過去の登頂記録 (2006年11月〜2007年2月)

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2007年 2月 24日〜25日 北横岳から蓼科山
20日〜21日 北横岳・三つ岳
10日〜12日 八ヶ岳全山縦走
7日 西沢渓谷
3日〜4日 赤岳
1月 30日〜31日 安達太良山
28日 硫黄岳
27日 初めての天狗岳
24日 黒斑山
20日〜21日 赤岳主稜/横岳石尊稜
16日〜17日 西穂高岳丸山
10日〜11日 高見石から天狗岳
6日〜8日 北八ヶ岳
2006年 12月 30日〜1月2日 鹿島槍ヶ岳
23日〜24日 赤岳
15日〜16日 富士山雪上訓練
9日〜10日 谷川岳雪上訓練
6日 タワ尾根
11月 29日 小金沢連峰
25日〜26日 西穂高
21日 小楢山
18日〜19日 天狗尾根ビバーク訓練
14日〜15日 三つドッケから川苔山
7日 大菩薩牛の寝通り
3日〜5日 甲斐駒ヶ岳から鋸岳
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2005年 9月〜2006年3月の登頂記録へ
2005年3月〜8月の登頂記録へ
2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
9月〜11月の登頂記録へ
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北横岳から蓼科山

 以下の者は、2007年2月24日〜25日、北八ヶ岳の三つ岳から北横岳(2480m)に登頂し、大岳、天狗の露地、双子池を経て双子山、大河原峠、将軍平と縦走し、八ヶ岳連峰最北端の日本百名山の一つ・蓼科山(2520m)に登頂しました。「風の谷」では、これで権現岳から蓼科山までの八ヶ岳全山冬期縦走を貫徹しました。

氏名 風 の 谷

 ロープウェイがかかり、大河原峠にはかつてはバスが通い、不幸なことに七年前から双子池に車道が通るようになり、夏は登山というよりピクニックの気配の強い北横岳から蓼科山にかけての稜線。しかし、一転して冬期には北横岳ヒュッテの主人が言ったように「今年になって北横岳から双子池の間の稜線には一切人が入っていない」状態が続く不遇の地と変わります。1月の北八ヶ岳縦走の際、取りこぼした三つ岳の岩峰を出発点に北横岳山頂に向かうと日帰り登山者が多数いました。しかし、一歩、大岳への稜線に入るとトレースはおろかルートさえ判然とせず、地形図とコンパスをたよりにボコボコともぐり込む所々に凹地や切れ込みのある案外と複雑な地形をラッセルしながら進み、「ほんの近く」のはずの大岳まで辿りました。ここから天狗の露地、双子池は寒気に伴う小雪が晴れているにもかかわらずハラハラと絶えず雪が舞う幻想的な世界の中にありました。しかし、南八ヶ岳や天狗岳周辺と違い広々と広がった尾根、広大な溶岩台地からなる地形は夏道どおりに辿るのは極めて困難で随所でコンパスの針を修正しながら穴に落ち込みながらの稜線でした。下り着いた双子池では、バックカントリースキーのトレースがあり、降り続く雪と凍結した池が他の雪山では見られない世界を作り上げていました。そこから双子山への登り、広々とした雪原に点々と生えるシラビソ、ウラジロモミの創り出す光景は八ヶ岳の中でも独特の雰囲気を持つ場所です。上空は晴れていても、寒気の雲が次々とかかる八ヶ岳の山々を振り返りながらの蓼科山への最後の道でした。鬱蒼たる原生林の中の道にもかかわらず何故か明るさがあり、目の前に穏やかな頭だけ見える蓼科山を目指して進む?に当たる風も厳冬期の冷たさはありません。最後の急斜面を登り切り、ときおり北アルプスから浅間山、南、中央アルプスと大きく広がる山頂に到達しました。毎回、悪天候との戦いが全てだった八ヶ岳の全山縦走。一時はその貫徹も危ぶまれた厳しい局面を乗り越えて全ルートが繋がったことを誇りに思います。

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明るい双子山山頂 全山縦走の最後の部分
広大な雪原の広がる八ヶ岳最北端の山々
明るい双子山山頂
全山縦走の最後の部分から
苦労して越えてきた山々が見える

北横岳・三つ岳

真っ白い三ツ岳へ!
真っ白い三ツ岳へ!

 以下の者は、2007年2月20日〜21日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2480m)に坪庭から七つ池を経由して登頂し、三つ岳、雨池山、雨池峠と周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 森林高地の北八ヶ岳と一括りにしても、中山周辺、シラビソ小屋周辺の鬱蒼たる原生林の北八ヶ岳と、麦草峠、そして北横岳周辺の明るい原生林とは、一味違う・・・、それは光の量の違いであり、樹木の高さの違いであり、そして何よりも縞枯れ現象のような風による森への作用の違いであると感じています。どうしても安易さのつきまとう北横岳のロープウェイのアプローチ。2200mを越えての歩きだし、しかし、坪庭で冷たい風に吹かれ、樹氷の付いたコメツガの木々の間を抜けて登り着く稜線は間違いもなく八ヶ岳の主稜線の一角です。晴天の予報の中の北八ヶ岳でしたが、何故か、時折小雪さえ舞う、そんな中の北横岳でした。吹きつける風は冷たく、山頂の感激もそこそこに下山の道につきました。下り着いた坪庭から僅かに感じられる南アルプス甲斐駒ヶ岳のピラミッド、それ以外は再びの小雪の中でした。一方、北横岳ヒュッテに宿泊した三名は、明るい陽光の中を翌朝、大きく広がる奥秩父前面の雲海を背に、一歩ごとに広がる八ヶ岳自身の圧倒的な迫力と浅間山の雄姿と共に再び朝の北横岳に向かいました。そこに待っていたのは無風快晴の真っ青な空の下に居並ぶ南北中のアルプスの圧倒的な銀屏風の姿でした。「風の谷」の山歩きではなかなか行かない雪の季節の三つ岳。それは、もう遠い昔、一人風雪の三つ岳で大穴に転落して大変な目にあった記憶によるものでした。しかし、この二月、他の山域に比べて比較的積雪は少なくなく、14日には雨も降り、必要以上に締まった雪となった箇所もあり、絶好のチャンスとして三つ岳の岩峰に向かいました。予想以上の好条件ではあったものの、雨池山とのコルへの急峻な下り、所々でやはりボコンと落ち込む溶岩台地の難しさは中々のものでした。下り降りた雨池峠の先から見上げる北横岳から三つ岳の稜線!溢れるばかりの春の陽光の下にありました。

