長崎・城山国民学校 爆心地から500m 撮影:松本栄一 1945年9月 〈提供:朝日新聞社〉 |
あの日(1945年8月6日、9日)の死者の65%は子ども、女性、老人でした(85年日本被団協原爆被害者調査から)。
ガザでは、死者の4割以上が子ども(地元当局発表、6月14日時点)。「この戦争は子どもに対する戦争。狭い地域のどこを攻撃しても子どもが殺されてしまう。ガザは『子どもたちの墓場』だ」(ユニセフのアデル・ホドル中東・北アフリカ地域事務所代表)
6月14日、米カリフォルニアにあるアメリカ創価大学主催の夏期講習の最終プログラムで、オンラインで話をしました。カリフォルニア各地の10大学から大学生、院生、高校生が参加した5日間のプログラムで、核兵器廃絶を目指す若者のネットワークを広げる研修でした。専門的に研究をしている人、既に活動をしている人などを含み、当日は私の30分の話の後、多くの質問が出ました。
核兵器が安全保障に役立つか、核兵器の長期的影響は、原爆を落としたアメリカへの感情、核兵器禁止条約は日本ではどのように捉えられているか、など。日本の若者と活動の交流をしたいという声もありました。
終了後、参加者がみな晴れ晴れとした顔をしていたと、プログラムの担当者から聞きました。
また、フルブライト奨学金でサンディエゴ大学院に通うパキスタン出身の学生の話として、「彼は渡米前、パキスタン首相直属の安全保障研究・提案を行なう政府機関に所属しており、インド・パキスタン両国の学者やエキスパートたちと仕事をしていた。彼は受講中真面目にすべてのイベントに参加。自分の考えを前面に出すことはなかったが、最終日に『自分は元々抑止理論派だったが、このプログラムで考えが変わった。ヒバクシャの話を聞けたことが一番心に響いた』と語った」とのこと。パキスタンの将来を担う人材に被爆者としての声を届けることができたのであれば、本当に嬉しいことです。
広島市に残る最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」の活用をめぐり、広島県被団協(箕牧智之理事長)など被爆者7団体の代表3人が7月12日、広島県庁を訪れ、被爆者運動の資料の保存・活用の拠点にするよう求める要望書を提出しました。
この被爆建物は4棟からなり、国、県、広島市でつくる研究会が保存・活用の在り方を検討しています。要望では、広島原爆資料館などが被爆の現物資料と体験記を中心にした施設で、収集能力にも限界がきていると指摘。被爆者の個人・組織の活動の資料(特に運動創成期の史料)を中心に収集、保存し、研究、教育、継承の場にするゾーンを設けるよう訴えています。広島被爆者団体連絡会議の田中聰司事務局長は「やがて被爆者も組織もなくなる。運動の足跡を集めて残し、引き継いでいくには公的な力が不可欠」と強調。要望書を受け取った県の担当者は「今後の検討の参考にさせてもらう」と応じました。(田中聰司)
(右から)C7運営委員の堀内葵さん、 C7シェルパのヴァレリア・エンミさん、 高橋さん |
6月にイタリアで開催されたG7サミットに向けて、多分野のNGOと「G7に市民社会の声を届けるプロジェクト」を立ち上げました。5月にローマに渡航し、市民版G7の「C7サミット」に参加、政策提言を行ないました。
渡航前に、広島の被爆者7団体の皆さんらと意見交換を行ない、「核抑止政策は許容できない。核兵器廃絶のみならず不戦・非戦を」とのメッセージを受けとっていました。現地では「核兵器廃絶」分科会に登壇。会場から「核軍縮広島ビジョンを日本の人はどう捉えているのか」と質問があり、意見交換会の様子を伝えました。終了後、核保有国インドの学生が「国の視点しか考えてこなかったが、被害者の視点が重要」と話しかけてくれました。
またローマ市内で開催された原爆展を訪ね、折り鶴を届けると、「連帯の証だね」と受け取ってくれ、直接訪ねる大切さも実感しました。今年9月にはSDGs促進をめざす「未来サミット」が国連で開催され、私も渡航します。平和へのメッセージを広げ続けます。(一般社団法人かたわら代表理事)
核兵器禁止条約の会・長崎は7月7日、核兵器禁止条約採択7周年のつどいを開きました。毎年の開催で7回目となります。炎天下、平和公園祈念像前に100人が参加しました。
原爆が投下された11時2分に平和の鐘を合図に全員で黙とうをささげた後、主催者を代表して柿田富美枝共同代表が開会宣言。続いて、まだ被爆者と認定されていない被爆体験者の代表や締約国会議に参加した被爆二世の会の代表らがあいさつしました。
当日は七夕で、大勢の子どもたちも参加し平和の思いをそれぞれ発表、それを短冊に書いて笹竹に結びました。少年少女合唱団やキッズコーラスに参加している子どもたちには、みんなで歌う「長崎の鐘」をリードしてもらいました。
