過去の登頂記録     (2010年4月〜2010年9月)

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2010年 9月 9月28日 大菩薩峠
9月13日〜15日 朝日岳
9月11日〜12日 釜ノ沢西俣
9月7日〜8日 黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳
3月 8月31日〜9月3日 聖岳
8月24日〜25日 焼岳
8月18日〜19日 常念岳
8月10日〜11日 七倉岳
8月7日〜8日 恋の岐川
8月2日〜4日 奥穂高岳
7月 7月31日〜8月1日 前穂高岳北尾根
7月27日〜28日 北岳
7月27日〜28日 北岳バットレス
7月17日〜19日 股ノ沢
7月13日〜14日 会津駒ヶ岳
7月6日〜7日 権現岳・赤岳
7月4日 水根沢
7月3日 逆川
6月 6月30日 小坂志川
6月28日〜27日 ヌク沢
6月19日〜20日 ナメラ沢
6月15日〜16日 帝釈山
6月8日〜9日 甲武信岳から雁坂峠
6月6日 小川谷廊下
6月5日 勘七ノ沢
5月 5月29日 長沢谷
5月26日 小金沢連峰
5月25日 南大菩薩
5月22日〜23日 豆焼沢
5月18日 蕎麦粒山
5月15日〜16日 三つ峠・岩登り訓練
5月11日〜12日 雲取山
5月1日〜4日 光岳
4月 4月27日〜28日 金峰山
4月25日 日和田山・岩登り講習
4月10日〜11日 笊ヶ岳
4月6日 浅間尾根
4月3日 唐松岳
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2008年 7月〜2009年2月の登頂記録へ
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2007年 9月〜12月の登頂記録へ
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2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
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大菩薩峠

 以下の者は、2010年9月28日、日本百名山の一つ大菩薩嶺(2057m)に福ちゃん荘前より唐松尾根を経由して登頂し、雷岩から大菩薩峠まで辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 大菩薩嶺は日本百名山の中でも、最も登頂しやすいピークの一つです。60年代後半から始まった林道開発、電源開発に伴う日川上流付近の開発は、稜線直下まで縦横に車道の建設を許し、かつては裂石・大菩薩登山口から標高差実に1200mを征して到達した山頂に幸か不幸か標高1740mからの登山が可能となってしまいました。夜行列車で新宿を発ち、深夜から延々と山麓から登った道をクルマは疾走していきます。便利になった反面、第一、第二の展望台からの甲府盆地の夜景、林立するブナの大木との出会い等の貴重な眺めを失ってしまったのも事実です。しかし、一方で朝発ちでゆっくりと大菩薩嶺から大菩薩峠にかけての、この連峰の中での最も優れた部分だけを楽しむことも可能になったわけです。今回、ついに一度たりともカッパを脱ぐ機会もなく、展望も全くない中での大菩薩でした。それでも北面の鬱蒼たる原生林、南面の明朗な草原の姿を感じることはできたと思います。あの便利すぎる車道も12月の声を聞けば固くゲートを閉じます。心ある登山者は昔と同様に山麓から森や展望を楽しみながら雪を踏みしめて辿ることとなります。その時に再度挑戦していただければ幸いです。
 登山中もお話ししたように大菩薩連峰は東西10km、南北12kmに渡る大山塊です。穏やかな牛ノ寝通り、変化に富んだ小金沢連峰、様々な角度から大菩薩を楽しむキッカケとなれば嬉しく思います。

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朝日岳

その名も花園三角点の登り
その名も花園三角点の登り

 以下の者は、2010年9月13日〜15日、北アルプス北端の花の山・朝日岳(2418m)に蓮華温泉より兵馬平、白高地沢、花園三角点、吹き上げのコルを経て登頂し、黒部川支流・北又小屋まで縦断したことを証明します。

氏名 風 の 谷

まるで海に降りていく北又への道
まるで海に降りていく
北又への道

 硫黄の香り立つ蓮華温泉の露天風呂からはダケカンバの木々の上に雪倉岳が大きく見えていました。朝日岳のみは沸き上がる雲の中にヒッソリと隠れていました。蓮華温泉から朝日岳に登ってみたい!しかし、その願いはなかなか難しいものでした。極めて不便な山襞の中に隠れるような小さな温泉、そこから延々と湿原を渡り、沢を越え、ブナの森を抜けて初めて白高地沢の激流を渡るアプローチ。歩く者が少なく、道形はシッカリしているものの、岩がゴロゴロする急斜面の登りは標高差以上の辛さがありました。それだけに、一面の草原・・・、それはつい一カ月前には花畑だったはず・・・の花園三角点へと続く広大な斜面に出た時には本当に嬉しさを感じました。背後に雨飾山から火打山にかけての越後の山々が開け、遠く蓮華温泉の赤い屋根が見下ろせました。それにしても、このコースは何と美味しい水が随所で出ていたことでしょう。吹き上げのコル手前まで随所で道端から湧き水が吹き出すように流れていました。最後のポイントである「日本海へ!」の文字が岩に書かれた吹き上げのコルには冷たい風が吹き抜け、山頂への道は雨の中でした。感動の山頂は風と雨の中でした。心温まる朝日小屋の一夜は夜半から窓一杯に日本海の夜景と星空が見えました。朝、昨日は見えなかった白馬岳が見え、草原の中を日本海へと降りていくような道が続きました。ブナの森、剣岳が見え、僕達は黒部川・北又の谷へと降り立ちました。

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釜ノ沢西俣

 以下の者は、2010年9月11日〜12日、奥秩父笛吹川東沢釜ノ沢西俣を二俣からホラの貝のゴルジュ、魚留ノ滝、千畳ノナメ、両門ノ滝と遡行し、西俣に入り水源まで遡行し、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 見事な星空が頭の上にかかる、源流の夜でした。大きな焚き火の煙がたなびくたびに、その部分だけ星が隠れ、大自然の中の一夜を過ごしていることを感じさせました。田部重治さんが「笛吹川を遡る」で著した完璧とも言える渓谷美、奥秩父ならではの原生林の中を一筋の真っ白な花崗岩のスラブで流れ落ちる姿がありました。幸か不幸か、僕自身かつて経験のない渇水の中の笛吹川でした。膝を越える徒渉もなく、息をつめて滑りやすい淵の脇をヘツルこともなく、真夏を思わせる太陽の下、左右から落ちる沢の滝を愛でながらの遡行ができました。千畳ノナメも穏やかに流れ、静かな遡行が可能でした。今回の釜ノ沢は静かさと穏やかさの中にありました。
 釜ノ沢は「沢登り」というよりも「谷からの山旅」という言葉が似合う美しい穏やかな谷です。一方で左右から注ぐ谷は、それぞれに個性的な滝を持ち、それぞれに遡行可能な谷です。右沢、左沢を持ち、さらに左沢は一ノ沢から三ノ沢の支流を持つ鶏冠谷。三段200mの大滝を持つヌク沢。冬期には完璧な氷壁を創り出す乙女ノ沢、僕達自身がその登る姿を見た東ノナメ。四季を通じて刺激的で素晴らしい遡行の可能な谷の基本を歩いた今回の釜ノ沢です。奥秩父の谷を、笛吹川を沢登りの素晴らしさの集まった場所と思っていただければ幸いです。

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黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳

風と雨の中山頂近し
風と雨の中山頂近し

 以下の者は、2010年9月7日〜8日、南アルプス北部を代表する「山の團十郎」・甲斐駒ヶ岳(2967m)に本来の古典的登頂ルート・黒戸尾根を竹宇駒ヶ岳神社から刃渡り、刀利天、五合目と原生林の中を登り、七丈小屋に宿泊し、御来光場を越えて標高差2200mを征して登頂しました。

氏名 風 の 谷

ガスと風の甲斐駒ヶ岳
ガスと風の甲斐駒ヶ岳

 北沢峠に林道が建設されマイクロバスが通うようになった今日、甲斐駒ヶ岳は仙丈岳とならんで南アルプスで最も容易に登頂できるピークとなってしまいました。北沢峠からの標高差は910mです。しかし、この山の本来の登頂ルートは中央線の車窓から大きく見上げてきた黒戸尾根のルートです。登山口に立派な駒ヶ岳神社を持ち、随所に困難な岩場を抱え、実に標高差2200mを征して、厳しいルートを登り切って山頂に立てる修験者の道でした。今回、当初の予想より丸々一日早く到達した台風と競争するような慌ただしい心持ちのまま、辿った黒戸尾根です。美しい尾白渓谷を渡った途端のジグザグ道。それでも古くから歩かれていた道は無理なく、無駄なく、僕達をすこしづつ高みへと押し上げてくれました。しかし、刃渡り、刀利天と従来の危険個所は思いの外整備が進み、安全度が増していて胸をなでおろしました。七丈小屋前のベンチからの夕食時の鳳凰三山を眺めながらの時間。甲斐駒ヶ岳を自分達だけで独り占めしている気分でした。ガスと雨と風の中、ヘッドランプを点けての出発は迫り来る台風と競争するような気持でした。「行こうか、戻ろうか?」迷いに迷った御来光場。急峻な岩場を越えて花崗岩の砂礫の中を辿った先に、目指していた久遠の山頂はありました。黒戸尾根!「甲斐駒に登った!」と堂々と言える重厚な充実したルートでした。