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八ヶ岳全山縦走

 以下の者は、2007年2月10日〜12日、八ヶ岳連峰の天女山から三つ頭を越えて権現岳(2715m)に登頂し、旭岳、キレットと風雪の中を縦走し、最高峰・赤岳(2899m)に登頂し、主脈を横岳奥の院(2829m)、硫黄岳(2760m)と縦断し、夏沢峠から根石岳、東天狗岳、西天狗岳(2645m)と北上し、中山峠まで核心部を制覇したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 茅野の町中から東を見る時、視界いっぱいに広がる八ヶ岳連峰。とりわけ冬期には圧倒的な迫力と、近寄りがたい美しさで白い銀屏風となって畏怖と憧れの的です。この連峰を端から端まで歩きたい・・・・、これが八ヶ岳全山縦走です。この縦走、かつては連休ともなれば多くの人々によって試みられていました。しかし、年を追うごとに挑戦者は減り、現在では本当に僅かな数の人々によって辿られるだけの縦走です。二月とは思えない暖かさの中の出発でした。天女山を越えて、前三つ頭を越えて、登り着く三つ頭からは目指す権現から赤岳、そして遠く蓼科山までが大きく大きく広がっています。三つ頭と権現岳との間にあるダケカンバに囲まれた空間が、このルート唯一のジャンボエスパースの張れる貴重な空間。早々と春を思わせる陽光の中に入山の宴会は始まりました。軽い風雪の中、ヘッドランプの出発。パタパタとフードを打つ吹雪。夜明けと共に到着した権現岳。ここからキレットまでが最もルートが判りづらく、結果的には一番厳しい箇所でした。そして、あらゆる岩場が海老の尻尾で覆われた真っ白い要塞と化した赤岳の登り。ルートの上のペンキマークも何もかも全ては雪とガスと風と氷の下になり、一つ一つの難所をルートファインディングの上で越えていく本来の雪山の醍醐味がそこにはありました。そして、赤岳山頂。いきなり多くの登山者があらわれ、別世界に入った気分でした。翌朝、今までの遅れを一気に取り返し、必ずや天狗岳までトレースを繋げるべくヘッドランプで出発。昨日までのペースとは打って変わってグイグイと風の吹き渡る核心部の稜線を左右に稜線を乗り越えながらやせ尾根を辿りました。横岳を越えて、硫黄岳を越えて穏やかな北八ヶ岳の森を東西の天狗岳まで到達した感動は厳しい縦走をした者だけの感動でした。

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三ツ頭から行く手を見る 東天狗から西天狗へ
さぁ出発。三ツ頭から行く手を見る 全部終わった。東天狗から西天狗へ

西沢渓谷

氷に覆われた七ツ釜五段の滝
氷に覆われた
七ツ釜五段の滝

 以下の者は、2007年2月7日、奥秩父笛吹川上流の西沢を出合いから三重の滝、恋糸の滝、と辿り七ツ釜五段の滝まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 前日の四月上旬とも言われた暖かさ。手袋さえ外したくなる陽気に「本当に凍っているか?」と心配しながらの西沢渓谷でした。もちろん、例年のように蒼氷の埋めつくす中を流れる渓谷と言った様相と出逢う本来の姿ではないものの、本流に注ぎ込む支流、左右からのツララとなって注ぐ氷柱は、思った以上の美しさでした。夏は一方通行でそれでも観光客の列の続く渓谷も谷の中で出逢ったのは一パーティー三人のみ。谷の音だけが聞こえる静寂の中にありました。実は、この奥秩父の主脈の周辺は多くの見事な氷の殿堂が広がっています。笛吹川周辺はもちろんのこと、雁坂トンネルを越えた荒川水系の周辺は随所で凍結した蒼氷との出逢いが待っています。整備されすぎた感のある渓谷道ですが、それでも足元は完全に凍結し、遊歩道を乗り越えたテラテラと凍りついた氷を何回となく越えての道でした。渓谷本流の姿以上に左右からの「沁みだし」の凍結した姿、斜面一面が氷の面となり両側を埋めつくす姿は氷の城としての西沢渓谷の一番の美しさであったと思います。いつもの頂上を目指す登山と違い、谷の表情と随所で向き合う楽しさ、立ち止まり、周囲の見上げるばかりの峡谷ならではの狭い真っ青な空を見上げる楽しさは普段の「やまあるき」では体験できない独特の魅力がありました。

氷の廊下をたどる
氷の廊下をたどる


 必ずしも山頂を目標としない冬ならではの雪の散策。新しい目を向けてみれば、八ヶ岳山麓、清里周辺、そして、北アルプスの白馬や上高地周辺と随所にそんな魅力的な場所があるように思われます。新しい冬の魅力を探ってみたいと思います。

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赤岳

真っ青な空の下、稜線を歩く
真っ青な空の下、稜線を歩く
まさか、次の日が地吹雪なんて・・

 以下の者は、2007年2月3日〜4日、八ヶ岳連峰最高峰・主峰の赤岳(2899m)に美濃戸口から美濃戸、行者小屋を経て地蔵尾根を登り登頂したことを使用明いたします。

氏名 風 の 谷

 赤岳はやはり王者の風格がある!激しい地吹雪の中を下りきり、行者小屋の前で初めて大きく呼吸ができる気分になって、見上げた山頂の実感でした。「天望荘は火事?」と真面目に心配するほどの雪煙を上げて地蔵の頭付近から赤岳肩にかけて吹き抜ける西風。前日が穏やかだっただけに、大自然の創り出す猛威は新鮮な感覚がありました。日本で唯一、冬に登山者が数多く集う美濃戸口を後に、たどる裾野のアプローチは一歩一歩、山の中に入っていく独特の感覚があります。けして急ではない傾斜を背後に見え隠れする中央アルプスや木曽御嶽山の真っ白い姿を確かめながら登り詰めていくと「風の谷」のテント場で突然に姿を現す横岳西壁の圧倒的な姿。そして、行者小屋を前にしてようやく対面できる赤岳の山頂。茅野の町からも見えず、ここに来て初めて見ることの可能な他を圧する圧倒的なボリュームとの出逢いは八ヶ岳の中でも最も感動的な瞬間であると思っています。
 初日の穏やかな天候に「こんな幸運は中々無いこと!」と言っていた言葉は夜半に最大瞬間風速35mを越えるに至って「こんな悪い日ばかりではないから・・・・」に変わりました。そして、半分だけ開いたシャッターの隙間から顔を出した途端の強風、そして顔を打つ氷の粒。腰を落とし一歩一歩とジリジリと登り詰めて行く中で風上側のガスが切れて大きく影を見せたブロッケン現象。そして、突然に眩いばかりの明るさの中に飛び出して僕達は山頂に立つことができました。周囲に広がる360度の展望。八ヶ岳の全ての山々を見下ろす感動は小さくありませんでした。そして、吹き上げる地吹雪にしばしば視界を遮られながら下った文三郎尾根。それだけに安全地帯に降りてから見上げる山々の美しさも格別であったと言えます。八ヶ岳は西穂高と並んで小屋泊まりで登れる数少ない冬山です。赤岳山頂から見渡した南北アルプスの美しい山々の何れに挑戦するにもテントや雪洞に泊まる以外に山頂に立つ方法はありません。この赤岳を出発に本当の雪山との格闘に踏み出していただければ幸いです。

※4日午前9時半頃、文三郎道の赤岳直下で転落死亡事故がありました。もちろんザイルを使用していない状態でのスリップだったようです。ご冥福をお祈りすると共に、雪山の厳しさを知ってほしいと思います。

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安達太良山

 以下の者は、2007年1月30日〜31日、東北南部を代表する名峰・安達太良山(1699m)に五葉松平から登頂し、峰の辻からクロガネ小屋、勢至平へと山腹を横断し、奥岳温泉へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 「本当の空なんて、どこにあるんだ!」と毎回、愚痴っていた安達太良山。偵察の時は強風とガス、最初はなんと大雪警報の出る猛吹雪の中の登頂、そして、昨年は強烈な冬型の中での暴風雪の中の登頂。「本当の空」どころか安達太良山がいったいどんな山容の山なのかも一切判らないままの登山であり、下山でした。温泉が強烈な硫黄臭で源泉がとっても熱いこと、素朴な山小屋の素朴な対応と吹き募る吹雪が広々とした山小屋の窓から美しく眺められたことだけが印象の山でした。「今度こそ!」の願いが通じて奥岳温泉は青空に山々が映えて見事な美しさの中にありました。「明日の天気は判らない。とにかく今日、登っちゃおう。」それは結果的には大正解でした。眩しいばかりの広々としたその名の通りの五葉松平から木々が雪で化粧し、既に埋まった樹木は樹氷の森になりかけている・・・・、そんな中の登りでした。目指す安達太良山山頂の右には矢筈森から鉄山にかけての真っ白い山々が文字通りの「本当の空」の下に立ち並んでいました。どこが尾根?と思うほど広々とした斜面を登り詰め、海老の尻尾が豪快に張りついてまるで石膏細工のような指導標をすり抜けて、攀じ登った山頂からは見事な360度の展望。猪苗代湖が見え、磐梯山が見え、吾妻連峰が真っ白に並び、そして見下ろす福島の盆地には阿武隈川が見えました。馴染みのない、穏やかな山容の広がり、春を思わせる霞のたなびく光景は独特のものがありました。そこからクロガネ小屋への下りはカールを思わせる広い谷へのトラバース、見上げる山頂に照り返る太陽、周囲を取り囲む雪化粧した山々。美しい山肌のトラバースでした。貸し切りの温泉付き山小屋の一晩の楽しさ、窓の外は皓々たる月明かりと星。本当に楽しい安達太良山でした。翌朝は、穏やかだった空に冬型の走りの風が吹き、またたくまに山頂を吹雪が覆いました。最後に表情を一変させてかつての安達太良に戻りました。

