過去の登頂記録
 (2012年1月〜12月)

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2012年 12月 12月22日〜24日 八ヶ岳縦走
12月15日〜16日 谷川岳天神平・雪上訓練
12月11日〜12日 北横岳
12月8日〜9日 八方尾根
12月5日 笹尾根
11月 11月27日〜28日 十文字峠
11月23日〜25日 小蓮華岳
11月21日 大菩薩
10月 10月16日〜17日 和名倉山
10月14日 赤岩岳
10月13日 日和田山・岩登り講習
10月6日〜8日 荒川水源真ノ沢から甲武信岳
10月3日 蓼科山
10月2日 日向山
9月 9月25日〜26日 雲取山から石尾根
9月22日〜23日 湯檜曽川本谷から朝日岳
9月19日 軍刀利沢から生藤山
9月15日〜17日 北鎌尾根
9月11日〜12日 越百山
9月8日〜9日 釜ノ沢西股から甲武信岳
9月3日〜6日 北岳から塩見岳
8月 8月25日〜26日 シレイ沢から薬師岳
8月21日〜22日 早川尾根
8月18日〜19日 大常木谷
8月7日〜8日 甲斐駒ヶ岳
8月6日〜7日 仙丈岳
8月4日〜5日 剣岳本峰南壁
7月 7月28日〜29日 赤木沢から北ノ俣岳
7月23日〜25日 西穂高岳から奥穂高岳縦走
7月18日 夏の水根沢
7月14日〜15日 金山沢から和名倉山
7月10日〜11日 金峰山
7月3日〜5日 八ヶ岳縦走
7月1日 葛葉川本谷から三ノ塔
6月 6月30日 勘七ノ沢
6月27日 浅間山
6月16日〜17日 釜ノ沢から甲武信岳
6月12日〜13日 甲武信岳から十文字峠
6月3日 水根沢
6月2日 軍刀利沢から生藤山
5月 5月30日 龍喰山
5月26日〜27日 三つ峠山屏風岩・岩登り講習
5月19日〜20日 毛勝三山
5月15日〜16日 雲取山から飛龍山
5月8日 川苔山
5月3日〜6日 飯豊連峰
4月 4月28日〜30日 槍ヶ岳
4月22日 つづら岩・岩登り講習
4月21日 日和田山・岩登り講習
4月17日〜18日 日光白根山
4月15日〜16日 谷川岳西黒尾根・雪上訓練
4月10日 浅間尾根
4月4日 黒富士
4月3日 高水三山
3月 3月31日〜4月1日 会津駒ヶ岳
3月27日 瑞牆山
3月24日〜25日 杣添尾根から横岳
3月20日 日帰りの天狗岳
3月6日〜7日 北横岳
3月2日〜3日 鍋倉山
2月 2月28日〜29日 雲取山
2月21日 茅ヶ岳
2月18日〜19日 観音岳
2月14日〜15日 硫黄岳
2月11日〜12日 赤岳
1月 1月31日〜2月1日 西穂高岳・丸山
1月29日 天狗岳
1月28日 北横岳
1月21日〜22日 赤岳南峰リッジ
1月17日〜18日 天狗岳
1月12日 霧ヶ峰
1月11日 北横岳
1月7日〜9日 甲斐駒ヶ岳
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八ヶ岳縦走

赤岳手前の岩場を行く
赤岳手前の岩場を行く

 以下の者は、2012年12月22日〜24日、八ヶ岳の核心部を天女山から前三つ頭、権現岳、旭岳、キレットを越えて赤岳(2889m)に登頂し、横岳奥ノ院、硫黄岳、夏沢峠を経て天狗岳まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷 

夜明け!
夜明け!

 「もう、今回は天狗岳までは、きっと無理だろうな。」と半ばあきらめかけていた天望荘へとヘタリこんで逃げ込んだのが嘘のように、遠望こそ効かなかったものの、最後の斜面を越えて山頂へと登って行けた時の嬉しさは格別でした。土曜日が季節外れの雨でした。「もう、止むだろう」とタカをくくっていたのに、結局、夕方まで降り続いた雨は、雪を湿らせ、重くし、翌日には雪の下に硬い氷の層を作りました。三つ頭でドカーンと音を立てそうなほどの迫力で揃った行く手の山々。大天狗、小天狗を従えた赤岳の威容。権現岳への雪の急斜面を越えて進んでいくルートは重い雪の道でした。ヒル近くになったキレット。そこからの一歩一歩はグイグイと広がる展望と、風と、そして、だんだん力の入らなくなる足と、不安定になるアイゼン歩行との格闘でした。「もう、限界かな?」と思う頃、目の前に赤岳山頂が見えた時の安堵感。そして、悔しいけど転がり込んだ山小屋の快適さ。思いの外、静かに明けた夜。ヘッドランプの灯に飛ぶ雪。横岳への厳しい緊張の稜線を少しずつ照らしだす、奥秩父から昇る朝日。誰もいない横岳、硫黄岳への稜線歩きをトレースを刻みながら歩けた感動は小さくありません。夏沢峠で本当に久しぶりの樹林の感触。美しく白く飾られたダケカンバの樹氷!多くの登山者がいた天狗岳。行けた!本当に八ヶ岳の核心部を歩ききった嬉しさがこみ上げました。目の前に大きく広がった森林高地の北八ヶ岳の大部分を、何時か、きっと歩きたいものです。

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谷川岳天神平・雪上訓練

 以下の者は、2012年12月15日〜16日、谷川岳天神平での雪上訓練に参加し、天神峠に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 夜半からの時ならぬ風雨。ザァーザァーとテントを打つ音は、どう考えても、雪ではなく雨。思わず入口から外を見て・・・「あぁ。」。谷川岳の雪上訓練の良さは、雪質が柔らかく、気温が高く、初心者が雪上技術を学ぶ上での危険性の少なさがあります。そして、基本的な訓練の成果を生かして、実際の雪山の山頂に立てるという魅力にあります。当初は、土曜日が「雨、霙の可能性」だったのが何故か晴れ。いち早くテントを建てて、すぐに雪上訓練ができました。天神峠の上からは目の前に谷川岳、トマの耳とオキの耳が見えて銀色に輝く山々と眼前に、実際に登った感覚以上に峻険な雰囲気の西黒尾根も見えました。朝日岳から上州武尊山、遠く巻機山まで穏やかで暖かい空の下に広がっていました。深い雪を踏み固めて作った小さな訓練の斜面で、練習したのは基本的に「雪の上での歩き方、安全の確保」でした。靴そのもので安定的に雪の上を歩く、アイゼンを付けて歩く、そして、深雪をワカンやツボ足でいかに合理的に歩くか・・・でした。そして、自らを守る最も有効な手段としてのピッケルの使い方でした。ピッケルを手の延長として、雪山で確実に使うためには、とにかく、最初の段階から「正しく持つ」事に尽きます。小うるさく、繰り返した言葉が、日々の雪山で活かしてもらえたら良いと思います。また、アイゼンやワカンを、やはり、足の延長として雪の状態に応じて、いつでも最も有効な形で使えるようにすることが大切です。雪上訓練は「山頂に安全に立つ」ための手段です。これからの雪山登山の中で思い出すようにしてください。

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北横岳

山頂からは見事な蓼科山
山頂からは見事な蓼科山

 以下の者は、2012年12月11日〜12日、北八ヶ岳の盟主である・北横岳(2480m)に坪庭を経由して登頂し、雪山に向けての雪上講習を行い、七つ池を往復したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

背後に広がる八ヶ岳の雄姿
背後に広がる八ヶ岳の雄姿

 空一杯に広がる星。東の空に爪先のように細く浮ぶ月。空中にハラハラと舞うダイヤモンドダスト。山の上の方から樹氷が少しずつ白く浮かび上がり、それがオレンジ色に変っていく瞬間との出逢い。雪の空の下から雲一つない上空への移り変わりという最も雪山が輝く時と出会えました。そして、北横岳への道。前日の訓練で何回も往復した斜面なのに、全く違った明るさと光の中に山はありました。白い珊瑚礁が上に向かって伸びたような山頂付近の樹氷の森。しかも、本来の雪が気に積もり、少し溶けて再び凍りつき、その上に雪の降り積もったガッチリとした樹氷ではなく、フワリと風上から着いたばかりのキラキラと結晶の輝く樹氷に朝の太陽が光る最高の姿と出会えました。佐久盆地の上に浅間山から奥秩父のやまなみ。そして、森林限界が迫ると背後に広がる雄大な八ヶ岳から南アルプスの銀屏風を思わせる光景がグイグイと広がりました。北アルプス、御嶽山、中央アルプスは、まだシツコクかかる雪雲の中でしたが、前日の歩行訓練が行われた場所が、こんな見事な展望の中にあったことを改めて嬉しく思いました。
 「やまあるきでの、雪上訓練」。「風の谷」では本格的な物は初めてでした。これから、できれば一歩踏み込んだ雪山登山をしてみたい・・・との思いからです。最も大切なのは「雪の上を歩くこと」全ては、ここから始まります。キレイだった、寒かった雪山。その中に踏み込むために役立つことを願います。

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八方尾根

雪上訓練
雪上訓練

 以下の者は、2012年12月8日〜9日、北アルプス後立山連峰の唐松岳から伸びる八方尾根の八方池山荘付近での雪上訓練に参加し、訓練したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 黒菱平のリフトを降りた所から・・・最後のリフト乗り場がシンシンと降り続ける雪で見えない・・・そんな中の八方尾根でした。ツボ足でのラッセルをしてからワカンと思っていたのに、いきなりのワカンでのラッセル。「あぁ、本物の雪の季節が来たんだなぁ。」とシミジミする暇もなく、いきなりの膝を越えるラッセル。ここ数年、暖冬傾向の影響は強く、この時期の雪上訓練では吹き溜まりを探してラッセルの「形」を練習していたのが、いきなり本物の「ラッセル」。嬉しいような困ったような雪上訓練の開始でした。最初は三パーティー、それぞれ着けていたトレースも、途中からは18人の全員ラッセル。八方池山荘が見えた時には正直「ホッ」としました。暖かすぎて、風呂まであって、ゴハンも美味しい八方池山荘は、雪の中に浮ぶ天空の城の様でした。夜も延々と降り続けた雪。前日のトレースも30分ほどで消えて、「せめて八方山まで・・・」の思いも虚しく小屋周辺での訓練にしました。キックステップ、アイゼン歩行、ピッケルの付き方、初期制動、滑落停止、雪上でのバランスのとり方・・・これらの基本を悪い条件の中でも繰り返し行いました。実は、雪上技術は、今回の訓練の中身さえ確実にできれば、国内の難しい雪山からヒマラヤの雪稜まで全てOKなのです。八方池山荘付近からは白馬三山から五竜岳、唐松岳、鹿島槍ヶ岳が遮る物なく、眺められる別天地です。尾根と空の区別さえつかない真白な世界を幸か不幸か体験したのも大切な訓練と思います。

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笹尾根

広々とした笹尾根、明るい穏やかな道です
広々とした笹尾根、
明るい穏やかな道です

 以下の者は、2012年12月5日、奥多摩・三頭山と高尾山を結ぶ甲武相国境尾根の西部分・笹尾根を鶴川上流・郷原から「ツネ泣き峠」経て稜線に到達し、槙寄山(1188m)に登頂し、笹ケタワ峰、田和峠、笛吹峠、丸山を経て土俵岳を越えて日原峠まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 光溢れる古い山里の郷原を後に、落ち葉を踏みしめる賑やかな音をたてながら、やっと傾斜の落ちだした「ツネ泣き峠」。その少し上、右側から明瞭な尾根が合流した場所から振り返り権現山から坪山へと伸びるキツネ色の尾根の後に頭だけキラキラと白く見せた富士山が見えました。一歩、登る毎に成長する富士山。その姿の全容が見えたのが槙寄山の山頂でした。冬枯れの葉を落とした明るい尾根は展望の尾根でした。終始、見え続けた富士山。西には黒々とちょっと近寄りがたい雰囲気のある大菩薩、そして奥秩父の山々。北側には、大きく独特の山容を見せる大岳山から御前山、南には丹沢から道志の山々が冬晴れの空の下明るく見えていました。笹尾根が、この長大な尾根の中のどの部分までをさすのか、正確には判らないけれど、丸山を過ぎる頃からスズタケが現れました。僕が初めて歩いた1970年前後、この尾根の南北の傾斜の緩い斜面には随所でカヤが育てられていました。山麓の家々の屋根はまだ茅葺きが多く、その材料を下ろしていたのでしょう。随所に炭焼窯があり、雑木林は、その材料となっていました。山麓から登ってくる峠道は多くの人に歩かれ、稜線上よりもはるかに明瞭な道がありました。今でも山里の人々の生活の音が聞え、南秋川を挟んだ浅間尾根の中腹には点々と人家が見られます。奥多摩、とりわけ秋川上流の山々に人の暮らしがあったことを思い出させる笹尾根でした。

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十文字峠

ノゾキ岩の座席
ノゾキ岩の座席

 以下の者は、2012年11月27日〜28日、奥秩父北部、長野県から埼玉県へと越える歴史ある峠・十文字峠を千曲川源流部の毛木平から八丁坂を経て越え、四里観音、赤沢山、岩ドヤ、ノゾキ岩を越えて栃本集落の牛蒡平まで峠越えしたことを証明します。

氏名 風 の 谷 

静寂の峠道
静寂の峠道

 ハラハラと風花の舞う信濃川上駅は寒さの中にありました。人っ子一人いない毛木平を後に、もうすっかり葉を落とした広葉樹の森の中をユックリユックリと峠を目指します。西から東に強い風が吹いています。カラマツ林の向こうに白く煙を上げる小屋を見た時は安心しました。峠近くのカモシカ展望台からは雪雲に包まれた八ヶ岳が、ときおり顔を出していました。ランプの灯が昔のままの十文字小屋。マキストーブの暖かさ。満月に近い月が辺りを昼間のように照らしていました。明け方・・・外の寒暖計はマイナス10度を下回り、遠く関東平野の灯が見事でした。そして、朝、まだ暗いうちからの峠越えの始まりでした。最初はコメツガの巨樹と苔むした森、そして、物音一つしない静寂の中の道でした。四里観音で朝日に出会った暖かさが印象的でした。所々で、両神山の後に真白な浅間山や谷川連峰、遠く彼方に見える北アルプスの山々が美しく見えました。峠越えで、1000m近く下がるので降りばっかりと考えていると大間違い。大山のトラバース、赤沢山への登り返し、岩ドヤへのか細い道と微妙な上下を繰り返し、それなりに疲れ果ててのノゾキ岩・二里観音でした。ノゾキ岩からの奥秩父北面の展望は雄大で、足元に食い込む荒川の姿はここだけの物です。二里観音からは明るい雑木林の安心の道となり、最後の最後で再び十文字峠を仰ぎ見ました。嬉しい疲労感に満ちた峠越えでした。

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小蓮華岳

白く凍結した白馬大池
白く凍結した白馬大池

 以下の者は、2012年11月23日〜25日、北アルプス北部後立山連峰の白馬岳を目指して栂池高原から入山し、栂の森から天狗原、白馬大池を経て小蓮華岳(2769m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 栂の森のゴンドラを降りて、スキー場を登りだした途端に潜りだした足元。いきなりのワカン歩行。上から二人、スキーを履いた人が降りてきた以外は誰にも会わなかった三日間でした。冬の訪れを待ちに待った僕たちですが、ちょっと元気の良すぎる冬山の訪れでした。ハラハラと舞う雪。テントをサラサラと叩く音。いよいよ、雪山のシーズンが始まってしまったと思いました。でも、翌日の風と寒さは・・・そんな長閑なものではなかった・・・。ボコリボコリと潜る天狗原の雪原。乗鞍岳への急登のラッセル。そして、乗鞍岳からの強風の洗礼。急速に回復してきた天候の中、雪倉岳から朝日岳への「白馬北方稜線」の美しく白い尾根に見とれる間もなく、一人、また、一人と凍りだした顔。気温そのものはたいしたことはなくても、湿った雪と強い風で思わぬ事態が起きてしまいました。夢の世界のようだった白馬大池から見上げる小蓮華岳は白馬のタテガミのように雪煙を上げて、ちょっと怖じ気づくほどの風の中にありました。一歩ずつ前進して行った雪庇まででた稜線。小蓮華山頂はなかなか近づかず、その山頂をもって白馬の頂上に替えました。途中、一瞬ですが、槍や剣まで見えて、その見事な美しさは、これから始まる本格的な雪山シーズンへの恐れと躊躇いを感じさせるものでした。
 ヨタヨタになって下山した翌朝。悔しいほど美しい朝焼けの白馬からの後立山の山々。ちょっと厳しすぎるステキな今年の雪山の始まりでした。

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大菩薩

峠からは白くなった富士山がみごと
峠からは白くなった富士山がみごと

 以下の者は、2012年11月21日、福ちゃん荘前から大菩薩峠、雷岩、大菩薩嶺、丸川峠、天庭峠、六本木峠、多摩川水源展望台を経て柳沢峠まで大菩薩の北半分を縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 南端の笹子峠から黒川鶏冠山に至るまで、大菩薩の山々は西側の明るさに満ちた展望と東側の重厚な原生林がハッキリと分かれ、それが大きな魅力となっています。かつては、標高800m・裂石からブナの森を登って到達した福ちゃん荘前は、今ではタクシーが通う場所へとなってしまいました。標高1790mからの日本百名山の登山。大菩薩嶺から大菩薩峠へと、この連峰の最も魅力ある部分だけを歩くのであれば二時間半の周遊コースになります。事実、峠周辺で出会った多くの登山者の大半が、そうやって歩いています。この部分は西に大きく南アルプスが眺められ、その後に中央アルプス、乗鞍岳、八ヶ岳、そして手が届きそうな近さで富士山の眺められる、思わず歓声の上がる展望が待っていました。すでに雪を被り白い屏風のように立ち並ぶ南アルプスと山の斜面まで対面でき、大きく立ちはだかる富士山の姿は圧巻でした。木々に囲まれた大菩薩嶺からの道は森の道でした。大きく北面を巻きながら、所々で開ける奥秩父の重厚な展望は、苔むした霜の降りた冷たい雰囲気の森と共にさっきまでの明るい展望とは別の山のようでした。明るい丸川峠からの森と大きな岩と苔の創り出す東京都水道水源林の美しさは大菩薩の多くの人の知らない顔です。六本木峠の先、「多摩川水源展望台」からの大きく広がる展望は見事でした。黒々と竜が横たわるような奥秩父の山並と夕方の陽差しが晩秋から冬への山の移り変わりを感じさせてくれました。

