過去の登頂記録          (2010年10月〜2011年2月)

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2011年 2月 2月26日〜27日 観音岳
2月23日 上高地
2月19日〜20日 権現岳
2月16日 浅間隠山
2月11日〜13日 兎岳
2月5日〜6日 赤岳
2月1日〜2日 牛の寝通り
1月 1月29日〜30日 石尊稜
1月26日 蓼科山
1月25日 守屋山
1月23日 天狗岳
1月22日 北横岳
1月18日〜19日 安達太良山
1月12日〜13日 金峰山
1月8日〜10日 権現岳
2010年 12月 12月30日〜1月2日 爺が岳
12月23日 硫黄岳
12月17日〜18日 富士山・雪上訓練
12月11日〜12日 空木岳
12月7日〜8日 稲子岳
12月4日〜5日 唐松岳
11月 11月30日 生藤山
11月27日〜28日 阿弥陀岳南稜
11月20日〜21日 塩見岳
11月16日〜17日 雁坂峠
11月13日〜14日 常念岳
11月10日 千頭星山
11月9日 黒富士
11月2日 雁ヶ腹摺山
10月 10月26日 女峰山
10月23日〜24日 三つ峠・岩登り講習
10月20日 川苔山
10月17日 金山沢
10月16日 日和田山・岩登り講習
10月6日 平ヶ岳
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2009年 9月〜2010年3月の登頂記録へ
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観音岳

富士山を背後に観音岳へ!
富士山を背後に観音岳へ!

 以下の者は、2011年2月26日〜27日、南アルプス北部の鳳凰三山に夜叉神の森から夜叉神峠、苺平を経て向かい、薬師岳、・観音岳(2840m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 あんなに寒かった今年の冬。それが嘘のような暖かさの中、夜叉神峠へと向かいました。見上げる空は真青!峠から野呂川を挟んで対峙する北岳を中心とした白根三山は、左右に塩見岳と仙丈岳を従えて真っ白に輝いていました。何回が訪れたことのある冬の鳳凰三山。一度たりとも無かったトレースが雪の上にありました。急激に訪れた春に雪の表面はザラメの気配がある者の、中はサラサラした典型的なモナカ雪でした。鬱蒼たる南アルプスの原生林の中を辿り、杖立峠を過ぎると広々とした山火事跡が明るいダケカンバ林となった辺りからは南アルプスの北部から中部にかけての山々が春の陽光の下に輝いていました。そして、早めに着いた苺平。見事なシラビソの森の中のテント場でした。早朝、ヘッドランプで出発。強い風が森をゴーゴーと鳴らす中、標高2600m近くまで密集した原生林が続く独特の鳳凰三山の重厚な森の中を登りました。雲海を真っ赤に染めて昇る太陽。飛び出した砂払いノ頭からは昨日以上の迫力で白根三山が見えました。いきなり飛び出した感のある薬師岳から始まる鳳凰三山独特の日本庭園を思わせる稜線。花崗岩の岩とハイマツと雪が創り出す風景の見事さはステキでした。稜線上を左右にかわして登り着いた観音岳の山頂からは甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳が新しい風景として目に飛び込んできました。下山にかかるころ、前線の影響で、既に北岳は吹きつける雲の中にありました。ちょっと容易に登れすぎた感のある鳳凰三山。本当に美しい雪山でした。

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上高地

ちょっと見事すぎる大正池からの穂高
ちょっと見事すぎる
大正池からの穂高

 以下の者は、2011年2月23日、北アルプス穂高連峰の聖地・上高地に釜トンネルしたから入山し、大正池、田代池から梓川河畔を遡り、河童橋から岳沢分岐まで周遊したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 ヘッドランプを点けて、ついつい足早に歩く釜トンネル。眩しいトンネル出口からは見上げる位置に聳える強く噴煙を吹き上げる焼岳が見えました。除雪されてカリカリの夏の車道を砂防事務所の分岐を過ぎて下りだすと「あぁ、見えた・・・」。大正池を前面にしてまるで絵のように大きく、白く広がる穂高岳連峰の美しすぎる圧倒的な光景がありました。前夜、快晴だったはずなのに、大正池湖畔の木々は美しく霧氷で化粧し、池には逆さになった穂高岳連峰が投影されていました。左岸からは、所々で春を思わせるブロック雪崩が道路まで押し出している中を田代湿原へと向かいました。かつて、平日等は、全く人影を見なかった上高地もパラパラと人の姿を見て、歩道はシッカリとしたトレースずできていました。歩道には所々でロープが張られかつてのように、スノーシューだから、クロカンスキーだから、好きな所にスイスイと行ける雰囲気ではありませんでした。それでも夏には人で一杯の河原は人っ子一人おらず、代わりに猿の親子連れが河原の石をひっくり返してエサ探しをしています。ホテルの立ち並ぶ梓川右岸も廃墟のようで、対岸に霞沢岳から六百山が孤高の姿で並んでいました。そしてやって来た河童橋。釜トンネルから3kmほどの距離しか進んでいないのに、ここからの穂高は正に頭上に迫る勢い。一つ一つの夏のルートを見上げながら流泉の中を岳沢分岐まで進みました。上高地。冬は人が増えても、やっぱり神河内のままでした。

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権現岳

ギボウシの稜線!
ギボウシの稜線!

 以下の者は、2011年2月19日〜20日、八ヶ岳・南端の不遇の名峰・権現岳(2704m)に八ヶ岳神社から登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

テント場からは富士山が大きい
テント場からは富士山が大きい

 あんなに寒かった高い山々にもようやく春が訪れた・・・。そんな明るい陽光の中の展望の権現岳でした。二日前に東京に降った大雨も、2000m近くまで霙や重い雪だったらしく、八ヶ岳神社からのカラマツ林の下に積もる雪も奥多摩や丹沢を思わせる湿った雪でした。ツボ足が不安定になり、ワカンを着けてボコリボコリと踏み跡一つ無い明るい森の中を辿り、登り着いたヘリポート。甲府盆地に大きく突き出した岬のような場所。正面に北岳を中心とした南アルプスを、広大な盆地を挟んで富士山を、左手に金峰山から甲武信岳にかけての奥秩父を見る西風から守られた空間は「風の谷」の大好きなテント場です。満月に照らされた山々と見下ろす人里の夜景の見事な一夜を過ごしました。上空に巻雲が広がりながらも見事な展望の中のヘッドランプを点けての出発。三つ頭までのそこそこのラッセルをこなして飛び出す稜線からは幸か不幸かトレースがあり、赤岳、中岳、阿弥陀岳の雄大な展望と眼前に聳える権現岳を見上げながらの最高の登りでした。登り着いた狭い狭い山頂からは360どの圧倒的な展望が待っていました。権現岳を表現するとき「コウモリが羽を広げたような・・・」と言う、その羽の片割れ・・・ギボシの美しい雪のヤセ尾根の山頂にも立ちました。
 権現岳は八ヶ岳の最後を飾る見事な山頂です。八ヶ岳神社からのルートは訪れる者も無く、自力でトレースを着け、テントに泊まり、獲得するステキな雪の道でした。

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浅間隠山

明るいカラマツ林の雪の道
明るいカラマツ林の雪の道

 以下の者は、2011年2月16日、上信国境の浅間山の大展望台、浅間隠山(1765m)に二度上峠下の登山口より登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

手が届きそうな迫力の浅間山
手が届きそうな迫力の浅間山

 強い冬型の続いた今年の冬。2月に入って一度緩みだした一方的な冬型は、周期的に太平洋岸を低気圧が通過する春の天気のパターンに入りました。浅間隠山はまさしく、その間の貴重な移動性高気圧が真上にある状態での穏やかなステキな一日でした。雪に埋もれた登山口。カラカラと明るいカラマツ林の中にタップリと積もった湿った雪。その上には抜けるような青空がありました。最初の沢状の斜面を抜けると、眼前に大きく聳える山頂。前年、鼻曲山から北の方を見て美しく近寄りがたい見事な三角錐の姿で、絶対に登りたい!と強く思わせた山容は、近くに来ると少し穏やかな表情になっていました。コナラ、ダケカンバの森の中にツツジ類の灌木の覆った真っ白な雪の斜面。ジグザグに続く夏道を丁寧に追っていきます。小さな鞍部から遠く、鹿島槍ヶ岳、五竜岳が見えました。そして、振り返ると大きく聳える浅間山の真っ白な姿。クマザサと雪の斜面を登り、頂上直下の稜線に上がると、思わず歓声の上がる素晴らしい展望がありました。冬には滅多に、その全容を伺うことのできない、谷川岳を中心とした純白の連山が、青すぎる空の下に白い山脈となって並んでいました。爽快な笹と雪の斜面を登り、着いた山頂は風もなく、穏やかな展望の中でした。奥秩父の背後に小さく見えた富士山。迫力満点で並ぶ北アルプス。そして、見慣れない角度からの八ヶ岳。冬とは思えない、ユッタリした長居のできた山頂でした。浅間山の周囲には沢山の魅力的な山が沢山、あります。ちょっと遠いけれど、また、ぜひ、行きたい山々です。