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カールのような谷間へ 本当の空の下に立つ頂上へ
カールのような谷間へ
雪を蹴散らして下りていった
本当の空の下に立つ頂上へ

硫黄岳

 以下の者は、2007年1月28日、南八ヶ岳の展望の山・硫黄岳(2760m)に美濃戸口より美濃戸、柳川北沢、赤岳鉱泉と辿り、赤岩の頭を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 岩と雪のイメージの強い中にあって唯一、穏やかな山容を持つ硫黄岳。南北に爆裂火口を持つものの、鬱蒼たるシラビソの樹林帯の急登をこなしさえすれば必ず森林限界に辿り着くことのできる貴重な山です。一方、八ヶ岳中の風を集めたような強風の吹き荒れる場所として知られ、頂上直下まで肉薄していながら、強風のために立っていることもできず無念の撤退を余儀なくされることも少なく無い山です。前日の天狗岳が全く視界の効かない厳しい雪の中の登頂だったのに対して、極めて幸運な登頂でした。しかし、一方で茅野駅早朝集合で一日で往復するには標高差1300mは大きすぎたとの印象もあります。美濃戸口から美濃戸までの延々たる林道歩き、堰堤までの雪上車の轍を踏みながらの道、そして、何回も北沢の流れを横断しつづけながらのアプローチ。大岩をかわして、流れを再び渡った所で、必ず立ち止まる場所があります。それまで、雪化粧したダケカンバの森の上にチラチラと見えていた目指す稜線の一角にハッキリと主張を持った大岩峰の姿、「あぁ見えた。」どんなに急いでいる時でも、何回、通っても必ず見上げてしまう八ヶ岳の独特の風景です。そして、全ての横岳西壁の屹立した岩峰が現れ、赤岳が硫黄岳が姿を見せる。多くの人々が通い、静寂の雪山のイメージとはほど遠い人の気配の絶えない道でありながらついつい辿ってしまう道です。しかし、本当に大変なのは尽きることの無い赤岩の頭への延々たる登りです。モミからシラビソ、そして、我慢の限界が近づく頃にダケカンバが現れ、飛び出す森林限界を越えた雪の斜面!今までの全ての苦労を吹き飛ばす最高の展望と微風の中に僕達はありました。南北アルプスの展望こそ無いものの、八ヶ岳自身の展望、奥秩父の展望と、山頂は苦労の報われる展望の中でした。雪山の美しさを満喫できた硫黄岳。チョット忙しく、大変でしたが、雪山の楽しさだけを感じた一日でした。

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真っ青な空を背に頂上を下る

真っ青な空を背に頂上を下る
一歩ごとに赤岳が大きい 森林限界に近づくと
一歩ごとに赤岳が大きい

初めての天狗岳

強い雪と風の中天狗岳へ
強い雪と風の中天狗岳へ

 以下の者は、2007年1月28日、南北八ヶ岳の接点である天狗岳(2645m)に渋ノ湯より黒百合平、中山峠を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 もしかすると厭味かもしれません。翌日、隣の山・硫黄岳から見た天狗岳の写真を同封します。右のちょっと尖ったゴツゴツしたピークが僕達が登頂して3分後には下山した東天狗岳(こちらが最高峰)、そして左の丸みを帯びた穏やかな山容の山が西天狗岳です。それにしても、どんな形の山に、どんなルートで登ったのかも全く実感できない悪天の中の一日でした。山は日によって、天候によって、気温によって全然違うことを改めて知らされた一日でもありました。実は「風の谷」ではこの天狗岳は今年になってからも三回目の登頂です。一回目は「塩見岳」が今年最初の爆弾低気圧の登場であっけなく転進し、雪の中の登頂でした。そして、二回目は「やまあるき講座」で高見石から快晴の中、南北中央のアルプスの大展望の中を真っ青な空に向けて登りました。そして今回・・・。1月上旬ほどの風雪ではないものの、時として10m前後まで落ち込むガスと降りしきる雪の中、ボコボコと潜る雪の中の登頂でした。しかも日帰り登頂の慌ただしさ。なかなかに厳しい「冬山初体験プラン」だったと言えます。しかし、一方で真っ白に雪化粧した石膏細工のようなシラビソの森の美しさ、見る見るうちに成長する「海老の尻尾」、そして、下山時に僅かに見えた稲子岳南壁の姿・・・・。雪山の別の美しさを僅かに感じられた貴重な瞬間であったことと思います。
 天狗岳は南北八ヶ岳の接点です。北欧を思わせる森林高地が何処までも続くように感じられる北八ヶ岳のイメージと、岩と雪の創り出す峻険な南八ヶ岳の雰囲気を一つの山で併せ持つ貴重な山であると思います。そして、この山からアイゼンやピッケルが単に「持っている」だけから積極的に使うことで登山が快適で安全な物になる接点の山でもあります。この登頂、厳しい条件の下での登頂を次の一歩を踏み出すための貴重な一歩としていただければ幸いです。

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黒斑山

黒斑山を振り返る
振り返る黒斑山
東側は切れ落ちている

 以下の者は、2007年1月24日、浅間山の隣に聳える黒斑山(2414m)に、高峰温泉・車坂峠からトーミの頭を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 群馬と長野の県境付近の山は、なんと個性的で独特な雰囲気を持ってることだろう・・・。そんな印象を強く持たされた黒斑山でした。妙義山を初めとする岩峰の林立する西上州の山々。八風山トンネルを抜け出た途端に眼前に大きく広がる八ヶ岳と霧ヶ峰から美ヶ原にかけての雄大な山並み。そして見上げる角度で真っ白な山容を見せた浅間山。冷たい風の吹き抜ける車坂峠から強い風で大きくなりきれないカラマツの森を抜けてゆるやかに登り詰めて行くトーミの頭への道。浅間山噴火のシェルターの避難小屋を抜けた所で谷を挟んで圧倒的な迫力でそびえ立つ、浅間山との対面。富士山と似た活火山故に、時として真っ白だったり、斑に白黒だったりと様々な顔を見せる、この山は、この日は沁み一つ無い完璧な白さで僕たちを迎えてくれました。周囲の山々に火山活動の影響を大なり小なり与えながら屹立する浅間山と、それとは対照的に美しいウラジロモミやダケカンバの原生林を蓄えた黒斑山の対比は見事な物がありました。稜線の東側を大きく爆裂火口のようにえぐり取られた急斜面には二頭のカモシカがジッと、静かな平日に訪れた僕たち邪魔者を見ていました。浅間山の火山活動の監視テレビの先の小さな広がりが山頂でした。ちょっと高曇だった空は晴れ渡り、遠く、北アルプス、八ヶ岳の麦草峠の後ろには南アルプス・甲斐駒ヶ岳も顔を出していました。
 黒斑山。けして大きな山ではありません。浅間山を巡る山々の一つですが、その生き物の気配一つ無い山容とは全く違った、樹木と雪と様々な山の動物の気配の残る楽しい雪の山でした。

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トーミの頭からは浅間山がまっ白 じっとこちらを見ているカモシカ!
トーミの頭からは浅間山がまっ白 じっとこちらを見ているカモシカ!

