過去の登頂記録 (2005年9月〜2006年3月)

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2006年 3月 18日〜27日 エベレスト街道トレッキング
14日 生藤山
11日〜12日 唐松岳八方尾根
7日〜8日 雲取山
1日〜2日 鍋倉山
2月 21日〜22日 北八ヶ岳
18日〜19日 仙丈岳
15日 黒川山
4日〜5日 赤岳
1月 29日 北横岳
28日 天狗岳
24日〜25日 安達太良山
11日〜13日 北八ヶ岳縦走(硫黄岳〜天狗岳〜高見石)
7日〜9日 霞沢岳
2005年 12月 30日〜2006年1月2日 常念岳
23日〜25日 聖岳
20日 高水三山
17日〜18日 富士山雪上訓練
13日 守屋山
10日〜11日 富士山雪上訓練
6日〜7日 北横岳
11月 30日 御座山
26日〜27日 阿弥陀岳南稜
22日 秩父槍が岳
19日〜20日 五竜岳
16日 滝子山
13日 赤岩岳
8日〜9日 長沢背稜縦走
3日 三つ峠登攀訓練
1日 御前山
10月 25日〜26日 両神山
18日〜19日 稲子岳
12日 三頭山
8日〜10日 真の沢林道から甲武信岳
9月 28日〜29日 徳本峠
21日 大岳山
13日〜15日 谷川連峰縦走
10日〜11日 湯檜曽川本谷
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2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
9月〜11月の登頂記録へ
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生藤山

清めの塩をまいたような生藤山への道
清めの塩をまいたような
生藤山への道

  以下の者は、2006年3月14日、山梨(甲州)、東京(武州)、神奈川(相州)の三県を分けながら三頭山から高尾山へと続く奥多摩南端を形作る甲武相国境尾根・別名「笹尾根」の中核部分にそびえる生藤山(992m)に南秋川の柏木野から万六の頭を越え、連行峰(1003m)、茅丸(1019m)を越えて登頂し、三国峠から鶴川上流の石楯尾神社へと峠越えしたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 秋川上流の山々は、奥多摩の中でも最も里山の雰囲気を強く持ち、山に依拠した人々の生活の匂いが漂う独特の物をもっています。甲武相国境尾根は鶴川と秋川を結ぶ峠がいくつも越えるそんな尾根です。絹や蚕が行き来して、塩や炭、そして嫁取り道として人々も往来したそんな峠です。秋川から急峻な杉林を抜けて、小さな祠の祭られた杉の大木がご神木となっている所、そして雑木林に丁寧にジグザグが切られ高度をあげていく所等では、突然、百年も二百年も前に時代が戻ったような気さえします。背後に大きく広がる大岳山から御前山への奥多摩主脈の山々、その後ろに遠く長沢背稜の山々も眺められ、小笹の敷きつめられた道は楽しい雰囲気に満ちています。前日の夜に、おそらくはこの冬最後の雪と思われる物が清めの塩をまいたように地面を化粧させた中の登りは、厳しい寒さにもかかわらず、むしろ春の気配を感じさせました。連行峰で飛び出した国境の尾根。雑木の美しい尾根は、一つ一つは1000m前後の高くはない標高にもかかわらず、小さいながらも急峻な斜面を持ち、茅丸、生藤山となかなかの上下を強いられました。この稜線からの富士山の大きさは定評がありますが、厳しい寒気の流入に上半分の肝心の部分を雲の中に隠し、期待した全容は全く拝むことはできませんでした。三国峠で稜線を離れるまで、展望と、雑木林の美しさを堪能しました。降り立った石楯尾神社への道は、ようやく春の気配がわずかに漂っていました。まだスミレは咲かず、わずかに梅の香りと、イヌノフグリの小さい姿、ホトケノザが顔を出したにすぎません。それでも、ひさしぶりの寒さの続いた今年の冬ほど、かすかでも春の気配の嬉しい年はありませんでした。これからの季節こそ、奥多摩の中でも標高の低い山々が最も楽しい季節です。格闘ではなく正しく里山の中に分け入るような山歩きの季節です。

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唐松岳八方尾根

隣の穴とつながった!感動の時
隣の穴とつながった!感動の時

  以下の者は、2006年3月11日〜12日、北アルプス北部の唐松岳八方尾根に八方池山荘前から八方池、第3ケルンを経て、下の樺下に雪洞を建設し、上の樺を越え、丸山直下まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今シーズン初めて、下山後のウェアーの凍っていない雪山でした。白馬駅前から見上げる北アルプス北部の豪雪の山々は、暖かな霞の中にありました。ゴンドラ、リフトとスキーヤーに混じって上がった出発点の既に2000m近い標高の八方池山荘前さえも雪は凍結しないグサグサの物でした。北アルプスの山々にも春が来た!と、嬉しく思わせる出発でした。それにしても、八方尾根と言うのは、そこにいるだけで何と素晴らしい展望の地なのでしょう。前方に屹立する不帰の岩峰、既に悪天の気配を伝える白馬三山の雄大な広がり、そして、五竜岳から鹿島槍が岳の美しい山容。それらが広大な尾根の上に広がっていました。「風の谷」の指定地のような下の樺の下の雪洞を掘った場所は、安曇野の広がりを大きく足下に感じさせる中々の展望の地でした。唐松岳登頂と同じくらいの意気込みで挑んだ雪洞作り、しかも、「風の谷」創業以来とも言うべき14名収容の大雪洞でした。2月の声を聞いてから何回か降った霙や雨は、雪の中に氷の層を作り、最初の1m位は、スノーソー無しには、堀り進むこともできない、固い雪との格闘になりました。4個の穴を開け、掘れるだけ堀り進み、横に掘って大きくつなげる作業だけで実に2時間半。入り口と奥では、なかなか声も届かない巨大雪洞が完成しました。ローソクの灯に輝く白い壁、壁を削って作る水、それは、雪山ならではの楽しい空間です。いつしか、外は風雪の世界となっていても、一切、それを感じさせない静寂の空間は、夏の沢の大焚き火を囲んでの一夜と共に、僕の大好きな時間です。
 風雪、しかも春独特の重い湿った雪の風雪と共に雪洞の朝は始まりました。下の樺、上の樺を越えて、登れば、登るほど、風雪は強まり、雪と空の境目も見えなくなって、ついに撤退を決意しました。昨日、あんなに長閑に通過した、八方池周辺、第3ケルン周辺は広々とした分、全く進む方向の判らない前日、設置した赤旗だけが頼りの下山でした。霙、そして雨、大粒のボタン雪と春の気配をいっぱい感じさせた撤退の八方尾根でした。季節の変わり目のちょっと扱いにくい春の雪山の二日間でした。

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雪洞の中 もう、これ以上は無理。吹雪の中を撤退
雪洞の中 もう、これ以上は無理。吹雪の中を撤退

雲取山

夕陽をガスがさえぎって原生林が浮かび上がる
夕陽をガスがさえぎって
原生林が浮かび上がる

  以下の者は、2006年3月7日〜8日、東京都最高峰で唯一の2000m峰である雲取山(2017m)に奥多摩湖畔鴨沢上の小袖集落から堂所、ブナ坂を経て登頂し、富田新道の通る野陣尾根を大ブナ別れへと下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年はど、山々への春の訪れが待たれた年は無い・‥そんな2006年の積雪期でした。それが、実際に奥多摩の山を訪れてみると、驚くほどの雪の少なさでした。暖冬、暖冬と言われながら、21世紀に入ってからの奥多摩の山々は、実は毎年のように多くの積雪を見ていました。鳴沢から先頭はワカンを履いて延々たるラッセルをした年もありました。雲取山の山頂に歴史的とも言うべき雪庇の張り出した年もありました。しかし、今年は、2月までほとんど積雪を見ず、暖かくなって初めて積雪を見た奥多摩の山々だったようです。それでも、ブナ坂を過ぎ、奥多摩小屋を過ぎ、標高1800mを越えると一面の雪。美しい原生林と、濃いガスが靂氷となって木々に張りついた幻想的な景色の中、僕達は待望の東京都最高峰であり日本百名山の一つである、我が雲取山を足下にしたのでした。北東気流の為、ガスが立ち込め、それが西風に代わって時々晴れる‥・そんな中の雪の雲取山山頂でした。
 翌朝は春霞の中、それでも南アルプスから富士山、大菩薩と素晴らしい展望の山頂が出発点でした。普段はなかなか行くことの無い日原への富田新道。石尾根から一歩外れた途端に消えたトレースと、代わりに現れた巨樹の森でした。カラマツ林が終わると、コメツガの森、そしてシラビソ、それが降りるに従ってブナ、ミズナラの巨木の森へと移っていくのは中々の見物でした。誰もいない静寂の原生林の中に延々たる下降の末、唐松谷の美しいながれが見えて、長い下降は終わりました。
 雲取山は奥多摩を代表する奥多摩の顔とも言うべき山です。林道が延び、魔の食害があり、僕自身が接した40年の問でも大きな移り変わりのあった山ですが、その桁の違う雄大さと、原生林の美しさ、山頂からの展望の広大なことは、やはり変わることはありません。何回でも、様々なルートから挑戦したい山です。

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広々とした朝の石尾根 ガスが去るとカラマツがまっ白な霧氷
広々とした朝の石尾根 ガスが去るとカラマツがまっ白な霧氷

鍋倉山

これがブナの王者・森太郎!
これがブナの王者・森太郎!

以下の者は、2006年3月1日〜2日にかけて、長野県、新潟県の県境、信越トレールと呼ばれる美しい尾根のピークである鍋倉山(1288m)に、鍋倉高原森の家から温井集落を経て巨樹・森姫、森太郎を通り、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 「日本には、こんな所もあるんだ!」これが、この山を歩いての感想です。東京を出る時から冷たい雨が降っていました。森の家の広々とした雪原を歩いた時も小雨の中でした。夜、サラサラと音をたてて、雪と変わり周囲の光景は、再び本来の雪国へと戻りました。それにしても、想像を絶する積雪の中の暮らしでした。数メートルに達する雪の壁がどこまでも続く車道、一晩で全ての踏み跡も消える雪、全てが新鮮でした。鍋倉山への道は、集落の終点からいきなり雪壁を攀じ登ることから始まりました。一段登った所からの周囲の光景の広さ、見渡すかぎりの雪原の広がりは、首都圏の山々にはありえない雄大な物でした。雪原のどん詰まりから取りつく尾根は、すでに圧倒的な規模のブナの森でした。それぞれが個性的な独特の風貌をみせる巨樹は、苔が少なく、シロブナの白い素肌が強調された美しい木ばかりでした。今回のお目当ての一つ、とりわけ大きな「森太郎」「森姫」は、「ここ?」「あっちかなぁ?」とさんざん探した挙げ句、尾根から下ることわずか、霧の立ち込める幻想的な世界の中にありました。最初に「姫」が見つかり、それを手がかりに「太郎」も見つかりました。雪の上に飛び出した部分だけでも何人もの大人がぐるりと回ってようやくつながる太さ、その下に数メートルが埋まっている文字通りの森の王者たちでした。そこから上に広がるブナの森こそ見事な物でした。新潟、長野の県境の尾根、激しく吹きつける日本海の季節風は、雪を降らせたかと思うと、青空と太陽が顔を出し、どんどん出てくる大きなブナの木をいろいろな天気で色付けしてくれました。豪雪、おそらくは5〜6mに登る積雪で別世界を作ってくれた鍋倉山。山頂は真っ白い凍結したドームの上でした。濃い霧が周囲を覆い、さっきまでの青空も消え、たった1288mの低山とは思えない幽玄の世界を作ってくれました。 関東や北アルプス、八ヶ岳、そして奥秩父とさまざまな山々を歩いてきて、これほどの広大な雪原と、ブナと出逢ったのは初めてです。物音一つしない、西の沢の静けさ、その中に唯一、響くキツツキのドラミングの音、まだ耳の中に残っています。

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大雪の下り。ここも全部ブナ! 頂上直下。突然晴れてブナの樹氷がすごい!
大雪の下り。ここも全部ブナ! 頂上直下。
突然晴れてブナの樹氷がすごい!