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兎岳

悔しいことに最終日、振り返ると見事な兎岳
悔しいことに最終日、
振り返ると見事な兎岳

 以下の者は、2011年2月11日〜13日、南アルプスの中核に位置する兎岳(2818m)に挑戦し、遠山川の上栗ノ里・大野から北又渡、仏島を経て兎洞林道を辿り、1580mから支稜に取り付き、笠松山(1980m)に登頂し、2021mまで到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

とにかく三日間ラッセルでした
とにかく三日間ラッセルでした

 日本にも、まだまだこんな山奥があったんだ。そんな思いのする遠山川上流の山々でした。ネパールを思わせる雪に埋まった上栗ノ里。最低でも北又渡までは入ると思われたクルマは最終集落の大野でお終い。そこから辿る凍結と積雪の延々たる車道。降り続ける雪。人影さえない山奥の林道を黙々と歩きました。仏島から入った兎洞林道。ウネウネと山腹を巻き続ける雪の道は、少しづつ埋まっていき、ついにはワカンの登場でした。朝からのラッセルにスピードは落ちて1400m地点でついに薄暗くなってしまいました。フクロウの声だけが聞える静寂の夜。そして、ヘッドランプを点けての早朝からの出発。ようやくにして笠松山から伸びる尾根を登りだすと、そこは見事なまでの美しい原生林の中でした。コメツガ、トウヒを中心とした森は、やがてシラビソの森へと代わり、左から幅広い尾根が合流すると兎岳からダイレクトに伸びる笠松尾根でした。降り続ける雪。そして1975mの三角点を笠松山とした看板があり、取り敢えず、一つの山頂です。更に広い、傾斜の緩い尾根を登り2021mと思われる小突起を今回の到達点としました。最終日、北又渡から振り返る稜線は見事な真っ白な姿を見せて聖岳の隣に小粒ながら美しい山容の兎岳は、次回には必ず登れるとの確信が持てました。誰もいない、一冬に誰も山頂に立たない兎岳。きっと今度こそ、山頂に立ちます。

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赤岳

 以下の者は、2011年2月5日〜6日、八ヶ岳連峰最高峰・主峰である赤岳(2899m)に美濃戸口より美濃戸、行者小屋を経て地蔵尾根より登頂し、文三郎尾根から下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 春の到来を思わせる穏やかな暖かさの中に登頂した赤岳です。厳冬期の真っ只中に毎年恒例のように行ってきた小屋泊での赤岳登頂プラン。ここ数年、激しい風雪と寒気の中の赤岳でした。今シーズンも、1月の全山縦走は強い風雪に途中で転進、先週はマイナス25度の寒気の中の石尊稜の登攀と、相当の覚悟で臨んだ赤岳でした。春霞を思わせる白い空の下を登り、それでも満天の星空を見た天望荘の一夜。しかし、天望荘への道のりはなかなかでした。南沢の道を原生林の中を抜けて白河原で横岳の岩壁と対面して行者小屋手前で初めて見上げる赤岳。そして一気に急峻になった地蔵尾根への森の中を登り詰め、飛び出す森林限界。今回は穏やかな天気の中でしたが、毎回、緊張を強いられ登りです。真っ赤に奥秩父の山並みを染めて昇る太陽。その中を勇躍して登り着いた山頂。背後に雄大な北アルプス全山が銀屏風となって揃い、中央アルプスが長々と伸び、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳を筆頭とする南アルプスに手が届きそうでした。「赤岳は、それを目標に精進してきた者の到達の地であり、赤岳は、そこを出発点に本格的な雪山へと向かうメルクマールとしての山である。」とは常々語ってきた事です。ジェットヒーターが燃え、バイキングの食事が自動的に出てくる小屋泊の登山は、そこが目標であって良いはずはありません。この素晴らしかった雪山を出発点に「遠くまで行くんだ・・」とより本物の雪山へと登りましょう。「風の谷」はそんな人と共に進みます。

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牛の寝通り

牛ノ寝通りの入口・石丸峠。朝はマイナス11度だった
牛ノ寝通りの入口・石丸峠。
朝はマイナス11度だった

 以下の者は、2011年2月1日〜2日、大菩薩峠に丸川峠入口から第一、第二展望台を経て登頂し、石丸峠から「牛ノ寝通り」に入り、榧ノ尾山、ショナメ、大ダワ、鶴寝山を経て松姫峠まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 ここ数年、経験したことのない寒い冬。日本海側の大雪の報せに「山は大雪?」との思いもあった中、大菩薩はカラカラに乾いた寒さの中にありました。夏はクルマの疾走する上日川峠への道は、足元に土埃の舞い上がる乾燥の中でした。第一、第二の展望台からは甲府盆地の大きな広がりの上に南アルプスが真っ白く輝いていました。カリカリの雪が凍りついた上日川峠の長兵衛ロッジは真っ赤に染まった夕暮れの山々を見ながらの夕食でした。マイナス11度の夜明け。大菩薩峠へと向かう道は流石に凍結した雪道でした。石丸峠への草原の道は大きく広がる明るい展望の大雪原と化していました。狼平から小金沢連峰、牛ノ寝通りと大菩薩の中の不遇の地域、言ってみれば、かつての古き良き大菩薩の面影を保っている地域へと連なる雄大な景色は、僕の最も好きな光景です。先行者のトレースもない牛ノ寝通り。しかし、雪は一気に下る玉蝶山を過ぎると急激になくなり、晩秋の頃と変わらない光景となりました。木の葉の綺麗に落ちきった広葉樹の尾根からは終始、北に飛龍山から雲取山が、南に小金沢から雁ヶ腹摺山が美しく見えていました。ブナ、ミズナラの巨樹、ガサゴソと落ち葉を蹴散らして歩く賑やかさは、何時もと変わらないものでした。
 歩きだしてから、松姫峠まで到着するまで、他の人間をついに見なかった静寂の支配した大菩薩。あの夕暮れの南アルプスの赤々と燃えた光景を独り占めした二日間でした。

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石尊稜

 以下の者は、2011年1月29日〜30日、八ヶ岳横岳西壁石尊稜を赤岳鉱泉から小同心沢左俣を経て末端より下部岩壁、上部岩壁を登攀し、石尊峰に登り着き横岳奥の院、硫黄岳と稜線を踏破したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 「行こうか、転進しようか?」迷った土曜日でした。石尊稜は取り付き付近が日ノ岳ルンゼからの雪崩が時々、襲うところ。前日のトレース付けでも、かすかに雪崩の気配がありました。当日、早朝、サラサラとテントを打ち続けた雪は深くは積もらず、真っ暗な中、ヘッドランプでテントを後にしました。本来の取り付きルートである正面は、壁にベットリと雪が着き、面倒でも尾根末端よりから下部岩壁へと向かいました。中途半端に雪の着いた下部岩壁は、それなりに難しく、ピッケル、バイルは効かず、丁寧な登攀を強いられました。そして、登りだした中間のスノーリッジ。美しく雪化粧したダケカンバの灌木。左右に迫る迫力ある雪稜、少しづつ痩せて行った稜線は、左右に微妙に雪庇を張り出して真中は美しくやせ細ったナイフリッジが続きます。膝から太股近くまでのラッセルを強いられた傾斜の強いナイフリッジが、実は、このルートの最も魅力ある部分であると改めて思います。そして、降り続けた雪の中に霞む上部岩壁。下部に比べてスタンスも大きく、慎重に登れば難しくないものの、ベットリと着いた雪に残置ハーケンは見つからず、岩角にシュリンゲをかけて支点にする状態でした。風雪ではないものの、弱い吹雪と極端な低温の中、まるで雪だるまのようになっての登攀でした。石尊峰での気温、マイナス23度。強い風の中、横岳奥ノ院、硫黄岳を越えて樹林の中に入った時には正直ホッとしました。寒気の中の石尊稜。充実感一杯の登攀でした。

