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「被団協」新聞2026年1月号(564号)

2026年1月号 主な内容
1面 日本政府は核兵器禁止条約に参加を! 300万余の国民の声
2面 年頭所感 諦めることなく対話を 代表委員 田中熙巳
"今すぐに"の思い込め 被爆者が、団体代表が、声に出し訴え
被団協の運動と介護問題学ぶ 中央相談所講習会 九州ブロック
中央相談所発行の相談ガイドブック
3面 活動広げる決意新たに 核廃絶ネットみやぎが総会
署名の訴えに高校生も 千葉
ヒバクシャの話を聞こう 明石
「核軍縮推進」超党派勉強会発足 11月25日に第1回 8党が参加
非核水夫の海上通信(257)
4~5面 ノーベル平和賞から1年 結成70周年を迎える日本被団協
7面 日米市民で核実験指示に抗議 アメリカ・シカゴで証言活動 田中 聰司
「行動が必要と実感」 学生主催の講演会 埼玉大
投稿 私の世代の責任(3)
8面 相談のまど
 費用を払っての介護手当
 交通費や時給など、どのように請求を?

原稿募集

 

日本政府は核兵器禁止条約に参加を!
300万余の国民の声

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 日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める署名の共同提出が11月21日、東京・永田町の星稜会館で行なわれました。同趣旨の署名に取り組む、日本被団協ほか各団体の署名累計344万9012人分が集約され、
外務省軍縮不拡散・科学部の松本恭典審議官に手渡されました。壇上にはこれまで日本被団協が保管してきた署名と新たに届けられた署名が積み上げられ、会場は北海道から沖縄まで全国から集まった約320人の参加者で埋まりました(写真上)。
 「#被爆者とともに」を合言葉に、各地で写真を撮りSNSにあげる取り組みでは、23都府県と米カリフォルニア、ノルウェーノーベル平和センターから写真が寄せられました(写真下)。
(2面に関連記事)


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年頭所感
諦めることなく対話を
代表委員 田中 熙巳

 思いもかけなかった2024年ノーベル平和賞の受賞からあっという間に1年が過ぎました。
 私たちはこの1年、全国で、また海外へも出かけ、数多くの講演やインタビューをとおして、原爆被害の実相の証言とその普及の重要性を語り、核兵器も戦争もない世界の実現を訴えました。しかし、期待した大きな前進は見られません。
 核の威嚇も行なわれたウクライナやガザの戦争はいまだ収束せず、核戦争の危機も去っていません。しかも核保有国とその同盟国は、日本を含めて核兵器禁止条約に背を向けたままです。それどころか就任したばかりの高市早苗首相は「国是」としてきた非核三原則の見直しをほのめかしました。非核三原則は核兵器禁止条約で定める7項目の禁止行為の中に含まれています。今こそ日本がこの条約に速やかに参加することが、世界から求められています。
 日本被団協結成70周年の今年、国内外の世論を変えるために、私たちは諦めることなく対話を起こし、ひろげましょう。
 年頭にあたり、決意を新たにしています。


"今すぐに"の思い込め
被爆者が、団体代表が、声に出し訴え

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署名を外務省の松本審議官(右)に手渡す、
(左から)原水禁の谷事務局長、原水協の安井事務局長、日本被団協の濱住事務局長