北八ヶ岳

 以下の者は、2006年2月21日〜22日、北八ヶ岳核心部の坪庭から五辻、出会いの辻、狭霧苑地を経て冷山のコルから夏期は通行不能の往年の名ルート「冷山・丸山歩道」を踏破し、丸山を経て高見石に到達し、白駒の池から麦草峠を越えて大石峠から茶臼山(2384m)、縞枯山(2403m)に登頂し、雨池峠から再び坪庭へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 厳しい寒さの続いた北八ヶ岳にも、一気に春が訪れました。前日の30cm近くの大雪の降った原生林に本当に久しぶりのプラスの気温が暖かい太陽と無風の大気と共にやってきました。寒さにうち震え、首をすくめていた私達には嬉しい輝きが待っていました。諏訪盆地、佐久盆地双方に丸一日ずっと漂っていた雲海。その上にキラキラと輝く南北中のアルプスの美しい輝き。けれども、雪の山で一気に気温が上がると言うことは快適なだけではありません。木々からは降り積もった雪が音を立てて水滴となって降り注ぎ、吹けば飛ぶような乾燥した軽い雪を想定したスノーシューやワカンの上には奥多摩を思わせるシットリとした重い雪が乗り、最初はスイスイと進んでいた私達が狭霧苑地を過ぎる本格的なラッセルとなるころにはズッシリと足を捕まえていました。かつて森林高地を縦横に走り、徒歩による森林巡視が行われていた頃の名残である冷山・丸山歩道。鬱蒼たるコメツガ、シラビソの原生林と苔むした溶岩台地の上を細々と繋いだ静寂の廃道は、特段の急坂の無い見事な北八ヶ岳独特の広々とした森の道でした。足回りにまとわりつく重たい雪に「もう限界!」という頃に突然、放り出されるように素晴らしい展望の広場へと辿りつきました。「コツ」と呼ばれる溶岩台地は小広い展望の広場となって息を飲む展望の場を見せてくれました。そこから丸山への登り、そして高見石の小屋の嬉しかったこと。翌日も、他の登山者の形跡をほとんど見ない深雪の中の一日でした。もはやヤッケを着ることも無い稜線の明るい展望の中の縦走。一歩一歩は前日の疲労で重いものの、寒さに毎回ごとに打ちひしがれた今年の雪山のイメージを一新する明るさの中の雪山でした。もちろん、このまま春になることはなく、何回もの風雪が、この木々を真っ白にすることもあるはずです。けれども一気に押し寄せた春を足の重さと共に満喫した二日間でした。

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茶臼山展望台。背後の白い雪原が冷山・丸山歩道の尾根 高見石の夜明け。もう春の暖かさがみちている
茶臼山展望台
背後の白い雪原が冷山・丸山歩道の尾根
高見石の夜明け。
もう春の暖かさがみちている

仙丈岳

 以下の者は、2006年2月18日〜19日、南アルプス北部を代表する優美な山である仙丈岳(3033m)に戸台から赤河原、八丁坂を経て北沢峠を拠点にして大滝の頭、小仙丈岳を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 そもそもが、この冬山シーズン一番の困難と体力が必要なはずの雪山でした。本来、どう頑張っても二泊は必要。戸台河原から延々と雪道を辿り、凍りついた八丁坂を登り、ワカンを付けて森林限界までの道をラッセルし、夕暮れの中を重い足を引きずって下山をする・・・そんな光景を全メンバーが想像していたはずの仙丈岳。しかし、実際には、今シーズン初めてテント泊の雪山でラッセルらしいラッセルの無い、ワカンを履かずにすんだ登山となりました。真っ青に凍結した氷瀑の上を溶けた水が流れだしていました。チョロチョロと水の流れる音がしていました。風一つ無い真っ青な空の下にヤッケもフリースも脱ぎました。久しぶりの汗が頬を流れました。3000mの雪山にも春が来たのです。二日間、雪の降るのを見ない初めての雪山でした。静まり返った北沢峠にはキツネとフクロウの声だけが聞こえていました。そして、「風の谷」名物の早朝出勤。森林限界近くから遠く甲府盆地の夜景が見え、北アルプスを朱に染めて圧倒的な展望が大きく大きく広がる中に大迫力の小仙丈岳からの純白の稜線を辿る嬉しさは最高でした。「雪山」と言うと、誰もが想像する美しい、絵のような光景がありました。最後の痩せ尾根を越えて辿り着いた3033mの山頂は360度の絵ハガキのような展望の中にありました。
 暖かく、ラッセルが無かったとは言え、それでも標高差2000m以上を登り、それを一気に降りる雪山はけして容易なものではありません。スーパー林道が開通してしまった今、標高2000mの北沢峠から健脚の者ならば日帰りも可能な小さな山と化した仙丈岳が本来の3000mの日本を代表する山であることを全身の疲労と、足の出来た無数の豆によって確認させられた仙丈岳でした。それにしても、これほどの素晴らしい雄大な雪山に他の登山者の姿を一切見ない、山頂付近には長期に渡って人の訪れの痕跡さえないのは何故なのでしょうか?雪の中の格闘技としての雪山登山。楽しく、素晴らしく、充実感一杯の素敵な山をもっと多くの人に楽しんで欲しいとの思いを新たにしました。

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小仙丈からの仙丈 岩場をこえて スーパー林道ど真ん中!のテント場
小仙丈からの仙丈 岩場をこえて スーパー林道ど真ん中!のテント場

黒川山

 以下の者は、2006年2月15日、大菩薩連峰北端の不遇のピーク・黒川山(1710m)に青梅街道最高点の柳沢峠から多摩川水源展望台、六本木峠、横手峠を越えて登頂し、山梨百名山の鶏冠山(1716m)にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 次々と厳しい寒波が来襲して冷えきった今年の山々。そんな冷たい山の空気におそらく最初の暖かい風が吹いた日に訪れた黒川山でした。上着は最初から脱ぎました。北側斜面の陽の射さないはずの原生林の森の道も、耳を澄ませばチョロチョロと水の流れる音。雪の上にも苔の斜面にも、もう随分と御無沙汰だったはずの湿りけと湯気が戻ってきました。その瞬間と出会えたことを嬉しく思います。けれども、実際の雪の山を歩く身には、けして歩きやすくない「暖かすぎる雪山」でした。グサグサの雪、ズルズルと滑る溶けた泥斜面。滑り止めのはずの軽アイゼンは雪の無い所ではひっかかり、雪の山はカーンと冷えた時が最も楽しめることも事実でした。黒川山は大菩薩の北の端を飾る独特の山です。その展望台に立って眺める景色の中で、最も目をひくのは富士山でも春霞に煙る南アルプスでも無く、黒々とした竜のように大きく横たわる奥秩父の重厚な山並みでした。そして、その中でもとりわけ大きく私達の前に広がった笠取山から雲取山にかけての多摩川水源の山々の大きさは見事でした。この山域から大菩薩の北面こそ永い間、東京都民の喉を潤してきた多摩川水系の水源地帯であることは、「風の谷」の参加者には繰り返し語ってきたことです。行政的には山梨県でありながら、そのほとんどを東京都水道水源林として手厚く保護されてきたからこその首都圏にはまれな美しい原生林の山と谷が守られてきていることに心から感謝したいと思います。展望の黒川山、対照的な黒々とした岩峰からなる鶏冠山。丸一日、全く他の登山者も新しい踏み跡さえ見なかった不遇の山である黒川・鶏冠山。大菩薩嶺と大菩薩峠を歩く者はあっても、南北12km、東西10kmの広大な山域である大菩薩連峰の多くの部分は登山者には、あまり省みられない静寂の中にあります。とりわけ冬季においては、魅力ある多くの稜線がヒッソリと今日も私達の訪れを待っています。2月15日。この日が今年の最初の春の強い風が山々に吹いた日だったのです。また、再びの分厚い雪が大菩薩を覆っても、新しい春を感じられた一日でした。

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氷の上をチョロチョロと音をたてて水が流れる 原生林の中の雪道 黒川山展望台からの奥秩父の山並み
氷の上をチョロチョロと
音をたてて水が流れる
原生林の中の雪道 黒川山展望台からの奥秩父の山並み

赤岳

 以下の者は、2006年2月4日〜5日、八ヶ岳連峰主峰・最高峰であり、日本百名山の一つである赤岳(2899m)に美濃戸口より行者小屋、地蔵尾根を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 一冬に何回も無い鋭い、突き刺すような寒気の中の二日間でした。本来、360度の展望の中にあるはずの赤岳山頂は、僅かに南アルプスと奥秩父、富士山の姿を見せているだけでした。そのぶん、鋭い横岳への稜線の上を強い偏西風が当たり、滝雲となって大同心を乗り越えていく様は冬型気圧配置の下の八ヶ岳ならではの変化に富んだ美しい眺めでした。茅野の町中から赤岳の姿を見ることはできません。美濃戸口から多くの人々が通う柳沢沿いの道を辿り、すこしづつ高度を上げ、樹林の中を一歩一歩登りつめ、行者小屋手前の広い河原に出た時、前方に大きく聳える横岳西壁の屹立した姿の右にドカーンと居すわる堂々たる主峰との出会いは奥座敷に座る王者の風格で僕達を歓迎してくれていました。
 赤岳周辺には雪山とは思えないほどの多くの人々が、それぞれの登山の目的に向かって高みを目指していました。赤岳へ向かう道は、本州に住む雪山の登山者が一度は必ず通る道です。どこからも初日で登山の基地となる場所に到達でき、極端な悪天が続かない八ヶ岳主峰は、どうしても一度は足跡を記す必要のある山だからです。しかし、一方で、そのポピュラーな実際とは異なり、赤岳そのものは、けして容易な山ではありません。多くの登攀ルートを持つ西壁、登る者も少なく豊富な積雪がキノコ雪を形成し困難な登攀を強いる東壁を東西の城壁のように持った山頂への道は、小さなミスが致命的な失敗に結びつく可能性のある緊張の山でもあります。「この山を雪山の最終目的」と考える者と、「この山を出発点にもっと激しい山へと向かおう」と考える者とが交差する独特の山です。小屋が岳等と言われ、今回も頂上に着くまでに5軒の山小屋の脇を通る、絶えず人臭さのある不思議な雪山である赤岳。けして好条件の中に登頂したわけではない赤岳。この山を出発点に、もっと人の居ない、もっと静かな、もっと全力で山と格闘することのできる山へと次の一歩を踏み出すキッカケとなれば嬉しく思います。そして次は縦走の途上として、厳しい壁を踏破して、再びこの山頂に立つことを願います。

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「風の谷」赤岳頂上占領 「エビのシッポ」がびっちり。白い城のような赤岳の下り −26℃の寒気の中一歩一歩頂上を目指す
「風の谷」赤岳頂上占領 「エビのシッポ」がびっちり。
白い城のような赤岳の下り
−26℃の寒気の中
一歩一歩頂上を目指す

北横岳

 以下の者は、2006年1月29日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2480m)に坪庭から北横岳ヒュッテを経て登頂し、三つ岳、雨池山を越えて雨池峠へと稜線を辿り、坪庭へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 雪山と言う言葉を聞いて人はどんな光景を思い浮かべるだろうか?冷たい風の中にキリッと立つ真っ白い山々、キラキラと光るエビの尻尾、そして一歩一歩凍った雪を蹴散らして登りつめていくアイゼンの足元。でも実際の雪山は、延々たる凍結した通行止めの林道を歩き、樹林帯をラッセルし、重荷に喘ぎ、降り積もった雪を踏み固めて凍ったテントを張り・・・と無限の苦闘の上で初めて、そのキリッとした真っ白い世界との出会いがあります。しかし、北横岳だけは違います。ロープウェイを下り立った坪庭は標高2200mを越え、一歩登った所から西の空を見ると南北中のアルプスが稟として銀色の屏風のように屹立していました。そして、北横岳はまさしく雪山の本当に美しい部分だけを、良くも悪くも経験できる貴重な山です。歩くこと1時間、360度の真の高山だけの展望が見られました。この冬で最も美しい雲一つ無い大展望が幸運にも僕達の前にはありました。普段はトレースの無い三つ岳へのルートも幸か不幸かクッキリと踏み跡があり、森林が続く北八ヶ岳には珍しい岩峰の尾根も容易に到達することができました。ただ一つ、残念だったのは本来、見事な石膏細工のような凍結したコチコチの樹氷の森が続くはずの雪山が、全ての氷を落とし素顔の山となってしまったことでした。しかし、また再びの風雪が山々を覆い、もう、何回目、何十回目かの白い化粧を山々にしてくれることでしょう。
 北横岳、三つ岳と続く尾根は最も手近に雪山本来の雪と風、凍結した山々を体験できる貴重なフィールドです。しかし、一方で、これで終わりの山ではありません。北横岳の山頂から、そしてロープウェイの窓から白く、高く、近寄りがたい美しさと激しさで屹立していた南八ヶ岳の赤岳から阿弥陀岳へと、この尾根は続いているのです。「早く登ってこい」との声が、あの山々から届いてくるようにも感じられました。どこかの本にも書いてあったように、「顔を上げて、もっともっと上を見上げればきっと目指す頂上が見える!」はずです。

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北横岳直下からは南八ツが見えた! 北横山頂 北ア北部がでかい!
北横岳直下からは南八ツが見えた! 北横山頂 北ア北部がでかい!

