被団協新聞

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「被団協」新聞2015年 9月号(440号)

2015年9月号 主な内容
1面 被爆70年 核兵器廃絶へ 伝え、受け継ぐ新しい世代の継承
2面 <被爆70年 広島・長崎宣言>今こそ核兵器のない世界を!(要旨)
被爆70年 夏の各地の取り組み
非核水夫の海上通信133
3面 平和展開催 岐阜
仲間を得て思い新たに 第2回胎内被爆者のつどい
オスロで核兵器禁止コンサート 藤森俊希事務局次長があいさつ
国連原爆展パネル 各地で展示
三宅信雄の洋上通信 ピースボート乗船中
4面 相談のまど 身体障害者手帳
原爆死没者肖像画を展示 第63回平和美術展
本の紹介 『原爆体験と戦後日本』 直野章子 著
被爆70年のつどい 広島・長崎はなんだったのか?―今を戦前にしないために―

 

被爆70年 核兵器廃絶へ 伝え、受け継ぐ新しい世代の継承

被爆者と市民のつどい 広島

 「核兵器のない世界のため 被爆者と市民のつどい」が8月5日、広島の文化交流会館で開かれました。広島・長崎両市後援、個人・団体の協賛で日本被団協が主催。会場には「原爆と人間」パネルが展示され、被爆者、高校生、大学生など国内外330人を超える参加者でいっぱい。演奏や歌、被爆者の証言、外国代表の挨拶、若い担い手の決意表明、「被爆70年広島・長崎宣言」を確認し感動に包まれました。

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子どもたちのマリンバ演奏で始まったつどい

 子どもたちの演奏
 司会は舞台「父と暮せば」の被爆者役を演じた俳優の斉藤とも子さん。広島ジュニアマリンバアンサンブルの演奏で開会。アニメ「つるにのって」の原案者美帆シボさんが紹介され、笑顔で奏でるマリンバ演奏に、大きな拍手が送られました。

 国連事務総長から
 国連のキム・ウォンス軍縮担当上級代表代行が、パン・ギムン事務総長の「核兵器反対の世界的な動きが前進しているのは被爆者の皆さんのおかげです。特に皆さんが未来を考え、若者にバトンを手渡す努力をされていることに感謝の気持ちを表します」とのメッセージを読みあげました。

 被爆者の証言
 広島被爆の三宅信雄さん(埼玉)は、15歳の時満員電車の中、爆心地から1・8キロの千田町で被爆。凄惨な光景が目に焼き付き広島を避け東京に移住。世田谷で「ふたたび被爆者をつくるな」と運動する被爆者に感銘し52歳で証言を始め「核兵器は一発も使ってはいけない。命ある限り訴え続ける」と語りました。
 長崎被爆の漫画家西山すすむさん(福岡)は、17歳の時爆心地から3・5キロの工場内で被爆。前日まであった町が砂漠のようになった光景、小さな黒焦げの死体、浦上川に水を求めて数珠つなぎに浮かんだ人たち…誰が企て、誰がやった戦争か…再び戦争にならないよう核兵器の残虐性を訴え続けると語りました。

 被爆者の70年のたたかい
 日本被団協の田中熙巳事務局長は「被爆70年の時を刻んで 被爆者の死と生のたたかい」をテーマに映像とともに報告と提言を行ないました。
 原爆投下から「見捨てられた10年間」を経て1956年に日本被団協結成に至るまでと、国家補償の精神のない現行法の改正を求める運動は続いているとのべ、核廃絶の世論を高める市民社会の役割を強調しました。

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愛媛大学の学生たち

 若い担い手の決意
 核兵器廃絶の署名活動に取り組む高校生ら若い担い手の4人が、被爆者の思いを引き継ぐ決意を力強く表明しました。
 福山の盈進高校の橋本瀬奈さんは、曾祖父が被爆死したことは知っていました。最近、写真を見つけ、県庁でB29の監視中に被爆し、その日に亡くなったことを知りました。水を求めた最後の姿を聞き「同じ思いをさせない」と涙ながらに誓い、感動を呼びました。
 被爆地に学ぶ活動を進めている広島の大学生、小林卓也さん、日本青年団協議会会長の照屋仁士さん、ノーモア・ヒバクシャ訴訟の原告団の弁護を務める京都の若手弁護士、諸富健さんが、それぞれの立場から、被爆体験の継承と核兵器廃絶への決意をのべました。
 愛媛大学と原水禁世界大会参加の学生が檀上にあがり、今、私たちがどれだけ平和にくらしているか、70年前の被爆の体験を忘れないよう継承したいと発言しました。
 広島県被団協の清水弘士事務局長は、広島での若い人たちの核兵器廃絶の集会に感動し、希望を感じたと述べました。

