過去の登頂記録
 (2011年3月〜12月)

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2011年 12月 12月30日〜1月2日 蓮華岳
12月23日〜25日 八ヶ岳全山縦走
12月17日〜18日 富士山・雪上訓練
12月3日 生藤山
12月10日〜11日 西穂高岳独標・雪上訓練
11月 11月26日〜27日 天狗尾根
11月23日 日和田山・岩登り講習・冬期登攀訓練・レスキュー訓練
11月19日〜20日 越百山
11月15日〜16日 酉谷山
11月9日 唐松尾山
11月8日 大菩薩嶺
11月1日〜2日 雲取山
10月 10月29日〜30日 富士山
10月17日〜18日 甲武信岳
10月15日〜16日 三つ峠・岩登り講習
10月12日 本仁田山
10月8日〜10日 劔岳北方稜線
10月5日〜6日 会津駒ヶ岳
9月 9月27日〜28日 妙高山
9月23日〜25日 八つ峰から劒岳
9月13日〜14日 谷川岳連峰
9月6日〜7日 餓鬼岳
8月 8月27日〜28日 ナメラ沢から甲武信岳
8月12日〜20日 モンゴル・オトゴンテンゲル山
8月6日〜7日 小川山・フリークライミング講習
8月1日〜3日 槍ヶ岳
7月 7月30日〜31日 奥穂高岳南稜
7月25日〜27日 鹿島槍ヶ岳
7月23日〜24日 劔岳源次郎尾根
7月16日〜18日 真ノ沢木賊沢
7月12日〜13日 火打山
7月5日〜6日 鳳凰三山
7月3日 転進の水根沢
7月2日 逆川
6月 6月29日 秩父槍ヶ岳
6月28日 両神山八丁尾根
6月25日〜26日 大荒川谷
6月18日〜19日 釜の沢
6月14日 石保戸山
6月7日〜8日 小川山
6月5日 新茅ノ沢
6月4日 勘七ノ沢
5月 5月31日 皇海山
5月21日〜22日 和名倉山
5月17日〜18日 雲取山
5月14日〜15日 三つ峠・岩登り講習
5月10日 両神山
5月3日〜5日 毛勝三山
4月 4月29日〜5月1日 黒部五郎岳
4月26日 高水三山
4月23日〜24日 もう一回の杣添尾根
4月19日〜20日 丹沢主稜
4月17日 つづら岩・岩登り講習
4月16日 日和田山・岩登り講習
4月12日 浅間尾根
4月9日〜10日 奥秩父・金峰山
3月 3月26日〜27日 平ヶ岳
2010年 10月〜2011年2月の登頂記録へ
4月〜9月の登頂記録へ
2009年 9月〜2010年3月の登頂記録へ
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2008年 7月〜2009年2月の登頂記録へ
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2007年 9月〜12月の登頂記録へ
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2006年 11月〜2007年2月の登頂記録へ
4月〜10月の登頂記録へ
2005年 9月〜2006年3月の登頂記録へ
2005年3月〜8月の登頂記録へ
2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
9月〜11月の登頂記録へ
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蓮華岳

2215m台地からは爺が岳がキレイ
2215m台地からは爺が岳がキレイ
全然・・視界の効かなかった山頂
全然・・視界の効かなかった山頂

 以下の者は、2011年12月30日〜2012年1月2日にかけて、北アルプス後立山連峰南部・蓮華岳(2799m)に大町市日向山ゲートから扇沢を経て丸石尾根を登り、2215m台地を拠点に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

雪の中、岩壁を越えて
雪の中、岩壁を越えて

 クリスマス寒波が抜けて冬型が緩み、比較的穏やかな天候の下で登れた蓮華岳。ここ数年、ほとんど見ることのできなかった森林限界から上の凍てついた雪山の展望、満天の星空を数時間ではあれ楽しむことができました。寒さの中、ハラハラと落ちる雪の中の出発でした。少しずつ上空の雲が動き、山襞が見えだし高く、高くこれから登る稜線が見えてきた中の入山でした。針ノ木谷を橋で渡り、丸石沢の堰堤を乗り越え取りついた丸石尾根。しかし、そこにはナント明瞭なラッセルの跡がありました。鬱陶しい灌木の藪を抜けてブナの森を登り、コメツガの森を抜けていく頃、針ノ木岳から赤沢岳、そして爺が岳へと続く尾根の上に青空が見えだしました。先行していたのは非常にシッカリした二人組でした。その先にもトレースがあり、結果的に目的の2215m台地まで、本格的なラッセルを経験することなく、ベースとなる静寂と大展望の中の雪原にテントを張ることができました。小雪の舞う中で明けた元日。マイナス10度前後の比較的暖かい中、もう頭上へと迫った頂上を目指します。唯一の障壁・ダケカンバの付いた岩壁をうまく巻き、弱い吹雪の中、JPから山頂へと向かいました。閉ざされた視界の中、黄色い「蓮華岳」の標識がガッチリと立っていました。夕方、再びテント場から広がった展望。鹿島槍ヶ岳も一瞬見えて静かに、ノンビリと雪山の中にいることを満喫しました。静かな、美しかった正月の蓮華岳。今年の冬山を予想させる良い山でした。

