被団協新聞

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「被団協」新聞2023年4月号(531号)

2023年4月号 主な内容
1面 日本政府は核禁条約に参加を 署名累計109万8810人分提出
岐阜で国連原爆展開催 4日間で千人余が来場
広島市教育委に抗議 教材から『はだしのゲン』削除で 日本被団協が事務局長談話
2面 座標 広島から岸田首相への手紙 G7で平和へのメッセージを
広島市平和教材 第五福竜丸も削除
広島市教委から
中央相談所講習会 九州 中国
健康相談会 静岡
全日本民医連に要請 介護手当申請に協力を
非核水夫の海上通信(224)
3面 被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
 運動のバイブルとして

被爆者の講話をDVDで貸出へ 長崎被災協
ナガサキ集会
被爆者の声をG7サミットへ 被爆者と若者が集い 広島
3・1ビキニデー 久保山愛吉墓前祭と集会
郭貴勲さん死去
 「被爆者はどこにいても被爆者」 在外被爆者への法適用に尽力

訃報 亀井賢伍さん 大岩孝平さん 久保山榮典さん
4面 相談のまど
 介護者が子どもでも複数でも費用介護手当が受けられます

まどから
戦争被害者が集会
 5月13日午後1時から東京・四谷プラザエフ 会場とオンラインで

 

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日本政府は核禁条約に参加を
署名累計109万8810人分提出

日本被団協

 日本被団協は3月7日、「日本政府に核兵器禁止条約への署名、批准を求める署名」累計109万8810人の目録と署名の一部を、外務省の担当者に提出しました。提出は3回目。役員と首都圏の被爆者など17人が参加しました。

 署名の宛先を内閣総理大臣としており、毎回総理への手渡しを求めますが、担当部署として外務省への提出を指定されています。審議官の代理として仁保智紀主席事務官が受け取りました。
 提出後の懇談で田中熙巳代表委員は、「被爆者は核兵器廃絶を求めて長年運動をしてきた。禁止条約が発効されたが、日本は批准を拒み、軍備費は拡大していることを残念に思う」などと述べました。
 首都圏の被爆者からは「被爆の実相をもっと広く伝えるのが日本政府の役目である」「オバマ大統領の広島訪問時に「核のボタン」が入ったバッグを持ち込んでいることに違和感を覚えた」「条約に参加すべきとする国民は70%。被爆者は総理との面会を望んでいる。未来を担う若い人たちの声も聴いてほしい」「核兵器を使わない歴史を延長するという政策ではなく、G7では軍縮を真剣に討議してほしい」「被爆証言を全世界に伝えるプロジェクトを外務省からぜひ」などの発言がありました。
 昨年9月まで北朝鮮担当であった仁保氏は「度々のミサイルの飛来という厳しい現実の中、岸田政権を支え、広島サミットではどういう力強いメッセージを出すことが出来るか努力したい」と述べました。


