被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> 「被団協」新聞2021年5月号(508号)

「被団協」新聞2021年5月号(508号)

2021年5月号 主な内容
1面 核兵器禁止条約と憲法9条
2面 奇数月22日に署名行動 広島7団体
「被爆者の森」補修の要望実る 広島
新作朗読劇上演へ 愛媛
核兵器廃絶のため学び行動
第1回定例会と学習会開催 岡山・二世部会
非核水夫の海上通信(201)
4面 相談のまど
  80歳を越えたふたり暮らし
  これからのことが心配です

 

核兵器禁止条約と憲法9条

Photo

 今年1月22日に発効した核兵器禁止条約と、戦争放棄を宣言した日本国憲法9条について、長年日本被団協の運動に寄り添ってこられた弁護士の内藤雅義さんに寄稿いただきました。

被爆者の声が世界を動かした

 今年1月に核兵器禁止条約(以下「禁止条約」)が発効しました。被爆者をはじめ核兵器の廃絶を求めてきた人々は、これを「核兵器の終わりの始まり」と評価しています。被爆者は、原爆によってもたらされた苦難と被害は到底容認しがたいものであり、その被害の反人間性から核兵器は全面的に廃絶するほかないと繰り返し訴え続けてきました。禁止条約前文でも、これらについて明確な認識と言及が示されています。文字どおり、被爆者の声が世界を動かして禁止条約発効に至ったのです。
 被爆者が求め続けてきたのは「ふたたび被爆者をつくらない」ことであり、核兵器が絶対に使われないことの証を勝ち取ることでした。それは、核兵器使用につながる戦争そのものへの強い拒否、日本国憲法9条への強いこだわりともつながっています。
 そこで思い起こされるのが、原爆症認定集団訴訟での私の担当原告の言葉です。彼女は、1950年に勃発した朝鮮戦争に大変なショックを受けたといいます。それは、小学校2年生での自らの被爆体験から、もはや戦争は絶対に起こらないと思っていたのに、また起きてしまったから、というものでした。日本被団協事務局長の木戸季市さんも朝鮮戦争の勃発で同じ思いを抱いたといいます。

戦争をなくすという思い

 そこに感じるのは、被爆者は生き残ってしまったという感覚です。生き延びた悲惨な光景から生ずる、人間は生き延びるためには何でもする―自分を含む人間そのものへの不信があるような気がします。そして、これを打ち消すためには、生き延びるために殺しあう戦争そのものをなくさなければならないという思いと結びついているのではないでしょうか。
 それはまた、ラッセル=アインシュタイン宣言(1955年7月、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して当時の世界第一級の科学者らが連名で、核兵器廃絶と科学技術の平和利用を訴えた文書)の「たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである」という一節につながります。
 私の担当原告や木戸さんの思いの背景には、生き残った苦しみがあり、極限状況に置かれたからこそ人間のつながりを維持しようとする人間らしさの現われでもある気がしてなりません。人間の弱さ、愚かさの認識とともに、人間のつながりの大切さの認識とそのような世界の構築こそが、禁止条約と日本国憲法9条の精神でもあります。力による攻撃、とりわけ核兵器は絶対に使用しない、それをお互いに保障しあう関係を築くことが求められているのです。

核兵器を使わない保障

 その出発点として、核兵器でない攻撃には絶対に核兵器を使わないという保障が大切だと思います。核兵器国間では核兵器先制不使用であり、核兵器国と非核兵器国との間では、消極的安全保障です。非核兵器国が非核兵器地帯条約を締結し、非核兵器地帯条約締約国である非核兵器国に核兵器国が核兵器を使わないという約束をするのが、消極的安全保障の基本的な枠組です。
 米国のオバマ政権時代に核態勢見直し(NPR)で、米国政府が核兵器の先制不使用政策を採用しようとしたことがありました。(2面につづく)
 その際に日本が反対したために採用されなかったともいわれています。日本政府は、米国が核兵器先制不使用政策を採用したら米国の核兵器の脅しが利かなくなり、核兵器国による核兵器保有を背景にした現状変更(たとえば中国による尖閣列島占領)が起こりうると考え、それを抑止したいと思ったのでしょう。
 しかしたとえば、日本と南北朝鮮で北東アジア非核地帯条約を締結し、米ロ中から条約により消極的安全保障を得て現状変更を止めるという方法もあるはずです。南沙諸島問題で中国と日本の尖閣と同じ問題を抱えるベトナムは、東南アジア非核地帯条約に加盟しており、それもあって禁止条約の批准国となっています。非核兵器地帯条約の代わりに、日本が韓国、北朝鮮とともに禁止条約に加入し、禁止条約加入国には核兵器国が攻撃しない約束を取る、という方法もありうるのではないでしょうか。

