被団協新聞

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「被団協」新聞2023年1月号(528号)

2023年1月号 主な内容
1面 平和のために―
 句集『広島』

2面 年頭所感 命ある限り
「核抑止論」からの脱却を 国際賢人会議で被爆者が訴え
「あきらめない」決意 県民公開講演会 滋賀
非核水夫の海上通信(221)
3面 「国連原爆展」貸し出し始まる 申し込みは日本被団協へ
国連原爆展は核廃絶の力に 吉沢てい子
4-5面 「原爆被害者の基本要求」(1984年策定)今こそ
 ふたたび被爆者をつくらないために

二大要求実現へ新たな運動を 木戸季市
わたしたちの問題として 林田光弘
7面 被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
 運動の歴史を学んで活動を

とりくみの蓄積を実感 「受忍論、初めて知った」の声も
 核廃絶ネットワークみやぎが講演会

日本被団協発行のパンフレット
8面 相談のまど
 妻の介護と慣れない家事…
 健康維持のためにも気分転換を

 

平和のために―
句集『広島』

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あの日を永遠にとどめよう。
忘れ去られることのないように――。
忘却が生むおろかな反復によって、ふたたび、地表の亀裂に、おびただしい血が流しこまれることのないように――。
消えやらぬ数々の戦慄の記憶と、深い深い慟哭を、ここに刻みこんで遺そう。
同時に、力強い平和へのうたごえを、ここにぎっしり詰め込もう。
とめどない涙も、ここにひとつの底光る決意として象嵌するのだ。
平和のために――。
(句集『広島』編者のことばより)

 2022年夏、広島で句集『広島』500冊が見つかったニュースが流れました。今では入手困難な貴重な書籍、写真はその1冊です。
 句集『広島』は原爆投下から10年後の1955年8月6日発行。第1回原水爆禁止世界大会が広島で開かれるのに合わせて、その1年前から作品を公募しました。「十才で被爆死した童女の遺作から、八十余才、今も老残の身で後遺症に悩む人の詠嘆に至るまで、およそ全国の各地から、いや遠くは朝鮮海峡を隔てた彼方からさえ…その総数一一、〇二三句、六七四名」(「おわりに」より)。ここから545人の1521句が選ばれ、俳人としての有名無名を問わず氏名の50音順に掲載されています。
 編集委員会の「平和のために―」という思いの中に、「ふたたび被爆者をつくらない」決意が読み取れます。
 多く「あの日」を詠った中に平和を希求する句も。
長野・菊池光彩波
稲光り無人の地球たらしむるな
東京・栗林一石路
紅葉にうたう若きは「原爆ゆるすまじ」

 同年、句集『長崎』も出され、広島・長崎が人々の心に刻まれていきました。


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年頭所感
命ある限り

代表委員 箕牧智之

 新年あけましておめでとうございます。
 今年は広島、長崎に原爆が投下されて78年を迎えます。被爆者の高齢化が進み、核兵器の廃絶を訴え続けて来られながら多くの先輩たちが亡くなっていかれました。
 核兵器禁止条約が採択され、発効しましたが、核保有国は依然として持ち続け、核の傘に依存する日本も条約に背を向けています。
 コロナで悩まされる中、昨年も多くの子どもたちに被爆証言をさせていただく機会に恵まれました。北は北海道の旭川、帯広、幕別高校から南は山口の山陽小野田の中学校まで、核兵器の怖さを映像でお伝えして講話の最後に「戦争には絶対に反対してくださいよ」とお伝えしています。
 今年広島では、5月にG7サミットが開かれます。広島はその準備で大忙しです。
 また11月から12月にかけて国連では第2回核兵器禁止条約締約国会議が開かれます。
 元気で活動できる被爆者の数は少なくなっていますが命ある限り「核兵器の廃絶」を訴え続けていきましょう。