天狗岳

 以下の者は、2006年1月28日、南北八ヶ岳の接点である天狗岳(2646m)に渋の湯から黒百合平、中山峠、天狗の鼻を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 天狗岳は独特の雰囲気を持つ山です。南北八ヶ岳の接点として、それぞれの魅力を併せて感じさせる山です。南北八ヶ岳の魅力とは、雪と岩の高山の露出感の高い南の峻険な雰囲気と、森林高地がどこまでも広がり点在する小さな湖沼が奥深い山のイメージを創り出す北の雰囲気によって表されます。天狗岳は、中山峠から先の森林限界を越えた抜群の展望と冬山を感じさせる風と、鬱蒼たる見事な原生林の両方を持つ素敵な山でした。12月の声を聞くと同時に、強烈に吹き荒れた風雪の日々が、この日だけは止み冬山としては久しぶりの穏やかな中の一日でした。渋の湯からの原生林の中の一歩一歩の登り、コメツガ、シラビソ、タケカンバの木々から前日に降った小雪がハラハラと落ちる静かな中の登りでした。八ヶ岳は雪山とは思えない多くの人々の訪れる山です。今回も、あたかも舗装道路のようなカンカンと踏み固められた道は、今シーズン開始以来、毎回続いたラッセルの無い久しぶりの楽な道でした。黒百合平から上は、また全く違った世界が広がっていました。冷たい空気と共に、一歩登るごとに広がる展望。木曽駒が見え、御岳山が見え、槍・穂高が顔を出し・・・急峻な雪の斜面の厳しい登りにもかかわらず、それを忘れさせる抜群の眺めが僕達を頂上へと押し上げていきました。そして山頂に立った途端の眼前に大きく広がる赤岳から阿弥陀岳にかけての南八ヶ岳の峻険な山々がドカーンと音を立てそうな迫力で広がっていました。南アルプスも山頂に立って初めて、その大きさを実感させてくれました。360度の圧倒的な展望は、日帰りの忙しい日程でカリカリと登ってきた者への素晴らしいご褒美でした。
 天狗岳は出発の山です。確かに日帰りでは中々厳しい登山ではあっても、危険性の少ない雪山の素敵な部分だけを感じさせてくれる山です。しかし、実際の雪山は、天候の変化一つで、登頂と言う自分の目的と、時々刻々と変わる自然の猛威との間を渡り合う微妙な駆け引きの中にあります。天狗岳から、それらの山々をぜひ、目指していただければ嬉しく思います。

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天狗岳直下!背後に北八ツが大きい 天狗山頂 天狗岳から見た北アルプス!
天狗岳直下!背後に北八ツが大きい 天狗山頂 天狗岳から見た北アルプス!

安達太良山

 以下の者は、2006年1月24日〜25日、東北を代表する美しく、たおやかな山、日本百名山の一つ・安太達良山(1699m)に奥岳温泉から勢子平からクロガネ小屋を経て峰の辻から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 「本当に前進して良いのだろうか?」さんざん悩みながら吹きつのる風と小雪、そして視界を塞ぐガスの中を登っていきました。「本当の空」のあると言われた東北の名峰は、ついに山頂の上には空のカケラさえも見せない天気でした。標高は1700m前後、けして高い山ではありません。しかし、その大きく広がる裾野の雄大さ、緩やかに上下する高原状のツツジや五葉松の原は首都圏の山にはない独特の仄々したものを感じさせます。それにしても、冬型の気圧配置の支配した時の、この山は、何と激しい気象なんでしょう。吹き下ろす風の勢子平を抜けて風雪に霞むクロガネ小屋の見えた時の嬉しさは格別でした。熱すぎるほどの温泉。強烈な硫黄臭と、ちょっと目に入ってもヒリヒリする酸性の温泉は吹雪の音を聞きながら入る本当の「山の湯」でした。ジェット機の爆音を思わせる風の音に負けないようなケーナやオカリナの音、貸し切りの山小屋の夜は楽しい物でした。そして翌日、「峰の辻まで行って様子を見て・・・・」と言う小屋番さんの言葉は、きっと引き返してくるだろう・・・との言外の言葉も感じられました。斜面を少しづつトラバースをして上げていく高度。斜面を変わるごとに風圧も変わり、すこしづつ強くなっていく風。「まだ?まだ?」の思いの末に、一際強まった風の中、ポンと、そこだけ尖った岩峰の上に頂上はありました。全ての物が真っ白いエビの尻尾に覆われた城砦のような山頂は展望なんて何にもない風だけの世界でした。
 安太達良山は、首都圏の山とは全く違った雰囲気を持つ山です。標高を上げた場所は森林限界を越えたような灌木とダケカンバだけの世界が広がり、山頂付近は高山を思わせる岩峰が林立していますが、遠くから眺めるとどこが尾根か分からない、谷かも分からない長閑な光景が見られます。下山を初めて一転、差し込んだ光、下りるほど良くなる天気・・・しかし、それでも山頂そのものは傲然と分厚い雲の中でした。三度来て、三度とも一度も笑顔を見せない冬のこの山。きっと何時か、見事な展望を見たいものです。

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勢子平から見上げる山頂方面 やっと登った風の頂上 鏡石のパーキングからやっと見えた安達太良山
勢子平から見上げる山頂方面 やっと登った風の頂上 鏡石のパーキングから
やっと見えた安達太良山

硫黄岳から天狗岳

天狗岳山頂より銀屏風と化した北アルプス
天狗岳山頂より
銀屏風と化した北アルプス

 以下の者は2006年1月11日〜13日、八ヶ岳核心部の硫黄岳(2760m)に夏沢鉱泉から夏沢峠を経由して登頂し、さらに箕冠山から根石岳を越え天狗岳(2645m)にも登頂し、中山峠から中山、高見石と北八ヶ岳へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 いちはやく厳寒の季節の訪れた今年の山。そして、日本の中でも最も寒気の厳しい山の一つと言われた八ヶ岳。鋭く頬に刺さるマイナス15度の風。けれども、それは木々を美しく霧氷で飾り、岩にエビり尻尾を大きく育て、パキーンと音を立てそうな展望と共に私達に雪山の美しさと楽しさをも教えてくれました。八ヶ岳の魅力は南北の異なった魅力によって支えられています。森林高地が重厚な分厚さで迫り、樹氷の森となってどこまでも続く北八ヶ岳。剥き出しの雪の高山が厳しく立ちはだかる南八ヶ岳。それぞれが八ヶ岳の顔と言えるでしょう。夏沢峠への登りは既に見事な巨樹の樹氷の森の中にありました。静かな雪の森は一転して硫黄岳の登りにかかった途端に別のような風が頬を凍らせます。登ることの厳しさ、足元の不安さより、何よりも厳しく私達の前に立ちはだかったのは冷たい風でした。孤高の登山家と言われた加藤文太郎が「ここは、何故、こんなに風が強いのだろう・・」と書き横岳とのコルでは這って登ったと言う硫黄岳。それほどでは無いけれど風の中の登頂は、それだけに感激でした。黄砂でもあったのか霞の中に赤岳から阿弥陀岳が浮かんでいました。翌朝はパキーンと音を立てそうな快晴の下でした。吐く息の音さえも吸い取りそうな箕冠山への八ヶ岳一の原生林の中の登り、稜線からの昨日にも増した風と大展望の中の一歩一歩。南アルプスが間近に、中央アルプスが横一線に並び、そして北アルプスがクッキリと銀屏風となって並ぶ・・・そんな中の根石岳、天狗岳への道でした。しかし360度の大展望を楽しんだのは僅か5分。強風に煽られながら逃げるように北八ヶ岳の森の中に逃げ込みました。激しい山を鮮烈な思い出と共に越えてきた者には、それを癒すような北八つの「黒い森」は静かでした。高見石への大好きな道。所々出再び開ける展望。そして静かにストーブが煙を上げる高見石の小屋はありました。一部のメンバーで訪れた白駒の池の凍結した美しさ。素朴さを残した小屋の一夜は今回の山の最も楽しい一時です。素敵な展望の中の三日間に感謝したいと思います。

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まるで白サンゴ!夏沢峠の下で 尻・・セード 硫黄岳山頂。全員集合
まるで白サンゴ!夏沢峠の下で 尻・・セード 硫黄岳山頂。全員集合

霞沢岳

ひたすら・・ひたすら・・ラッセル!
ひたすら・・ひたすら・・ラッセル!

 以下の者は、2006年1月7日〜9日、北アルプス南部の上高地の東に聳える不遇の名峰・霞沢岳を目指して沢渡駐車場から南尾根を登り、霞沢発電所調整池を越え1695mピーク、1936mピークを越え、前衛峰である2553mピークを目前とする標高約2410m付近の小ピークまで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年の冬は特別な冬です。昨年から降り続いた雪は山々に大量に降り積もり、何十年も前の本来の冬山の姿を取り戻しています。夏は多くのクルマが停まる沢渡駐車場は寒風の吹きすさぶ中にありました。車道から入った所で付けたワカンは、ついに下山するまで付けたままでした。ラッセルに始まり、ラッセルに終わった雪との格闘に終始した敗退の霞沢岳でした。夏道もろくにない、今回のルートは見事なまでの自然林の中の尾根でした。標高1400mまでは霞沢発電所の調整池の巡視路でした。これがなかなか大変。急斜面をボコリボコリとトレースを付け「アレッ?トレース?」と思って前を見るとカモシカもラッセル中でした。幅広い尾根は広葉樹、とりわけ大きなブナの林立する美しい所でした。所々で二重山稜となって広場を作り、もし、時間があれば泊まってみたい素敵な場所を随所に見せていました。急斜面の始まる手前、風が焼岳の方から硫黄の匂いを伴って吹いてくる森の中に泊まりました。翌朝はヘッドランプで出発。すこしづつ増える雪、尾根を渡る冷たい風、ハラハラと降り続ける雪、その雪を赤く染めて登る太陽。頻繁に先頭を代わり登り続ける斜面、所々で痩せてきて、登り一方の斜面が下りも混じりだしたのは、出発から既に6時間がたっていました。そして雪庇の張り出した小ピークを前に、目の前に大きく聳えた2553mピークを雪の中に垣間見て、ここを到達地点として撤退を決めました。「風の谷」ではカイドの「行ったことの無い所」は基本的に計画していません。創業以来発の未体験ルートへの挑戦でした。今回の撤退は、無念でしたが、けして先に繋げない撤退ではありません。計画した所は何時か必ず登る!これが「風の谷」の原則です。仕切りなおせば必ず登れる・・・確信が持てました。4月上旬。積雪量は増えてもシッカリと雪が締まり、ワカンがビシビシと効く時に、一気呵成に頂上を攻め落とすつもりです。その時、きっと眼前に広がる穂高岳連峰が歓迎してくれるはずです。

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夜明けの空に焼岳? 「風の谷」名物・早朝出勤! 撤退地点。大きな雪庇がはりだしていた
夜明けの空に焼岳? 「風の谷」名物・早朝出勤! 撤退地点。大きな雪庇がはりだしていた