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岐阜で国連原爆展開催
4日間で千人余が来場

 3月1日~4日、岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)と岐阜市が共催する「国連原爆展in GIFU」が、岐阜市のぎふメディアコスモスで開催され、4日間で1037人が来場しました。
 岐朋会の木戸季市事務局長が昨年11月に岐阜市の柴橋正直市長を表敬訪問し懇談した際に国連原爆展が話題となり、柴橋市長が岐阜市との共催に意欲を示したことから実現したものです。岐阜市教育委員会、全岐阜県生協連、被爆者の願いを継承する岐阜県民の会が後援団体として参加し準備を進めました。
 パネルのほかに被爆瓦や被爆者手帳、長崎で被爆した「原爆稲」等の展示や、岐阜県内の被爆者の証言ビデオ上映コーナーも設置しました。
 初日のオープニングセレモニーでは、岐朋会の加田弘子会長、岐阜市の柴橋市長(写真上)、被爆者の願いを継承する岐阜県民の会の安藤征治代表世話人が挨拶。平和な世界の実現を目指す決意などが述べられました。
 事前に「広報ぎふ」と「週刊コープぎふ」のほか新聞やチラシでの告知や、初日の模様がテレビや新聞で報道されたこともあって、4日間ほぼ絶え間なく来場者がありました。パネルや展示品に見入ったり、岐朋会の被爆者から熱心に話を聞く家族連れもありました。
 岐朋会の会員も毎日交代で会場に詰め、この原爆展を通して多くの人に被爆者の願いを伝えようと、受付対応やロビーで通行者に声をかけたり、来場者に話しかけたり、一緒に会場を回り質問に答えたりと精力的に活動しました。
 参加アンケートが幅広い世代から300枚近く寄せられました。「写真を見て悲しいと思った。せんそうだといろんなことが、かわってしまうことがわかった。だからぜったいいけないと思った(9才)」「全ての兵器をなくさねば、最後は核兵器に行きつく事になる。世界の平和のため、全ての兵器をなくし、話し合いを(90代)」。(全岐阜県生協連・佐藤圭三)


広島市教育委に抗議
教材から『はだしのゲン』削除で
日本被団協が事務局長談話

 広島市教育委員会が、小中学校と高校で行なっている「平和教育プログラム」で漫画『はだしのゲン』の教材への掲載を取りやめたことについて、日本被団協は2月28日事務局長談話を発表。同教委に送りました。(2面に関連記事)

談話 平和教育教材から『はだしのゲン』を削除した広島市教育委員会の決定について〈抜粋〉
 日本被団協事務局長
    木戸季市

 今回の広島市教委の決定を聞いて、驚き、あきれています。
 削除を決定した広島市教委、審議にあたった13人の識者、教育専門家に教育とは何かを根本から考える人はいなかったのでしょうか?
 今回の改訂にあたって「漫画の一部を取り上げるだけでは、被爆の実態に迫りにくい」として、「被爆者の体験談に差し替えるとことにした」と報道されています。悲しくなります。原爆が人間に何をもたらしたか全くわかっていないと感じるからです。
 被爆者の体験談は多くの場合個人の体験です。『はだしのゲン』は多くの被爆者の体験を基に被爆者が苦しみ、生きてきた全体像を描いています。『はだしのゲン』を削除し「被爆の体験」に差し替えることは原爆被害の全体像を見せない結果をもたらしかねません。真逆の判断です。
 さらに看過できない根源的な問題があります。一つは教育行政の責務は教育条件の整備であり教育内容への介入ではないということです。もう一つは人類の歴史を知り学ぶとはどういうことかという問題です。「児童の生活実態に合わない」ことを理由に過去の出来事を学ばせないことは過去の事実を学ばせず人類の歴史を学ばない行為です。これほど人類史を冒涜する行為があるでしょうか。
 密室の会議で表現の自由を抹殺する行為は戦前の言論弾圧の歴史、菅内閣の学術会議会員の任命拒否を思い起こさせます。密室、理由なき結論の押し付けは戦争への道につながります。許せません。
 広島市教委は今回の措置を撤回し、広島市民、被爆者に広く開かれた公開の新しい会議を設け、改めて審議されるべきだと考えます。広島市教委の猛省を求めます。