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和名倉山

 以下の者は、2012年10月16日〜17日、奥秩父東部にあり奥多摩・多摩川水系最高峰である唐松尾山(2109m)に三ノ瀬集落から午王院平、山の神土を経由して登頂し、将監峠の将監小屋に宿泊し、西仙波、東仙波、八百平から千代蔵ノ休ン場を経て日本二百名山の一つ・和名倉山(2036m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 二日目に将監峠へと向かう僕たちの足元には今年最初に出会う霜柱がありました。突然のように現れた秋。稜線のアチコチに点在するツツジの葉は見事に赤く染まっていました。唐松尾山は多摩川水系・奥多摩の最高峰でありながら、かつての奥秩父主脈縦走路が南面を巻いていたために殆ど顧みられることのない山頂でした。山頂北側の露岩からは足元に大きく切れ込む荒川水系滝川と雁坂峠から甲武信岳、十文字峠へと連なる僕の大好きな山々が並んでいました。和名倉山は、やはり遠く遙かな山でした。標高自体は山の神土から150mほどしか変わらなくても、西仙波、東仙波、を初めとして多くのピークが次々と現れて一つ一つを越えていくのは、それなりに大変でした。でも、時々刻々と変わる展望。コメツガの森からキラキラと光る笹原のトラバース、ダケカンバが美しく生えたガレ混じりの斜面。そしてかつての伐採跡が古い大きな切り株を苔むして並べた八百平。遠く南アルプスまで眺められ、雲取山から飛龍山、唐松尾山へと続く奥秩父の山々を北面から眺める貴重な展望と共に歩いた尾根でした。そして、森の中に、あまりに侘しくあった三角点。でも、どこが山頂か判らないような大きな平坦な山頂に相応しいかもしれません。地味で、静かで、誰にも会わなかった二日間。いかにも奥秩父の山旅です。

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赤岩岳

 以下の者は、2012年10月14日、奥秩父北端・上武県境に近い両神山から連なる岩稜・赤岩岳(1520m)に小倉沢から赤岩峠を経て登頂し東に1583mピーク、P4〜P1と縦走し、八丁峠から小倉沢へと周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 今年初めての本格的な乾いた秋の風が赤岩峠を吹き抜けていました。登山そのものの前に見たニッチツ鉱山の寂れた不思議な光景。突然、現れた廃墟となった住宅跡、タイルまで剥き出しになった共同浴場、事務所。その上に大きく被さるように立つ赤岩岳の赤茶けた岩場。急坂を登り詰めた上に青空が見えた赤岩峠は鉱石を群馬県上野村へと人力で運んだ運搬路でした。微かな、それでもかつてより明瞭になった踏み跡を捜して岩場を登り着いた赤岩岳山頂からは遠く和名倉山から雁坂峠、甲武信岳への奥秩父北面からの眺めが黒々と連なっていました。落ち葉の斜面の下降、岩場の「へつり」。左右が切れ落ち、さっき通った集落と鉱山が箱庭のように真下に眺められます。期待していなかった紅葉はツツジを筆頭に稜線を染めています。「まさか、登るの?」という感じでドカーンと立つ1583mピーク。コルから岩壁南側をトラバースして直上した所に最高点はありました。振り返ると山水画を思わせる峨々たる山々。両神山から四方に伸びる岩稜は、ここまで続き、赤岩峠から大ナゲシ、天丸山や諏訪山といった岩山から無名の無数の岩峰を立てて連なっています。ヤセ尾根や倒木、いきなり現れる垂直の岩場・・一つ一つ次々と現れる難関を越えて志賀坂峠への分岐に着いた時はホッと胸を撫で下ろしました。訪れる者もまれな無名に近い山々。捜せば、まだまだたくさんあるかもしれません。

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日和田山・岩登り講習

 以下の者は、2012年10月13日、奥武蔵の日和田山で行われた岩登り講習会に参加し、数多くのルートを登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 日和田山の岩場は全く初めて岩登りを体験するのに相応しい岩場です。目のくらむ様な高度感はなく、豊富な支点が設置されており、浮き石などもほとんどなく、本当の岩登りの基礎を安心して学べる貴重な岩場です。また、初心者がほとんどでヘタでも恥ずかしくない・・・、というのも魅力です。今回の講習で絶対に身につけてほしいことは二つ。基本的な岩の登り方と、岩登りのシステムです。取り付きであってもセルフビレーをして、トップをビレーし、トップはヌンチャクを支点としてセットしながら岩場を登り、テラスに着いたらセルフビレーをして「ビレー解除」を指示し、フォローへのビレーをして「登っていいよ!」の声をかけ、フォローはビレーされて初めてセルフビレーを解除しヌンチャクを回収しながら登り、テラスに着きセルフビレーをする・・・という一連の流れです。つまり、絶えず自分自身でセルフビレーという形で自身の安全を確保しているか、パートナーにビレーされて登っているか・・のいずれかで、一瞬も「誰も安全を確保していない」状況がないように心がける。これがシステムです。そして、今回、数多くのそれぞれの課題のあるルートを登ったことと思います。フェース、チムニー、小さなハング、それぞれに登り方があり、工夫が必要です。初心者の場合「手がパンパン」になるのは普通のことですが、本当は「足で登るのが原則です」。今回の講習は本当の最初の一歩です。この成果の上に、ぜひ、より大きな本格的な岩場でのクライミングに挑戦していただければ幸いです。

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荒川水源真ノ沢から甲武信岳

 以下の者は、2012年10月6日〜8日、奥秩父の中核・荒川水源の真ノ沢林道を入川から赤沢谷出合、柳小屋、千丈ノ滝を経て甲武信岳(2475m)に登頂し、武信白岩山、十文字峠を経て四里観音避難小屋に宿泊し、股ノ沢林道を経由して柳小屋へと周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 山から降りた今も、耳の奥にいつまでも微かに耳鳴りのように響く谷の音。ゴーゴーと力強く腹の底に染み渡るような沢の響き。そんな中の三日間でした。入川渓流釣り場から歩くことわずかで入る森林軌道。向こうから煙を立てて蒸気機関車が走ってきても不思議のないようなレールの跡。その脇から、今、生れたばかりの水が勢いよく湧きだす苔の岩肌。水を生み出す森の力強さはステキでした。見上げると色づきだした広葉樹の連なり。サワグルミ、ブナ、コナラ・・・。赤沢谷出合からのトラバース道は大きな焚き火と共に過ごした柳小屋へと続きました。やはり・・・雨。鬱蒼とした原生林の中に続く微かな踏み跡。コメツガやブナの巨樹が影絵のように霧雨の中に浮かび上がります。樹林の下は分厚い苔。道は微かに、その苔を押しつけながら続きます。右手に大きな滝の気配・・・。沢に降り、上流に向かい出会った千丈ノ滝。大水量を大きく二段に落としながら何故か轟音も立てずに静かに落ちる奥秩父最大の迫力の滝との出会いでした。そこからしばらくの真ノ沢林道は本当に微かな道人なってしまいました。ガレが流れ、道を隠し、それでも「東京営林局」のホーローの古びた看板は僕たちを導きました。甲武信小屋の煙突の煙とキノコ汁にありつけたのは本当に嬉しかった。静謐の四里観音避難小屋。苔の中に美しく続いた股ノ沢林道。金鉱跡。森の深さに酔うような三日間の荒川の旅でした。

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蓼科山

 以下の者は、2012年10月3日、八ヶ岳連峰最北端に聳える日本百名山のひとつ・蓼科山(2530m)を蓼科神社一の鳥居・七合目から将軍平を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 細かい雨が降る中の歩きだしでした。サルオガセがいっぱい下がったカラ松林は、折り重なる倒木の上に分厚く苔が一面の絨毯のようになった重厚なコメツガの森へと変わり、それがツーンと独特の香りのするシラビソへとなっていきました。見上げても全く展望がなく、山容さえも判らない天候の下で、山に登る者の目は、どうしても森に向かいます。少しずつ上がっていく標高に合わせて森も姿を変えていきました。緩やかだった斜面が傾斜を増してゴーゴーと吹きすさぶ風の音が響き、八ヶ岳から続く稜線の一角である将軍平へと登り着きました。そこからの山頂への道は濡れた大きな岩の中の厳しいものです。周囲はシラビソからダケカンバに変わり、それも疎らになって森林限界を迎えました。サロメチールの味のするシラタマ、ブルーベリー、酸っぱいガンコウラン。秋の小さな木の実の生える森林限界です。強い風、濃いガスの中に広々とした火口のある山頂に立ちました。ソソクサと立ち去る山頂。一歩一歩、ゆっくり慎重に降ります。再び森の中。木々が守ってくれる安心感をかみしめながら降りました。
 雨が降ったり止んだりの一日。ついに、その山容さえも見ることのなかった蓼科山です。でも、一方で期待していなかった紅葉と秋の気配、もう、汗ひとつかかない冷え冷えとした山の中り空気を味わいました。天狗の露地から見上げた斜面は濃い針葉樹林の間に色とりどりの見事な紅葉を見せていました。

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日向山

 以下の者は、2012年10月2日、南アルプス前衛で鋸岳日向八丁尾根にある花崗岩の山・日向山(1660m)に矢立石から尾白林道を歩き錦滝より登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 何台かのクルマの駐車した矢立石前からの尾白川に沿った林道は足元を見ると白いキレイな砂の道でした。この周囲の山々が全てそうであるように花崗岩の山であり、山腹も斜面もそして林道までも風化した花崗岩の中にありました。所々ではるか下からの谷の音が聞えます。ゴーという音は名水で知られる尾白川の流れです。ヒンヤリとした空気が霧と共に流れてきます。何本かの渡った沢の中にとりわけ雄大な滝をかける沢・・・それが錦滝の沢でした。まだ、紅葉こそしていないものの、頭上を覆う木々はカエデを中心とした広葉樹。錦繍の景色が遠くない日にやってくる・・・だから錦滝なのかな?と思わせる光景でした。そこからの登りは急でした。左側・錦滝によったほうは切り立ち一歩一歩慎重に登りました。いつしか、木々はコメツガやブナの高山性のものに変わり、深山の趣のなかの道でした。傾斜が落ち、右側の沢のほうにトラバースを始めることわずか、今、生れたばかりの冷たい水の湧く谷筋へと降り立ち、その上には明るい砂漠のような花崗岩の原がありました。暗い森から明るい眩しい白砂の道へ!歩きにくさも気にせずにグイグイと登り切り稜線に飛び出すと目の前には「山梨百名山」に指定されながら不人気の雨乞岳がありました。背後に連なる大岩山から鋸岳、甲斐駒ヶ岳が姿を出さないか・・・とチラチラ見ながら釜無川へと大きく岬の様に突き出した日向山に到着です。期待した大展望はないものの、開放的な山頂は静かでステキでした。

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雲取山から石尾根

 以下の者は、2012年9月25日〜26日、東京都最高峰で日本百名山のひとつであり、唯一の2000m峰である雲取山(2017m)に奥多摩湖畔の鴨沢からブナ坂を経て登頂し、翌朝、石尾根を七ツ石山(1757m)、鷹ノ巣山(1736m)と縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 シットリとした空気の湿りけが、乾いた晴天の続いた今年の夏のイメージと違い、喉や鼻に優しいな・・・と思いながら長々と登り続けた鴨沢からの杉林の道。小雨模様でも、カッパを着るほどではなく汗まみれの登りとは違い、ユッタリと高度を稼げました。ブナ坂からの道は、時折、遠くのガスがとれ、標高の高い稜線の爽やかな風が吹いていました。いままでの穏やかな登りが一転し、急な登りが連続し小雲取山が近づく斜面で、大菩薩周辺に固まっていた雲の上に富士山の頭だけが浮かんでいました。静かな朝の空も強い風が吹きつけ、山頂は濃いガスの中でした。予定の富田新道は、ブナの巨樹と渓谷美の創り出す奥多摩らしい良いルートですが谷に向かって降りるため展望はありません。そこで、優れた展望の「石尾根」にルートを変えました。願いかなって、奥多摩小屋手前から、前方に大きく並ぶ黒々とした大菩薩を筆頭に、大好きな飛龍山、そして、その背景に荒川三山から赤石岳、聖岳を筆頭とした南アルプスの山脈も見えました。七つ石山への登り返しからは北岳、甲斐駒ヶ岳も見えて上空の美しい雲と併せて素晴らしい展望の道となりました。石尾根は奥多摩でも最大規模の明るく長い尾根です。美しい樹林と開けた草原はステキです。最後に石尾根の盟主・鷹ノ巣山に立ちました。広大な展望は奥多摩方面にも開け、最後の展望を楽しみました。雲取山!原生林と展望のステキな山です。

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湯檜曽川本谷から朝日岳

 以下の者は、2012年9月22日〜23日、谷川連峰・湯檜曽川本谷を土合橋から新道を歩き、武能沢から入渓し、魚留ノ滝から赤渕、十字峡、10m垂直の滝、大滝と遡行し、二俣に宿泊し、水源を経て朝日岳(1945m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 夏から秋へと急激に季節が入れ代わり、空気も天気も変っていく微妙な中の二日間でした。遡行した湯檜曽川は徹底的に明るく、沢床は白く、周囲はブナの堂々とした巨樹の中にあり、開放的な気分の中の遡行でした。絶えず、雷雨とそれに伴う増水を警戒しながらの沢登りでしたが、下流部のいかにも「川」といった状況から、「谷」そして、草原の中を最後まで流れる「沢」、「水源」と辿ることができました。沢の周囲は下部では原生林、中間では灌木を中心とした明るい林、最後は徹底的なクマザサとハイマツと草原の中でした。一つ一つの滝がナメであったり、垂直だったりしても明るい陽差しと開けた空の下の遡行は、暗く両岸から覆い被さる森の中のコケに覆われた谷と違った気楽さがありました。大量の谷水を空中に放出させる大滝にしても圧迫感なく自然の創り出す大迫力と親しむことができました。多くの滝登りと、登攀的な要素の強い遡行であっても、湯檜曽川本谷の魅力は本当は源流部にあったのかもしれません。強い雨の中でしたが、最後まで徹底的に現れる小滝と周囲の草原。背後にグイグイと広がる清水峠から蓬峠にかけての明るい草モミジの稜線と七つ小屋山、大源太山の山々の眺めは勝ち取った標高を感じさせて充実感一杯でした。這い上がった山頂。強く冷たい風、そして強い雨。激しく変わる谷川連峰の激しさも教えられた二日間でした。

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軍刀利沢から生藤山

 以下の者、2012年9月19日、奥多摩南秋川支流矢沢軍刀利沢を出合から遡行し、生藤山(992m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 生藤山は1000mに満たない小さな低い山です。三頭山から東へと伸びる甲武相国境尾根・・・・高尾山で終わり、山梨、神奈川、東京を分ける尾根の一角にある山です。今回、訪れた秋川そのものが、奥多摩主脈とこの尾根とに囲まれた穏やかな美しい渓谷です。狭い谷筋に点々と集落を点在させ、里山の雰囲気を強く残した谷筋です。南秋川は奔流そのものは流れも穏やかで、そこに流入する盆掘川、小坂志川、矢沢・・・などは美しい川床を見せてサラサラと流れます。にもかかわらず、その支流の枝沢は急峻で、大きな見応えする滝をかけて、「こんな里に近い山に、こんな滝があるのか!」との思いを新たにさせられます。今回、前夜からの強い雨に、安定した沢筋を持つ軍刀利沢に向かいましたが、この沢も出合の穏やかな表情と、次々と現れる沢山の滝との雰囲気がちょっと違っているのが魅力です。出合からの縞模様の岩肌。小さいくせに登りにくい滝から始まって、飽きることなく、次々と滝が現れました。10m前後の滝であっても、幅広い物が多く、サラサラと落ちる姿は優美で威圧感はありません。ある時は直登し、ある時は高巻き、一つ一つ出てくる滝を越えていく爽快感は独特です。中にはシャワークライムを強いられる手強い滝もありました。水がなくなり、靴を履き替えて僅かで、上が明るくなり、三国峠に飛び出しました。小雨混じりの曇り空でしたが、それでも、御坂から丹沢の山々が冴えて見えて、谷底を歩いてきた者の目には新鮮でした。登山道とは違う刺激を一杯くれた軍刀利沢でした。

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北鎌尾根

独標への正面からの登り
独標への正面からの登り

 以下の者は、2012年9月15日〜17日、北アルプスを代表する歴史あるクラッシックルート、北鎌尾根を上高地より槍沢を経て水俣乗っ越しから北鎌沢出合に至り、北鎌のコル、天狗の腰掛けを経て独標を正面より登り、北鎌平から槍ヶ岳(3189m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

穂先近し!
穂先近し!

