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傍聴席を埋めた被爆者、支援者 |
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木戸さん | 家島さん | 箕牧さん |
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村田さん | 児玉さん | 綿平さん |
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田中さん | 中川さん | 藤原さん |
原爆症認定問題に関する厚生労働大臣と日本被団協・原告団・弁護団との第10回定期協議が12月20日、厚労省19階省議室で開催され被爆者など60人余りが傍聴しました。
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加藤厚生労働大臣 |
冒頭、加藤勝信厚労大臣と箕牧智之日本被団協代表委員が挨拶し、家島昌志日本被団協代表理事の司会進行により協議が開始されました。日本被団協の木戸季市事務局長は、世界の核廃絶に向けた潮流を述べたうえで、原爆症認定に関する行政処分と司法判断の乖離は放置できない事態だと強調しました。
続いて原告団の綿平敬三団長と日本被団協の児玉三智子事務局次長が被爆後に苦しんだ差別や生活実態について胸に迫る証言を、また原告団事務局の村田未知子氏が、差別や生活苦の中で暮らした東京の被爆者の実例を紹介しました。
加藤厚労大臣は発言の一つ一つに同情と理解を示しながらも、「被爆者に寄り添い現行基準の範囲内で認定行政を進めていく」旨、従前と変わらない答えを返しました。
弁護団長の藤原精吾弁護士は、厚労大臣との定期協議の始まった経緯を述べ、被爆者に門を閉ざした厚労省の制度運用と、これを断罪する司法判断が定期協議の出発点であり、厚労省側の態度は協約違反であると迫りました。
弁護団事務局長の中川重徳弁護士は、裁判所の下した判決の範囲内で被爆者の救済を求める「当面の要求」について、大臣の英断で実現するよう求めました。大臣は「裁判は個々の事情を個別に判断した結果であり、行政としてこれを一般化して適用することは出来ない」と、従前の主張を繰り返すのみでした。
2009年8月6日に交わした「確認書」に基づく定期協議を今後も続けていくという点については、大臣が前向きな答えをし、最後に日本被団協の田中熙巳代表委員と加藤厚労大臣の挨拶で終了しました。
昨年12月16日の岸田内閣による安保3文書閣議決定に対し、同19日、日本被団協の木戸季市事務長は閣議決定撤回を求める談話を発表しました。
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〈談話〉安保3文書閣議決定を撤回せよ
日本原水爆被害者団体協議会事務局長 木戸季市
政府は12月16日、安保政策を大きく変える安保3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)を閣議決定した。3文書は武力で国を守ることを宣言した文書である。広島・長崎に投下されたあの日の光景がよみがえる。人類を滅ぼす暴挙、核戦争に道を開きかねない安保3文書に強い怒りを覚える。
日本国憲法は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」し、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
私たち広島・長崎の原爆被害者は、世界のどこでも誰も「被爆者にしない」ことを願い、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」、と国家補償に基づく「原爆被害者援護法実現」の二大要求を訴え、行動してきた。
多くの被爆者が、戦争をしないと定めた憲法に生きる力をもらい、生きる支えにしてきた。戦後77年・憲法施行75年、日本は戦争によっては一人の命も奪っていないし、奪われていない。命を守るのは武力ではない。話し合いであることを日本国憲法が示している。
安保3文書閣議決定を撤回し、国会に諮り、憲法を遵守した安全保障政策の実行を求める。
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岸田内閣の「安保3文書閣議決定」はクーデターではないでしょうか。日本国憲法は41条で「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」としています。国会も開かず、憲法を無視して国の政策を大転換し、軍拡をすすめる今の内閣を「クーデター内閣」と言っては過言でしょうか。立憲主義に反することは明らかです。
あの戦争で広島、長崎を含む300万人の死のもとで生まれた不戦の日本国憲法に反することは言うまでもありません。
世論の一部ではマスコミも含めて中国、北朝鮮、ロシアの「脅威」と台湾リスクを喧伝しています。日本国は、脅威をあおることではなく、これらの国とは軍事力で対抗するのではない、日本国憲法に基づいた話し合い外交こそが必要ではないでしょうか。9条を持つ被爆国日本のできる唯一のあり方ではないかと思います。被爆者運動の力を今こそ発揮する時と思っています。
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1月22日、JR札幌駅南口広場で道原水協主催のメモリアル行動が行なわれました。寒風吹きすさぶ中、リレートークで政府に条約批准を迫る署名への賛同を訴え、戦争と核兵器をゆるさず平和憲法を守ろうとの声が駅前に響きわたりました。
北海道被爆者協会の廣田凱則会長(長崎被爆)はロシアの核脅迫に触れ「ひとたび原爆が使われるとどんなひどいことになるか。広島でG7サミットをやるのなら、主要国首脳にスミからスミまで資料館の展示をみてほしい。原爆投下は長崎を最後に」と訴えました。
北海道合唱団の代表は創作曲「もしあなたがここにいたら」(条約採択会議に日本が欠席)の一節を歌い通行人の注目をあびました。(北明邦雄)
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日本政府に核禁条約の批准を求める岩手県民の会は1月22日、盛岡市の大型店舗前で宣伝・署名行動を行ないました。
真冬日の酷寒の中、参加した13人が通行人や買い物に来た市民に署名を訴え、1時間で53筆の署名が寄せられ、参加した全員がびっくり!