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八ヶ岳全山縦走

権現岳先のコワァいハシゴ
権現岳先のコワァいハシゴ

 以下の者は、2011年12月23日〜25日、八ヶ岳の核心部を天女山より前三つ頭、三つ頭、権現岳、旭岳と北上し、キレットより最高峰・主峰・赤岳(2899m)に登頂し、横岳奥の院、硫黄岳、夏沢峠から北八ヶ岳に入り、箕冠山から根石岳、天狗岳、中山峠、中山を越えて高見石まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

硫黄岳。越えてきた山々が一瞬見えた
硫黄岳。越えてきた山々が一瞬見えた

 真青な冬空の下に見事に並ぶ権現岳から赤岳、大天狗、阿弥陀岳の屹立した山々。三つ頭からは進む方向に素晴らしい光景が広がりました。「あの山を越えるんだ。遠くまで・・・」それは密かな決意でした。三年前は強い寒気による凍傷のために、今年一月は強い冬型の天候のために、共に不完全な形で終わった八ヶ岳縦走。けして、無謀なプランではないのに・・・、そんな思いが強くありました。いつもの風の吹き抜けるテント場。そして、権現岳を越えて、あの恐いハシゴを恐る恐るこえた時、こんどは行ける!との思いが込み上げてきました。赤岳への一歩ずつの厳しい激しい登り。いきなり、人の数が増えて、登り着いた最高峰。そこからは鮮明なトレースが僕たちを導きました。急変してきた天候。吹きつける強風。そして混じる雪。閉ざされる視界。微妙な岩場を慎重に越えて、辿り着いた横岳奥の院。その下で久しぶりに外すザイル。もう、ヨタヨタの身体に堪える硫黄岳の登り。再び視界が開け、越えてきた山々が見える嬉しさ。夏沢峠からは木々の美しさ、森の素晴らしさを感じる道でした。シンシンと冷えた原生林の中の一夜。明るくなると同時に着いた天狗岳。そして、高見石までの雪の森の道。様々な八ヶ岳の全ての表情が、僕たちの胸に刻まれた核心部の大縦走でした。

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富士山・雪上訓練

繰り返し行った雪上訓練
繰り返し行った雪上訓練

 以下の者は、2011年12月17日〜18日、富士山で行われた雪上訓練に参加し、六合目で基礎訓練を行い、更に七合目付近に登高し、総合的な訓練をおこなったことを証明します。

氏名 風 の 谷

山頂からは竜巻も舞い上がる
山頂からは竜巻も舞い上がる

 二日間真青な空の下にクッキリと聳え続けた富士山。二日目はときおり雪煙を上げながら吉田大沢の中にも小さな吹雪を吹き渡らせていきました。初日は、徹底的な歩行訓練を中心に、初心者組はアイゼンとピッケルに慣れていくことに主な関心を寄せました。久しぶりに体験する内張り付きのテント。下から沁み上がってくる独特の冷たさ。あぁ、冬の季節が始まる・・・。そんな思いを新たにしました。山頂から吹き下ろす風を受けながら、ヘッドランプでの出発。南アルプスや奥秩父、丹沢の広大な展望もステキでしたが、相模湾を真っ赤に染めながら昇る太陽と、薄らいで行く夜景が見事でした。経験者組は、雪上訓練の中でもザイルワークを含めて総合的な訓練を行いました。初心者組は、滑落停止等を軽く触れましたが、その訓練の大半をアイゼン歩行とピッケル技術の習得に費やしました。あらためて正しく、足の一部としてアイゼンを履きこなし、身体の一部としてピッケルを一層快適で安全な登山のために使用することの難しさを改めて感じました。その時、訓練として間違いのない歩行ができても、一定の恐怖を感じたり、風が強かったり・・・といった条件の変化によって基礎が崩れる傾向は、最後までありました。何回も、実際の様々な斜面を登り降りして繰り返し行った指摘は、雪山では、雲取山からヒマラヤまで変わることのない雪上技術です。広大なバーンの形成される富士山。毎年の、この訓練を技術を振り返る場としてシッカリやりたいと思います。

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生藤山

桂の巨木のある軍刀利神社
桂の巨木のある軍刀利神社

 以下の者は、2011年12月13日、奥多摩の南縁をかたどる甲武相国境尾根の盟主・生藤山(990m)に、南秋川の柏木野から万六ノ頭、を経て連行山、茅丸(1017m)を越えて登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

