかなり高度を落としているとはいえこの山まで続いているからだが、秋川山稜の馬立山や九鬼山と対峙するこの山を御坂の山とされるのには正直言って初めのところ違和感があった。その高川山山頂からさらに北東へ低い尾根が大月駅付近まで延び、桂川と笹子川の合流点に消えている。言うなればここが本当の御坂山塊の末端になり、御坂の山はなんと大月駅近くまであることになる。逆に言えば、ここから尾根筋を歩いていけば御坂黒岳や王岳まで水系を跨ぐことなく到達できるわけだ。
笹子川を挟んで向き合う花咲山(梅久保山)や大月市街を超えた岩殿山からこの尾根はよく目立ち、晩秋から冬ともなれば雑木林に覆われた稜線が心地よさそうに見える。大月駅から歩き出してこの尾根に乗り、高川山頂へという案を暖めていたところ、新ハイキング社から松浦隆康氏の『静かなる尾根歩き』が上梓され、これを登路にとるガイドがあった。取り付きがすぐにわかるか心配でいたが明瞭だとのことなので、安心して歩きに行くことにした。


大月駅から裏道を高川山方面に歩いていくと、これから辿ろうとする尾根の末端が間近に見えてくる。これを”むすび山”と呼ぶのは前述のガイドで初めて知った。桂川の手前で国道20号線に合流し、深い川底を眺めおろしながら立派な橋を渡る。正面の高川山が遠く感じられる。花咲山に背を向けて市立中央病院手前の車道へと左折し、病院を見送って民家を見るようになると山側に大月市が設置した道標があり、山道の入口へと導かれる。
むすび山は民家の裏山という風情で簡単に登れる。駅から半時とかかっておらず、たいして登っていない気がするのにいつのまにかまわりじゅうを見下ろすような高みにいるのは不思議な気分だ。展望にはじゃまなアンテナが立っていたりバス停にありそうなベンチなども置かれていたりでやや雑然とした印象を受けるが、木々の合間から周囲の山々がよく見えるのでかなり楽しい。目の前に大きく見えるのは菊花山で、足下に大月市街が窮屈そうだ。貧乏山と呼ばれて邪魔者扱いされるのも頷ける。市街地の彼方には岩殿山、百蔵山、扇山と個性的な面々が並んでいるが、ここからだとみな同じような高さに見えるので背の低い岩殿山にとっては得な眺めだ。その背後に一歩も二歩も離れて立つのは雁ヶ腹摺山で、低い連中の背比べなど眼中にないと言いたげに高々と天を衝いている。
むすび山から大月市街越しに岩殿山(左)、百蔵山(中)、扇山(右奥)
むすび山から大月市街越しに岩殿山(左)、百蔵山(中)、扇山(右奥)。右手前は菊花山。
むすび山山頂の聴音壕跡(手前)
むすび山山頂の聴音壕跡(手前)。平坦地は防空監視哨事務所跡。背後の山は高川山。
登った労力以上に得られる周囲の展望は文句なしだが、同じく目を惹くのは地面にぽっかりと開いた円筒状の縦穴だ。直径4メートル強、深さ1メートル強か、側面を石積みで補強している。これは第二次世界大戦時に大月防空監視哨があったときの「聴音壕」というものだ。どこでもこういう穴が掘られたかどうかは知らないが、本土空襲を受けたのちは各地にこのような監視哨が設けられたらしく、山梨県下だけでも32箇所あったらしい。
むすび山では昼夜分かたず三交代体制で来襲する敵機の監視が行われ、目視確認できない夜間になるとこの縦穴に入って飛行機の飛んでくる音を聴き、飛行方向や機種までを判断していたという。穴の中で聴音したのは山麓からの騒音を遮断するためだろう。当時の日本もレーダーというものを持っていたようだが、国土防衛に回されなかった理由は知らない。なお、ここには大月公民館が建てた記念標があって、予習してこなくても当時の詳細を知ることができる。


さていよいよ稜線縦走だ。高川山まではあいかわらず遠そうに見える。周囲の山域から眺めていたよりは上り下りが多いが、これくらいなら変化があって好ましいという範囲だ。古いがしっかりした木のベンチがそこここにしつらえられ、急坂は木の幹で階段状に補強されており、かなり前から整備されているルートであることが窺われる。すくなくとも最初のうちは登山道というよりよく歩き込まれた遊歩道のようで、いままで紹介されていないのが不思議なくらいだった。(山行後に店頭で最近のガイドマップを見たところ、いつのまにか朱線が引かれコースタイムまで記載されていた。)
桜やコナラが目立つ雑木林の稜線が少々高度を上げたかと思うところが、地図に512.9mの三角点が記載されている頂で、ガイドによればオキ山と呼ばれるらしい。とはいえ三角点が見あたらず、気がつかないうちに通り過ぎてしまった。このあたり、田野倉側の山の斜面が伐採されていて九鬼山や道志の山々の見晴らしがよい。岩殿山方面を見透かせるところからは稚児落としの岩壁がよく見える。いまはまだ冬枯れの周囲に溶け込みがちだが、緑濃い季節になればあの岩屏風はかなり目立つだろう。
稚児落としの岩壁(左中央)
稚児落としの岩壁(左中央)、この季節だと目立たない
次のピークは地図に584mの点標がある峯山で、山頂の木の幹に小さな標識が下がっていた。ここからも道志の山々の見晴らしがよい。御正体山今倉山に鹿留山は北面の林床に雪をつけている。高川山も近く感じられるようになってきた。むすび山からだいたい1時間ほど経っていたのでこれらの山並みを眺め渡しながら簡単な食事休憩とした。
稜線から九鬼山を望む
稜線から九鬼山を望む
峯山を出発すると、河口湖方面に向かう高速自動車道が足下のトンネルから出ているのを左手に見送って、天神峠へと下る。ここは今の世から置き去りにされたような世界だ。穏やかな表情で往来を見守っていた馬頭観世音の石像や、田野倉側の小形山を見下ろすように建つ天神社などがあり、ちょっとした信仰の地になっている。
斜面なかほどに据え付けられている観音様には伐採された木が寄りかかっており、今にも石像を転げ落としそうだ。山仕事のひとは気を遣ってあげてこの木をどかせばよいのにと思う。”てんじんさま”と標識のある天神社は小さな社ながら、くすんだ緑色の屋根といい、雲形の飾りとといい、上品なつくりで好感が持てる。小さいながら記念板まで社本体に付けられており、昭和60年建立とあった。
天神峠の観音さま
天神峠の観音さま。隣の木をなんとかしてあげてほしい
峠道はガイドによれば旧鎌倉街道だそうで、由緒ある道なのだった。さすがに近年は越える人も少ないだろうが廃道化してはいないらしい。いつか、どちらかの麓から上がってきて、優しげな観音様や清楚な社にあらためて対面してみたいものだと思う。