県被団協から下村次弘副会長と高橋ヨシ子理事が参加し、マイクで岩手県の被爆者の様子や、県内全議会で政府に対し禁止条約への参加を求める意見書が採択されていることを紹介。「軍事対軍事では平和は作れない」「日本の軍事費増強にノーを」と訴えました。
署名集計は4万5千筆に到達。目標20万筆に向け更なる運動をと決意しています。(下村次弘)
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条約発効2周年と核兵器廃絶ネットワークみやぎ発足2周年記念イベントが1月20日開催され、75人が参加しました。
核廃絶ネット代表の木村緋紗子さんは開会あいさつでG7の広島開催に触れ「被爆地を政治利用しないでほしい。広島で行なうなら、人類の生存には核兵器廃絶しかないことを明らかにし、各国首脳に被爆の実相を知ってもらうこと、アジアと日本の平和の安定を求めよ」と訴えました。
続いて平和を願うチェロとピアノの演奏に参加者は胸を熱くしました。
第二部は長崎大学RECNAの林田光弘さんがオンラインで講演。強い平和への思いと若々しい決意に満ちた講演に、参加者は大きな拍手で応えました。
(核廃絶ネットみやぎ)
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日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める千葉の会は1月15日、千葉県弁護士会館講堂で「ちば平和のつどい」を開催しました。参加者は200人を超え、平和を求める市民が会場を満たしました。
ピースボート共同代表の川崎哲氏、ノーニュークストウキョウ共同代表の高橋悠太氏、千葉県原爆被爆者友愛会の児玉三智子会長によるパネルディスカッションが行なわれ、核兵器をめぐる情勢や取り組むべき課題について共に考えました。
後半では、県内高校生による朗読「伝えたいあの日のことを」、千葉うたごえ協議会の皆さんの演奏があり、熱気あふれるつどいとなりました。(南雲一吉)
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1月22日、長野駅善光寺口前で「ヒバクシャの願いをつなぐ~核兵器禁止条約をひろげる長野ネット」がアピール行動をしました。
長野県原爆被害者の会(長友会)、善光寺白蓮坊住職、県生協連、県原水協、県原水禁、県民医連、県教祖などから17人が参加しました。長友会からは3人が参加。前座明司副会長は「核兵器が反人間的で不要なものであることは、世界の多くの市民が知っています。今こそ日本政府が核廃絶の先頭に立つときです」と訴え、署名を呼びかけました。
女子高校生2人組が「少し前に学校で話し合いました」と署名していたのが印象的でした。
(藤森克子)
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禁止条約発効2周年を記念し、富山県被爆者協議会は市民団体の一員として、3つの行動に参画しました。
1月18日には県議会議長渡辺守人氏と面談し、県議会が率先して日本政府への意見書を提出して頂くよう要請しました。
22日午前には原水爆禁止高岡市連絡協議会の要請で、禁止条約発効記念学習会に参加し、被爆者が体験した実相を被爆2世が代わって語り継ぎました。
同日お昼の時間には、富山駅前のアピール行動(写真)で、広く県民に禁止条約批准のための世論の喚起を促しました。
高校生などの若い世代の人々が足を止めて聴くなど、一定の成果を感じました。
(小島貴雄)
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1月23日、日本政府に核兵器禁止条約の批准を求める署名推進静岡県連絡会の第3回総会を開催し、ICANの川崎哲氏の「核兵器禁止から廃絶へ市民社会に期待される役割とは?」と題した記念講演がありました。
講演は、現在の核兵器をめぐる情勢を踏まえ、市民社会の人々が核兵器廃絶への流れに参加することが大切、被爆者の声を、叫びを聞き行動することが大切、など川崎氏の経験を通して示唆に富んだ内容でした。
総会では、活動報告として署名目標数30万筆に対し9万2521筆(達成率30%)が報告され、予算案を承認。今後の活動として、①毎月7日の署名活動の継続 ②自治体意見書採択の促進 ③当面の署名目標=達成率50%の15万筆を目指すことを決めました。
(石原洋輔)