長崎被災協の田中重光会長はテレビのインタビューで「これからの時代を担う子どもたちの参加は大歓迎。その活躍の様子は、被爆者はもとよりみんなに勇気と希望を与えるもの」とコメントしました。
近年の気候は異常で、今後の開催方法は検討が必要であると実感しました。(中川原芳紀)
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日本被団協は6月25日、衆議院第一議員会館で日本共産党に要請しました。21日の中央行動で日程が合わなかったため別日で行なったもの。日本被団協役員と首都圏および佐賀の各被団協の被爆者、被爆二世、支援者が参加しました。
田村智子委員長、小池晃書記局長ほか多数の国会議員が対応。被団協から、原爆被害への国家補償を実現すること、核兵器の禁止、廃絶を実現すること、被爆者の願いと被団協運動を知ること、政党と日本被団協が法律の制定について協議する場を設けることを要請しました。田村委員長は、「原爆被害への国家補償の意味をしっかり受け止めたい。どういう形で実現できるのか考えたい」などと答えました。
また被団協からは厚労省に要請している内容についても説明し、協力を求め、具体的事例についてはすぐに厚労省に問い合わせる、などの回答を得ました。
宮城県原爆被害者の会(はぎの会)主催の原爆パネル展が7月6~7日仙台福祉プラザにて行なわれました。
被爆体験者と高校生(広島・基町高校)との共同制作による原爆の絵と写真パネル「原爆と人間展」を展示、被災70年となるビキニ事件の資料を加え、宮城県在住の被爆者の証言をDVDで流すなど原爆被害の実相を数多く伝えました。
学校での案内チラシを見た家族連れや報道で知った方など約500人が来場しました。
「子どもが行きたいといったので連れてきました」「祖父母、両親から伝え聞いたことを、今度は自分が子どもたちに語るために来た」など、じっくりと見て回っていただきました。
会場には木村緋紗子さん(はぎの会会長)の体験を高校生が絵にした作品と記事があります。それを見て、2人の中学生が木村さんと直接お話ししたいと申し出てくれました。教科書だけでは伝えられないことを学び、全国の平和活動をしている中学生たちともつながって未来を歩んでほしいと思います。
「核廃絶のために、このような催しをぜひ続けてほしい」。
来場者の声に元気づけられた2日間でした。
(被爆二世・杉田良子)
青森県原爆被害者の会は7月13日、藤田和矩会長ほか5人の参加で拡大事務局会議を開き、下記の内容を検討しました。
まず会員の現況(物故者、年齢、同居者の有無や施設入所、手当受給、介護サービスの利用等)を確認。全員が何らかの手当を取得済みで、家族介護手当は3人が受給しています。
相談活動では、昨年度相談件数がのべ94件、今年4~6月もすでに35件(巡回訪問13件含む)の相談を受けています。
県人被爆者が語った被爆体験を次世代につなげる活動として、国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館「被爆者証言ビデオ」を活用し、9人の証言映像を県担当課ホームページに登録予定。また当会所蔵の書籍・DVD一覧表を作成、貸出方法を提示して、個人・学校・図書館・原爆展等行事で、活用してもらうようにします。これらの資料は最終的には県担当課等と相談し、公共施設等で保存の方向を検討していきます。
今後の予定=7月19~21日原爆展(JR青森駅市民美術展示館)、9月7~8日東北ブロック相談事業講習会(宮城)に参加、10月17日被爆ピアノコンサート(青森市新城中学校他)、10月18~21日国立長崎追悼祈念館主催「二重被爆の姉弟の体験」企画展に二重被爆者・福井絹代さん(辻村が付添)招請・参加
(辻村泰子)
証言活動の手引き書として、日本被団協の『証言活動のしおり』改訂版が好評です。
被爆者にいま語ってほしいこと(証言を聞く立場から)、証言活動での工夫、証言をしたときによく出される質問、被爆の証言(2003年版から再録)、証言活動の実例(1歳時被爆、胎内被爆、被爆二世)、集団証言の活動と脚本例、証言のための参考文献、資料と用語集、などを収録。
「よく出される質問」のところでは、原爆被害者の現状や被爆者の要求、二世三世に関すること、日米両政府の被爆者への対応、原爆投下の背景、真珠湾攻撃、原発について、などの説明が例示されています。
証言する人だけでなく、支援者や若い人たちが原爆被害と運動を学ぶ資料としてもご活用ください。A5判67+25ページ、700円(送料別)。お申し込みは日本被団協事務局まで。