 大きな尾根、雄大なルートを最も魅力ある形で登れたことを嬉しく思います。上高地から1000mの標高差を制圧し、水俣乗ッ越しに至り、再び1850mまで下降し、そこから槍の山頂を目指す・・・・。力勝負の大きな登山を達成した充実感で一杯です。本州中部全体に言えることなのでしょうが、山全体が乾いている印象を持ちました。いつもは滔々と流れる梓川は伏流と化し、槍沢に流れ込む多くの沢も枯渇していました。多くの人が通過するようになり、登山道の様になった乗ッ越しからのルートも、北鎌沢が涸れ沢になっているのに驚きました。それよりも何よりも驚いたのは、あの北鎌尾根に挑むパーティーの多さでした。数年前までは、三連休でも二〜三パーティーのみ。時としては僕達以外の姿を見ないこともありました。北鎌ノコル。ここから赤く熟したコケモモをつまみ食いしながらのルート。大きく立ちはだかる独標は、数年ぶりに正面から挑みました。巻きルートと違い、独標へとダイレクトに挑む素晴らしいルートは背後にどんどん広がる大展望の中にありました。そして、グイグイと大きく成長する穂先へと一歩一歩、近づいていくあの独特の高揚感、達成感・・・・。山頂へと突き上げる嬉しさ・・登山の持つ本質的な物がギッシリと詰まった素晴らしい三日間でした。 ※遭難との遭遇の中で、みんなが冷静に他のパーティーの助けになったことに本当に感謝しています。

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越百山

越百山稜線の朝
越百山稜線の朝

 以下の者は、2012年9月11日〜12日、中央アルプス南端の締めくくり・越百山(2613m)に木曾側・今朝沢橋から福栃平登山口に至り、御岳展望台を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

雲海に向こうに南アルプス
雲海に向こうに南アルプス

 ときおり、ザッと降る雨。サラサラと聞える左右の谷の音。誰もいない重厚な森の中を一歩ずつ登り続ける一本調子の強い傾斜。東京から、伊那に向かい権兵衛峠を越えて木曾路に入り・・・という登山口への道はまるで異国に向かうような遠さでした。花崗岩の谷だけが持っている明るさと清潔さが満ちた谷沿いの林道が出発点でした。山道に入った途端の激しい登り。意識的にユックリユックリと向かう道でした。ところどころで檜の混じったコメツガの森は、途中からシラビソとなりました。気温自体はけして高くないのに全身ビッショリの汗。それでも、ときおり、背後に展望が開け木曾御嶽山らしき姿も見えました。恵那山から奥美濃へと続く標高こそ高くないものの、濃い緑に覆われた山脈が低い雲海の上に広がっています。身を切るように冷たい「上の水場」で水を汲み、僅かに出てきたダケカンバの森の向こうに小さな越百小屋はありました。ときおり、ガスが晴れて越百山から南駒ヶ岳が見えます。夜は満天の星。夜露にビッショリの笹を踏み越えて越百山に向かいます。山頂付近にシツコク残るガスは気になるものの、上空には青空が広がり、山頂直下で御嶽山の雄大な姿とも対面できました。山頂で飛び去るガスの中、待つこと15分。ブロッケンが現れ、伊那側の雲が大きく沸き上がり、雲海の上に佇む巨大な南アルプスの連峰が見えました。木曽川と天竜川に挟まれた絶好の山頂の展望は登った者にだけ与えられたご褒美です。

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釜ノ沢西俣から甲武信岳

乙女ノ滝前を行く
乙女ノ滝前を行く

 以下の者は、2012年9月8日〜9日、奥秩父の中心・甲武信岳から流れだす笛吹川本流の東沢釜ノ沢を遡行し、両門ノ滝から西俣に入り水源まで遡行し、甲武信岳に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 「沢は生き物である」。大好きで親しんできた谷に何回も入る内に実感することです。この六月、遡行した時の東沢釜ノ沢は、その間に何か大きな鉄砲水などがあったらしく、随所に倒木の山を築き、土砂が堆積し様子を変えていました。ちょっと浅くなってしまったホラの貝のゴルジュ。手前から大きく姿の見えた東ノナメ。でも、川から谷、そして、沢へと段々若返っていくこの谷の持ち味は相変わらずでした。水量が少なかったのが残念でしたが、魚止ノ滝から続く千畳のナメの優美な姿は、やはり奥秩父随一の素晴らしさでした。二俣から西俣へと入り、引き続きゴルジュと小滝、苔むした沢床の創り出す姿は見事でした。ここにも大きな出水があったと見えて泊まりを予定していた「風の谷の泊まり場」も大きく流されていました。空が大きく開け、谷の音も静かで、流木も集めやすい大好きな泊まり場がなくなってしまったのは残念でしたが、苔むしたコメツガの静寂の森の中にステキな泊まり場を見つけました。大きな炎を上げて燃え上がる焚き火。木々の間から見えていた星が深夜に皓々と照る月に代わり、コメツガの木々を浮かび上がらせていました。ゴーロの間に点在する苔むした滝。一つ一つを丁寧に越えて国師ヶ岳が大きく見える開けた場所から主脈縦走路を目指します。登山道・・・そして、甲武信岳山頂。暗い谷底を歩き続けた者の前には沸き上がる雲と青空、そして八ヶ岳の雄大な展望がありました。

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北岳から塩見岳

塩見岳近し!背後に辿ってきた稜線!
塩見岳近し!背後に辿ってきた稜線!

 以下の者は、2012年9月3日〜6日、南アルプス中部の核心部を日本第二位の北岳(3193m)を出発点に間ノ岳(3189m)、三峰岳(2999m)から熊ノ平を通過し、北荒川岳から塩見岳(3062m)と登頂し、日本三大峠の一つ三伏峠へと縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 幸運にも、最後の到達点となった塩見岳山頂から振り返ると出発点だった北岳が遙か彼方にその尖峰を屹立させていました。その背後には甲斐駒ヶ岳と仙丈岳が大きく見えて、南へと目を転じれば荒川三山から赤石岳、聖岳、が遠く高く連なっていました。南アルプスの山の大きさと雄大さ、一つ一つの山の強い存在感を強く感じさせられました。歩きだしのピークだった北岳の遠さを思うと「人間の力もバカにできない」との思いを強くしました。出発前の予報が大きく変わったのは出発の前日でした。太平洋高気圧の力が落ち、寒気が入り、雷雨と悪天の予報が不安をかきたてます。二俣からはカッパを着ての登りでした。一日で1500m近くを制圧するキツイ登り、一歩登ってはため息をつき、立ち止まり着いた肩。明け方からの風と雨、憧れの北岳はソソクサと立ち去りました。寒さに打ち震えながらの間ノ岳への登り、山頂の影へと隠れた瞬間に富士山が見えて一瞬の内に大きな展望が広がりました。急に悪くなった熊ノ平への道。素朴なステキな小屋の一夜は満天の星空の中に明けました。今までの天候を振り払うような塩見岳への道筋。真青な空に一歩ずつ近づく大きな扇形の美しい山容。周囲に広がる圧倒的な展望の中を辿ってきた全ての行程を楽しみながら登る喜び!急峻なガレとザレを越えて登り着いた山頂。やり遂げた嬉しさに満ちた大縦走の完成でした。

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シレイ沢から薬師岳

やっぱり南アルプスの山はデカイ!
やっぱり南アルプスの山は
デカイ!

 以下の者は、2012年8月25日〜26日、南アルプス・鳳凰三山に突き上げるシレイ沢を出合から二俣を経て水源まで遡行し、薬師岳(2780m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 いきなり、うんざりするガレの巨大な押し出しの様な岩の堆積を越えると、素晴らしい谷間が待っていました。連続する滝。狭まった両岸が創り出す、ゴルジュの雰囲気。でも、どんなに両側の岩壁が切り立っても、谷の創り出す明るく開けた雰囲気は奥多摩や奥秩父にはありえない物でした。次々と現れる滝と足元を埋めつくす風化した花崗岩の庭園のような白砂。そして真青な空。背後には農鳥岳付近の青々した稜線が少しずつ姿を見せる独特なてんぼうの中の遡行でした。ある意味で、自分たちが従来持っていた沢登りのイメージを変えるような谷だったと言っても良いと思います。多くの滝を乗り越えて、両岸が花崗岩のスラブで覆われた真白な滝は見事でした。高巻きでドツボにはまり、苦労して乗り越えた上にも美しい白い布を広げたようなサラサラと涼やかな滝が次々と現れました。
 アクシデントの後、皓々と照りつける月と満天の星。そして、明けた一夜の二俣から上は、素晴らしい背後の展望と共に登りました。白砂の原から素晴らしい原生林。点々と咲く高山植物。稜線からは美しく富士山をはじめとして圧倒的な展望が待っていました。

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早川尾根

早川尾根

 以下の者は、2012年8月21日〜22日、南アルプス北部で甲斐駒ヶ岳と鳳凰三山を結ぶ早川尾根を北沢峠から仙水峠を経て栗沢山に登り、アサヨ峰(2799m)に登頂し、ミヨシの頭、早川尾根ノ頭、広河原峠と縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 夏はアルプスの稜線と言えども、早朝以外は山が霞み、雲がかかり、遠望は効かない・・・ことになっているのに、早川尾根を歩いた時の展望は素晴らしかった・・・。日の出時刻直前の仙水峠は、甲府盆地へと大きく広がる雲海と、その上に連なる奥秩父の山々。まだ、暗い中に屹立する甲斐駒ヶ岳。上空は一つの雲もない快晴の下にありました。栗沢山へにの胸を突く登りは背後に広がる圧倒的な展望がグイグイと広がる中の道でした。摩利支天の右に鋭く八ヶ岳が姿を現し駒津峰の横に槍・穂高を筆頭とした北アルプスの姿が見え、中央アルプスが、木曾御嶽山が、そして北岳から仙丈岳、塩見岳から遠く荒川岳までが、大きく大きく見えました。強い傾斜の栗沢山への登りを制して立つ早川尾根の縦走はハイマツの海の中に続く岩尾根の道でした。所々、心配になるほどの原始的な道。ハイマツに隠れた踏み跡を捜し、岩の頭を踏み越えて進む道は南アルプス随一の展望の中にありました。「富士山に向かって進む」様な真夏の黒い富士山に一歩ずつ近づく様な尾根道です。岩の中を登り着いたアサヨ峰は山頂に大きな岩があり、その上に立てば北岳に手が届きそうな近さでした。再びハイマツの海にもぐり込むような降りは、やがて、ダケカンバが混じり、シラビソの中になり、原生林と苔の重厚な尾根となりました。早川尾根!次は鳳凰三山から辿ってみたいステキな尾根です。

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大常木谷

山女淵を泳ぎわたる
山女淵を泳ぎわたる

 以下の者は、2012年8月18日〜19日、奥秩父多摩川水系水源・大常木谷を一ノ瀬川本流の出合より、五間ノ滝、千苦ノ滝、山女淵、早川淵、不動ノ滝とゴルジュを乗り越え、積石ノ滝を経て遡行し、将監峠に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 僕が大常木谷が大好きなのは、出合から水源まで全て徹底的に原生林の谷であること、堰堤、伐採、林道等、一切の人工物がないこと、そして、生まれ育った近くを流れる多摩川の水源地帯であることです。一ノ瀬林道からの急斜面を恐々と降り、降り立つ一ノ瀬川は大きなナメを連続させ、降り立つ大常木谷は縞模様の沢床を見せてツルツルに磨かれて、最初から自然の庭園のような雰囲気でした。谷に入って僅かで両岸は上を見ても、どこまで続いているのか判らないほどに切り立ち、徹底的なゴルジュの様相を呈していました。釜をへつって取りつく五間ノ滝、上空から放水するようにザーッと大きな落差で滝水を落とす勇壮な千苦ノ滝、胸までの深さからついに足が着かなくなり泳ぎを強いられる山女淵、本物の廊下の様にゴルジュになった早川淵・・・・。息継ぐ間のない遡行の連続でした。心配した空模様は最も美しい不動ノ滝前後から夜のように暗くなり、少し焦りましたが全水量を放出させる不動ノ滝を乗り越えると谷は開け、美しい森の広がりの中にナメ滝を連ねて流れていきました。燃え上がる焚き火、回されてくるお酒、横になると木々の間から点々と光る星。谷の中で過ごす一夜は刺激的でした。縦走路までの沢の遡行。数年前の鉄砲水で荒れてルート判断に迷いながら飛び出した登山道。一転して明るい将監峠。やっぱり、絶対にステキな大常木谷です。

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甲斐駒ヶ岳

甲斐駒_山頂直下・・・背後にはグイグイと展望が広がる
甲斐駒_山頂直下・・・
背後にはグイグイと
展望が広がる

 以下の者は、2012年8月7日〜8日、南アルプスを代表する美しい山容で「山の團十郎」と呼ばれた甲斐駒ヶ岳(2967m)に北沢峠から仙水峠、駒津峰、六方石を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

雲海・・・見事でした
雲海・・・見事でした

 鼻を摘まれても判らないような濃い原生林の中をヘッドランプで歩き、うっすらと明るくなった中を岩原の道を辿り、これから生れてくる浅の光が溢れだした仙水峠から見上げた甲斐駒ヶ岳は圧倒的な迫力と大きさで立ちはだかっていました。白い風化した花崗岩で覆われた姿は威圧的で、前日に登った仙丈岳とは何から何まで対照的な姿でした。「こんな山、登れるのかな?」そんな不安が頭をかすめる山容です。駒津峰への胸を突く急斜面の登り。長々と続く大きな標高差の登りは、背後にグイグイと広がる早川尾根から鳳凰三山の姿、仙丈岳と見えだした北岳の眺めに励まされての道でした。登り着いた駒津峰からは伊那谷を挟んで大きく広がる中央アルプス、木曾の御嶽山、乗鞍岳、そして槍から剣岳、白馬へと連なる北アルプスとの出会いの場所でした。駒津峰から見上げる甲斐駒ヶ岳は急斜面ばかりが広がり、一体・・・どこに道があるのか?なかなか判らないような白い壁のような姿でした。岩の中を降り、大岩の六方石を通り、白砂の中をジリジリと登り詰め、意外にも容易に到達した山頂直下。昨日とは打って変わって乾いた空気と真青な空。はるか遠くまでどこまでも続く遠いやまなみ。遠く赤石岳までの全ての南アルプスの山々が南へと続いていました。そして、立った山頂。信仰の山、独特の神社、祠、剣・・・四方に広がる絨毯のような白い雲海。下山のことも忘れていつまでも立ち去りがたいステキな山頂でした。

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仙丈岳

雪渓の上に明日登る甲斐駒ヶ岳が・・・
雪渓の上に
明日登る甲斐駒ヶ岳が・・・

 以下の者は、2012年8月6日〜7日、南アルプス北部を代表する優美な山・仙丈岳(3033m)に北沢峠から大平山荘に宿泊し、藪沢から馬の背を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 鬱蒼としたシラビソ、コメツガの巨木。倒木の上に分厚く生えた苔の堆積。吐く息が全て森に飲み込まれるような奥深い原生林の中の登りでした。71年(使用は74年から)、南アルプススーパー林道が開通する前のこのあたりの森は、どこも、こんな感じでした。僕自身は70年3月の北沢峠・・・ちょうど今のバス停近くに雪の中、テントを張ったら夜中に頭上を座布団のような大きさのムササビが空中を滑走し度肝を抜かれました。あれから40年以上たち、スーパー林道開通の報に「二度と北沢峠には行かない・・・」と心に決めたものの、「転びバテレン」のように僅か750円で標高差500mを上がる文明の利器の前に膝を折りました。サルオガセがかかり、乾いた風の吹き抜けた北沢峠の思い出は、一度、山に入ればたちまちのうちに蘇ります。雪の残った藪沢。馬の背手前から山頂が見え、一歩ずつ、迫っていく感動は、ここだけの物です。頭上は晴れているものの、何故か周囲の山々にはガスがかり、鹿の食害で以前とは比べ物にはならないものの、それでも咲く沢山の花の中の登りでした。一気に登り上がる山頂。四方に広がる空間を大きく感じる場所でした。山頂から小仙丈岳への稜線歩きは、ハイマツの絨毯の中でした。南アルプスで最初に登られる3000m峰たる仙丈岳。足元に食い込むカールが再び高山植物で覆われる日の来ることを願いました。小仙丈岳までなら、冬に来れないか?そんな思いも交差する仙丈岳の穏やかな山容でした。

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剣岳本峰南壁

まだ陽の差さない取り付き
まだ陽の差さない取り付き

 以下の者は、2012年8月4日〜5日、北アルプスを代表する岩と雪の殿堂・剣岳(2998m)に剣沢より平蔵のコルを経て本峰南壁A2を末端から登攀し、登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 別山尾根を登る登山道のわずか100m前後、山頂を支える一本の柱の様な四本のリッジ・・・。平蔵雪渓から取りつくルートは、技術的な困難はないものの、雪渓を渡り、シュルンドをくぐり、テラスに立ち登攀をするという剣岳ならではの岩登りが体験できます。あらためて思うのは剣岳は本当に素晴らしい山だと言うことです。室堂の喧騒の中を抜けて、雷鳥坂を登り切り、別山乗っ越しで初めて本格的に対面する大きな岩の塊・剣。明るく開放的で、剣沢を挟んで大きく剣岳と対面できるキャンプ場。深夜に起き、ヘッドランプで急ぎ足で取り付きへと向かう高揚した気持。前剣を越えて夜明けの空気の中に聳え立つ四本のArete。もしかしたら一番の核心部だったかもしれない取り付きへのトラバースから雪渓の下にもぐり込むように入り込み、ようやく立つテラス。浮き石が乗っかっているものの、岩そのものは硬く最近一気に増えた残置ハーケンも豊富でグイグイと登れる快適さがありました。背後に針ノ木岳が鹿島槍ヶ岳が、槍、穂高がそして富士山までが見える素晴らしい展望の中、登攀を続ければ傾斜も落ち、直下へと登り着きました。
 剣岳は無数とも言える岩壁ルートを持つ日本で唯一の完璧なアルパインクライミングの山です。一泊二日で登れる物は少なく、チンネ、三ノ窓、池ノ谷などはテントを出て登攀を終えて帰ってくるまで最低でも15時間はかかります。それだけに体力勝負の山です。本格的なヤマヤのための剣岳・・大好きです。

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赤木沢から北ノ俣岳

出合の自然の堰堤スゴイ!
出合の自然の堰堤スゴイ!