「核抑止論」からの脱却を
国際賢人会議で被爆者が訴え

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 核兵器廃絶の道筋を探る国際賢人会議の初会合が12月10、11の両日、広島市のホテルで開かれ、国内外の有識者や元政府高官が被爆者の声を聞いて論議を交わしました。
 米ロ中など核兵器を持つ6カ国と非核国(うち核兵器禁止条約の賛同国2カ国)の委員15人のうち13人が参加。オバマ元米大統領ら6人がビデオメッセージを寄せ、グテレス国連事務総長は「核の脅威を終わらせるという被爆者の訴えを心に留めなければならない」と、立場を超えた話し合いを求めました。
 公開の意見交換会には被爆者や市民団体の代表18人が出席。箕牧智之日本被団協代表委員(広島県被団協理事長)は「原爆投下の場面を想像してください」と危機感を訴え「粘り強く核保有国と日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求め、核兵器の廃絶を世界に訴えていこう」と呼びかけました。
 木戸季市事務局長は「核兵器は戦争をなくす力になっていない。核抑止論は欺瞞だ」と指摘。「核兵器が人類を滅ぼすか、人類が核兵器をなくすか」の岐路に立ち「話し合いこそ」が核兵器をなくす道、命を守る道と強調しました。
 田中聰司代表理事(広島被爆者団体連絡会議事務局長)は①NPT再検討会議の早期再開②核禁条約の被爆者援助への日本と核保有国の人道的協力③日本の「橋渡し」具体策―などの協議を提言しました。
 気候変動に寄せられているような若い世代の国際的関心が核兵器に向けられないかと、委員側からの問いかけも。若者代表が、被爆者との出会いをつくり連帯を広げる取り組みを語りました。
 国際賢人会議は、岸田首相が外相時代に設置した賢人会議を拡大したもの。2日間の会合は非公開で目立った進展はありませんでした。春の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)の前に2回目会合を開き、3年かけて成果文書をまとめるとしています。(田中聰司)


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「あきらめない」決意
県民公開講演会 滋賀

 11月23日、滋賀弁護士会館で、核戦争防止滋賀県医師の会と日本政府に核兵器禁止条約の批准を求める滋賀県民の会の共催で県民公開講演会を開催しました。会場に30人、オンラインで7人の参加がありました。
 日本被団協事務局次長の和田征子さんを講師に「第10回NPT再検討会議に参加して~被爆者の思い、そしてこれから」と題してお話しいただきました。
 まず、1歳で被爆された和田さんが、お母さんから聞いた話を語りました。次にNPT(核兵器不拡散条約)について、1970年に成立後、2015年再検討会議の決裂などで軍縮が進まないことに非核保有国が危機感をもち、「核兵器の非人道性」に焦点を当てた運動が起こって2017年7月核兵器禁止条約ができたことを説明。「条約ができた時、暗い世界に一条の光を見る思いだった」と話しました。しかし日本政府の態度にはがっかりの連続で、批准を求める話をしても、何語で話せば通じるのかと疑うほどの距離があるとのこと。この事態を打開しようと、若者たちが政治家に会う取り組みをしているとのことでした。
 被爆者の方々の必死の活動の様子がよくわかる講演で、和田さんが話された「魔法の方法はないので、地道に、コツコツと全国のみなさんと頑張りたい」の言葉通り、あきらめず、地道に活動を継続させる決意を新たにしました。(塚本昌子)


「国連原爆展」貸し出し始まる
申し込みは日本被団協へ

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 昨年8月の第10回NPT再検討会議に合わせてニューヨークの国連本部ロビーで展示された日本被団協制作の原爆展は、1カ月の間、多くの外交官や市民が訪れ見学しました。ニューヨークで制作されたパネルは日本に輸送され、11月に日本青年館で「国連原爆展inTOKYO」としてすべてのパネルを展示し、好評を得ました。

国連原爆展の貸し出し

 日本被団協は、被爆の実相と被爆者の死と生、核兵器廃絶にむけてたたかってきた被爆者とそれを受け継ぐ人々を描いた「国連原爆展」を、国内でも多くの人々に見てもらうためパネルの貸し出しを行ないます。
 パネルは、日本被団協が制作した48枚に、国連の推薦文を掲載した1枚を加えて49枚。パネルの説明文は英語のため、各パネルに対応する日本語説明ボード(A3判)を用意しています。
 専門業者に保管と、貸し出しの際の送り出しを委託しており、各地での展示後は業者あてに返却することになります。
 貸し出しの申し込みは日本被団協事務局まで。「貸し出し要領」と申し込み用「パネル一覧表」が送られます。
 貸し出し料は、10枚まで1万円、11~30枚が1万5千円、31枚以上2万円です。別に往復の梱包送料の負担が必要です。
 申し込み順の貸し出しで、期間は送付にかかる日数を含めて10日をめどとしています。

パネルの大きさ

 パネルは「原爆と人間」パネルに比べてかなり大きく、また数種類のサイズが混在しています。一覧表にパネルのサイズが表示されているので、そのサイズと展示会場の広さの確認が必要です。

友好団体と協力して

 日本被団協は、それぞれの地元で友好団体や支援者と協力して実行委員会を結成し、自治体にも働きかけるなど、実施の仕方を工夫して国内各地での展示を実現するよう呼びかけています。