赤岳主稜/横岳石尊稜

 以下の者は、2007年1月20日〜21日、八ヶ岳西壁の盟主・赤岳主稜を末端から登攀し、最高峰・赤岳山頂にダイレクトに登頂したことを/八ヶ岳西壁の横岳・石尊峰に突き上げる雪稜・石尊稜を末端から下部岩壁、中間部ナイフリッジ、上部岩壁と登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 茅野の町中から八ヶ岳を見る時、阿弥陀岳から硫黄岳の手前までの間だけが遠目にもハッキリと黒々とした岩壁となって屹立しているのが見えます。降雪直後以外は降った雪は傾斜のある岩壁に留まっていることができず首都圏で数少ない一泊二日で登攀できる快適な冬期登攀ルートを無数に提供してくれています。今回、二パーティーに分かれて登った赤岳主稜と石尊稜は、近くにありながら趣を異にする、それぞれに個性のある名ルートでした。主稜は八ヶ岳を代表する人気ルート。技術的な困難は少ないものの、絶えず吹きつける西風を全く遮ることのできないロングルートであること、中間支点がほとんど無く、トップの失敗はダメージの大きいことが特徴です。一般登山ルートである文三郎尾根から僅かなトラバースで取り付け、山頂にダイレクトに突き上げる完成度の高さが魅力です。一方の石尊稜は、取り付き付近が雪崩の巣であり、今回のように三日前に大量の新雪がルンゼを埋めている時には独特の危険のあるルートです。今回は、取り付きに行く普段はなんでもない斜面が霜ザラメが大量に積もり、そのために末端から藪漕ぎラッセルを強いられて取りつく有り様でした。核心部とされる下部岩壁は岩が露出し、大きな困難はありませんでしたが、不安定なザラメを中に隠したナイフリッジのラッセルはなかなかの体力勝負でした。
 背後に広がる大展望。登攀中はそれを楽しむ余裕はありませんでしたが、稜線に、山頂にそれぞれ突き上げるリッジやルンゼ、肩を並べる大同心、小同心等の岩峰を眺めながらジリジリとザイルを延ばしていける幸せを感じました。冬期登攀の登竜門たる八ヶ岳西壁。それぞれの困難はあるものの、チャント練習してきた者にとっては必ず登れるルートです。その成果を東面の一層の積雪のあるルート、ルートの中で一泊して、更に山頂を目指すルート等、八ヶ岳の中でも更に充実感溢れるルートへのチャレンジのきっかけとなる楽しい登攀の二日間でした。

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赤岳主稜中間部 石尊稜中間雪稜はずっとナイフリッジ 石尊稜上部岩壁へ
下に大きく広がる展望の中
主稜中間部
石尊稜中間雪稜はずっとナイフリッジ ナイフリッジを切り崩しながら
石尊稜上部岩壁へ

西穂高岳丸山

 以下の者は、2007年1月16日〜17日、北アルプス穂高岳連峰南端の西穂高岳の好展望台・西穂高岳丸山(2452m)に、西穂高口より千石尾根を登り西穂山荘を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 厳冬期の穂高岳連峰。本当のベテランだけが踏み込む世界のはずの一角に僕達は侵入者のように立つことができました。奥深い原生林の中を登り詰め、西穂山荘で稜線に出て改めて感じたのは無、他の山域ではけして味わうことのできない圧倒的なスケールの大きさでした。背後に大きく聳える笠が岳。上高地を挟んで不機嫌そうに佇む霞沢岳。そして、いくつもの峻険なピークを林立させて立つ西穂高山頂。一歩上の丸山に吹く風は、山荘とは比べ物にならない冷たさと力を込めた物でした。稜線に立って初めて目に入る前穂高岳からの吊り尾根、はるか鷲羽岳から三ッ俣蓮華岳の遠い遠い頂き。これらの山頂は真剣な登山の衰退と共に、晩秋から春山スキーの始まる早春までいずれも本当の意味での人跡未踏の世界を風雪の中に送るはずです。
 こんな登山が可能なのも、普段の雪の山歩きよりむしろ容易な登山で穂高の一角に立てるのも、ロープウェイと通年営業の極めて暖かい山小屋のおかげです。僕自身は、そういったものの存在を嫌いながら、しかし、その効用の大きさをしみじみと感じさせられていました。その晩、外は吹雪が吹き荒れていましたが、当然のことながら小屋の中はゴーゴーと音を立てるストーブとシッカリした作りのお蔭で、空気の揺れ一つ無い静寂の中にありました。翌朝は着いていたガッチリしたトレースは消え去り、顔を打つ風雪が穂高岳の本来持つ厳しさ、激しさをかいま見せてくれました。
 どんなに設備やアプローチが発達しても山そのものは変わりません。雪の穂高を北アルプスの持つ魅力を感じた二日間でした。

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笠ヶ岳が大きい 丸山の下りから見上げる西穂高
笠ヶ岳が大きい 丸山の下りから見上げる西穂高

高見石から天狗岳

 以下の者は、2007年1月10日〜11日、北八ヶ岳の核心部・高見石に渋ノ湯からサイの河原を経由して到達し、丸山(2329m)、中山(2425m)に登り、中山峠から主峰・天狗岳(2645m)i登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 北八ヶ岳のような何処までも広がる森林高地の持つ美しさは、他には無い!そう、確信させられた二日間でした。硫黄の香りが強く漂う渋ノ湯は、すでに週末に吹き荒れた本格的な大雪の影響で真っ白な森の中にありました。そこから、高見石に向かう道。最初は単なる白い森だったのが樹氷の森となり真っ青な空に真っ白い木々が林立する北八ヶ岳ならではの見事な景色の中を登っていきました。サイの河原に出てそこから上に向かう白い広がり、点々と石膏細工のようにひろがる原生林と青空の対比は息を飲ませる何かがありました。北八ヶ岳の中で、いや日本の中で一番山の風景に溶け込んでいる!と思っている高見石小屋。それ自身で雪山の一つの光景となっている美しいたたずまいの中の一夜は素敵でした。天空を覆う満天の星、静かに燃えるマキストーブのパチパチと言う音。そして、ピーンと張りつめた綺麗な朝の緊張感。そこから中山を越えて、中山峠に至る森こそは雪の森の良さを随所に秘めた道でした。中山を越えた途端に急速に青くなって言った空。北アルプス全山が銀屏風となって姿を見せ、中央アルプスがドーンと居座り、雲海の上に奥秩父の山並みが広がる・・・、そんな中の道でした。樹氷の上に目指す天狗岳がガスが晴れて姿を見せた時の美しさ、その稜線を辿る幸せは最高でした。そして、山頂には今まで見えなかった赤岳、阿弥陀岳を前面に南アルプスを含めた圧倒的な展望がありました。
 バカの一つ覚えのようだと言われても僕は冬の北八ヶ岳が大好きです。今回のような登頂目的の雪山登山からスノーシューを使っての彷徨と言う言葉がピッタリの森の魅力を全身で感じる歩きかた、そして、「歩くスキー」を使っての自由な森の横断。まなじりを決して、格闘する登山とは別の、雪の山の森と交歓するような楽しさは、山が晴れていても、吹雪でもそれぞれの魅力に満ちています。