 以下の者は、2012年7月28日〜29日、北アルプス黒部川源流から赤木沢を遡行し、北ノ俣岳(2662m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

大滝 泊まり場の前の瀞はイワナ!漁労長ガンバル
大滝
泊まり場の前の瀞はイワナ!
漁労長ガンバル

 静かに炎を上げる焚き火。釣り損ねたイワナが、ユラリと岸辺近くまで泳いでくる淵。透き通っているのにエメラルドグリーンの水の色。頭上を覆う見事なシラビソの森。他の遡行者の姿もなく静まり返った北アルプス最奥の谷にいる嬉しさが込み上げます。稜線にも山小屋にも、あんなに沢山の人がいたのに人の気配も、人の泊まった形跡もまったくない谷間。今、黒部の中にいる・・・、それを実感しました。明るくなると一斉に鳥が鳴きます。ようやく明るくなりだした頃、薬師沢出合からここまでの明るい雰囲気とは変って、ミニゴルジュの中の冷たい徒渉をしました。そして、あの赤木沢出合の自然の堰堤のような見事な広い滝に出会いました。その上にも滝があり黒部川全体を通じても最も美しいだと感じます。赤木沢に入ると明るい開けた中に次々とかかるナメ滝。サラサラと流れる中を越えていく爽快感は、ここだけの物です。背後に大きく見える水晶岳から薬師岳にかけての北アルプス最奥の壮大な展望を楽しみながらの遡行は最高でした。水源地帯に入ると左右に小さな高層湿原があり、見事なお花畑が続きます。靴を履き替え、目指す稜線への道も足の置き場に困るほどの花、花、花。登山道から因縁の北ノ俣岳を目指しました。足元に食い込む、薬師沢、太郎沢の優美な広がり、越えてきた赤木平の美しい草原。そして背後に大きい黒部五郎岳。大変なアプローチと遠い、遠い折立への道、そして長かった炎天下の薬師沢への道を割り引いてもやはり、ステキだった赤木沢です。今度は薬師岳下の「鳶谷」なんかにも行きたくなってしまいました。

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西穂高岳から奥穂高岳縦走

 以下の者は、2012年7月23日〜25日、北アルプス穂高岳連峰の西穂高岳(2908m)から赤岩岳、間ノ岳、天狗岳を越えて天狗ノコルからコブの頭を越えてジャンダルム(3163m)に登り、ロバの耳、馬の背を通過し奥穂高岳(3190m)へと最も峻険なルートを踏破したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 前日から雲の動きを注視し、ガスの流れに一喜一憂した西穂山荘の一夜でした。無事、河童橋へと下山し、見上げた西穂高、奥穂高の間は、天狗のコルから上の姿を待っていたように登場させ、ジャンダルム、ロバの耳などが天空を突き刺す見事なラインで眺めることができました。実際には歩き通したはずなのに、どうしても、そこを歩いた実感のない恐ろしげなギザギザが曇り空の下にありました。真っ暗な中でのヘッドランプを点けての出発。ガスが動き笠が岳が見えた時の嬉しさ。そして南アルプス、八ヶ岳、富士山が見えた感激。独標からは前穂高から、これから向かうジャンダルムが意外に近く見えました。以前より大分、歩きやすくなった西穂高への稜線。一つ一つのピークを乗り越えて、ひょっこり飛び出した西穂高からの道は振り返ると最も厳しい道でした。いきなり、痩せてくる稜線。動きやすい浮き石。ペンキのマークも少なく、次々と現れるクサリ場や、微妙なトラバースを繰り返していきました。知らぬ間に通過した赤岩岳、思いの外、早く着いた間ノ岳、そして、かつて霙の中を通過した天狗岳。天狗のコルに着いた時、正直「ホッ」としました。そこからは穂高連峰のど真ん中を進む完璧な岩の中の登りでした。ガスの中のジャンダルム、高度感に悩まされたロバの耳。そして、ザイルを解き人々の集う奥穂高頂上での感激。ついに、ついにやり遂げた厳しい縦走でした。

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夏の水根沢

 以下の者は、2012年7月18日、奥多摩・鷹ノ巣山から奥多摩湖下に流れる水根沢を水根集落から遡行し、修行の滝、大滝、半円ノ滝まで到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 ジリジリと照りつける太陽、グイグイと空に伸びていく積乱雲。奥多摩の緑が一気に勢いを増して、山一杯にセミの声が響く夏がやってきました。この時期にこそ楽しめる水根沢は、青梅街道から入ること僅かに5分。小さな集落の中を流れ落ちる谷です。谷に入って僅かで両岸は黒々と立ちはだかり、その中を狭く、深く、流れる谷の様子はまるで深山の幽谷そのものです。最初のゴルジュで腰まで浸り、一端開けた後、再びのゴルジュは胸まで水にはいりました。ドードーと流れる水音。一つ一つの滝そのものは大きくなくても、その通過は微妙なバランスを強いられ時々、ボチャンと落ちることの繰り返しでした。見上げる空は迫ってくるゴルジュに狭く区切られ、その斜面を覆う緑のカーテンと共に見事な渓谷美を作っていました。水根沢は実は里に近く、山仕事にも多用されていた谷のため、僕自身が知っている45年ほどの間にも大きな変化がありました。最初の頃は、上部の森林の伐採の真っ最中。「お金になる木」とのことで杉、檜が植えられ広葉樹が谷を埋めたこともあります。「鉄砲出し」という谷を材木で埋めて人工的に鉄砲水を創り出し、大規模に木材を搬出することも行われていました。沢山の「ワサビ田」が作られ、谷のアチコチで働く人の姿を見たこともあります。その後、鹿の食害による土砂の流入、それが流されて今の姿があります。大滝、半円ノ滝。勇壮で優美な滝がステキに復活したことを嬉しく思います。

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金山沢から和名倉山

それでも登ったぜ!和名倉山
それでも登ったぜ!和名倉山

 以下の者は、2012年7月14日〜15日、奥秩父荒川水系滝川支流・金山沢を右岸山道から遡行し和名倉山(2036m)に登頂し、曲沢を水源から下降し、再び滝川右岸山道へと周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 奥秩父荒川水系・北面の山と谷は、毎回、クタクタに僕たちをシゴイてくれます。甲武信小屋・北爪さんから入山前夜の夜半の大雨を聞かされて慎重モード全開の状況で降りだした天狗岩トンネルからの踏み跡。豆焼沢を渡っただけで恐れを感じる水圧。軌道跡に上がり、もう一度、滝川本流に降りようと降りだして、やっぱり引き返し、もうただ一つだけ残された滝川右岸の歩道をトラバースすることにしました。曲沢までは踏まれた道も、金山沢に向けては途切れ途切れとなり、金山沢に着いた時には既に三時近く。そこからの遡行となりました。次々と現れる大小の苔むした滝。時間も四時半になり、サワグルミの大きな木の林立する中にタープを張りました。散々苦労した上でようやく燃え上がった焚き火。出合からの遡行ではないものの、大きな山の大きな谷でドップリと浸って泊まれることに満足しました。明るくなると同時に出発。まだまだ水量も多く、滝も続き、それが少しずつ分厚い苔に覆われるようになっていきました。大きな伐採小屋の跡から尾根に上がり、前方に見えた赤テープはヒルメシ尾根の巻き道でした。誰もいない、展望もない和名倉山山頂に立ち、再び巻き道から曲沢に入りました。急峻なゴーロを滑り降りるような降りにくい沢筋も苔むした滝の連続に変わり、黒々とした滝川流域独特の沢の様相を見せていました。そして、降り着いた右岸歩道。再び登り着いた国道140号に着いた時は満足感で一杯でした。また、絶対に来たい滝川です。

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金峰山

まるで「南アルプスに向かう」ような稜線
まるで「南アルプスに向かう」
ような稜線

 以下の者は、2012年7月10日〜11日、奥秩父の王者、日本百名山の一つ・金峰山(2598m)に廻目平から中山沢出合を経て金峰山小屋に宿泊して登頂し、千代の吹き上げ、大日岩、砂洗沢を経由して周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

八ヶ岳を背景に山頂へ!
八ヶ岳を背景に山頂へ!

 斜面を這いあがるガスの中に見え隠れする瑞牆山。端正な三角錐で雲海の上に浮ぶ小川山。その雲海が動き、沸き立つ積乱雲が静かに沈み、突然のように浮かび上がる八ヶ岳と南アルプス。待ち望んだ大好きな金峰山小屋の夕暮れが訪れました。山水画を思わせる廻目平の岩峰群、青く輝く金峰山川、そして水晶のカケラの落ちるアプローチ。苔むした台地と倒木の上に散るシャクナゲの花。静かに、森に溶け込むような森林限界に立つ小屋の位置は見事な場所です。朝、抜けるような青空の下、登るほどに背後に広がるバツグンの展望。登り着いた山頂からは南アルプス全山が、八ヶ岳が、木曾の御嶽山が、乗鞍岳が、中央アルプスが息をのむ迫力で広がりました。まるで南アルプスに向かって歩くような千代の吹き上げの稜線。吹きつける強い風が樹林に入った途端に静まり、そして緊張の中、登り着いた大日岩。花崗岩の巨大な塊の一角にへばりつき、岩の中にルートを求めて再び鬱蒼とした苔むした森の中に入った時の安堵感はここだけの物です。降り立った八丁平の森。小さなコメツガの幼樹が広々とした広場を埋めつくし、まだ若い芽をキラキラと光らせた光景は奥秩父北面独特の物です。最高峰こそ、北奥千丈岳に譲とは言え、花と展望と岩場と森と、重厚で地味な印象の強い奥秩父の中にあって明るさも持ち合わす最高の山として金峰山はありました。

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八ヶ岳縦走

赤岳に向かって!
赤岳に向かって!

 以下の者は、2012年7月3日〜5日、八ヶ岳連峰の核心部を天女山から三つ頭を越えて権現岳(2715m)に登頂し、旭岳、キレットを越えて最高峰・赤岳(2889m)から横岳奥ノ院(2829m)、硫黄岳(2720m)と南八ヶ岳を縦走し、夏沢峠より箕冠山、根石岳から天狗岳(2647m)、中山峠へと縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

晴れた!ブロッケン出現
晴れた!ブロッケン出現

 強い風雨の中、ギシギシと揺れる権現小屋。夜が明けても立ち込めていたガスの中に明りがさし、突然のように顔を出した北岳。まるで赤岳に向かってグイグイと進むようなキレットへの稜線の最初の難所・源氏ハシゴにかかる手前で大きく現れたブロッケン。虹の輪の中に浮ぶ自分の影に励まされるように一歩一歩を刻んでいきました。大天狗、小天狗が「まさか、あそこ、登るの?」という感じで聳える中を南北、中央アルプス、富士山の大パノラマを満喫しながら進みました。「八ヶ岳は、今が花のトップシーズン。梅雨があけたら、もう、散り際」と言っていたとおり、ツルネでコマクサの群落と出会い、ハクサンイチゲ、チングルマ、チヨノスケソウ、オヤマノエンドウ、ミヤマオダマキ・・・絶えず花が視界の中にある道でした。最高峰・赤岳からの道は、頭上はいつも真青な空。鋸の歯のように小さなピークを巻いたり、登ったりを繰り返して奥ノ院に到着した時は、思わずホッとため息が出ました。強い風の吹く硫黄岳への登り返しからは朝、出発した権現岳がはるか彼方に見えました。夏沢峠から一転した北八ヶ岳独特の森林高地の原生林は、翌朝、ガスの舞う天狗岳を越えて、中山峠から稲子湯へと続く道まで続きました。八ヶ岳の明と暗、岩と森の二つの顔を花と共にタップリと味わった三日間でした。

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葛葉川本谷から三ノ塔

横向きノ滝、シッカリ濡れました
横向きノ滝、シッカリ濡れました

 以下の者は、2012年7月1日、丹沢表尾根に突き上げる葛葉川本谷を葛葉ノ泉から横向きノ滝、板立ノ滝、曲り滝、富士形ノ滝を越えて水源まで遡行し、三ノ塔(1204m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 名水「葛葉ノ泉」の脇からトントンと谷に降りた途端から最後に靴を履き替えるまで、見事に次々と大小の滝やナメ滝の続いた楽しい、明るい沢でした。唯一の欠点・・・それはヒル。それでも沢登りの楽しさだけがギッチリと詰まった中をグイグイと登れた沢でした。石英尖緑岩、独特の白い岩。フェルト底が適度にピタッと決まる感覚は、数日前の台風のせいで一度、増水し、水垢がキレイに洗い流されたものによるものです。最初の滝でズブヌレになり、後は恐い物なし。次々に現れる滝を越えていきました。「横向きノ滝」は、水流を跨ぐように滝の水を頭から浴びながら攀じ登り、板立ノ滝は滑りやすい岩を直登しました。林道の橋桁の下をくぐる、ちょっと興ざめな場所の後は、徹底的に小滝とナメ滝が続き、最後の最後まで、次々と現れる登りやすい美しい滝を一つ一つ越えるうちに水源近くまで辿ることができました。初心者向きの沢とのことで、珍しく他に三パーティーの遡る中の沢でした。最初から、ショボショボと霧雨が降っていたのに寒くなく、初夏独特の濃い緑の中の遡行でした。
 葛葉川は楽しい沢でした。でも、一方で小さな沢です。沢登りの醍醐味は川と言ってよい流れが急峻な谷になり、滝を連続させる沢となって、最後の一滴の水源となる雄大な流れの一生を見極めることにあります。大焚き火を囲み、ゴルジュに仕切られた星空を眺める大きな沢登りの最初の一歩に葛葉川がなることを願います。

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勘七ノ沢

大滝で全員集合
大滝で全員集合

 以下の者は、2012年6月30日、丹沢四十八瀬川の支流・勘七ノ沢を二俣からF1、大滝、ゴルジュを越えて水源まで遡行し、花立に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 大きな堰堤を越えて、小草平ノ沢を分けた後、いきなりドーンと迫力満天で現れたF1。先週の台風のせいで水量も多く、それほど大きな滝ではないのに、堂々とした見事な滝との出会いでした。勘七ノ沢はバラエティに富んだ沢です。次々と適度な緊張感と共に現れる10m前後の滝。優美なナメ滝、規模こそ小さいものの、両岸の屹立したゴルジュ。沢が持っている多様な表情を一通り見せてくれる楽しい沢でした。初夏独特の湿度の高い蒸し暑い日だったからこそ、シブキを浴びて、絶えず足を水中に置く沢登りが快適な良い季節の遡行でした。広葉樹が頭上を覆う勘七ノ沢は紅葉、新緑の頃にも充分に楽しめる沢の一つです。丹沢の沢は、どうしても「滝登り」の沢としての要素が多いのが特徴です。一つ一つの滝には支点も多く、終了点にはシッカリしたボルトが埋め込まれています。沢登りが岩登りの入門であった時代の名残を感じます。丹沢の沢の多くは、60年代の山麓に広がる京浜工業地帯の最盛期に起きた酸性雨の影響で巨樹の大部分が壊滅し、鹿の食害、オーバーユースで、山全体が保水力を失い、大規模にガレの発達した山域です。沢の上部で散見した膨大なガレは、表丹沢の全域に及んでいます。その中の貴重に生き続けた勘七ノ沢は沢登りの楽しさを沢山教えてくれました。この沢を出発点に北アルプス、奥秩父などのより太古の自然の残る雄大な谷に挑戦する一つのキッカケとなっていただければ嬉しく思います。

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浅間山

山頂へ・・・月世界を思わせる斜面
山頂へ・・・
月世界を思わせる斜面

 以下の者は、2012年6月27日、群馬県、長野県境に聳える活火山・浅間山(2568m)を目指し、天狗温泉から火山館、Jバンド分岐を経て火口上・2540mまで到達し火山性ガスにより撤退し前掛山(2524m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

森の中を埋めつくす花、花、花
森の中を埋めつくす花、花、花

 火口を取り巻く「お鉢」は目の前にありました。登山道から登ること標高差70m。急に鼻がムズムズし、咳き込む感覚。強く匂うガスの臭い。火口壁の上に立つと一気に切れ落ちた赤茶けたガケの下から白い煙がモクモクと上がっていました。お鉢を回った先に少し高く見える「山頂」はありました。引き返そう!もう充分。そして、前掛山に立ちました。立ち込めてきた霧のために展望は消えたり、少し見えたり・・・月世界を思わせる荒涼とした山頂付近にも少し緑が見えていました。それにしても、ここまでの行程は見事でした。梅雨の中休みの中の一日。乾燥した空気と適度な気温。シラカバを中心とした天狗温泉付近の豊かな森の渓谷沿いの道にはレンゲツツジが咲いていました。オダマキやフウロウが咲いていました。火山館手前からはハクサンイチゲやイワカガミ、木々の下は一面のマイヅルソウ、明るい緑と花、花、花の山腹の道でした。荒々しい火山独特の景色。黒斑山からトーミの頭にかけて、蛇骨岳、仙人岳の創り出す岩山の激しい眺めと対照的なカラマツや高山植物の創り出す明るい雰囲気。最後の登りまで、それは続きました。浅間山・・・激しく生きた気配をアチコチで感じさせる名山でした。