 日本被団協は11月21日、日本原水協や原水禁国民会議など核兵器廃絶を求めて活動する団体や市民と共に、東京・永田町の星稜会館ホールで「日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める署名」共同提出のつどいを行ないました。
 全国から各県被団協関係者91人を含む約320人が参加し、会場は満席でした。主催者あいさつで田中熙巳代表委員は、非核三原則の見直しを言及する高市政権に対し、「今の政府を何とかしないといけない」と発言。さらに「(核兵器という)悪魔の道具で国を守ろうと考えているのか」と厳しく批判しました。
 5つの政党の国会議員が参加し、各党を代表して日本共産党書記局長の小池晃参院議員、国民民主党の西岡秀子衆院議員、立憲民主党代表代行の近藤正一衆院議員、公明党の平林晃衆院議員、れいわ新選組共同代表の櫛淵万里衆院議員(到着順)が挨拶しました。自民党からは寺田稔衆院議員の代理として秘書が、社民党から幹事長が出席。続いて全国首長九条の会共同代表の保坂展人世田谷区長の挨拶、作曲家池辺晋一郎さんと漫画家ちばてつやさんからのメッセージ紹介の後、署名集約数「3449012」が発表され、会場全体で記念撮影をしました(1面に写真)。
 壇上に積み上げられた署名の前で、日本政府を代表して訪れた外務省軍縮不拡散・科学部の松本恭典審議官に署名提出。日本被団協、原水禁、原水協の各事務局長を皮切りに、全国各ブロックの被爆者代表、日本生協連など8つの団体が、次々に日本政府や高市早苗総理への要望を述べて手渡しました。
 その後場所を議員会館前に移し、街灯がともる寒空のなか700人余が集まり賑やかに集会を開きました。日本被団協の濱住治郎事務局長は「核兵器禁止条約に日本が速やかに署名・批准するよう決断を求めていこう」と呼びかけ、駆け付けた国会議員のあいさつの後に8人の被爆者がリレートークを行ない、非核三原則見直しへの抗議や日本の核兵器禁止条約への参加を強く訴えました。

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被団協の運動と介護問題学ぶ
中央相談所講習会
九州ブロック

 日本被団協原爆被爆者中央相談所の九州ブロック講習会が12月3日、福岡県教育会館で開催され、九州沖縄の各地から50人が参加しました。被爆二世交流会を同日開催したこともあり、二世の参加が21人と多くなりました。開催場所は各地から集まりやすい福岡にし、運営は大分県被団協が担当しました。
 第一部は、日本被団協の田中重光代表委員が「被爆80年 日本被団協の歩んできた道、そしてこれから」と題して講話を行ないました。原爆投下後、長年放置されていた被爆者が、やがて被団協に結集して運動を続けた歴史を語られました。国家補償を行わず、核兵器禁止条約にも参加しない日本政府を動かす必要があり、今後、被爆二世、三世が中心になって運動を継承し、核兵器廃絶を目指して国際的役割を果たしていくことの大切さを訴えました。
 第二部は、中央相談所の原玲子相談員が「被爆者の援護・介護問題」について話しました。医療・介護の給付削減が進む中でも、より被爆者や家族介護者の生活保障を図れる方策など、多くの示唆をいただきました。
(岡田倫明)


中央相談所発行の相談ガイドブック

『被爆者相談のための問答集』(相談ガイドブック№30<改訂版>)
 現行法による被爆者施策のうち、介護に関することを除き、詳しく解説しています。「介護編」と合わせての活用を。
『被爆者相談のための問答集<介護編>』(相談ガイドブック№31)
 被爆者独自の介護手当の内容や介護保険サービスについて、詳しく解説しています。
『被爆者のための相談のまど』(相談ガイドブック№32)
 「被団協」新聞に連載中の「相談のまど」に掲載されたものを中心に、具体的事例にもとづく相談内容をまとめました。

 以上、すべてA5判、400円、送料別。お申し込みは日本被団協へ。


活動広げる決意新たに
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核廃絶ネットみやぎが総会

 11月22日、仙台市戦災復興記念館で核兵器廃絶ネットワークみやぎ講演会と第4回総会を開催、36人が参加しました。
 木村緋紗子代表が「みなさんの思いを力に、しっかりと運動を進めていかなければならない」と力強くあいさつ。続いて宮城県議会議員の佐々木功悦氏が「ノーベル平和賞を力に核兵器のない世界の実現を~被爆体験の継承と未来に向けて」と題して講演。政治に携わりながら平和活動を続けてきた55年間を振り返り、地域から核兵器廃絶を訴える運動の重要性などが話され、平和への思いを共有できました。
 総会では、署名活動の到達や自治体への意見書採択の働きかけ、被爆80年祈念イベント、市民へのアピールなど今期の取り組みを報告。核兵器を巡る国際情勢が緊迫する中、署名行動や自治体への働きかけを強めていくことを確認しました。
 総会後には新たな個人加盟もあり、一歩ずつでも着実に運動が前進していることを実感。活動をさらに広げる決意を新たにする場となりました。(核廃絶ネットみやぎ)