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行く手に大きく北八ツ全山が広がる 目の前に大きく天狗岳
天狗岳の下りからは
行く手に大きく北八ツ全山が広がる
ガスが晴れた!
目の前に大きく大きく天狗岳

北八ヶ岳

 以下の者は、2007年1月6日〜8日、北八ヶ岳の核心部を天狗岳(2645m)から中山峠を経て、中山、高見石、丸山と辿り、麦草峠から茶臼山を越えて、縞枯山、雨池峠と縦走し、盟主・北横岳(2472m)まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 この冬二度目、今年に入って初めての爆弾低気圧が僕達の予定を大きく変えました。塩見岳のはずが何故か歩きだしたのは渋ノ湯。そして、転進したからには天狗から蓼科山までの北八ヶ岳全山を縦走する!という固い決意は、全く衰えることのない風雪と、一瞬たりとも入山から下山まで止むことの無かった雪によって崩れてしまいました。南岸低気圧に伴う湿った雪が装備をシットリと濡らした後で訪れた強烈な冬型気圧配置。風で積雪の飛ばされることの多い天狗岳でまさかのラッセル。中山峠を越える頃からハッキリと下がりだした気温。そして始まったラッセル。僕の大好きな北八ヶ岳の原生林の中の一夜はサラサラとテントを打つ雪の音の中に過ぎていきました。最初に「やはり着けよう!」と言ったワカンはついに二日目は一度も脱ぐことの無いラッセルの一日でした。見る見るうちに石膏細工のように美しい白珊瑚に変身した周囲の木々。展望台のはずが風雪の吹きすさぶ中山展望台。暖かく迎えてくれた高見石小屋、麦草ヒュッテでの休憩にも関わらず、延々と全力を使うラッセルにも関わらず、全く汗をかくことの無い久しぶりの寒さの中の縦走でした。風が止むと僕達の吐く息の音だけが森の中に吸い込まれる独特の世界。夏はバスの通う麦草峠は広大な白い広がりだけが感じられる世界でした。夏ならば目の前にあるはずの茶臼山への終わることのないラッセル。文字通り精根尽き果てて、茶臼山の山頂にへたり込むように泊まりました。「今日こそは!」の気持ちも虚しく果てることの無い降雪。重いラッセル。その果てに、僕達は北横岳の山頂で力を出し切って縦走の終止符を打ちました。天狗から北横まで。全てが乳白色の雪とガスと風の中でした。でも、本来の北八ヶ岳は雪の持つ明るさに満ちた雪の森の魅力を随所に秘めた楽しい山です。僕自身の大好きな長閑さに満ちた雪の北八ヶ岳。次に来る時は優しい森林高地の広がりを楽しみに!

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とにかくとにかくラッセル 幻想的な北八ツの森でラッセル
とにかくとにかくラッセル 幻想的な北八ツの森でラッセル

鹿島槍ヶ岳

真っ白い雪面に初トレース
真っ白い雪面に
初トレースをつけて頂上を目指す

 以下の者は、2006年12月30日〜2007年1月2日にかけて、北アルプス後立山連峰の盟主・鹿島槍ヶ岳(2889m)に日向山ゲートから爺が岳南尾根を経由して爺が岳南峰を越えて冷池を拠点として登頂し、爺が岳中央峰(2669m)から東尾根を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 2007年の幸運の全てを使い切ってしまったのでは?と心配になるほど、天候に恵まれた鹿島槍ヶ岳でした。細かい雪の降り続く扇沢への車道がアプローチの始まり。トレースの無い南尾根の取り付きから膝程度のラッセルを繰り返す僕達の上に粉雪が影絵のように降り注ぐ中の冬山らしい出発でした。いよいよ雪の深くなる2000m前後に前夜に入山したパーティーがあり、幸か不幸か当初予定の森林限界・ジャンクションピークにはナント2時半には到着するという楽々の入山でした。翌日も風は強いものの、爺が岳からは槍から剣まで全ての北アルプスの山々が青空の下に広がる、厳冬期とは到底思えない素晴らしい展望の中にありました。風こそ強いものの、トレースも無いものの、過去に経験の無い好天の中の稜線歩きでした。冷池には到着したときには他のパーティーの姿もなく、かつての多くのテント村が当たり前だった十数年前の賑わいが信じられない静寂の中にありました。布引山への厳しいラッセルも眼前に大きく聳える目指す鹿島槍ヶ岳の雄姿と、黒部川を挟んでの剣岳の圧倒的な展望に支えられてグイグイと前進しました。氷結してアイゼンのツァッケの先端しか入らないバーンの上を登り詰め、二年前に無念の撤退を余儀なくされた北アルプスで最も美しい山容と言われた山頂は足元となりました。文字通りの360度の圧倒的な展望、日本海まで見えた好天、頬を叩く冬の風が二日目にして頂上に立った幸運を噛みしめさせてくれました。

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爺ヶ岳の稜線を行く もう頂上近し! 爺ヶ岳のトラバースからは剣が大きい
爺ヶ岳の稜線を行く もう頂上近し! 爺ヶ岳のトラバースからは剣が大きい

赤岳

 以下の者は、2006年12月23日〜24日、八ヶ岳主峰・赤岳(2899m)に美濃戸から南沢を経て行者小屋から地蔵尾根を登って登頂し、文三郎尾根を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 赤岳とは不思議な山です。雪山登山を志す者は、「一度はあの山の頂上に立ってみたい」と憧れ、低山からの雪山を始め、北横岳とか天狗岳とか転落の心配の無い雪山を歩き、その上で挑む・・・そんな山です。そして、この山を出発点にもっと刺激的なもっと厳しい、激しい登山に向けて踏み出す・・・そんな指標となる山です。しかも、今回は素晴らしい条件の下の登頂でした。冬らしいピーンとした空気の中にありながら夜中ずっと吹き募っていた雪まじりの風雪は止み、一歩登るごとにグイグイと開けていく圧倒的な360度の大展望の中の登頂でした。白馬から焼岳までの全ての北アルプスの山々が銀屏風のように立ち並び、中央アルプスが全貌を見せ、南アルプスが甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳を前面に押し立てて手の届きそうな近さで見え、そして、天望荘からちょうど日の出る位置に黒々と聳える奥秩父の山並みを見据え360度の素晴らしい展望の中に周囲を見下ろすような圧倒的な存在感で聳える山頂に立てました。晴天に恵まれることの多い冬の八ヶ岳の中にあっても晴れていれば強い寒風の中にあるはずの山頂はしかし、冷たくはあっても適度な風の中でした。登りの苦労が嘘のような一気の文三郎尾根を下り、見上げる山頂はつい1時間前まで、そこにいたのが信じられない大きさで屹立していました。
 八ヶ岳は首都圏の登山者にとって最も取りつきやすい雪山です。アプローチの近さと登る人口の多さ、通年営業をする山小屋。しかし、それがともすると安易なショボイ登山に陥りかねない、そんな中にあっても例えば編笠山から権現岳を越えて赤岳から蓼科山に向けて縦走する、小海線沿線から稜線を目指す・・・等の不遇な登山は依然として全力をあげての大きな登山になります。この赤岳を出発点により達成感のある登山へと出発していただければ幸いです。

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快晴の大展望 「風の谷」頂上占拠
頂上近し。快晴の大展望の中を
3パーティに分かれて登る
「風の谷」頂上占拠