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釜ノ沢から甲武信岳

乙女ノ滝前
乙女ノ滝前

 以下の者は、2012年6月16日〜17日、奥秩父の中核・日本百名山の一つ・甲武信岳(2475m)に西沢渓谷入口より笛吹川東沢を遡り、釜ノ沢出合から千畳ノナメ、両門ノ滝、ヤゲンの滝を越えて水源まで遡行し登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

千畳ノナメを行く
千畳ノナメを行く

 歩きだした時に着たカッパはとうとう、次の日に甲武信岳山頂に立つまで一度も脱ぐことはありませんでした。それでも、笛吹川は特段に増水することもなく、サラサラと滔々と、流れていました。山々に、森に降った雨は葉を伝い、枝を流れ、幹を潤し、苔の上に落ち、タップリと苔を生き生きと蘇らせてから初めて幾重にも重なった倒木の中に沁みていきます。笛吹川を取り巻く、雁坂峠から甲武信岳を越えて国師ヶ岳に至る広大な山域の全体が隅々まで潤った後に谷は水量を増やし増水になります。谷川岳や北アルプスの谷と奥秩父の谷との違いはまさに、ここにあります。笛吹川から釜ノ沢を目指すなら、最初はショボイ・・けれど登攀性の高い・・清兵衛沢、ホラノ貝沢、山の神沢等が小さな滝となって注ぐのに出会い、乙女ノ沢、東ノナメ沢、西ノナメ沢と滝が降り注ぐ光景と出会い、両岸から落ちる美しい場所を通りすぎます。魚留ノ滝、千畳ノナメ、両門ノ滝と釜ノ沢自体の持つ独特の美しさも見事ですが、まさしく本流としての風格が水源まで続いたと思います。笛吹川は沢の博物館の様な場所です。今、記した沢の他に、すぐに出会った鶏冠谷だけでも、左右の沢、左には一ノ沢から三ノ沢と本流、飯盛沢に奥飯盛沢と、ここだけでもワンシーズン通い続ける価値のある沢があります。釜ノ沢を出発点に沢山の沢に親しんでほしいと思います。

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甲武信岳から十文字峠

甲武信岳から十文字峠の間の原生林の道にも、所々で明るい場所も
甲武信岳から十文字峠の間の
原生林の道にも、
所々で明るい場所も

 以下の者は、2012年6月12日〜13日、奥秩父の中核、日本百名山の一つ、荒川、千曲川、笛吹川の水源の山である甲武信岳(2475m)に毛木平から千曲川水源を経て登頂し、埼玉県最高峰・三宝山(2483m)、武信白岩山、大山を越えて十文字峠へと縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

十文字峠「乙女の森」
十文字峠「乙女の森」

 小雨模様のシラビソの密集した森の中を登った中に「千曲川・信濃川水源の碑」は建っていました。すぐ下のダケカンバの木の下から沁みだすように湧き出る水・・・、これが日本で一番長い川・千曲川の始まりでした。木の下に青いコップが一つ。味は淡麗でした。登山口の毛木平から、ずっと聞えていた谷、沢の音。それが、鬱蒼とした苔むした「ボッカ道」に入ったとたんのシーンとした静寂の気配。あんなに大きな声で鳴いていたミソサザイやルリビタキの声までピタッとやみ、霧の舞う気配だけが支配する奥秩父の森の中の道になりました。夜半まで続いた雨垂れの音。それが夜明けと共に、見る見るうちに広がった頭上の青空。甲武信岳山頂直下からは遠望は効かなかったものの、金峰山から雲取山までの奥秩父のほとんどの山々が雲海の上に並ぶのが見えました。甲武信岳から十文字峠にかけての尾根こそ、奥秩父の中でも、最も湿潤な原生林の気配と、標高によって時々刻々と変わる木の種類、どこまでも続く苔の林床と生えだしたばかりの小さな苗の様なコメツガやシラビソの幼木。所々で明るく展望が開けるものの、その大部分が森を楽しむ道でした。武信白岩でも硬い蕾で、日当りの良い大山でさえも開花直後だったために心配したシャクナゲも十文字峠では見事な花のトンネルに出会えました。峠全体がピンクに染まったシャクナゲは樹林だけの院書の強かった山域のイメージを変えてくれました。

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水根沢

大股開きで半円ノ滝
大股開きで半円ノ滝

 以下の者は、2012年6月3日、奥多摩鷹ノ巣山と水根山の中間から流れだす、多摩川支流・水根沢を水根集落から遡行し、出合のゴルジュ、修行ノ滝、大滝を越えて半円ノ滝まで遡行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 オートバイの疾走する音の聞える青梅街道から入ること5分の所から谷は始まりました。ちょっと荒れた谷間。流れだした大きな岩を越えて、小さな滝を越えて出会う狭まった暗いゴルジュ。これが水根沢の格闘の始まりでした。シュリンゲに掴まり、エイッと淵を越えて乗り越す釜。ここで、既にビショビショです。少しだけ開けた河原を過ぎると再びゴルジュ。胸まで漬かって乗り越えると、その先にも滝!両側は屹立し、見上げると狭まった岩壁の上に濃い緑色の広がりがありました。この水根沢・・・、奥深い徒渉と、釜の通過、押し狭まったゴルジュの連続が魅力の谷ですが、実は、ここ数年、受難の時が続きました。ワサビ田の先の小さな支流の上部が鹿の食害を主たる原因とする土砂の崩壊が続き、釜も淵も埋まりました。「胸までの徒渉」が辛くもあり、魅力でもある、この谷が泥の堆積の中に埋もれていました。今回、蘇りつつある本来の姿と澄んだ水にちょっと感動しました。そして、大滝。ドードーと流れる二段の激しい流れ、その上の泳ぐような釜の通過。息継ぐ間のない沢登りの楽しさでした。ワサビ田とワサビ小屋を過ぎると水は冷たく澄み、苔むした岩がキレイでした。そしてハイライト半円ノ滝。ツルツルと滑るキレイな半円を突っ張って登り切ると思わずガッツポーズでした。山道に上がり、駆け下りたら僅か10分の距離。見事な緊張の時間を楽しんだ水根沢です。これを機会に沢登りが大好きになってほしい谷です。

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軍刀利沢から生藤山

うわぁシャワークライムだぁ
うわぁシャワークライムだぁ

 以下の者は、2012年6月2日、奥多摩南秋川矢沢軍刀利沢を出合から水源まで遡行し、生藤山(992m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 多摩川本流に比べて、どことなく穏やかで静かな気配に満ちた秋川渓谷。檜原村の中心地、本宿で南北に分かれ流れる、その支流の矢沢は生藤山を中心とした笹尾根の山々を水源とする谷です。その中の一つ・軍刀利沢は出合こそ小さい流れですが、中に数多くの滝を秘めて、比較的明るく、サラサラとキレイな流れを見せていました。縞模様の沢床。幅広い苔むした小滝。その上に本格的な滝場が続きます。下半身が水浸しになる滝を越えて、黒々としたナメ滝を越える辺りこそ、暗く、奥深いイメージがあるものの、所々で人工林があり、朽ち果てた炭焼き竃のある谷筋は、山里の生活の山の匂いを残し、暗く追い詰められるような感覚の少ない、楽しい雰囲気に満ちていました。一つの大きな滝を越えると、もう次が見え、ゴーロを延々と歩く場所も少なく、適度な緊張感が続く谷でした。そして、出口を倒木でふさがれて、どうしてもシャワークライムを強いられる滝。それを越えると、本格的な滝の連続は終り、所々に現れる涸れた滝の残骸を越えると、落ち葉の堆積した谷間の登りでした。ヤブ漕ぎもなく、飛び出す光溢れる笹尾根の稜線。もう、新緑の季節も終り、眩しい光に満ちた三国峠から生藤山の道でした。
 秋川の沢は多くが標高1000m前後の小さな山を水源とするものがほとんどです。流れは小さくとも、戸倉三山の谷のように20m、30mの滝もあり、緊張感をもって遡行できる谷もあります。そんな中の一つで楽しい沢登りができたことに感謝します。

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龍喰山

山頂直下、多摩川水源に大きく開けた広場
_山頂直下、
多摩川水源に大きく開けた広場

 以下の者は、2012年5月30日、奥多摩・多摩川水源地帯の不遇の原生林の山・龍喰山(リュウバミ山・2012m)に三ノ瀬から七つ石尾根、将監峠を経て1884mピークを越えて登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 青梅街道から陸の孤島である一ノ瀬高原へと向かう、唯一のルートである犬切峠への道。峠の北側に大きく山を見渡せる小さな広場がある。多摩川水源展望台。雁峠から笠取山、黒槐ノ頭、奥多摩最高峰・唐松尾山、御殿岩、将監峠、そして龍喰山から大常気山、飛龍山・・・。明るい広がりを見せる高原の上に黒々と龍がのたうつように、伸びる尾根。耳を澄ませば微かに「ゴー」という多摩川の本流、支流が創り出す音。まさしく、こここそが、東京の生命の水である多摩川を生み出している山域だと改めて思いました。何時も、この地を訪れるたびに、繰り返し語ってきた事・・・それは、この雲取山から飛龍山、唐松尾山、笠取山へと連なる奥多摩でも最も標高の高いちょっと玄人向きの山々は、行政的には山梨県甲州市であり、丹波山村であるけれど、その土地の大部分が「東京都水道水源林」として手厚く保護され、林道、堰堤でズタズタにされた山梨県の多くの山や谷と対照的に軟らかな森の恵みをタップリと持った場所であることです。鳥の声がうるさいほどに響きわたった朝日谷から七つ石尾根のミズナラの森の尾根。将監峠からは北側・埼玉県の森は黒々としたコメツガ、シラビソの森であり、山梨側は明るいカラマツ林であった草原の尾根となり、1884mピークを初めとして一つ一つの山を丁寧に乗り越えて、辿り着いた山頂は、木々に覆われ、ガスの立ち込めた幽玄な場所でした。不遇の静かな名峰・龍喰山。次は展望の季節に来たいものです。

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三つ峠屏風岩・岩登り講習

二日間爽やかな晴天の下で徹底的に登れました!
二日間爽やかな晴天の下で
徹底的に登れました!

 以下の者は、2012年5月26日〜27日、三つ峠山屏風岩で数多くのルートを登攀し、岩登り講習会に参加したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 見事に晴れ渡った爽やかな風の中で乾いた岩を二日間にわたり徹底的に登攀できた三つ峠でした。経験者と初心者に分けて、経験者は多くのルートを登攀しながら、登攀のシステムを徹底的に学びました。最終的には、リードクライムを全員が経験し、これからの本チャンルートでは、無理のない範囲でリーダーとしての経験をしてほしいと思います。初心者組は初日にはトップロープによるクライミングの基本を学び、懸垂下降などの登攀に必要な技術を習得し、二日目に二回にわたって天狗の庭まで登り詰め、下降し、本格的な岩登りへの挑戦の第一歩を記しました。
 三つ峠の岩場の最大の魅力は岩場の規模が大きく、マルチピッチの実際の登攀と同じ経験ができることです。また、豊富で安定した支点が随所にあり、安心して登攀に専念できる点も大きいです。登攀中、絶えず恐ろしかった落石も、本チャンでの落石対策に通じて逆の意味があるように思います。二日間、徹底的に「攀じ登ること」に専念できた為、普段の登山とはひと味違う疲労感がありました。大きな岩場を登下降するには、やはり基本的な体力こそが必要なのだと改めて思います。
 「北岳バットレス」のような初心者が挑戦できる高山での岩登りが自然条件によってできない中、今年の本チャン入門をどこにするか思案中です。今年の新しい挑戦のために「オレはまだまだダメだな。今度は、こういう練習をしよう」という反省の上に鍛えていただければ嬉しく思います。

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毛勝三山

「剣に向かって」歩くような稜線歩き
「剣に向かって」歩くような稜線歩き

 以下の者は、2012年5月19日〜20日、北アルプス北部・剣岳北方稜線の最後の高まり毛勝三山に片貝川第4発電所より西北尾根に取り付き毛勝山(2414m)、最高峰・釜谷山(2415m)、猫又山(2378m)と縦走し東芦見尾根より猫又谷を下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

毛勝山近し
毛勝山近し

 剣岳からの北方稜線には魔物が住んでいる・・・、阿部木谷には人を拒む何かがある・・・そんな気にさせられた毛勝三山でした。昨年、無念の撤退をさせられた阿部木谷の大ブロック雪崩。そして、今回、堰堤を越えて板菱にかかろうとした直前、谷一杯を埋めつくした土石流。クレバスが走り、下からは強い流れの音も聞え・・・逡巡した後、西北尾根に転進しました。カタクリ、タムシバ、シラネアオイの咲く雪国ならではの独特の尾根。ただし、両側は屹立し尾根の上とは思えない気の緩められない急峻なルートでした。ようやく、雪尾根らしくなった1900m。寝不足と累積標高差2000mを越える登下降にヨタヨタとなって張った場所は、黒部川を挟んで白馬北方稜線が大きく、正面に毛勝山が聳え、夕陽に浮ぶ富山湾の大きく見える最高のテント場でした。翌朝、四時半発。真白な尾根をグイグイと登り詰め朝日に燃える毛勝山に立ちました。いきなり飛びこんでくる剣岳の圧倒的な展望。見渡す限りの山、山、山と背後の海。釜谷山、猫又山への雪の稜線は「剣岳に向かって歩く」という言葉がピッタリの最高の尾根でした。東芦見尾根からは手が届きそうな剣岳の圧倒的な展望がありました。「今年最後の雪山」と断固とした思いで向かった毛勝三山。大土石流に一時は再びの撤退を考えるほどでしたが、光溢れる素晴らしい雪山で最後を飾れたことを嬉しく思います。

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雲取山から飛龍山

ミサカ尾根は緑の広々とした尾根
ミサカ尾根は緑の広々とした尾根

 以下の者は、2012年5月15日〜16日、東京都最高峰である・雲取山(2017m)に奥多摩湖畔・鴨沢からブナ坂を経由して登頂し、三条ダルミ、北天ノタルを経て、飛龍山(2069m)に登頂し、前飛龍山からミサカ尾根を下降し、サヲラ峠を経て天平尾根に入り親川へと縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 飛龍山は、憧れの頂きです。雲取山の頂上に立った者が、東側・東京湾まで見える大きな展望に目を奪われ、真白な富士山や南アルプスに歓声を上げる一方で、視界の半分近くを占める大きく黒々と、少し不機嫌そうにドーンと聳える飛龍山の存在感に圧倒されるからです。標高も、雲取山より50m以上高く、見事です。そして、ミサカ尾根、天平尾根と再び奥多摩湖畔近くまで伸びる奥多摩一の長大な尾根。長く平に広々と見える尾根も憧れです。「あそこを歩いてみたい、あそこを!」それを実現させた二日間でした。
 雨の鴨沢からの道。シトシトと降り続ける中の標高差1400m近い登りは辛いものでした。冷えきった手で扉を開いた雲取山荘は貸し切りで暖かでした。翌朝、一転した日の出を見て登り返す雲取山。富士山、南アルプスも見えましたが、雲海の上に浮き沈みする飛龍山が遠かったこと。狼平の草原、岳雁台から振り返る大きな雲取。そして原生林の中を攀じ登った黒木の山頂。降り立ったハゲ岩はまさしく奥秩父随一の展望台でした。西に大きく広がる奥秩父の重厚な山々と足下に食い込む大常木谷。そして、そこから始まったミサカ尾根と天平尾根は緑が徐々に新緑から力強い葉へと変わっていくステキな物でした。9時間を越える「風の谷」では初体験とも言える長時間行動。終始、賑やかな鳥のサエズリの中の縦走でした。

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川苔山

川苔山
川苔山

 以下の者は、2012年5月8日、奥多摩多摩川北岸地域を代表する川苔山(1367m)を川乗橋より百尋ノ滝、足毛岩東ノ肩を経由して登頂し、エビ小屋山、赤杭山を経て古里駅へと下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

百尋ノ滝
百尋ノ滝

 バスを降りた途端の強く響く渓谷の音。谷一杯に響きわたるミソザザイの声、道にかかるウツギの花。人影に逃げ回るイワナの姿。奥多摩の山々に春が訪れた・・・、それを急速に感じさせた川苔山でした。山の春は行ったり来たりを繰り返しながら、ある日、一気に押し寄せます。小さな頼りなかった新芽はキラキラ光る新緑に取って代わり、無彩色だった斜面に華やかな彩りの花が見えます。登山道に入り、足元の随所で滝、釜が姿を見せます。道端のほんの小さな窪みからコンコンと水が、今、生み出されるのが見えました。沢に沿った道は、維持管理が難しく、トラバースと濡れた岩は緊張が続きます。そして、百尋ノ滝。全水量を一気にたたき落とす30mの落差はこの山のハイライトです。沢音が消え、新緑のカラマツ林の斜面を登ると背後にグイグイと姿を見せてくる山々。鷹ノ巣山が見え、蕎麦粒山が見え、三つドッケが姿を現し、そして東京都最高峰・唯一の2000m峰・雲取山が見えました。まだ?えっ、ここじゃないの?ひときわキツイ登りの上に山頂は小広くありました。
 木々の美しい赤杭尾根は、その距離にもかかわらず、大好きな尾根です。エビ小屋山下で突然現れた車道歩きは極めて残念でしたが、いつか、尾根上に登山道を復帰させたい思いです。小さな上下を繰り返し、一気に降って山里の雰囲気に満ちた古里へと降る赤杭尾根もステキでした。これからが奥多摩が一番輝く季節。その最初を歩けた事に感謝します。

