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NGOセッションで発言する家島さん |
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イギリスのリドル軍縮大使と |
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ユースフュージョン代表と |
第11回NPT再検討会議(2026年)の第1回準備委員会が7月31日から8月11日、オーストリア・ウィーンの国連事務局で開催されました。日本被団協を代表して家島昌志代表理事が参加し、NGOセッションで発言しました。
議長による総括案は、核保有国に核兵器不使用の原則を順守するよう求めるものでしたが、イランが自国のウラン濃縮などを名指しされたことに反発し、これにロシアや中国が同調して採択は見送られました。
日本被団協代表として準備委員会に参加しました。会議3日目の8月2日に行なわれたNGOセッションで冒頭に発言を求められ、広島で被爆した体験を述べると共に、核兵器は人類と決して共存できない兵器であること、この準備会議において核兵器廃絶に向けての議論が進捗することを強く願うと訴えました。
広島の松井一實市長は、ロシアによるウクライナ侵攻で核兵器使用の威嚇が増す中、核抑止論が強調されることへの警告を、また長崎の鈴木史朗市長は、被爆の実相を知ることが核なき世界への出発点であるとして各国代表が被爆地を訪れることを求めました。
8月1日には多忙の中時間を割いていただき国連の中満泉軍縮担当上級代表と面談しました。
また、メキシコ、イギリス、ブラジルの政府代表や日本の小笠原一郎軍縮大使、オーストリアのクメント軍縮局長と面談し、核軍縮議論へ協力を訴えました。
会議の合間を縫って、長崎ユース代表団一行と、またユースフュージョン(各国で反核に取り組む若者ネットワーク)代表のヴァンダ・プロスコヴァさんとの面談もあり、被爆者の思いを述べると共に、若い力による核兵器廃絶への努力について協議し激励する機会になりました。
熱波に襲われているヨーロッパを覚悟して参加しましたが、予想に反して22~24度程度の快適な気候でまるで避暑地に行ったような感覚でこの期間を過ごせたことは幸いでした。皆様のご支援に感謝いたします。
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8月1日~6日、広島市の広島テレビ本社1階ホールで「ミライの平和活動展~テクノロジーでつながる世界~」が開催され、のべ1200人の参加がありました。東京大学大学院渡邉英徳研究室、日本生協連、広島県生協連、広島テレビ、日本被団協が主催。
デジタルツイン・ⅤRなどのテクノロジーを活用した新世代の平和活動コンテンツとともに、ウクライナの被災状況を伝える展示、日本被団協の国連原爆展パネル展示、広島テレビによる平和コンテンツ、「覚えておこう。G7広島サミット折り鶴キャンペーン」の展示などが体験できました。4~5日には、世界の子どもたちに支持されている「マインクラフト」を通して広島の歴史について理解を深める『教育版マインクラフトで広島の歴史を学ぼう』ワークショップ開催など、デジタルを組み合わせた新しいタイプの平和学習の機会となりました。
期間中は、一般の参加者を始めとして、全国の生協などの「原爆の日」関連行事参加者や、米国のブリンストン大学の学生らも訪れました。
「国連原爆展」パネルは会場の都合で全てのパネルを展示できませんでしたが、熱心に見入っている人が多くありました。日本被団協の木戸季市事務局長、濱住治郎事務局次長も参加し、展示内容の視察等を行ないました。(茂垣達也)
日本被団協が制作し国連本部ロビーで昨年展示した原爆展パネルがインターネットで「ノーモア ヒロシマナガサキ ミュージアム」として8月から公開されました。
日・英二カ国語で展開しており、パソコンやスマートフォンで見ることができます。パネル全48枚を画面上で本のページをめくるようにして1枚1枚表示され、ズームイン機能で拡大表示も可能です。著作権等の関係でダウンロードすることはできないので、見るためにはインターネットの環境が必要です。
パソコンからスクリーンや大型ビジョンにつなげて映すことができるので、証言の会や原爆展の会場での活用や、学校などでの学習教材にも活用できます。