常念岳

ただひたすらのラッセルが続く
ただひたすらのラッセルが続く

 以下の者は2005年12月30日〜2006年1月2日にかけて、北アルプス常念山脈の主峰・常念岳(2857m)に、須砂渡から三股を経て延々たるラッセルの末に前常念岳を超え、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 記録的大雪と言われた年末からの雪。例年ならば、うまくいくと三股までクルマも入ると言う車道が、登山のはじまりでした。出発地点の標高が約600m。そこからすこしづつの上りは、やがてラッセルとなり、ついにはワカンを履くまでの深さとなりました。誰もいないと思った山域の中には、実は先行パーティーがいました。しかし、本格的なラッセルについに彼らが先に立つことはなく、僕たちの手でルートを拓く楽しさは満喫できました。強くは降らなくても絶えずハラハラと落ちる雪。そして頭上高くゴーゴーと吹き続ける風。北アルプスの冬を全身で実感させられた稜線への斜面でした。年末まで徹底的に降り続けた雪と、風でしたが06年は実はかつてない好天の中に明けました。ハラハラと落ちるダイヤモンドダスト。そして、蝶が岳から目指す常念岳までの稜線が、真っ青な空の下に広がる素晴らしい景色が待っていました。そして、穂高岳連峰が顔を出し、ついに森林限界に飛び出した嬉しさ。そこから山頂への道はボコボコと潜る這い松と、岩のみちでした。おそらく北アルプスのすべての山々が勢ぞろいする中の登頂、快晴と雲海とダイヤモンドダストの中の登頂は、お正月を常に山の中で過ごしてきた僕でも、滅多に体験できない見事な体験です。強風の中の山頂からは、すぐ前に槍、穂高が絵はがきのような姿で立っていました。そして、遠く、剣が、白馬が、さらには八ヶ岳や南アルプス、富士山までが並んでいました。最高の展望と共にたった山頂。ラッセルに次ぐラッセルで勝ち取った頂上でした。

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真っ青な空に舞うダイヤモンドダスト 頂上を背に下る 常念頂上
真っ青な空に舞うダイヤモンドダスト 頂上を背に下る 常念頂上。左端の武藤君は
正月合宿連続8年参加

聖岳

はてしないラッセルが続く
はてしないラッセルが続く

 以下の者は、2005年12月23日〜25日、南アルプス南部の日本百名山の一つ、日本最南端の3000m峰である聖岳(3013m)に天竜川支流・遠山川の源流の便が島から西沢渡、薊畑、を経て小聖岳を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 南アルプス南部の12月は、まだ完全には冬山にならず、晩秋のイメージで2000m以下には雪さえ見ないこともある・・・・そんな例年の常識を一気に打ち破った今年の南アでした。当初、予定の赤石岳はアプローチの積雪の関係で最初から断念。かつて、2月に一泊二日で惨敗し、4月にようやくギリギリで登頂した聖岳に転進したりです。しかし、この冬は30年前前後の冬と変わらない厳しい状況でした。小黒川のパーキングから雪。飯田インターも雪の中、そして「日本にもこんな場所があるんだ!」と思わず呟くような上村の集落も新雪の中でした。それでも林道の終点である便が島まではクルマが入り、そこからの登山でした。なんと偶然にも先行パーティーがおり、そのトレースを辿りましたが、その間も細かい雪がハラハラと落ちる中の寒い道でした。それにしても南アの原生林はなんと重厚な事でしょう。一抱え二抱えあるコメツガやトウヒの木々が斜面を埋める中を一歩一歩登り詰めて行くのは南アならではの経験です。そして一晩降り続いた雪と、時折、吹きつける強烈な風雪の朝が訪れました。今日は先行!ワカンを履きジリジリと高度を稼いでいきました。膝を越えたラッセルが股まで達し、遅々として進まない中、風雪の中、それでも稜線を目指しました。稜線に着けば何とかなる・・・との期待にも係わらず雪庇とハイマツの中を時々、ドーンと落ち込む落とし穴は続き「もう、撤退かな?」という場面も何回がありました。しかし小聖岳からはアイゼンとなり、ここからは風との闘いでした。吹き飛ばされそうな強風、すこしづつ凍っていく顔面、そんな厳しい状況の中、僕達は日本最南端の3000m峰の頂上に立ちました。しかし、風雪の吹き荒れる頂上に居たのは僅か15秒。一気に駆け下ってヤセ尾根をコンテで下った時、フイに風が止みガスが晴れ、なんと上河内岳が茶臼岳が光岳が一気に姿を見せました。テントに帰る頃には聖岳そのものと兎岳まで・・・。今回もコッピドク苛められた聖岳。しかし、本来の巨大な南アルプスの冬を全身で感じた充実の三日間でした。

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南アルプスの入山は「かごのわたし」から始まった 暴風雪の中を前進! たった15秒だけいた山頂
南アルプスの入山は
「かごのわたし」から始まった
暴風雪の中を前進! たった15秒だけいた山頂

高水三山

 以下の者は、2005年12月20日、奥多摩入り口にある三つの山、高水三山に軍畑駅より平溝集落を経て常福院のある高水山(759

岩茸石山直下の雑木林。空が真っ青
岩茸石山直下の雑木林。空が真っ青

m)、もっとも展望に優れた岩茸石山(793m)、青渭神社のある惣岳山(756m)と縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩の山と一言で言うときに、一体どこまでを言うのでしょう。高水三山は、奥多摩の山々が登山の対象としての山から、麓の人々の生活の場、信仰の場となっていく最後の高まりであると言えるでしょう。標高はとっくに800mを切っています。雲取山から東京都と埼玉県を分けながら延々と伸びてきた尾根が、棒の折山辺りから1000mを切り、最後に青梅鉄道公園から青梅丘陵になっていく、その中で山らしい雰囲気を持った場所です。林業のための人工林と薪炭のための雑木林が交互に繰り返される、この山は、本当に人々の生活と密接に関係した山でした。林業が不振をきわめている今、どうしても杉や檜の森が荒廃していくのは残念な眺めです。それだけに高水山を越えて岩茸石山に向かう間の雑木林は楽しい雰囲気に満ちていました。それにしても、いきなり冬になった今年の空は見事に晴れて、どこまでも遮る物の無い素晴らしい景色を見せてくれました。高水山の直下からは東京から横浜にかけての都会と海?と思わせる何かが見えました。そして丹沢が大菩薩、また、奥多摩の山々がすこしづつ標高を上げて雲取山まで続いていくのが眺められまし

落ち葉をザックザックと蹴散らして歩いた
落ち葉をザックザックと
蹴散らして歩いた

た。幸運な展望の中に私達はありました。
 高水山は晩秋から早春にかけて可愛らしい美しさを発揮する山です。小さな山でありながら一つ一つが全く違った魅力を持つ不思議な山です。それは、山の魅力だけではありません。山里の魅力、小さな流れの持つ魅力、軒下に下がった干し柿の美しさ、ちょっとした庭先の小さな花、そして降り立った集落の周囲の流れや木々を大切にする素朴な工夫・・・そんな物を含めて、しばらく時間がたつと、何となくまた行きたくなる高水三山です。この山から棒の折山にかけての尾根も素敵です。そして、そこから更に川苔山、本仁田山と続く多摩川北岸の山々は、多摩川を挟んだ奥多摩主脈のような人気はないものの、一つ一つに素敵な楽しさのある山々です。次は早春に訪れてみたい山々でした。

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富士山雪上訓練

 以下の者は、2005年12月17日〜18日、富士山で行われた雪上訓練に参加し、六合目の雪田、七合目の吉田大沢内で厳寒の中で雪山基礎技術を学び、八合目付近まで往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 年に何回と無い本当の寒波の中の二日間。しかも日本で最も寒い富士山での二日間。雪上訓練で最も大切なことは、雪を恐れなくなり、次の雪山のステップを刻むための物であることです。自分の実力が判り、自分はどの程度の雪山までなら安心して登れるのか?どの程度の斜面なら安定して歩けるのか?これらが判ることが大切だと思っています。しかし・・・・、今回の富士山、ちょっと厳しすぎたようです。雪山の楽しさや美しさを知る前に、厳しさだけを学んでしまった・・・・そんな二日間となってしまいました。二日目、七合目で僕の小さな寒暖計はマイナス24度を記録していました。その日の夜、僕達がテントの中に居るとき、富士山頂はマイナス30度を大きく下回ったとか。暖冬が続く最近では、何年も経験していなかった寒さの中に僕達はいたようです。帰って鼻をかんだら何と鼻血混じり。鼻の中が凍り、内部が荒れて出血している始末。いやはや。でも、これだけの寒気の中でも、歩き、登り、訓練をできたことは自信を持ってよいはずです。
 思わぬクルマのトラブルから(本当にイロイロとありがとうございます。)、富士吉田の町から見上げた富士山は、怒髪天を突くの言葉にピッタリのまるで活火山のように雪煙をモーモーと上げ、それはそれで美しくも激しい光景でした。しかし、その中に居ても富士山はけして美しい山ではありません。月世界を思わせる砂礫の山、崩壊を防ぐ目的で設置をされた点在する巨大な堰堤?そして突風に汚れた雪・・・・、しかし、一方で激しい風の合間にかいま見る朝日を浴びて金色に輝く海、夜の美しい夜景、大菩薩、奥秩父、奥多摩と広大に広がる展望。やはり日本一の圧倒的な標高を持つ山であることを実感させられました。
 ちょっと雪山は辛いから・・・・そんな経験にならなければ良い今回の訓練でした。しかし、これは始まりの一歩です。ぜひ、この訓練から次の一歩へ!魅力ある雪山が今日もヒッソリと僕達の訪れを待っています。

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アイゼンのツメもささらない凍結した斜面を一歩一歩下る 地吹雪のなか八合目に向かう

地吹雪のなか八合目に向かう
演出じゃない山田ガイドの顔

これ全然演出じゃない山田ガイドの顔です。
この後がひどかった。とほほ。
アイゼンのツメもささらない
凍結した斜面を一歩一歩下る。
・・・きびしい

守屋山

美しいカラマツ林の中の道
美しいカラマツ林の中の道

 以下の者は、2005年12月13日、南アルプス最北端の「日本で一番、百名山の沢山見える山」として知られる守屋山(1650m)に杖突峠からアカエ沢水源、守屋山東峰を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 中央道は展望の高速道路です。調布から高速に乗って最初は行く手に大きく広がる丹沢、奥多摩、富士山、大菩薩の山々。そして勝沼に入り甲府盆地に向かうといきなり視界一杯に広がる南アルプス、そして八ヶ岳の山々。しかし、今回は抜けるような快晴の下であったのに、どちらも頂上付近を雪雲が覆い、厳しい表情で見下ろしていました。守屋山はけして高い山ではありません。南アルプスが北部に入り、北岳から甲斐駒が岳、鋸岳と峻険な山々を連ねた後、急激に高度を落とし穏やかな山容に変わり、雨乞岳、入笠山と続き、国道の通る杖突峠を越えて最後の最後の高まりこそが守屋山なのです。諏訪盆地の中心・諏訪湖に岬のように突き出した、その位置はけして高い山では無いにもかかわらず、優れた展望台としての独特の場所を提供してくれています。
 杖突峠の駐車場も雪の中でした。まだ12月の中旬としては異例の雪の多さです。ついに下山するまで土の上を一切歩かなかった雪の山歩きが可能でした。季節風の吹く西の方角だけに綺麗に正確に雪が吹きつけられたカラマツ林を抜けて、春にはザゼンソウで知られるアカエ沢を渡りました。アカエ沢は苔の上が凍り、独特の景色を見せていました。急斜面を登り詰め、シラカバがダケカンバに変わる頃、前方が大きく開け眩しい東峰に飛び出しました。360度の明るい山頂は、しかし眩しい太陽の光の中にあっても、見えるはずの北、中央、南の各アルプスは分厚い雪雲の中にありました。八ヶ岳も下は見えるものの、山頂付近は雲の中・・・唯一、霧が峰から美しが原にかけての、たおやかな稜線が、そこだけ光を受けて独特な美しさを見せていました。東峰から三角点のある西峰にかけての尾根こそが最も雪の綺麗なブナ林の続く楽しい道でした。そして西峰に出る頃、すこしづつ雲が取れ、「風の谷」の大好きな北八ヶ岳の山々が顔を出しました。
 風は冷たくても、気温は低くても、明るい雪の山は不思議と暖かい感じがしました。キュッキュッと鳴る雪の音、梢を揺する風の音。楽しい雪の一日でした。