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1月22日、愛知県名古屋市の繁華街「テレビ塔」前で、核兵器禁止条約発効2周年を記念した街頭宣伝と署名活動が行なわれ、のべ60人が参加しました。日本政府に禁止条約への参加を求める愛知県民の会主催。
愛知うたごえ協議会のみなさんの平和の歌声など、にぎやかにアピールが行なわれるとともに、3人の被爆者が横断幕を持って訴えました。愛知県原水爆被災者の会の金本弘理事長は、「一人ひとりの署名など草の根の運動が世界を動かして条約が発効した。政府に核兵器禁止条約に参加・批准させよう」と呼びかけました。高校生平和ゼミナールの高校生の訴えに若い世代のみなさんも次々に署名に応じ24人の高校生署名が寄せられました。中学2年生の男子生徒もスピーチし、大きな拍手が送られました。
事前にSNSでの呼びかけも行なわれ、それを見て参加したという方もありました。(大村義則)
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兵庫県芦屋市では1月22日、JR芦屋駅前で宣伝・署名行動を行ないました。芦屋原水協が提唱し、芦屋被爆者の会の幹事3人など総勢9人が参加しました。
ハンドマイクで「ロシアのウクライナ侵略で『核で戦争を抑止する』ということの偽りがはっきりしました」「世界は一握りの大国の勝手なことを許しません」「核兵器の禁止・廃絶はすでに世界の大きな流れです」などと訴えながら、それぞれが署名を呼びかけたり、ビラを配布したりしました。(副島圀義)
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1月22日、「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)は、広島市内でイベントを開き、会場とオンラインで約20人が参加、みんなで条約の2歳の誕生日をお祝いしました。
条約が生まれた背景や昨年の第1回締約国会議を振り返り、今年の核問題関連の予定を概観。カクワカ広島共同代表の高橋悠太が「統一地方選が特に重要。政策アンケートや意見書提出の働きかけができる」と提案しました。最後に、各メンバーが実践、計画しているアクションを紹介。私たちは広島サミットに向けてG7首脳たちに「広島を利用するな」と訴えるキャンペーンに注力していきます。(田中美穂)
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1月22日、広島被爆者7団体の13人がレストハウス周辺で、日本政府に禁止条約への署名、批准を求める署名活動をしました。外国人、長崎の人や小学生など、30分で56人が応じてくれました。7団体は条約発効から昨年末までに約55万人分の署名を集めています。
同日、夕暮れの原爆ドーム前に「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の呼びかけで約50人が参加し、約1500本のキャンドルに火を灯して「ウクライナに平和を! 核戦争を許すな!」とアピールしました。「世界中の核被害者とつながって核なき世界をめざしたい」と、禁止条約の必要性を訴える声明が読み上げられました。
(箕牧智之・田中聰司)
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1月22日、長崎市の平和祈念像前で「核兵器禁止条約発効2周年のつどい」が「核兵器禁止条約の会・長崎」主催で開催され、約180人が参加しました。
小雨の中、被爆者、若い世代、高校生たちが発言。田中重光長崎被災協会長は「日本政府は今こそ被爆国として核兵器全面禁止の世論の先頭に立つべき。長崎を最後の被爆地に」と訴えました。
被爆三世でもあるMasたかゆきさんがオリジナル曲の「戦争反対OK」等を演奏、長崎のうたごえ協議会が「折り鶴」等を合唱。最後に集会アピールを採択、「青い空は」を合唱し、今年を核廃絶へのステップアップの年にすることを誓い合いました。(中元英貴)
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英訳のために「被爆者からあなたに」を読みました。「受忍」が持つ意味が、何と恐ろしいものかを学びました。
「国をあげての戦争」なのだから国民はがまんすべきだ、原爆被害もしかたのないことだから国は補償しない、という考え。だったら戦争はなくならない、さらなる原爆投下もありうる。そんな未来は許せない、という人類全体への責任感から被爆者が今まで力を尽くしてくれてきたことがわかりました。そして賛同する世界の市民と力を結集し、核兵器禁止条約が発効した喜びが伝わってきました。