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聖岳

広々とした聖平
広々とした聖平

 以下の者は、2010年8月31日〜9月3日、日本最南端の3000m峰であり日本百名山の一つ、南アルプス南部を代表する名峰・聖岳(3013m)に遠山川の便ガ島より西沢渡、薊畑、聖平、小聖を経て前聖岳、奥聖岳に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

背後に広がる深南部の山々
背後に広がる深南部の山々

 真っ暗な空から叩きつけるような豪雨。見る見るうちに茶色く濁っていく遠山川。大きな山からほとばしり出る強烈なパワーを山麓に到着する前から見せつけられた南アルプス南部の山でした。西沢を恐々と渡り、かつての林業の跡を偲ばせる大きな廃屋となった造林小屋を抜けて、カラマツの植林からコメツガ、トウヒの巨木の森へと向かいました。無限に続くかのように思えた厳しい登りは、木の間越しに見える兎岳や上河内岳が、だんだん近くなり、意外なことに早く、放り出されるように明るく広々とした草原の薊畑から聖平へと登り着きました。高い気温で猛暑の夏を引きずったままの眩しさでしたが、稜線を吹き渡る風は乾いていて見上げる空の巻雲と共に季節は間違いもなく一歩進んでいました。建物は新しくなっても昔ながらの造りと、古き良き山小屋の印象を残した聖平小屋。一歩、長野側に寄れば、見上げる角度で、聖岳が見え、上河内から光岳への茫洋とした稜線が見事でした。ヘッドランプを消す頃の出発。薊畑を過ぎる頃には見事な晴天。大きく冨士が浮び、白峰南稜の笊ヶ岳を筆頭とした不遇の山々から光岳から更に南へと黒々と広がる深南部の山々が登るごとに見えていきました。小聖岳を過ぎて、ザラザラと歩きにくい斜面を一歩一歩と登り詰めて到着した山頂。一気に槍、穂高から中央アルプス、奥秩父までが僕達の視界の中にありました。大きな、本当に大きな聖岳でした。

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焼岳

新中尾峠の道はキラキラ輝く笹の道
新中尾峠の道は
キラキラ輝く笹の道

 以下の者は、2010年8月24日〜25日、北アルプス南端の穂高連峰の一角にあり日本百名山の一つ・焼岳(2455m)に上高地帝国ホテル前から田代橋、新中尾峠を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

一段降りて振り返る焼岳
一段降りて振り返る焼岳

 垂直に近い、ちよっと恐いハシゴを二本乗り越えると、今までのシラビソ、コメツガ、ダケカンバの森は一変してキラキラと輝くクマザサの美しい原となりました。何回もの爆発と、堆積したガレキ、それを一雨ごとに押し流してできたガレ沢の脇を恐々と通り、見上げる空の中には、独特の焼岳のドーム状の山頂が光り輝いていました。昔ながらの古き良き山小屋のイメージをシッカリと持った焼岳小屋。ランプの灯と貴重な水、そして、荒々しい稜線の雰囲気の中に一か所だけポッカリと開いたようなシラビソ林に囲まれた貴重な空間に建つ小屋でした。夜中に目覚めると満月の中に、焼岳が浮かんでいました。翌朝、夜明けと共に出発。上空は晴れているのに、山々にはガスがシツコクかかり、なかなか姿を現しません。しかし、それでも、「展望台」と呼ばれる台地からは、奥穂高が見え、前穂高が見え、そして、雲と見間違えそうな笠が岳が姿を見せました。所々で感じる暖かい空気は、火山ならではの地熱に暖められた水蒸気の吹き出しでした。オンタデ位しか生えることのできない火山の斜面。その中を登り詰めて硫黄の匂いのする噴煙を上げてシューシューと鳴る中を山頂に立ちました。期待した展望は現れず、それでも去来するガスの中にブロッケンが浮かび上がりました。そして、一段降り、リンドウの咲く斜面から見上げる北峰、南峰の山頂付近は、荒々しい見事な岩山の姿を見せていました。上高地の背後に隠れた素晴らしい名峰を堪能した二日間でした。

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常念岳

 以下の者は、2010年8月18日〜19日、北アルプス常念山脈の中核・常念岳(2857m)に一の沢登山口より大滝、胸付き八丁を越えて常念乗っ越しから登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 長々とした一の沢からの延々たる道。最後の水場を経てからの止めを刺すような急坂。そして、点々と咲く高山植物が現れて風の吹き抜ける常念乗っ越しに登り着きました。午後の雲がかかってはいましたが、正面に大きく見える東釜尾根の赤岩岳、西岳の山々。その背後の雲の中には大きな山が感じられました。常念岳を中心とする常念山脈の山々は独特の雰囲気を持っています。大天井から蝶ヶ岳、大滝山を経て徳本峠まで槍・穂高の前衛の山々として安曇野の里の真上に大きく聳えています。冬等、晴れていれば銀屏風のように素晴らしい山脈を見せ、雪の日でも、その下半分を不機嫌そうに見せて、安曇野が北アルプスの山懐の里であることを感じさせてくれます。登り着いて、しみじみと展望の山であることを教えられました。小屋のテラスの真ん前に大きく聳える山々。そして、ヘッドランプを点けて歩きだした夜空にはクッキリと天空を突き刺す「槍」の姿がありました。一歩を登るごとに開けていく展望。北穂高が見え、奥穂高が見え、そして背後に剣岳から後立山連峰の山々まで全ての北アルプスの山々が広がっていました。どこまでもガレが広がっているような急斜面を辿り、前常念からの道を合わせ、ついに立った絶頂とも言える山頂。今まで見えなかった穂高連峰の全容と乗鞍岳、木曾御嶽山と続く山並みが雲海の上に大きく、大きく聳えていました。展望と花の素晴らしい常念岳の二日間でした。

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七倉岳

胸付き八丁ならぬ「鼻付き八丁」
胸付き八丁ならぬ「鼻付き八丁」
森林限界を越えるとすごい展望
森林限界を越えるとすごい展望

 以下の者は、2010年8月10〜11日、北アルプスのど真ん中・七倉岳(2509m)に高瀬川・七倉から唐沢ノゾキ、鼻付き八丁、天狗の庭を越えてランプの宿・船窪小屋に泊まって登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

ステキな小屋のご主人達と
ステキな小屋のご主人達と

 緩むことのない延々たる登りは、ついに、その名も「鼻付き八丁」へと到達しました。どこの山にも「胸付き八丁」はあります。それを上回る本物の急斜面が目の前にありました。ユックリユックリ、そして確実に、それでも亀の歩みであっても確実に高さは稼いでいます。ブナばっかりの斜面は、いつしかコメツガ、シラビソへと代わり、その中にダケカンバが混じりだしました。木の間越しに七倉ダムの青い水面も見下ろせます。そして、足元に高山植物が顔を出し、花崗岩の砂礫が増えて傾斜は少しも緩まないものの、目の前は明るくなってきました。「天狗ノ庭」!ついに森林限界に到着。稜線は雲に覆われ、時折、小雨がパラつく中でも、それでも中腹から下の北アルプスの景色は見えました。そこから小屋までの小1時間。チングルマが、ハクサンチドリが、ヨツバシオガマが最後にはコマクサも顔を出す花畑の中の登りでした。「カーン、カーン!」あぁ着いた。長い、苦しい登りの果てには、ボロくて、親切で、楽しい本当の山小屋が待っていました。ランプも煤けた壁も嬉しかったけれど、素朴な御夫婦とネパールのシェルパさんと、バイトのお嬢さんもステキでした。夜中には、小屋の窓から遠くの花火も見えました。そして、完璧では無いものの、素晴らしい展望の中、翌朝、山頂に立ちました。正面に立山から五色ヶ原、薬師岳の稜線が見えます。蓮華岳、針ノ木岳は手が届きそう。北アルプス最奥部にいる幸せをかみしめた七倉岳でした。

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恋の岐川

釣れた!イワナちゃん
釣れた!イワナちゃん
とにかくナメナメナメ
とにかくナメナメナメ

 以下の者は、2010年8月7日〜8日、新潟・福島県境の平ヶ岳・池ノ岳(2141m)に奥只見湖の恋ノ岐橋から恋ノ岐川を遡行し、三角沢出合、オホコ沢出合を経てイワナの宝庫を経由し、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 見事な谷でした。長い長い谷でした。通常は二泊三日の沢をヒタヒタと歩ききった二日間でした。出合でもある恋ノ岐橋。そこから見下ろす谷は、静かに流れていましたが、少し濁った水でした。白い岩の上を滑り落ちるように流れる水流。釜や淵にエメラルドグリーンにキラキラと輝く底知れない深さの淀み。そして、頭上を絶えず囲む大きなブナの森。ずっと、両岸とも岩でゴルジュを形成してはいるものの、圧迫感のある屹立した物ではなく、すぐ上に湿原を作って明るい光を谷一杯に射し込ませていました。所々に明瞭な大きな増水の跡があり、しかも、まだ瑞々しい流木や草が上に引っかかっていました。足元は絶えずナメ床とナメ滝の連続。どこから、どこまでがナメ床か判らないほどの規模のナメは見事と言うほかはありません。そして、意外にも早く、オホコ沢出合に着きました。ほんの軽い気持で出した竿には、次々とイワナがかかり、しかも、大きく見事な物ばかり。なかなか燃え上がらない焚き火にイライラしながら、それでも三匹の燻製のイワナ焼きが14本のロング缶ビールと共に腹に納まりました。
 ヘッドランプを消すと同時に出発。そこからは徹底的なヘツリの連続。そして、どの淵でも足元を逃げ回る大きなイワナの群れがいました。そして、ひと跨ぎできるような水量となり、最後の大ナメ滝を越えて密集したヤブの果てに広大な小さな池の点在する池ノ岳山頂はありました。