雪が残って滑りそうな急坂を上ってふたたび平坦な登山道に出る。すぐ左手は585.5mの標点のあるピークなのだが山道は山頂を通らない。どんなところかと立ち寄ってみたが、踏み跡はちょっとしたヤブに覆われ、苦労して着いた山頂は倒木が重なっているだけで、とくに興趣の湧くものでもなかった。
寄り道をしたので峠から40分で「松葉入」と呼ばれる分岐に着いた。ここは田野倉駅からのルートと合流する地点で、静かな尾根歩きはこれでおしまいとなる。すぐに、まっすぐ行けば高川山、右手に行けば「雨乞の池」と標識がある分岐に出た。静けさを求めて、どれくらい時間がかかるのかわからないまま池へと山腹を行く山道に入ってみた。
こちらは明らかに不人気のようで、北側斜面に付けられた踏み跡はうっすらと雪に覆われたまま、足跡の一つもない。滑りやすいうえに谷側に傾いていたり土砂崩れで道形が消えていたり、倒木でふさがれていたりと、今までが楽な道のりだったのでややストレスが溜まる。分岐から20分も歩くと涸れ沢の源頭近くに出た。ここからは雪に覆われた沢を上がっていかなくてはならないように見える。行ってみたところで池は雪に埋もれて面影もないだろうから、季節のよいころに再訪するものとしてこれ以上進むのをやめた。
とはいえまた歩き心地のよくない山腹道を戻るのも気が進まないので、頭上にあるはずの稜線はそう遠くないだろうとあたりをつけ、歩きやすそうな斜面を選んで登っていくことにした。引き返したところからすぐ右手に斜度が緩やかで浅い谷状のが開けている。見通しのよい雑木林のなかを上がり出してしばらくすると道形があることに気づいた。どうやら稜線から下って雨乞の池に至るものがあったらしい。朴の葉で埋もれている上に雪が被さっていて、ふかふかすぎてかえって歩きづらいほどだが、1メートルほどの道幅が途切れずに続く。稜線に出て振り返ってみると今登ってきた道の入口はほとんど目立たず、よほど注意しないとまずわからないと思えた。


二度目の高川山頂もまた眺めがよかった。しばらく周囲の眺めにひたった後、名残惜しいのを振り切ってもと来た道へと入った。雨乞の池付近から上がってきたところも気づかず通り過ぎ、松葉入の分岐から稜線を外れて麓へと下った。
<FONT size="-2">高川山頂より滝子山(左)、黒岳(中央やや右)、雁ヶ腹摺山(右)</FONT>
高川山頂より滝子山(左)、黒岳(中央やや右)、雁ヶ腹摺山(右)
車道に出て九鬼山を正面に歩いていき、最初は見下ろしていた高速道路をくぐると、右手に神社の境内があり、その向こうには空色の手すりが目を惹く洋風建築が見えている。カラフルな建物は尾県郷土資料館というものだが、かつては小学校で、明治11年に完成したものだそうだ。館内には明治時代から昭和中頃あたりまでの教科書や子供の遊び道具などが陳列されている。懐かしくもあり、見ていて楽しい。
尾県郷土資料館のベランダより夕照を受ける馬立山
夕照を受ける九鬼山を尾県郷土資料館のベランダより望む
事務室で館長さんにお茶やみかんまでごちそうして頂きながら暖まらせてもらった。室内には一坪図書館という名の本棚だけの図書館もある。しかし最近の子供たちは本を借りにこないという。まったくいないというわけではないらしいが…。その「図書館」の本を読んでいるうちに、予定以上に居座ってしまっていた。外はかなり薄暗くなってきている。「次はお連れさんといっしょにいらっしゃい」との言葉をいただきつつ資料館を辞した。
正面の馬立山にはすでに月が上っている。それでもどことなく歩き足らなかったので近くの田野倉駅ではなく大月駅まで行くことにし、夕闇が濃くなるのと競争で、本日たどった稜線の下を歩いていった。むすび山の登山口に戻るころにはすっかり夜になり、資料館から小一時間ほどで着いた大月駅には、明かりが煌々と灯っていた。
2006/02/12

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