2023年度(24年3月末)の被爆者健康手帳所持者数などが、厚生労働省から発表されました。手帳所持者は全国で10万6825人。前年度と比べ6824人の減少となりました。葬祭料の給付は8710件なので、「黒い雨」被害者など新たな手帳取得者も加わっての数字となりました。平均年齢は前年度から0・57歳上昇して85・58歳でした。
健康管理手当など諸手当の受給者数は合計9万7408人で、手帳所持者の91・2%でした。
都道府県別では、手帳所持者が6人の山形が最少、次いで秋田が12人、岩手が13人です。諸手当の受給率は秋田と青森が100%。介護手当と家族介護手当のどちらも支給件数が0のところが12道県ありました。
今年は「原爆被害者の基本要求」策定40周年です。日本被団協の運動資料の研究を進めている昭和女子大の「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」(他大学の学生含む)では、「原爆被害者の基本要求」をテーマに研究し昨年秋に学園祭で展示発表、今年5月には明治学院大学戸塚まつりで展示し、シンポジウムも開きました。そのパネルの一部を紹介し、同プロジェクトのメンバーに感想を寄せていただきました。
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「原爆被害者の基本要求」が策定された1984年11月17~18日の全国都道府県代表者会議の翌19日、中央行動の時に参加者から感想が寄せられました(写真)。抜粋して紹介します。
被団協の長い歩みに関して、『被爆者からあなたに』は一体何を語っているのか。一言で言えば、被爆者の人間回復や人権の保護のための闘いの視点から被団協の運動の主な展開を簡潔に振り返っている貴重なブックレットであると思う。
被爆者の運動の粘り強さやその要求の人道的・普遍的な理念に関して考えさせる。また、「こころ」・「くらし」・「いのち」の各側面における原爆被害を補償することが、人間の尊厳を肯定する行為として必要であると感じさせる。
被爆者の運動は、被爆者だけではなく、全ての「人間が人間らしく生きるために」不可欠な国内外対策の確立を目指してきた運動であると理解できる。また、国内外の市民社会にとっては、次の戦争を防ぎ、再び被爆者をつくらせないことを望んできた被爆者の運動から大きく学ぶ機会を与えるブックレットであると思う。
これから被爆者の運動の担い手になる若い世代に是非読んでいただきたい。大学などで原爆被害者問題について教える際に、参考書としても活用したい。
「原爆被害者の基本要求」についての報告 ――作成の経過と内容――
1984年11月17日日本被団協全国代表者会議(報告者=「要求骨子」検討委員会副委員長 吉田一人)から
◆「基本要求」の内容
「原爆被害者援護法をいますぐに」
<略>
この項には新たに、<その後、運動の成果として、原爆医療法、特別措置法が制定されましたが、最大の被害者である死没者についての補償はなく、諸手当の支給要件に所得制限規定を残すなど、とても被害への「国家補償」といえるものではありません>という説明が加わりました。これは、後の「被爆者の高齢化に伴う現行施策の改善要求」とも関連しますが、現行二法を合わせて一つにして「援護法」という名前をつければ、それが私たちが願っている援護法になるのか、そうじゃない、ということをここでは言っているのです。現行二法には死没者補償はありません。それから、被害が生じているのに所得が少し高いから手当は出さない、という所得制限がある。これは被害に対する補償、特に国家補償といえるものではない、ということです。
しかし、現行二法はほったらかしていていいのか、というと、そうではない。もっともっと改善していかなければならない課題はたくさんあります。それが、別の文書としてつくった「改善要求」です。
次に〔2 原爆被害者援護法の四つの柱〕。これは、この4つさえあれば、現在の「要求骨子」にある14項目の要求はいらない、ということではありません。「国家補償の援護法」という場合、その根本になるのは何なのか、という課題をしぼったのがこの4つなのです。この4項目は、援護法制定促進2千万国民署名ということで訴えてきた4項目、そのままです。