座標
広島から岸田首相への手紙 G7で平和へのメッセージを

 広島で5月にG7広島サミット(主要国首脳会議)が開かれます。広島の街は白骨の上に成り立っていることをご存じですか。2016年に広島を訪れた米国のケリー国務長官は、広島ほど核被害を語れる、平和へのコミットメントを示すのにふさわしい場所はないと言いました。
 私たちは岸田首相に望みます。敵基地攻撃能力とか専守防衛の大転換とか、私たち被爆者には理解できない、まったく相容れない話です。私たちが望む核兵器禁止条約への署名、批准を早く進めてください。
 1945(昭和20)年8月15日は今も生きています。日本は勝つ、最後には神風が吹くとの妄言を国民に信じ込ませたのは何だったのですか。戦争放棄、戦力を持たない、日本国憲法でそう誓ったじゃないですか。それなのに、広島を選挙区とする岸田首相、びっくりするような防衛予算の増額、考えられません。
 広島でのG7サミットでは、広島平和記念資料館の視察、参加各国首脳に1人ずつ被爆者をあてて10人以上の被爆者の声を聞くことを約束してください。広島に来る各国の首脳には、広島に来たからこそわかることがあるはずです。世界に向けた核兵器廃絶と世界に恒久平和を訴える強いメッセージを、ぜひお願いしたい。
 広島開催にふさわしい、世界中の人々が核兵器のない平和な世界への希望をもち感激するようなG7サミット「ヒロシマ宣言」をまとめて世界に発信してくれることを、被爆者たちは切に願っています。


広島市平和教材
第五福竜丸も削除

平井 朗 平和学会理事

 広島市の小学校平和教材からの『はだしのゲン』の削除は、被爆者をはじめ多くの人びとに衝撃を与えましたが、さらに中学校平和教材から第五福竜丸ビキニ水爆被災の記載が削除されることが明らかになりました。
 市教委文書「平和教育プログラム改訂について」には「第五福竜丸が被爆したという記述のみに留まり、被爆の実相を確実に継承する学習内容になっていない」ので「核軍縮の動き等について、地図やグラフ等から具体的に捉えられる資料に変更した」とあります。
 日本の原水爆禁止運動の出発点であり、日本被団協結成の契機ともなったビキニ事件を削除して地図やグラフにすり替えるとは、もはや原水爆による被ばく者隠しの意図を疑わざるを得ません。
 さらに「核軍縮の動き」「核弾頭の保有数やNPT再検討会議等、近年の情報に変更し」ながら、被爆者や核廃絶を求める世界中の人びとの努力で発効した核兵器禁止条約について一言も触れていないことも、意図的なものを感じます。
 そもそも「被爆の実相」とは何でしょう。原爆被害の事実、現実、実態、…とは異なるものでしょうか。「実相(元々は仏教用語)」の定義が曖昧ゆえに、「被爆の実相が継承されない」と称して、原水爆被害の非人間性、核被害の真実が隠されてしまうのではないでしょうか。私たちはこれからも『はだしのゲン』や第五福竜丸に限らず、核被害の非人間性、被ばくの真実を継承する努力を怠ってはならないと思います。


広島市教委から

 平和教材から『はだしのゲン』が削除された問題について日本被団協の事務局長談話(1面に抜粋)に対し、広島市教育委員会から回答が届きました。

回答(要旨)
 平和教育プログラムの改訂は平成31年度に「検証会議」を4回、令和2年度から4年度の間に「改訂会議」を6回、令和4年には素案をもとにした施行授業を行ない、令和5年2月8日に公開の教育委員会議で報告し、その結果を踏まえ内容を固めたもの。ご意見いただいた小学校3年生の教材は「家族の絆を通して平和を大切にしようとする心をもたせる」ことを学習の目標にしている。検証会議の委員である教員から、浪曲でお金を稼いだり鯉を盗んで母親に食べさせたりすることを理解させるために「場面背景や経緯の補足説明が必要であり時間を要する」、「漫画の一部分の引用では実相に迫りにくい」等の課題があげられた。新たに用いることとした素材は、昭和20年8月5日に撮影された「家族写真」をテーマとして、原爆で自分以外の家族を亡くした後、家族写真を決して撮りたがらなかったという被爆者のエピソード等から「家族の絆」について学ばせることができるもので、補足説明なしで児童が感情移入しやすい。一定の授業時間内で本来の目標を達成するためにどちらの教材がより使いやすいかという観点から新たな教材を用いることにした。
 長期休業中の家庭学習で参考にできるよう、『はだしのゲン』をはじめとするいくつかの作品を紹介するなどの工夫について考えていく。