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富士山雪上訓練

次々と滑落停止
次々と滑落停止

 以下の者は2005年12月10日〜11日の富士山に於ける雪上訓練に参加し、五合目、および七合目で歩行技術を中心とした訓練を受けたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 暖冬の続いた、ここ数年の身には驚くほとの冷たい空気と季節風の中の二日間でした。まだ寒さに身体の馴染んでいない身にはマイナス15度は極地のように感じられました。12月初めの真っ白な富士山、ライブカメラでも白かった斜面、そして富士吉田の駅近くにもあった雪・・・馬返しからの登りも雪の上・・・それからすると、森林限界を越えた所の雪の少なさは驚きでした。雪が降らなかったわけではなく、強烈な冬型の風が遮る物の無い斜面からフワフワした全ての雪を下の森の中に吹き運んでしまったのでした。初日のネコの額のような雪田での訓練、二日目の強烈な風のせいで上部に上がることを躊躇した後の最大の雪田での訓練、なかなか広大なバーンでのトレーニングと言う本来の富士山雪上訓練はできなかった事を残念に思います。限られた条件の中で、雪上訓練はキックステップ、アイゼン歩行を確実に行えるような訓練を中心としたものとなりました。僕は結果的には、それが良かったと思っています。どんなに大きな山、標高の高い山、困難な登攀と呼ばれる登山であっても、しょせんは二本の足を交互に出し登り降りてくるのが登山です。その基本を徹底的に行うことに力の多くを注ぐことができたのは、きっと近い将来に役にたつことと確信します。
 富士山は眺めて美しい山であっても、けして、その中にいて楽しい山ではありません。砂礫の堆積の上の山頂、強風の中でしがみつくように生えているダケカンバ、そして吉田大沢の崩壊を防ぐ目的で随所に巨大ビルのように斜面を埋める堰堤、点々と登山道の両脇を埋めつくす山小屋・・・。けれども、この雪の斜面から日本の雪山登山の最初の一歩を刻んでいった人間が沢山います。そして、ヒマラヤやアンデス、カラコルムの高峰を目指す者は、この山頂に通うことで高度順化のイロハを学んできました。言わば、この山は登山者を育て、もっと高い所、もっと困難な所へと導く山です。その最初の一歩を踏み出していき、この山から出発していくことを願います。この冬こそ、本格的な雪山の一歩を踏み出してください。

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北横岳

 以下の者は、2005年12月6日〜7日、北八ヶ岳の盟主である北横岳(2480m)に坪庭より七つ池を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 暖冬と言われつづけた今年ですが、どうやら、本格的な雪が山々にやってきたようです。11月に入ってから降っては止み、溶けては積もり続けた雪は、12月の声を聞いてから一気に山々を埋めていったようです。茅野の駅前は白く化粧し、見上げる八ヶ岳の山々は既に真っ白になってました。昨年も一昨年もクリスマスとなっても雪を付けない山々に気を揉んできた経験からすると、十数年前の冬が戻ってきたような気持ちにもなります。エビの尻尾が建物全部を覆い白い城砦のようになったロープウェイ駅は既にマイナス10度以下。キンキンと音を立てそうな寒さの中です。でも・・・不思議。先週の御座山より更に10度近くも寒いはずなのに、先週の方が寒い気がする。雪と雪景色は実際の寒さにもかかわらず、奇妙な暖かさをもっているように感じました。冬の最初の雪とは明らかに違う乾いたフワフワとした雪が坪庭の溶岩台地を埋めています。悪い天気では無いのに、気がつけばハラハラと粉雪が舞っています。まるでクリスマスツリーと化したコメツガ、モミ、シラビソの森、白サンゴのようなダケカンバの木々、そんな中を登り詰めて呆気なく着いた北横岳ヒュッテ。小屋下の七つ池は深い雪を踏み越えての雪原でした。楽しかった忘年会の一夜が明けて、真っ青な空の下に去来するガス。登り詰めることわずかで飛び出す森林限界からは、思わず息を飲む見事な展望が僕達を歓迎してくれました。背後に雲海の上に聳える八ヶ岳、その右に北岳、甲斐駒、仙丈岳と屹立した南アルプス、ほぼ全貌を見せた中央アルプス、そして槍・穂高を中心とした圧倒的な迫力を持つ北アルプスの山々。安定した晴天の下ではなく、強い冬型の合間にキラリと見えた得難い幸運を満喫した山頂でした。誤解を恐れずに言えば夏とは全く異質な独特の美しい世界としての雪山の世界が、迫力満点で広がっていました。しかし、本当の偶然だったようです。その朝まで分厚い雲の下にあった北横岳。そして下山した茅野の町から振り返る八ヶ岳は、すでに雪雲に厚く覆われていました。再び、新しい雪が今までの雪の上に更に更に積み上がっていくはずです。新しい季節、刺激的な季節の到来をタップリと味わった北横岳でした。

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いち早く樹氷の森ができあがった 北横岳の南峰から北峰。まるで白いサンゴの森

北横岳の南峰から北峰。
まるで白いサンゴの森
真っ白な槍から穂高の展望は北横岳が最高

やっとこの季節がやってきた。
真っ白な槍から穂高の展望は北横岳が最高
いち早く樹氷の森ができあがった

御座山

頂上直下は「清め」の塩でもまいたような雪の中でした
頂上直下は「清め」の塩でも
まいたような雪の中でした

 以下の者は、2005年11月30日、佐久地方の最高峰であり日本二百名山の一つである展望のピーク・御座山(2112m)に白岩から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

  御座山は何となく気になる山です。例えば奥秩父の金峰山から八ヶ岳の右に浅間山の隣に大きく立っている山、甲武信岳からは八ヶ岳と重なるようにある山、そして八ヶ岳からは手が届きそうな近さで目立つ独特のピークです。そこは、西上州の南西、奥秩父の西、八ヶ岳の東に位置する所です。展望の素晴らしさとシャクナゲの森にもかかわらず、僕達の登った日はついに誰にも逢わず、山頂の雪の上には踏み跡一つ無い静寂の山でした。それは、地元の人以外にとってはあまりに遠いアプローチのせいかもしれません。2000mを越える堂々たる山であるにも係わらず、不遇の山と言葉がピッタリの山の一つです。この付近に共通する「まだ、こんな高さまで高原野菜の畑?」と感心するギリギリの高さまでの畑。その終点からの登りはカラマツの中でした。稜線に出た途端の耳が千切れそうな寒風り洗礼を受けました。風上と風下の気温の違い、足元の霜柱も全く溶ける気配も無くカンカンと音を立てそうな固さの道でした。カラマツの金色の針のような落ち葉、ガサゴソと賑やかに鳴る広葉樹の落ち葉、落ち葉を蹴散らす賑やかな道はやがで原生林の中に続きました。2000m近くなり葉を落としたダケカンバの美しさ、そして強い冬型の天気の下に黒雲を頭に乗せていても、周囲を埋めつくす大きな山々の眺め。それは山頂まで続きました。最後の登りはゴマ塩をふりまいたような冷えきった乾いた雪が地面を埋める中に続きました。上州の山々に似た岩峰。露出感の高い周囲を遮る物の何もない素晴らしい山頂に飛び出しました。正面に大きく雪を被った金峰山、稜線を分厚い雪雲に覆われた八ヶ岳。そして所々で山の姿も想像できる南アルプスの山々。すっきりした冬晴れの展望では無かったものの、360度の展望を楽しむことができました。僕自身は最も目をひいたのはキツネ色に広がった奥秩父北部から上州の山々の点々と無名の岩峰を林立させた光景でした。この山から北の山は全て雪雲を頭に乗せて次の季節がそこまで来ていることを教えてくれました。途中、僕達の目を奪ったのは道端全てを覆うシャクナゲの森でした。開花の時期に近くの四方原山、茂来山等と併せて訪ねたい御座山でした。

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阿弥陀岳南稜

P3の正面壁の登攀
P3の正面壁の登攀

 以下の者は、2005年11月26日〜27日、広河原沢から南稜のコルを経て立場山を越えてP3正面壁を登攀し、阿弥陀岳(2805m)に登頂し、山頂でビバーク訓練を行った後、御小屋尾根を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

  山の冬は一歩一歩ではなく、一気に急激にやってきます。八ヶ岳に本格的な冬が訪れたのはつい、先週のこと。全山が雪に見舞われ、その後は、ガスが立ち込めるたびに山々を覆う真っ白な樹氷は氷の粒となって山肌を埋めていきました。そんな中の阿弥陀岳南稜の二日間でした。南稜は、茅野の町中から八ヶ岳を見る時、最も目立つ尾根です。茅野市内から実は赤岳は見えず、最も高く見えるのが阿弥陀岳。その右側、ゴツゴツと岩峰を立てながら大きく落ちていくのが他ならぬ今回の南稜です。ガクンと落ちるのがP3。最後の高まりが立場山です。立場山を越えるまでの延々たる登りとシラビソ、コメツガの創り出す独特の幽玄の世界を越えるとドカーンと前に立ちふさがる権現岳から赤岳、横岳の主稜線と目指す阿弥陀岳。少ないとは言っても雪をまとった、八ヶ岳の稜線の近寄りがたい峻険な気配は独特の魅力があります。無名峰を越えて尾根がダンダンと痩せてついに関門のように立ちふさがるP3。今回は足並みも揃い、通常の左のルンゼを行くのでは無く、正面のフェースを登攀しました。正面壁はホールドも大きくけして難しい岩場ではありませんが、八ヶ岳特有のボッコリと剥がれる岩は時として恐ろしく、トップはそれなりの緊張と共に乗り越えました。ここから阿弥陀岳山頂までは適度な緊張と一歩ごとに広がる展望、赤茶けた地肌に南八ヶ岳に居ることを満喫しながらの登りでした。
 今回のもう一つのテーマは山頂でのビバーク。茅野の町の町明かりと星空の下のビバークはそれなりの魅力がありましたが、夜半からガス。時折、小雪の舞う風の山頂の剥き出しの泊まりは、それなりの困難と共にありました。夜中、起きてガスの向こうに見える北アルプス?と思われる方面は強い寒気に伴う雷の光が見えました。普段は朝の光の中にツェルトを畳むビバークですが、今回は、いち早く起きてヘッドランプで下降を開始しました。顔を打つ風の中、一歩一歩暖かい下界に向けて降りていくのは独特の楽しさがあります。雪山の厳しさをいち早く感じた二日間でした。

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秩父槍が岳

急な尾根を登りつめてまさしく秩父の槍が岳
急な尾根を登りつめて
まさしく秩父の槍が岳

 以下の者は、2005年11月22日、奥秩父の十文字峠越えルートの北、シャクナゲ尾根上の不遇の岩峰・秩父槍が岳(1391m)に中津川渓谷の相原橋から展望台のある尾根を経由して登頂し、さらに1461m手前の展望のピークにも足を伸ばし中津川集落へと下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

  秩父から上州にかけて大きく広がる無名の岩峰の林立する地帯。その中にあっても、秩父槍が岳は見事に天空を突き刺す美しい山容と周囲の渓谷美の素晴らしさで際立っています。僕はかつて「奥秩父のマッターホルン」として「多摩周辺の名山」であるとして紹介したことのある山ですが、やはり、その遠さと峻険な山容は、なかなか一般的な登山コースとしては成り立たないようです。つい、10日程前までは、首都圏でも屈指の美しさで知られる中津川渓谷は紅葉見物やカメラマンで一杯でした。それが嘘のような静かさと晩秋ならではのカーンと音の出そうな完璧な青空の下に僕達は相原橋に立ちました。「地図読み」も含めて見上げた秩父槍が岳は、あまりにも見事に「槍」で、「本当にあんな所に登れるの?」との顔をほぼ全員がしていました。谷間にはまだ太陽の光は届かず、小滝やナメ滝をかけて続く相原沢は「野鳥観察の道」として一度は手が入れられたようですが、今は「通行止め」の看板と共に文字通りの自己責任の自分達でルートを決める道でした。展望台から登り詰めた尾根は、上に行くほど急峻でついには「落ちたら怪我じゃあ無い」雰囲気となってザイルを使用しました。岩場の登りより、むしろ急峻で不確かな土壁のほうが危険な感じがしました。中津川を挟んでの両神山がゴツゴツとした岩を並べて肩を並べてきて、一層の厳しさで斜面が前に立ち塞がるのを乗り越えて針葉樹の中に傾斜が落ちると、あの峻険な山容からは想像もできない何の展望も無い山頂でした。そこから15分ほど先のこの辺りでは最高地点・1461mピークの一つ北側のピークは和名倉山から奥秩父主脈東部が大きく眺められるホッとできる場所でした。僅かな距離、700m足らずの標高差の登山でしたが、全力で格闘して到達した山頂はやはり素敵でした。奥秩父主脈を何時もとは違う北側から眺め、渓谷と森の印象の強い奥秩父の違う顔としての岩の雰囲気、しかもアルプスとは全く違う岩峰を味わった秩父槍が岳でした。