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飯豊連峰

越えてきた飯豊山から北ノ股岳の山々
越えてきた飯豊山から北ノ股岳の山々

 以下の者は、2012年5月3日〜6日にかけて、新潟県、山形県、福島県に跨がる飯豊連峰を飯豊鉱泉から剣が峰を越えて三国岳から飯豊本山、御西岳、最高峰・大日岳(2128m)と縦走し、烏帽子岳、梅皮花岳、北ノ股岳、門内岳と主稜線の核心部を縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

広々とした雪原の様な尾根を行く
広々とした
雪原の様な尾根を行く

 最後の最後、長者原へと向かうブロック雪崩の残骸を乗り越えながらピカリと光る雷光の中でカッパを着て、とうとう四日間全て雨、霙の中になったことを思いました。最終日、月明かりの下に皓々と照らしだされた白きたおやかな山々を入山以来、初めて見渡しました。どこまでも続く白い山々。強く吹く風の中、見事な大きな山の連なりでした。山都の駅前、飯豊鉱泉からの歩き出しから強い雨の中でした。ゴーゴーと雪解け水を盛大な音をたてて流れる一ノ戸川、そして見事な新緑のブナ林を登り続けた三国岳への道でした。翌朝、降りやんだ雨に気をよくして凄まじい雪庇の崩れだした尾根道を辿りました。日本百名山の一つ・飯豊山。その先から再び濃いガスと霙?を思わせる雨、広い尾根を右往左往しながら地形図を頼りに辿り着いた御西小屋が、二日目の泊まり場となりました。最高峰・大日岳も強い風と雨の中、凄まじい音を立てる風と霙の一夜は、連峰の最も奥まった場所故の心細いものでした。あまりの風雨にジリジリと出発を躊躇い、やっと辿りだした尾根。烏帽子岳への登り返し、梅皮花小屋が見えた時の嬉しさは格別でした。やって手にした圧倒的な展望。遠くに日本海が見えるものの、送電線一つ見えない太古の静寂の山脈が白くどこまでも続いていました。温身平への下降の際、下に見事に広がるブナの新緑が目に染みました。風雨と闘い続けた飯豊連峰の四日間でした。

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槍ヶ岳

天空に突き刺す「槍」に向けて
天空に突き刺す「槍」に向けて

 以下の者は、2012年4月28日〜30日、北アルプスの象徴である槍ヶ岳(3182m)を上高地より徳沢、横尾、ババ平から槍沢を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 真青な空に天空を突き刺すように聳え立つまさしく「槍」であった槍ヶ岳。例年に比べると圧倒的に少ない上高地の積雪に戸惑いながら、日本離れした素晴らしい穂高岳連峰の時々刻々と変化する姿を堪能しながらの道でした。徳沢、横尾と見上げる明神岳、前穂高の姿は積雪期そのものの姿であっても、雪解け水が流れ、緑さえ顔を出す中を辿りました。槍沢ロッジからは、初日唯一の本格的な登り。背中の水も重く、夕暮れの気配漂うババ平にへたり込むように着きました。真青な空、東鎌尾根の上を静かに流れる巻雲。「後の蝶ヶ岳と肩を並べたら終りも近い・・・。」と言いながら、凄まじい規模のブロック雪崩のデブリを越えて真っ直ぐに突き上げる槍沢を上がりました。早朝出発の甲斐あって、まだ登る者も少ない槍沢は二次曲線的に上に行くほどに傾斜を増し、ユックリユックリと確実に標高を稼ぎました。登るほどに槍沢に倒れてくるように感じる穂先。そして、背景の蝶ヶ岳も常念岳も見下ろすようになって槍ヶ岳の「肩」に這いあがりました。目の前に飛びこむ、黒部五郎岳、水晶岳などの北アルプス中核の山々。そして聳え立つ「穂先」。
 穂先への登りは適度な雪と氷、そして岩場の連続で、快適な緊張の中にあのました。最後のハシゴをアイゼンをキーキー言わせて登り切れば、僕達だけに貸し切りの「穂先」がありました。春霞の中、全ての北アルプスの山々を見下ろす見事な春の雪山の山頂でした。

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つづら岩・岩登り講習

 以下の者は、2012年4月22日、奥多摩・大岳山馬頭刈尾根の上にある「つづら岩」で数多くのルートを登攀し、岩登り講習をしたことを証明します。

氏名 風 の 谷

 前日の日和田山とは全く違い、誰もいない静寂の「つづら岩」でした。天狗滝下からの急斜面の登り、いかにも山の上のゲレンデらしい風の抜ける岩場、それが「つづら岩」でした。実は、ここは僕が岩登りの基本を学んだ大切な岩場でした。まだ、土曜日の休暇が一般的ではなかった時代、午後から奥多摩駅近くの「氷川屏風岩」で2〜3時間練習し、暗くなってから食料を買い込んで大岳山と御前山の鞍部の「大ダワ避難小屋」を目指しました。途中で倒木を拾い、小屋の中の暖炉で盛大に焚き火をして一夜を過ごし、夜明け前に出発して大岳山を越えて「つづら岩」を目指しました。終日、岩を上り下りして、夕暮れ時、荷物を纏めて駆け足で、鶴脚山、馬頭刈山、光明山を越えて十里木バス停へ、そこから競争で武蔵五日市駅を目指しました。・・・こんなトレーニングを何故行っていたか・・・?それは「歩けなければ話にならない」からです。実際の岩登りを考えてみましょう。例えば剣のチンネに行くとしたら、剣沢を超早朝に出発し、剣沢雪渓を下降し長次郎谷に入り、延々たる雪渓を登り池ノ谷乗っ越しに到着し、浮き石、落石だらけの池ノ谷ガリーを下降し三ノ窓へ、そこで初めて「岩登り」は始まります。チンネのテッペンに登っても、そこから2時間近く剣岳までかかり、更に別山尾根を下降・・・詰まり「山登り」の能力なしに岩登りは実際にはできないのです。その意味で、あの急斜面を登り、展望のある「つづら岩」は素晴らしいゲレンデだと思います。次は、もっと大きな岩場で練習したいと思います。

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日和田山・岩登り講習

夕方になり、少し人が減った日和田山
夕方になり、
少し人が減った日和田山

 以下の者は、2012年4月21日、奥武蔵・日和田山で行われた岩登り講習会に参加し、数多くのルートを登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 おそらく驚かれたことと思います。岩場一杯に下がったロープ。岩場の下に動いている沢山の人。日和田山の岩場は豊富な支点と、コジンマリとした適度な規模から多くの岩登り初体験の人の集まる場所です。まずは、人の起こすトラブルに注意しての練習となったのは残念です。日和田山で岩登りを初体験した人に、まず、覚えてほしいのは「岩登りのシステム」です。トップは、ヌンチャクをハーケンやボルトに設置し、それにロープを通して自分の墜落に備えます。セカンドはビレーでそれに応えます。トップはテラスに着いたら、セルフビレーを施して「ビレー解除」を伝えます。そして、セカンドへのビレーを準備して、「登ってイイヨ!」と声をかけます。セカンドはヌンチャクを回収しながら岩を登り、テラスに着いたらセルフビレーを施して1ピッチ目終了・・・。大切なのは、セルフビレーで自分の安全が確保されているか、パートナーに確保されて安全な状況下で登攀をしているか・・・必ず、何らかの安全策が絶え間なく行われていることです。まずは、これを忘れないでください。
 もう一つは、おそらく多くのタイプの岩場の登下降をしたと思いますが、どんな岩であっても、基本は「足で登る」ことです。初体験の人は、腕がパンパンになったことと思いますが、最初は誰もがそうですが、できれば全身の機能をフルに使った登り方へと前進していただければ確実に上達も可能だと思います。日和田山は「最初の岩場」です。更に、次は複数のピッチを持った大きな岩場に挑戦してください。

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日光白根山・・撤退

登れなかった日光白根山。今度こそ!
登れなかった日光白根山。
今度こそ!

 以下の者は、2012年4月17日〜18日、日本百名山の一つ。日光白根山を目指してロープウェイ駅より、大日如来、七色平からダイレクトに山頂を目指すルートを進みましたが、雪崩の危険性が高く撤退し、再び七色平から弥陀が池を目指しましたが、深雪のため撤退しました。

氏名 風 の 谷

 春の不安定な天候の中で、素晴らしい好天に恵まれていながら、憧れの山頂に立つことができませんでした。ロープウェイ駅山頂に立ち、見上げる日光白根山は三つの顕著な山頂を見せて青空の中に抜きんでていました。鬱蒼としたシラビソの原生林は前日に降った雪が枝の上に乗り、それが溶け落ちては水滴となって音を立てて落ちる春の気配の中にありました。七色平から山頂直下から落ちる斜面のトラバースの道は、シラビソからダケカンバと続いていましたが、見上げた時に懸念した、沢を横断する箇所は、随所にブロック雪崩の残骸を落とし、暖かい気温と照りつける日射の中で不安をかきたてます。とりわけ急峻な最後の沢の所で、引き返す時間と、それまでの日射を考慮して下降を決めました。山頂から落ちる尾根筋まで250m程度、大分進んでからの撤退は悔しい思いでした。そこから再び七色平の小雪原に戻り、座禅山、弥陀が池へと転進しましたが、トレースのない斜面のザラメ雪の深さに辟易として、再び撤退を決めました。
 反省すべきなのは、ロープウェイがかかり、登山としての標高差、歩行時間は僅かであっても、標高2600m近い北関東の雪山に対する甘えがあったと思います。時期を選び、ルートを考えて残雪期の日光白根に必ずリベンジするつもりです。

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谷川岳西黒尾根・雪上訓練

見事な真白な雪稜を行く
見事な真白な雪稜を行く

 以下の者は、2012年4月15日〜16日、谷川岳山麓で雪上訓練をおこない、西黒尾根を末端からラクダの背、ザンゲ岩、肩ノ小屋前を経て、トマの耳(1963m)、オキの耳に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 前日の雪上訓練での、身体全体がシットリくるような氷雨の一日が一転して抜けるような青空の中に急斜面の西黒尾根に取りつきました。テンが雪の上を走り回るのを見ました。キツツキのドラミングが元気よく聞えます。冬の間、死んだようになっていたはずの森は、生き生きと蘇った雰囲気です。それでも雪はまだまた豊富です。ブナの美しい森の中でしたが、その下には数メートルの穴が空いていました。樹林が薄くなり、見上げる木々の間からマチガ沢上流の岩場を従えて圧倒的な迫力で山頂が望めました。夏は滑りやすい岩場が連続し、笹原の広がる大斜面の中の西黒尾根ですが、ラクダの背の岩場を越えると一面の豊富な雪に覆われた見事な雪稜へと変わります。「午前中は大丈夫・・・」とタカをくくっていた雪面は少しずつ・・・確実に緩みだし、いったん踏み込んでみると随所に大きな亀裂を深く入れて、斜面全体が不安定なちょっと心配な雪面でした。それでも、背後にグイグイと開ける大展望。白毛門が肩を並べ、笠が岳から朝日岳への稜線が見え、上州武尊山が、尾瀬が、浅間山が・・・・見事でした。さすがに上部の急斜面に入ると雪も安定してきて、高度感はあるものの、「足元ごとブロックになって崩れたらどうしよう?」はなくなりました。天神尾根をアリンコの様に次々と登ってくる登山者が近くなり、肩ノ小屋が見えるとトマの耳、オキの耳もすぐでした。圧倒的な360度の大展望がそよ風の山頂の中にありました。

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浅間尾根

見事なダンコウバイの下を行く
見事なダンコウバイの下を行く

 以下の者は、2012年4月10日、奥多摩で南北秋川を分ける甲州古道の通る浅間尾根を数馬下より数馬峠、一本松、人里峠と辿り浅間嶺(903m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

明るい浅間尾根
明るい浅間尾根

 遅れに遅れた奥多摩の春の訪れ。毎年訪れる、この南秋川・数馬からの浅間尾根は梅の花がようやく咲きだしたありさまでした。それでも、谷一杯に響きわたるミソサザイ、ウグイスの声、テイシャツ一枚で歩ける気温は。まさしく「春」でした。稜線にはスミレの花もなく、僅かにアブラチャンの黄色い花があるだけでしたが、それでも、木々の先端は赤みがかり、北秋川を挟んでの大きな御前山も少し春霞に霞んでいました。ユッタリした日程です。道端の馬頭観音様と一つ一つ丁寧に対面すると、改めて微笑ましい穏やかな表情が全部違うことに改めて感心しました。雑木林、杉、檜の人工林、そしてかつての「カヤト」の跡・・・これらが交互に現れる浅間尾根道は奥多摩の中でも最も親しみやすい歩きやすさがあると毎回感じます。人里峠手前の最近、急速に広がっているカタクリの群落は、まだ濃い緑のマダラ模様の葉を広げているだけでした。浅間尾根展望台の明るい展望は霞んではいても真っ白な富士山、丹沢、遠く雲取山から飛龍山と広大です。そして、時坂峠に向かう北側の斜面に、ついにカタクリの花の大群落と出会いました。斜面一面を覆うピンクの花、花、花。不安定なガレ場に張りつくような花の広がりでした。そこにはアズマイチゲも咲いていました。浅間尾根は、今までも毎年、この時期に訪れ、おそらく、これからも生き続けるルートです。春だけでなく、晩秋、新緑と次は季節を変えて訪れたい場所です。

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黒富士

明るい尾根が続く
明るい尾根が続く

 以下の者は、2012年4月4日、奥秩父前衛の黒富士(1635m)に観音峠下から大野山林道を辿り、長窪峠北から稜線を南下し1624mピーク、升形山、八丁峰下を通り登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

白い富士山と黒富士
白い富士山と黒富士

 真冬を思わせる真青な空。吹きつける強い風。そして、バリバリに凍りついたアスファルトの道。奥秩父の王者・金峰山から南西に伸びた八幡尾根。登山道どころか、踏み跡さえない長々と伸びた尾根が長窪峠から再び高度を上げた所から始まるのが、黒富士、升形山、曲岳、茅ヶ岳、太刀岡山の一続きの山々だ。黒冨士は、小粒ながら、これらの山々の中でも一際高い、独特の山容の山だ。見る方角で全く違う形を見せて、変化に富んだ独特の明るい雰囲気を持つ山だ。今回の目的は「地図読み」。黒富士が「黒い富士山」に見える位置は登山道もない甲府市と旧須玉町(現在の北杜市)を分ける境界の尾根の上だけだ。地形図を「何となく持っている」だけでなく、実際に、「今、ココ。」「ここから、等高線が三本だから30m登って、20mおりて・・・。」と地図を読みながら未知の尾根を辿る楽しさも体験した。奥秩父から甲府盆地に岬の様に突き出した山脈だから八ヶ岳を右手に、正面に富士山を、斜め右手に南アルプスを、背後に奥秩父西部を眺める位置にも関わらず、強すぎる風と寒気に見えるのは金峰山と富士山。八ヶ岳は分厚い雪雲を纏って聳えていた。凍てついた斜面を林道から這いあがり1624mピークを越えると見えた!黒々とした尖った富士山と真っ白い大きな富士山。これが見たくて来たんだ!最も高い位置になる升形山まで来ると、もう既に「冨士」の雰囲気はない。明るい雑木林が、どこまでも続く中を歩いた一日だった。

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高水三山

岩茸石山への尾根は展望の中だ
岩茸石山への尾根は
展望の中だ

 以下の者は、2012年4月3日、奥多摩の常福院のある高水山(759m)、雑木林の明るい最高峰・岩茸石山(793m)鬱蒼とした杉林に囲まれた神社のある惣岳山(756m)と辿り高水三山を縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 岩茸石山の明るい広々とした展望の山頂から、徐々に高まり行く山々の西の果てに、一つだけ不機嫌そうに黒々とした山容を見せる雲取山が見えました。東京都最高峰、唯一の2000m峰、原生林に覆われた山頂が彼方に見えました。雲取山から東京都と埼玉県を延々と分けながら長々と伸びてきた尾根から川乗山が分かれ、棒ノ折山を越えて東へと伸びた最後の高まりが高水三山です。ここから青梅丘陵となり、多摩の台地に消えるその手前の山は、遠く、高く連なる山々と下に広がる都会との境目だとも言えます。「台風並みの低気圧」の接近の報せに、ユッタリ、のんびりと春の山を歩くつもりが、セカセカと歩く大急ぎの登山となってしまいました。帰りの青梅線の車窓を打つ大粒の雨と風にホッと胸を撫で下ろしました。長閑な山村の風景そのものの平溝の集落、一気に登った杉林の道、山の中とは思えない立派すぎる不動尊のある高水山。僕は、この山頂から岩茸石山にかけての明るい奥武蔵方面へと連なる展望の道こそ、このルートのハイライトだと思っています。小粒ながら最高峰としての貫祿のある岩茸石山からの広々とした展望は、これから次々と登ってみたい奥多摩の山を知る山頂でした。そして、他の二つの山頂とは全く趣の違う惣岳山でした。
 高水三山は小さな山です。奥多摩の中でも、とりわけ低い標高700m代を小さく上下する山でも、それぞれに主張を持ったステキな山々でした。あの山頂から、少しずつ高まって行った山々への憧れをかきたてる山でした。