ところが、現在の世界情勢は予断を許さないものになっています。このブックレットに書かれている志が日本、そして世界で知られ、運動が前進し、広がる年になるよう強く願う新年です。
はじめまして、こんにちは。ニューヨークに家族で住んでいる者です。
私の鳥取に住んでいた曾祖父が、息子を探しに広島原爆投下の1カ月後に広島を訪ねた様子の手記がありまして、翻訳をしました。きっかけはこの夏に国連へ娘と見学に行き、広島原爆の展示物を見たこと、夏に木戸さんが国連へ来られたニュースを拝見したこと、その後娘が平和への思いを作文に書いたのを読み、私も何か一緒に出来ないかという思いが込み上げたからです。ふと鳥取の田舎に眠っている手記を思い出しました。
娘はニューヨーク日本人学校に通っており、先日(12月1日)国連の日本政府代表部へ社会科勉強で行く機会があり、それを玄孫から手渡すことが出来ました。
その後上手く伝わったか分かりませんが、小さな活動をご報告したくメールさせていただきました。娘と共に、平和を願い祈ります。
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埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)はさいたま市内で12月11日、午前は相談所研修会、午後は「ヒバクシャ運動をつなぐ」と題し学習・交流会を開催しました。
研修会は埼玉県疾病対策課の波多野智広氏に埼玉県の被爆者援護事務について講演して頂き、25人の参加でした。
学習・交流会には会員、賛助会員、支援団体から47人が参加。田中熙巳氏が講演で、被爆者の願いと運動の歴史を紹介し、被爆者がいなくなっても運動をつないで欲しいと訴えました。その後7グループに分かれて討論し、内容を深めました。
年明けからの企画「被爆者からあなたに」(岩波ブックレット)読書会には10人の参加申込があり、2月より月1回しらさぎ会事務所で行なうことにしました。今後、読書会を県内各地に広げていきます。(佐伯博行)
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神奈川県原爆被災者の会は1月15日に医療講演会を、16日に運営委員会を三浦市三崎油壷温泉観潮荘で開催しました。
3年ぶりの開催となった医療講演会は、まず日本被団協中央相談所の原玲子相談員が「介護」について、現在の様々な状況を、質疑応答も含め分かりやすく説明。ふだんからのかかりつけ医との関りが大切、などもわかりました。
次に神奈川県生協連の當具伸一代表理事会長より「生協連の平和に対する取り組みと被爆者との関わり」について詳しくお話し頂きました。
懇親会は笑顔一杯で魚料理を満喫。2日目は太極拳で身体をほぐし、運営委員会に臨みました。
今回は旅行支援割引を利用、「いざ神奈川!」の地域クーポンの恩恵も受け、アプリダウンロードに悪戦苦闘しながらもお土産をゲットして帰途につきました。(神奈川県原爆被災者の会)
岸田政権が閣議決定した「安全保障3文書」は私たちの願いをふみにじり、戦争への道に進むもので絶対阻止すべきもの。「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」の二大要求の実現を求めて新たな運動を始めるときという提案に同感し、微力ながら声と足を出していきたいと思います。
戦後日本は、一滴の血も流さず流させず、平和を守ってきました。憲法9条で戦争放棄を謳い守ってきたからです。しかし今、それが覆されようとしています。
2013年特定秘密保護法、14年集団的自衛権の行使容認、その翌年には安保法案と矢継ぎ早に決定し、アメリカと一体となり戦争ができる国へと変貌してきました。
それが昨年、軍事費の大幅アップ、敵基地攻撃能力の保有と、これがおよそ平和主義を唱える国かと懸念の中、安保政策を大転換、あれよあれよという間に安保3文書を閣議決定し、戦争する国へと変貌しようとしている。国民を置き去りにした暴挙でありとても容認することはできない。武力で国民の安全は保障できません。
もっとやるべきことがあるはずです。中国との共生に知恵を絞ること、北東アジアの平和と安全を守るために、外交を通じて戦争しない仕組みづくりにこそ取り組むべきです。政治の役割は、絶対に戦争をしないことにあります。