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五竜岳

 以下の者は、2005年11月19日〜20日、北アルプス・後立山連峰の中核的なピークである五竜岳を目指して遠見尾根をアルプス平から小遠見山、中遠見山、大遠見山、西遠見山と越えて、2300m付近まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 たしかに山は雪だとの認識はありました。けれども、歩き出しから雪の道で、一気に深くなり、森林限界近くでは腰から胸までのラッセルになろうとは思ってもいなかった五竜岳の二日間でした。「五竜岳ってどんな山の形なの?」そんな疑問が当然のように湧いてくる、全く山の形も見えず、山名の由来と言われた武田菱なんかは、その影さえも見えなかった天気。そして山から降りるとサンサンと太陽の照るギャップ。「あぁ、そう言えば雪山ってこんなだったなぁ。」と改めて半年前までの雪の季節を思いださせられました。行きの車の中からも松本までは雲一つ無い天気、それが大町が近づくと怪しくなり、青木湖を越える頃から今年最初の冬の便りが車のフロントガラスに当たりました。そして歩きだしから降っていた雪は、途中、太陽や月が見え、星が夜空に見えていても一瞬として止むことはありませんでした。しかも、その雪は、衣服に付いて溶けるような下界の雪ではなく、雪印マークの結晶がそのまま綺麗に残る冬の雪山の雪でした。遠見尾根をわたる風はゴーゴーと音を立てて「雪山の季節が始まったんだ!」との思いをかき立てます。
 あらためて思うのは、ついにアイゼンを使わなかった山だったこと。ワカンに始まってワカンで終わった感の強い山でした。先行していたパーティーのテントを越えた西遠見山から先は、一気に雪は増え、雪庇さえも張り出し、しかも全く雪の無い状態の上に、この数日だけで降り積もった雪は全く馴染まず、所々では雪崩の恐怖さえ感じる白一色の斜面を切り崩し、踏み固め、一歩を踏み出す後立山本来の雪との格闘技との出会いでした。標高差にして200m。夏なら30分の登りが登り切れず、精根尽き果てて山頂に背を向けました。しかし、いち早く今年最初の本格的な雪に翻弄されたことが、何故か爽快な気分だっのは僕だけでしょうか?「やっぱり雪山は容易では無い」との思いが中々の相手と渡り合って、なおかつ追い返された畏怖の気持ちが、そうさせるのかもしれません。雪山の始まり、ワクワクする季節の始まりを感じさせた遠見尾根でした。

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今シーズンの雪山はワカンをつけても腰を越えるラッセルから始まった 西遠見を越えて下りると雲に切れ目も・・
今シーズンの雪山は
ワカンをつけても腰を越える
ラッセルから始まった
西遠見を越えて下りると
雲に切れ目も・・

滝子山

平つ沢のナメ滝
平つ沢のナメ滝

 以下の者は、2005年11月16日、大菩薩連峰の南端の山であり、山梨百名山の一つである滝子山(1620m。三角点は1590m)に大鹿川から道証地蔵を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 大菩薩嶺からすこしづつ標高を落としながら、南に向けて下りてきた稜線。途中で小金沢連嶺をおこし、南大菩薩の草原地帯を創り出してきた尾根が中央線の走る谷間に落ちる最後の高まりが滝子山。中央線の車窓から大きく三つのピークを見せる美しい山容は憧れの山の一つです。今年は、とうとう秋が来ないままに冬になってしまった・・・・。そんな気がする晩秋の一日でした。寒々とした山里の中を辿り、平っ沢に沿った道を辿った最初は杉の植林の道だったのが、美しいカエデやモミジの広葉樹へと変わり、今年初めての彩りの道をたどったのは僅かの時間でした。アッと言うまに葉を落としたガサゴソと賑やかな音の道に代わり、やがて、カラマツの黄色の針がキラキラと落ちる中の登りに代わり、そして最後に「えっ?まさか?」の白い斑点が道の上を覆うようになりました。白いのは雪!今シーズンの「やまあるき」で最初の雪との出会いでした。しかし、晩秋の雪は東京の春の雪と似て、踏みつける端からビショビショと濡れる雪でした。そして木の上に残った雪は太陽を浴びると

今年最後?の紅葉と平つ沢の滝 霧氷と雪。今年最初の出会いだ
今年最後?の紅葉と
平つ沢の滝
霧氷と雪。
今年最初の出会いだ

共にポタポタと僕達の上に落ちてきました。そして頂上直下では木々には樹氷が凍りついていました。晴天の下の展望を期待した山頂では、寒気の影響で高い山は全て分厚い雲の中、それでも北に広がる大蔵高丸や大谷が丸の明るい草原や大きく広がる甲府盆地の町並みがありました。それにしても、平っ沢に沿った道は素敵でした。僅かな距離でも、色とりどりの紅葉・・・恐らく、今年最後の紅葉が色とりどりに染めた谷は随所に滝をかけて、秋の渓谷の美しさを満喫できました。滝子山をめぐる多くのルートの中でも登山道のある道としては、最も変化に富んだ楽しいコースであると確信しました。滝子山は大菩薩から続いた尾根の末端の山です。今年の初夏に柳沢峠から丸川峠を経て大菩薩嶺へ、そして更に大菩薩峠に一泊し小金沢、南大菩薩と足を伸ばしました。滝子山まで僅かの所で山を下りてしまいましたが、てきれば陽の長い季節に大菩薩峠から繋げて歩いてみたい山です。そんなことを思わせた晩秋の、そして初冬の滝子山でした。

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赤岩岳

 以下の者は、2005年11月13日、奥秩父北端であり西上州南端でもある両神山から続く西に続く岩稜の赤岩岳(1440m)に赤岩峠から登頂し、最高峰・1583mピークを越えてP1からP4までの岩峰を越えて八丁峠まで縦走したことを証明し

P4直下。もう難しいところは終わりに近い こんな岩稜が続く
P4直下。もう難しいところは終わりに近い こんな岩稜が続く。
決定的に難しくはないが緊張は続く

ます。

氏名 風 の 谷

 アプローチの中津川の渓谷沿いの道は、随所にカメラマンで一杯。ノロノロ走るクルマに「何で、こんな辺鄙な所で渋滞?」と思っていたら、これが紅葉の写真を撮るカメラ愛好家の群れでした。それほどの紅葉が埋めていた谷も、稜線では、ガサゴソと派手な音を立てる落ち葉の山に変わっていました。上武国境と呼ばれる、この山々は、両神山に代表される原生林と岩稜が続く独特の山です。この赤岩岳にしても、その周辺の一つ一つのピークそのものは個性的で、けしてP何とか・・・で片づけられない立派さですが、名前もなくヒッソリと僕達の訪れを待っていました。この先も天丸山、南天山位は名前が付いていますが、その他は何れも訪れる者も無い静寂の中にあります。しかし、その山頂からの展望は大きく、木々に覆われた岩峰のため派手さこそ無いものの、適度な緊張感の中に楽しい一日を過ごせる見事な山が沢山あります。西上州にかけては、交通の便は更に悪いために、なかなかの名山が埋もれています。今回の赤岩岳は、距離にして2〜3キロの間に無数の小ピークが立ち並び、その一つ一つの通過は難しくは無いものの、南北の切り立った岩壁を持ち、スリップや転倒の許されないなかなの面構えの山でした。時折、休みの時に見上げる山々は奥秩父の甲武信岳から雲取山が南に黒屏風のように立ち並び、北に上州の見知らぬ山々が林立し、見下ろす谷は紅葉で美しく染まり見事でした。朝には遠く御座山の後ろに白く雪化粧した(みんなは「見えない」と言ってましたが)八ヶ岳も顔をだしていました。眼前には両神山の美しい稜線が屹立し、なかなかの山であったと思います。
 上武国境付近の山、とりわけ両神山の近くの稜線は何れも同様な厳しさと楽しさと展望の良さを持った素敵な稜線です。シャクナゲの咲く初夏、紅葉の秋、そして沢と繋げて独特なプランが縦横に楽しめる場所です。様々な角度から、この山域の魅力を満喫したいとの思いがします。晩秋の気配が、朝晩にかけては初冬といった表現のほうがピッタリの独特の季節を味わった一日でした。

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長沢背稜縦走

長沢山の登りから雲取山を振り返る
長沢山の登りから
雲取山を振り返る

 以下の者は、2005年11月8日〜9日、東京都最高峰で唯一の2000m峰、日本百名山の一つである雲取山(2017m)に奥多摩湖畔・小袖の集落からブナ坂を経て登頂し、東京都・埼玉県県境をなす長沢背稜を芋の木ドッケから長沢山(1738m)を経て水松山を巻き、酉谷山(1718m)に登頂し、三つドッケ下まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 雲取山に向かう道すがら、ブナ坂下まで随所にあった美しい紅葉。それが一晩にわたって吹き荒れた木枯らし一番によって、はかなくも消え去ってしまいました。この秋、異常とも言える悪天の下で、ついぞ見なかった真っ青な空。その下に二日間にわたって山を楽しめたことを心から嬉しく思います。雲取山から東京都と埼玉県を分けながら延々と伸びる尾根。その西半分を「長沢背稜」と呼び、奥多摩の中でも最も人の訪れの無い静寂の中に自然林の織りなす独特の空間を広げています。何時かは行ってみたい・・・、何時かは、行ける所まで行ってみたい・・・そんな思いをかき立てる長大な山脈です。けれども、一方で、エスケープは酉谷山から日原鍾乳洞へむけての道が一本のみ。それとても、けして良い道ではなく、「風の谷のやまあるき」で実行動時間だけで9時間近い縦走が可能かどうか、悩んだ末の今回の縦走でした。歩いてみて、晩秋から初

遠くオレンジ色に光るのは太平洋 今年初めて見る冬の便り
遠くオレンジ色に光るのは太平洋 今年初めて見る冬の便り。
苔の上に霜がのっかってます。

冬へのキラキラと眩しい乾いた晴天の下に石尾根から奥多摩の全ての山々、そして秩父を巡る山々を中心にした雄大な展望と、シラビソ、コメツガから始まって、高度をやや下げると共にブナやミズナラが現れ、終始ダケカンバが、これらの木々に彩りを添える中での延々たる大縦走でした。見下ろす秩父の町並みは近く、奥多摩と秩父が意外なほどに身近な物であることを実感させられた道でした。現在では、かすかに三つドッケの更に先、仙元峠のみが道として存在する以外は一切の交通手段は遮断されているのですが・・・。9日の朝は氷点下に下がり、この季節最初の小屋前の水場の凍結と出会いました。もう、冬は目の前。冬こそは展望の季節でもあります。見下ろす東京の町並みの果てにキラキラと輝くオレンジ色に朝日を浴びた東京湾がありました。富士山と東京湾。0mと3776mの両方をクッキリと見ながらの素敵な縦走でした。

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三つ峠登攀訓練

クーロアールルートの出口 ガンバってます
クーロアールルートの出口 ガンバってます

 以下の者は、2005年11月3日、三つ峠の岩場での終日に渡る登攀講習で多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 こんなに空いている三つ峠も珍しい、不思議な一日でした。「晴れの特異日」・文化の日。快晴ではないものの、時折射す陽射し、この二三日晴れた岩場は乾き、極めて快適でした。それなのに、僕等の他には2パーティーのみ。他のパーティーの存在を気にしなくて良い素敵な一日でした。早朝の登り道は今年初めて出会う霜柱の道でした。それだけに寒い、冬の気配の中の岩登りでした。今回は優れたガイドである木本哲さんにお手伝いいただいて、ゲスト2名にガイド1名の内容豊かな講習ができました。「とにかく、沢山の様々なタイプのルートを登る。」ことを目標とした一日でした。三つ峠の岩場の特徴は、良く整備された支点と、下から上まで4ピッチ前後の高度差の本チャンに近い形の登攀を安心して行える貴重なゲレンデです。この岩場を丁寧に登る中で、「登る技術」以上に、岩場での確実な確保のシステムの習得、落石に対する配慮、ザイルの流れやセカンドの登りをサポートするようなランニングビレーの設置等を
四季楽園のテラスからは岩場がよく見える
四季楽園のテラスからは岩場がよく見える
身につけることが大切です。丸一日、ひたすら目の前のザイルを追いかけるだけの一日だったかもしれませんが、その中でも何か一つは身につけて本来の大きな岩場に向かう為の基礎になるような講習だったら嬉しく思います。今回、二パーティーに分かれて登ったルートは、中央カンテ、権兵衛チムニー、V字ロック、クーロワール、紅葉おろし、都岳連ルート、T字クラック、19番クラック等は何れもけして簡単なルートではありません。どこかに一か所は「あれれ?どう登るの?」という部分が存在し、単純に手足を伸ばせば登れる所だけではない一工夫が必要です。大切なことは、その一工夫を経験として蓄積し、今回登ったルートを自分自身でリード登攀が可能なように練習することです。三つ峠の岩場を上手に登下降することが目標では岩登り本来の魅力は判りません。目指す山の最も魅力あるルートとしての岩登りに挑戦するための技術として登攀を自分のものにしていただきたいものです。
 今回の講習は、木本哲さんの手抜きなしの、まる一日の徹底した指導による部分が大でした。ほとんど休みなく、ひたすら岩と格闘した晩秋の一日でした。