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蓼科山

蓼科山山頂直下の登り
蓼科山山頂直下の登り

 以下の者は、2011年1月26日、八ヶ岳連峰最北端に位置する日本百名山の一つ・蓼科山(2530m)にビーナスライン・女神茶屋から2120m台地を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 強い冬型が、この内陸部にある山にも押し寄せてくる・・・そんな中の蓼科山でした。そこに車道が無ければ見事な高原の森だったはずの女神茶屋。大きなモミの木とダケカンバ、そして深い雪の中の歩きだしでした。蓼科山から伸びる大きな尾根に登り着いた頃から降り出した雪。見る見るうちに強くなり、深い雪の上に更に積もっていきました。山に風が当たり、上昇気流となって細かいチリのような乾いた雪を降らせる・・・典型的な八ヶ岳連峰の真冬の雪です。カラマツの植林が終り、シラビソとモミの創り出す樹氷の森。白い珊瑚のように真っ白な枝となったダケカンバ。立ち止まるのも大変に感じる急斜面をユックリ、ユックリと登り詰めて行きます。強い風に時折、「あれっ?晴れ?」と思わせる青よりも黒に近いような原色の空が現れるかと思うと一瞬で、サーッと雪が降り注ぎます。この急斜面は厳しい代わりにグイグイと高度の稼げる山です。いつしか、木の丈は低くなり、足元に岩が増え、そして頂上直下の最後の難所である岩場にさしかかります。強く吹きつける風、風下の南斜面は膝までの新雪にトレースも消えました。そして蓼科山頂ヒュッテがガスの中に浮び、登り着いた三角点。強い風と寒さで足踏みしながら、数分の滞在でした。山頂は火山の噴火口跡。真中に蓼科神社があり、その火口のヘリの一番高い所を山頂とした姿は登り着いた者だけが知る大きな広場でした。風雪から逃げるように一気に降りた女神茶屋は再び小雪の中でした。

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守屋山

守屋山の「元気の出る木」・・守り神のようなブナ木でした
守屋山の「元気の出る木」・・
守り神のようなブナ木でした

 以下の者は、2011年1月25日、南アルプス最北端・諏訪湖の上に立つ守屋山(1610m)に杖突峠からアカエ沢源頭を経て東峰、西峰、両方に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 茅野・諏訪地方と遠の町を結ぶ国道の上の杖突峠が出発点でした。大型トラックも疾走する車道の音は、5分も歩けば真青な空の下に前日の降雪がハラハラと風花のように舞い落ちる静かな音に変わりました。人工林のカラマツでも、その間から見る霧ヶ峰は真っ白で、「展望の山」への期待を膨らませていきます。先行の人の踏み跡は固く、夏よりも歩きやすい登山道を春には「ザゼンソウ」の咲くらしい沢の水源を越えて本格的な登りになりました。片側は植林でも、諏訪側はブナ、シラカバの生えた原生林。点々と残るカモシカの足跡がありました。胸突坂の本当に急な斜面を攀じ登り、前が明るくなると、ポンと放り出されるように明るい山頂に飛び出しました。地元・諏訪の登山の方が「あぁ、諏訪湖も半分溶けちゃったなぁ。」と教えてくれました。数日前に完全結氷し、数年ぶりに、その真中に「御神渡り」の出現したと大きく報道された諏訪湖は、僕達にとっては充分な寒さの中でも半分は溶けたようです。歩き出しよりも展望は回復し、南アルプスが山頂以外は顔を出し始めていました。目の前に見える西峰。しかし、実際には行ってみると中々の行程でした。大きな「元気の出る木」と看板の着いたブナの木を越えて、もう一つの山頂に立つと、広大な展望が待っていました。甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、北岳を筆頭とする南アルプス、空木岳が全貌を出した中央アルプス、そして八ヶ岳の全山。「日本百名山」が一番沢山見える山に相応しい冬晴れの展望でした。

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天狗岳

天狗岳の背後には南アルプスが!
天狗岳の背後には南アルプスが!

 以下の者は、2011年1月23日、南北八ヶ岳を分ける名峰である天狗岳(2645m)に渋ノ湯から黒百合平、中山峠、天狗の鼻を越えて登頂し、西天狗岳を往復したことを証明します。

氏名 風 の 谷


 天狗の鼻をまわり込み、岩混じりの急斜面をトラバースし、山頂に到達した途端に大きく視界の中に飛びこんできた、八ヶ岳主峰である赤岳。中岳と阿弥陀岳を従えて立つ圧倒的な存在感。一気に開けた展望でした。そして、西天狗から降りだした頃、西側の空が開けて雲の中に槍、穂高が見えました。思わぬ展望と比較的穏やかな風の中、天狗岳に全員が立てたことを嬉しく思います。八ヶ岳は独特の雰囲気を持っています。雪と岩の剥き出しの山々が厳しい表情で迎えてくれる南八ヶ岳の山々と、どこまでも続く森林高地と点在する湖のステキな北八ヶ岳。天狗岳は、渋ノ湯からの延々たる凍結した原生林の中を登っていく北八ヶ岳の雰囲気と天狗の鼻から東天狗、西天狗に至る間の露出感の高い南八ヶ岳の厳しさを見せる両方の魅力を併せ持つ最高の山です。本来は黒百合ヒュッテや高見石の小屋に泊まり、登頂するのが一般的。今回のようにガンガン登る山ではないのかもしれません。遠く編笠山方面から縦走してくる時、権現岳、赤岳、硫黄岳の強烈な風雪の中を辿り、夏沢峠で樹林に再開し、天狗岳を越える時、「やっと帰って来た・・・」とちょっと安心する独特の雰囲気を持った天狗岳です。天狗岳から見ると北へと大きく広がる森林高地の樹林の美しさ、南へと徐々に標高を上げていく峻険な山々への畏怖。その両方が雪山の魅力です。天狗岳がそれらの山々への出発の最初の一歩となることを心から願っています。

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北横岳

北横岳から三つ岳へ
北横岳から三つ岳へ

 以下の者は、2011年1月22日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2480m)に坪庭より登頂し、三つ岳、雨池山、雨池峠と縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 溶岩台地が一面の雪面となった坪庭を抜けて、北横岳の斜面に入ったとたんの一面の樹氷の森。八ヶ岳は強い冬型が続くと意外と積雪が少ないのが特徴。低い気温はシラビソ、コメツガを石膏細工のような真っ白い森へと仕立て上げダケカンバを白珊瑚のように造り替えました。木々がまばらになり、丈も低くなり、登り着いた北横岳南峰。残念ながら八ヶ岳自身の展望は無かったものの、上部に不機嫌な雲を着けた蓼科山が雄大でした。そして立った山頂。ほんの少しだけ森林限界を越えて頭を出しただけなのに山頂には冬山本来の冷たい風が吹き抜けていました。三つ岳の稜線に入るとパタリと途絶える人の姿。岩混じりの稜線となり、北横岳付近とは一味違う厳しい表情も見せてくれました。三つ岳の中央からは振り返ると越えてきたばかりの北横岳が見え、足元には白い雪原と化した雨池がステキでした。そして諏訪盆地を挟んで北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳が見事に並んでいました。
 北横岳は幸か不幸かロープウェイが通ったために天候の穏やかな冬の日には多くの登山者が訪れる場所です。それでも、森の中は北八ヶ岳独特の森林高地の雰囲気を持ち、優れた展望と乾いた雪で快適な雪山登山の魅力を沢山教えてくれる山です。今回の登山で、最もお伝えしたかったことはキチンとした雪山での歩行です。アイゼンでの歩き方、ピッケルの使い方・・・、実は、この基本が全てと言ってよいのが雪山登山です。この北横岳が本格的な雪山挑戦の一歩となることを願います。

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安達太良山

視界ゼロ!空と雪面の境の見えにくい安達太良山でした
視界ゼロ!空と雪面の
境の見えにくい安達太良山でした

 以下の者は、2011年1月18日〜19日、南東北を代表する日本百名山の一つ・安達太良山(1699m)に奥岳温泉から勢至平を通りクロガネ小屋に宿泊し登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 帰って見た写真。どれを見ても空中に人が浮いているような風雪の写真ばかり。強い風とハラハラと舞い続けた雪。東北の冬の山の厳しさと激しさを強く感じさせられた二日間でした。関東北部にかかり続けた雪雲が、南東北では途切れる・・・そんな読みは見事に外れ、二本松の市街を抜けると強い風の中に奥岳温泉のスキー場に着きました。当然、ゴンドラは動かず、真っ直ぐクロガネ小屋を目指すものの、行くこと僅かでシッカリしたスノーシューのトレースは「引き返し」の跡を見せていました。強い風、ボコボコと潜る雪。広々とした雪原をノロノロと進む内に時間は四時を過ぎ、少し焦りました。小屋のカーンカーンという鐘の音が聞え、転がり込むように入った暖かい小屋。アツアツの温泉と煙を上げるストーブは正しく「黄金の御殿」でした。一晩中、唸りを上げていた風雪。小屋番酸の「本当に行くの?」という顔を背に、真っ白い世界に踏み出しました。ボコリボコリと丁寧に雪の上に穴を開けながらの前進。それも少しづつ強い風に締まり、全く見えない視界の中、「日本百名山・安達太良山」の標識はありました。更に登り着いた「乳首」。確かに間違いのない三角点の埋まった山頂は労苦の末のようやく手に入れた絶頂だったにもかかわらず、そそくさと後にしました。まだ、今も耳の奥に残る風の音。洗濯機から出してもまだ匂うクロガネ小屋の温泉の硫黄臭。コンパスを手に見据えた風雪の気配。厳しくもステキな二日間でした。

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金峰山

頂上の直下。空は真青!
頂上の直下。空は真青!