日本政府は、日本国憲法の平和主義の原則を逸脱し、周辺諸国との信頼関係を悪化させ、軍拡競争を助長する危険な政策「安保関連3文書」を閣議決定しました。日本国憲法には、「戦争をしない、武器を持たない、あらゆる外交の問題を武力では解決しない」と明記してあります。沢山の命を奪った戦争への反省があり、日本国憲法ができました。憲法によって、日本は戦争のできない国になったのです。
私たちには、平和に生きる権利があります。政府には、平和を守る義務があります。小学校の平和授業で「戦争がいい?」と子どもたちにたずねました。首を激しく横にふったあの子たちの未来を壊さないでください。戦争するのは、誰もいやです。
核兵器開発の中で生み出された世界各地のヒバクシャに関する企画展示=特別展「世界のヒバクシャ―核開発・核実験のもとで」が、第五福竜丸展示館で3月26日まで開催中です。フォトジャーナリストの豊﨑博光さん取材による写真や証言から、核実験場の周辺に暮らす市民やウラン鉱山労働者、核実験参加の兵士など、核開発の陰で起こる被ばく被害について展示されています。
2月25日には、「3・1ビキニ記念のつどい」が開かれ、豊﨑博光さんが講演し核被害者の実情などを話します。また気候変動による被害を受けるマーシャル諸島の人びとを描いたドキュメンタリー「故郷を追われて」(坂田雅子監督、27分)の上映やトークが行なわれます。
*2月25日14時~、夢の島マリーナ会議室(東京・江東区夢の島、第五福竜丸展示館から徒歩7分)、資料代500円、申込不要
昨年12月、NHKEテレ「こころの時代」に、「被爆者と40年歩んで」と題して東友会の村田未知子相談員が語っておられました。それをみて、東京の被爆者運動で大切にされていた慰霊碑のことに思いを馳せました。
東京には「われら生命もてここに証す 原爆許すまじ」と刻んだ原爆犠牲者慰霊碑が建立されています。毎年夏、遺族が犠牲者名簿に刻み、慰霊祭が行なわれます。過去から現在まで、被爆者運動につくしてこられた人たちのお名前が刻まれて大切にされています。
現在、ウクライナ侵略・侵攻を続けるロシアのプーチン大統領が、核兵器使用もありうるなどと大国の論をふりかざしている。唯一の被爆国・日本が先頭に立って、核兵器は許さない、と核兵器禁止条約を推し進めることが、被爆者が最も希求していることです。
(*慰霊碑は品川・東海寺に1967年建立。2012年に東海寺から葛飾区の青戸平和公園に移設されました。)
【問】被爆者の母を3カ月に1度受診に連れて行っていますが、待ち時間が長くて帰宅するとぐったりしています。コロナ感染の検査を求められてテントで長時間またされることもありました。主治医からは毎月受診するようにと訪問診療を勧められました。
訪問診療は、寝たきり状態でないとお願いできないのではないか、また訪問診療をしている医療機関を探すのにどこに相談したらいいか、などいろいろ不安です。
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【答】体が不自由な方や高齢者を医療機関に連れていくのは、車の乗り降りにも気を使い、介助者が一緒に転倒して骨折するなどの危険も伴います。通院が困難と感じたら訪問診療に切り替えると良いでしょう。
訪問診療を専門に扱う「在宅療養支援診療所」という医療機関があります。毎月定期的に自宅を訪問して診療するほか、急に具合が悪くなったとか熱発した時にも24時間対応してくれます。今かかっている病院の相談室や地域包括支援センターで紹介してくれます。
現在の主治医に紹介状をもらってご家族が(患者の同伴も可)診療所を訪ね、契約手続きをします。そこで訪問日や急に具合が悪くなったときの対応、入院が必要になった場合の連携病院などを確認してください。医療費は被爆者健康手帳による助成があるので、車代のみの負担となります。契約時に確かめておくといいでしょう。
既に介護保険を利用している場合は、介護保険サービスによる訪問看護との連携や薬剤師、ケアマネジャー等との情報交換も行なわれます。これらの費用も被爆者健康手帳で助成されるので自己負担はありません。
訪問診療や訪問看護サービスを利用していると相談の電話を夜中でもできるので安心です。電話だけでなく訪問して状態を見て必要であれば入院の手配をしてくれます。
訪問診療では医師が患者の生活をわかってくれるので、介護保険の要介護認定の診断書や、被爆者の介護手当の診断書も書いてもらいやすくなります。早めの切り替えをお勧めします。