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奥穂高岳

豊富な雪渓から見上げる山頂
豊富な雪渓から見上げる山頂

 以下の者は、2010年8月2日〜4日、北アルプス穂高連峰の中核・日本第三位の高峰・奥穂高岳(3190m)に上高地から徳沢、横尾、涸沢を経てザイテングラードから登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

ヤッター!頂上到着
ヤッター!頂上到着

 夏空が、この山々の上から天空に至るまで徹底的に高気圧の支配下にあることを実感させられた素晴らしい天候の下の穂高岳連峰でした。夕方、五時過ぎの涸沢到着と言う「風の谷」としてはちょっと非常識なプランの建て方でした。しかし、真中の登頂の日、丸一日をかけてユッタリと登れたことで本当に奥穂高の魅力を心ゆくまで満喫できた三日間となりました。横尾までの長々とした車道歩き。しかし、見上げる明神から前穂高の稜線は時々刻々と、その姿を変えて「明日、アソコを登る・・・。」という気持が湧いてくる道でした。そして、涸沢への登り。本谷橋を越えて厳しいジグザグを越えて少し傾斜が落ちた時、初めて対面する前穂高の姿。やがて奥穂が顔を出し、北穂が見え・・・そして、涸沢の吹き流しが見えた時の嬉しさ。雪の出現に驚かされて辿り着く涸沢カールは周囲をグルリと岩に囲まれて、本当に、そこに居るだけでステキでした。旅行ツアーで涸沢往復プランがあるのも納得しました。常念岳から朝日が涸沢を照らす前に登り始めたザイテングラードへの道。ガレを横切り、急峻な岩尾根を一歩づつ登り詰めて行く上に手が届きそうな近くに山頂はありました。穂高岳山荘からの緊張の時間。そして意外に近く祠が見えて僕達は、その山頂に立ちました。北アルプスの全ての山々が、立山から薬師岳に至るまで遠く見えていました。ジャンダルムを正面に幸運の天候の下に登頂できたことを嬉しく思います。

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前穂高岳北尾根

X・Yのコルの泊まり
X・Yのコルの泊まり

 以下の者は、2010年7月31日〜8月1日、北アルプス穂高連峰の前穂高岳に上高地より涸沢、X・Yのコルを経て北尾根を登攀して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

U峰の降り
U峰の降り

 多くの登山者が押し寄せる穂高岳連峰の中、とりわけ涸沢の喧騒が全く別の世界の様なX・Yのコルの世界でした。前に大きく広がる北穂高から涸沢岳、奥穂高の見事な岩の伽藍。良く見るとザイテングラードを上下する人々が、まるで蟻の行列のように見えます。時折、カラカラと落ちる落石の音。足元までビッチリと咲くシナノキンバイやハクサンイチゲの色とりどりの高山植物。X峰の影にいるらしいサルの一群れが、思いがけない僕等・闖入者を威嚇する奇妙な声とダケカンバの枝をガサガサと揺する物音が聞えます。穂高連峰を独り占めしている!そんな幸福感が一杯のX・Yのコルの一夜でした。
 勿体ないような快晴の下に北尾根の登攀は始まりました。いわゆる96年の穂高岳地震の影響は少しづつ減りつつあります。ハイマツと岩のX峰の登り、奥又白の池が小さなテントを一つ残して見えていました。そして急に植物がなくなり殺風景な大きな岩の続くW峰が立ちはだかります。一見、登りようのないようなW峰も、屹立した部分は奥又白側を中心にかわして、もう、目の前に前穂高の大きい頂上に立てました。そして、V峰の登攀。3級前後の壁ですが、浮き石を落とさないように、登るのは、それなりに難しい登りを強いられました。登るほどに周囲の山々が一つ一つ、顔を出し、僕等の背後に屹立した槍が岳の姿を感じながら真青な空の下に山頂に立ちました。改めて完成された古典的ルートの魅力を感じた北尾根でした。

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北岳

 以下の者は、2010年7月27日〜28日、日本第二位の標高を持つ南アルプスの王者・北岳(3193m)に、広河原より白根御池、草スベリ、小太郎尾根を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨明け十日の晴天と言うには、まるで初秋を思わせる真青に高く澄んだ青空の下の二日間でした。しかし間違いもなく季節は夏真っ只中。大樺沢二俣付近は例年になく豊富な残雪が谷一杯を埋めていました。そして、見上げる北岳は大きな山容を首が痛くなる急激な角度で視界一杯を占めていました。そして、歩き出しから点々と咲く沢山の花。グンナイフウロウやコオニユリから始まり、小太郎尾根直下では、斜面一面を埋めつくすシナノキンバイの黄色い花の広がりの間にハクサンチドリ、クロユリも姿を見せていました。背後に大きく聳える鳳凰三山が少しづつ肩を並べて辿り着く白根御池。早朝、一点の雲もない中、まだ残る星を見上げながら薄明かりの草スベリを一歩、また一歩と登り詰めていきました。そして、飛び出した小太郎尾根には爽やかな朝の風が吹き抜けていました。甲斐駒ヶ岳が、仙丈岳が突然ドカーンと姿を見せて、その後には槍・穂高を筆頭に、まだ豊富な残雪の残る北アルプスが、そして屏風のように並ぶ中央アルプスが見えました。そして、やたらに尖って見える赤岳を先頭にした八ヶ岳には手が届きそうでした。そして、意外にも早く辿り着いた北岳山頂。爽やかな乾いた風が吹き渡る360度の展望がそこにはありました。
 一泊二日での北岳。途中を楽しむには、やはり慌ただしい日程でした。南アルプスならではの山容の雄大さ、遠く連なる間ノ岳、塩見岳、荒川の山々を全て歩いてみたいと全員が思ったはずです。

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北岳バットレス

下部フランケ〜上部フランケはコーナークラックの連続!
下部フランケ〜上部フランケは
コーナークラックの連続!足が痛い!

 以下の者は、2010年7月24日〜25日、南アルプスの日本第二位の標高の北岳(3192m)に白根御池を拠点に第五尾根支稜線から下部フランケ〜上部フランケを経て第4尾根を登攀して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 満天の星空。誰もいない大樺沢の雪渓。黙々と登り詰める上に夜空にクッキリと浮ぶマッチ箱のコルと北岳の山頂。午前1時起床、2時出発。まだ眠い頭の中。お花畑を抜け、雪渓を詰め、ジリジリと岩壁に向う気持は独特の高揚感があります。今回の核心部は第4尾根、下部〜上部フランケ共に真っ暗な中での豊富な残雪の処理でした。しかし、バットレスは妙に静かだった気がします。梅雨明けの最初の土日。本来であれば早朝(深夜?)出勤で取りつくのは当たり前、その後には長蛇の順番待ちが当たり前と思っていましたが、第4尾根でさえ4パーティーのみ。下部〜上部フランケに至っては貸し切りでした。大きな山の中での登攀、数ピッチにおよぶ登攀が人気ルートでも少なくなっているのは残念です。徹底的にコーナークラックの登攀に終始する下部〜上部フランケは、ルートファインディングも難しく、適度に難しいピッチの連続する好ルートです。また、下部岩壁の滝の直登からハイマツの尾根を辿り、ツルツルと磨かれたフェースからクラック、白いフェース、三角錐の垂壁、スッパリ切れ落ちたリッジ、懸垂下降、手がかりに乏しいフェースの登攀・・・、そして素晴らしいお花畑の中の終了点、と第4尾根もステキなルートです。絶えず鳳凰三山と富士山を背に、稜線に飛び出すと乾いた風が吹き抜ける360度の展望と登山としての岩登りの魅力を全身で感じるバットレスの登攀でした。本チャンとしての岩登り。また、断固としてやりたいです。

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股ノ沢

大藪と格闘して赤沢谷へ!
大藪と格闘して赤沢谷へ!
ビバーク地の朝
ビバーク地の朝

 以下の者は、2010年7月17日〜19日、奥秩父荒川水源の入川本流から最大の支流・股ノ沢を水源まで遡行し、十文字峠(2035m)に登頂し、十文字峠道・三里観音付近から入川支流・赤沢谷を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 

絶えず、次々と現れる滝
絶えず、次々と現れる滝

ドードーと腹に染み渡る荒川本流たる入川の奔流の音。闇夜を貫いて時折聞えるクロツグミの声。入川本流は激しい渓声で赤沢谷からの遡行は、ほとんど不可能でした。つい前日まで梅雨末期独特の激しい豪雨が奥秩父の山々に降り注いでいました。汗ビッショリの身体を柳小屋の前で素っ裸になって流し、そして向った股ノ沢。荒川水源を二つに分ける見事な渓谷は、本流たる真ノ沢が一定の遡行者を迎えているのに対して、全く人の気配のない静けさの中にありました。真ノ沢以上に澄み切った水、ゴーロと言う物を一切持たず、大きなゴルジュを形成し、絶えず、次々と、釜、小滝、ナメ滝、ナメ床を連続させ、全く「平凡」と言われる部分を持たない流れでした。所々に10m前後の滝を見せて、原生林の中を滔々と流れる姿は奥秩父荒川水系でも屈指の美しさでした。最後まで徹底的な遡行を行い十文字峠道の栃本分岐の僅か手前で股ノ沢林道に這い上がりました。見事なコメツガの原生林の中を十文字峠まで足を伸ばし、赤沢谷へと峠道を向かいました。四里観音と三里観音の中間に焚き火とタープで泊まり、翌朝、和名倉山が見事なシルエットとなって浮び上がる中、赤沢山とのコルからスズタケの密集した藪をかき分けて赤沢谷へと下降しました。かつて、十文字峠道と赤沢谷奥とを結ぶ道もあった谷は悪場もなく、赤沢集落の跡を抜けて再び入川へと帰りました。荒川水系を堪能した二日間でした。