 以下の者は、2011年1月12日〜13日、奥秩父の王者・日本百名山の一つである金峰山(2599m)に廻り目平から中ノ沢出合いを経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 

金峰山小屋、ここからは森林限界
金峰山小屋、
ここからは森林限界

 背後にグイグイと大きくなっていく八ヶ岳。登るに連れて少しづつ姿を見せていく南アルプス。カーンと冷えきった空気は鼻の中まで凍りそうな寒さの中にありました。そして、行く手に光が見え、朝、最初の光が一杯に射した中に飛び出した所が金峰山の山頂でした。ドーンと音を立てそうな勢いで端正な富士山が正面にあり、足元には箱庭のような甲府盆地が広がります。突き抜けるような真青な空。サーチライトの当たる舞台のような見事な展望の中に立つことができました。この日の朝の金峰山小屋の窓の外の気温はマイナス18度。夜には当然マイナス20度を下回ったはずです。歩きだした廻り目平から冷たい風の中でした。夏には色とりどりのカラフルなテントの立ち並ぶクライマーの聖地も人っ子一人いない寒々とした景色の中でした。時折、上空を覆っていた雲は中ノ沢出合いから先はハラハラと小雪を落とし、瑞牆山の綺麗に見える中間地点からは本格的な雪となりました。雪印マークと同じ完璧な形の結晶化衣服に張りつきます。そして、森林限界の風景に溶け込むような金峰山小屋。赤々と燃えるマキストーブと、あまり暖かくなかった炬燵。それでも、窓から見える小川山と瑞牆山の姿と素晴らしい清里の夜景がありました。急展開した冬型の気圧配置の中の金峰山。歩いてみて気づいた事と思いますが、延々たる登りの中の全てがアズマシャクナゲの群落の中でした。小川山から金峰山にか
けて次はシャクナゲのトンネルの中を歩きたいものです。

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権現岳

風雪の権現岳
風雪の権現岳

 以下の者は、2011年1月8日〜10日、八ヶ岳南端の権現岳(2715m)に天女山から三つ頭を経由して登頂し、再び天女山から稲子湯に転進し、カモシカが原から稲子岳、ニュウ、中山に登頂し、高見石まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 ここ三回ほど続けて、権現岳からキレットを越えて赤岳、そして稜線を北へと縦走するプランが成功していない。「風の谷」の中では、通過困難な稜線のような雰囲気が漂ってしまった。しかし、八ヶ岳の縦走コースとして、けして困難に満ちたルートではない。たしかに、権現岳を出発し、赤岳、横岳、硫黄岳を越えて夏沢峠に至る岩稜は一部、キレット付近に微かな樹林帯を残す以外は徹底的な剥き出しの稜線だ。吹き募る西風と徹底的に向き合う縦走となる。今回も、厳しい低温、三つ頭手前の出鼻での一人の不調の方の出現と、その下山付き添いと言う決定的な無駄を強いられはしたが、もう少し風さえ弱ければ必ず無理なく行けたと確信している。必ず、近い内に、絶対にやり直さなければならない八ヶ岳の縦走だ。そして、転進した北八ッ。しかも佐久側からの北八ッは滅多に経験できない「彷徨」という言葉がピッタリの山となった。鬱蒼たる原生林の中のシラビソ小屋からの道。行きたい、そこで一度は泊まってみたいと思い続けていた凹地・カモシカが原での静かな、そして徹底的な低温の中の一夜。稲子岳への登り、さらに複雑で、広い尾根を右往左往してニュウへと辿り着いた時の感動。凍結した白駒ノ池の眺め・・・。不思議な、樹氷の森の中の独特な山旅を経験できた。繰り返すが、八ヶ岳核心部縦走はけして難しくはない。必ず、やりとげる決意を新たにしよう!

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爺が岳

強い風雪がずっと続いた
強い風雪がずっと続いた

 以下の者は、2010年12月30日〜2011年1月2日、北アルプス後立山連峰の中核・鹿島槍ヶ岳を目指して入山し信濃大町・日向山より扇沢を経由し、南尾根から爺が岳(2670m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 正面から黒部川を越えて吹きつける雪と風。爺が岳南峰を越えて南面のトラバース道に入り、いくらも進まない内に僅かな視界もなく、全く判らなかったルート。「行こうか?」「どうしようか?」・・・。南峰から冷池まで夏時間で1時間半。ジャンクションに戻るのと、大きな差はなく順調なら着けるはず。稜線は吹き飛ばされずにかろうじて歩けそうな状態・・・。しかし、引き続きの冬型の気圧配置の予想が頭をよぎる。冬型の北アルプス北部の共通の気象条件で一端、南東側・風下に入れば、そこは時折、陽差しさえ見える穏やかさだ。結局、爺が岳ジャンクションピークに二泊した。シラビソの密集した6本の木が、まるで防風壁のようになって風雪を阻む。吹きつける風雪の音は獣の咆哮のように唸っても、テントは時々バタバタ言うだけ。安定した静かな泊まり場だった。元日、再び、今度は「爺が岳に登る」ために向かった山頂。前日にも増しての風雪の中、前日より更に大きく成長した「海老の尻尾」の付いた山頂の黄色の標識の前に立った。折しも、下りだした時に見えた蓮華岳の幻想的な姿。もし、目標が蓮華岳だったら・・・・。そんな思いが去来する。結局、入山の時に日向山ゲートで降っていた雪は、下山し、再び車道を日向山に向かうまで、一瞬の小やみも無く、徹底的に降り続けた。予報ほどの悪天ではなかったものの、やはり北アルプス本来の風雪の中に山はあった。この正月、おそらく誰も頂上に立たなかった鹿島槍。又、いつか再び。

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硫黄岳

風雪の硫黄岳直下を下る
風雪の硫黄岳直下を下る

 以下の者は、2010年12月23日、八ヶ岳連峰の硫黄岳(2720m)に美濃戸から赤岳鉱泉、赤岩の頭を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

下山は真っ暗でした
下山は真っ暗でした

 ゴーゴーと音を立てて正面からバチバチと顔を打つ吹雪。広々とした尾根に立ちはだかる岩にビッチリと付いた海老の尻尾。頂上からの下りはじめが一番キツかったかもしれません。硫黄岳は展望の山と言われています。広々と広大な岩礫の広場からは森林高地の広がる北八ヶ岳と、岩と雪の南八ヶ岳の中間に位置し、その両方をたっぷりと眺められる、真っ正面に木曽駒ヶ岳を中心とした中央アルプスを、左手に北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳を前面にした南アルプス、右手に槍、穂高を筆頭にした銀屏風となった北アルプス、背後に浅間山と奥秩父を見る・・・はずでした。しかし、急激に訪れた冬型の気圧配置の下で、「硫黄岳って、ところで、どんな山なの?」という事さえ判らない天気でした。でも、それだけに新雪の積もった森、白珊瑚の様になったダケカンバの枝、凍りついたシラビソの木々をシッカリと見ることができました。そして、慣れないアイゼンに疲れ切って着いた山頂は吹き抜ける風雪の中でした。しかし、「本格的な雪山の一角に立った」という実感は登山本来の魅力だと思います。
 八ヶ岳は首都圏を中心とした登山者にとっては「取りつきやすい」山です。東京を早朝に立てば、中には、その日の内に山頂に立てるピークも少なくありません。天候も比較的安定し、今回の様な視界ゼロという日は少ないと思います。雪山の最初の一歩を、貴重な一歩を踏み出すのには最も適した山と言えます。この一歩から、次ぎの一歩へ、そしてテント、雪洞からラッセルして登頂する山へとのぼっていただければ幸いです。