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署名の訴えに高校生も

千葉

 千葉県原爆被爆者友愛会も参加する「日本政府が核兵器禁止条約に署名、批准することを求める千葉の会」は10月30日、11回目の署名行動をJR柏駅東口タブルデッキで26人の参加で実施しました。歌声グループがギター演奏と歌で通りゆく人々の足を止める雰囲気をつくってくれました。各団体によるリレートークで「唯一の戦争被爆国である日本こそ、核兵器廃絶の先頭に立ち、世界をリードすべきだ」と力強く訴えました。
 千葉県友愛会からは、被爆者、2世、賛助会員の5人が参加し、タスキをかけて署名への協力を呼びかけました。市民の関心は高く、下校途中の高校生グループも立ち止まり快く署名に応じてくれ、77筆の署名と13400円の募金が寄せられました。(荒木忠直)


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ヒバクシャの話を聞こう

明石

 11月23日アスピア明石で、明石市原爆被害者の会、加古川市原爆被害者の会、兵庫県被爆二世の会が共催で、第4回明石「ヒバクシャの話をきこう」を開き、38人が集まりました。
 被爆当時国民学校2年生だった定森要三さん、「学徒動員で市の中心で被爆した中学1~2年生が、3キロの道を歩いて己斐町まで歩いてきた。全員が全身火傷の悲惨な姿が、目に焼き付いている」と語りました。
 広島の被爆体験伝承者の鎌田真さんは、原爆孤児・川本省三さんの体験と平和への願いを話しました。「川本さんの生きる支えは、亡くなったお母さんの『お前はやればできる』の言葉だった。原爆孤児は、実際の数もわからないままだ」。
 最後に集合写真を撮り「#被爆者とともに」全国アピールに参加しました。(中村典子)


「核軍縮推進」超党派勉強会発足
11月25日に第1回 8党が参加

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 「核軍縮推進」超党派勉強会が、11月25日に発足、第1回勉強会が開かれました。代表世話人に森本真治参院議員(立憲・写真左)、平木大作参院議員(公明)、福島みずほ参院議員(社民)の3人、世話人に寺田稔衆院議員(自民)、金子道仁参院議員(維新)、西岡秀子衆院議員(国民)、吉良よし子参院議員(共産)、櫛淵万里衆院議員(れいわ)の5人。
 勉強会には各世話人のほか各党の議員が参加。日本被団協の田中熙巳代表委員ほかが来賓として招かれました。
 田中代表委員は挨拶で「10月の各党要請で、超党派議員懇談会を作ってほしい、と申し入れた。今日は勉強会を立ち上げられたが、ここで話されたことを活かし、議会の中で核兵器禁止条約に参加する空気を作ってほしい。来年の条約再検討会議に、日本は締約国として参加してほしい」と述べました(写真右)。
 これを受け森本代表世話人は「被団協と連携し結果を出していきたい。国会内世論を高めていきたい」と話しました。
 勉強会は毎月の開催を予定しています。


ノーベル平和賞から1年
結成70周年を迎える日本被団協

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厚生省前すわりこみテント内
(1980.11)
原爆の非人道性と国の戦争責任を裁く国民法廷
(1981.7.11)

 被爆者は、自分の体験を柱にしながら、‘あの日’と‘その後’に原爆が人間にもたらした被害を国内外の人々に語ってきました。それはなによりも、自分たちのような苦しみが子や孫はもちろん、世界中の誰にもくりかえされないことを願うからでした。その被爆者の願いの結晶が日本被団協が1984年に策定した「原爆被害者の基本要求」です。
 基本要求はふたたび被爆者をつくらないための道筋が「核戦争をおこすな、核兵器なくせ」「原爆被害への国家補償」の二大要求の実現であることを明らかにし、被爆者運動の‘憲法’として多くの人々の支持を得てきました。しかし、基本要求は今も実現していません。ウクライナやガザの戦争で核兵器の威嚇が行なわれ、使用の瀬戸際という状況にあります。
 今年、日本被団協結成70周年を迎えるにあたって、日本被団協の運動が目指すもの、求めるもの、運動の意味を考えます。