国連原爆展は核廃絶の力に
吉沢てい子(横浜市民のつどい実行委員)

 ニューヨークの国連本部ロビーに展示され、NPT再検討会議に参加した世界の代表に訴えた「原爆展」。日本で初披露(11月11~13日)。是非見たいと、日本青年館を訪れました。
 一つ前々から叶えたいことがありました。近所に住む空襲体験者の方が「『焼き場に立つ少年』の写真が忘れられない」と言っていましたので、写真をお渡しできればと思っていました。今回の展示の中にあるかもしれない…ありました! 2番目に飾られていて、写真を撮り、お渡しすることができました。
 「ヒロシマ・ナガサキから75年 ヒバクシャ― 核兵器廃絶に取り組む勇気ある人びと」と題されたこの展示は、広島・長崎の街も人も破壊され、殺戮された実相、ネバダ・チェルノブイリ・福島など核実験や原発による被害や脅威、国連や被爆者の歩み、高校生や大学生、各国の青年たちの取り組みなど、パネルの一枚一枚が被害者や運動してきた多くの人々の核廃絶の声を代表していて、どれも欠かせない48枚。核廃絶のこれまでの運動の歴史、世界や世代を超えての広がりを学ぶことができました。
 「国連原爆展」は、これから、ダイナミックにアピールし、核廃絶の重要な力になっていくと思いました。日本の隅々で、世界中でこのパネルが展示活用されることを願っています。国連や外務省が後援したのですから、各自治体でも市民団体と共催で開催できたらと願っています。


「原爆被害者の基本要求」(1984年策定)今こそ
ふたたび被爆者をつくらないために

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〈1985年新年号「目で見る基本要求」(イラスト・西山すすむ)〉

二大要求実現へ新たな運動を

木戸季市 日本被団協事務局長

 戦後77年日本は戦争によって一人の命も奪わず奪われていません。憲法が命を守ったのです。しかし今、日本政府は「戦争する国づくり」にまっしぐらです。日本被団協は「自らを救い…人類の危機を救う」ために「ふたたび被爆者をつくらない」ことを願い、原爆被害者の基本要求として、「核兵器の廃絶」と「原爆被害への国家補償」の二大要求の実現を求めてきました。日本が核兵器を容認し戦争する国になることは許せません。
 昨年2月24日、ロシアのウクライナ侵略と核兵器の使用威嚇に被爆者と多くの人が怒りに震えました。戦争は長期化、泥沼化の様相を呈しています。核兵器が使われる危険は去っていません。
 6月、核兵器禁止条約第1回締約国会議が開かれ、ウィーン宣言と行動計画が発表されました。2年遅れで開かれた8月の第10回NPT再検討会議では最終文書合意に至りませんでしたが、多くの国が核兵器禁止条約とNPTの補完性、一体性を強調し核兵器の廃絶を求める強いメッセージを語りました。
 日本被団協は両会議に代表を派遣し、核兵器の反人間性と核兵器から人類を救う唯一の道は核兵器の廃絶であること、国際紛争の解決は武力ではなく話し合い・対話でこそ実現できることを訴えてきました。
 全国都道府県代表者会議では被団協運動を受け継ぎ新たな運動をつくる議論を始める提案をしました。議論の柱は二つあると考えます。
 一つは、被爆後77年被爆者はいかに生き、結成から66年被団協はいかにたたかってきたかを学ぶことです。
 もう一つは何を受け継ぎ、どんな運動をどんな人たちと創りだすか語り合うことです。被団協のすべての会合(総会、都道府県代表者会議、代表理事会、ブロック会議、都道府県や地域の会、友好団体との協議など)で議論していきましょう。
 2021年の全国聞き取り調査と2022年都道府県代表者会議に向けたアンケート調査の結果は、新しい運動を創る条件があることを示しています。全国の原爆被害者組織ではすでに被爆者だけでなく二世をはじめ支援者と共に活動しています。被爆者の減少と高齢化、後継者不足に悩みながら、2020年まで取り組んだ「ヒバクシャ国際署名」運動、その後の友好団体との共同行動が進んでいます。
 「核兵器の廃絶」は、被爆者だけの願いではありません。「原爆被害への国家補償」も、国が二度と戦争をせず核兵器被害を生まない決意を示すものとして、ひろく国民の願いとなりうるものです。この二大要求をかかげる「原爆被害者の基本要求」は、すべての人びとの平和な未来を実現するものです。
 今こそ、被団協運動を受け継ぎ、二大要求を実現する新たな運動を始めるときと確信します。
 「原爆被害者への基本要求」と岩波ブックレット「被爆者からあなたに」を読み合い、学び、語り合いましょう。