インターネットで「ノーモア ヒロシマナガサキ ミュージアム」で検索するか、日本被団協ホームページの「更新情報」から入ることができます。
このインターネット公開の経費のため、クラウドファンディングによる募金を行なっています。日本被団協のホームページ「更新情報」から入ることができますが、銀行振込等の利用を希望される場合は、日本被団協かノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会までお問い合わせください。
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7月23日、仙台市戦災復興記念館で第37回宮城県原爆死没者追悼平和祈念式典を開催しました。県内在住の原爆被害者をはじめ、宮城県副知事、衆議院議員、宮城県議会および仙台市議会各会派の代表者など約70人が参加しました。
宮城県原爆被害者の会の木村緋紗子会長のあいさつ、合唱のあと中学生が平和宣言で「今、私たちが築き上げてきた平和が脅かされています。平和を簡単に捨ててはいけません。同じ失敗を繰り返してはいけません。今こそ歴史を振り返り今を見つめ、未来に繋げるべきです。僕も日々、小さくてもアクションを起こし続け、まだ見えない平和をつくっていきたい」と決意を述べました。つづく追悼の言葉では木村会長が「核兵器が無くなるまでたたかいつづけることを、原爆で非業の死を遂げられた方々の前で誓います」と訴え、日本政府の条約批准を求めました。(核兵器廃絶ネットワークみやぎ・藤田)
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愛媛県原爆被害者の会は7月30日、原水禁松山市民会議及び愛媛県原水協との3団体共催で、石手川公園内の「原爆死没者慰霊碑」前で原爆死没者合同慰霊祭を挙行しました。被爆75年を機に始まった3団体共催の慰霊祭ですが、これまではコロナ禍により参加者を限定し開催時間も短縮せざるを得ず、今年は初めて市民に開かれた慰霊祭となりました。
主催者挨拶の後、愛媛県知事並びに松山市長の追悼のことば(代読)が捧げられ、初めて「高校生の平和祈念メッセージ」があり、松山東雲高校の女子生徒5人が参加。1年生の西川舞奈さんが訴えました。その後参列者一同が献花しました。(松浦秀人)
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神戸市原爆被害者の会は8月3日~8日、JR神戸駅地下で原爆展を開催しました。
昨年から広島の基町高校生徒による絵を中心に原爆展を開催しております。絵の訴える力が凄いという評価もあります。近くに遊戯施設もあり夏休み中とあって家族連れが多く見られまれした。子どもに親が絵を見せながら説明する場面も多くこのような機会を持ってもらえたのは良かったなと思います。
展示の準備には高校生平和大使にも参加してもらい、その後は被爆者の体験談を聞いてもらうなどの交流も出来ました。今回の来場者数は1073人、署名407筆でした。 (立川重則)
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鳥取県原爆被害者の会は今年も8月6日、鳥取県原爆死没者追悼・平和祈念式典を鳥取市内の会場で開催しました。主催者挨拶のほか、県知事などの追悼のことば、広島市長、長崎市長、日本被団協のメッセージなどを披露しました。会員の出席は9人(内2世が3人)に減少しましたが、今後も可能な限り式典を実施するように努めます。
7月29日~30日には、「子どもたちにつなぐ平和展」を新日本婦人の会鳥取支部とともに主催しました。原爆写真、ウクライナの被災写真、基町高校生が描いた絵の展示のほか、沖縄戦の遺品収集に当たっておられる方のお話を聴き、数々の展示品を見たり触ったりしました。沖縄戦の悲惨さは原爆被害に引けを取りません。講師の方は現在も沖縄の各地の洞窟などを探索して遺骨や遺品などの収集活動をされており、沖縄市民の置かれた状況に対して、具体的な「もの」を見ることで考えを深くしました。
7月10日は、「平和行進交流集会」に石川が出席して被爆体験や核兵器廃絶などに関して発言し、意見交換をしました(鳥取医療生協)。多くの団体から若い人が参加しており、戦争経験がない世代の人たちに建物疎開に動員された女学生の話もしました。ほとんどが被爆死した中たまたま生き残り友人の遺品をその親に届けたとき「あなただけ生き残って」と言われた話…双方にとって余りに残酷な言葉ではあります。聴き手にはこのような状況を想像し、理解して、平和を考えて欲しいと思っています。