原爆の反人間性を訴え

 日本国憲法前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書かれています。
 被爆者は、自らの体験から原爆被害の反人間性を繰り返し訴え、原爆被害を含む戦争の惨禍をもたらした国(国を構成する主権者である私たち自身でもあります)の戦争責任を明らかにし、それに基づく国家補償を求めてきました。それは国の戦争責任を明らかにし、日本国が、憲法9条に示されているとおり、けっして戦争をしない国になることの誓いをせよという要求でもありました。
 力による抹殺や横暴を防ぐ方法は、それが絶対に許されないことを体験を踏まえて訴え、そう思う人、社会、国を増やして、その結びつきで核兵器の力に対抗していくことだと思います。
 禁止条約は、まさにそのようにしてできたものです。被爆者の思いが広がれば、核兵器のみならず戦争のない世界もけっして夢ではないと信じます。(弁護士・内藤雅義)


奇数月22日に署名行動

Photo
日本政府に禁止条約参加求め 広島被爆者7団体

 広島の被爆者7団体は核兵器禁止条約の発効から2カ月たった3月22日から、日本政府に禁止条約への署名、批准を求める街頭署名活動を始めました。
 核兵器禁止条約が発効したものの、日本政府が世界の流れに逆行するように全く応じようとしないため、広島の被爆者が立ち上がったのです。条約発効の1月22日を記念して、今後奇数月の22日に街頭署名活動を実施します。
 初日は、平和記念公園内の2カ所に署名台を設置。各団体の代表らが横断幕を掲げ、「皆さんの一筆、一筆で政府を動かしましょう」と呼びかけました。コロナ禍の中通る人はまばらで、一時雨にも見舞われて30分足らずの活動になりましたが、それでも42人の署名が寄せられました。
 次は5月22日。署名活動を重ねながら、市民団体などに幅広く活動への参加、協力を呼びかけていく計画です。県内自治体の首長、議長にも賛同を求める要望書を送りました。コロナ禍で身動きが難しい中ですが、日本の全国民がこの署名活動に参加してくださることを念じています。
(箕牧智之)


「被爆者の森」補修の要望実る 広島

 日本被団協が核兵器廃絶の願いを込めて47都道府県の県木を植えた「被爆者の森」(広島市平和大通り)が、広島県被団協の要望で、このほど整備されました。
 昨秋、この森で姿を消した樹木があることが分かり、管理している広島市が実態を調査。枯れたりしていた北海道のライラック(代木)、石川県のアスナロ、高知県のシラカシ(代木)の新たな苗木が植えられました。また、無くなったり壊れたりしていた13道県の樹名板も新たに取り付けられました。
 被爆者の森は、日本被団協が被爆45年を記念して1990年に整備し、市に寄贈。約1㌶には茂った大樹と「ふたたび被爆者をつくらない」願いを刻んだ石碑などがあり、国内外から訪れる人々の平和学習と憩いの場になっています。
(田中聰司)


Photo
成功させる会結成
Photo
「会」ニュース創刊号

新作朗読劇上演へ

公演を成功させる会 愛媛

 3月27日、愛媛県松山市で「新作朗読劇『あの夏の日(仮題)』公演を成功させる会」が結成されました。愛媛県原爆被害者の会が、専門家に委嘱して新作の朗読劇を制作・公演することを通じて被爆の実相を広く市民に広めていくことを企画し、このほど県の補助事業とされる見通しがついたことから、その事業を支援することを目的に結成されたものです。
 会議では、脚本家の南英二さん(東京在住)が構想段階のシナリオのあらすじを紹介するとともに、出演者として俳優の田中健さんや講談師の神田陽子さんなどが決定したことも報告。その後、9月5日の公演日の成功をめざす方針、予算、役員案などが提案され、活発な質疑を経て「成功させる会(略称)」が結成されました。
 なお、会長には岡本教義さん(原爆被害者の会)、副会長には越智勇二さん(原水禁)と永瀬勉さん(原水協)、事務局長に松浦秀人(原爆被害者の会)、事務局次長に林一幸さん(うたごえ協議会)が選出されました。(松浦秀人)