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会津駒ヶ岳

まだ雪の残る稜線
まだ雪の残る稜線。背後は小屋

 以下の者は、2010年7月13日〜14日、南東北を代表する花の名峰・会津駒ヶ岳(2132m)に檜枝岐村から登頂し、中門岳(2060m)へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

中門岳への稜線は見事な高層湿原
中門岳への稜線は見事な高層湿原

 結果的に丸々二日間、全く雨カッパを脱ぐことのない会津駒ヶ岳でした。梅雨末期の南東北の山々は緑がシットリと潤っていました。いきなりの巨大なミズナラの木々の林立。ガッカリする位の急坂の連続の中には大きなブナが瑞々しく幹を雨水が滴っていました。ブナの幹の一つ一つに、長年登ってきた多くの人達のナイフで刻みつけた悪戯書きが昭和二十年代から書かれていました。「自然保護」なんて概念もなく、まして、ブナが貴重な森である・・・、なんて認識の全くなかった頃の落書きですが、何となく微笑ましい物を感じました。「水場」を過ぎてアオモリトドマツやダケカンバが目立つようになるとツマトリソウやミツバオウレンが足元を埋めて、そして意外にも早く、森林限界の木道の上に出ました。高層湿原の典型のような広大な湿地帯。点々と小さい池を点在させた草原は首都圏の山では絶対に見ることのない解放感の中にありました。イワイチョウ、チングルマ、そしてハクサンコザクラ、ワタスゲが雨に打たれて縮こまっていました。「あっ!雪。」と小さな祠の立つ池の上にまだまだタップリの雪を残した雪田の上に綺麗で快適で景色に上手に溶け込んだランプの山小屋はありました。翌朝・・・、夜中に町の灯が見えて期待した天気は雨とガスと風。でも、滑りやすい木道を越えてどこまでも広がる高層湿原の中、中門岳へと向かいました。そしてハクサンシャクナゲの咲く会津駒ヶ岳山頂へ!苦労に報いるように平ヶ岳と帝釈山が歓迎してくれました。

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権現岳・赤岳

 以下の者は、2010年7月6日〜7日、八ヶ岳南部の権現岳(2715m)に天女山より三ツ頭を経て登頂し、旭岳、キレットを経て赤岳(2899m)へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 イブキジャコウソウ、クロユリ、ツガザクラ、チヨノスケソウ、ハクサンシャクナゲ、チングルマ、コマクサ、ミヤマオダマキ・・・・。歩き出してから絶えず目に入る無数の花、花、花。「八ヶ岳は梅雨の真っ只中こそが花が美しく最高・・・。」とは言っても、これほどの花の稜線歩きになるとは思ってもいませんでした。そして、その静けさ。天女山を出て、権現岳に至る間。そして赤岳山頂直下まで全く他の登山者の姿を見ない、僕達だけで独占した八ヶ岳南端の稜線でした。たしかに、赤岳周辺に比べれば権現岳を出てからは浮き石も多く、ペンキのマークも薄く、不遇の山域との印象は強いものの、ガスの晴れ間から見上げる大天狗、小天狗の岩峰、その背後に大きく迫る龍頭峰に向けて一歩づつ近づいていく印象は、この山脈の中でも随一の物と確信します。山脈全体に実に30軒を越える山小屋が林立し、「小屋が岳」なんて悪口を言われることもある人臭さの抜けない八ヶ岳の中にあってこの部分は最も魅力的な場所だったと思います。初日の権現岳への延々たる登り。八ヶ岳の中では珍しい大部屋がドカンとある古い造りの権現小屋。剥き出しの自然の中の小屋から最高峰・赤岳への道は八ヶ岳全体の中でも、とりわけ厳しい物がありました。赤岳に立って本当によく歩いてきたと改めて自分を誉めたくなるキレット越えでした。大きな標高差、長時間に渡る行動、厳しかった物の、この夏への大きな励みとなる充実の二日間でした。

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水根沢

水根の大滝。迫力満天
水根の大滝。迫力満天

 以下の者は、2010年7月4日、多摩川支流で奥多摩湖のダム直下に落ちる水根沢谷を水根集落から大滝を越えて半円ノ滝まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 前日の逆川で最後の幅広ノ滝で水圧にたたき落とされそうになった記憶が鮮明だった4日、多摩川水源地帯に近い龍喰山に突き上げる原生林と滝の谷、龍喰谷に向かいました。奥多摩湖を経て山梨県に入り丹波山村に入り、多摩川水源に近い龍喰谷の出合。車道から見下ろせる出合は白く波を立て一の瀬川の徒渉そのものから困難を感じました。僕が出合から水源に至るまで堰堤、伐採等の一切ない素晴らしい谷として偏愛してきた大常木谷の隣の谷として上流では一部、カラマツの植林が入った以外は全て太古の自然の残る谷である龍喰谷にどうしても登りたかったのですが、無理な物は無理として、独特の楽しさのある水根沢谷へと転進しました。水根沢谷も出合から豊富な水量で僕達を迎えました。いきなりの腰までの徒渉、微妙なヘツリで越える最初の滝。そこからは、最後の半円ノ滝まで見事なまでのゴルジュの連続でした。文字どおり全身ズブヌレ。一つ一つの滝はけして簡単ではないものの、狭まった滝を両足でツッパリ、黒々とした壁を乗り越えてツルツルに磨かれた沢を少しづつ登り詰めて行きました。大水量が全て激しく落ちる大滝、胸まで漬かって通過する釜、独特なゴルジュの通過に終始する見事な谷がありました。
 水根沢谷はバイクの疾走する青梅街道から僅か10分程度で到達する谷です。しかし、一歩谷に入るとそれらを全て忘れさせる水との格闘があります。いつか谷を水源まで辿り鷹ノ巣山への魅力あるルートとして登りたい谷です。

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逆川

凄い水流の中を登る
凄い水流の中を登る

 以下の者は、2010年7月3日、奥多摩多摩川支流日原川の川乗谷逆川を出合から幅広ノ滝まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

最後の幅広ノ滝。まるでナイアガラ
最後の幅広ノ滝。
まるでナイアガラ

 林道までゴーゴーと元気の良い増水した谷の音が聞えていました。谷に降りると普段の何倍かの水量で逆川は流れていました。いつもは快適なシャワークライミングで越えるF1・二段の滝は身体を打ちつける滝の水についに打ち勝つことができず高巻きました。逆川は見事に様々な滝の続く沢です。一見、開けたゴーロのように見える所でも傾斜の中に岩混じりの滝があり、傾斜の緩い所ではナメ滝が美しく沢を飾ります。狭まったゴルジュ、倒木を利用しての直登、全身ズブ濡れのままで次々と滝を越えていきました。残念だったのは沢そのものが土色に濁ってしまっていたことでした。10年ほど前から鹿の食害に伴う土砂が大量に逆川の水源地帯に流れ込み、谷に堆積したドロが大水の度に流れ出る悲しい状況が続いています。実は、逆川は僕が中学校1年生の時、初めてワラジ履きで挑んだ沢でした。工事現場から盗んできたヘルメット、母の白足袋に釣り道具屋で80円で買ってきたワラジ。無謀にも全ての滝を直登し、ヨタヨタで川乗山の山頂に立った時の感動は今でも昨日の事のように鮮明に残っています。逆川は小規模な沢ながら沢登りの楽しさ、要素の全てが詰まった素敵な沢です。次ぎ・・・こそは・・・、ウスバ林道を越え、さらに400m近くある標高差を征して川乗山の山頂に立ちたいものです。沢登りは、いかに、それ自身が楽しくとも頂上に立つ、登山の一環として登りたいものです。川乗山と言う奥多摩を代表する小粒ながらピリリと辛い独特の風格のある山頂に至る素敵なルートとして逆川を次ぎは登りたいと思います。

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小坂志川

箱庭のような綺麗な渓相の谷
箱庭のような綺麗な渓相の谷

 以下の者は、2010年6月30日、奥多摩秋川支流の小坂志川本流を遡行し、水源まで到達し、連行山(997m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