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中央相談所講習会

九州

 九州ブロックの中央相談所講習会が3月11日~12日、福岡県教育会館で開催されました。九州・沖縄各県から58人が参加しました。
 福岡県被団協の中村国利会長の挨拶のあと、東日本大震災から12年にあたり、広島・長崎原爆犠牲者と震災犠牲者に黙祷を行ないました。
 最初に日本被団協木戸季市事務局長から、これからの被団協運動について全ての会議で徹底して語り合い全員で運動を創り世界に発信して行こうとの話があり、共感を呼びました。
 中央相談所の原玲子相談員からは、被爆者の介護問題について具体的な話がありました。介護に関して、各県で会報等を利用して広める必要性を痛感しました。
 被爆二世交流会には18人が参加。健康問題など現状の不安・課題を語り合い、要望をまとめるため年に1~2回ブロックでの交流会開催が提案されました。(原田俊二)

中国

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 中国ブロック講習会が3月15、16日の両日、鳥取市で開催されました。
 1日目は、中央相談所の原玲子氏のお話で、相談者が出向く形態の必要性について話され、相談の対応はより被爆者に寄り添う必要があると感じました。次いで、広島放射線影響研究所の野田朝男氏が、多くの被爆者や二世の血液分析を継続的に解析している中で、白血病など一部のガンで、最近増加傾向が若干認められる、今後の推移を見て行くと話しました。最後に、伯耆文化研究会の根平雄一郎氏の「山陰最大の戦災―玉栄丸の爆発」の話。鳥取県境港市で終戦間際に起こった悲惨な歴史を学びました。
 2日目は、広島県被団協の前田耕一郎氏に「坪井直氏追悼―在りし日の姿」について語っていただきました。次いで、日本被団協の木戸季市氏の「これからの日本被団協運動について」。運動の歴史を述べ、今後の運動の方向付けについて熱く語られました。最後に各県からの活動報告で、お互いに不足している部分を認識し、会員数が減少する中での可能性を見出すことの大切さを感じました。
 約40人の参加がえられ熱心な勉強の機会になりました。(石川行弘)


健康相談会

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静岡

 静岡県被団協は3月5日、健康相談会を静岡市グランシップで開催。県疾病対策課の永井しづか課長ほか来賓と、日本被団協中央相談所の原玲子相談員を講師に迎え、3年ぶりの開催で15人が参加しました。
 被爆者の平均年齢が84歳を超えており、相談先がわからない、相談する気力もないという人が増えている。各地では訪問調査、電話相談、アンケートなどで実態把握し、支援につなげていることが話されました。またかかりつけ医を作ったり、訪問診療を受けたりして普段の生活状況を医師に知ってもらうことが大切と話されました。
 静岡でも「県内版ニュース」を利用して被爆者の実態把握につとめたいと思います。(石原洋輔)


全日本民医連に要請
介護手当申請に協力を

日本被団協

 日本被団協は3月7日、被爆者の介護手当申請への協力を求め、全日本民主医療機関連合会を訪問しました。
 訪問したのは木戸季市事務局長、原玲子中央相談所相談員ほか5人。全日本民連では岸本啓介事務局長ほか3人が対応しました。
 日本被団協は現行法による制度活用で、介護手当の受給が極めて少ないこと、その申請には医師の診断書が必要だが主治医の理解を得るのが難しいことなどを説明し、診断書作成について積極的な協力を要請しました。
 全日本民医連は被ばく問題委員会で検討することを約束し、18日の委員会には原相談員が出席して説明しました。委員会では、医療ソーシャルワーカーや事務職、ケアマネジャーに知らせて取り組んでいくことや、他の医師団体や医師会などにも働きかけることなどが話し合われました。


被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
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運動のバイブルとして
赤塚さとみ 被爆者の願いを継承する岐阜県民の会