(石川行弘)
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今年度の岩手県原爆死没者慰霊事業を8月5日~6日の二日間、金ヶ崎町で開催しました。
県内の町村(市を除く)で被爆者が居るのは2町だけ、その一つが金ケ崎町です。在住の宮舘ツヤさん(97歳)は、被爆50年の記念誌「岩手の被爆者は願う」にも寄稿しています。5日の原爆死没者追悼式典に参列予定でしたが、事故にあい実現できませんでした。
式典は、追悼の言葉、遺族代表の言葉、高校生平和大使のスピーチ、地元高等学校生徒による追悼の合唱もありました。
原爆パネル展には189人、映画「はだしのゲン」観賞に94人、被爆体験を語る会には45人が参加。どの会場にも親子の姿が目立ちました。
6日の高校生によるトークセッションでは、被爆者の願いの継承、核兵器禁止、平和と戦争への思いが語られました。
この事業に、地元の高校から延べ40人を超える生徒がボランティアとして参加。次のような感想が寄せられました。
「初めてボランティアをさせて戴きました。パネル展を観賞し胸が痛くなりました。どれも戦争の辛さを思い知らせてくれるようなものでした。決して戦争はなんであろうとしてはならない。この行事のボランティアで人と人との関りを知り、戦争は絶対やるものじゃないということを改めて感じた2日間でした」。
(下村次弘)
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G7サミット後初の原爆の日となった8月6日、広島の平和宣言は、サミットが発した広島ビジョンの核抑止論から脱却するよう求めましたが、岸田文雄首相は平和記念式典のあいさつでこのビジョンを土台に「核軍縮に向けた国際的な機運を盛り上げたい」と強調。核廃絶や核兵器禁止条約には触れず、失望の声が渦巻きました。
岸田首相は広島被爆者7団体の代表から要望を聞く会(写真)でも、条約の署名・批准と締約国会議へのオブザーバー参加の要請に応じませんでした。「核兵器国を条約に近づけることがわが国の責任」との見解を示し、世界の核被害者の援助(第6条)に核保有国とともに賛同をとの求めにも答えませんでした。
被爆者援護に関する要望は、黒い雨被害者の認定要件としている11疾病の撤廃、在朝被爆者や被爆2世・3世の現行法適用、被爆していない「原爆孤児」などの救済など。政府側は旧来の形式的答弁を繰り返して受け入れませんでした。
二つの原水爆禁止世界大会でも広島ビジョンへの怒りが高まり、核抑止政策に反対するメッセージが出されました。
(田中聰司)
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九州産業大学芸術学部の3人の学生が、福岡市原爆被害者の会所属の3人の被爆者の体験をそれぞれに聞き、絵画を完成しました。昨年秋からの取り組みで、学生たちは被爆地に赴き、資料で学んで感性を磨き、苦闘しつつ半年後には見事な協働作品となりました。
この活動のきっかけは、昨年開催した原爆展で広島市立基町高校の「原爆の絵」を展示したことです。福岡の被爆者の証言を地元の学生に絵にしてもらおうと、当会の証言活動委員会が主になって取り組みました。今後も芸術学部の大学生とのコラボレーションは続く予定です。
この3作品を展示した「78年目の原爆展」は、TVニュースでも放映され、来場者は例年の2倍となり、これらの絵画は多くの人に深い感銘を与えました。(石川晶子)
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北海道被爆者協会は今年も忙しい夏でした。地域の九条の会などの平和の集い、30回目の「原爆の火を囲む集い」や終戦記念日の平和行動で、被爆者が語り訴えました。
他方、多くのグループや個人が札幌の北海道ヒバクシャ会館を訪れました。民医連の学習会、新婦人の班や生活クラブ生協の皆さん、キリスト者ピースナインの皆さん等々が、被爆者の話を聞き展示を見ていきました。
北大、京大、広大などの大学教員グループには協会と会館の現状を事務局から説明、二世プラスの会の川去裕子さんが自身の思いと会の活動について話しました。