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富士山・雪上訓練

七合目付近を登る
七合目付近を登る

 以下の者は、2010年12月17日〜18日、富士山雪上訓練に参加し、七合目2780m付近まで登高したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

アッと驚く大雪崩
アッと驚く大雪崩

 富士山の雪上訓練は何のために行うのか・・・?それをあらためて思った二日間でした。山麓から見上げる富士山は真っ白だったのに馬返しからの道はカサカサ乾いていて静かな初冬の山でした。テントを張るうちに急激に冷えてきた空気、しかし、登り着いた「天空の境」たる五合目は、まばらにしか雪はなく、トラバースしたツバクロ沢沿いに登り、ようやく雪田を見つける始末でした。シッカリした雪の上に雨が降ったために、滅多に見られない固いバーンが形成されていました。訓練には良いけれど厳しすぎる・・・それが感想でした。初日は形だけの訓練に留まり、早朝から開始された雪上訓練。しかし、六合目付近で見たのは初冬には見たこともない本格的な大雪崩の跡でした。頂上から届いた岩混じりのブロック雪崩の凄まじさは驚かされる迫力でした。毎年、必ず訓練を行う場所にも雪崩は被っており、いつもは「滑落止め」になる巨大堰堤も雪の下でした。本格的なアイスバーン。キックステップも先端しか入らず初心者には恐かったことと思います。アイゼンも先端だけが入る固い斜面で、正しい姿勢を維持しないと必ずバランスを崩す緊張感に満ちたものとなりました。経験者向きに準備していたザイルワーク等は危険すぎてできない状況でしたが、僕は、本格的なアイスバーンの下の確実な歩行技術を身につけることができる、またとないチャンスだったと思っています。持論なのですが、富士山雪上訓練は間違いのないピッケル、アイゼン技術を身につける場所だとあらためて思いました。この訓練をキッカケに本格的な雪山へ!

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空木岳

背後には南アルプスがすごい!
背後には南アルプスがすごい!

 以下の者は、2010年12月11日〜12日、中央アルプスの中核に位置する空木岳(2863m)に池山尾根をマセナギ、小地獄、大地獄を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂近し・・・遠かった!
山頂近し・・・遠かった!

 強風、霙、霰、そしてサラサラと音をたてる粉雪と時々刻々と変化した天気。そして、満天の星空の下での出発。池山小屋からの往復は、その大部分でラッセルを強いられシーズン始めとは思えない本格的な雪山となってしまいました。歩きだして3時間近くたってヤセ尾根の上から振り返る南アルプスの朝焼け。結局、日没に輝く南アルプスを夕方、もう一度見ることになった今回の空木岳ですが、ラッセルして、凍った斜面にアイゼンを効かして周囲の山々を見ながら登頂する・・・という最も大好きな形になりました。頂上直下、本当に山頂まで夏時間で1時間という所まで、完璧には山頂の姿を見せない奥まった山頂。すぐ・・・そこ!に見えていながらなかなか近づかない頂上。振り返れば南アルプスが天竜川を挟んでまさしく手の届きそうな銀屏風となっていました。山頂直下でいきなり姿を見せる木曾の御嶽山、乗鞍岳から槍ヶ岳に至る北アルプス・・・最高の展望が、そこだけ冬の風の吹いていた山頂にはありました。
 中央アルプスは素晴らしい山脈にもかかわらず、なんとなく行きにくい場所です。東京から遠いことに加えて、最も見事な中核である木曽駒ヶ岳周辺がロープウェイ、ホテル等によって観光開発されたことによる、何となく敬遠する傾向があるからでしょうか?しかし、そこ以南の大部分は訪れる者もない静寂が支配し、越百山から南では広大な未開の山と谷が待っています。充実した見事な山脈・・・、また訪れてみたいものです。

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稲子岳

稲子岳山頂からは背後に天狗岳が近い
稲子岳山頂からは背後に天狗岳が近い

 以下の者は、2010年12月7日〜8日、北八ヶ岳の稲子湯からシラビソ小屋に宿泊し、稲子岳(2380m)に登頂し、秘密の凹地・カモシカが原を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

カモシカが原。不思議な空間だ
カモシカが原。不思議な空間だ

 ハラハラと小雪が舞い続ける夜明け前の光景に、スッカリ展望を諦めていた空にキラキラと輝く星を見つけました。「もしかしたら・・・・。」の思いは静かに明けていく朝の空に屹立する天狗岳東壁が浮かび上がるのを見て確かな物となりました。「しらびそ小屋」。周囲をその名の通りシラビソの静謐な森に囲まれて雪の上に点々と動物の足跡の付く静かに煙突からマキストーブの煙を上げる小屋の一夜は明けました。そこから登りだした「北八つの森」。コメツガ、シラビソ、ダケカンバの上に前夜の雪が小麦粉でも撒いたかのように美しく化粧をさせて見事な雪の森を作り上げていました。中山峠への急峻な登りが始まる手前・・・、そこから始まる道無き道。岩を乗り越え、凍結した苔の斜面を横断し、恐る恐る足を置く大変な登りがコメツガの森の中に続きます。そして、急峻な斜面を攀じ登り、飛び出した明るい斜面。天狗岳、硫黄岳が目の前に屹立し、遠く金峰山が眺められる明るい斜面。その中に誰一人訪れた気配のない稲子岳の山頂はありました。強い冬型の気圧配置に、北八ヶ岳の主脈を越えた風が山頂には時折、吹いていました。そこから更に降りた「カモシカが原」。踏み跡さえない凹地は、たしかにカモシカでもノッソリと出てきそうな不思議な空間です。全く、人の訪れの気配さえないポッカリ開いた広場からは天狗岳が見えました。小雪から快晴へと激しく変化した雪の森。この山塊や奥秩父の山並みをまた、訪れてみたい冬の山でした。

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唐松岳

八方池も真っ白に凍結
八方池も真っ白に凍結

 以下の者は、2010年12月4日〜5日、北アルプス後立山連峰の唐松岳八方尾根の丸山(2428m)に兎平より八方池、上の樺を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

強風快晴!初めてのアイゼンがザクザク刺さる
強風快晴!
初めてのアイゼンがザクザク刺さる

 初冬の山は一気に訪れる冬と、時折の揺り戻しの秋との間を行ったり来たりを繰り返しながらの季節です。白馬駅手前でも微かな積雪のあった唐松岳。強く吹きつける風の中の出発でした。スキー不況のためか、兎平からの歩き、しかし、それは、この時期、なかなか体験できないラッセルの経験のできる貴重な場所でした。一歩一歩、ボコリボコリと丁寧に穴を開け、踏み固めながらの登りは振り返るとちっとも進んでなくてガッカリすることを除けば楽しい経験です。初めて履くアイゼン。初めて持つピッケル。ちょっと不似合いに思えても、近い将来、きっと登れるに違いない後立山連峰の素晴らしい山々・鹿島槍ヶ岳、爺が岳、五竜岳、白馬三山に挑むささやかな一歩の踏みだしです。言い訳っぽくなりますが、全員が初雪山、初テントで強風下の生活は厳しかったと判断しました。テント泊を基本とする「風の谷」としては雪の中で、食事をして雪の中で寝ることも重要なトレーニングと考えはいるのですが・・・。翌朝、ヘッドランプを点けての出発。背後の戸隠の山々が赤くなり、白馬三山がピンク色に染まる貴重な大切な瞬間。冷たくはなくても吹きつける風の中に目指す丸山が浮かんでくる美しさ。雪山の楽しさが満喫できました。ラッセルすることは大変でも、最初の一歩を刻んでいくのは大昔、この地を初めて登った挑戦者と同じ体験のできる雪山ならではの醍醐味です。小さなピークではあっても丸山はみんなの初雪山の象徴です!