広々とした明るい尾根
広々とした明るい尾根

 所々に雪が残り、北面のために、寒々とした尾根を光を目指すように登り飛び出した連行山。急に明るくなる雰囲気、広々とした雑木林のカサコソと鳴る音。三頭山に近い部分を笹尾根と呼び、甲州(山梨)武州(ここの場合は東京)相州(神奈川)を分ける甲武相国境尾根は独特の良さがあります。木の間越しに下まで真白に化粧した絵のような富士山が見えました。一気に訪れた冬。それは柏木野のバス停前のいかにも古くからの街道沿いの家々は雪でも被ったかのように真白に霜を着けていました。南秋川も寒々と透き通った流れを見せていました。そこから主稜線に至る道は冬枯れの中にありました。樹齢何年なのか想像もできない杉のご神木。半分が植林、残りが雑木林の万六尾根。背後には暖かそうに陽の当たる大岳山から三頭山の稜線、その後には雲取山から飛龍山に至る黒々とした稜線まで顔を出していました。最初以外、決定的に急な登りはないものの、緩やかな上下を繰り返しながら長く辿る古くからの峠道ならではの独特の良さがありました。それだけに連行山、茅丸、生藤山、三国峠へと続いた展望の尾根道は、また違った良さがありました。遠く南アルプスから相模川を挟んだ丹沢と真青な空の下に美しく眺められました。下り着いた軍刀利神社付近から見上げたキツネ色の稜線の暖かな雰囲気は、今回歩いた秋川上流から鶴川上流にかけての桃源郷のような山里の魅力を象徴しているようにも思いました。晩秋から早春、また、訪れたい山々です。

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西穂高岳独標・雪上訓練

一瞬の晴れ間!ピラミッドピーク
一瞬の晴れ間!ピラミッドピーク

 以下の者は、2011年12月10日〜11日、北アルプス穂高連峰の入口・西穂高岳独標(2701m)に新穂高・西穂口より千石尾根を経て西穂山荘に宿泊し登頂し、雪上訓練を受けたことを証明します。

氏名 風 の 谷

西穂独標「風の谷」が占領
西穂独標「風の谷」が占領

 ハラハラと舞い続ける雪、白く雪化粧を始めたウラジロモミの森。穂高連峰の入口にも、ようやく本格的な冬が訪れだしたようだす。まだ降り積もったばかりなのでしょう。サラサラの雪の下はアイゼンが地面を捉え、白く雪化粧した森も樹氷にはなっていません。これらの雪に陽が当たり、再び凍結し、更に深々と雪が積もり・・を繰り返し、ギッチリと詰まり、登山靴をシッカリと支える雪になるはずです。入山から下山まで西穂高は弱い冬型の気圧配置の中にありました。結局、大きくは周囲の笠が岳、槍ヶ岳、そして穂高連峰そのものとの出会いは無く、風と雪の中にありました。これからの季節、北アルプスは頭上に移動性高気圧の訪れた、貴重な時だけに展望と青空に出会えるようになるはずです。今回の目的は「雪上訓練」にありました。実際には「雪の上を歩く」事を意識しながら西穂山荘へと向かい、風雪の独標まで登り下りを実践する中で、身体の一部としてアイゼンやピッケルを感じられるようになり、登山を助ける装備としてヤッケやザイル、ハーネスが感じられれば一定の目的は達せられたと思います。今回のトレーニングが「僕でも、雪の山に登れるかな?」と感じられるキッカケとなれば幸いです。次ぎのステップとして日帰りの雪山、小屋泊の森林限界を大きく越える山への挑戦、そして、テント、雪洞泊の雪山とステップアップしていくことを願います。 

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天狗尾根

真っ暗いなか山頂へ
真っ暗いなか山頂へ

 以下の者は、2011年11月26日〜27日、八ヶ岳東面の地獄谷より天狗尾根を赤岳沢よりカニのハサミ、大天狗、小天狗と越えて赤岳(2899m)に登頂し、山頂でビバークして県境尾根を下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

辛いビバークに耐えて金峰山から昇る朝日と対面!
辛いビバークに耐えて
金峰山から昇る朝日と対面!

 核心部である大天狗の岩壁を乗り越えた途端に一気に訪れた夕暮れ。そして闇。八ヶ岳の東面は登山者で賑わう茅野側と全く別な静寂の世界を創り出していました。清里、野辺山から、これから挑むルートを見上げ、林道から谷筋に入り、凍った谷、歩きにくい河原を少しずつ高度を上げて辿り、見事な原生林の針葉樹の森を登り、岩場を乗り越えて山頂に肉薄する・・・、完成された素晴らしい登山が待っています。天狗尾根は、その中でも比較的良く登られ、とりわけ厳冬期には激しいラッセルと凍てついた岩壁、そして烈風の稜線歩きと、本来の雪山登山の楽しさがギッシリと詰まった好ルートです。今回、ようやく訪れた僅かな雪と凍った沢筋の歩きが、雪山への誘いとしてステキな二日間を与えてくれました。大天狗を越えると吹きつける風。真っ赤に染まった中央アルプスと木曾御嶽山の素晴らしい光景。さすがに1500m以上の標高差を制して強い西風の吹く稜線歩きは厳しいものでした。最後の竜頭峰を越えて見慣れた山頂への登りにかかった時にはホッとしました。
 今回の目的の最大の物が山頂でのビバークにありました。吹きつける風。ツェルトの下の固定されていない部分から情け容赦なく入る風と小雪。それでも慣れてくるとテントと変わらない笑い声が自然と出てきました。それぞれの課題で眠りにくい夜を過ごした者の目には、金峰山から上がる朝焼けの奥秩父が見事でした。充実の八ヶ岳。これから何回も訪れる山塊です。