富士山雪上訓練

 以下の者は、2006年12月16日〜17日、富士山吉田口で行われた「風の谷」雪上訓練に参加し、五合目から七合目付近で氷雪技術の訓練に参加したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 富士山雪上訓練の目的の第一は、とにかく「雪の上を無理なく自由に動き回れる事」。登山靴が自然に雪をつかまえて、どこまでは滑らないかが身体で判っていること。ピッケルが手の延長として自然に適切な形で使われていること。アイゼンが一番力が入る形で雪面をとらえていること。強い風や吹きつける雪を「こんな日もあるさ」と特別なことではなくて向き合えること。つまり、雪山という憧れてはいても遠い存在だったものが、身近で、自分でも努力すれば近づける物であることが判れば、今回の訓練は充分なように思います。今回の訓練の中で最も力を入れたのは「歩く」ことでした。馬返からの所々凍った所を重荷を背負って歩き、傾斜の緩い斜面を靴底を「踏みつけて」歩くことを覚え、さらに傾斜のある一定の固さの雪面ではキックステップで歩く。これが実は安定的な雪山歩行を行う上では不可欠のことです。この基本ができていない限り、いかにアイゼン歩行を練習しても意味を持たないことを知っておいてほしいと思います。もう一つは、アイゼン歩行で最も確実に行ってほしいことはフルフラットな足の置きかたと歩き方です。前爪のついたアイゼンが当たり前となった今、軽視されがちな技術ですが、優れたアイゼン歩行の技術があれば相当程度の傾斜でもフルフラットでの歩行は可能であり、フロントポイントのテクニックと比べて遥かに安定的で無理の無い登り下りが可能であると思います。最後に今回の富士山。通常に比べてはっきりと気温が高かったと思います。そして、雪。顔にバチバチと当たる氷の粒のような痛い礫には閉口させられたことと思います。乾いた冷たい風が本来の12月の富士山の風であることも知っておいてほしい点です。これから登山を続けていけば、雪上訓練の山として、高度順化の山として何回も訪れるであろう富士山。やはり日本一の風の吹く山であることを実感させられた二日間でした。

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吹雪の中全員集合 地吹雪の中訓練しながらジリジリと前進
吹雪の中全員集合 地吹雪の中
訓練しながらジリジリと前進

谷川岳雪上訓練

 以下の者は、2006年12月9日〜10日に行われた雪上訓練に参加し、天神平から天神峠、熊穴沢避難小屋、天神ザンゲ岩を経由して、谷川連峰主峰・谷川岳トマの耳(1963m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 振り返ってみると丸々二日間、一瞬たりとも天から何かが落ち続けていました。雪とも、雨とも区別のつかないベトベトの谷川岳特有の湿雪、低気圧の通過による高い気温と、通過後の一気に訪れた冬型の風雪。日本海と太平洋の分水嶺たる谷川岳の独特の難しさを一杯に感じました。初日の雪上訓練は、ベテランも初心者も全く初めて雪の山を歩く者も基本に帰った訓練をしました。雪の上を安定的に歩くこと、身体の一部としてアイゼンやピッケル、ワカンが感じられるようになっていけば嬉しく思います。その訓練の上に谷川岳の山頂を目指しました。まだ暗い中、ヘッドランプを点けての出発は激しく雪の降る中でした。「如何なる訓練も頂上を目指す事以上の訓練は無い」と改めて教えられた入門コース・天神尾根の登山でした。一歩一歩、靴底を全部付ける「踏みつけ」の登りの意味、傾斜が出てきて軽くキックステップ的な登山靴を使う意味、坪足でのラッセル、ワカンを付けてのラッセル、これら全てが実践できたのは幸いでした。熊穴沢避難小屋の上から他のパーティーの前に出て、山頂に至るまでの間、雪山本来の姿である「自分達の力でラッセルして、自分達でルートを作って登頂する」ことが徹底的にできて嬉しく思います。最後尾からはしばしば先頭の姿が風雪に霞み、肩から上では頂上の方角もなかなか判らず、西黒沢に張り出す雪庇に恐怖を感じながらの登頂でした。多くのパーティーが登る中、本当の意味での登頂である「ラッセルして頂上へ!」が実現した喜びは小さくありません。谷川特有の粒の大きい湿ったバチバチと目に入る雪が雪山の厳しさ、苦しさを教えてくれた二日間でした。

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頂上近し! 風雪のラッセルが続く
頂上近し! 風雪のラッセルが続く

タワ尾根

 以下の者は、2006年12月6日、奥多摩・長沢背稜から南東に伸びる人跡未踏の長大な尾根・タワ尾根を日原・一石山神社から一石山(1007m)、人形山(1176m)を経て金袋山(1325m)に到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 数十年前の奥多摩を知る人がいたとしたら「だから、どうした?」と言ったかもしれない何の変哲も無いタワ尾根。しかし、手つかずの森、雑木林と一括りに言われる明るい広葉樹の森の失われた今、貴重な独特の明るさを持ったこの尾根は僕には奥多摩で最も愛すべき空間のように思えます。日原鍾乳洞上からの延々たる急坂を登り切った途端、一遍に広がる広々とした狐色の明るい雑木の森、二つの尾根が出逢った空間の創り出す落ち葉の広場。所々に点在するブナやミズナラの大きな木。かつては何処にでもあったに違いない奥多摩らしい眺めをこれだけの規模で味わえるのは、もはや、ここしかありません。そんな小さな感動を持ちながら歩いていく上に「岩?」と間違えそうな斜めにかしいだ巨樹が一本。人形山のミズナラでした。そのまわりは、独特の明るさに満ち、小さな広場のように平らな広がりがありました。七人が一杯に手を広げてやっと届く大きさ。あちこちに、瘤や別の木の苗やエグレた穴や、大枝の折れた跡や、何千年かのこの木の「人生」が刻まれた歴史を一杯持って、初冬の陽差しを一杯に浴びていました。その上の人形山、そして、稜線のほんの一角とも言うべき金袋山と明るい森の中に尾根は続いていました。日原川本流を挟んでのやたらと立派な鷹ノ巣山、小川谷を挟んでの酉谷山から三つドッケにかけての奥多摩で最も不遇な「風の谷」が最も大好きな山域、が両方に美しくクッキリと見える所を到達点に水源林の巡視路を下りました。タワ尾根。随所で動物や鳥の気配が感じられ、生きている森の世界があり、そして水源の森として実は、多くの人々の手によって守られた「奇跡の森」。いつ訪れても、けして期待を裏切ることの無い、本当の奥多摩の良さが守られた安らぎの場所があることを幸せに感じます。

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広々とした雑木の尾根 7人が手をつないでやっとのミズナラ
山の上とは思えない
広々とした雑木の尾根
7人が手をつないでやっとのミズナラ

小金沢連峰

 以下の者は、2006年11月29日、大菩薩の南に大きく連なる小金沢連峰を石丸峠から狼平を越えて山梨百名山の一つ・小金沢山(2014m)に登頂し、秀麗富嶽十二景の一つ・牛奥の雁が腹摺山(1994m)、川胡桃沢の頭(1965m)、一等三角点のある黒岳(1987m)と縦走し、草原のピーク・白谷の頭から湯の沢峠へと踏破したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 東京方面から西の空を見るときに、大菩薩嶺の左・南に向かって一定の高さを保ちながら大きく伸びる黒々とした尾根。それが小金沢連峰です。遠くから眺めた時の暗いイメージとは全く違って、歩いてみて改めて感じるのは、その変化の激しさでした。大きく南西に開けた石丸峠から草原の天狗棚山を越えて、のびのびと広がる狼平の明るさ、サイの河原の長閑な草原、そして、黒岳を降りた所に広がる眩しい輝きに満ちた草原と白ザレの白谷の頭。その明るさとは対照的な小金沢山や黒岳周辺の鬱蒼たる黒木の森。草原からは、終始一貫して富士山と南アルプスが絶えず共にあり、富士へ向かって歩くような縦走の魅力が一杯の連峰でした。僕が初めて訪れた1960年代の末期は、小金沢連峰は大菩薩でも最も奥まった場所にある未開の地でした。今回、出発点となった石丸峠までが半日、そこから辿る稜線は身の丈を越すクマザサに覆われて、広い稜線の上では獣道と登山道の区別がつかず、右往左往するのが当たり前の探検的な要素に満ちた尾根でした。現在、西に大菩薩湖となった上日川ダム、東に小金沢ダムが作られ、それらを繋ぐ車道が絶えず目に入る開発されてしまった安心の小金沢とは一味違う物でした。それだけに完全に踏破したときの嬉しさもまた、格別だったとも言えます。現在は、石丸峠まで車道から30分。湯の沢峠まで普段は車が入る事で手頃で楽しい登山の地となった、この尾根がつい最近まで、そんな時代があったことも知ってほしいと思います。
 山はすでに晩秋から初冬へと季節は移っていました。乗り越える倒木の凍っていたことに季節の移り変わりを感じます。もうすぐ、静寂と木枯らしと雪が大菩薩を太古の昔に戻すはずです。