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会津駒ヶ岳

 以下の者は、2012年3月31日〜4月1日、南東北・会津の名峰・日本百名山の一つ・会津駒ヶ岳(2132m)に檜枝岐村より滝沢尾根を登り登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 高速道路の出口から100km近く・・・。本当の山奥にヒッソリと佇むような独特の雰囲気を持つ集落・檜枝岐。深い雪が周囲の峠を埋めて南会津からの道以外が全て閉ざされた今、行き止まりの集落でした。激しい風雨から霙、雪と三月末から四月初め、まさしく冬と春が激しく責め合う狭間にあった二日間でした。激しい風の音、ときおり聞えるブロックの崩れる音、それが収まった朝でした。いきなりのミズナラの巨樹の林立する尾根、それが巨大ブナの森の真白な広々とした広がりの中の登りとなりました。春とはいえ、一晩での積雪が、それまでの数メートルの積雪の上に深雪として積もり、脛程度とは言え、重い雪のラッセルが続きます。振り返ると真っ白な雪面に一筋のトレースが真っ直ぐに続きます。振り返ると田代山から帝釈山、そして尾瀬へと続く山々が肩を並べてきました。シラビソのまばらな樹林を抜けて広大な雪原・夏には一面の高層湿原を見せる尾根の登りは一転して冷たい風の吹きつける中の登りでした。右手に見える円やかなドームこそ会津駒ヶ岳。そこから伸びる稜線との合流点に穴蔵のような「駒ノ小屋」がありました。そこから山頂までの登りは最高でした。越後駒ヶ岳、平ヶ岳、南東北の山々、尾瀬から日光の山々が真っ白にどこまでも続いていました。初雪山からの転進、激しい天候の間の一瞬の好天で手に入れた至福の山頂は、冬の冷たい風と春の強い陽差しの中でした。降り着いた檜枝岐は再び小雪の中でした。

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瑞牆山

晴れ渡った山頂!背後に八ヶ岳が大きい
晴れ渡った山頂!
背後に八ヶ岳が大きい

 以下の者は、2012年3月27日、奥秩父西端に聳える日本百名山の一つ・瑞牆山(2230m)に瑞牆山荘前より里宮坂を越えて富士見平より天鳥川を渡り登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

青白い氷の滝の中の登り
青白い氷の滝の中の登り

 陽差しの暖かさと真青な空。けれども。空気そのものはまだまだ冷たく、カーンと冴えた中での歩きだしでした。急峻な里宮坂を登り切り、尾根に出たとたんにドーンと聳え立つ岩山。瑞牆山との真っ正面からの出会いでした。「こんな山・・・登れるのか?」誰もがいだく、独特の感覚。畏怖・・・、というにはちょっとキレイすぎる山容です。かつて深田久弥氏は、瑞牆山を日本百名山の一つに選定するのに「単なる岩峰を林立させる山はあっても、これだけの屹立した岩峰が、原生林の中から立ち上がる姿を他に知らない」と記しています。まさしく、鬱蒼とした原生林の中に飛び出した多くの岩峰、岩塊・・・それが瑞牆山でした。ここから先に現れた雪・・・それは、雪というよりは正に氷の廊下でした。テラテラと固く凍りついたガラスを敷きつめた様な斜面が続きます。まだ低い気温に、軽アイゼンも完全には刺さらず、恐々と歩く富士見平への道でした。完全に白い凍結した氷の川となった天鳥川を越えて登りだした斜面で出会ったのは、青白き氷の滝の連続でした。水音一つしない完璧に凍った氷床。その脇を恐々と登り詰めていきました。頭上に屹立するコブラの頭のような大ヤスリ岩の横を抜けて、北側の斜面に入ると初めて「正しい積雪」とも言える深い雪の斜面を登り、飛び出した山頂。いきなりの大展望が待っていました。金峰山が見上げる角度で見え、南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳浅間山が見事でした。全山を氷が覆った瑞牆山。一瞬の油断もできない山でした。

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杣添尾根から横岳

かもしか遭遇
かもしか遭遇

 以下の者は、2012年3月24日〜25日、南八ヶ岳の中核的存在である横岳(2829m)に野辺山高原より杣添尾根を登り三叉峰で主稜線に到達し、登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

真冬に逆戻りの稜線!寒い!
真冬に逆戻りの稜線!寒い!

 日本海にあった低気圧に向けて暖かい南風が入り、山々の雪が急激に緩む中の八ヶ岳でした。八方池で雨から霙・・・との報せに転進した八ヶ岳の静寂郷・杣添尾根でした。人々の多くが集う八ヶ岳の茅野側に対して小海線沿線・・・佐久側から取りつく八ヶ岳は実に静かです。営業小屋がないこと・・・、アプローチが面倒なこと・・・。これらが創り出した静かな山が待っています。ワカンを履き、トレースを着け、自分たちだけのテント場に泊まり、そして背後には奥秩父、南アルプス、富士山の圧倒的な展望が広がる・・・もっともっと登られても良いと思う佐久側からの八ヶ岳です。身体を湿らすような暖かい雨が少しずつ冷え、粒が白くなりだす中での登りでした。別荘地を抜けて取りついた尾根には、残念ながら先行者のラッセルがありましたが、それでもボコリボコリと抜ける踏み跡はワカンなしには辛そうでした。鬱蒼とした原生林の薄暗い森の中を抜けて木々がダケカンバ中心に代わり、開けた台地に僕たちのテント場はできました。夕刻からグングン下がる気温、サラサラ降り出した雪。三月末の難しい時期の八ヶ岳は、いったん冬へと逆戻りしたようでした。夜中、下を見ると雪の中、甲府方面と佐久方面の夜景が見えました。そして、視界の効かない真白な中、グイグイと登り詰めていく雪庇の張り出した尾根。吹きつける雪と風、ちょっと恐い稜線を辿った先に「横岳」の指導標はありました。静かな僕たちだけの山頂でした。

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日帰りの天狗岳

西天狗岳の登り・・・
西天狗岳の登り・・・

 以下の者は、2012年3月20日、南北八ヶ岳の両方の魅力を持つ・天狗岳(2645m)に渋ノ湯から黒百合平、中山峠を経て、三角点のある西天狗岳、最高点・東天狗岳と登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 吹いている風は冷たく、まだまだ、冬型を思わせる強さを持っていましたが、それでも確実に春の気配が山々に満ちていました。もう、何日か本格的な降雪はなかったのでしょう。ザラメ化した粒の大きいまとまりのない雪が足元に、固く凍りついていました。本来、幹は真白な石膏細工の様になり、枝にはビッシリと樹氷の付いているべき、コメツガ、シラビソの木々も、すっかり白い物を落とし、葉を見せていました。積雪が増し、黒百合平を過ぎると稜線を吹きわたる強い風が吹き抜けていきました。森林限界を抜けると真白なドーム型のたおやかな西天狗岳と、峻険に立ちはだかる東天狗岳が大きく立ちはだかります。振り返れば、浅間山から志賀高原にかけての山々、そして右手には少し霞がかかっていても北アルプスの山々が銀屏風の様に並んでいました。硬い雪の斜面をトラバースして西天狗岳の大きなドームを一歩一歩と登り詰めていきました。南に大きく並ぶ赤岳、阿弥陀岳、横岳の恐い表情の山々、そして南アルプスが見事でした。もう、午後の傾いた光の中、西天狗、東天狗の山頂に立つことができました。
 「雪山を体験してみたい・・・」そんな人のための天狗岳日帰り登頂でしたが、振り返ると、やはりちょっと忙しい日程だったと改めて思います。この優れた展望と、美しい原生林の山は、登頂し、その山腹で泊まり、改めて翌朝、越えてきた山を振り返る・・・そんな風に楽しみたい山です。

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北横岳

スッカリ「池」が顔を出した七つ池
スッカリ「池」が顔を出した七つ池

 以下の者は、2012年3月6日〜7日、北八ヶ岳北部を訪れ、坪庭から雨池峠、雨池山を往復し北横岳(2480m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

頂上からは北アルプスが銀屏風
頂上からは北アルプスが銀屏風

 あんなに寒かった冬を乗り越えて、北八ヶ岳にも春がやってきました。どんどん上がる温度計。車窓を打つのは大粒の雨。坪庭のロープウェイ駅舎は強い風にギシギシと音を立てていました。最初「縞枯山」と思っていた気持は、打ち砕かれ、とりあえず八ヶ岳を東西に越える雨池峠へと向かいました。縞枯山荘の前には広大な池が出現し、雪の下を豊富な雪解け水が流れていました。山の春はユックリではなく、一気に激しくやって来ます。真白な石膏細工の様だった樹氷の森は「木」そのものになって立っていました。風の抜ける雨池峠から雨池山を目指し、山頂に立っても強い風のイメージだけが残りました。
 暖かい北横岳ヒュッテは、朝になると再び木々に樹氷を付けて再び、少し季節が戻っていました。小屋前からは真白な浅間山が見えました。そして強い西風の中、立った山頂からは、いっそうの白さを増した北アルプスの山々が見えました。そして、南アルプス、中央アルプスも白さを増していました。山の春は急激に訪れ、再び、冬に戻りを何回も何回も繰り返して、そして春に向かっていく・・・その第一回目の激変の時に幸か不幸か出会ってしまったようです。
 雪の中に「七つ池」が池として水面を出した貴重な部分と出会うことができました。山上の小さな瞳のような点々と存在する池は、この時期、深々とした雪の下に凍結した冷たい表情を見せるのが魅力です。ここにも、また、春の気配がありました。ツララ、霧氷、それが氷細工の様に雪の上に落ちる姿・・・貴重な景色に出会った春の北八ヶ岳でした。

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鍋倉山

森太郎を捜して巨木の谷
森太郎を捜して巨木の谷

 以下の者は、2012年3月2日〜3日、信越県境の関田山脈の主峰でブナの名山として知られる鍋倉山(1288m)に温井集落から田茂木池を経て尾根に取り付き、巨木の谷で森太郎を捜し、雪洞に宿泊し登頂し、更に黒倉山にも登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

鍋倉山から黒倉山への稜線
鍋倉山から黒倉山への稜線

 上信越道を降りた道脇の雪の高さに驚き、登山口の見上げる雪の壁の高さにビックリしました。ハラハラと春の雪の舞い続ける広大な雪原が出発点でした。振り返ると日本昔話に出てきそうな雪をかぶった山里の光景がありました。新潟十日町へと抜ける車道は、集落の上で通行止め、慎重に「巨木の谷」へと向かう尾根を特定し、取りついた稜線は既に一面のブナの森の中でした。傾斜が落ちると同時に左手の谷一面に広がるシロブナの巨樹の広がり。どの木も大きく、どれが「森太郎」なのか判らないままに、他のブナを圧倒する大きさでコブを一杯付けた森太郎はありました。そこからの霧氷の中のブナの森の登りはステキでした。左右の尾根が合流し、その隙間が凹地となった一角に深い雪を利用しての巨大な雪洞を掘りました。人が立っても、まだ天井に間のある大きな雪洞は広すぎて寒いくらいの大きさでした。ローソクの灯にキラキラと輝く白い壁が見事でした。翌朝、霧の中に青空が見え隠れする尾根は、やがて真白な雪面へと代わり、空中に真白な妙高山、火打山が浮び、日本海を見下ろす山頂へと到達しました。雪とブナ林、霧氷の創り出す独特の光景。眩しい光の溢れた鍋倉山でした。黒倉山へと登り返し、西ノ沢への道もウサギの足跡とキツツキのドラミングが春の訪れを報せるルートでした。降り立った里は既に春の気配が一杯でした。

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雲取山

小雲取山を登る。背後に大きな展望が!
小雲取山を登る。
背後に大きな展望が!

 以下の者は、2012年2月28日〜29日、東京都最高峰で唯一の二千メートル峰、日本百名山の一つ・雲取山(2017m)に鴨沢からブナ坂を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

雪のブナ坂下山中
雪のブナ坂下山中

 二月末から三月の初めは雲取山が最も深い雪に覆われる季節。それでも、登り初めは奥多摩の雪の季節、独特の積もり方・・・。日向は雪もなく、凍った土。日陰は踏み固められた雪が凍りつく・・・けして歩きやすい物ではありません。それが、奥多摩小屋を過ぎると本格的な安定した雪山の歩きに変わりました。背後にグイグイと広がる丹沢、大菩薩、富士山、そして奥秩父の山々。見下ろす奥多摩の大岳山、御前山、三頭山、蕎麦粒山や川苔山などの慣れ親しんだ山。それらが全て雪をかぶった静かな姿で静かな穏やかな姿で並んでいました。雲取山の山頂は、他の奥多摩の山々とはひと味違う独特の雰囲気を持っています。眼前に大きく聳える飛龍山以外に近くには高い山がなく、そこだけ高みに立っている「登った」という感激。四方に、この雲取山から無数の尾根が派生し、この谷に食い込む沢山の谷のある変化に富んだ山容・・・。これが、この山の魅力なのかもしれません。
 翌朝は一転して見事な雪山。昨日、歩いたルートと同じ所を引き返しているという実感の全くない、シットリした美しい雪景色が続きました。カラマツの雪の被った不思議な美しさ。ブナの雪の森の静寂。物音一つしない静寂の時間。高い山の乾いたサラサラの雪と違い、足元にズッシリと積もっていく水分の多い雪が作る里山の雪の感触が嬉しく思えました。雪に煙る小袖の集落が「日本昔話」のように思えた雪の雲取山でした。

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茅ヶ岳

山頂からは八ヶ岳が真白に!
山頂からは八ヶ岳が真白に!

 以下の者は、2012年2月21日、奥秩父南面の前衛・茅ガ岳(1709m)に深田記念公園から女岩を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

 徹底的に落葉樹で覆われた見事なまでに明るい陽差しの中の茅ヶ岳でした。茅ヶ岳を中心とする韮崎から甲府にかけての山塊は、実は、奥秩父の王者・金峰山から延々と南下してきた尾根の最後の高まりの山々です。「ニセ八つ」と呼ばれる茅ヶ岳を筆頭に、首を傾げたような独特の形をした曲岳、見る場所によって大きく形を変える黒冨士・・・と個性ある山々の塊です。茅ヶ岳は「深田久弥氏の終焉の山」として人々に記憶されるまでは不遇の山でした。1971年3月21日、春雪の積もる山頂直下で休憩中に脳内出血のため死亡した深田さんは大好きな沢山の百名山を眺めながら最後を迎えた極めて幸せな人だったと改めて思います。今回、登ってみて、最高の天候の下にあったこともあり、驚かされるほどの明るさの中の一日でした。凍てついた土も溶け、雪も緩み登山としては快適とは言えない状況でしたが、真青な空とピカピカと光るミズナラやツツジの灌木を見ながらの道は春の訪れを全身で感じさせるものでした。急な登りが連続する岩場混じりの中をグイグイと登り詰め、木の間越しに金峰山の白く雪化粧した明るい姿を見て広場のような山頂に飛び出した途端に一気に開ける展望・・・・。真っ正面に八ヶ岳が並び、その西側に北アルプスの槍・穂高が見え、釜無川を挟んで南アルプスが甲斐駒ヶ岳から白根三山、遠く荒川岳、赤石岳までが見られる見事な展望がありました。この冬、強い寒さと雪に冬山を全身で感じさせられる山行も、ようやく春の気配の中で楽しめたことを本当に嬉しく思います。

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観音岳

早朝出勤!夜明けの富士山
早朝出勤!夜明けの富士山

 以下の者は、2012年2月18日〜19日、南アルプス北部の鳳凰三山の最高峰・観音岳(2840m)に夜叉神ノ森から夜叉神峠、杖立峠、苺平、砂払ノ頭、そして薬師岳を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

観音岳頂上を後に
観音岳頂上を後に

 「山火事跡」に張ったテントの外の気温はマイナス23度だったとか・・・、鼻の中がシャリシャリするような寒気、東側に大きく広がる甲府盆地の夜景、そして満天の星。少し赤くなりだした空の気配を受けて西側には夜空にもクッキリと浮ぶ北岳から間ノ岳、農鳥岳の見事な白い屏風のような連なりがありました。前日に着けたトレースは舗装道路の様にグイグイと登れました。夜明けの明るさの増した雪の原生林の素晴らしい美しさ、大菩薩の山々を赤く染めながら昇る太陽。南御室小屋からの一気にました傾斜の登りは、木の間越しに白根三山が真白に見える中でした。突然の様に飛び出す砂払ノ頭。思わず「おーっ」と声の上がる見事な雪山の展望が待っていました。そこからの有頂天になるような美しい展望の稜線。その先に観音岳の絶頂が待っていました。
 鋸岳は憧れの山として残ってしまいました。状況を説明すると14日に南アルプス全域に降ったミゾレまじりの湿度の高い雪が大量に降り、その上に木曜日から金曜日にかけて乾雪が降り積もりました。鋸岳の登下降に使う、熊穴沢、角兵衛沢は何れも幅が広く、谷筋とは言え、大規模な雪崩は起きにくいと言われていますが、それでも雪崩発生の基本条件が一杯でした。金曜日夜の降雪で最終的には転進を判断しました。ズバリ申し上げて今年12月22日〜24日の三連休で甲斐駒ヶ岳からの厳冬期鋸岳縦走を必ず貫徹するつもりです。

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硫黄岳

山頂への最後の登り
山頂への最後の登り

 以下の者は、2012年2月14日〜15日、八ヶ岳の中核に聳え、南北八ヶ岳の分かれ目のピーク・硫黄岳(2760m)に夏沢鉱泉より夏沢峠を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

頂上からは赤岳、阿弥陀岳が!
頂上からは赤岳、阿弥陀岳が!