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日和田山・岩登り初体験講習・冬期登攀訓練・レスキュー訓練

アイゼンでの岩トレ・・・恐い!
アイゼンでの岩トレ・・・恐い!

 以下の者は、2011年11月23日、奥武蔵・日和田山の岩場で、岩登り初体験講習、冬期登攀訓練・レスキュー訓練にそれぞれ参加したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 驚くほど沢山の岩登りを志す人が集まってしまった日和田山でした。日和田山の岩場の特徴は、あらゆるタイプのクライミングにとって「入門の岩場」ということです。豊富に設置された支点、有志によって、徹底的に片づけられた浮き石、これらによって、比較的安心して岩登りの基本を学ぶのに相応しい場所です。お互いに初心者や初体験者で、「ヘタでも全然恥ずかしくない・・・。」また、お互いに、「こうした方が良いよ・・・。」と言い合う環境があります。
 初体験講習のグループでは、とにかく岩登りのシステムを学んでいただく事に専念しました。どんな時でも最初にセルフビレイを取り自分自身の安全を確保する、リードする者は確実にランニングビレイを取って墜落に備える、テラスに着いたらリーダーはまずセルフビレイを取り、パートナーをビレイして安全に登攀させる・・・。その流れを確実に覚えてほしいと思います。また、どんなタイプの岩場でも「足で登っていく」ことを忘れないでください。
 冬期登攀の練習では、アイゼンでの登高は一定の練習によって、センスのある人ならば一定の感触は得ることができるのに対して手袋を使っての登高は、何回やっても怖さがあります。何回やっても冬に備えて練習を開始すると、毎年、必ず苦手に感じるのは山田哲哉ガイドがヘボだからかもしれませんが、怖さを克服できません。もう、冬・本番目前!練習したことを確実に山の中でも活かしていただきたいと思います。

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越百山

ほとんど丸二日間カッパを着たままの越百山
ほとんど丸二日間
カッパを着たままの越百山

 以下の者は、2011年11月19日〜20日、中央アルプス南部の最後の森林限界を越えるピーク・越百山(2613m)に木曾側・伊奈川ダム上より福栃平より取り付き下のコル、上のコルを越えて越百小屋から登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 11月とは言え、もう既に初冬。ちょうど一年前の空木岳では、三分の二は雪の上の山だったし、上部ではラッセルを強いられた印象がまだクッキリと頭に残っていて、全く雪のない土砂降りの二日間はちょっと予想外でした。一瞬も止むことのない雨の中、最初からザックカバーに上下の雨具、水を吸ったのか重くなっていくザックを背負ってのなかなか厳しい山でした。花崗岩で白く美しい渓谷沿いを歩き、取りついた尾根は広葉樹からコメツガ、そしてシラビソと高度に合わせて樹相を変えて見事な原生林で続いていました。・・・というより、視界が全く効かず、僅かに見える雨に煙る木々だけの印象が強く残りました。雨に加えて風も出てきて、足元の登山道はまるで川のようでした。雪を溶かすこともできず、「上の水場」でタップリと水を汲み、最後の福栃山の巻き道をトラバースして越百小屋の見えた嬉しさ!開放された小屋はテントこそ張れなかったものの、シッカリとした安心の避難小屋でした。
 悪天に加えて、前日の濡れ濡れの行動にヨタヨタの者も居て、朝も変わらぬ雨と風の中、それでも越百山のみを目指して登り続けました。去来する風とガスの中、何も見えない孤高の山頂・越百山の三角点はありました。二月頃、となりの北沢尾根から必ず南駒ヶ岳を目指すことを固く決意した僕たちでした。