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生藤山


 以下の者は、2010年11月30日、奥多摩南端を縁取る甲武相国境尾根の中核である生藤山(990m)に南秋川の柏木野から万六尾根を登り連行峰(1003m)を経て登頂し、三国山、三国峠から鶴川水系の井戸へと三国峠道を越えたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 

三頭山から高尾山へと、東京、神奈川、山梨を分けながら延々と伸びる甲武相国境尾根。三頭山から西原峠へと一端、大きく標高を下げた後、1000m前後を緩やかに上下する尾根は笹尾根とも呼ばれ、尾根上の道はかつては微かな物であっても、山梨県の鶴川上流と東京都の秋川上流とを結ぶ沢山の峠の越える道でした。塩道であり、繭や絹が行き来し、薪炭の越えた峠だったと言われています。僕が中学生だった当時は、峠を越える里道が鮮明で稜線の縦走路は藪だらけ・・・、縦走路を行くつもりがついつい里に降ってしまい慌てて戻る・・・なんて事がありました。そして笹尾根は典型的な「富士見の道」でもあります。鶴川、桂川を前景に大きく、そして思いの外、高い所に聳え立つ富士山の姿は、嬉しい物です。とりわけ、秋川上流の集落から、それなりの標高差を登り詰めて、稜線に飛び出した途端にドーンと視界に飛びこむ真っ白い富士山との出会いは、この山域ならではの物と思っています。
 ガサゴソ、カサコソ。下山した後も耳の奥に残る積もった落ち葉の音。初冬の奥多摩の静けさを逆に意識させる賑やかな音でした。しめ縄のかかった滝、祠のある巨木、そして登る毎に背後に明るく狐色の斜面を見せる浅間尾根と御前山、大岳山、遠くの雲取山。冬なのに、風は冷たいのに、暖かさを感じさせる生藤山の一日でした。

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阿弥陀岳南稜

真っ暗の中の阿弥陀岳山頂
真っ暗の中の阿弥陀岳山頂

 以下の者は、2010年11月27日〜28日、八ヶ岳の阿弥陀岳に舟山十字路から立場山を経て南稜を越えて登頂し、中岳とのコルでビバークした後、南峰リッジを登攀し赤岳(2899m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 

風雪の中の赤岳南峰リッジ
風雪の中の赤岳南峰リッジ

阿弥陀岳南稜核心部のP3のルンゼを越えた後、急激に夜が訪れました。中央アルプスに太陽が真っ赤になって沈んだ後、背後には権現岳が見事に赤々と輝いていました。天狗尾根を従えた赤岳、そして遠く蓼科山までが迫り来る宵闇の中に浮かんでいました。空に星が光り、諏訪盆地と清里方面の夜景が金粉を振りまいたように低く光っていました。最後のP4はヘッドランプの灯だけでハーケンも見えず、凍りついたハイマツにシュリンゲをかけての登りでした。最後の登りを征した阿弥陀岳の登頂はオリオンが見守る中でした。中岳とのコルに慎重に下り、ツェルトとシュラフカバーだけで過ごす夜。明け方から雪が降り始め、厳しい訓練となりました。朝、濃いガスと雪の中、疲れていてもむかった赤岳南峰リッジ。強くなる冬型の中、吹き上げる風雪の中、ジリジリと高度を稼ぎ稜線に出て、吹き倒されそうな風の中、見慣れた山頂へと飛び出しました。入門ルートとは言え、バリエーションルートを継続して登攀し、二年間休止していたビバークトレーニングを復活させた意味は小さくありません。ビバークトレーニングは単なる根性試しではありません。冬山を初めとした本格的な登山を志す者が、何時かは必ず強いられる「予定していた宿泊地に到達できない事態」。そんな時でも「あぁ、あの時の大丈夫だったんだ・・・・、だから大丈夫」と落ち着いていられる為のトレーニングです。思わぬ風雪と寒さ。辛くても充実の二日間でした。

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塩見岳

頂上近し
頂上近し

 以下の者は、2010年11月20日〜21日、南アルプスの中核・塩見岳(3046m)に鳥倉口から三伏峠、本谷山を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 

ダイヤモンド冨士
ダイヤモンド冨士

頂上に出た瞬間に今まで見えていなかった富士山が、たった今、昇ってきた太陽を背後から受けながら金色に輝いていました。富士山と塩見岳との間に一面に雲海が広がっている以外、全く雲のない空が頭上にはありました。遠く銀屏風となって輝く北アルプス、目の前に広がる中央アルプス、そして大きく南北にその姿を見せる、この南アルプスの山々。全てが360度に広がっていました。先週の雪の常念岳、そして、標高1000mまで一面の雪が続いた三日前の奥秩父・雁坂峠に比べると圧倒的に少ない雪の塩見岳でしたが、それでも2250mから上では雪の道を歩き、水作りには困らない程度の雪山でした。本格的な雪山シーズンを前にしたトレーニングとしての意味をも持った今回の塩見岳。標高差1000m以上を征して完全に森林限界を越えた塩見小屋前まで一気に登り上げました。目の前に天狗岩を従えた塩見岳を聳え立たせ、背後に中央アルプスを、そして北岳、甲斐駒から荒川三山までが手が届きそうな最高のロケーションの泊まり場は、満月の灯の眩しいテント場でした。僅かな微風だけが背中を押す絶好の天気の下、中央アルプスに沈む月を見ながらの出発でした。一歩登る毎に開けていく展望、まだ慣れないアイゼンの感覚と凍りついた岩場。でも、意外にも早く山頂は目の前だ。三角点のある南峰からちょっと高い北峰を目指す背後には太陽を受けて影となった塩見岳。そして山頂直下でダイヤモンド冨士が待っていた。冬の予感が一杯の塩見岳でした。

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雁坂峠

秩父側はずっと雪道が続いた
秩父側はずっと雪道が続いた

 以下の者は、2010年11月16日〜17日、奥秩父を代表する、日本三大峠の一つ、秩父往還の越える雁坂峠(2082m)を山梨側、雁坂トンネル入口から峠沢沿いに登り、地蔵岩、突出峠へと峠越えしたことを証明します。

氏名 風 の 谷

 

雁坂峠近し
雁坂峠近し

峠は冷たい風が吹き抜けていました。雁坂嶺への道には見事な霧氷が見る見るうちに着いていきました。歩きだした雁坂トンネル入口では晩秋の気配だったのが、峠沢を渡り、ジグザグ道が始まる頃には雪が見えだし、広大な笹原に出る頃には絶えず雪を踏みしめる道へと変わっていきました。まさしく初冬の峠となりました。天気予報とは裏腹に、奥秩父主脈を越える風は稜線の上にガスをたちこませ、遥かに見下ろす甲府盆地には明るい陽差しが射しているにもかかわらず、稜線は寒々とした中にありました。雁坂峠は広々とした草原の中にありました。どんどん急になっていく最後の急坂を登り詰め、ポンと峠に放り出されるような雰囲気は、天候如何にかかわりなく「あぁ、やっと着いた!」との思いで満たされます。それこそ太古の時代から延々と歩き次がれてきた峠の上には、そんな人々の気配が満ちています。峠を越えて秩父側に入ると今までとは打って変わったコメツガの奥深い森となります。季節風は峠で遮られるためか、一転して静寂と展望が戻ってきました。両神山や唐松尾山、和名倉山が手の届きそうな近さで雲海の上に浮かんでいました。紫色の煙を上げるマキストーブの小屋、イノシシ鍋と、ズリアゲうどん、冷えきった峠の小屋がなんだか暖かく感じられました。静かな秩父側の峠道。人の踏み跡はなく代わりに大きな熊の足跡が鮮明に残る峠道は、所々で開ける雄大な展望と、最後に現れた紅葉のトンネルの道でした。

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常念岳

山頂近し。強い風の中でした
山頂近し。強い風の中でした

 以下の者は、2010年11月13日〜14日、北アルプス・常念山脈主峰・常念岳(2857m)に三股から2207m台地、前常念岳を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 

稜線からは穂高連峰が見事
稜線からは穂高連峰が見事

山麓から見上げた常念岳は思った以上に白く、もはや冬の装いでした。三股へと向かう車窓から見渡す烏川渓谷の紅葉は素晴らしく、そこは、まさしく秋、たけなわ。それでも、歩きだして道端にチラホラと見えた雪は、北アルプスの雪らしくなく、踏みしめると水の滲み出る、奥多摩の低山のような雪でした。いきなりの急斜面、今年最初の本格的な雪山の荷物、それでもラッセルの無い登りはグイグイと高度が稼げます。このルート、唯一の平坦な場所の2300m付近にテントを張りました。安曇野が美しく見下ろせ、蝶ヶ岳から常念にかけての白い稜線、浅間山まで見られたコメツガ林の中の静かなテント場でした。雪山ならではの早朝出勤、ヘッドランプの中に浮び出る雪の斜面は、少しづつ白い量を増やし、そして前常念の手前で、見事な穂高岳連峰と出会うことができました。そして、常念岳へと続く雪山らしい稜線は僕達を有頂天にさせました。厳冬期の本格的な冷たさにはほど遠いものの、強い風が今シーズンの雪山が始まった事を報せてくれました。登り着く主稜線、ドーンと音を立てそうな迫力で並ぶ槍ヶ岳。富士山から八ヶ岳、南アルプス、北アルプス北部の山々と広大な展望がありました。さっきまで見えていた穂高岳連峰は雪雲が越えていき、強風を報せるレンズ雲もかかっていました。まだ優しい秋の気配が雪の中に感じられた今回の常念岳です。来年は、最初の雪山は穂高で迎えられないか?そんな思いを持たさせる素晴らしい展望の二日間でした。