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受忍論は棄民の思想
対峙の歩み止めることなく
直野 章子


 核兵器廃絶と原爆被害に対する国家補償。被団協が結成当初から掲げてきた二大要求だ。核兵器廃絶に向けた被爆者の長年の努力はノーベル平和賞授賞という形で評価されたが、国家補償を求める運動は国際的に認知されていない。2024年12月の授賞式で田中煕巳代表委員は、政府が国家補償を拒み続け、死者への償いもないと訴えた。ネット上で「金目当て」という心ない言葉もみられたように、国内においても、被爆者の闘いが理解されているとは言い難い。被爆者の要求は、尊厳ある生を求める私たちの願いと地続きであることが、もっと知られるべきだろう。
 被団協は一貫して被害に対する国家補償を求めてきた。結成から間もない時期には、軍人軍属とその遺族への補償制度である戦傷病者戦没者遺族等援護法(1952年)をひな形として、原爆被害者援護法を要求した。それが戦争被害に対する唯一の国家補償制度だったからだ。しかし、遺族等援護法は、被団協が求める国家補償とは大きく異なり、「お国のために」貢献したと国家が認める被害者に対して援護を行なう。それに対して被団協が求めるのは、被害に対する償いなのだ。
 原爆医療法に始まる被爆者への援護制度は、放射線による晩発性の健康被害という特殊な被害にかんがみ、医療や福祉の援護を行なうものであって、原爆被害を招いた責任を認め、被害を補償するものではない。
 被団協は「原爆被害者の基本要求」(1984年)で、「反人間的な原爆被害が戦争の結果生じたものである以上、その被害の補償が戦争を遂行した国の責任で行われなければならない」と訴え、原爆被害への補償制度が「核戦争を拒否する権利」を打ち立てることにつながると意味づけた。これは、受忍論への反論でもあった。
 受忍論とは、戦争という国家の非常事態下では、生命、身体、財産に被害が生じたとしても、それは、全ての国民が耐え忍ぶべきやむを得ない犠牲であり、国に被害を補償する義務はないという考え方だ。しかし実際には、軍人軍属とその遺族らには60兆円もの国家予算が費やされてきた。空襲被害者や戦争孤児等は受忍を強いられ、敗戦から80年間、放置されたままであるのと対照的だ。
 受忍論は戦争被害に対してのみ用いられる論理ではない。共同体を維持するためには、多少の犠牲は致し方ないと少数者を切り捨てる。受忍論は棄民の思想なのだ。そう考えると、受忍論は社会のあちこちに顔を覗かせている。
 被爆者運動は受忍論と対峙し、歩みを止めることはなかった。私たちも、続かなければならない。打ち捨てられ、踏みつけられる生を拒否するために。(なおの・あきこ 京都大学教授)

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日本被団協の歩みと願い
国内外に訴えつづける
濱住 治郎