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御前山

頂上直下。やっと白くなった富士山と対面
頂上直下。
やっと白くなった富士山と対面

 以下の者は、2005年11月1日、奥多摩主脈の中核、奥多摩三山の真ん中の山である御前山(1405m)に奥多摩湖畔から南岸を辿り、水久保沢出合い下からサス沢山付近に出て大ブナを尾根を登り惣岳山を経て登頂し、湯久保尾根を下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

下山中のお地蔵さん。カワイイ 大ブナ尾根の防火帯は広々している
下山中のお地蔵さん。カワイイ 大ブナ尾根の防火帯は広々している











 やはり今年の紅葉は遅れているようです。本来ならば山頂付近では盛りを過ぎているはずの紅葉。それが、まだ所々で緑の葉さえ残していました。実に何ヵ月ぶり?とも思う完璧なまでの晴天。カラカラと音を立てそうな乾いた空気と真っ青な空の下、どこに行っても楽しいだろう一日の中に御前山はありました。奥多摩のど真ん中とも言うべき奥多摩湖のダムからは御前山から小河内峠、月夜見山、そして三頭山までの山々が秋の空気の中に湖に姿を落として並んでいました。「御前山のカタクリ」として、あまりに有名になった4月の御前山。それが幸いしてか、素晴らしい好天にもかかわらず私達以外にバスを降りたのは一人。ほぼ貸し切り状態の一日でした。やっと訪れた感のあるキリッと寒い風。カサコサと音を立てはじめた落ち葉、大ブナ尾根に向かう道は急坂でしたが、背後にすこしづつ大きくなっていく石尾根を中心とした展望に励まされて空がどんどん大きくなっていく登りでした。本来の大ブナ尾根と合流する辺りからのブナ、ミズナラの創り出す明るい雰囲気。防火帯の公園のような美しさは独特です。大岳山から御前山、三頭山にかけての奥多摩の背骨とも言うべき山は、やはり独特の魅力があります。頂上直下、西に大きく雲取山から飛竜山、そして長沢背稜の山々等が大きく見える場所での昼食は、キラキラと明るい太陽の下でした。誰もいない山頂から湯久保尾根へ。40年近く前、初めて僕が歩いた時は延々たるカヤトだった尾根は、今は昼なお暗い杉、檜の植林の道です。途中から久しく廃道に近かった北秋川最奥の集落・藤倉への道に変え、明るい雑木林から山里の中に降り立ちました。道に点在する六地蔵、馬頭観音、そして色づいた柿の木が古くから続いた山の暮らしを教えてくれていました。この周辺、小河内峠や湯久保尾根のカヤ原が植林の暗い森に変わったり、周遊道路の爆音が絶えず微かに聞こえる等の変化はあるものの、やはり奥多摩の良さを最も残した場所との印象を強くした一日でした。

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両神山

 以下の者は、2005年10月25日〜26日、奥秩父北端に位置する日本百名山の一つである両神山(1723m)に日向大谷より清滝小屋に宿泊し、両神神社を経て登頂し剣が峰に立ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 原生林と渓谷のイメージの強い奥秩父の中にあって両神山は独特の存在です。遠くから眺める時、ゴツゴツした岩のイメージ、四方に延びた人跡未踏の岩尾根は、未開と立ち入ることの困難な厳しい雰囲気で立っています。奥秩父主脈からは遠く離れ、荒川水系の水源の一つであるという場所、群馬県との県境に近く、むしろ山容からは西上州の山を思わせる物を持っています。厳しい岩稜が四方を固めていても、それらは鬱蒼たる原生林に覆われて、あたかも山水画を思わせる奥深い雰囲気を創り出しています。それにしても、東京からは何と行きにくい山でしょうか。公共交通機関を使うならば、秩父から小鹿野、そこから村営バスに乗り換え日向大谷口、そこから徒歩で日向大谷。僻遠の地から始まる両神山の登山。深い薄川の清流を見下ろし、何回にもわたって渡り返しすこしづづ高度を上げていくアプローチ。風の音さえしない静寂の一夜。そして、谷間の彼方に朝日が登り、一歩、また一歩と登り詰めていく山頂への道。一転して急坂となり、鎖が現れ、オオカミを神様と祭る神社が現れ、その最後の最後に立つことのできる山頂は360度の展望の中にある樹海の上に立つ岩峰の上にありました。北に大きく広がる奥秩父主脈の黒々とした山並み、遠方の山は見えなかったものの西上州の未開の山々の広がり、足元の大きく広がる紅葉した樹海の広がり・・・・。そして何よりも両神山周辺の一つ一つの山には名前さえもない○○メートルピークとしか呼ばれる事の無い無名のピークの連なり。これらの両神山山頂から奥秩父主脈の間に広がる広大な空間。その山襞の一つ一つに食い込む様々な滝を持った渓谷。ここに本来の原生林の奥秩父の姿があるとも思います。
 実は縦横無尽に尾根が走り、谷が食い込み、志のある登山者には無限の可能性をもった両神山。その中で上手にラインを選び、困難を避け続いた日向大谷の本来の登山道。春のアカヤシオから始まり、盛夏の渓谷、秋の紅葉と見事なまでの楽しみをコノハズク(ブッポウソウ)の声と共に届けてくれる素敵な空間に二日間を過ごせたことに感謝します。

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四方に無名のピークを林立させる 山頂付近は見事な紅葉 山頂自体もちょっとスリリングな両神山
四方に無名のピークを林立させる。
一つ一つの山がなかなかステキ!
山頂付近は見事な紅葉 山頂自体も
ちょっとスリリングな両神山

稲子岳

本当の北八ツ・・のあるカモシカヶ原
本当の北八ツ・・のあるカモシカヶ原。
初夏には池。夏にはお花畑。冬は雪原になる。

 以下の者は、2005年10月18日〜19日、北八ヶ岳の登山道の無い不遇の岩峰である稲子岳(2380m)に稲子湯先からコマドリ沢を経由し、シラビソ小屋に宿泊して登頂し、稲子岳と中山峠の間に広がる秘密の凹地・カモシカが原に到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 森林高地として知られる北八ヶ岳。そのたおやかな雰囲気は北欧の原生林を思わせる広がりを持っています。コメツガ、シラビソ、ダケカンバの木々が林立する森は、その下に生涯を終えた木が倒木となって累々と折り重なり、更にその上に分厚い苔が覆い、独特の緑の広がりを見せています。そして、その原生林の広がりの間に所々に点在する大小の池や湖、森の見張り台のように突然立ち上がるニュウや高見石等の岩峰。稲子岳はそんな岩峰の一つです。南東に岩壁を従え、山頂付近はコマクサの群生する砂礫地を持ち、主稜線とは離れた孤高の存在として、この付近を愛する者達の憧れの山です。一方、この山は何故か登山道は無く、一本の指導標も山頂を示す看板も無く、微かな踏み跡を追い、倒木を越え、急斜面を登って初めて到達できる地でもあります。それ故に、失われた本来の北八ヶ岳の森の広がりを最も深く感じることができ、他の登山者の姿を一切見ない山と言えるでしょう。例年ならば、落ちているはずの紅葉が最も美しく光る中での稲子岳でした。本来、麓がカラマツの黄葉に覆われる時期ですが、暖冬の影響か、山頂こそが秋の気配の中にありました。去来するガスと、時折、顔を見せる太陽の下に、結局、一歩主稜線から離れているがこその、迫力ある八ヶ岳の大展望はありませんでした。しかし、「まだ、こんな静寂の山頂があったんだ!」の思いは広大な砂礫の広がりと共に頭に焼きついた事と思います。そしてカモシガが原。「誰も知らない小さな国」とも言うべき、小広い独特の広がりは、稲子岳より更に訪れる者の無い秘境中の秘境です。周囲を屹立した山の斜面に囲まれた不思議な場所。雪解けの季節には小さな池となり、夏には花が埋めつくし、冬には雪原と化す人跡未踏の地と言って良いでしょう。オカリナの音が周囲のダケカンバの黄色の中に溶けていくような感じでした。小屋が林立し、車道が所々に走る現実の北八ヶ岳が昔にタイムスリップしたような稲子岳とカモシカが原の二日間でした。

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三頭山

 以下の者は、2005年10月12日、奥多摩主脈であり奥多摩三山の最高峰である三頭山(1527m)に奥多摩湖ドラムカン浮橋からイヨ山、ヌカザスの峰、入小沢の峰を経て登るオツネの泣き坂ルートを辿り登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 この30数年で奥多摩の山々を大きく変貌しました。かつての山里の風景は大きく変わり、谷に無数にあったワサビ田は姿を消し、堰堤が取って代わり、見事だった雑木林の山肌に随所で林道や車道が走っています。奥多摩三山も大きく変わった山々の一つです。かつては、日の出山から御岳山を越えて大岳山、御前山、三頭山へと縦走するコースはちょうど、4月に高校山岳サークルに入った新入部員達の最初の試験の道だったと言えます。絶えず下に山里の雰囲気を感じながらも、長駆縦走し登り着く三頭山は僻遠の地としてありました。それが、今はどうでしょう。御前山と大岳山の間には大ダワ林道の舗装路が走り、月夜見山には駐車場ができ、風張峠から三頭山南面にかけて周遊道路をバイクが爆音を立てて疾走します。三頭山は三山の最高峰であると共に広大な黒木の原生林を持ち、そのアプローチの悪さも手伝って、前夜泊を前提とした登山プランが基本の本当に奥深い山でした。周遊道路と都民の森の開設に伴う周辺の「整備」は、この山を一周2時間半の散歩道に変えてしまったのです。それだけに、今回、辿った奥多摩湖畔からの道。三頭山本来の1500mの標高に相応しい登りは、この山が本当は深山であり、奥深い山であることを改めて教えてくれる道でした。ふくら脛がピンピンと音を立てそうな斜面。どんどん小さくなっていく奥多摩湖、背後にグイグイと高く連なる雲取山から飛竜山と言った奥多摩の屋根とも言うべき山々。都民の森からの道とは対照的な奥深さと静寂がありました。しかし、最も私達が喜んだのは、他でもない原生林と巨樹のつくり出す美しさでした。ブナの一抱えもあるような木々の林立。ミズナラの古木。そして遅れている紅葉も山頂直下では色とりどりに足元を染めました。それまでの急坂の連続に比べたら、はるかに穏やかだったオツネの泣き坂もブナの木々の中でした。
 三頭山は大きな山です。そして秋川の水源の山でもあります。この山がけして小さくなったわけではなく、志を持てば無くした奥多摩の良さを満喫できる山でした。

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ツネ泣峠近くは大きなブナの木がいっぱい ドラムカン浮橋の下は魚がいっぱい 三頭沢も美しい
ツネ泣峠近くは
大きなブナの木がいっぱい
ドラムカン浮橋の下は
魚がいっぱい
三頭沢も美しい