山歩き初!沢登り
山歩き初!沢登り

 梅雨末期を思わせる前夜の明け方までの激しい雨。五日市へと向かう車中から見下ろす小さな河川は抹茶色に濁り増水していました。増水への心配、タップリと水を吸い込んだ山の状態への不安から当初予定の軍刀利沢から隣の小坂志川に変更しました。小坂志川は「沢」と言っても全体の雰囲気は穏やかです。雑木林の多い甲武相国境尾根から流れだす静かな谷は、沢登りと言うより谷歩きと言う言葉がピッタリの沢でした。綺麗な水の流れの中は先頭を歩いている者の目には素早く岩影に逃げ込むヤマメの姿がありました。ビッチリと生えた頭上を覆う緑の屋根からこぼれる柔らかい光、所々で出会う小さな滝、釜。それら一つ一つを越える度に新しい景色が目の前に開けていきました。この小坂志川。15年ほど前の左岸を中心とした林道工事、支流のキットウ沢上部の工事で一時期は壊滅的な土砂の流入がありました。また、中間部のすぐ上に車道が通りガッカリしたこともありました。しかし、自然の浄化作用は素晴らしく、大きな不安定な岩が若干、谷の中に残る以外は破壊の傷跡を直接、感じることなく水源へと導かれていきました。6m前後の滝もサラサラと涼しげな音を立てて落ちていました。最後の最後、水源から尾根への登りの最中に突然、降ってきた夕立。真夏を思わせる元気の良い雨音の中、周辺で一番標高の高い連行山の山頂に立つことができました。
 小坂志川は小さくとも沢登りの楽しさを全て持った谷でした。初秋の頃、こんどは、もう一つ大きな谷に挑んでみたいと思います。

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ヌク沢

 以下の者は、2010年6月26日〜27日、奥秩父笛吹川のヌク沢左俣右沢を出合いから三段200mの大滝を越えて水源まで遡行し、奥秩父の中核・甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨時の沢登りの難しさを嫌というほど体験させられた二日間でした。毎回、気象データを見るたびに変わる予報。当初予定の大荒川谷は、その距離の長さとエスケープの難しさから先週いくはずだった東沢釜の沢を西俣に変更し、谷の中でのビバークの準備で出発したのですが、西沢渓谷に向かう車窓を打つ雨にヌク沢左俣に向かいました。歩きだしから降り続いた雨は、下部のナメ滝の連続の最中も止みませんでした。右岸に鶏冠山林道が走っている今も、花崗岩の作るナメ滝の白いイメージは大きく変わってはいません。残念ながら戸渡尾根登山道を見送ってからの実に5個の巨大堰堤の高巻きはウンザリ、がっかりです。それだけに最後の堰堤を越えてからの息継ぐ間のない滝の連続は見事でした。そして大滝。下段は軽々と越えていき、吹きつける風とガスに落ち口も見えない大きな中段との出会いがありました。気温の最近の上昇のせいか、ヌルヌルの青海苔状態の物が付着していましたが、降り注ぐ、シブキを浴びながらの滝の直登は素敵です。上段を越えて、ザイルを畳み、最後のツメもなかなかでした。奥秩父らしい苔むしたナメ滝の連続。コメツガの森、そして足がジンジンと痛む様な冷たい水。大きなガレ場の中の登りをこなしてモミの幼木の間に消える様に水源がありました。堰堤が少しづつ増え、ガレが発達しても、けして衰えることのないヌク沢の魅力は不滅です。翌朝立った甲武信岳の山頂も冷たい雨の中でした。

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ナメラ沢

途中のナメ滝も、増水でナイアガラの滝に!
途中のナメ滝も、
増水でナイアガラの滝に!

 以下の者は、2010年6月19日〜20日、奥秩父笛吹川のナメラ沢を出合から水源まで遡行し、西破風山を越えて甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

ナメ滝を登る
ナメ滝を登る

 梅雨入り直後にしては、ちょっと激しすぎる集中豪雨のような雨でした。西沢渓谷入口の手前、道の駅「三富」には周辺の沢を目指す三パーティーが泊まっていましたが、呆然と見上げる空は明け方には一番ひどい降り方でした。覗き込みにいった笛吹川は茶色く濁り、予定通りの釜の沢が消え、転進先と思っていたヌク沢も無理な雰囲気でした。そして、最後の切り札、最も流域が狭く増水の率の低いナメラ沢へと向かいました。谷に入り、いきなりの久渡沢の徒渉は、やや濁り気味の水流を渡り、中ノ沢の分岐まで所々でザイルを使っての徒渉でした。しかし、ナメラ沢に入ると通常の何倍かの水量ながら穏やかな渓相のナメ滝は元気に水をはね上げながらザーザーと落ちていました。大きなナメ、滑るように落ちるナメ床。ナメラ沢には大変失礼ながら、いつも稜線からの素敵な下降路として次々と現れるナメ床を滑り降ってきた時の記憶とは全く違って、所々に現れるゴーロ以外は全て、小滝とナメ滝、そしてナメ床と全く飽きることのない遡行でした。笹の原の登り、コメツガ、シラビソの創り出す独特な青笹尾根の急登と登山道にはない独特の奥深い大自然の創り出す光景がありました。最後の岩原の登り、そして飛び出す奥秩父主脈縦走路。稜線は強い風と不安定な雲がまつわりついていましたが、暗い谷底を歩いてきたからこそ感じられる見事な展望の中にありました。
 毎年、絶対に登ってきた釜の沢。必ずリベンジするぞ!

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帝釈山

ビッチリと山腹を埋めるオサバグサ
ビッチリと山腹を埋めるオサバグサ

 以下の者は、2010年6月15日〜16日、福島県と栃木県の県境に近い南会津の名峰・帝釈山(2060m)に湯ノ花温泉から猿倉登山口を経て小田代湿原を越え、田代山(1926m)にも登り、登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

田代山湿原は明るい初夏の雲の下
田代山湿原は明るい初夏の雲の下

 激しい雨が上がり、再び戻ってきた田代山山頂の湿原から下りだした僕達の目に背後に尾瀬方面のたおやかな山並みを見せながら足下に大きく緑の谷が広がっていました。シラビソ等の濃い緑色と新緑の淡い緑色が見事な濃淡を見せながらキラキラと光っていました。完全な自然林で作られた山。どうして、この山上にこんなに広々とした明るい湿原が広がったのかを不思議に思わせる田代山。次々と首都圏の山にはない新しい出会いが沢山ありました。田代山から降りだした途端のオサバグサの花。カニコウモリやマイヅルソウとゴチャゴチャになりながらシットリした森の林床を完全に埋めつくしていました。地味な美しさを持つオサバグサも、これだけの数が集まると賑やかな雰囲気さえ醸しだしていました。そして、登り着いた帝釈山山頂。残念ながら期待した大展望はありませんでしたが、檜枝岐を挟んだ会津駒ヶ岳の山腹が豪雪地帯らしい残雪を沢筋に残しているのが見えました。そして、再び帰って来た田代山湿原は素敵でした。まだ所々に茶色い冬の枯れ草を残しながら、足下は水芭蕉からチングルマ、イワカガミ、タテヤマリンドウ、そしてヒメシャクナゲと小さな花がビッチリと咲いていました。何段かに標高を少し変えながら小さな池を沢山散りばめた湿原は、豪雪地帯独特の初夏の光景でした。

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甲武信岳から雁坂峠

戸渡尾根の登りは見事なシャクナゲのトンネル
戸渡尾根の登りは
見事なシャクナゲのトンネル

 以下の者は、2010年6月8日〜9日、奥秩父主脈の核心部であり、日本百名山の一つ甲武信岳(2475m)を西沢渓谷入口から戸渡尾根を登り、木賊山(2463m)を経由して登頂し、西破風山、東破風山、雁坂嶺 と縦走し、日本三大峠の一つ・雁坂峠まで到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

雁坂峠の明るい草原へ!
雁坂峠の明るい草原へ!

 甲武信小屋の屋根を深夜に打つ強い雨の音。初日の標高差1300m以上を征して登り着いた甲武信岳山頂への疲れもあって、「今日は無理かな・・・?」との弱気が頭をかすめました。「この戸渡尾根の登りは徹底的な急斜面の登り・・・。」と何度も確かめて来ても、それでも本当に厳しい登りでした。しかし歩き出しはヤマツツジが、少し標高を上げるとミツバツツジが、そして、本当に厳しかった1864mピークを越えるとアズマシャクナゲがトンネルとなって登りの厳しさを忘れさせました。そして意外にも早く、主脈縦走路へと飛び出し、微かに八ヶ岳がガスの間に見え隠れする甲武信岳山頂に立つことができました。強い風と、時折、バラバラと落ちる雨。それでも意を決して縦走に出発したのは正解でした。木賊山を巻くトラバースの道には多くの雪がありました。濃いガスの去来する寒い稜線は、笹平への延々たる下りの後、登った分を全て登り返すような西破風山への登りでは背後に大きく広がる山と谷を感じながらの道でした。東破風山を越えて雁坂嶺を越えるとガスの間から顔を出した太陽と共に、前方に大きく広がる草原の気配。雁坂峠の広大な明るさの中にポンと下り着きました。雁坂峠から見下ろす新緑の谷。さっきまで冷たく厳しかった風が、ここでは柔らかく感じられました。甲武信岳から雁坂峠。奥秩父の中核の縦走は素敵でした。 

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小川谷廊下

小川谷廊下は徹底的に水との格闘。面白い!
小川谷廊下は徹底的に水との格闘。
面白い!

