御坂黒岳 河口湖東岸から黒岳(右)と破風岳 手前は河口湖大橋

富士五湖のひとつ河口湖東岸には旅館街があって、周辺はレストランやボート乗り場とかがある。ここから湖を隔てて屏風のように連なる山並みが御坂(みさか)山塊で、その中でもっとも重量感を感じさせる山が黒岳である。山塊の盟主と呼ばれるのも不当ではない。登れば山頂周辺の自然林がことのほか美しく、雪のついた山道の両側に表情を次々と変えて展開する木立の眺めが日々の雑務で疲れた気持ちを落ち着かせてくれる。冬枯れ時とはいえあまりに心地よいので短期間に二度も行ってしまった。また何度も訪れることだろう。


一回目は三ツ峠山から大石峠に至る縦走の一環として登った。
「富士には月見草がよく似合う」という太宰治の言葉で有名な天下茶屋から稜線に上がり、雑木林の下を雪で埋め尽くされた御坂山の頂を過ぎて旧御坂峠に下る。閉鎖された御坂茶屋の脇からゆるやかな道を進む。
黒岳本体への急な登りにかかると白い林床に点在する冬枯れ姿の大木が見えるようになる。深い縦溝の入ったミズナラかコナラ、地衣類が幹に着いて特有の斑点模様を見せるブナの木々。強風がときおり吹いては幾千とある梢を鳴らして脅かすような音を立て、それまで静謐だった世界を瞬時に荒涼感で満たす。梢越しに望める甲府盆地は穏やかそうに見える。あのあたりでもこんな風が吹いているのだろうか。もしそうだとしてもいまここで感じるほど不安には思われないだろう。
黒岳 東側の表情
黒岳 東側の表情
風の隙間を縫うようにして登り着いた山頂は小広いものの眺めは悪く、一面雪が付いているのでゆったりと休める場所もない。それでもほんのわずか地面が見えている山名標識の根本に腰を下ろして達成感に浸りながら食事にする。
西の新道峠方面へ下り始めると東側とは逆に広い尾根で緊張感がややほぐれる。甲府側の釈迦ヶ岳が細かい枝のあいだから望めるが、夏になれば葉が生い茂って無理だろう。新道峠手前の破風山の山頂からは富士山が大きく見え、足下には河口湖が複雑な湖岸線を見せて横たわっている。
黒岳を含む御坂稜線は冬の最盛期でもよく歩かれているらしいが、だいたい新道峠で皆下りてしまうらしく、さらに西方の大石峠への山道に入ると雪の上に残っている足跡といったら野ウサギのものくらいになる。迷うことはないのだが前後にだれもいない上に相変わらず突風が吹き、どうにも心細い。日没までにバス停に着くかどうか心配だったので、どこがピークだかわからない中藤山を越え、以前に来た大石峠にまだ明るいうちに出たときは正直言ってほっとした。


それから半月後、今度は黒岳のみを登りに再度河口湖を訪れた。
本当は山頂東側の旧御坂峠から登って西の新道峠から下る予定だったのが、全く逆のルートを歩くことになってしまった。というのもろくに計画を確かめないまま朝の河口湖駅で下山後に乗るはずだった路線のバスに乗ってしまったのである。車が出てからしばらくしてから気付いたため、一時間に一本くらいしかない上りのバスを待つ気になれず、しかたなくそのまま下山予定地点の「あけぼの荘前」まで行って下車した。
富士山を背にして見上げれば黒岳と破風山が天空に仲良く並んでいる。破風山の左にたわむ峠めざして歩き出す。大石の集落を抜け、中沢の別荘地を左右に見て林道を30分ほどで山道にかかった。ここから稜線までずうっと植林の中のジグザグ登高で、遠望は利かないし木々の並びも雑木林と異なり単調で感興もわかず、ただ黙々と登るだけである。
ようやく着く新道峠で富士の眺めが開ける。本日は前回と異なり穏やかな天候だ。この峠から破風山の頂までのあいだにはいくつかのビューポイントがあるが、最も眺望に優れている場所は黒岳山頂から5分の「展望台」と呼ばれるところだ。きっと休日は人だかりのする場所なのだろうが今日は平日で誰もいない。正面には抱きかかえるような富士を眺め、右手に御坂山塊の稜線をすぐ手前から目で追い、その先に左右に並ぶ毛無山、鬼ヶ岳、十二ヶ岳節刀ヶ岳を指呼する。さらに奧には南アルプス南部の山々を見晴るかす。もとから掴みがたいほど大きな眺めが独りきりで見ているせいでさらに大きい。
黒岳西側の稜線
黒岳西側の稜線
今日は風にざわめくこともなく静かなブナとコナラの林のなかを旧御坂峠に向かう。岩混じりの道にはまだ雪が残っていたので軽アイゼンをつけた。おかげで下りつつ牛の寝姿のような御坂山を眺める余裕ができたのだった。
2000/2/28,3/15

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