わたしたちの問題として

林田光弘 元ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダー 長崎大学RECNA特任研究員
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 アメリカの公民権運動でキング牧師たちは、問題の当事者を黒人だけではなくさまざまな人種、宗教などあらゆるマイノリティへと拡大することで成功を収めました。運動の末に成立した「公民権法」は黒人の人種差別撤廃にとどまらず、人種、肌の色、宗教、出身国を理由に差別・隔離されてはならず、すべての人が財などを「完全かつ平等」に享受する権利が定められたのです。
 このことに触れたとき、真っ先に頭に浮かんだのは被団協の結成宣言「世界への挨拶」でした。「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」という決意を誓った被団協のスタンスは、公民権運動と重なります。
 被爆者も2つの法的枠組みを基本要求という形で訴え続けて来ました。一つは核廃絶であり、もう一つは国家補償としての被爆者援護法(以下、国家補償)の制定です。
 原爆は突然空から降ってきたのではなく、戦争の中で投下されました。長崎に次ぐ第三の被爆地があるとすれば、必ず戦争の中で生まれるでしょう。だからこそ、核兵器をふたたび使わせないためには、核廃絶と非戦・反戦がセットでなければなりません。時の状況に左右されない決意にするためにも、被爆者は戦争と原爆投下の因果関係を法律の形で明文化することを求めてきたのです。
 2022年12月、日本政府は敵基地攻撃能力の保有と防衛費の大幅増額を明記した安保3文書を取りまとめました。戦後日本が貫いて来た専守防衛を逸脱するものですが、論点は費用確保のための増税の是非にすり替わってしまっています。
 ロシアによるウクライナ侵攻によって、かつてないほど核兵器使用のリスクが高まる今、世界は軍拡か軍縮かの帰路に立たされています。戦争はどのように起こるのか、戦争や原爆の被害はどんなものなのか。加害者にも被害者にもなりうる状況の中で、その両方にリアリティを持って想像し、敵や味方という視点ではなく人間という立場で行動できる人でありたい。人間・人類の立場で戦争や原爆を見つめ、抗うこの態度(反原爆)こそ、被爆者が世界へ示し続けてきたものです。
 2022年はNPT再検討会議に禁止条約締約国会議、日本政府による賢人会議と核軍縮に関する国際会議が多く行なわれた年でした。すべての会議で、大学生等を中心とする若い世代が活躍しました。彼ら、そして私自身は被爆者の思想や行動に影響を受けながら、核時代を生きる1人の当事者として問題と向き合っています。被爆者の思いは、咀嚼され、私たちならではの当事者意識へと昇華されることで受け継がれているのです。
 最後にキング牧師の言葉で最も好きな一節を。「私たちは限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない」。


被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
運動の歴史を学んで活動を

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大村義則 愛知県原水爆被災者の会副理事長(被爆二世)

 日本被団協では、原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律を「被爆者援護法」と略さず、「えんごほう」と呼ばない。「現行法」と呼ぶ。それが何故かは、国家補償にもとづく原爆被害者援護法を求め続けてきた被団協運動の歴史に触れたブックレットを読むとよくわかる。
 私たち被爆二世は、被爆者に準じる医療費助成を求める運動を行なっているが、その内容は1980年代後半と90年代初頭に参議院で、二度も可決された原爆被害者援護法案に盛り込まれていた(衆議院での否決で法の制定に至らなかったが)。私たち被爆二世の運動も、ブックレットに記載された先輩被爆者のみなさんの運動の歴史をよく学んで活動しなければならないと、つくづく感じている。
 ブックレットの冒頭には、悲惨な被爆体験が記述されている。ここが原点だと思う。
 愛知県原水爆被災者の会理事長の金本さんは、厚労大臣との定協協議の場で「青春時代をまどうてほしい」と言って亡くなったお姉さんの言葉を伝えた。峠三吉の詩「にんげんをかえせ」を思い出した。


とりくみの蓄積を実感
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「受忍論、初めて知った」の声も

核廃絶ネットワークみやぎが講演会

 核廃絶ネットワークみやぎは11月25日、講演会と第1回総会を仙台市福祉プラザで開催しました。開始前、東北放送で放映された西山進さんと「おり鶴さん」を紹介するニュースの映像を上映、参加者全員で西山さんに黙祷を捧げました。
 開会あいさつでは、木村緋紗子代表が西山さんのこと、そして講師の栗原淑江さんの紹介をし、「被爆者がなぜ運動を続けているのかを皆さんに考えてほしいし、運動を続けていってほしい」と訴えました。