生徒の来館も目立ちました。東北北海道地区の高校YWCAのフィールドワーク、中学校の社会科研究部など。「後世に伝えるためにももっと資料や情報を集めたい」との感想も。広島で資料館を見てきた高校生は「どうやって平和について考えてもらうか考えている」と来館しました。
8月6日は百人余りが参加し原爆死没者追悼会(写真)。高校生の明日への誓い、フルート演奏、合唱…会場が平和への願いに包まれました。
続く「被爆者の思いを受け継ぐ集い」では83歳になり初めて多くの人の前で語る工藤朱美さんの一言ひとことが参加者の胸に響きました。
日本までもが核抑止論を肯定し戦争できる国へとひた走る情勢の中、新しい動きの見えた今年の夏でした。(北明邦雄)
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東海北陸地域被爆二世・三世交流会が7月16日、名古屋市内で行なわれ、愛知、岐阜、三重、静岡、石川、富山から二世、三世と被爆者や支援者40人が参加しました。
最初に「黒い雨訴訟」を取材してきた元毎日新聞記者の小山美砂さんから「原爆被害における縦軸と横軸の『線引き』」と題した講演を聞いて交流。二世や三世における遺伝的影響による健康被害を「縦軸の線引き」で無視する政府の対応に疑問を投げかけました。
後半は、二世、三世自らの健康への心配と、高齢化した被爆者の組織と運動をどのように継承していけばよいかなど、熱心な討論が続きました。母親が「黒い雨被爆者」で今年ようやく被爆者手帳を取得でき、息子である自分も被爆二世になったという男性は、愛友会の二世部会に入って活動を始めたと話しました。静岡の二世で県の被爆者の会の副会長をつとめる女性は、二世への医療保障がないと二世が運動に参加してくれないという悩みを語りました。
愛友会の副理事長で二世の大村は、東京での二世への医療費助成や神奈川の二世健診の状況などを紹介し、これからも交流を深めて、二世・三世の要求を前進させるために頑張りましょうと訴えました。(大村義則)
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8月11日、神戸市立婦人会館で兵庫県被爆二世の会が「ヒバクシャの話をきこう」を開きました。昨年に続いて2回目の証言会には、80人が集まりました。半数以上が初めて被爆体験を直接聞いた人でした。
貞清百合子さんの「戦争もダメ、核兵器もダメ。命を大切にして」との訴えが心を打ちました。
松井清さんの証言を紙芝居にし、松井清さんご自身の語りでDVDにして上映。「非常に分かりやすくなった。心に刺さる思いがした」と好評でした。「被爆者が高齢化して話を聞くことが出来なくなるので、このような機会を大事にして欲しい」との感想が多く寄せられ、私たちも「核兵器は廃絶しなくては、伝えていかなくては」との思いを強くしました。
(中村典子)
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第10回胎内被爆者のつどいを8月5日、広島市内の会場とオンラインで開き、シンポジウム、特別報告、全体会を行ないました。
シンポジウムは、体験集「生まれた時から被爆者」の執筆者3人とその英訳を行った学生3人で「胎内被爆者の想い、次世代に託すもの」をテーマに。英訳を担当した学生は「この取り組みに参加する中で、胎内被爆者のことを学び、被爆者の実相を世界に発信させる活動に参加でき良かった」と語りました。英訳された体験集は、今年度中にはインターネットで公開される予定です。
特別報告では、日本被団協事務局次長の濱住治郎さんが19歳で自死した北海道の胎内被爆者東貴雄さんと東さんを偲んで作られた合唱組曲を紹介し、胎内被爆者の発掘と記録化を提案しました。
(三村正弘)
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第71回平和美術展が8月5日~12日、東京都美術館(東京・上野)で開かれました。美術家平和会議主催、日本被団協ほか後援。
「すべてのいのちを大切に/平和の壁に花一輪を/日本を戦争する国にさせない」をテーマに、絵画、書、写真、彫刻、陶芸、その他立体作品など多彩な展示が行なわれ、会期中約2700人が来場しました。
1959年の第7回展から取り組まれている原爆死没者肖像画は、今年は2点が制作・展示されました。肖像画は各県被団協を通して遺族に贈られます。
なお、美術展会場での小品売上の中から4万円が、日本被団協に寄付されました。