 「被爆者からあなたに」が出版された時、いろんな方たちに「平和運動を知るためにも、是非読んでほしい」と勧めました。ヒバクシャ国際署名をきっかけに、岐阜でも岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)を支える「被爆者の願いを継承する岐阜県民の会」を立ち上げた時と重なり、参加団体にも広めてもらうよう呼びかけました。核兵器禁止条約が発効された時でもあり、多くの方が核兵器廃絶に関心を寄せていた時でした。
 木戸季市事務局長が、私たちに折に触れ話してくれていたことが、この本には更に詳細に書かれています。被爆者の声、原爆後から現在に至るまでの被団協運動と政府の対応、世界の動きなど。これぞまさしく、被爆者の方と共に活動していく支援者のバイブルとすべき本です。
 木戸さんは、よく「あと10年で被爆者はいなくなる」と言われます。その時、原爆を経験していない私たちの取るべき道は?――この本は、きっとその道筋を示してくれるでしょう。
 核兵器廃絶は、被爆者だけでなく私たちすべての願いです。


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DVDを持つ長野靖男さん

被爆者の講話をDVDで貸出へ

長崎被災協

 長崎被災協では、16人の講師が修学旅行の生徒さんなどに被爆体験講話を行なっています。コロナ禍を経て2022年度には300件を超える講話を実施できました。
 被爆者の講話を動画で記録する計画も、コロナ禍で延び延びとなっていましたがようやく実現しました。被爆者長野靖男さんとジャーナリスト畠山博幸さんが中心となり、昨年11月から12月にかけて撮影し、以前撮影した動画とあわせて18人分の動画を編集、DVDとして制作しました。
 動画は1人あたり約1時間。DVDで貸し出すほかユーチューブで限定公開します(いずれも有料)。また、1人約4~5分の短い動画を制作してユーチューブにアップする予定です。
(長崎被災協)


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ナガサキ集会

 核兵器禁止条約の会・長崎は2月24日、平和祈念像前で「ウクライナ侵攻から1年、やめろ戦争! つかうな核兵器! ナガサキ集会」を開催、約230人の市民が参加しました。
 手作りのプラカードや、ICANサポートナガサキが11年前にウクライナを訪問したときに撮影した子どもたちの笑顔の写真パネルが掲げられ、戦争終結の願いを込めたうたごえとともに、平和を訴えました。
(長崎被災協)


被爆者の声をG7サミットへ
被爆者と若者が集い

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広島

 G7サミットまで2カ月となった3月19日、被爆者が参加国首脳に何を要望するのか、若い世代とともに集いを開きました。広島被爆者7団体、ANT・Hiroshima、カクワカ広島の主催。原爆資料館に約150人が参加しました。
 核兵器使用の危機感、戦前に似通った世相への不安が募っている中で、サミットを単なる儀式に終わらせては、との思いが被爆地に高まっています。日本被団協の箕牧智之代表委員(広島県被団協理事長)は、核兵器廃絶の議題を優先し、各国首脳が原爆資料館をじっくり見ること、被爆者の考えをしっかり聴くことなどを求めました。
 原爆慰霊碑の参拝には碑文の意味を全首脳に説明するよう岸田文雄首相に求める意見や、約7万柱もの無縁仏が眠る原爆供養塔や韓国人原爆犠牲者慰霊碑への参拝を望む声も。ロシアの停戦、核不使用宣言、核軍縮―核廃絶の道筋づくりへの期待論も相次ぎました。
 岸田首相が先頭に立って、サミット参加国に世界の核被害者の援助(核兵器禁止条約6条)に賛同・支援を表明させる提案も。若者たちからはジェンダー(社会的性差)、気候変動などの面からの意見が出されました。
 近く、要望書にまとめて、岸田首相へ提出されます。(田中聰司)