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狼平の大草原 黒岳下のミズナラの森
狼平の大草原はキラキラと光がいっぱい 黒岳下のミズナラの森

西穂高

 

切り立った岩稜がつづく
切り立った岩稜がつづく

以下の者は、2006年11月25日〜26日、穂高連峰の一角で最も南に位置する西穂高岳(2908m)に、新穂高温泉より西穂山荘を経て、独標、ピラミッドピークを越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 いきなり訪れた穂高の冬でした。例年になく積雪の豊富な穂高でした。しかし、降っては溶け、更に積もり、凍結し、積もり・・・を繰り返した雪ではなく、岩の上に乗っかっただけの雪はシーズン初めのアイゼンとの馴染みは悪く、それなりの緊張の岩稜でした。西穂山荘への登り道で谷を挟んで見上げた山頂。穂高岳連峰の中では最も取りつきやすい位置にはあるものの、独標から十数個のピークを林立させ、一つ一つが尖り、真っ青な空を突き刺す姿は見事で近寄りがたい強烈な印象がありました。テント場からは文字通りの大展望。笠が岳が背後に大きく、去年、徹底的にラッセルで苦しめられた霞沢岳が美しく雪化粧していました。丸山からは前穂高も顔を出し、双六から黒部の源流の山々も望まれ最高の展望の中にありました。翌朝は風と小雪の中に「風の谷」名物の早朝出勤でした。気温が高いのが幸いでしたが、ガスと雪の中、独標から先のやせ細った稜線は下が見えないだけに奈落の底が広がっているような緊張の中にありました。一段とやせ細った稜線の上に立つピラミッドピーク、そこから延々と直登とトラバースを繰り返しジリジリと稼ぐ高度の末に見覚えのある木の標識、何も見えない風とガスの中の西穂高山頂はありました。確実に悪くなる天候の予想の下、休むまもなく踵を返し、下りだす山頂。全く締まっていない雪質は折角のステップもサラサラと崩れ、楽なはずの後方ほどズルズル滑る下りにくい物でした。安全地帯、独標の下に降りて、突然、ガスがスッキリ取れ、振り返る山頂が見事でした。憧れの、緊張の、美しい西穂高。いつかは、更に奥穂へと続けたい、雪の稜線でした。

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今シーズン初の雪の尾根 もう頂上近く!
今シーズン初の雪の尾根 もう頂上近く!

小楢山

 以下の者は、2006年11月21日、奥秩父前衛の小楢山(1712m)に、焼山峠から一杯水を経て登頂し、小楢峠から幕岩を経て

背後に奥秩父の山々
明るい防火帯を登ると
背後に奥秩父の山々が

大沢山にも登頂し、母恋し道を下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥秩父前衛の山々も秋から冬へと大きく季節が動いたようです。前日まで丸々一日降り続いた雨。そのシットリとした感触がまだまだ山の中に残った中の小楢山でした。雨上がりの乾いた晴天を期待していたのですが、山々には雲がまとわりつき、必ずしも大展望というわけでも無い、しかし、その分、静けさに満ちた一日を過ごすことができました。焼山峠からの登りは広々とした防火帯が公園のように続く中の登りです。一歩ごとに背後に広がる眺めは、乙女高原の後ろに真っ白に雪化粧した八ヶ岳が一瞬姿を見せました。草原を大きく何回も上下し、カラマツばかりだった木々がシラカバやウラジロモミも交えた雑木林へと変わるころ、大きく登り切った所に小楢山はありました。どこが山頂かも中々判らない広々とした草原の中に大きく南に開けた三角点がありました。本来、富士山、南アルプス、大菩薩、奥秩父の大展望台であるはずの山頂は、残念ながら雄大に上下する雲の動きに遮られて360度の大展望とは言えないものでした。しかし、一方で雲の動きの上に顔を出す富士山、雲間から見下ろす甲府盆地のキラメキ、そして、背後にかすかに雪の気配を感じさせる奥秩父主脈の大きな広がり、それが感じられる素敵な山頂でした。標高こそ僅かに小楢山に劣るとは言え、大沢山の狭い絶頂からの眺めも素敵でした。

秋から冬へ!
秋から冬へ!
雲の動きが激しい


 小楢山は何故か僕自身は、この晩秋と初冬が入り交じった寒さが目の前にある季節に訪れています。しかし、一方で点在していたツツジの灌木であり、カラマツの芽吹きであり、四季それぞれの魅力のある山であることを感じています。季節を変えて、登り方を変えて訪れてみたい小楢山です。

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天狗尾根ビバーク訓練

 以下の者は、2006年11月18日〜19日、八ヶ岳主峰、最高峰の赤岳(2899m)に美しの森から地獄谷、赤岳沢を経由して、代表的なバリエーションルートである天狗尾根からカニのハサミ、大天狗、小天狗を越えて登頂し、頂上でのツェルトビバークを経験したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 「今年からは絶対にビバーク訓練はやらない!」と公言していたのに、やっぱりやってしまいました。遠く、北アルプスがオレンジ色の夕闇の前に黒々とシルエットとなり、甲府盆地の赤々とした夜景と、清里の秋祭りの花火が足元をキラキラと埋めつくす上に、甲斐駒が岳、北岳、そして中央アルプスの山々と奥秩父が闇に溶け込みそうな中、チラチラと舞いだした雪の結晶をヤッケの袖に受けながら、最高峰・赤岳の山頂に僕達は立ちました。もはやヘッドランプの灯無しには足元も見えない、文字通りの時間ギリギリの山頂でした。地獄谷から見上げた大天狗の威容、河原の石飛が所々で凍りつき、すっかり葉を落とした原生林の中、一歩、また一歩と天狗尾根を詰め上げていきました。尾根に出る手前から雪が顔を出し、カニのハサミ手前では、ついに今年最初のアイゼン歩行となりました。背後の山々はいつしか鈍色の中に妙にクッキリと聳え、ガスのかかった権現岳付近の光景は美しいものでした。カニのハサミ上の岩場、大天狗のトラバースをスタカットで越えて、縦走路に飛び出した時の感動は時間に追われていても嬉しいものがありました。力の限り、山で格闘することの嬉しさ、その上で出逢った今年最初の雪山の感動は素敵でした。
 狭いツェルト。斜めの泊まり場。夜半からサラサラと布地を打つ粉雪の音。そして山と見紛うニョキニョキと発達した前線の雲。ビバーク特有の不安を乗り越えて朝を迎えた時の嬉しさとつながります。すっかり雪景色となった中を一歩前進した自分を嬉しく思いながらの下山でした。

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もう夜がそこまで。甲府盆地と富士山 もう夜がそこまで
甲府盆地と富士山
時間ギリギリやっと登りついた山頂