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酉谷山

 以下の者は、2011年11月15日〜16日、奥多摩長沢背稜の北端の山・酉谷山(1718m)に日原鍾乳洞から小川谷林道を登りゴンパ尾根より登頂し、七跳山(1615m)、ハナド岩を越えて三つドッケ(1576m)へと縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 雲取山から東京都と埼玉県を分けながら長々と伸びる県境の尾根。その中で長沢背稜と呼ばれる部分の東端をかたどる酉谷山から三つドッケの山稜。ここは東京都の北端の部分であり、奥多摩の中でも最も静かな不遇の部分です。今回、訪れてみて「あぁ、本当に良い所だなぁ」としみじみと思いました。通行止めのせいで全く人の気配のない紅葉に覆われた小川谷沿いの林道。いきなりの登りとなったゴンパ尾根。濃いガスが去来する中、登り着いた県境尾根の上には青空が顔を出した嬉しさは最高でした。キラキラと光るブナ、ミズナラの白い幹、葉の散り尽くした雑木林。強い風の後にチラチラと顔を出す鷹ノ巣山から雲取山への尾根。ガラス張りの酉谷山避難小屋は正しく展望の小屋でした。居ながらにして富士山と東京湾の夜景の見えるロケーション。見下ろす錦繍の小川谷。狭いながらも楽しい一夜でした。そして、何もない酉谷山の山頂がありました。完璧な真青な青空と稜線を吹き抜ける季節風の音。晩秋ならではのピーンと透き通った空気の中に三つドッケへの縦走でした。両神山から遠く穂高連峰の雪景色まで見えた七跳山。小川谷に突き出した岬のようなハナド岩の大展望。そして360度の展望の中に雲取山荘からスカイツリー、江ノ島まで見えた三つドッケ。そこから日原へと続く横スズ尾根もブナの巨樹の中の道でした。カサコソと落ち葉を蹴散らしての二日間でした。

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唐松尾山

御殿岩の登り
御殿岩の登り

 以下の者は、2011年11月9日、奥多摩多摩川水系の最高峰である不遇の名峰・唐松尾山(2109m)に三ノ瀬から七つ石尾根を登り午王院平から山の神土を経て御殿岩(2075m)を越えて登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 完全な快晴ではなく、今年最初とも言える冷え冷えとした寒い晴れた空の下の一日でした。多摩川の水源地帯・・・。雲取山から飛龍山を経て龍喰山、大常木山、笠取山と続く黒々とした原生林の山並み。その中で最も高く大きな山が唐松尾山でした。奥多摩最高峰でもあるはずの山頂は数年前までは水源林の巡視路を利用した奥秩父主脈縦走路が稜線下200mほどを巻いてしまうため、道も踏跡程度で訪れる者も少ない本当に不遇の山頂でした。僕自身は晩秋に訪れる事が多く、いつも蕭々とした風の中に山頂に立った思いがあります。この辺り一帯は甲州市、かつては塩山市の一角であり、少し先は丹波山村です。どちらも行政的には山梨県の中にありながら東京都の水道水源林として手厚く保護された水源の森です。今回、利用した七つ石尾根に真っ直ぐに伸びた明るい尾根道の上の道も10年ほど前までは登山道ではなく水源巡視路の一つでした。指導標もなく所々で水源林の仕事道が交差する尾根道は随所に大きなミズナラ、ブナ、トチの巨樹を持つ美しい森の道です。多摩川の水はウマイ!と言われるのはまさしく地道に森を守ってきた人々のおかげと感謝したくなる道でした。コメツガの原生林を抜けて笹原の細々とした道を辿り立った御殿岩。目の前に和名倉山が広く横たわり雲取山から飛龍山、甲武信岳・・・そして遠く浅間山まで見えた展望はステキでした。そこから僅かだった唐松尾山。そこも誰もいない静寂の山でした。次はシャクナゲの季節に訪れたい多摩川水源の山でした。

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大菩薩嶺

素晴らしい紅葉の中の丸川峠の下
素晴らしい紅葉の中の
丸川峠の下

 以下の者は、2011年11月8日、日本百名山のひとつでもある大菩薩嶺(2057m)に福チャン荘から大菩薩峠を経て登頂し、丸川峠へと周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 濃いガスの中を走っていたタクシーが雲の上に出たのか、明るい雑木林からカラマツの森へと変わった福チャン荘前に降り立った時には、うっすらと陽が射していました。風が越えていく大菩薩峠。そこから大菩薩嶺にかけては沢山の登山者が最後の秋を楽しんでいました。所々で開ける展望。しかし、東西の風のぶつかる大菩薩の稜線は霧雨が降ったり、陽が射したりと激しく変わる天候の中にありました。雷岩までの大菩薩のハイライトの道は、明るい草原のイメージがありながら大きな展望はありませんでした。日本百名山の山頂の一つとは思えない地味な原生林の中の山頂。そこからの丸川峠への道こそ、最も大菩薩らしい道でした。林立するコメツガの巨樹。その下に積み重なる苔むした倒木。所々でダケカンバが混じり、下の大黒茂谷に向けて続く苔の台地。北側は冷たい風の中に遠く多摩川水源地帯から奥秩父主脈にかけての雄大な稜線が見えていました。尾根の出っ張りを一つ一つ越えて、まだ?もう少し先かな?と見送るうちにヒョッコリと飛び出した明るい草原。その下に大菩薩の中で唯一の山小屋らしい雰囲気を残した丸川荘の建つ丸川峠がありました。南北に草原を持ち東西に山が迫り、切り通しのようになった丸川峠。今回は、そこまでとして、水源林の柳沢峠への道は断念しました。峠から裂石までの急峻な道は見事な紅葉の明るい輝きの中にありました。ハラハラと落ちる落ち葉、色とりどりの木々。秋の終りの大菩薩の一日でした。