 以下の者は、2010年6月6日、西丹沢・檜洞丸と石棚山を結ぶ石棚山稜から流れ落ちる花崗岩の優美な谷・小川谷廊下を出合から全て水線越しに滝と格闘し、石棚の大滝を越えて核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 表丹沢の多くの登山者が上り下りする山域と全く違う世界が広がる西丹沢。山は同じく鹿の食害に痛めつけられていても、緑は濃く、花も咲き、遡行中、他の登山者の姿も見ない、自分達だけの世界がありました。谷に降りた途端の白い花崗岩のゴルジュ。他の谷にはない深い切れ込みが続きました。いきなり出会う滝。そして、さらにいきなり出会うズブヌレになって突破する大岩がありました。次々と現れる「課題」は周囲の景色にマッチして見事な美しさがありました。小川谷廊下の特徴は、濡れること、水に積極的に入ることなしには、その魅力と出会えない所にあります。実際、極端に屹立した岩肌を四方に巡らしたゴルジュは高巻き等できず、とにかく登れるところを登る・・・以外の方法を持たない谷でした。いつも苦労する釜とツルツルの滝の連続したゴルジュを越えて、ドーンと落ちる石棚の大滝と出会えた時の嬉しさは最高です。ここ数年、体調不良に伴う消極的な姿勢がガイド自身にあり、本当の核心部である石棚の大滝を越えた所で、遡行を打ち切ってきました。今回、本当の終了点まで完全遡行をすることができました。暗い、狭まったゴルジュが完全に終り、石棚山稜が高く仰がれる広河原。その明るさは、狭まった谷と格闘してきた者だけが味わえる明るさです。玄倉川周辺は「丹沢の黒部」とも言われてきた刺激的な谷が沢山あります。大きな滝と花崗岩の創り出す、独特の世界が広がります。いつか連続して新天地に挑むつもりです。

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勘七ノ沢

勘七ノ大滝。ヌルヌルしてて恐い!
勘七ノ大滝。ヌルヌルしてて恐い!

 以下の者は、2010年6月5日、丹沢四十八瀬川を代表する勘七ノ沢を出合から遡行し、大滝を含む全ての滝を直登し、大蔵尾根の花立に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 クルマを降りてほんの200mで入る谷。沢の中に入った途端ノヒンヤリとした空気。谷一杯に聞えるミソサザイの鳴く声。ちょっと恐い堰堤を越えて、小草平ノ沢を分けていきなり、サラサラと落ちるF1との出会いがありました。結局、この谷で最も登りにくい滝でした。緊張のうちに越えて、その先も次々と出てくる滝をジックリと一つ一つ越えていきました。滝・・・と一言で言ってもなんと沢山の種類のあることか・・・・。まっすぐ落ちる滝。優美に流れるナメ滝。そして飛沫を上げながら雄大に落ちる滝。それぞれに登り方も違いました。そして、釜の「ヘツリ」。真っ直ぐ上に登るのと違い、なれない者には微妙な難しさがありました。久しぶりの雨の降らない沢は、時折、陽も射して、ようやく訪れた「沢の季節」を満喫できましたが、何故か、沢全体がシットリとしており、岩肌も汗をかいたように濡れていました。ちょっとした高さの緩い傾斜の滝も、案外滑りやすく、緊張させられた一日でした。大滝を越えて、つぎつぎと現れる小滝を濡れながら越えていく楽しいゴルジュの上にガレが現れ、急速に水がなくなりました。実は、恥ずかしながら前回、大滝までで撤退した勘七ノ沢でしたが、今度こそは・・・・とガレ沢を越えて崩れそうな小尾根を登り、ミツバツツジが満開の急斜面を攀じ登りました。最後の斜面は一面に鹿の食べないマルバダケブキが一面に広がり、それなりに見事な光景でした。飛び出した稜線!やはり勘七ノ沢は楽しさに満ちていました。

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長沢谷

 以下の者は、2010年5月29日、奥多摩・日原川支流・倉沢谷の長沢谷を遡行し、蕎麦粒山(1473m)、仙元峠(1444m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 長沢谷出合い付近の気温11度。初夏とは思えぬ冷たい雨の奥多摩駅前。逆川も水根沢もシッカリと水に浸かる沢。ちょっと情けない気持になって、あまり濡れない沢を探し、蕎麦粒山に突き上げる長沢谷へと転進しました。長沢谷は日原へと向かう街道の倉沢バス停から入る谷・倉沢谷の支流です。この谷は、魚止ノ滝上で塩路谷と長沢谷に別れ、塩路谷は丁寧に詰め上げると三つドッケ近くの一杯水の水場に出る谷です。今回、訪れた長沢谷は水の綺麗さが特徴です。また、ゴルジュをあまり形成せず、傾斜があり、滝が連続するものの、両岸は迫って来ず、滴るような新緑の下、悪天にもかかわらず暗い雰囲気の無い楽しい谷でした。左右から注ぐ支流と滝、ナメ滝、小さな釜の続く登山としての沢登りが可能な谷でした。しかし、問題はツメ。傾斜を増したルンゼの岩肌の上に石が沢山乗っかり、そうそうと左の尾根に逃げたのですが、その泥斜面の恐いこと。しかし、たいした藪漕ぎもなく、登山道に飛び出し、この辺りでは立派な山容にもかかわらず訪れる者も稀な蕎麦粒山に向かいました。東京都と埼玉県を分ける長沢背稜の東部分。天目背稜とも言われるこの周辺は、美しい緑とブナ林、ミズナラの大木と見事な稜線にもかかわらず歩行時間が長く、日帰り登山者が訪れにくい山々です。仙元峠にも登り、つい10日ほど前「やまあるき」で訪れた際には咲いていなかった上品なシロヤシオにも出会いました。静かな綺麗な谷の長沢谷を満喫した一日でした。

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小金沢連峰

明るく広大な南大菩薩の草原
明るく広大な南大菩薩の草原

 以下の者は、2010年5月26日、大菩薩連峰の南・小金沢連峰を小屋平から石丸峠を経由して狼平から最高峰・の小金沢山(2014m)、秀麗富嶽十二景の一つ牛奥の雁ヶ腹摺山、川胡桃沢ノ頭、一等三角点を持つ黒岳を経て湯ノ沢峠まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日本百名山の一つとして、比較的容易に登頂可能な2000m峰として多くの登山者の訪れる大菩薩連峰の南に、長々と2000mの標高を保ちながら伸びる雄大な尾根・・・それが小金沢連峰です。大菩薩嶺の百分の一も登山者の訪れない尾根は、しかし、実際に歩いてみると驚くほどの変化に富んだルートでした。大菩薩峠を凌駕する広大な草原を持つ石丸峠から狼平にかけての明るい広がり。一転して暗い原生林と木の根、岩角の中のか細い踏み跡の上に立つ小金沢山。そして明るい広がりと草原との牛奥の雁ヶ腹摺山。平仮名にすると「ウシオクノガンガハラスリヤマ」と日本で一番の長さを持つ山頂は富士山の好展望として知られています。そして草原とウラジロモミが交互に現れる賽の河原から川胡桃沢ノ頭を経て一等三角点の待つ黒岳へと、絶えず新しい何かとの出会いを見つけながらの縦走でした。高気圧の勢力範囲の中にありながら、上空に大規模な寒気が入り、不安定な空の下の一日でした。ときおり陽の差す中にありながら、絶えず雨がパラパラと舞い、小金沢山から牛奥の雁ヶ腹摺山の間では雹が落ちました。そして湯ノ沢峠の手前では雷もなっていました。本当は、随所で富士山、南アルプスの広大な展望が見られるはずだったのですが、次ぎに訪れた時の楽しみとしたいと思います。大菩薩峠から小金沢連峰を通り南大菩薩へとつなぐ大縦走を紅葉の頃にやってみたいものです。

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南大菩薩

明るく広大な南大菩薩の草原
明るく広大な南大菩薩の草原

 以下の者は、2010年5月25日、南大菩薩の湯ノ沢峠から山梨百名山の一つ大蔵高丸(1781m)に登頂し、ハマイバ丸、米背負峠、大谷ガ丸と縦走し、コンドウ丸から曲沢峠へと辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 広大な草原が広がる稜線。新緑が眩しかった米背負峠からの道、大菩薩の南半分を占める南大菩薩の山々は独特な明るさの中にありました。出発地点となった湯ノ沢峠は、かつては本当の山奥の峠でした。甲斐大和駅(その当時は初鹿野)から延々と4時間以上をかけて登り着く峠。現在の車道の代わりに上部では林業用の木馬道と呼ばれる丸太の組み合わされた中を登る道でした。峠の東西に車道が迫る今でも、峠自身の静寂は変わりません。明るい空の下にもかかわらず、強い雨の続いた後の晴天にもかかわらず遠望の効かなかった南大菩薩でしたが、正面に富士山を右手に終始、南アルプスを見続ける本来は大展望の道なのです。登山道の両側は現在も変わることの無い草原です。期待したアツモリソウは今年は開花が遅く、全く見ることはできませんでした。しかし、草原の中に見られたヤナギラン、ギボウシ等の葉は、奥多摩、奥秩父、大菩薩の中でも、もはやここだけとも言うべき貴重なものです。もし、何時か機会があれば花の季節に再訪したいとの思いを新たにしました。大谷ガ丸から始まる明るい森の道。ブナやミズナラを筆頭にまだ新緑の気配を残した広葉樹の森は針葉樹の大菩薩嶺周辺の亜高山の物とは全く違う印象を与えています。耳を澄ますとツツドリ、ジュウイチ、エゾムシクイ等の鳥の声。耳鳴りのようなハルゼミの大合唱。生き物も躍動感に満ちていました。草原と森の南大菩薩。盛夏、紅葉の季節にも訪れたい場所です。