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 講演会では、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会事務局の栗原淑江さん(写真下)が、レジュメのほかにもたくさんの参考資料とパワーポイントの資料を用意してくださいました。長年の取り組みの蓄積の大きさを実感する内容でした。学生時代から取り組んだ被爆者の調査活動で、被爆者の本当の思いと、核兵器被害の大きさを学んだといいます。日本政府が原爆・戦争被害「受忍政策」を言い出したことに被爆者は大きな怒りをもち、「核兵器廃絶と援護法の制定」という二大要求を明確にして運動を作ってきた経緯も詳しく教えてくださいました。そして、核廃絶ネットがノーモア・ヒバクシャの拠点になることを期待している、と訴えられました。参加者からは「受忍論を初めて知った、とんでもないことで許せない」という感想が多く寄せられました。
 引き続き第1回総会を行ない、事務局からの提案の後、6人の方から議案に対する質問や、栗原さんへの質問と感想、核廃絶ネットへの加入宣言、参加組織の核兵器廃絶に関する取り組みの報告などがありました。議案は全て承認され、2023年に向けて取り組みが共有されました。
(核廃絶ネットみやぎ)


日本被団協発行のパンフレット

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『原爆被害者の基本要求 ―ふたたび被爆者をつくらないために―』

 1980年に原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が出した、戦争被害受忍論をのりこえるため、日本被団協は全国的討議を経て84年に「原爆被害者の基本要求」をつくりました。被団協運動の基本的文献。
 「基本要求」本文のほか、策定に至るまでの日本被団協全国討議の内容の報告もあり、多くの被爆者の声を反映して作り上げられたことがわかります。巻末には「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(現行法)と法制定時の国会答弁を掲載。現行法が「受忍論」に基づいたものであることが明らかにされています。
 200円(送料別)。

『ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!
 ―なぜ被爆者は現行法の改正を求めるのか』

 現行の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が、基本懇意見の受忍論に基づく法律であることを明らかにし、改めて国家補償を求める日本被団協の決意を示したパンフレットです。
 Q&A形式でわかりやすい解説も。
 200円(送料別)。

『日本被団協60年の歩み』

 結成60周年記念式典(2016年)でのスライド映像をもとに制作したパンフレット。1956年8月の結成以来60年にわたる運動の歩みを、1ページごとにカラーを含む写真と短い文章でまとめ、紹介しています。巻末に略年表。
 400円(送料別)。

*パンフレットの申し込みは日本被団協事務局まで。〒105―0012東京都港区芝大門1―3―5ゲイブルビル9階 電話03―3438―1897 FAX03―3431―2113 Eメールkj3t-tnk@asahi-net.or.jp


相談のまど
 妻の介護と慣れない家事…
 健康維持のためにも気分転換を

 【問】夫婦ともに被爆者です。私も高齢になり自分の身の回りのことをするのがやっとの状態です。最近、妻が体調を崩して介護保険サービスを利用するようになり、週1回のデイサービスにやっと行くようになりました。妻は自分が家事などもできていると思っているようですが、家の中のことは私が慣れないながらもしています。そのため妻とはしょっちゅう口喧嘩です。妻の介護をするのが嫌なわけではありませんが、気分転換をすることもなく、このままいけば私も倒れるのではないかと不安です。

*  *  *

 【答】多くの男性は、仕事を頑張ってきて家の中のことは妻任せ、第一線から身を引いても変わりなく過ごされてきたと思います。でも、いま頑張って家事などをされているのは本当に素晴らしいことだと思います。
 介護することで、男性でも女性でも自分の時間が少なくなってしまいます。身体的にも精神的にも頑張りすぎて気を抜く時間が持てないという声も聞きます。女性が介護をしている場合は買い物ついでにおしゃべりをしたりできるようですが、男性はそういう時間を持つのが苦手の場合が多いようです。
 ケアマネジャーと相談してデイサービスの回数を増やすとか、毎月一週間くらいショートステイを利用されたらいかがでしょうか。
 奥さんがデイサービスに出かけたときに囲碁や将棋など趣味の場を持つことはできませんか。時には被爆者の会の事務所に出かけて何か雑務の手伝いや、おしゃべりをするのもいいでしょう。
 被爆者健康手帳をお持ちなので、デイサービスやショートステイの利用料負担には助成があります。共倒れになっては困るからと、奥さんともよく話し合ってみたらいかがでしょうか。あなたの健康維持を第一に考えられたらいいと思います。