 ノーベル平和賞受賞から一年。受賞を聞いた時の驚き、お祝いの電話やメールをいただいた喜びが昨日のことのように思い出されます。それからあっという間の一年。日本被団協と各都道府県被団協は取材や講演に国内外で奔走しました。日本被団協には400件を超える依頼がありました。
 この受賞で日本被団協が、日本はもとより世界に知られることになりました。講演や取材の依頼では、被爆体験とともに「日本被団協とは」や「日本被団協のあゆみ」を知りたいという要望が多くありました。
 また、「国家補償」とは何ですかと、子どもからの質問もあり、「結成宣言」「原爆被害者の基本要求」「核兵器禁止条約」などについても多く話しました。毎月行なわれている「核兵器禁止条約に日本政府の署名、批准を求める」街頭での署名行動も、受賞後、被爆者の呼びかけに市民や大学生、高校生なども応えてくれるようになり、署名数が増えたと言われています。
 核保有国など海外での証言の機会を積極的に行なうことを2025年度の運動方針に掲げましたが、25年1月から12月にかけ、スペイン、イタリア、フランス、ドイツ、アメリカ、韓国などからの招聘に応えました。また、オンラインでの講演や証言、研究集会へのメッセージなどに応じてきました。市民、大学生、高校生、児童、労働組合、議員などと交流しました。そこでは、放射線の影響、原爆投下後とその後の影響、アメリカの投下責任、核兵器禁止条約についてなどの質問が出され、原爆が人間に何をもたらしたかを知りたい、聞きたいという人々が、核保有国、非保有国に関わらず多く存在し、訪問地で受賞への祝意とエールを贈ってくれており、ノーベル賞の歴史と重みを感じさせてくれています。
 一方、証言の掘り起こしと語り継ぎを25年の運動方針にしています。まだ、何らかの理由で自分の被爆体験とその後の体験を記したり、語ったりできなかった被爆者がいます。被爆二世、三世、支援者の団体、個人の方々にも掘り起こしに参加していただきたい。
 被爆時の年齢が低い被爆者が多くなっている現在、被爆者自身が被爆者運動についてしっかり学び、受け継ぐことが大事です。10万人を割った被爆者ですが、それぞれ何ができるか考え、核兵器も戦争もない世界の人間社会にむけて、核兵器の反人間性、核兵器と人間は共存できないことを、国の内外で訴えていくことが、今求められていると思います。(はますみ・じろう 日本被団協事務局長)

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核禁条約発効から4年
日本と核保有国の参加を
大久保 賢一


 核兵器禁止条約(以下、核禁条約)が採択されたのは2017年7月。発効したのは21年1月です。25年9月現在、署名国と加入国は99カ国、そのうち加盟国(批准・加入)は74カ国となっています。加盟可能な国は196なので、条約に参加しようとする国は過半数を超えたことになります。核禁条約は着実に成長しているのです。
 けれども、核兵器保有国や日本など核兵器依存国は核禁条約を敵視しています。「核抑止力を否定する核禁条約は自国の安全を危うくする」という理由です。彼らは核兵器の使用は「全人類に惨害をもたらす」(NPT=核兵器不拡散条約前文)ことを知りながら、核兵器をなくそうとしていないのです。だから「核兵器も戦争もない世界」の実現は困難な状況にあるのです。
 では、その困難をどのように克服すればいいのでしょうか。
 私は核禁条約の到達点を確認しそれを高めていくことだと考えています。核禁条約への参加国が増えているだけではなく、これまでに3回の締約国会議が開催され、そこでは「核抑止論」は誤った理論と断定されています。そして「核兵器の完全、検証可能かつ不可逆的な廃絶は、単なる願望ではなく、世界の安全と人類の生存にとって不可避の要請」とされ、それは「すべての国をこの条約に参加させ、すべての核弾頭を解体し、影響を受けたすべてのコミュニティに正義をもたらし、核兵器の時代を永遠に終わらせる」ことによって実現できるとしています。核兵器廃絶は「不可避の要請」とされているのです。
 核禁条約の前文は「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)と核実験によって影響を受けた人々にもたらされた受け入れ難い苦しみと危害に留意する」、「国連や国際赤十字・赤新月運動、その他の国際・地域の機構、非政府組織、宗教指導者、国会議員、学界ならびにヒバクシャによる目標達成への努力を認識する」としています。締約国会議は「広島と長崎の人々に対する核兵器の破滅的な影響を厳粛に想起」するとしています。
 このように核禁条約は「ヒバクシャの受け入れがたい苦しみ」と「ヒバクシャの努力」によって創られてきたのです。被爆体験を語り核兵器の廃絶を求め続ける努力が、世界をここまで動かしてきたのです。そのことに確信を持ってください。これを続けてください。私たちも共に歩みます。
 2026年11~12月に予定されている核禁条約第1回再検討会議に向け、日本政府はもとより核兵器保有国を核禁条約に参加させるための闘いを続けましょう。(おおくぼ・けんいち 日本反核法律家協会会長)