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豆焼沢

左右から注ぐスダレの滝
左右から注ぐスダレの滝
思いっきり冷たい水でした

 以下の者は、2010年5月22日〜23日、奥秩父荒川水系滝川支流・豆焼沢をトオの滝から遡行し、四段50mの大滝、スダレ状の滝を経て水源まで遡行し、突出尾根・地蔵岩に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 雨の予報に追い立てられるように最後のガレ場を乗り越して登山道・雁坂峠越えの道に登り着きました。そこから峠道を辿り、寄り道のように登った地蔵岩。訪れる者も稀な荒川水系の展望台からは足元に深く食い込む小荒川谷の上に甲武信岳が大きく不機嫌そうにありました。そして反対側の豆焼沢は耳を澄ますと微かにゴーと谷の音を響かせていました。山道を辿り、いきなり出会ったトオの滝。そこから始まる遡行。所々にゴーロはあるものの、徹底的に美しい滝をかけて滝川水系随一の美渓であることを改めて教えられた思いでした。谷は遅い春が訪れていました。緊張の中に恐る恐る踏み出したスタンスの脇にクモイコザクラがピンクの美しい花を見せていました。ふと見上げる斜面にシャクナゲが咲いていました。谷一杯にミソサザイとエゾムシクイの声が響きます。そして四段50mの大滝が堂々と落ちていました。スダレ状に落ちる二俣になった見事な滝。そこから先の水の冷たかったこと。最後のミニゴルジュは水の冷たさに絶対に濡れたくない登りでした。今年最初の沢登りをできれば大焚き火を囲んで迎えたかった僕達でした。しかし、風向きが東向きになり、間違いもなく降ってきそうな雨。ビバーク適地とされた場所から上ではガレが発達しなかなか泊まれる場がなく、結局、六時すぎまでかけて樺避難小屋にもぐり込みました。シーズン初めの沢にしては激しすぎる二日間でした。今年もガンガン沢を頑張るぞ!

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蕎麦粒山

蕎麦粒山山頂付近はブナの森でした
蕎麦粒山山頂付近は
ブナの森でした

 以下の者は、2010年5月18日、奥多摩の東京都と埼玉県を分ける天目背稜の蕎麦粒山(1473m)に倉沢鍾乳洞付近から棒杭尾根の水源林監視路から登頂し、仙元峠にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 申し訳ありません。稜線を白いトンネルへと作り替えるはずのシロヤシオはまだまだ固いツボミの中にありました。山麓でヤマツツジが満開でしたが、春をいち早く告げ報せるミツバツツジが開き始めた段階でした。ここ数年の「早め、早め」の花の開花に慣らされた常識が今年は通用しないようです。蕎麦粒山は奥多摩の中では登りにくい山の一つです。何れの登山口からも距離があり、直接、登る鳥屋戸尾根は何か所かの気のつきにくい危険個所を持ちます。川乗山を絡めて、三つドッケから陽の長い季節に長駆縦走する途中に訪れることの多い山です。今回、登った道はこの周辺の沢登りの帰途、地形図の上で「コレ」と思い、下降したところ、極めて歩きやすく、整備された歩道のあることを知り、利用したわけです。訪れてみて、普通は見ることの無い、倉沢谷の魚留めノ滝、地蔵の滝を見てグイグイ登る仕事道は上部で美しい新緑がキラキラと光る中を辿り、ブナ、ミズナラの大木の中を思いの外早く登山道に出ることができました。五月の晴れた山。そこは、初夏とは思えない乾いた風が気温が高いのとは裏腹に吹いていました。県境の尾根の上は稜線を乗り越える風の中に大きなブナが苔を一杯付けて立ちふさがっていました。登り着いた蕎麦粒山山頂。遠く雲取山から低く棒ノ折山まで、ちょっと霞んだ展望の中に浮かんでいました。仙元峠は一味違う静寂の中の山頂でした。秩父と奥多摩。全く違った文化を結ぶ貴重な稜線を歩いた一日でした。

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三つ峠・岩登り訓練

岩登り訓練中!
岩登り訓練中!

 以下の者は、2010年5月15日〜16日、富士山を正面に見る三つ峠山屏風岩、天狗岩での岩登り訓練で数多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 三つ峠での岩登りで参加した方に経験していただいた事は、本当の大きな岩場の中での登攀の能力をつけていただくこと。一つは、岩そのものを登るクライミングの能力です。それは単に難しい所を登る能力の有無だけではなく「自分が登れる場所を見つける」能力を含みます。最初は全く登れるように見えない岩場が、身体の向きを変えたり、一つ下のホールドを使うことで思わず登れるようになってしまう、これが大切です。もう一つはビレーを初めとする岩登りのシステムを間違いなく理解し、それがスムーズに行われることです。少しの切れ目も無く、セルフビレーか、パートナーに確保されている状態が確実になっていることです。そして、最も大切なことは体力の充実の大切さを知ることです。二日間の岩登りを精一杯行った後、僅かな登り返しでも大変キツカッタと思います。実際の岩登りは、雪渓を下り、急斜面のガレ場を登り、不安定な草付きを横断し・・・初めて登攀に入ります。更に登攀を終了した後、延々たる道をテントまで帰らなくてはならないこともあります。登山ができて、初めて岩登りも可能であることを知ってほしいと思います。今回、当初の天気予報と違い、大変寒い中の訓練でした。寒いから安全に登れない、そんなことも身体で知っておくべき大切な知恵だと思います。僕のグループで大体の練習が一区切り付いた後、クーロアール上部から大落石がありました。比較的整備された岩場であっても死の可能性のある危険のあることを改めて教えられました。

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雲取山

人っ子一人いない長沢山周辺
人っ子一人いない長沢山周辺

 以下の者は、2010年5月11日〜12日、奥多摩湖畔・小袖よりブナ坂を経由して東京都最高峰・雲取山(2017m)に登頂し、東京都・埼玉県、県境の尾根である長沢背稜を大ダワ、芋ノ木ドッケ、ヤケトの頭、桂谷の頭、長沢山(1738m)と山頂を踏み、水松山(アララギ)、タワ尾根の頭、酉谷山の南面を巻き、ハナド岩から三ツドッケ下まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

アカヤシオ発見
アカヤシオ発見

 三ツドッケの手前、小川谷に岬のように突き出すハナド岩から新緑の谷の上に遠く霞んで出発点だった雲取山が彼方に浮かんでいました。ブナとミズナラに覆われた奥多摩屈指の美しい尾根である横スズ尾根を下りるころには全員の足は棒の様でした。遠い遠い道。長沢背稜を歩ききった嬉しさは最高でした。長沢背稜の長く、厳しい物です。決定的な危険個所があるわけではないけれど三峰ルートと別れた途端の、いかにも「踏まれていない」道。所々で倒木が覆い、誰もいない道の続く独特のコースでした。この東京都と埼玉県を分ける尾根は、今回、歩いた部分の先も蕎麦粒山、日向沢の峰を越えて長尾丸、棒ノ折山を越えて高水三山を経て青梅鉄道公園で多磨の霞丘陵に没するまで少しづつ標高を下げながら続いています。奥多摩の中でも、最も人の訪れの無い、静寂の山域と言ってよいでしょう。五月も半ば近く、もう少し天候の安定を期待していましたが、今年は春が遅く、本来ならば稜線のいたるところでミツバツツジの季節となっているはずが、まだアカヤシオが満開でした。時々聞える雷鳴、ちょっと痛いような霰。逃げ道の無い稜線歩きは心配で一杯でした。ハナド岩まで誰にも会わない静寂のルート。七つ石尾根と終始平行し、鷹ノ巣山が時々刻々と形を変える中の素敵な厳しい長沢背稜でした。

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光岳

 以下の者は、2010年5月1日〜4日にかけて、南アルプス南部の名峰・光岳(2591m)からイザルが岳、易老岳、仁田岳、茶臼岳をへて上河内岳に登頂し、更に本邦最南端の3000m峰・聖岳(3013m)、奥聖岳と縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥聖岳から振り返り、南の更に奥へと続く雄大な山脈の彼方に、ほとんど溶け込むように歩きだした光岳が霞んでいました。圧倒的な標高差の登り、歩きだしでは新緑が萌え、ミツバツツジの咲く中を辿り、見たことも無いような大木のブナ、コメツガの林立する中を歩き、2000m前後で出てきた雪が見る見るうちに深さを増す中を登り続けました。樹林の間から見上げる光岳から上河内岳にかけての長閑な広がりを見ながらの厳しい、激しい登りでした。森の中の易老岳のテント場から光岳の往復。ガスの中を登り詰めた僕達の前に青空が現れ、大きな聖岳から兎にかけての素晴らしい景色が現れました。急展開で素晴らしい青空となった大展望の中で更に南へと伸びる池口岳や大無限、小無限の黒い、暗い山々が本来の南アルプスの重厚さで見えていました。取って返した易老岳から本格的に始まった縦走。その中で感じたのは、イザルが岳、仁田岳、奥聖岳といった、主稜線から外れた、小さな、でも強い主張をもった山頂の素晴らしさでした。何れも展望と、一つ主脈から外れたが故の山脈を脇から見る独特の雰囲気は最高でした。
 縦走してみて改めて感じたのは南アルプスの大きさです。そして、無名の尾根や谷、記録も少ないルートの存在でした。誰も紹介していない、そんなルートを何時か、きっと辿りたい!そんな思いを新たにした四日間でした。