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広島合唱団の合唱

 外国代表の挨拶など
 被団協と二人の被爆者をノーベル平和賞に推薦している国際平和ビューロー事務局長のコリン・アーチャーさんが挨拶。赤十字国際委員会駐日代表リン・シュレーダーさんのメッセージが紹介されました。
 広島生まれのラテン・シャンソン歌手財満光子さん(85歳)が「平和の歌」など力強く歌い、広島合唱団は熱唱の後「青い空は」を会場と一体で歌いあげました。
 日本被団協の坪井直代表委員が閉会の挨拶。「核兵器をなくすまで、どんなことがあっても諦めてはいけません。ネバー・ギブアップ」と締めくくりました。

 今こそ核兵器のない世界を! 広島・長崎宣言
 「今こそ核兵器のない世界を 被爆70年広島・長崎宣言」(要旨下)が読みあげられ、斉藤さん(司会)の「被爆者の皆さんは平和の証、若い人たちのためにも一日も長く生きてください」との言葉でつどいを閉じました。


〈被爆70年 広島・長崎宣言〉 今こそ核兵器のない世界を!(要旨)

 1945年8月6日と9日にアメリカが投下した2発の原爆は、広島と長崎を一瞬にして人類史上かつてない“この世の地獄”をつくりました。
 被爆者は、体験を通して、原爆が人間に何をもたらしたかを語り、原爆は人類と共存できないことを訴えつづけてきました。被爆者の願いは、ふたたび被爆者をつくらないことです。
 核兵器の廃絶、原爆被害に対する国の償いは、被爆から70年たった今日でも、実現していません。
 それどころか、日本は今大変な時を迎えています。安倍首相は、戦争する国づくり法案を衆議院で強行可決しました。日本国憲法の平和主義をかなぐり捨て、今を新たな戦前にしようとしています。力を合わせ安倍首相の暴挙を阻みましょう。
 核兵器廃絶は世界の大きな流れになっています。2012年以降の核兵器廃絶を求める共同声明と核兵器の非人道的影響に関する会議の核心は「意図的であれ、偶然であれ、核兵器爆発が起これば、被害は国境を越えて広がり、どの国際機関、国家も救援の術を持たず」「いかなる状況の下でも核兵器を使用しないことが人類の利益」であり、「核兵器を使用しないことを保証するのは核兵器を廃絶する以外にない」ということです。市民社会の役割は決定的です。核兵器爆発が壊滅的結果をもたらすことを明らかにし、核兵器廃絶の世論を高めることです。
 もう一つ核問題の大きな課題を示した福島原発事故は、4年以上経過して収束のめども立っていません。制御できない原発は廃止以外にありません。
 被爆70年にあたり、被爆者は、人類が平和で安全な地球に生存できるよう市民社会と連携してその実現に力をそそぐことを表明します。


被爆70年 夏の各地の取り組み

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 街頭で訴え 愛媛
 7月25日、正午から13時ころまで松山の私鉄のターミナル駅にて「いま語る未来への伝言」と題し、愛媛県原爆被害者の会主催の集会を開催しました。参加者は被爆者を含めて約80名。「たくさん集まってくださった」と、喜んでいます。
 今回の特徴点の第1は原水禁と原水協とが同じ会場に参加してくださったこと、第2は、もう10年以上も独自の街頭行動に取り組めていない当会が街頭で市民に訴えたこと、第3に、マスコミの関心も高く多くの取材陣が押し寄せたことです。
 オープニングはピアノ伴奏つきで愛媛合唱団の歌。開会のあいさつで中路義教会長(88歳)は、広島での自らの被爆体験に触れながら、「被爆者は戦後も苦しんで来た。核兵器は悪魔の兵器、人類と共存できない」と述べ、「力を合わせて核兵器の廃絶しよう」と力強く訴えました。広島駅で当時14歳で被爆した藤村敏夫さん(84歳)が被爆証言。多くの方から、藤村さんの話に「衝撃を受けた」「感動した」との声が届きました。詩の朗読、当会からの報告、団体からの激励のあいさつがあり、最後に全員で「原爆を許すまじ」を歌い、集会を終えました。
 参加被爆者10名(写真)は最高齢が91歳で、69歳の私を含めて平均年齢80・7歳。松山市ばかりでなく、新居浜市、今治市、松前町などから駆けつけました。

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 朗読劇上演 宮城
 7月30日、仙台市福祉プラザで宮城県原爆被害者の会(はぎの会)主催のつどいが開かれました。
 第1部のNPT再検討会議ニューヨーク行動参加者トークショー(写真)では、現地での行動の様子や感想、今後の抱負など4人が報告しました。はぎの会の木村緋紗子さんは「最終文書は合意に至らなかったが、けっして悲観してはいない、間違いなく前進しているのだから」と核兵器廃絶への強い思いと決意を語りました。
 第2部は、「今、ふたたび被爆者をつくらないために-原爆被害者の基本要求-」の朗読構成劇。教授と高校生が被爆者とやりとりをする中で「被爆者援護法」が、被爆者が求める原爆被害への国の責任が明確になれば、憲法を具体化し戦争を無くすことにつながることを知るという内容です。
 私は被爆者の役をさせていただきました。基本要求をまとめる苦労、生き残ったものとしての辛さと使命感など被爆者の方々のいろいろな苦闘を感じました。平和な世の中を若者に手渡すために頑張っていくのだと言い切る被爆者の方々の生き方に、とても心打たれ、貴重な経験でした。
 参加者から「とても良かった」「感動した」との感想が寄せられ、木村さんは「ひきつづき各地でこの朗読劇を上演し、核兵器廃絶への確かな一歩を築きたい」とのべています。

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 多彩な行動 北海道
 8月6日、札幌のホテルで原爆死没者北海道追悼会を開催。1965年から半世紀の歴史を積み上げた今年、第2部「被爆者の思いを受けつぐつどい」では被爆者が語り、参加者が様々な活動を報告して交流しました。
 札幌市で行なわれた35回目の「さっぽろ平和行動」では、原爆パネル展をはじめ諸団体が思いおもいの活動に取り組みました。15日に被爆者も一緒に「赤紙配り」、平和電車(写真)が街中を走り被爆者が車内で体験を語りました。同日開催の若者憲法集会では、分科会の一つで被爆者が証言、討論に加わりました。
 函館では8日、支笏湖に身を投げた胎内被爆の高校生を歌った合唱組曲「北の被爆者 東貴雄」が、約20年ぶりに市民合唱として歌われました。
 平和都市宣言をした市の行事として、札幌市と旭川市で被爆者が講演。札幌市は市庁舎ロビーで原爆パネル展、地下歩行空間で戦争展も実施。函館市ではトロイカ合唱団が「北の被爆者 東貴雄」を歌いました。
 9日に『北海道新聞』がヒバクシャ会館と被爆者協会の活動を大きく紹介し、それを見て50人もの市民が来館、当日はてんやわんやの忙しさでした。その流れは小さくなりながら今も…この忙しさは何よりも喜ぶべきことです。

 原爆と人間展 神戸
 神戸市原爆被害者の会は、恒例の「原爆と人間」写真展を神戸駅地下街のデュオぎゃらりーで7月30日から8月4日まで開催しました。今年は被爆70年ということで意気込んでいたのですが、残念ながら展示会場移転の関係で来場者が904人と激減(昨年は5386人)。対策が必要と感じました。

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 会結成55年 石川
 朝から太陽が照り付ける金沢市内の会場で7月26日、午前は石川県原爆被災者友の会第56回総会、午後は映画「アオギリにたくして」上映会&平和コンサート(写真)、夜は会結成55周年の平和祈念式典を行ないました。
 上映会は、例年の「平和の子ら」像前のつどい実行委員会に呼びかけて1年前から準備を開始、4月に試写会とアオギリ2世の植樹祭を開催して宣伝してきました。当日は子どもや若い学生さんたちも含む参加者が詰めかけ、開場時にはほぼ満席の500人に。コンサートは、この映画のプロデューサーでもある中村里美さんが映画製作の経過を語り主題歌を披露、地元フォークソンググループ「でえげっさあ」とのコラボ演奏も実現して盛り上がりました。
 式典では日本被団協の歴史を辿るスライドを元アナウンサーの生ナレーション入りで上映し、来賓の岩佐幹三日本被団協代表委員(石川の会顧問で創立時の責任者)の講演で学びました。「『この子たちの夏』の上演運動を引き継ぎ平和サークルが支えてきた力が根付いている」「引き継ぐため教え子を誘った」「平和の種蒔きを続けたい」と発言が相次ぎました。
 友の会の役員体制も一新、二世会員を加えて新たなページへ進むことが出来たと実感できた一日でした。

「どこにいても同じ被爆者」を実感
―韓国追悼式に参加して―

日本被団協代表理事 金本弘

 韓国原爆犠牲者追悼式が、8月6日ソウル赤十字文化会館で行なわれ、日本被団協を代表して参加しました。
 300強の座席が足りないほどの参加者でいっぱいでした。茨城在住のジャーナリストから小梵鐘と広島原爆瓦が献納され、鐘の音の中で黙祷。私を含む来賓の追悼の挨拶を経て献茶式、歌や舞踊、合唱などで盛会のうちに閉会しました。
 今回出席するにあたり厚労省の在外被爆者援護対策の概要や新聞記事、体験記を読み、韓国被爆者の方々の実相を知りました。折しも、3日に開いた愛知県原水爆被災者の会の「被爆者を偲ぶ集い」に参加してくれた韓国高校生15人の平和への想いに感謝するとともに、来年は日本の高校生の韓国追悼式参加を実現したいと思いました。
 「被爆者はどこにいても被爆者」という思いを強く実感しました。多くの関係者の親切に感謝します。


平和展開催 岐阜

 岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)は、被爆70年の今年、34団体が参加した実行委員会とともに岐阜市民会館で8月12〜15日に「戦後70年平和展・ぎふ」を開催しました。その中で「国連原爆展」パネル全50枚を展示しました。ちばてつやさんの講演ほか多彩な催しを実施。14日の「被爆者の証言を聞く会」では10人の被爆者が語りました。また15日の「戦後・被爆70年を考えるシンポジウム」では、木戸がパネリストとして発言しました。


仲間を得て思い新たに 第2回胎内被爆者のつどい

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 8月5日、第2回「胎内被爆者のつどい」が広島市男女共同参画推進センターで開かれ、市民や被爆二世など約30人が参加しました。原爆胎内被爆者全国連絡会主催。
 「今、胎内被爆者として行なっていること、思っていること」をテーマに6人が公開シンポジウムを行ない、最年少の被爆者としての役割や思いを話し合いました。胎内被爆の後障害に苦しむ中で、絵の道を拠り所としてきたが、気が付くと一人ぼっち…その時、この連絡会に出合い仲間を得た喜びを語った人も。胎内被爆者の存在は世界でも日本でもまだまだ知られていない、もっと存在を訴えていきたいという発言もありました。
 同連絡会は昨年、22人が広島に集まり発会しました。今年7月末には会員が12都県45人に広がりました。10月には広島の平和資料館と碑めぐりなどが予定され、来年8月には長崎で交流会を予定しています。2年前までは全くつながりがありませんでしたが、仲間を得て、大きなエネルギーが生まれてきています。
 つどいに合わせ、18人の手記集「被爆70年に想う〜胎内被爆者等の体験記」(500円・送料別)を発行しました。70年を生きてきた様々な人生が語られています。希望の方、また、原爆胎内被爆者全国連絡会についての問い合わせは、電話090-7375-1211三村まで。


オスロで核兵器禁止コンサート

藤森俊希事務局次長があいさつ「核兵器廃絶実行する勇気を」 ―国会議員と懇談も

 広島の被爆70年にあたる8月6日、ノルウェーの首都オスロで、「ヒロシマ70―核兵器禁止のためのコンサート」が開かれました。

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コンサートであいさつする藤森次長(左)

6千人超す聴衆に訴え
 オスロ市の中心街にある会場のヨングス公園には6千人を超す市民が集まり、午後6時から始まったジャズや歌などの音楽とともに核兵器廃絶の訴えに耳を傾けました。
 主催者「核兵器ノー」の招待でオスロを訪れた日本被団協の藤森俊希事務局次長は、舞台であいさつに立ち、1歳広島被爆の体験をのべ、2013年3月、世界に先駆けてオスロで開かれた核兵器の人道上の影響に関する国際会議をはじめ、共同声明など世界の世論は圧倒的に核兵器廃絶を求めており、人類はすでに核兵器廃絶の術は見つけている、実行する勇気を発揮するだけだ、被爆者は命ある限り核兵器廃絶のため力を尽くすと訴え大きな拍手を受けました。


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フィヨルドに浮かぶ灯籠(写真=鐙麻樹)

フィヨルドで灯篭流し
 午後10時からオペラハウスが臨むフィヨルドで灯篭流しが行われ。日本被団協が用意した広島の灯篭30基とノルウェーの人たちが作製した100基の灯篭が海に放たれ、「No more Hibakusha」の文字が浮かびました。
 訪問中藤森次長は、オスロ市長、市議、国会の「核軍縮・不拡散議員連盟」の各党代表などと懇談し、最終日前日には、2011年7月に大量射殺事件があったウトヤ島を訪問。4年ぶり労働党青年部が開いたサマーキャンプで核兵器廃絶へなにをすべきかなどディスカッションで交流を深めました。


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ウトヤ島サマーキャンプで若者に囲まれて(写真=鐙麻樹)

 現地の新聞、テレビが大きく取り上げたせいか、スーパーマーケットで、店主から「ようこそおいでくださいました。光栄です」とサインを求められるなどハプニングもありました。


国連原爆展パネル 各地で展示

制作デザイナーからメッセージ

 今年4〜5月ニューヨークで開催した「国連原爆展」パネルを、7〜8月に埼玉、千葉、岐阜、神奈川の各被爆者の会と日本生協連が原爆展などで展示しました。
 パネルは全部で50枚あり、解説文の日本語訳を添付、1枚から貸し出しています。使用料と送料など、詳しくは日本被団協事務局までお問い合わせください。
 制作に携わったデザイナー、成田さんからのメッセージを紹介します。

 命の原爆展 成田恵理子(NY在住)

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 展示準備を始めなければならない頃、重度の鬱病のため、出足が至極遅れる始末。被団協からの国際電話などに励まされ、2月中旬やっとの思いで国連にプロポーザル提出。3月上旬に受理後の約1カ月、写真をレタッチ/パネル構成しながら、不思議と力が湧いてきました。ユダヤ人経営の印刷所で完成したパネルをチェックしたとき、そこで働く少年が「これ印刷しながら涙が出ちゃった」と呟くのを聞き、頑張って良かった、と。
 開幕後は5年ぶりに再会した被爆者の皆さんの凛々しい姿に奮い立たされ、皆さん帰国後も、途切れることなく会場を訪れる人達の応対を通してさらにパワーをもらい。
 6月第1週に展示解体をしながら思ったこと-私はこの原爆展を通して新たな命をもらった。原爆展と被爆者の方々に蘇生された私は、このメッセージを私なりに伝え続けていかなければ。
 みなさん、生きていてくれて、語ってくれて、本当にありがとう。


三宅信雄の洋上通信 ピースボート乗船中

前号からのつづき〉
 6月22日、べネズエラ・ラグアイア港に寄港しました。中南米で反核兵器の先頭に立つ国なので、私たちを国を挙げて歓迎してくれました。大きな劇場での証言会や、外務大臣、文部大臣らとの面会も。23日にはラグアイア市内の繁華街で、原爆投下70年を記念して作られた「平和記念壁画」の除幕式がありました。
 23日深夜出航し24日朝オランダ領キュラソー島に寄港後カリブ海を西進し26日にパナマのクリストバルに入港。パナマ広報センター主催の証言会がありました。
 27日はパナマ運河を1日がかりで通過、2か月余ぶりに太平洋に戻り進路を北西に変えました。
 30日、ガテマラのプエルトケツァル入港。先住民マヤ族の女性団体との交流、反核・人権団体などの集会がありました。
 7月1日夜出港して太平洋を西進し、ハワイに向かって長い航海となりました。12日朝ハワイのホノルルに入港。2日間停泊し、ハワイ在住の日系人団体(被爆者、被爆2・3世を含む)との交流、市長と面談もしました。
 これで24寄港地がすべて終わり、一路日本へ。
 おりづるプロジェクトは、20日と21日に船内で最後のお披露目をしました。小部屋を2つ借り切って、一部屋は被団協の原爆展や第五福竜丸関係のパネルなどを展示して、交代で説明しました。早朝から夜まで来場者が絶えませんでした。
 もう一部屋では、被爆者それぞれが若者の協力を得て作成した映像を写しながらじっくりと証言をしました。三宅は、被団協の朗読構成劇「今、ふたたび被爆者をつくらないために」を演じました。「男」を30歳の俳優、「女」を19歳の女子大学生、老人を三宅が演じ、好評でした。いずれの回も満員で立ち見も出る状態でした。
 7月24日無事横浜港に帰着しました。(おわり)


相談のまど 身体障害者手帳

肝臓機能障害があると交付されます

 【問】肝臟機能障害があると、身体障害者手帳が交付されると聞きました。手続きなど教えてください。

* * *

 【答】平成22年4月から、肝臓機能障害がある場合、身体障害者手帳が交付されることになりました。20年9月9日の薬害肝炎訴訟原告団・弁護団と厚生労働大臣との協議で、肝蔵機能障害を身体障害に位置付けることを検討することになり、身体障害者福祉法の政省令の改正を経て施行されました。肝障害となった原因は問わず、同法の障害等級に応じて、1級から4級までの障害として認定されます。
 被爆者対策としての施策ではありません。
 手続きは、所定の身体障害者手帳申請書、身体障害者手帳指定医が作成した診断書、写真(タテ4センチメートル×ヨコ3センチメートル)を居住地の市区町村の担当窓口に提出します。
 申請書など提出書類の詳細と、指定医がいる医療機関については、担当窓口に問い合わせてください。
 身体障害者手帳によって適用される施策としては、所得税、住民税など各種税制優遇措置があります。また、等級によって異なりますが、鉄道運賃、航空旅客運賃、有料道路料金などの割引措置が受けられます。


原爆死没者肖像画を展示

第63回平和美術展

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 第63回平和美術展が8月12日〜20日、東京都美術館(東京・上野)で開かれました。さまざまなジャンルの作品が展示される中、原爆死没者肖像画7点が展示され、5000人を超える来場者に平和の大切さを訴えました(写真)。肖像画は、各県被団協を通じて遺族に贈られます。なお美術展での小品売上の中から5万円が、日本被団協に寄付されました。


本の紹介

『原爆体験と戦後日本』 直野章子 著

 本書は、著者(九州大学大学院准教授)が2392編の体験記を読み込み、20年余にわたって研究してきた成果をまとめたものです。被爆者は、戦後日本における戦争体験の記憶、原爆被害調査、戦争被害者援護制度、核をめぐる国際政治、国内の保革政治、原水爆禁止運動や被爆者運動など、多様な言説の編成の中で形成され、変容していったことを明らかにしています。
 被爆者はどのようにして被爆者になったか、被爆体験の継承とは何か--著者の言葉を引用して本書の紹介とします。
 「被爆者が『ふたたび被爆者をつくらない』という信念を作り上げるようになったのは、自己の在り方や社会関係の編成を変えようとしながら、共に被害を発見し、反原爆へと向かう同伴者たちが存在したからであった。その多くは、日本社会の構成員であるが、日本の内外に生きる人びとと出会うことで、原爆を生き延びた者は、被爆者になっていったのである」。
 「継承されるべき『被爆体験』は被爆者と被爆者でない者との共同作業の果実なのであり、被爆者から非被爆者に受け継がれるべきものではそもそもないのである。『被爆体験の継承』とは、被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次代に引き継ぐことを指すのである」。
岩波書店、3456円


被爆70年のつどい 広島・長崎はなんだったのか?

―今を戦前にしないために― 10月17日(土)13:00 日比谷公会堂

 10月17日(土)午後1時から日比谷公会堂で、「被爆70年 広島・長崎はなんだったのか?-今を戦前にしないために」が開かれます。日本被団協と幅広い団体・個人とでつくる「被爆70年のつどい実行委員会」主催。
 メイン企画では、映像や音楽も入れて被爆70年の歴史と被爆者のあゆみを振り返ります。戦争被害受忍論とたたかってきた被爆者の運動から何を学び、何を継承していくか、参加者とともに考えるものにと、内容を練り上げています。空襲被害者や沖縄在住の青年、高校生や教師など、多彩な顔ぶれのリレートークも企画。全国から多数のご参加をお願いします。