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雲取山

ヨモギ_見事な紅葉のヨモギ尾根0265
ヨモギ_見事な紅葉のヨモギ尾根0265

 以下の者は、2011年11月1日〜2日にかけて東京都最高峰・唯一の二千メートル峰である雲取山(2017m)に後山林道片倉谷出合付近から入山し、塩沢橋より東京都水道局水源林巡視路を辿りヨモギ尾根に登り着き、奥後山(1466m)を経て奥多摩小屋水場で石尾根縦走路に出て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

飛龍山が綺麗
飛龍山が綺麗

 乾いた、明るい、晩秋の空気の中の雲取山でした。後山川に沿った古くからの林道の両脇も見事に色づいた紅葉の中でした。そして、とりついたヨモギ尾根。水道局の水源林の巡視作業の職員が「通勤」できる道にするために丁寧に山腹を巻き、キツイ傾斜にならないようにゆるゆると斜面を巻きながら少しずつ上へ上へと伸びていました。何か所かで分岐する道。地形図を読み、方角を考え、判断するうちに広葉樹の明るい広々とした尾根の上の道となりました。今回のテーマの一つが「読図」。1250m前後から小さなピークが次々と現れるのを一つ一つ確認し、ようやく辿り着いた1466mの「奥後山」。小さな山頂には、この山域の不遇のピークには必ずかかる、ある方の「奥後山」の手作りの標識が緑色の針金でくくり着けられていました。紅葉は真っ盛り、赤や黄色に染まるような美しい尾根の上を登ります。やがて、明るい石尾根の姿が見えヨモギの頭をトラバースして避けて奥多摩小屋の水場に到達しました。ここからの安定した登山道の道もステキでした。一歩登る毎にグイグイと富士山が、南アルプスが、大菩薩が見え、丹沢や奥秩父西部の山も見事でした。夜景の綺麗な山荘の一夜を過ごし再び立った山頂からも見事な展望がありました。楽しい、綺麗だったヨモギ尾根。次ぎも「不思議な道」から来たい雲取山です。

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富士山

夕暮れ近し影冨士
爺夕暮れ近し影冨士

 以下の者は、2011年10月29日〜30日、日本最高峰・富士山(3776m)の剣が峰に吉田口より登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

朝、テント場からの雲海に浮ぶ御坂の山々
朝、テント場からの雲海に浮ぶ御坂の山々

 吉田口浅間神社の最後の鳥居をまわり込み、山頂・剣が峰を占領するかつての測候所の立派な建物を見て、その周囲、お鉢巡りの全体に全くの人影のないことに驚きました。山頂「お釜」にツララを下げて晩秋の初冬の冨士山頂は静けさの中にありました。おそらく山頂を巡る「お鉢」からは本州の大部分の山々が見えていました。遠く北アルプスや戸隠、妙高の山々が見えていました。目の前に鋸岳・甲斐駒ヶ岳から光岳、深南部の山々が大きく長く伸びていました。手の届きそうな近さで奥秩父の山並みがあり、その先に奥多摩の大岳山が独特の山容を見せています。箱根の芦ノ湖、愛鷹連峰も見下ろせました。そして山中湖と河口湖・・・そして相模湾が美しく見えました。飛行機が山腹を飛んでいるのが見下ろせます。いつも、遥か彼方から遠く一つの象徴として見てきた山頂。夏冨士の写真は人が群れて、行列ができ、山小屋は人があふれ、絶対に行きたくない山だと思っていても、人っ子一人いない冷たい風がビュービューと吹き抜ける山頂は、間違いもなく孤高の頂きでした。
 七合目の山小屋脇に真っ暗になってから下り着いた一夜。僕自身は、この付近だけでも沢山の友達を亡くしています。そんな一人一人の面影がよぎり、疲れているのに何度も寝返りを繰り返した不眠の一夜でした。夜明けの中に雲海の上に見事に並んだ御坂から丹沢の島のように見える山々。やはり、素直に「日本一の山」を認めたくなる二日間でした。

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甲武信岳

十文字峠への稜線は色とりどりに !
十文字峠への稜線は
色とりどりに !