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国連での初の原爆展(2005.5) 核兵器禁止条約採択(2017.7.7)
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ヒバクシャ国際署名発足(2016.4.27) 日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める
署名提出集会(2025.11.21)

日米市民で核実験指示に抗議
アメリカ・シカゴで証言活動
田中 聰司

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 10月26日から11月2日までの8日間、米国中西部の中核都市シカゴの各地で証言活動、反核行動を重ね、学識者たちと今後の協働計画を話し合いました。
 シカゴ在住の宮本ゆき・デュポール大教授(倫理学)=被爆2世=の招きで訪米。同大をはじめシカゴ大、ロヨラ大、中学校など7カ所で被爆体験を語り、核廃絶を訴えて交流しました。
 ヒロシマ・ナガサキを学んでいる子ども、学生が多い場を訪れたこともあってか、核抑止論教育に疑問を持つ声が意外に多かったことに意を強くしました。セミナー参加や学識者との意見交換で、原爆被害を掘り下げて学ぶ熱心な姿勢に期待を抱きました。
 「人類最後の日」までの残り時間を示す「終末時計」を制作、発表している『原子力科学者会報』の拠点事務所はシカゴ大学にあります。宮本教授と同事務所を訪ね、中心メンバーのダニエル・ホルツ博士(物理学)と面談しました(写真左)。この時計は原爆投下2年後の1947年、核リスクの監視、核兵器の安全管理を目的に誕生。7分からスタートした残り時間は今、これまでで最短の89秒。核危機の深まりを反映しています。
 戦争、地球環境などの要素も指標にして科学者たちの合議で残り時間が決められていますが、ホルツ博士は「人類生存の岐路」と憂慮。時計が出来て80年の節目となる2027年に「針を逆戻りさせる」ための取り組みを、被爆者と学者たちの協働で計画することを申し合わせ、日本被団協の参画を要請されました。
 活動のさ中、トランプ大統領が核実験の実施を指示したニュースが流れ、黙って帰国できないと宮本教授らに相談。被爆者と学者らの連名による「被爆80年・日米反核同盟(仮称)有志一同」で、実験指示の撤回を求める声明を日米両国語で発表しました(写真右)。
 シカゴ大キャンパスで土曜日に急きょ開いた集会でしたが、学生、市民も加わって20人の輪ができ、今後、この組織を軸に、米政府に核兵器禁止条約への参加を求めるなどの要請行動を検討することになったのは成果です。終末時計を背に生まれた日米連携の2つの芽を今後につなぎたいと念じながら帰国しました。


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「行動が必要と実感」
学生主催の講演会 埼玉大

 11月17日、埼玉大学で6人の学生が主催者となった「田中煕巳さんに学ぶ~継承のための学習」が開かれました。チラシを作成し、自分が出席している講座で教授などの了解を得てもらって宣伝し参加者を募りました。
 当日は会場いっぱいの130人を超える学生が集まり、「核兵器は戦争をする武器ではなく、悪魔の道具。平和をつくるには仲間と本気の対話をしてほしい」と訴えた田中煕巳さんの講演に熱心に耳を傾け、話し合いや質疑も活発に行なわれました。主催した学生は、「あまり集まらないのではと不安でしたが、口には出さないだけで関心のある学生は多いのだと感じました。この学習会が自分の考えと向き合い、これからを考えるきっかけになってくれたら嬉しい」「改めて戦争や平和について考える機会となり、知らないことがまだたくさんあると感じました。学習会の運営を自分にできるとは思っていませんでしたが、行動することが必要だと実感、またやってみたいと思いました」などの感想を寄せました。(佐々木孝夫)


投稿 私の世代の責任(3)
ソフィア・サンダース(米国)