 実は、夏沢鉱泉からオーレン小屋、夏沢峠にかけての登山道の北側に広がる樹林は八ヶ岳最大の原生林です。山麓、山腹まで古くから人々が暮らし1950年代まで、緑湖周辺、赤岳鉱泉周辺などでも大規模な伐採が行われていたと聞きます。暖かく、旅館のようだった夏沢鉱泉から一歩山の中に入れば、鬱蒼たるコメツガ、シラビソの木々がタップリと雪をかぶりメルヘンの森を作り上げていることに嬉しくなりました。オーレン小屋上から初めて対面する硫黄岳。頭上遥か高く、真っ白に拒絶的に聳える山頂は、遠く冷たく見えました。風の吹き抜ける夏沢峠からは、トレースもなくなり、少しでしたがラッセルの世界でした。樹林を抜けて真っ白い斜面をアイゼンのキュッキュッと鳴る音を聞きながらジリジリと登り詰めていく僕たちの後には影絵のように双耳峰を真っ白に浮かび上がらせた天狗岳が、佐久盆地を挟んで浅間山が、そして、遠く目を凝らせば槍・穂高が見えました。巨大ケルンの連続する最後の斜面は、吹きつける冷たい風も強く、東側にバックリと口を開ける爆裂火口の凄まじい広がりと屹立する壁が見事でした。最後に少し傾斜を落とし、「えっ?山頂?」という感じで広々とした雪原の広がる硫黄岳山頂に飛び出しました。去来するガスの中に突然浮かび上がる赤岳、阿弥陀岳、横岳の近寄りがたい雰囲気の白亜の峰々と出会えました。硫黄岳は軽アイゼンで登れる八ヶ岳の貴重な山頂。でも、そこに吹く風は本格派の雪山でした。

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赤岳

地蔵尾根を行く「風の谷」
地蔵尾根を行く「風の谷」

 以下の者は、2012年2月11日〜12日、八ヶ岳連峰最高峰・主峰である赤岳(2899m)に美濃戸口より行者小屋を経て地蔵尾根を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷 

真青な空の下の横岳
真青な空の下の横岳

 視界を妨げてきた凍りついた睫毛の氷がパラパラと落ち、やっと一息ついて見上げた空が少し青く見えだした途端に一気に広がった景色。行者小屋から中山乗っ越しを経て登り着いた中山展望台からは思わず歓声の上がる圧倒的な八ヶ岳の西壁が切り立っていました。大同心、小同心が真っ白な岩峰を見せて、屏風のように立ち並ぶ、たくさんのリッジが見えても虹色の吹き出しの雲をまとわりつかせて、なかなか姿を見せない赤岳。阿弥陀岳が全容を出した次ぎに、圧倒的な存在感で最後の最後に、つい、その山頂を見せた赤岳でした。他を寄せつけない大きさと厳しい表情、たかだか一時間前まで、その山頂に立っていた事が信じられない城砦のような姿でした。
 鬱蒼としたシラビソ、モミの樹林帯を延々と歩き、頭上の押さえが取り払われるように横岳の稜線が見え、行者小屋からの脹脛が攣るような地蔵尾根の森の中を登り、放り出されるような森林限界を越えた展望と緊張の中を登り詰める・・・高山の雪山の全ての魅力が凝縮した全行程が冬山の赤岳の魅力なのでしょう。そして、赤岳は雪山登山者にとっての指標となる山です。「雪の赤岳に登る」ことを目標に努力して来た者にとっては、最終目標ですし、この赤岳を出発点に、沢山の本格的な雪山に一歩を踏み出す者もたくさんいます。美しく、厳しく、ちょっと怖かった赤岳。ぜひ、ここから、次の一歩を踏み出す大切な山行となることを願います。

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西穂高岳・丸山

西穂山荘前に巨大ユキダルマ
西穂山荘前に巨大ユキダルマ

 以下の者は、2012年1月31日〜2月1日にかけて、穂高岳連峰の南端・西穂高岳の丸山(2452m)に新穂高温泉・西穂口から千石尾根を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

風雪の稜線
風雪の稜線

 ゴーゴーと鳴る山の音、煙のように吹きつける風雪。森林限界を越えるか越えないかの西穂山荘は本気の牙を剥いた雪山の姿と対面していました。食堂から暖かい湯気の流れるガッチリしたロープウェイの建物から、歩きだすこと数分で、そこは、シラビソとダケカンバがタップリと雪をかぶり、石膏細工の様な雪の森の姿を見せる別世界でした。静かにハラハラと舞う雪、まるで塹壕の様に着けられたトレース。アイゼンがたしかに行きを捉え、少しずつ、確実に穂高の山懐へと踏み入っていく気持は独特の物があります。やがて、静かな雪が風をまじえる頃、これもオアシスの様な西穂山荘に着きました。翌朝の確実な悪天を考えて、そのまま、丸山へ!わずか数十メートルでも、森林限界の上と下の山の違いを実感させる風雪の稜線でした。見る見るうちに顔が鼻が凍り、吹き倒されそうな風雪は穂高の冬の本当の姿をかいま見せてくれました。「西穂丸山」の標識の前に数秒佇み、写真を撮ると逃げるように暖かな山荘へと逃げ込みました。外の吹雪が嘘のような小屋の中の暖かさ。ガラス戸越しに見る吹き荒れる風、雪。翌日の天候を案じながらの一晩でした。翌朝、昨日よりも強い風雪、積もった雪を蹴散らし、一層白くなった森を確実に降っていきました。ストーブの燃える駅舎と、幸運にも動いたロープウェイ。雪山ならではの不確実さと、山との駆け引きの中の西穂でした。「ところで、どんな形の山だったのか?」・・・次は晴れた穂高と出会いたいものです。

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天狗岳

 以下の者は、2012年1月29日、北八ヶ岳最高峰・天狗岳(2646m)に渋ノ湯から黒百合平、中山峠を経て天狗ノ鼻を越えて登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

  黒百合平からの石膏細工のように雪化粧した森を抜けて東側に大きく切れ落ちた中山峠に立つと、今までの冷たくても穏やかだった風が一変し、突き刺すような雪まじりの烈風が吹きつけてきました。「いよいよ来たな・・・。」少しだけ雪山本来の表情を見せた天狗岳山頂への道。今までとは打って変わった強い傾斜にアイゼンをザッザッと突き刺しながらの辛い登りが続きます。鼻や口を出すと寒さで痛くなってしまうし、塞ぐと苦しいし・・・目出帽の扱いにも苦労します。左側・・東斜面に向けては雪庇が張り出してきました。見上げる天狗ノ鼻はすぐそこに見えていても、なかなか近づきません。小さく岩峰を巻き、見上げると小さな標識が見え、そこが山頂でした。本格的な吹雪になって手も顔も足も冷たく感じます。ソソクサと立った山頂をソソクサと立ち去り、吹雪から逃げるように真っ白な斜面を降ります。僅かにダケカンバが顔を出すと、ほんの小さな木々でも風も雪も静かになります。再び吐いた呼吸の音まで森が吸い取るような太古からの雪の原生林。穏やかな雪山の広がりに帰って来ました。天狗岳は本格的な雪山の入口の山です。残念ながら遮る物もない大展望に出会うことはできませんでした。それだけに、凍てついた木々、吹きつける風、なかなか決まらないアイゼンの一歩が本格的な雪山への思いを強くしました。雪の天狗岳登頂が、次の一歩へのチャンスになることを期待します。

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北横岳

 以下の者は、2012年1月28日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2480m)に坪庭から北横岳ヒュッテを経て登頂し、七つ池を往復してから三ツ岳T峰にも登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

  ロープウェイを降りたら、そこはすでにマイナス13度の世界。冷えきった風が頬を叩きます。この一週間で少しずつ降り積もった雪は溶岩台地を白く埋め、木々は樹氷の森へと変身している最中でした。小さな谷を越えてジグザグと山腹を攀じ登っていく道は、鬱蒼としたコメツガとダケカンバの美しい森です。見下ろす坪庭は真っ白な広がりとなって森林高地・北八ヶ岳の一つの光景を見せてくれました。ロープウェイを使い、気軽に訪れることのできる冬山である北横岳も山頂付近の僅かな森林限界を越えた部分は剥き出しの自然の猛威を感じさせます。ときおり開ける背後の雪の台地の広がりに、天気の好転を期待しても、けっきょく山頂では、冷たい風と小粒の雪の舞う中でした。山頂からの下りで立ち寄った七つ池。周囲を屹立した山々に囲まれた白い山上の湖は深い雪に覆われていました。遊歩道の様に踏み固められたトレースを一歩外すだけで雪山本来の厳しさと楽しさを感じました。そして、訪れる者がグッと減る三ツ岳。小さな岩峰を連ねた一体は溶岩台地の上を画した雪が隠した小広い広がりです。ちょっとスリリングな岩峰の上からは微かに浅間山が見られました。降りにかかるころ、ようやく、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳の南アルプスが顔を出し、翌日登る天狗岳が見えました。寒さと、風とを体験した北横岳でした。北横岳は小粒な山ですが、雪山入門の全てが楽しめる山でした。

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赤岳南峰リッジ

不安定な雪を処理して前進!
不安定な雪を処理して前進!

 以下の者は、2012年1月21日〜22日、八ヶ岳主峰・赤岳に南側からダイレクトに山頂に突き上げる南峰リッジを文三郎尾根より取り付き登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 阿弥陀岳北西稜、赤岳主稜を目指して入山し、北西稜は、偵察までしましたが、雪の少ない状態だった八ヶ岳全域に大量に降った深雪は全山になじまず、雪崩等が強く心配される中で朝を迎えました。夜に新たに降った雪のことも考えて向かったのは阿弥陀岳北稜でした。しかし、通常の夏道を進んで小さな傾斜もない沢を横断しようと先頭ガイドが足を踏み入れた時に「バスン」と音がして、トラバースしていた上部に亀裂が入りました。とても、登れる状況にないとの判断で、沢のトラバースのない赤岳南峰リッジに転進しました。気温は1月の八ヶ岳としては低くなく、ビレー中も寒くなく、けして厳しい状態ではありませんでした。南峰リッジは赤岳山頂に直接突き上げるリッジです。下部で大まかに四つに分かれ、その左端と左から二番目とに分かれて取りつきました。八ヶ岳の岩壁の中でも比較的登りやすいはずのルートでしたが、要所に打たれたはずのペツルのボルトは大量の降雪のしたに隠れ、フワフワの雪が、岩の上に直接、降り積もり、そっとダマシダマシ、アイゼンを置くか、雪を落として岩そのものをスタンスにするしかなく、時間がかかりました。ランニングビレーは全て岩角でとり、それなりの慎重さと丁寧な登攀が求められました。凹角を抜けて最後のリッジに這いあがるとすぐそこに山頂の神社の青いポールが見えました。3パーティー全部が、ほぼ同時に山頂に立ち、悪い状態の壁を征した嬉しさが込み上げてきました。

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天狗岳

天狗岳の登りからは背景に北アルプスが見事
天狗岳の登りからは
背景に北アルプスが見事

 以下の者は、2012年1月17日〜18日、北八ヶ岳の盟主である西天狗岳(2645m)と東天狗岳に黒百合平から中山峠、天狗ノ鼻を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

  新月が星空に浮ぶ夜明け前の黒百合平のヒュッテ前の寒暖計はなんとマイナス20度をさしていました。無風快晴。ピリピリと頬を刺す寒気がなんとも気持ちよい北八ヶ岳の朝でした。本当は穂高にいるはずでした。中央高速の大事故で、時間切れ・・・・。困り果てて、アチコチ電話した上での北八ヶ岳でした。寒気が少し抜けて、真青な空と硬い雪、ザッザッと音を立てるアイゼンが楽しい黒百合平への道でした。さすがに降ってくる人も減ってコメツガの森が雪をかぶり、本来の北八ヶ岳の雪の森が蘇る中に、一歩一歩、ヒュッテを目指しました。黒百合平の手前、木々の間から乗鞍岳が見事な美しさで見られました。静かに煙を上げるヒュッテ。平日でも数人の泊まりの人がいる人気のスポットです。風の音一つしない静寂の夜がありました。ピーンと張りつめた冷たい空気。雪煙一つ上げない稜線。中山峠からは、今、夜が明けて行くところ。赤々と空を染めて奥秩父から浅間山が大きく広がります。そこから天狗ノ鼻までのルートは見事でした。背後に一歩ずつ登る毎に広がる北アルプスの山々。槍ヶ岳と穂高岳が見え、鹿島槍が、白馬が見え銀色に輝く屏風のような山脈がありました。中央アルプスの全景が現れ、南アルプス北部が姿を見せ、そして山頂に飛び出した途端の赤岳から阿弥陀岳への八ヶ岳の南部の山々がドカーンと見えました。西天狗への稜線、中山峠への降り、素晴らしい雪山の展望を堪能した二日間でした。

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霧ヶ峰

 以下の者は、2012年1月12日、八ヶ岳連峰から蓼科山を挟み、更に北に広がる霧ヶ峰を訪れ、車山肩から日本百名山の一つ・車山(1925m)に登頂し、車山乗っ越しから蝶々見山、物見石を越えて八島湿原の南を通り沢渡から車山肩まで周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 前日の北八ヶ岳とは見事に違った天気。見渡す空には雲一つなく、黒に近いような真青な空がありました。夏には、どこまでも広がる草原とお花畑の広がりとなる霧ヶ峰は、今、雪の山と化していました。槍・穂高の連峰が手が届きそうな鮮明さで駐車場からも見えていました。一段登り、背後に広がる山々を見て思わず上がる歓声!乗鞍岳から穂高連峰、槍を経て剣・立山連峰を背景に鹿島槍ヶ岳・五竜岳までの見事な北アルプスの銀屏風がありました。木曾御嶽山の雄大な姿の左には中央アルプスが、更に北岳・甲斐駒ヶ岳、仙丈岳を前面にした南アルプスの高い山々が並んでいました。いったん南側に回って見上げれば、白樺湖を挟んで山が続く八ヶ岳の連峰もありました。見下ろせば煙たなびく諏訪の盆地があり、その上にも富士山が見えていました。最高点・車山には気象レーダーが設置され、その南側に架けられたリフトからは歩くことなく登れる文明の利器がありましたが、その先の雪原に足を踏み入れる者はなく、広大な雪原は完全に僕たちだけの物でした。広すぎる雪原に距離感が失われ、「すぐ、そこ!」と思われた蝶々見山は、意外にも歩くと遠い存在でした。山々が手前の美ヶ原の山に隠され、再び、登ると北アルプスが違った角度で陽が当たり、また別の眺めが見えました。夏の観光地が雪に閉ざされ、静寂に支配された中、素晴らしい本来の霧ヶ峰が蘇っていました。

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北横岳

 以下の者は、2012年1月11日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2472m)に坪庭から登頂し、七つ池を訪問し、樹氷の森を歩いたことを証明します。

氏名 風 の 谷

 ロープウェイが山頂駅に着くとき、風に煽られてユラユラと揺れながらユックリと到着しました。山頂駅の外は、ハラハラと降り出した雪と風の中にありました。ここ数日の好天に葉を見せていた木々は、次々とエビノシッポを付けだして、少しずつ雪化粧している真っ最中でした。遮るものの無い坪庭の溶岩台地を抜けてコメツガ、シラビソの美しい原生林の中に入ると雪と森に呼吸の音さえも吸い込まれそうな中の静けさの中にありました。所々で森が開け、見下ろす溶岩台地の広がりと雨池山が見えました。尾根にあがり、ヒュッテを過ぎてダケカンバの枝は見事な白珊瑚を思わせる真っ白になっていました。「北横岳は山頂の標高差30mだけが森林限界を越える」の言葉どおり、山頂付近だけは強い吹雪の中にありました。高山の雪山の雰囲気をここだけは、タップリと味わえました。ツェルトを被り休憩し、ソソクサと立ち去った山頂。ヒュッテの前を降り、降り立った七つ池は白い雪原となってポツリポツリと池の形になっていました。雪を退けると、その下には透き通った氷の池が待っていました。再び降りた坪庭。強くなった雪の中にロープウェイ駅は待っていました。小さな、ほんの入口だけを味わった北八ヶ岳の雪山でしたが、パチパチと顔に当たる吹雪の感触と凍てついた木々の印象が強く残った一日でした。
 北八ヶ岳は、森林高地の山です。滑落、雪崩の心配なく、北欧を思わせる原生林の森と所々で見られる大展望の山です。ぜひ、何回か、この冬にも訪れていただきたい山塊です。

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甲斐駒ヶ岳

 以下の者は、2012年1月7日〜9日、南アルプス北部を代表する甲斐駒ヶ岳(2967m)に北沢峠から仙水峠、駒津峰を経由して登頂し、更に仙丈岳(3033m)に大滝ノ頭、小仙丈岳を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 真青な空の行く手にグッと立つ白い山々。荒涼として荒れ果てた戸台河原からは登る山々が見事に聳えていました。「明日、アソコを歩く。」それは畏怖を感じさせる光景でした。八ヶ岳全山の縦走、正月の蓮華岳と暖冬なのか、少なめだった雪は、八丁坂に至ってもラッセルの必要は全くなく、ただ、ひたすらの寒さの中、所々でコチコチに凍った沢の横断に手間取るだけで、かつての南アルプスの原生林の面影を僅かに残す巨木の森の中を思いの外の早さで北沢峠に来ることができました。峠付近の賑わいを避け、西の端の林道脇にテントを張りました。明け方に静かにフクロウの鳴く中の歩きだしでした。北沢を登り詰めて太陽の光の溢れる仙水峠からの急登もシッカリとしたトレースがあり、背後に広がる北岳から鳳凰三山、塩見岳から荒川岳と登る毎に大きくなる展望の中、駒津峰に立ちました。眼前に聳える甲斐駒ヶ岳は少ない雪に岩肌を剥き出しにして迫力満天でした。登りにくい岩稜をグイグイと登り詰め、360度の圧倒的な展望の甲斐駒ヶ岳山頂に立てました。翌朝は、小雪が舞う中に月明かりも時々見える、冬型の天候の中、早朝出勤で原生林の尾根を登りました。キツイ登りもトレースに助けられ、大滝ノ頭で夜明け。ハイマツの露出した少ない雪の小仙丈岳から雪に霞む稜線をジリジリと登り詰めます。夏道のロープも露出した独特の状況でしたが、「海老の尻尾」も岩に着きだす中、3033mの三角点が待っていました。杣添尾根。大きな達成感がありました。

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