3・1ビキニデー
久保山愛吉墓前祭と集会

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 アメリカのビキニ環礁での水爆実験被災から69年の久保山愛吉墓前祭が3月1日、静岡県焼津市の弘徳院でありました。
 第五福竜丸の無線長だった久保山さんは「原水爆の犠牲者はわたしを最後にしてほしい」という言葉を残し40歳で死去。日本宗教者平和協議会は1964年以来毎年墓前祭を主催してきました。
 午前9時15分、焼津駅前から会場まで約500人が墓参行進。午前10時半から追悼法要のあと、誓いの集いで日本被団協の濱住治郎事務局次長が「戦後を戦前にしないために、日本国憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を守り、戦争も核兵器もない世界の実現に取り組むことを誓います」と誓いの言葉を述べました(写真)。
 午後には4年ぶりに静岡開催となった3・1ビキニデー集会があり、濱住事務局次長が来賓あいさつを行ないました。


郭貴勲さん死去
「被爆者はどこにいても被爆者」
在外被爆者への法適用に尽力

 韓国原爆被害者協会名誉会長の郭貴勲さんが昨年12月31日、老衰で死去しました。98歳でした。
 20歳の時広島の爆心地から約2キロで被爆。韓国原爆被害者協会に1967年の結成時から参加しました。2000年には原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の適用を求めて大阪地裁に提訴。地裁、高裁で勝訴し在外被爆者への法適用に道を開きました。16年にはヒバクシャ国際署名の呼びかけ人に名を連ね、世界に核兵器廃絶を訴えました。

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左から2番目が郭さん(1999年10月22日、
野中官房長官に在外被爆者援護を要請)

郭さんへ
    田中熙巳
 郭貴勲さんの訃報に接し、哀悼の意をささげます。
 郭さんはさまざまな被爆体験を持つ多くの韓国人原爆被害者の優れたリーダーとして、多くの貢献をされました。ソウル訪問の際に受けた温かい歓迎も忘れることができません。
 広島、長崎の原爆被害者は、米日両政府による10年にわたる原爆被害者放置の後、ビキニ事件を契機に立ちあがった被爆者と市民の運動により、1957年に「原爆医療法」が、68年には「原爆特別措置法」が制定されて援護の前進をはかりました。しかし、これらの援護は日本国外居住の被爆者には及びませんでした。元日本国籍を強いられた韓国および朝鮮の多くの被爆者は排除されました。
 被爆者健康手帳の交付に関しては孫振斗さんの裁判により最高裁判決で勝利しました。しかし、後年始まった医療費の助成は、一本の局長通達により国外での受給を排除しました。郭さんはこの処置は法律の趣旨にも反する、「被爆者はどこにいても被爆者」と主張して大阪地裁に提訴、大阪高裁で勝訴し、局長通達は撤回されました。日本人を含むすべての日本国外に居住する原爆被爆者へ支給されることになったのです。
 この勝利のあと、韓国被爆者の損害賠償裁判に発展し、この裁判も勝利して原告に賠償金が支払われ、その後提訴した被爆者に対しては示談金として賠償されました。
 これらの成果は韓国被爆者の援護の充実にとどまらず、すべての外国在住被爆者の援護前進をもたらしました。
 また、郭さんは日本国内の韓国被爆者支援組織や日本被団協と連帯して世界の平和と核兵器廃絶の運動にも貢献されました。これらの運動の中で多くの被爆者や日本被団協の役員が励まされました。改めて感謝の意を表明します。
 郭さんも呼びかけ人に加わっていただいた、すべての国が核兵器廃絶のための条約を結ぶことを求める「ヒバクシャ国際署名」が実を結び、2021年1月22日、「核兵器禁止条約」が発効したことを共に喜び合うことができました。核兵器の廃絶に向け一層運動を発展させることをお誓いします。


訃報 亀井賢伍さん

 2月13日死去。91歳、広島被爆。
 原爆投下は旧制中学3年生のとき宮内村(現廿日市市宮内)で三菱重工業の疎開工場建設作業中でした。浅原村の実家に戻ったあと8月10日、父親と二人で市内東観音町の下宿先に教科書を探しに行き、被爆しました。
 戦後は赴任先の福井や東京、神奈川で被爆者運動に参加。1987年~98年と2013年~15年に日本被団協会計。