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千頭星山

キラキラ光る笹原が眩しい
キラキラ光る笹原が眩しい

 以下の者は、2010年11月10日、南アルプス鳳凰三山の前衛・千頭星山(2139m)に甘利山(1731m)から奥甘利山、大西峰を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 

手が届きそうな鳳凰三山
手が届きそうな鳳凰三山

千頭星山を後にして、キラキラと光る笹原を歩いている時に鳳凰三山から風に乗ってハラハラと小雪が舞いだしました。見下ろす広大な甲府盆地の広がり、富士山、大菩薩、御坂、奥秩父、八ヶ岳、そして南アルプス北部の山々。広大な眺めが終始見られた一日でした。甘利山の山頂直下まで車道が通り、南アルプスの前衛の一端に歩かずに到達できる便利さを喜んでよいのか?でも、最初から見事な亜高山の雰囲気の中を進みました。恐いくらい、黒いように感じるほどの空。晩秋の、そして初冬の一時だけに現れる完璧な快晴の中の道でした。広々とした明るさに満ちた甘利山。そこからサルオガセの絡みつくカラマツの尾根を辿り、登り返した奥甘利山。そして大西峰を越えて出会った美しい笹原がありました。「あぁ、見えた・・・。」。歩いてきた山々と対称的な屹立した岩場を見せた鳳凰の薬師岳と観音岳の堂々とした岩峰が見えました。振り返ると笹原の上に立派すぎる富士山が甲府盆地を、まるで海のように見せながら聳えていました。あんなに広大な展望の中を歩いてきても、一変したカラマツの木立の中に目的の山頂はありました。木々を吹き渡る風の音だけが印象に残る静かな山頂は、森のアルプスである南アルプスの一角であることを感じさせました。「甘利山のレンゲツツジは鹿の食害で、もう終り」と聞いていただけに、確かにかつての勢いは失せたものの、まだまだ残るツツジの株と草原に胸を撫で下ろし、初夏の再訪を思った千頭星山でした。

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黒富士

富士山と黒冨士
富士山と黒冨士

 以下の者は、2010年11月9日、奥秩父前衛・黒冨士(1635m)に観音峠から大野山林道を辿り1624mピーク、升形山(1650m)を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 

明るいカラマツの尾根道
明るいカラマツの尾根道

見事に紅葉したナラの葉をビュービューと吹き抜ける木枯らしが、鳥が空を舞うように吹き散らしていくなかの黒冨士一帯でした。観音峠からグルグルと山の鼻を一つ一つ巻きながら辿るアスファルト道からは八ヶ岳が雪雲に隠れては姿を現す中にありました。そして取りついた急峻な尾根。踏み跡もない笹原の覆った稜線はカラマツの金色の針のような葉がパラパラと落ち続けていました。地形図を頼りに、「ここはどこ?」「次ぎはドッチ?」と目標を探しながらあるくうちに、1624mピークの次ぎのピークから間違いもなく富士山形をした尖った山が見えました。まさしく「黒冨士」。幸か不幸か、その先のコルに「黒冨士峠」の指導標と金峰山麓の黒平(クロベラ)を指す標識が新設されていました。そこからは本物も富士山が黒冨士の左に立ち、最も見てみたかった光景が広がりました。急峻な斜面を西側の小尾根にかわし、這い登った升形山。岩場混じりの四方が切り立った、今回の最高峰からは背後に大迫力で真青な空に向けて屹立する金峰山と奥秩父主脈の黒々とした山々が屏風のように並んでいました。強風に吹き飛ばされそうな狭い狭い山頂を恐々と降り、エアーポケットのような「ホウズキ平」の茅原には暖かい陽差しがありました。そして、登り着いた黒冨士の山頂。南アルプスまで見え、甲府盆地を見下ろす展望は見事でした。晩秋の木枯らしの中を歩き抜けた茅ヶ岳山塊の奇峰・黒冨士。誰にも会わない静寂の山頂でした。

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雁ヶ腹摺山

雁ヶ腹摺山頂上直下からは白い富士山が見事
雁ヶ腹摺山頂上直下からは
白い富士山が見事

 以下の者は、2010年11月2日、大菩薩南方の五百円札の絵柄の撮影の山として知られる雁ヶ腹摺山(1874m)に大峠より登頂し、更に小金沢連嶺南端の一等三角点の山・黒岳(1987m)にも登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

山ぶどう!こいつは美味かった
山ぶどう!こいつは美味かった

 今年二度目の木枯らしが冴え渡った紅葉を吹き飛ばす中の大峠でした。富士山展望の山として知られる雁ヶ腹摺山は、かつては真木川沿いの途切れ途切れの道を何回となく徒渉して大峠に出て、初めて登れる山でした。大菩薩を横断する形で作られた葛野川総合開発に伴う大峠を越える車道の建設は、この僻遠の山を徒歩1時間で登れる山へと変身させてしまいました。それでも、丁寧に残された広葉樹の尾根は、一歩山道に入ってしまえば、そんな事を忘れさせるステキな尾根でした。背後に現れた富士山は僅かに山頂付近を白く染めているだけでしたが、すでに雪雲を纏った南アルプスは、新雪を被っていました。山頂付近のカヤ原からは振り返ると富士五湖へと続く桂川沿いの山々を従えて圧倒的な迫力で聳えていました。改めて、富士見の山としての雁ヶ腹摺山を見直したい思いです。大峠に戻り、色とりどりの紅葉の下を登り返した黒岳への道。小金沢連嶺の南端に最後の高まりとして黒々と立つ黒岳。その登りは、広葉樹から奥秩父北面を思わせるシラビソの森となって稜線へと導きました。展望とてない山頂は、変化に富んだ小金沢連嶺の最後を飾るに相応しい重厚さでした。
 雁ヶ腹摺山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、笹子峠に近い笹子雁ヶ腹摺山、御坂の日陰雁ヶ腹摺山と四つの雁ガ・・・の親分である山頂は他の三つと同じく、富士山の展望の山でした。季節を迎えた雁が稜線に腹を摺る様に越えていく・・・なんて晩秋に相応しい山なんだろう・・・と、帰って来てシミジミ思います。

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女峰山

赤薙山への稜線は真っ白
赤薙山への稜線は真っ白

 以下の者は、2010年10月26日に日光・霧降高原より丸山(1683m)に登頂し、翌27日に志津林道より唐沢を経て女峰山(2483m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 

霧氷のトンネルの中を行く
霧氷のトンネルの中を行く

 丸沼高原に着いた時からハラハラと落ち続けた風花。それが一晩明けるとうっすらと白く辺りを染めていました。今年最初の雪、そして寒さの中の女峰山でした。標高1500mを越えるとカラマツ以外の木々は大部分の葉を落とし、見下ろす斜面は色とりどりの紅葉真っ盛りでした。冷たい空気に鼻先がキーンと痺れる感覚は新しい季節がいち早く山に訪れたことを感じさせました。唐沢を渡り、見上げる女峰山は山頂付近を樹氷が真っ白に染めて、近寄りがたい雰囲気がありました。少しづつ急になっていく斜面。振り返ると首都圏の山とは、どこか決定的に違う何かを持った山々が見られます。男体山を初めとする山々、広大なカラマツの金色の斜面、そして、キラキラと輝くクマザサの原。足元には巨大な霜柱がありました。ちょっと立派すぎる唐沢小屋を過ぎ、ガレ場を越えると、そこは霧氷のトンネルでした。風が吹くたびに舞う白い粒。そして真青な空に浮ぶように女峰山山頂はありました。期待した奥鬼怒、尾瀬、そして会津の山々の展望こそなかったものの、前日、登った丸山への赤薙山経由の尾根は見事な霧氷の尾根と化し、大真名子山へと続く稜線も見事でした。帰り道では、霧氷のトンネルは、半分位は太陽の光で落ち、足元で光っていました。丸山と女峰山。「風の谷」では初めて訪れた日光の山々。戦場ヶ原を見下ろす素晴らしい展望の山は、高原の風とカラマツの山麓と、新しい季節の中に輝いていました。