時間ギリギリ
やっと登りついた山頂
苦闘の天狗尾根

苦闘の天狗尾根
もうすぐ終わる

三つドッケから川苔山

 以下の者は、2006年11月14日〜15日、奥多摩北端の境をなす長沢背稜を東日原から横スズ尾根を登り三つドッケ(1576m)に登頂して縦走を開始し、仙元峠を越えて蕎麦粒山(1472m)を経て日向沢の峰から南に向かい川苔山まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 カサコソカサコソ、山を降りた今も耳底に残る落ち葉を蹴散らしながら歩いた音。晩秋の乾いた晴天と稜線を吹き渡る風。僕自身が奥多摩で最も大好きな道、長沢背稜の東半分の縦走は素敵でした。紅葉は1200m付近で終わり、奥多摩でも貴重な自然林の残る広々とした横スズ尾根はブナとミズナラの目立ついつ歩いても楽しい明るい道でした。登り着いた三つドッケ山頂からは足下に大きく切れ込む小川谷の流れが斜面を色とりどりに染めて見事でした。一杯水避難小屋の一夜。僕達だけの快適な小屋の一晩は、耳を澄ませば絶えず鹿を初めとする野生動物の気配の感じられる中、東京の夜景と空一杯の星空と共にありました。比較的暖かい中の朝の出発。東京都水源巡視路として手厚く整備された道は、終始一貫して富士山を正面に仰ぎ、大菩薩、丹沢、そして、奥多摩の多くの山々を眺めながらの楽しい道でした。葉を落とした東京・埼玉の県境の道。所々針葉樹もあるものの、ナラ、ブナ、ダケカンバを筆頭としたキラキラと輝く幹を持った素敵な原生林の尾根でした。従来は日原と秩父を結ぶ峠道だった仙元峠道としてのコースは、今は峠越えをする者も少なく、風だけが蕭々と越えていく道でした。登り着いた蕎麦粒山から最初に見えたのは東京湾の朝日を受けてオレンジ色に輝く姿でした。この山頂から少しづつ高度を下げながら棒の折山や高水三山を経て多摩の丘陵地帯へと降りていく光景は独特の物があります。蕎麦粒山から川苔山にかけて続いた明るい防火帯の広がり。辿ってきた全ての尾根が背後に広がる中の道は達成感に溢れる物でした。
 東京都最高峰たる雲取山から延々と続く長沢背稜の山々。奥多摩でも最も静かで、山らしい雰囲気を失わない貴重な山域です。また、葉の落ちた晩秋に様々なルート、秩父から、タワ尾根から、天祖山を越えて楽しみたいと思います。

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長沢背稜の秋の終わりは明るいブナ林から始まる 蕎麦粒山からは朝日に輝く東京湾が見える
長沢背稜の秋の終わりは
明るいブナ林から始まる
蕎麦粒山からは
朝日に輝く東京湾が見える

大菩薩牛の寝通り

 以下の者は、2006年11月7日、大菩薩と奥多摩を結ぶ長大な尾根・牛の寝通りを松姫峠から鶴寝山を巻き、大マテイ山を越えて、大ダワ、ショナメ、牛の寝と辿り、榧の尾山(1429m)、玉蝶山を越えて石丸峠へと登り切り、大菩薩峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 晩秋から初冬への季節の移り変わりは、けして平坦な物ではない・・・、それを実感させられた「牛の寝通り」の一日でした。午前中は南風が、午後は一転して北風が、そして、僅か30分程度でしたがアラレまじりの強い雨が、私達を翻弄しました。吹き飛ばされて雨のように降り注ぐ落ち葉、見る見るうちに丸裸になっていく木々、森が僅かな時間のうちに秋の装いから冬枯れの姿に変身しました。それにしても、松姫峠付近の紅葉は見事でした。足元を埋めるホウの葉、頭上をステンドグラスのように飾るカエデやナラの木。榧の尾山までほとんど変わらない標高と広々とした公園のような様相の尾根は見事な物がありました。「牛の寝通り」は実は大菩薩の数多くのルートの中でも、僕自身が最も好きなルートです。新緑の時期、積雪の中、そして紅葉の季節と必ず訪れた者を満足させる何かがあります。普段は見ることの少ない「裏側」からの小金沢連峰。遠く黒々と連なる奥秩父主脈、奥多摩の懐かしい山々の後ろに広がる都会の気配。所々に点在する古い石仏や朽ちかけた水源林の標柱に古くから歩かれた歴史を感じます。登山の山としてだけでなく、炭焼きや生活の山としての気配を感じる嬉しさは独特の物と言えます。大きな登こそ無かった物の、延々たる長距離の歩行の末に辿り着く石丸峠。いきなり広がる違った大きな展望と、強烈に吹きつける西風は、いつも変わることがありません。
 大菩薩峠と大菩薩嶺だけを歩いてこの広大な様々なルートを持つ大菩薩連峰の魅力を理解することはできません。近年、急速な勢いで開発が進み、人跡未踏と言える場所が一気に無くなった大菩薩ですが鬱蒼たる原生林と、草原、そして美しい雑木林の魅力をまだまだ見つけに歩きたいものです。

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牛の寝の広々とした尾根 牛の寝通りを抜けると石丸峠の草原が一気に広がる
牛の寝の広々とした尾根 牛の寝通りを抜けると
石丸峠の草原が一気に広がる

甲斐駒ヶ岳から鋸岳

凍りつく寒さの中今日も早朝出勤
凍りつく寒さの中! 今日も早朝出勤

 以下の者は、2006年11月3日〜5日、南アルプス北部の盟主である甲斐駒ヶ岳(2967m)に竹宇駒ヶ岳神社から標高差2200mを登り切る黒戸尾根から登頂し、六合の石室から中の川乗っ越しに至り、鋸岳の縦走に入り、第2高点から鹿窓、小ギャップを越えて第1高点に登頂し、横岳峠まで完全に縦走しことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

鋸岳の核心部
鋸岳の核心部。鹿窓

 身体全部の力を充分に出し切ってなし遂げた甲斐駒ヶ岳から鋸岳へむけての縦走でした。溶かして水にするほどの積雪はまだなく、ズッシリと肩に食い込む共同の水。夏の間、軽量化に次ぐ軽量化で沢や岩を走り回ってきた身体には重い装備。森林限界を越えた八合目のテント場にはヨタヨタで辿り着きました。「冬装備をどうするか?」出発の小淵沢駅で信頼できる情報を最終的に得て、登り着いた山頂付近には、ごま塩を蒔いたような冬の知らせが舞い降りていました。人気の無い僕達だけの稜線。見渡す北岳や塩見岳には既に雪の気配が漂っていました。カラカラと音を立てそうに乾わききった晩秋の南アルプス。どこまでも広がる展望の中、鋭く迫る鋸岳の稜線はありました。静寂の荒々しい、激しい印象の鋸岳の稜線。足元にスッパリと切れ落ちる崩壊の激しい岩場の連続、ガレ場の通過、そして吹き抜ける冷たい風。やはり南アルプス唯一の岩稜として見事な物がありました。しかし、一方で山梨百名山なるものに指定されたこの難攻不落の稜線は、センスの無いペナントがぶら下がり、利用する者の事を全く考えていないクサリがぶら下がり、実に安易に未熟な登山者が取りつくように作り替えられていました。一つ一つの岩の曲がり角を「これで良いのかな?」と迷いつつ登る本来の冒険としての登山の楽しみが消えてしまったことが残念です。志ある登山者は、冬にこそ挑む山へと変わっていくことと思います。富士川の水源に下り、小淵沢に再び帰って来て見上げる甲斐駒ヶ岳から鋸の稜線。中央線の車窓から見上げていたあのギザギザが見事に秋の終わり、冬の始まりの真っ青な空の下にありました。

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