 (前号からつづき)「自分の話を聞いてもらうには、まず双方の被害を認めることが大事」ということでした。
 箕牧さんは、ワシントンDCの高校で被爆証言を行った際、初めに日本の真珠湾攻撃について心から謝罪されたそうです。そのことによって、アメリカの学生たちがもっと心を開いて被爆体験に耳を傾けてくれ、戦争は一方だけでなく、全ての人に被害を及ぼすことを理解してくれた、ということでした。
 その日の午後は、国連ユニタールと広島県が開催した「国際平和のためのユース対話イベント」に参加させていただきました。日本の高校生の皆さんが、平和な世界を実現するために何をすべきかを提案し、真剣に取り組んでいる姿にはとても感化されました。
 イベントの司会をされた国連事務次長のミシェル・ジャイルズ=マクドノーさんに、アメリカで第二次世界大戦関係のいくつかの本が禁書になっていることについてご意見を聞くと、それでも被爆者の体験を語り継ぐことを絶やさないことが重要だということでした。
 8月6日は、私にとってはとても長い1日で、夜の11時に疲れ果てて部屋に戻り、テレビをつけてみると、朝お会いした箕牧さんがまだ原爆ドームの前でライブ中継でお話しされているのが映し出されました。私よりも65歳もお年なのに、なんという原動力をお持ちなのでしょうか。そんな箕牧さんを見て、自分ももっと努力しなければいけないと思わずにはいられませんでした。
 今回のリサーチの一連のインタビューで直接聞いたお話は、どれも私の心に深く刺さりました。そして、アメリカの若い世代が戦争を理解するには、アメリカと日本双方の情報を平等に教科書に載せ、全生徒が読む必要があると思いました。
 私たちは、SNSを通じて、誤った情報が簡単に広まる時代に生きています。そして多くの若者が、ますます歴史や事実に対する認識を失いつつあります。
 歴史を語り継ぐことや教育を通じて、私たちはグローバル市民として戦争のない世界の実現に向けて一緒に努力していくべきだと思います。
(おわり)


相談のまど
費用を払っての介護手当
交通費や時給など、どのように請求を?

 【問】別居している親の介護をしています。今回、主治医と相談して介護手当の申請をすることにしました。
 その場合、介護のために通う交通費をすべて請求してもいいのでしょうか。また介護の時給を決める時、最低賃金額を守らないといけませんか。

*  *  *

【答】費用を払っての介護手当の月額は、被爆者の障害が中度の場合の限度額7万1200円、重度の場合10万6820円と決まっています。介護に通うための交通費と人件費を含んだ金額で、独自加算がある東京を除いて、これを超える額は支給されません。
 「時給は最低賃金を守らないといけないのか」とのことですが、介護手当には特に人件費の決まりはありません。介護事業所等から派遣されるヘルパーサービスでなく、別居している家族が介護する場合や、支援の方、友人などにお願いする場合は、限度額の中で話し合って決めればいいと思います。交通費の負担が大きければ、人件費が安くなる場合も出てくると思います。もちろん自己負担できるのでしたら限度額を超えて支払ってもいいと思いますが、期限が決められない介護では、やはり負担が大きくなっていくと思います。家族以外の人に介護をお願いするに当たっては、介護手当の制度ではこれだけしか支給されないということをきちんと伝え、その限度枠内でも引き受けてもらえるかどうか相談が必要でしょう。
 介護手当の申請には主治医の診断書が必要で、それによって中度障害か重度障害かが決まり、手当の限度額も違ってきます。中度障害で介護を続けるうちに状態が重くなったときは、主治医と相談して重度の介護手当に切り替える手続きをしてください。


原稿募集

 「被団協」新聞に、原稿をお寄せください。
 身近な話題、本や映画・演劇の感想、新聞やテレビやラジオなどの報道で感じたこと、署名活動や証言活動の報告、開催予定のイベントの告知など。活動の報告には写真もお願いします。
 「『原爆被害者の基本要求』を読んで」や、『被爆者からあなたに』(岩波ブックレット)の感想もお待ちしています。「被団協」新聞の感想も、気軽にお送りください。
 氏名、年齢、住所、電話番号を明記して、郵送かEメールまたはFAXで。写真はEメールに添付かプリントの郵送を。