 以下の者は、2011年10月17日〜18日、奥秩父の中核である甲武信岳(2475m)に毛木平よりナメ滝、「美味しい水の平」、千曲川水源を通り登頂し、荒川水源、笛吹川水源を訪問し、三宝山(2483m)、武信白岩、大山を経て十文字峠に至り、再び毛木平まで周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 秋真っ盛り。色とりどりの紅葉の中を歩いた二日間でした。歩きだした毛木平は、今シーズン初めてとも言うべき冷え冷えとした空気の中にありました。カラマツの黄色とカエデ、ナナカマドの赤。それがシラビソ、コメツガの濃い緑の中に点々とある姿は見事でした。比較的水量の多かった千曲川水源の道も、つい先日までは涼しさを感じたのに冷たい印象を受けました。ナメ滝、「美味しい水の平」と川沿いを辿っていくのは最高です。シラビソの木々の密度が高くなり、水流が苔の上を滑るように落ちるように流れると千曲川の水源です。いつもはダケカンバの根っこから沁みだすように流れ出る「最初の一滴」はこの秋、雨が多かったせいか、さらに上流から流れていました。ボッカ道の山腹を丁寧に巻いていく道。シラビソの匂いが身体に染み渡るような原生林を登り辿り着いた十文字峠と山頂を結ぶ縦走路の先に秋の陽差しの中の山頂はありました。小屋から荒川水源、笛吹川水源を訪れました。千曲川水源より更に深い濃い原生林の中からコンコンと湧きだす荒川。明るく南に開けた木々の間から音を立てて流れ出る笛吹川。それぞれの個性を主張していました。翌朝、再び立った山頂からはまさしく360度の展望がありました。南北中央のアルプス、八ヶ岳、浅間山。僕たちは、そこだけ雲海に沈む北側の尾根を十文字峠へと向かいました。最後まで色とりどりの紅葉の中を歩いた二日間でした。

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三つ峠・岩登り講習

 以下の者は、2011年10月15日〜16日、御坂山塊・三つ峠山の屏風岩で岩登り講習会に参加し、数多くのルートを登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 三つ峠の岩場は見事なロケーションの中にあります。初日の濃いガスと雨、強風の中の屏風岩が翌朝、少しずつ乾きだし上空に青空が顔を出し、山肌をガスが降りていった時、背後にグッと富士山が姿を見せてきました。九月下旬に七合目から上を真白に染めたはずの霊峰が、前日の暖かい雨で雪をなくし黒々とした大きな姿で聳えていました。そんな物も目に入らない緊張の日曜日の屏風岩の岩登りでした。目の前の課題・岩との格闘に終始した一日でした。三つ峠の岩場の魅力はなんと言っても、そのスケールと整備されたゲレンデとしての機能です。トップが登り、フォローの確保をし、テラスに着いてセルフビレーを施し、再びトップへのビレーを行い・・・という流れが、実際の岩場で本チャンの岩登りを想定しながらの一連の動きとして行える貴重な岩場です。悪天に室内での講習を余儀なくされましたが、その大部分はスムーズな岩場での動きの確認と、より一層の間違いの無い安全性の確保にありました。二日間、室内と実際の岩場と、その講習の中で得たものは全て遠くない将来の岩登りの中で活かしてもらいたい事です。「風の谷」の講習会は、単に実際の岩登りが「講習参加者」として行えることが最終的な目的ではなく、自分自身で近い将来にパートナーを見つけ、お互いに研鑽し合いながら本格的な登山を行えるように成長してもらう事にあります。スピーディーに確実に、実際の岩を登れるのは当然の事として安全なクライミング技術をこの講習会をキッカケに身につけてほしいと思います。

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本仁田山

コブタカ山との間には明るい雑木林もあった
コブタカ山との間には
明るい雑木林もあった

 以下の者は、2011年10月12日、奥多摩・多摩川北岸の本仁田山(ホニタヤマ・1242m)に奥多摩駅より安寺沢集落を抜け大休場尾根から登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 本仁田山は多くの人に登られている山です。駅から直接、登れ、駅に直接帰ることができる、その便利さが受ける山です。しかし、造林の山として古くから開発され、登りも下りも厳しい山容、かつては山頂付近が植林に覆われて展望が楽しめない・・・などにより歓声の上がるような山でもないと言われてきました。今回、電車の大幅遅延とバスがないこと・・等で川苔山を諦めたことで訪れるチャンスとなりました。本当に標高の高い所まで家がある・・それが安寺沢の集落の印象でした。昔は奥多摩のアチコチにあったワサビ田は本当に少なくなったなかで、貴重なワサビ田とクレソンの畑が山道の入口でした。クルミ、アブラチャン、トチの実が音を絶てて散る中の急斜面の登りです。大休場尾根からは明るい広葉樹も混じり、振り返ると六つ石山から鷹ノ巣山の石尾根が木の間越しに眺められました。もう、ずいぶん登った・・・、足元がおぼつかなくなる直前にそこだけ木々が伐採された山頂に飛び出しました。富士山方向と青梅の街並みを見る方向だけ伐採された山頂からは、残念ながら霞みがかかったようで大きな展望はありませんでした。結果的に、山頂からコブタカ山までの間こそ、この山のハイライトでした。僅かに残った雑木林の明るさ、木々の間から見上げる大きな川苔山の山容、広い防火帯の中には、所々で季節の花も咲いていました。動物の気配、秋の花と出会えた本仁田山の一日でした。