核兵器廃絶のため学び行動

Photo
ナガサキ・ユース代表団と懇談

 3月30日、長崎の大学生「ナガサキ・ユース代表団9期生」の皆さんにオンラインでお話しさせていただきました。
 県・市・大学のそれぞれ英語の頭文字をとったPCU―NCの主催で、参加者は平和活動、核兵器の廃絶のために学び、行動している大学生の皆さんです。いわば大学生版の平和大使で、9年前から活動しています。出身地も大学も様々です。
 私がお話したことは、母が語った被爆体験、被爆者運動の始まりとこれまで、核兵器禁止条約について、昨年12月に被団協が行なった各政党・全国会議員へのアンケート結果(これは禁止条約が発効された1月22日に被団協が開いた全党の代表との懇談会でも発表し、ホームページで公開しているものです)、また外務省の資料による政府の禁止条約への対応、そしてこれからの被爆者運動とその継承についてなどでした。
 ユースの皆さんは毎年テーマを決めて活動していて、今年は「全国の大学生に、小学校時代に受けた平和教育について調査する」ということです。幼いころに受けた平和教育が、その後の生活や考え方にどのような影響を与えているかを調査したいということです。
 若い方々の働きによって、被爆者の運動を継承していただくことを願い、期待しております。
(和田征子)


第1回定例会と学習会開催 岡山・二世部会

 昨年11月、被爆75年の節目に発足した岡山県原爆被爆者会二世部会は、第1回定例会と二世部会主催の学習会を計画しています。当初5月23日開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大の状況を考慮し延期して、10月~11月の開催を目指しています。
 前半を学習会として、2017年にノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の国際運営委員・川崎哲さんをお招きし核兵器禁止条約の基礎知識を学ぶ講演。後半は、二世部会の定例会と、学習会講師の川崎さんを交えた交流会です。
 会員は会場参加とし、会員以外の方にはインターネットで無料配信します。開催に関する情報は二世部会ホームページhttps://www.okayamahibakusha.net/でご確認ください。(廣川義信)


相談のまど
 80歳を越えたふたり暮らし
 これからのことが心配です

 【問】80歳を越えた夫婦ふたり暮らしです。妻は被爆者ではありませんが私は被爆者健康手帳を持っています。
 私は障害者手帳をもらっており、介護保険の「要介護1」でヘルパーさんに来てもらっています。左膝を曲げることが出来なくてベッドからの移動もヘルパーさんに介助してもらう状況です。
 妻も介護を受けているため私の世話をすることは大変です。もうしんどくてしんどくて、夫婦ふたりでどうしたらいいだろうと話していますが、とても不安です。妻にこれ以上負担をかけたくはありません。

*  *  *

 【答】おふたりとも介護が必要な状態なのに、奥さんは無理してあなたのお世話をなさっているのでしょうね。そのことに心を痛めているあなたのやさしさに、心打たれます。
 あなたの状態をお聞きするかぎり、介護度がもう少し上がるのではないかと思います。ケアマネジャーと相談して、まずは介護認定の区分変更をされることをお勧めします。介護度が上がると、もう少しヘルパーサービスや他のあなたに必要なサービスを増やすことができるでしょう。介護の限度額を超えてヘルパーにサービスに入ってもらうこともできます。その場合は費用全額が自己負担となりますが、被爆者援護施策の「介護手当」を申請・受給して、その費用にあてることができます。
 「介護手当」は、①介護を受ける被爆者の障害が重度で同居家族が介護している場合、②同居家族以外の人に費用を払って介護をしてもらう場合、の2種類あります。
 ②は障害の程度が中等度と重度の2段階に分かれていて、中等度の場合は月額7万360円を上限として、重度の場合は月額10万5560円を上限として支給されます。
 あなたの場合、障害が中等度に該当すると思われるので、②が利用できるのではないでしょうか。ケアマネジャーに、サービスを増やしたいこととこの手当について相談してみてください。奥さんの介護負担を少しでも減らすことができると思います。
 介護手当の手続きは、住所地の保健所または県の被爆者担当課に問い合わせて、介護手当申請書類(申請書、診断書等)を入手してください。申請書は本人が記入し、診断書は主治医に記入してもらい、申請します。認められれば、毎月領収書を添付して請求すると手当が支給されます。