花咲山(梅久保山)

花咲山(梅久保山)

中央本線の大月駅周辺には駅から歩き出して駅へと下れる行程三時間前後の山がいくつかある。人気のあるところでは岩殿山に隣駅初狩からの高川山だろうが、この花咲山もそのうちの一つに数えられる。東西にある登山口・下山口双方ともバス路線の途中だが、歩いたところで苦にならない。
山名は麓の集落名から花咲山で通るようだが、本来は梅久保山との説があるとガイドには記載されている。山容は前記の有名どころに比べれば地味なもので、意識して眺めなければ記憶に残らない。早春の日曜日、よくあるように寝坊して起きた日の朝、半日で歩ける山の名を挙げ連ねていくうちにこの山を思い出し、昼過ぎから歩き出す予定で家を出た。比較的最近になってガイドマップに朱線のコースが引かれ、さらにルートをガイドするものも現れて、気にはなっていたのだった。


小さい山だが、道標などは全くなく、山中では赤布や荷造り紐が頼りになる。踏み跡が明瞭な尾根筋に乗ってしまえば狭い稜線は迷いようもない。
ただし、登り口となると話は別だ。大月駅から浅利の集落を経て登りだそうとしたのだが、「二十三夜」の石塔を目印にするまではわかったものの登り口がわからないまま中央自動車道のトンネルの脇まで来てしまい、その先のしっかりとした山道をたどっていったら、なんとゴルフ場のすぐ脇に出てしまった。どっさりとゴルフクラブを積んでいるカートがそばを通りかかり、乗っている男性ゴルファーが驚いた顔でこちらを見ている。こちらも驚いた。ほんとうに近くでクラブが振られている。ボールが間違えてこちらに飛んできたら洒落では済まない。
どうも山道に入る初っ端から間違えていたようだが、見上げれば岩混じりの稜線がすぐそこだ。小さい山だし戻るより進んでみようとばかりにヤブの薄い場所を狙ってそう急ではない斜面を上がっていくと、わりとすぐに道形が現れた。そのまま稜線に続いていく。どうも古い道はゴルフ場で寸断されてしまっているらしい。
高川山
高川山
稜線は全般的に雑木林の気持ちよいものだった。右手の北方を向く斜面を見下ろせば冬枯れしているとはいえ淡い色模様で広がってもいる。新緑や紅葉のころは見事なものになるだろうが、梢越しの眺めは生い茂る葉で期待できないだろう。こんなことを想像しながら登るのもまた楽しい。
登っていくあいだ、左手にはずっと高川山九鬼山が望める。まばらな黒木の合間に雪斜面を見せて寒そうだ。それでも高川山からゆるやかに低まって大月市街地に達する尾根は見事なもので、あれを登るか下るかしてみたいと思う。その手前、足下からは中央自動車道からのエンジン音がひっきりなしに聞こえてくる。しかし山中には誰もおらず、静かなものだ。コナラの林の合間には穏やかな空気が漂っている。残念ながら天気は下り坂のようで、空には雲が広がりだしていた。


山頂手前の小さなピークであるサス平を越えるといったん鞍部に下る。そこには年古りた石仏がある。花咲山は東西の麓を車道が通り、低いながらも独立峰の趣を持つので、こんな高いところに柔和なお顔の仏様がいらっしゃる理由がすぐにはわからない。まさか峠道を見守るために建立されたものでもあるまいと思いつつ、念のために周囲を見渡すと、その峠道が目に入る。しかも幅一メートル近くあって、はっきりと稜線を越えていっている。あとで調べてみると、南麓の花咲と北北東の西奥山という二つの集落を結んでいたものらしい。山麓を巻いていくより峠を越えた方が近くて安全だということだったのだろうか、すでに廃道となり、崩落も進んでいるとのことだが、いつの日か峠からゴルフ場とは逆の方向に辿ってみたいと思う。
花咲峠
花咲峠
サス平も休むには気持ちのよい場所だったが、金精さまを祀る小さな社の建つ山頂もまた小広く、親しみを感じるような場所だった。社の前には主の化身のような長円の丸石が立てかけられている。ここもまた樹林に囲まれ、葉が茂る季節には眺めがなくなることだろう。だがいまはまだ冬、見通しはよい。九鬼山に連なる山並みの足下に大月市街がこじんまりと広がり、滑るように移動する節足動物にも似て中央本線の白い列車が下っていく。
お湯を沸かしてコーヒーを淹れているうちに、先ほどまで曇っていた空がわずかに動き、控えめな日の光が差し込んできた。それまで灰色一色だった木々の幹が柔らかく輝き、地面に投げかける影模様も心を浮き立たせてくれる。少し暖かくなった。グラウンドシートの上で横になり、ぼぉっと山を眺める。
街の近くにあってこれほど静穏。今日の山は来てよかったと思える山だった。


再び日の陰った山頂からは、初狩方面に下っていく。途中に幅の広い岩稜があり、右手に鶴ヶ鳥屋山の見目佳い姿を視野に納めることができる。その右隣に見上げるのは南大菩薩の山並みで、なかでも鋭い峰頭を天空に突き出す滝子山が壮麗だ。さらに右手遙かの小金沢連嶺は黒岳の山頂に雲がかかっている。車道に出るころにはその雲がさらに低くなってきて、鶴ヶ鳥屋の山頂が霞み始めたと思うまもなくぽつぽつと降り出した。
滝子山遠望
滝子山遠望
バス停に着くころには普通降りになってしまった。あいにくと傘を持ってきていなかったので、初狩まで歩こうと思っていたのを諦め、あと少しで来る桑西からの大月行きバスを待つことにした。近くの軒先を雨宿り先に貸してもらったが、それは立派な長屋門で、十人くらいは楽に雨露を避けられるものだった。
2003/3/16

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