ただし、順序がちょっと入れ替わっています。「死没者補償」を前に持ってきたことです。死没者が原爆の最大の犠牲者であり、死没者補償が国家補償の最大の課題であるというのなら、これを前に持ってきた方がいい、という意見があり、検討委員会でそれはもっともだということになったのです。死没者補償の項では、<原爆の最大の犠牲者は死没者です。およそ被害補償制度にして、死没者補償をふくまないものはありえません>と言っています。これは、被害補償制度の一般的な原則を、原爆の問題だけではなく述べたものです。卑近な例でいえば、たとえば交通事故で死者、負傷者が出た場合、死んだ人のことはもうあきらめてください、負傷者には補償しますが……、ということは成り立つでしょうか。成り立ちません。死者にどのような補償をするのかという点が、補償の最大の問題点になります。それが、戦争の場合には「死んだ人はしょうがないんだ」と「受忍」させられている。ここのところを私たち被爆者は、戦争だったから、ということで、ああいう死に方をさせられた死没者への補償を決してないがしろにすることはできない。それは、ここをぬきにしては、生きている私たちも含めた、「ふたたび被爆者をつくらない」ための保証になるような援護法はできないのだ、ということを強調するために、ここの順序を入れ替えたということです。
遺族年金、被爆者年金という「年金」というかたちがどうなのか、というご意見もいくつかありました。これは、これまでの国民署名で訴えてきた経過、また、これに代わるどういうような補償制度が考えられるのか、という問題なども含めて、現在の段階で、被爆者の側からこの要求を取り下げる、つくり変えるということは妥当ではないだろう、ということで署名の4項目をそのまま取り入れました。
〔援護法制定の意義〕では、一つは、在外被爆者、外国人被爆者、および一般戦争被害者の問題に触れた部分は原案にはなかったこと。もう一つ大事なことは、<被爆者が求めているのは、原爆被害に対する「国としての償い」なのです。/被害に対する補償は、同じ被害を起こさせないための第一歩です>と言っている個所です。これは、国が原爆被害への補償をおこなうことによって、今日あるいは未来に起こされるかもしれない核戦争の被害を「受忍」させない保証になるんだ、ということを言っているんです。
【問】80歳を越えた母親(被爆者)が腰の痛みで医療機関を受診し、レントゲンをとったところ第4腰椎の圧迫骨折の診断を受けました。痛み止めを処方され、当分は安静にとのことでした。コルセットを作るようすすめられたので、注文して作ったところ、料金を自費請求されました。被爆者手帳が使えないのでしょうか。
* * *
【答】突然のことで大変でしたね。
今回、お母さんが作られたコルセットは治療用装具として認められている物ですが、現物給付ではなく償還払いの扱いになっています。いったん全額を支払って、必要な書類をそろえて保険者に手続きをすれば、保険給付内で療養費が支給されるという仕組みです。
必要な書類とは①療養費請求の申請書 ②医師の指示書 ③補装具製作事業者の領収書です。
お母さんの場合、後期高齢者医療保険に保険給付分(所得により9割か8割給付)を請求し、残りの額を被爆者健康手帳で請求します。
後期高齢者医療については区役所の担当課に申請します。被爆者健康手帳については保健所で「償還払い申請書」をもらって申請することになります。領収書や医師の指示書などはコピーで大丈夫です。それぞれから給付分が振り込まれることになり、最終的には自己負担はゼロになります。
治療用装具は対象となる装具について、厚労省告示で事細かく決められています。また、医師の指示がなければ購入しても請求することはできないので注意が必要です。
日本被団協原爆被爆者中央相談所では、3冊のガイドブックを発行しています。家族やケアマネジャーにも見せるなどしてご活用ください。
『被爆者相談のための問答集』(相談ガイドブック№30<改訂版>)
現行法による被爆者施策(医療費の公費助成や手当の給付など)のうち、介護に関することを除き、詳しく解説しています。
60ページ、400円。
『被爆者相談のための問答集<介護編>』(相談ガイドブック№31)
被爆者独自の介護手当の内容や介護保険サービスについて、条件や申請方法など詳しく解説しています。
85ページ、400円。
『被爆者のための相談のまど』(相談ガイドブック№32)
「被団協」新聞に連載中の「相談のまど」に掲載されたものを中心に、具体的事例にもとづいた相談内容をまとめました。
現行法による被爆者施策をまとめた「被爆者相談のための問答集№30<改訂版>」、介護に関する内容に特化した「被爆者相談のための問答集№31<介護編>」と併せての活用をおすすめします。
90ページ、400円。
<以上、すべてA5判、送料別>
被爆者・榎郷子さんの語りをもとに、佛教大学社会福祉学部2011年度黒岩ゼミの学生が文をまとめ、大学の教育支援費で冊子にしていたものが、新たに絵本として出版されました。挿絵は被爆者・鶴岡タカさん。後半に榎さんの証言も収録しています。「ゼミ生の絵本部分は拙いかもしれませんが彼らなりに創意工夫しています。鶴岡タカさんの絵が助けてくれています」と黒岩さん。
定価700円、送料110円。申し込みは、郵便振替用紙に住所氏名を記入し810円を左記に送金ください。口座番号=00990-2-280187 加入者名=平和ゼミ出版支援基金