御正体山百蔵山から望む早春の御正体山;中景は道志二十六夜山

御正体山(みしょうたいさん)は道志山塊の最高峰で、北隣の秋山山稜は言うに及ばず、南隣の丹沢山塊にもこれを抜く高さはない。ずっしりとした量感もあって周辺の山地から眺めるとひときわ目立ち、空の高みに浮かぶ姿には風格が漂う。その姿に惹かれてか近世には山中で即身成仏した僧があり、その遺体はしばらくのあいだ稜線上の宮に安置されていたという。峰宮と呼ばれるその場所にお堂が建っていた頃には参詣に山を登るひとの姿も少なくなかったらしい。


魅力的に思える御正体山だが、残念ながらわたしとの相性はよくない。この山へはまず秋の盛りに訪れた。北麓の三輪神社から登って山頂を踏み、そのまま南方の山伏峠まで縦断したが、とらえどころのない、はっきりしない山だと思えてしかたがなかった。樹林のなかの登高に終始する北面に対して南の尾根歩きには開けたところもあり、変化がないわけではなかったが、山体の大きさに比べてコース上のアクセントが少なく思えるのだった。
しかしどうも納得できなかったので、桜の季節に道坂峠から取り付き、ヤブ気味の道志主稜線を辿って正面にこの山を仰ぎながら高度を稼いでいった。山頂からは前回に登った道筋を逆に下ってみたが、やはり重厚な山姿から予想するものと歩いてみての感触は一致しない。かなり歩いたにもかかわらず、いつのまにか山行が終わっているの感がぬぐえなかった。
山は全身を樹木に覆われ、本峰を登り出すと急斜面に開ける展望地の一つもない。だがそればかりでは山を下ってきて感じる「つかみ所のなさ」の理由には足らない。御正体山は樹齢を重ねたツガ、モミ、ハリモミ、ミズナラ、ブナなど針葉・広葉混交林の代表的地域とのことで、自然状態が良好に保たれている山だという。登りの労苦が高じて目を開けていながら何も見ていない状態になれば、どのような豊かさも感じ取ることはできなくなる。歩き方の問題なのかもしれない。
もう少しゆっくり歩いて見方を変え、異なった側面から経験していかないと、わかった気にさえなれないのだろう。この山を訪れるのはいわば自分の心のゆとりを試すことになりそうだ。ちょっと怖い気もするが、それでもまた訪れることと思う。
2000/10/8、2001/4/9

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue