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カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 お 』
No.0751。
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□ 日本史 辞典 (総合)。
□ お ● 事柄順。
〇 おき 沖縄の歴史。
(おきなわのれきし)。
(= 琉球の歴史)。
〇 おき 沖縄の歴史・詳細年表。
(おきなわのれきし・しょうさいねんぴょう) 。
(⇒ 日本史年表) 。
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■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
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◆ 日本史辞典
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■ 沖縄の歴史
(おきなわのれきし)。
■ 沖縄の歴史。
■ 名称 : 沖縄の歴史 (おきなわのれきし)。
□ 沖縄の歴史・詳細年表。
■ A. 先史時代
(約35,000年前〜紀元後1100年頃)。
(1) 旧石器時代。
(2) 貝塚(かいづか)時代。
(3) 農耕時代
(10世紀〜12世紀頃)。
■ B. 古琉球時代
(完全独立時代、1100年頃〜1609年)。
(4) グスク時代
(1100年頃〜1429年)。
(5) 琉球王国第一尚氏王朝時代
(1429年〜1470年)。
(6) 琉球王国第二尚氏王朝時代前期
(1470年〜1609年)。
■ C. 近世琉球時代
(本土政権間接統治時代、半独立時代、
1609年〜1879年)。
(7) 琉球王国第二尚氏王朝時代後期
(薩摩藩支配下時代、
1609年〜1872年)。
(8) 琉球藩時代
(明治政府間接支配下時代、
1872年〜1879年)。
■ D. 近代沖縄時代
(本土政権直接統治時代、
1879年〜1945年)。
(9) 沖縄県時代戦前期
(1879年〜1945年)。
■ E. 現代沖縄時代
(1945年〜現在)。
(10) 米軍占領時代
(1945年〜1972年)。
(11) 本土復帰後沖縄県時代
(1972年〜現在)。
■ 本土から沖縄へ移住。
■ 10世紀〜12世紀頃に、農耕をする人々が、
大勢、日本本土の九州から沖縄に移住し、沖縄
の先住民と共に暮らし、多数を占める。
10世紀〜12世紀頃に、 新モンゴロイド
縄の先住民が、共に暮らし、 混血して、琉球人
となる。
その後、本土から遠いため、沖縄方言(琉
球語)が発達する。
■ 琉球
● 古来、琉求(琉球)は、台湾と沖縄の地域を
意味したが、 時代が経(た)つにつれて、
琉球 王国の勢力範囲(沖縄のみ)を意味する
言葉となる。
■ 沖縄(琉球)の舞踊と音楽。
■ 琉球舞踊は、 中国からの使節を歓迎するため
に舞う「宮廷舞踊」(御冠船踊り)が、その起源である。
宮廷舞踊を、 明治時代以後の舞踊と区別し、古典
舞踊ともいう。 古典舞踊には、打組み踊り、女踊り、
老人踊り、若衆踊りなどがある。 明治時代以後、古
典舞踊をもとにして、 雑踊りと呼ばれる民間舞踊が
出現した。 昭和期以後には、 現代感覚を採り入
れた創作舞踏も出現した。
■ 宮廷音楽としては、室内楽の御座楽(うざがく)
や、 野外楽の路次楽があった。
#historyofokinawa-sakuhosystem
■ 琉球(沖縄)の冊封(さくほう)体制
(1372年〜1874年)。
■ 冊封(さくほう、さっぽう)とは、中国の皇帝
と主従関係を結ぶことである。
中国の皇帝が、周辺諸国の君主に冊書
(さくしょ、詔(みことのり))と称号を授(さず)
け、国王として封(ほう)じることである。
中国の皇帝からの使者を、冊封使(さ
くほうし、さっぽうし)という。
■ 琉球(沖縄)の国々は、グスク時代から、琉
球王国時代を経て、琉球藩時代まで、 冊封
を受け入れ、中国の皇帝の臣下となり、政治
的に権威を高め、また、経済的に中国と朝貢
(ちょうこう)貿易を行い利益を得た。
■ 守礼門(しゅれいもん)は、 琉球(沖縄)で、
中国の冊封使(さくほうし)を出迎えるために
設けられた門である。
琉球(沖縄)に冊封使が滞在中は、守礼
門の上に、「守禮之邦(し ゅれいのくに)」の
扁額(へんがく)が掲げられた。
#historyofokinawa-ryukyukingdom
◆ 琉球王国
■ 琉球王国 (りゅうきゅうおうこく)は、
正式名は、「琉球國(りゅうきゅうこく、沖縄方
言:ルーチュークク) という。
一致政治。
□ 琉球王国の身分制度。
機構)。
■ 琉球王国。
■ 琉球王国の存続期間。
● 琉球王国は、 1429 年から1872年まで存
在し、その後身の琉球藩(1872年〜1879
年)まで含めると、1879年まで存在した。
■ 琉球王国の領土。
● 琉球王国は、 最盛期には、沖縄本島の他
に、沖縄諸島、先島(さきしま)諸島、奄美(あ
まみ)諸島までも統治した。
■ 琉球王国の王家の紋章。
● 琉球王国の王家の紋章は、左三巴紋(左御
紋(ひだりごもん、フィジャイグムン) である。
■ 琉球王国の人口。
● 琉球王国は、 約10万人〜28万人の人口を
持つ小さな王国であった。 1600年頃は約
10万人、 1700年頃は約17万人、 1879
年は約28万人の人口規模であった。
■ 琉球王国の後宮。
● 琉球王国には、 国王の住む首里城に、後宮
(こうきゅう、御内原(うーちばら))があり、
国王の生母や夫人(正室夫人、側室夫人)や
その侍女などが住んでいた。
■ 琉球王国 (1429〜1872年)。
■ 琉球王国の建国。
● 1429年(永享元年)に、中山(ちゅうざん、
沖縄本島の中部)の尚巴志(しょうはし)が、
三山 (さんざん、沖縄本島の北部、中部、
南部)を征服して、琉球王国(1429年〜
1872年、英:Ryukyu Kingdom) を建
国する。
以後、琉球王国の国王は、 琉球国
中山王(りゅうきゅうこくちゅうざんおう)と
呼ばれる。
■ 首里城
● 首里城(しゅりじょう)は、15世紀初めに、
中山王(ちゅうざんおう、沖縄本島中部を
根拠地とするの中山国の国王)の、尚巴志
(しょうはし)が、王宮として、首里城を築造
した。
● 首里城は、 正殿(せいでん)など主要施
設があり、周囲には、石積みの城壁がつく
られた。
■ 琉球王国の第一尚氏王朝
(1429年〜1470年)。
● 1429年の中山王・尚巴志(しょうはし)の沖
縄本島統一から、1470年の金丸(かなまる、
尚円(しょうえん))のクーデターの政権奪取
前までの王朝を、琉球王国の第一尚氏王朝
(1429年〜1470年)という。
● 第一尚氏王朝は、 沖縄本島統一後も、地方
の諸豪族の勢力が強く、中央集権化政策を
実施できず、内乱が絶えず起こり、不安定で
あった。
■ 琉球王国の第二尚氏王朝
(1470年〜1872年)。
● 1470年 (文明2年)にクーデターにより
金丸(かなまる、尚円(しょうえん))が琉球
王国の王位に即位した時から、 1872年
(明治5年)に明治政府(日本近代政府) が
琉球藩を設置し、尚泰(しょうたい)を藩王
とし、琉球王国が消滅するまでの王朝を、
琉球王国の第二尚氏王朝(1470年〜18
72年)という。
● 尚真王は、地方の小領主(按司(あじ))を、
首里に移住させ、1490年 (延徳2年)に、
第二尚氏王朝・第3代の尚真 王(しょうしん
おう)が、中央集権を確立する。
● 琉球王国の第二尚氏王朝は、 完全独立
時代の第二尚氏王朝前期(1470年〜16
09年) と、 薩摩藩支配下名目的独立時
代である半独立時代の第二尚氏王朝後期
(1609年〜1872年)に分かれる。
■ 琉球藩。
(明治政府間接統治の沖縄の政治機構、
1872年〜1879年)。
■ 琉球藩は、 琉球王国の後身で、1872年
(明治5年)に明治 政府(日本近代政府)が、
琉球藩を設置し、尚泰(しょうたい)を藩王
とした時から、 1879年 (明治12年)の
明治政府(日本近代政府)が琉球藩を廃止
し沖縄県を設置する(琉球処分)時までの、
明治政府間接統治の沖縄の政治機構であ
る。
#historyofokinawa-kingdomsatsumagoverning
■ 琉球(沖縄)の薩摩藩(さつまはん)
支配
(1609年〜1871年、半独立の琉球王国)。
■ 江戸幕府を創立した徳川家康から1606
年に琉球征討の許可を得た薩摩藩の藩主・
島津家久(いえひさ)は、 1609年に、
琉球(沖縄)を攻(せ)め、首里城を占領し、
琉球王国の国王・尚寧(しょうねい)を降伏
させ、 琉球王国を征服する。
■ これ以後、1871年(明治4年)まで、琉球
(沖縄)は、実質上、薩摩藩が統治する。
中国との貿易のため中国との冊封(さ
くほう)を維持するため、 琉球王国は、名
目上は独立を保つが実質上は薩摩藩の支
配下となる。
■ 廃藩置県を行った1871年(明治4年)に、
琉球(沖縄)は、 明治政府(日本近代政府)
の鹿児島県の管轄となり、 薩摩藩の支配
が終焉(しゅうえん)する。
■ 薩摩藩支配下の琉球(沖縄)
1609〜1871年。
● 薩摩藩への貢納などを取り扱う、琉球王国
の薩摩藩在番役所 (琉球仮屋、御仮屋(う
かりや)、琉球館、1609年〜1871年)が、
琉球(沖縄)に、設置された。
■ 琉球館。
● 琉球館は、琉球王国の在外公館、在外貿易
館という意味があり、または、琉球王国の薩摩
藩在番役所という意味があり、2つの意味で使
われる。
#historyofokinawa-kingdomsacredrites
■ 琉球王国の祭政一致政治。
■ 琉球(沖縄)には、 古来より、アニミズム、
祖霊崇拝、おなり神(守護神)信仰を基礎と
する固有の宗教である、琉球神道があった。
■ 琉球(沖縄)各地に、琉球王国が制定した
公的神事、祭事を司る、多くの琉球神道の
神女(しんにょ、祝女(ノロ)、司(ツカサ)、
公的シャーマン)がいて、神女組織が形成
され、 聞得大君(きこえおおきみ)は、 各
地の神女の上に立つ最高神女(しんにょ)
で、 琉球王国でその地位は、国王の次に
位置し、 王族女性から選ばれ、国家安泰
(あんたい)、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、
海路安全などを祈った。
■ 一方、琉球(沖縄)の民間では、多くの民
間祈祷師(民間霊媒師、在野のシャー マ
ン)のユタがいた。
#historyofokinawa-kingdomsocialstandingsystem
■ 琉球王国の身分制度。
■ 琉球王国の身分制度。
● 琉球王国の身分制度は、
御主加那志前(ウシュガナシメー)と呼ばれる
国王を頂点に、
御殿(ウドゥン)と呼ばれる、王子や按司(あじ)
(王子地頭や按司地頭)などの王族、
殿内(トゥンチ)と呼ばれる、親方(おやかた、
ウェーカタ、総地頭、脇地頭) や
ペークミー(親雲上)などの上級士族、
ペーチン(親雲上)と呼ばれる一般士族、
百姓(ひゃくしょう)と呼ばれる平民、
で構成されていた。
■ 琉球王国末期で、系持ち(家系図を持つ義務
のある者)の王族、上級武士、下級武士は、
人口の約25%を占め、 無系(家系図を持つ
義務のない者)の平民は、人口の約75%を占
めていた。
■ 王族。
● 加那志 (がなし)は、琉球王国の王族につ
ける敬称である。
● 琉球王国では、王子(オージ)は、王の子、
兄弟をさす。
● また、琉球王国では、按司(アジ、アンジ)は、
国王、王子・王兄弟を除く王族をさす。
● 按司は、国王、王子・王兄弟に次ぐ身分を表
す称号である。
古くは、按司(アジ)は、地方小領主を意味
していた。
● 琉球王国では、行政区分の間切(まぎり)制
(現在の市町村制)があった。 王子(オージ)
や按司(アジ)は、一間切を、采地(領地)とし
て与えられ、それぞれ、王子地頭や按司地頭
と呼ばれた。
■ 上級武士。
● 一間切を、まるまる、采地(領地)として与え
られた、親方(おやかた、ウェーカタ)は総地
頭と呼ばれた。
間切内の一村を采地(領地)として与えら
れた、親方は脇地頭と呼ばれた。
また、間切内の一村を采地(領地)として
与えられた、ペーチン(親雲上、一般士族)は、
ペークミー(親雲上、ペーチンと同漢字)と呼
ばれた。
● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。
#historyofokinawa-kinddomadministrativeorgans
■ 琉球王国の行政組織(王府行政機構)。
■ 王府行政機構の評定所 (ひょうじょうしょ)
は、 国政を担当する王府最高機関である。
■ 宝座に、国王がいて、御座(上御座)に、執政
(シッシー、王族から選ばれる儀礼的な閑職)
と 三司官 (さんしかん、士族から選ばれる
3人制の宰相) がい て、下御座に、表十五人
(おもてじゅうごにん、十五人衆、奉行衆、下記
の各官庁の、長官と次官) がいた (必要が
あれば集まって協議したので、評定所の常設
官職ではない)。
■ 三司官は、親方(おやかた、ウェーカタ)の中
から選ばれた。
■ 王府行政機構の官庁は、 物奉行所 (ものぶ
ぎょう) と 申口方(もうしぐちほう) からなる。
■ 物奉行所は、 用意方(よういほう)、給地方
(きゅうちほう)、所帯方(しょたいほう)の3つ
の官庁からなる。
中央政庁には、 官庁名と同じ名の物奉行
の長官と、吟味役という次官がいた。
● 用意方(よういほう)は、国有財産の管理、山
河保全などを担(にな)う職務を担当した。
● 給地方(きゅうちほう)は、役人の給与、旅費
などを担う職務を担当した。
● 所帯方(しょたいほう)は、租税、国庫の出納
などを担う職務を担当した。
■ 申口方(もうしぐちほう)は、平等方(ひらほう)、
泊地頭(とまりじとう)、双紙庫理(そうしこり)、
鎖之側(さすのそば)の4つの官庁からなる。
中央政庁には、平等の側(ひらのそば)、
泊地頭、双紙庫理、鎖之側という長官 と、
平等方、泊地頭、双紙庫理の吟味役、鎖之側
の日帳主取(2人)という次官がいた。
● 平等方(ひらほう、平等所)は、司法(裁判所、
警察署)、首都・首里の土地山林、王家陵墓
(りょうぼ)、玉稜の警備などを担う職務を担
当した。
● 泊地頭(とまりじとう)は、戸籍、民事、公安、
消防、宗教、建設、泊村(琉球の第2貿易港)
などを担う職務を担当した。
● 双紙庫理(そうしこり)は、知行(ちぎょう)、恩
賞(おんしょう)、工芸、宮中などを担う職務を
担当した。
● 鎖之側(さすのそば)は、外交、文教、教育な
どを担う職務を担当した。
#historyofokinawa-appearingscenes
♪♪ 沖縄の歴史が登場する、興味深
い、ドキュメンタリー、ドラマ、映画。
★ 沖縄の歴史 が登場する、興味深い、
ドキュメンタリー。
■ 歴史秘話ヒストリア
『 美しき海の王国へ〜「テンペスト」
琉球王国の450年〜 』。
(NHKテレビの2012年 (H24年)4月
18日・本放送・ドキュメンタリー番組)。
★ 沖縄の歴史が登場する、興味深い、
ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、 フィクションです。
歴史のドラマ、 映画は、 史実(歴史上の事
実) と 架空の出来事 が 混じって描かれ
ています。 また、現代風にアレンジしてあり
ます。
■ 『 テンペスト 』。
(NHKテレビの2011年・BS時代劇
ドラマ、連続10回)。
■ 琉球(沖縄)の幕末を描いた、ドラマ。
■ 激動の19世紀の琉球王国末期(半独立
の琉球(沖縄))の 王室を舞台に活躍する
女性を描く。
● 尚育王の王府役人(男装し宦官(かんが
ん)と偽った)、後に 尚泰王の側室夫人と
なる女性(架空の人物)の真鶴(まづる)、
別名は孫寧温(そんねいおん)を演じる
女優 : 仲間 由紀恵 。
■ 『 琉球の風 DRAGON SPIRIT
(りゅうきゅうのかぜ ドラゴン
スピリット) 』 。
(NHKテレビの 1993年大河ドラマ)。
■ 16世紀末から17世紀初頭までの完全
独立の琉球(沖縄) と、 その後の薩摩
藩支配下の半独立の琉球(沖縄)を描い
た、ドラマ。
の 先頭ページへ 。
■ 沖縄の歴史・詳細年表
(おきなわのれきし・ しょうさいねんぴょう)。
◆ 沖縄の歴史 詳細年表。
□ 先史時代
(約35000年前〜紀元後1100年頃)。
□ 古琉球時代
(完全独立時代、紀元後1100年頃〜1609年)。
□ 近世琉球時代
(本土政権間接統治時代、半独立時代、
1609年〜1879年)。
□ 近代沖縄時代
(本土政権直接統治時代、1879年〜1945年)。
□ 現代沖縄時代
(1945年〜現在)。
#okinawahistorychronology-okinawaprimitiveage
A.先史時代
(約35000年前〜紀元後1100年頃)。
(1) 旧石器時代。
(2) 貝塚(かいづか)時代。
(3) 農耕時代。
■ 10世紀〜12世紀頃 ● 10世紀〜12世紀頃に、農耕をする
人々が、大勢、日本本土の九州 から沖
縄に移住し、沖縄の先住民と共に暮らし、
多数を占める。
10世紀〜12世紀頃に、新モンゴロ
の日本本土の人々 と 古モンゴロイドの
縄文系の沖縄の先住民が、共に暮らし、
混血して、琉球人となる。
その後、本土から遠いため、沖縄方
言(琉球語)が発達する。
#okinawahistorychronology-ancientokinawa
B.古琉球時代
(完全独立時代、1100年頃〜1609年)。
(4) グスク時代 (1100年頃〜1429年)。
● 沖縄本島で、地方小領主(按司(あじ))が群雄割拠する時代。
■ 1100年頃 ● 1100年頃より、沖縄本島の地方小領
主(按司(あじ))が、出現し、居城のグス
ク(城砦)を造営し、沖縄本島の各地を統
治し始める。
■ 1326年頃 ● 沖縄本島の北部の北山(ほくざん)、中
部の中山(ちゅうざん)、南部の南山(な
んざん)の、三山(さんざん)の地方領主
の対立が始まる。
■ 1372年 ● 明の使者が琉球(沖縄)に朝貢(ちょう
(応安5年、文中元年) こう)をうながす。 琉球(沖縄)の中山王
察度(ちゅうざんおうさっと)が、 明へ進
貢(入貢)する (琉球(沖縄)の中国への
冊封(さくほう)の開始)。
■ 1402年 (応永 9年) ● 中国(当時は明)から、琉球(沖縄)へ
冊封使(さくほうし)が初めて、来る。
● シャム(タイ)船が、琉球(沖縄)に来航
する。 琉球(沖縄)の中継貿易の開始。
琉球(沖縄)は、この頃より、東南アジ
ア、東アジアとの中継貿易を始め、 15
70年頃まで、南海貿易を行い、貿易立
国として栄える。
(5) 琉球王国第一尚氏王朝時代 (1429年〜1470年)。
■ 1429年 (永享 元年) ● 中山(ちゅうざん、沖縄本島の中部)の
尚巴志(しょうはし)が、三山(さんざん、
沖縄本島の北部、中部、南部)を征服し
て、琉球王国(1429〜1872年)を建
国する。
(6) 琉球王国第二尚氏王朝時代前期
(1470年〜1609年)。
■ 1470年 (文明 2年) ● クーデターにより、 重臣の一人の金丸
(かなまる、尚円(しょうえん))が、琉球王
国の王位に即位する。 第一尚氏王朝の
尚徳王の死後、重臣達の推挙により即位
したという説もある。
■ 1490年 (延徳 2年) ● 第二尚氏王朝・第3代の尚真王(しょう
しんおう)が、中央集権を確立する。
尚真王は、地方の小領主(按司(あじ))
を、首里に移住させ、中央集権化を成功さ
せる。
■ 1570年 (元亀 元年) ● 琉球(沖縄)は、シャム(タイ)へ最後の
貿易船を派遣する。以後、南海貿易は途
絶する。 ヨーロッパ人や日本人が東南
アジアや東アジアの国々と直接貿易する
ようになり、琉球の中継貿易は衰退する。
その後は、朝貢貿易の対中国中継貿
易の地位は残り、琉球(沖縄)の命脈を
保った。
しかし、19世紀中頃から中国が列強
により開港させられ、ヨーロッパ人が中国
と直接貿易をするようになると、琉球(沖
縄)の東シナ海での中継貿易の地位はほ
ぼ失われた。
■ 1571年 (元亀 2年) ● 琉球王国は、奄美群島北部まで進軍し、
勢力下におさめ、王国の最大版図を築く。
■ 1606年 (慶長11年) ● 薩摩藩の藩主・島津家久(しまづいえひ
より、琉球王国の征服を許可される。
#okinawahistorychronology-premodernokinawa
C.近世琉球時代
(本土政権間接統治時代、半独立時代、
1609年〜1879年)。
(7) 琉球王国第二尚氏王朝時代後期
(薩摩藩支配下時代、1609年〜1872年)。
■ 1609年 (慶長14年) ● 島津進攻。 薩摩藩の藩主・島津家久(し
まづいえひさ)が、琉球王国を征服する。
琉球王国の国王・尚寧(しょうねい)は降
伏する。
これ以後、1871年(明治4年)まで、琉
球(沖縄)は、実質上、薩摩藩が統治する。
中国との貿易のため中国との冊封(さくほ
う)を維持するため、 琉球王国は、名目上
は独立を保つが実質上は薩摩藩の支配下
となる。
琉球王国やその後身の琉球藩は、 琉
球藩の消滅する1879年(明治12年)まで、
日明(後、日清)両属関係を維持する。
■ 1611年 (慶長16年) ● 薩摩藩は、琉球(沖縄)で検地(琉球検地)
を実施する。
● 薩摩藩は、琉球王国が守る「掟(おきて)」
15条を制定する。
● 薩摩藩は、奄美(あまみ)諸島を直轄領と
する。
■ 1634年 (寛永11年) ● 琉球王国は、琉球使節 (慶賀使(けいが
し)または謝恩使(しゃおんし)) を江戸幕府
へ派遣する (1850年まで18回)。
■ 1844年 (弘化 元年) ● フランス海軍が琉球(沖縄)に入港する。
■ 1846年 (弘化 3年) ● イギリス海軍が琉球(沖縄)に入港する。
■ 1853年 (嘉永 6年) ● アメリカのペリー艦隊が、琉球(沖縄)に
来航する。
■ 1854年 (安政 元年) ● 琉米修好条約を締結する。
■ 1855年 (安政 2年) ● 琉仏修好条約を締結する。
■ 1859年 (安政 6年) ● 琉蘭修好条約を締結する。
■ 1866年 (慶応 2年) ● 中国の清より最後の冊封使(さくほうし)
が、琉球(沖縄)に来る。
■ 1871年 (明治 4年) ● 琉球(沖縄)を、明治政府(近代日本政府)
の鹿児島県の管轄とする。
● 琉球漂流民殺害事件が起こる。 琉球民
の船が台湾に漂着し、琉球民が台湾現地民
に殺害され、明治政府(日本近代政府)が、
台湾に出兵する。
(8) 琉球藩時代
(明治政府間接支配下時代、1872年〜1879年)。
■ 1872年 (明治 5年) ● 明治政府(近代日本政府)が、琉球藩(18
72〜79年)を設置し、琉球王国(1429〜
1872年)の最後の国王(在位1848〜72
年)の尚泰(しょうたい)を、藩王(在位、187
2〜79年)とする。 琉球王国が消滅する。
■ 1874年 (明治 7年) ● 琉球(沖縄)の琉球藩は、中国の清へ 最
後の進貢使を派遣する。 1372年から始
まった琉球(沖縄)の国々の中国への入貢
は終焉(しゅうえん)する。
#okinawahistorychronology-modernokinawa
D.近代沖縄時代
(本土政権直接統治時代、1879年〜1945年)。
(9) 沖縄県時代戦前期 (1879年〜1945年)。
■ 1879年 (明治12年) ● 明治政府(日本近代政府)が、琉球藩を
廃止し、沖縄県を設置する(琉球処分)。
沖縄県になった後も、旧慣温存策(き
ゅうかんおんぞんさく)が長く続き、沖縄
県民は、本土との格差に苦しむ。
■ 1895年 (明治28年) ● 日本が中国の清と下関条約を調印する。
沖縄が日本の領土として確定する。
■ 1898年 (明治31年) ● 徴兵令(ちょうへいれい)の開始。
■ 1899年 (明治32年) ● 土地整理事業を開始する(〜1903年)。
● 沖縄農民の海外移民(ハワイ)の開始。
● 県庁農業技師の謝花昇(じゃはなのぼ
る)が、県政の改善や参政権を求め、沖
縄倶楽部(くらぶ)を結成する。
■ 1903年 (明治36年) ● 人頭税(じんとうぜい)の廃止。
■ 1912年 (大正 元年) ● 最初の衆議院選挙を実施する。
■ 1920年 (大正 9年) ● 県や市町村へ本土並みの自治を付与。
■ 1921年 (大正10年) ● 黒糖(こくとう)相場の大暴落。 「ソテツ
地獄」(飢餓による貧困)が起こる。これ
以後、沖縄農民の、日本本土、南洋諸島、
ハワイ、中南米への移住が増加する。
■ 1945年 (昭和20年) ● 4〜6月に沖縄本島で、沖縄戦が行われ、
日米軍の激戦となり、旧日本軍が6月に、
敗北する。
沖縄戦での戦死者は、日本人約23万
人(アメリカ兵は約1万人)で、本土出身者約
6万人、沖縄出身の防衛隊・戦闘協力者は
約8万人、非戦闘員の沖縄一般住民は、約
9万人であった。 その他に、日米双方に多
数の戦争負傷者がでる。
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E.現代沖縄時代
(1945年〜現在)。
(10) 米軍占領時代 (1945年〜1972年)。
■ 1945年 (昭和20年) ● 6月に、沖縄県が、アメリカ軍占領 下に
入る。
■ 1946年 (昭和21年) ● 1月29 日に、GHQが北緯30度以南の
南西諸島を、日本より分離、統治する。
■ 1960年 (昭和35年) ● 沖縄県祖国復帰協議会を結成する。
■ 1969年 (昭和44年) ● 佐藤・ニクソン会談で、沖縄返還に合意
する (「核抜き・本土並み」)。
■ 1971年 (昭和46年) ● 日米が沖縄返還協定に調印する。
(11) 本土復帰後沖縄県時代 (1972年〜現在)。
■ 1972年 (昭和47年) ● 沖縄が日本へ復帰する。 返還後も、米
軍基地は、そのまま存続し、米軍基地問題
が残る。
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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上