訃報 大岩孝平さん

 3月7日死去。90歳、広島被爆。
 旧制中学1年生のとき体調悪く自宅(爆心地から2・2キロ)で休んでいたところ被爆。同級生の多くは爆心地近くでの建物疎開作業中に亡くなりました。
 戦後は東京で就職。「旅人木」の俳号をもつ俳人でもありました。2013年から6年間東京都原爆被害者団体協議会会長。11年~12年と14年~18年に日本被団協代表理事、19年から同会計。

訃報 久保山榮典さん

 2月26日死去。85歳、長崎被爆。
 8歳のとき爆心地から2キロの母親の実家で被爆しました。
 2011年11月の原爆症認定問題に関する厚生労働大臣との定期協議で、自身の原爆体験をもとに被爆者としての訴えを行ないました。埼玉県原爆被害者協議会副会長、2013年から2年間、日本被団協代表理事。


相談のまど
介護手当
介護者が子どもでも複数でも費用介護手当が受けられます

 【問】90歳の母が一人暮らしを続けています。私たちとの同居をすすめていますが、ずっと暮らしてきた家がいいと応じません。認知症が少しずつ進んできているため、介護保険サービスをうけながら、私たち姉妹が母の介護に交代で通っています。被爆者健康手帳を持っているので介護手当が受けられるのではないかと聞きました。介護者が子どもで、3人交代で介護に通っている場合でも受けられますか。また手続きはどのようにすればいいのでしょうか。

*  *  *

 【答】お母さんにしたら住み慣れたところで暮らしたい、という思いが強いのでしょうね。子どもが引き取ったら急速に認知症が進んで施設に入れたという話も多く聞きます。ごきょうだい3人が交代で介護に通うのも大変ですが、できるだけお母さんの希望に寄り添ってあげたいですね。
 被爆者援護の介護手当には費用を支払って受ける介護手当(費用介護)と同居の家族が介護している場合に受けられる家族介護手当があります。子どもが介護をしているのだから家族介護手当ではないかと思われるかもしれませんが、子どもであっても、近所に暮らしていても、住民票が別で通って介護をしている場合は費用介護手当の支給対象になります。
 費用介護の場合、介護を受ける人の障害の程度によって、中等度と重度の二種類の支給限度額が決められています。3人合算で限度額まで受給できます。書類は3人それぞれが行なっている介護の内容と時間などを記入し、それぞれが領収書を作成します。交通費なども含めると高額になると思いますが、手当としては中等度の場合7万520円まで、重度の場合は10万5800円までが、介護を受ける被爆者に支給されます。
 医師による診断書は1年または状態により3年ごとに提出します。介護内容と領収書は毎月提出します。あなたの場合は3人分の書類をそろえて提出することになります。支給はお母さんの口座に振り込まれますので、振り込まれたらお母さんから受け取ることになります。3人でよく話し合って申請手続きをしてみてください。
 介護内容や領収書の書き方については、コピーして使えるような書式を中央相談所で用意していますのでお問い合わせください。


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まどから

 今年4月から被爆者の各種手当が改定されました(別表)。2022年消費者物価指数の対前年比変動率が2・5%増(介護手当については、人事院勧告での月例給の改定が0・23%増)となったことによるものです。葬祭料以外は少しずつ増額となっています。


戦争被害者が集会
5月13日午後1時から東京・四谷プラザエフ

会場とオンラインで

 G7広島サミットを前に、戦争被害者が一同に会して広く国民と岸田首相に訴えようと、「ふたたび戦争被害者をつくるな!」集会が5月13日に東京で開かれることになりました。「ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー―いま戦争体験者は訴える」を副題として、全国空襲連、日本被団協ほか戦争被害者団体が共催し、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会が後援します。
 5月13日(土)午後1時~3時30分、主婦会館プラザエフ5階会議室(東京・四ツ谷)、会場とオンラインの組み合わせ開催、参加費無料。問い合わせは日本被団協(電話03―3438―1897、Eメールkj3t-tnk@asahi-net.or.jp)へ。