真の沢林道から甲武信岳

 以下の者は、2005年10月8日〜10日にかけて、奥秩父荒川水源を遡行する真の沢林道を川又から赤沢谷出合い、柳小屋を越えて千丈の滝を経て甲武信岳(2475m)まで踏破し、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 かつて、近代登山の波が奥秩父の地に及ぶ、はるか以前にも山には生活の為、営林の為、訪れる者がいました。ある日、甲武信小屋で小屋主の山中徳治さんから見せられた昭和38年発行の登山地図には、現在の戸渡尾根も千曲川水源の道も奥秩父主脈縦走路の記載も無く、ただ、唯一の道として荒川水源を探索する、この真の沢林道のみが記されていました。この7月、大荒川谷の帰途、下降路として歩いてみて、その雄大な原生林の美しさと、最後の赤沢谷の出合いに至るまで完全に手つかずの太古の自然がそのままになっていることに改めて驚きと感動を覚えました。「いつかは、この道を登ってみたい」との思いは大きく膨らんでいきました。甲武信岳からの入り口には「廃道」の看板が付けられ、手は全く入れられず、苔の中に日々、埋もれつつある道。けれども、消え去るにはあまりに惜しい見事な道でした。
 もう、とっくに終わって良いはずの秋雨が延々と降る中の三日間でした。始まった紅葉が日々、斜面を登っていく中の道でした。行程の三分の二は荒川水源の入川本流を見下ろしながらの木々の下の道は、最初は森林軌道の跡から始まり、谷に沿ったきわどいトラバース道となり、ブナ、ミズナラの巨樹の下の道と代わり、苔むしたコメツガ、シラビソの中の鬱蒼たる原生林となっていく、本来の奥秩父の姿を教えてくれる道でした。恐らくは首都圏最大と言って良い大規模な森の中の道は、丸太小屋の柳小屋があり、荒川水系最大の滝である千丈の滝があり、所々に「東京営林局」の看板のある水源林の道でもありました。あいにくの天気も、霧が巨樹をボーッと浮かばせて、サルオガセに霧の粒が点々と付き、生まれたばかりのコメツガの幼樹がキラキラと葉を光らせる独特の幽玄の世界を見せてくれました。橋は落ち、桟道は傾き、斜面は崩れ、所々にあるテープのみが、「ここが道」と教えてくれるだけの道でしたが、それを辿る喜びはこの山を古い時代に歩いた者と共通する感覚に違いありません。シャクナゲの季節、木枯らしの季節と歩きたい道です。

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徳本峠

島々谷は水と木が美しい
島々谷は水と木が美しい

 以下の者は、2005年9月28日〜29日、北アルプス上高地への往年の表玄関である徳本峠(2135m)に、島々宿の先・二俣手前から峠道を辿り、岩魚止め小屋、力水を経て登頂し、上高地へと峠越えをしたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

徳本峠からの見事な展望
徳本峠からの見事な展望

 観光客と登山者が平日でも雑踏を創り出し、歩く上高地。その本来の表玄関たる峠道は、所々で不明瞭なまでに不遇の道でした。しかし、その道は、その延々たる長さにもかかわらず平凡な所が全くない、変化に満ち、絶えず渓流の音と、巨樹の林立する中にありました。峠に至る間であったのは、たったの一人。その日に登ったのは私達だけの峠越えでした。かつては、文字通りの生活の道として牛や物資が行き交った日があったことを、所々に残る苔むした石垣が教えてくれていました。けれども、一方で谷に沿った道は絶えず変化し、流され、維持補修の難しいルートでもあります。沢の脇の河原に消えた踏み跡と、その先に続く赤テープ・・・・そんな箇所も所々にありました。見上げる空は木々に遮られ、トチの木、桂の木に代表される樹齢何百年と言う大きな木々がこの道の歴史を教えてくれていました。多くの人の愛されて来たはずの岩魚止め小屋が、森の中に消えるように朽ちている姿は、今のこの道も落ち葉の中に埋もれてしまうかのような印象を与えています。最後のジグザグ、最後の急坂は峠越えの試練です。立ち込めた霧の中に小屋がボーツと浮かび、標識が見え、峠にポンと飛び出すように立てることができました。便利になりすぎた感のある北アルプスの山小屋の中にあって、風景の中に馴染み、溶け込んだ徳本峠の鄙びた佇まいは見事な物がありました。去来する霧の中に浮かんでは消える穂高連峰のシルエット、峠に立つダケカンバの大きな木。歴史ある峠の姿がそこにはありました。
 翌朝の雲のかかった稜線に行き来するガスの塊。それが、ついに朝日の力で流され、消えて、その全貌を現した穂高の山々。秋真っ盛りのカラカラと音を立てそうな乾いた爽やかな空気の中に稟として、巨大な姿を見せてくれた連峰の美しさは、ここだけの物です。かつて何回か、この峠に立ち「徳本峠からの穂高」に憧れては来ても、下半分しか見えない、ガスの中に垣間見たことはあっても、これほどの圧倒的で完璧な姿と接したのは初めてです。その幸運を本当に嬉しく思った徳本峠越えでした。

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大岳山

 以下の者は、2005年9月21日、奥多摩で最も特徴のある山容を持ち、奥多摩主脈で最も人気のある大岳山(1267m)

夕方のような暗さ。ガスの中の登り
夕方のような暗さ。
ガスの中の登り

に御岳山から長尾平、綾広の滝、芥場峠を経て登頂し、馬頭刈尾根を富士見平、つづら岩と辿り、綾滝、天狗滝と辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 大岳山は登山に全く興味の無い者でも、その姿を知っている特徴のある山容の山です。八王子付近の者が「キューピー山」と呼ぶ山頂付近が独特のトンガリを持つ可愛らしい山容は江戸時代には東京湾を航行する船が方角を定めるのにも使われていた山でもあります。奥多摩の何処の山からでも「ソレ」と判るユーモラスな山です。登ってみて、改めて思うのは、岩を中心とした山頂付近が何万年と言う歳月のなかで、周囲が崩れていっても取り残されて、尖った部分として残ったように感じます。バス、ケーブルと辿る御岳山付近の宿坊は人影も少なく霧の中にありました。そこからのロックガーデン、芥場峠への道は、初秋独特の濃い霧の中でした。自分達の周囲だけが囲まれたような、まっ昼間でも夕暮れの雰囲気の道は、見上げると広葉樹がボーッと浮かび幻想的な景色を見せてくれました。葉にはクモの巣が霧のツブツブを着けて光っていました。展望に優れたことで知られる大岳山の山頂。とりわけ西側に開け、御前山の大きな山容を中心にすこしづつ標高を上げて雲取山、大菩薩、富士山と続く光景は「もっと奥の、もっと高い山へ!」と訪れた者を誘う素敵な眺めなのですが・・・・。全く展望の無い山頂でした。

稜滝・・・サラサラと美しい滝
稜滝・・・サラサラと美しい滝


 東京多摩地区から西を眺める時、大岳山から左に長々と伸びる尾根・・・これこそが、今回、その一部を歩いた馬頭刈尾根です。「マズカリ」と読む強い印象を与える尾根は、変化に富み、小さい岩場、展望の小ピーク、雑木林の明るさと揃った素敵な尾根ですが、一方、五日市に近い十里木付近まで伸びる長さは、それなりの覚悟が無いと歩ききれない厳しさがあります。今回、その中でも岩っぽい印象の強い、つづら岩までの道を辿り、綾滝、天狗滝上と歩きました。天狗滝は足元に不安があり直下には行けませんでしたが、滝の道としてサラサラと美しい爽やかな音と共に忘れられないルートと言えます。多くのルートを持ち、それぞれが魅力のある大岳山を巡るルート。一つ一つ歩きたい道です。

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谷川連峰縦走

 以下の者は、2005年9月13日〜15日、日本海と太平洋との分水嶺の山脈であり、群馬県、新潟県を分ける長大な山脈

エビス大黒を越えて!
エビス大黒を越えて!

である谷川岳連峰の核心部とも言うべき部分を、天神平から本峰・谷川岳(1977m)に登頂したのを皮切りに、オジカ沢の頭、万太郎山(1954m)、エビス大黒の頭(1888m)を越えて最高峰・仙の倉山(2026m)、平標山(1983m)と長駆縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日本海にある台風崩れの低気圧に向かってビュービューと音を立てて本州の大分水嶺を越えていく風の音と共に始まり、風の音と共に終わった谷川連峰の大縦走でした。谷川岳の名は一の倉沢、幽の沢の岩壁のイメージが強烈ですが、実際に歩くと、稜線には一本の木も無く、ガスが晴れるとキラキラと輝く笹原と草原の創り出す明るさに満ちた独特の世界が広がっていました。本峰・谷川岳には平日にもかかわらず多くの人々が登っていましたが、そこから歩きだした縦走路は強風とガスと言う悪条件もあって、ついに誰一人にも会わない静寂の世界がありました。標高自体は高くない、にもかかわらず一つ一つの山は大きく、それぞれに個性を持った雄大な山脈が私達の足元にはありました。稜線は穏やかでも食い込む谷の一つ一つは厳しく、見下ろす沢筋には大きな滝の連続が随所で見られました。風がガスを呼び寄せ、風がガスを吹き払い、その度に驚くほどの大きさで屹立する山々。その一つ一つを越えていく楽しさと充実感は谷川連峰ならではのものでした。大きな山容の万太郎山、岩峰を左右に持ったエビス大黒の頭、そして最高峰として君臨する仙の倉山を越えると所々に池塘を点在させる草原が遮る物の無い広大な山稜が広がっていました。群馬と新潟の境界の尾根は、長野の山を前に見せて私達の馴染みの少ない未知の山々を教えてくれました。

夕方の谷川肩から明日行く山稜を見る
夕方の谷川肩から明日行く山稜を見る


 谷川連峰は不思議な山です。標高は僅かに2000mを越えるか越えないか。しかし、日本有数の豪雪はあたかも森林限界を越えた高山のような高山植物と灌木と草原の山を創り出し素晴らしい展望と剥き出しの自然を私達に見せてくれました。今回と逆の蓬峠への道、眼前に大きく広がった苗場山の高層湿原と、まだまだ大きな夢が随所に点在する連峰です。角度を変えて、季節を変えて楽しみたい山域です。

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湯檜曽川本谷

 以下の者は、2005年9月10日〜11日、谷川連峰で最も美しい谷と言われ、朝日岳を水源とする湯檜曽川本谷を武能沢出合いから遡行し、魚留の滝、ウナギの寝床、十字峡、泡返りの滝、10m垂直の滝と遡行し、大滝を目前とする地点まで遡行し、清水峠に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日本を代表する豪雪地帯だからこそ、谷川連峰は独特の何かがあります。標高は最高地点の仙の倉山でさえも2000mを僅かに越すだけ。けれども、稜線には灌木があるだけで、大部分を笹原と草原が覆い、あたかも森林限界を越えた高山のような雰囲気を創り出し、雪崩で磨き上げられた山肌は随所に素晴らしい岩壁を見せています。谷も一つ一つの谷、どれをとっても急峻な傾斜とまるで砥石で磨き上げたようなスラブを見せて激しく、美しく、楽しい流れを見せてくれています。湯檜曽川本谷は、まさしく、それらの谷の良さを凝縮した谷です。出発地点の魚留めの滝から始まって二俣に至るまで一瞬たりとも平凡な部分の無い、曲がり角を曲がる度に新しい何かが待つ驚きの光景がありました。それは噴水のように瀑水を吹き上げる滝であったり、学校の廊下のように細長く続くゴルジュであったり、登ることを躊躇させられる急峻な滝であったり、滑るように落ちるナメ床であったりと次々と何かが現れる魅力がありました。しかし、今回の最大の驚きは大滝を目前としての夕立?と雹、そして雷の後に一瞬にして始まった大増水の谷の激変でした。「谷は生きている!」をまさしく実感させられた豪雨との出会いでした。
 そもそも入渓した時から通常よりははるかに多い水量でした。遡行中、たえず小さな転倒や躓きが大きな流失や溺れにつながりかねないと絶えず緊張していましたが、台風通過後で山がタップリと水を含み、少しの雨でもそのまま谷の増水につながることを恐れていたのは事実です。しかし、雷雨が轟きだしておそらくは5分程度で水かさが増し、一気に濁った光景、ヘルメットを激しく打つ雹の痛さは驚きでした。谷からの脱出、背後のゴーゴーと言う音は大自然の持つ猛威そのものです。・・・で、あの上は・・・。大滝を越えて暫くで谷は一気に穏やかに変身し、美しい笹原の間を静かに流れる沢となり、池塘の点在する朝日岳に抜けるはずでした。天気と増水に翻弄された独特の思い出となった湯檜曽川本谷でした。

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涼しいゴルジュ! 魚留めの滝!水量多くこわい とにかくずーっと滝と釜の連続
涼しいゴルジュ! 魚留めの滝!水量多くこわい とにかくずーっと滝と釜の連続

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