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三つ峠・岩登り講習

とにかく沢山登りました
とにかく沢山登りました

 以下の者は、2010年10月23日〜24日、御坂山塊・三つ峠山屏風岩で行われた岩登り講習会に参加し、多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 本当の岩場での岩登りと同様の状態で練習することのできる岩場・三つ峠。今、日本で本格的なアルパインクライマーとなっていった人の中で、三つ峠の岩場を経験しなかった者は・・ほとんどいない・・・。それほど多くの人に親しまれてきた岩場です。初めてハーネスを着け、ザイルを結ぶ者から、この冬の本格的な登攀に向けて技術を磨く最終確認を行う者まで、多くの人がそれぞれの課題を求めて、やってきます。今回は徹底的に登り降りを繰り返すことで、「岩登りとは何か?」をハッキリと判るまで練習することができたと思います。また、三つ峠のようにシッカリとした支点が徹底的に整備された岩場であっても、場合によっては致命的な事故に直結しかねない浮き石等があり、また、ホールトの欠損、岩場の崩壊等もあります。岩登りの基本的なシステムを守りながら(絶えず自分自身でセルフビレーしているか、パートナーによって確保されている状態を一瞬の間もなく続ける)、自分達の登攀を貫徹する・・・という岩登りの基本は、どこであっても変わりません。二日間、ずっと見えていた富士山。遅れていた雪も、微かに着きだしました。これからは雪の山、冬期登攀の季節です。より一層の厳しさの中で、自分の限界を知り、それを伸ばし、高めていくのに最も適した季節です。今回のクライミングが、この冬こそ「一歩上」を目指した登山を可能にする一助となれば幸いです。

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川苔山 

何回も川苔谷を渡り返す
何回も川苔谷を渡り返す

 以下の者は、2010年10月20日、奥多摩を代表する名山である川苔山(1367m)に川乗橋より川苔谷林道を歩き百尋の滝を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 ついに、丸々一日視界の開けなかった「展望の山」。シットリとした秋の気配が一気に立ち込めてきた山は、今まで気がつかなかった、この山の良さを教えてくれようにも思います。標高1367m。奥多摩の中でも、けして標高の高い方とは思えないのに、これほどの変化に富んだ山は他に無いと思えます。残念ながら車道が脇に通り、時折、林業関係者のクルマが通っていても、見下ろす谷は随所に淵や滝をかけて小雨に煙っていても、迫力のある眺めがありました。登山道に入ってからの道は何回も谷を渡り返し、橋を一つ渡るたびに新しい谷の眺めが広がります。濡れた橋や桟道、所々で滑りやすく谷底までには高さもあって、それなりの緊張感が続きました。谷が狭まり、大きな高巻きの先で出会う百尋の滝。全水量を激しく落とす様は、この川苔谷の最もステキな場所です。ガスが立ち込め、木立の間も霞む山道。最後の最後まで小さな流れが細々とでも続き、つい先程までのドードーと激しい渓声を響かせていた谷とは別のサラサラと爽やかな沢音を立てながら、それも木立の間に消えていきました。足元に落ちた葉が、急に色づきだし、見上げる木々も色とりどりに変わるころ、やっとの思いで稜線に立ちました。そこから僅かな距離での山頂。何一つ見えないけれど、四方に開けた山頂での本来の展望を思いました。
 登山口からの標高差1000m以上。その行程は変化に富み、谷、沢、落ち葉の道、始まりだした紅葉と、やはり見事な変化の山でした。

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金山沢

落ち葉に覆われたナメ滝の連続

 以下の者は、2010年10月17日、奥秩父北端の日本百名山の一つ・両神山(1723m)に中津川・神流川方面の落合橋より金山沢を遡行して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今年最後の沢登りを本当に美しく、楽しい沢で終えることができました。猛暑の残りがいつまでも続き、紅葉なんか全く期待していなかった両神山でしたが、磨いたようなスラブの連続の上には色とりどりの落ち葉が落ちていました。そして、登り着いた稜線、鋭い絶頂の両神山山頂からは見事な紅葉の山々が広がっていました。両神山は鋭い山です。奥秩父主脈から遠く離れ、もう、手を伸ばせば届きそうな近さで群馬の山々が迫る山頂は、四方を岩場で囲まれた峻険な山です。遠くから、この山頂を見る時、屹立した岩場で守られた天然の要塞のように見えます。金山沢は、その山頂直下に突き上げる美しい沢でした。前回、訪れた時のヌルヌルしたヌメリもなく、乾いた白い花崗岩の一枚岩の連続、上部の大ナメの連続はヒタヒタと登って行ける独特の楽しさがありました。
 両神山周辺はそのアプローチの悪さのために、素晴らしい山が訪れる者もなく、ヒッソリと鋭い岩峰を見せています。とりわけ群馬県と埼玉県の県境をなす尾根は無名に近い山々を林立させ、沢を登り、沢を下る以外に登頂の方法も無い岩峰が僕達の訪れを待っています。また、中津川流域の沢も、素晴らしいナメ滝を連続させる美しい沢でありながら、年間に全く遡行者を見ないルートもあります。機会を見て、無名の素晴らしい、美しい谷から鋭い山頂に立つような登山を、来年は行ってみたいと思っています。

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日和田山・岩登り講習

 以下の者は、2010年10月16日、奥武蔵・日和田山で行われた岩登り講習会に参加し、数多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日和田山の岩場が、岩登りの入門講習に適しているのは、岩が固く、剥離等の心配がなく、数多くの安定した支点が打たれ、初めての人が安心して岩登りの楽しさを知ることができる点にあります。多くの登山者が、ここで岩登りの基礎を覚え、大きな岩場に挑戦したり、厳しい岩稜に挑む技術的な裏付けとしたりしています。今回の講習で、最も確実に身につけていただきたい事は、岩の登り方でした。一見、垂直に近く、到底、登れないと思える岩であっても、シッカリと岩と向き合い、正しい姿勢で挑むならば確実に登れると言うことを知ってほしいと思います。また、もう一つ大切な事は岩登り中の安全の確保です。一端、岩場に向かい、ザイルを装着したら、絶えず、相手に確保されているか、自分自身で自分の安全を確保しているか(セルフビレー等で)の何れかの状況に絶えずある・・・という事です。岩登りの技術は、単純な安全確保の手段を間違いなく、繰り返し、手を抜かずに続けることで安全に習得することができます。今回、覚えたことは小さな岩のゲレンデから、ヒマラヤの大岩壁まで共通する技術です。確実に間違いなく、覚えてください。
 岩登りが終了して、初心者は、まず腕が疲労しているはずです。しかし、どんな豪腕の持ち主でも、身体を指先の力だけで持ち上げることは絶対にできません。足の力で、オーバーハングの岩でも確実に登るのが岩登りの基本です。正しく、岩に向き合い、親指の付け根に力を入れて登るならば、次ぎは今回、登れなかった所も登れます。次ぎに向けて頑張ってください。

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平ヶ岳

広大な頂上湿原には点々と小さい池が綺麗だった
広大な頂上湿原には点々と
小さい池が綺麗だった

 以下の者は、2010年10月6日、前夜、山麓の銀山平に宿泊し、中ノ俣林道終点より五葉松尾根を登り、玉子石を経て平ヶ岳(2141m)に登頂し、頂上湿原を池ノ岳へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 思いもかけない頂上湿原のクサモミジと目を見張る紅葉の中の平ヶ岳でした

色とりどりの草モミジの中を歩く
色とりどりの草モミジの中を歩く

。標高1900m程度の頂上台地に一端、足を踏み入れると、どこが頂上だか良く分からない広大な広がりがありました。丈の低いシラビソの木々の間は色とりどりに染まり、小さな池の表面は薄氷が張っていました。思わぬ所で山への秋の訪れを実感させられました。柔らかい太陽が姿を見せ、この伸びやかさは、他の山々には無い解放感がありました。視界は開け、行く手は見えていても、すぐ近くにあるはずの越後三山等は全く見ることはできませんでした。この平ヶ岳も顕著な分水嶺の山です。群馬県と新潟県の県境に山頂はあり、本来の登山口である「鷹ノ巣」は福島県です。山頂から北に流れた水は奥只見湖に入り、只見川へ、南側へと流れた水は直下の奥利根本谷へと入り、利根川へ。僕自身が、最初にこの山頂に立ったのは奥利根に入り、水長沢を遡行した際のものでした。あの、激しかった水流が、たおやかな他の平ヶ岳の美しい沢とは対称的だったことを懐かしく思い出しました。 
 帝釈山、会津駒ヶ岳と越後から会津にかけての豪雪地帯の山に、今年は三つ足跡を記しました。何れも他の山域にはない、独特の明るさと雪圧に押しつぶされた灌木、密集したネマガリダケとシャクナゲの木々のある、広大な高層湿原を持つ素晴らしい山でした。日光、奥鬼怒・・・、そんな山にも足跡を残してみたいものです。

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