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金峰山

丸々二日間ずっと湿った雪でした
丸々二日間ずっと湿った雪でした
ラッセルして頂上到着
ラッセルして頂上到着

 以下の者は、2010年4月27日〜28日、奥秩父の王者であり日本百名山の一つである金峰山(2599m)に長野県側廻り目平より中ノ沢出合いを経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 山の春、とりわけ高山の春は本当に行ったり来たりを繰

春を告げる雪の中の二日間
春を告げる雪の中の二日間

り返しながら進んだり、後戻りしながらやって来る・・・、それを実感させられた金峰山でした。つい二時間前に付けたはずの小屋番の足跡は綺麗に消えていました。小屋の窓から見下ろす僕達の付けたトレースも綺麗サッパリと消えました。そして、翌朝、屋根から滑り落ちる雪の音が雪崩のように聞え、首を縮めました。もう4月も終りと言う今、大量に降った雪。小屋から金峰山頂まで、僅か20分の所がほぼ1時間かかる脛から膝のラッセルでした。しかも泥沼の中を歩くような重い雪がアイゼンに大量に付く雪ダンゴ。夏はハイマツの海と化す斜面は、どこも、ただ、ただ、真白な雪降る中の雪原でした。そして、降る雪とガスの中、金峰山頂の標識はありました。大量の雪にも関わらず、何故か寒くなく、暖かく、けして「冬山に逆戻り・・・。」とは一切思わずに済む、春を報せる雪でした。その日から僕達のために営業を開始した金峰山小屋。風の音も聞えず、シンシンと降る重い雪の中に溶け込むような雰囲気の中にありました。雪の下は斜面全部がガリガリに凍結した見事なまでの氷の斜面でした。ゴヨウマツ、シラビソ、コメツガの美しい森と息を吐く音以外に何も音の無い世界。奥秩父の本当の姿が蘇るような二日間でした。今年の雪山の締めくくりは、歩きだしから帰り着くまで48時間、延々と降り続いた雪の中に終わりました。雪山の最後に春の訪れを感じた金峰山でした。

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日和田山・岩登り講習

岩登り初体験!
岩登り初体験!

 以下の者は、2010年4月25日、奥武蔵・日和田山の岩場で行われた岩登り講習会に参加し、基本的な訓練を受けたことを証明します。

氏名 風 の 谷

 日和田山での岩登り講習会は何のために行うのか?それは、岩登りという登山の一形式を知ってもらうこと、岩場のある登山を臆することなく行えるようになること、そして、何よりも、大自然の中にある本チャンのルートに将来挑戦するための基礎を身につけることにあります。従って、今回の講習で知っていただきたかったことは、第一に「岩を見る目を養うこと(どこが自分の登れるルートであるかを見極める)」であり、第二に安定的に無理なく無駄な力を使うことなく岩場を登れることであり、第三に大きな岩場を登るための岩登りのシステムを学ぶことでした。今回の講習が、そのキッカケを掴み、次ぎの一歩へと進む気持になってもらえれば嬉しく思います。
 日和田山の岩場は岩登りの最初の一歩を刻むのに適した岩場であり、初心者の練習に最適の岩場です。しかし、今回の講習でひどく目についたのは全く基本のできていない、極めて危険な岩登りの訓練をしているパーティーが多数いたことでした。「初心者向けの岩場」とのことで、「まだまだ、これから・・。」というパーティーが多いのは当然なのですが、岩登りという、ある種の危険な行為をするのには、あまりに準備の足りない、基本的な知識のないグループが多いように思います。ハーネスの折り返しを知らない人、そもそも、それを教えるシステムのないグループがいたり、リングボルト一本でトップロープをしたり、信じられないような事が多数ありました。岩登りは、絶えず危険を伴います。それだけに確実な技術を学ぶことの大切さを痛感した一日でした。

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笊ヶ岳

笊ヶ岳の登りはこの徒渉から始まる
笊ヶ岳の登りはこの徒渉から始まる
布引山から笊ヶ岳への尾根
布引山から笊ヶ岳への尾根

 

稜線は小さな雪庇もあった
稜線は小さな雪庇もあった

以下の者は、2010年4月10日〜11日、南アルプス白峰南稜の南部にある笊ヶ岳(2629m)に雨畑から広河原、山の神、桧横手山を経て布引山(2583m)を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

日本二百名山の一つに数えられる山であり、有名な山の少ない白峰南稜では盟主的な存在である笊ヶ岳だから、少しは人の痕跡くらいはあると思っていました。しかし、入山から下山まで全く他の登山者に会うこともなくなく、テント場にも全く人の気配のない完璧なまでの静寂と太古のままの山の姿がありました。丁寧に手の入れられた茶畑の脇に建つ二軒の民家跡。つい最近まで人の生活していた気配のある場所は、既に遠く人里離れていました。春の訪れた南アルプスの山々。ミツバツツジやクモイコザクラが急ぎ足を止めさせます。足がちぎれるほど冷たい水の広河原の徒渉。そこから始まる徹底的な急斜面の登り。微かな踏み跡のような登山道。それでもかつての森林経営の跡のワイヤーや造林小屋の跡も残る道でした。カラマツの植林を最後にコメツガの鬱蒼たる森の中に入り、ガリガリの雪の中の急傾斜の登りでした。桧横手山からの斜面の急峻さは凄まじいものでした。積雪そのものは1mを越えていても春のザラメは凍りつき、気の抜けないアイゼン歩行の末、布引のガレ場が現れ、標高差実に2100mを全装備を背負って登り切った布引山はありました。大井川を挟んで南アルプスの全山が行き来するガスの中に見え隠れしていました。富士川を挟んで富士山もありました。夜、甲府と静岡方面の夜景と南アルプスの壁のような姿が幻想的にありました。雪庇の張り出した原生林の中の道。登り切った山頂に頭だけが僅かに見える笊ヶ岳の標識が埋もれていました。

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浅間尾根

 以下の者は、2010年4月6日、奥多摩秋川を南北に分ける浅間尾根を数馬下から数馬分岐、一本松、石宮、人里峠を経て浅間嶺(903m)に登頂し、時坂峠から北秋川橋まで踏破したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 何時もの斜面。北面に向いているのに、雑木林で明るく、落ち葉が一面に広がったノビノビとした雰囲気に満ちた奥多摩らしい広がり。崩れた古い登山道を恐々と高巻き、登山道に戻った先に、点々と見えた独特の模様の付いた濃い緑の葉。カタクリの群落はありました。最初に見つけた数年前は、ほんの小さな何本かの塊。それが少しづつ増え、広がり、今では一面の斜面を埋めるピンクの花の中にありました。毎年、この時期、春を感じる奥多摩歩きの最初の一歩を踏み出す浅間尾根の一日。今年は、暖かい風と春らしい霞みの中にありました。雨、雪の多かった今年の春の奥多摩。道端の様々な表情を見せる馬頭観音様も久しぶりの暖かな陽差しの中でした。大きな尾根の上を北に南に絡みながら上手に疲れないように作られた道。そこからは終始、御前山から大岳山の大きな姿が見えていました。小河内峠の上に顔を出した明るい雰囲気の鷹ノ巣山の右には雲取山から飛竜山にかけての奥多摩で最も標高の高い部分も見えています。この時期、平日でも晴天であれば多くの登山者の訪れるはずの浅間尾根。不遇の浅間嶺の三角点は別にしても展望台にも人の訪れのない貸し切りの頂上でした。里山の域を出ない、ほんの小さな山頂でも360度と言って良い大展望と足元に広がる山村の明るい雰囲気は、やはり毎年、この時期に訪れたくなる山頂です。時坂峠への下りで見つけたカタクリの群落も大きくなり松生山と絡めて訪れてみたいと思っています。

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唐松岳

あぁ。残念!今日はここまで、撤退!
あぁ。残念!今日はここまで、撤退!

 以下の者は、2010年4月3日、北アルプス北部・後立山連峰の唐松岳を目指し八方尾根の登山を行い、八方池、第3ケルン、下の樺、丸山を経て馬の背下まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 「道の駅・白馬」から見上げた白馬岳周辺は明るい青空の下に真白に映えていました。ゴンドラ、リフトと乗り継ぐ内に、その青空の下に国境稜線を越えて雲が西から東へと早い速さで流れていきます。「あぁ、来るな・・・。」八方池山荘の下に置いていこうか散々迷った赤旗を、やはりザックに付けました。見る見るうちに雲は広がり、不帰の険の付近は明確に降雪を感じさせる吹き出しが出ています。それでも、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、爺が岳を左手前方に絶えず見る独特の後立山の大展望がありました。広大な真っ白い尾根。何度も通った尾根ですが、ホワイトアウトの際の帰りを絶えず考えながら振り返り、振り返りしながらの登りでした。石神井ケルンから先は要所要所に赤旗を刺しながらの前進です。そして、八方尾根唯一の憩いの場・下の樺からは本格的な雪とガスの中の登りでした。前後していたボーダー達も段々少なくなり、ついに足元も見えなくなりました。ザイルを付け、コンテで進みます。標高2550m。もう、その先が馬の背・・・・、という所で、完全なホワイトアウト。痩せ始めた稜線と空の区別がサングラスを通しても、裸眼でも判らなくなりました。磁石やGPSで方角は出せても足元の雪庇までは見えません。万策尽きて撤退しました。思えば、12月の唐松岳も悪天で富士山に転進。今回も、日曜午後からの次の低気圧を考えて夜行日帰りに変えての上での撤退です。唐松岳は、けして難しい山ではありません。次回・・・必ず。

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