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「ふたたび被爆者をつくるな」という被爆者のみなさんの強い想いは、確実に次の世代へつながっている。そう実感したのは、昨年8月NPT再検討会議に参加するため日本被団協のみなさんと共にニューヨークの国連本部を訪れたときのことです。証言活動や各国政府への要請行動、原爆展の開催などハードなスケジュールの中で、被爆者の方が世界平和への実現に向けて、精力的にメッセージを伝えられていた姿に心を打たれました。
私が平和活動を始めたのは大学1年生でした。長崎で大学生を対象とした平和学習プログラムを運営、その経験を活かして現在は大学院で長崎市と広島市の平和公園の景観形成に関する研究を続けています。
私の平和活動・研究活動の中において、被爆者の方の歩みがまとめられたこの1冊は大きな励みとなっています。長崎を最後の被爆地とすべく、今後もこのブックレットに勇気づけられながら、私に出来る活動を続けていきます。
【問】母は関東で一人暮らしをしており、いずれ特別養護老人ホーム(特養)に入所するつもりの様です。資料を取り寄せたら食事代や居住費を取られるが、広島の被爆者の施設は無料のようだと、広島に行って入所したいと言います。
広島の施設の入所要件等を教えてください。
* * *
【答】被爆した広島や長崎の特養に入所したいという希望はよく聞きます。被爆者どうし気がねなくおしゃべりできるとの思いもあるようです。
広島には原爆養護ホームと言われる施設は4か所あり、1か所は養護老人ホームで、特養は神田山やすらぎ園、倉掛のぞみ園と矢野おりづる園の3か所です。入所対象者は、広島県内に住所があること。さらに、身体上もしくは精神上著しい障害があるために常時介護を必要とし、居宅で介護を受けることが困難で入院治療を必要としない、という条件があります。介護保険の認定は不要ですが、担当課が入所に該当するかどうかを判定します。手続きは広島市内に住所があれば住所地の地域支え合い課、広島県内の場合は広島県被爆者支援課に相談します。
費用は食費と居住費の負担が必要で、世帯の所得や預貯金の額等により5つの区分で負担額が決められています。この点は、他の地域の特養入所と同じです。なお3カ所のうち矢野おりづる園はユニット個室のため、居住費が他の2つより高くなっています。
また、神田山やすらぎ園と倉掛のぞみ園では、入所者の前年度の公的年金等の収入額とその他の合計所得金額の合計額が0円の場合、居住費と食費が免除される制度があります。
日本被団協も厚労省に被爆者のための福祉施設を各地につくってほしいと長年要請してきましたが地域にある福祉施設を利用するようにと回答されています。
お母さんに広島の被爆者のための特養の入所条件を知らせてよく話し合ってみてください。
本紙533号「証人さがし」に掲載の戸田武夫さんに、手帳が交付されました。証人は見つかりませんでしたが、本人の申述書と証明書類で交付となりました。ご協力ありがとうございました。
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絵本『ようすけ君の夢』は、長崎で被爆した眞柳タケ子さん(京都府城陽市在住)の体験をもとに佛教大学の学生が制作した絵本です。
ウクライナでの戦争が続いて核兵器使用への懸念が大きく被爆者をはじめ多くの方から再版の要望をいただきました。
1000冊の再版に関わる費用120万円を集めるため、10月20日までクラウドファンディングで支援を呼びかけています(写真)。返礼品は再版する絵本、被爆者問題や平和問題の書籍などです。クラウドファンディングのページには、活動実績として佛教大学社会福祉学部が取り組んだ「原爆展」の歴史も紹介しました。ご覧いただければ有り難いです。
URL=https://camp-fire.jp/projects/view/689862
郵便振替口座=平和ゼミ出版支援基金 口座番号00990―2―280187
原水禁世界大会in長崎に行ってきました。台風の関係で閉会総会が8日14時からという変則的な大会でしたが、熱い想いは変わりません。何より被団協の木戸季市さんと会場でお会いできたのが嬉しかったし、田中熙巳さんとはステージの上にいらっしゃるところを下から声掛けできたのも喜びでした。被爆者として生きてきたことが誇りに思え、語り続ける元気がもらえた大会でした。