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劔岳北方稜線

小窓ノ王基部から振り返る 雪山になった池ノ谷ガリー
小窓ノ王基部から振り返る 雪山になった池ノ谷ガリー

 以下の者は、2011年10月8日〜10日、北アルプスの劔岳北方稜線に室堂から剣沢、真砂沢キャンプ場を通り、長次郎雪渓、池ノ谷乗っ越し、池ノ谷ガリーを経て三ノ窓に至り、小窓ノ王基部から小窓へと縦走し、池ノ平、仙人池へと辿り、再び真砂沢キャンプ場からハシゴ谷乗っ越しを経て内蔵ノ助平から黒部湖へと周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

仙人池からの越えて来た山々
仙人池からの越えて来た山々

 一つ、残念なことがあります。小窓ノ王基部から振り返った三ノ窓方面の景色、剣尾根、チンネ、ジャンダルム、そして足元に大きく落ち込む池ノ谷。その姿をカメラに収めたはずなのに映っているのは凍てついた岩壁の中を登る仲間の姿だけ。見渡していた景色が大きすぎて画面には全く入らなかったのです。それほど大きく激しかった北方稜線で出会った素晴らしい景色。本当に幸運だったと思います。室堂から見上げた立山の姿はハッキリと雪山でした。別山から見た劔岳は初冬の姿をしていました。別の場所のように寂れてしまった剣沢。三連休というのに誰も登っていない別山尾根。しかし真青な抜けるような青空。一縷の可能性にかけて向かった真砂沢への道も険しい道でした。翌朝、剣山頂を回避してとにかく北方稜線を辿るルートへ向けてヘッドランプで辿った長次郎雪渓。暗闇の中から見上げるオレンジ色に染まっていく八つ峰の頭。そして登り着いた池ノ谷乗っ越しからは本格的な雪のバリエーションを思わせる岩と雪の世界でした。空が急激に明るくなった三ノ窓、大岩壁に囲まれた小窓ノ王基部、そして判りにくかった小窓への道。ヘトヘトになってやってきた池ノ平と仙人池からは、越えてきた山々が信じられないほどの大きさで聳えていました。本物の剣と真剣勝負したステキな三日間でした。

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会津駒ヶ岳

下山の時、昨日よりちょっと色づいたブナの森
下山の時、
昨日よりちょっと色づいた
ブナの森

 以下の者は、2011年10月5日〜6日、南会津の高層湿原の山・会津駒ヶ岳(2132m)に檜枝岐から駒ノ小屋を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 頭上一杯に見上げると少し色づいた幾重にも重なった広葉樹の木々。粘土質の滑りやすい登山道を辿り、車道の終点からの道は見上げるような急坂の連続でした。カラマツ林が姿を消して出てきたブナ、ミズナラの木々。白白としたブナの木はどうしても悪戯心を引き起こすのか、苔を一杯着けた豪雪地帯の守り神・この山のブナも古くからの落書きが刻まれていました。紅葉には一歩早く、所々、少しだけ色づき始めた黄色や赤の葉は季節が急速に変わり始めたことを教えてくれました。降り出した雨はどんどん強くなり、小屋直下のクサモミジの高層湿原に出てからは寒々とした道となりました。湿原には、もう緑色はありません。狐色の一面の広がりと彩りを添えるツツジ系の赤。まだ溶け残りの雪のこびりついた木道は滑りやすく、霧の中にボンヤリと小屋の見えた時にはまさしく「黄金の御殿」でした。ランプの小屋。自炊場の暖かいストーブ。屋根を叩く強い雨の音を聞きながらの一夜でした。時折、明るくなる空にカッパを脱いで歩きだしたら再びの雨。クサモミジの高層湿原に浮ぶアオモリトドマツの島の様な会津駒ヶ岳の山頂。辿り着いた三角点には「晴れたら大展望」と言わんばかりの展望を紹介する絵がありました。
 前回、ハクサンコザクラの時期も二日間、終日の雨。今回も悲しいような雨。でも、遮る物もない、あの草原の広がりの中には、きっと素晴らしい展望が待っているはずです。何時か、ある程度の雪を覚悟して、あのブナの森が染まった晩秋に訪れたいものです。

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妙高山

広々とした黒沢池湿原
広々とした黒沢池湿原

 以下の者は、2011年9月27日〜28日、信越山域の日本百名山の一つ・妙高山(2445m)に笹ヶ峰登山口より十二曲、黒沢湿原を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

頂上付近からは北アルプスが大きい
頂上付近からは北アルプスが大きい

 二日間にわたる真青な空。急峻な上り下りの山に肌は汗ばんでも、サラサラと吹く乾いた風に涼しささえ感じる・・・。そんな山でした。豪雪地帯の原生林独特の鬱蒼としたブナ、ミズナラ、シラカバ・・ダケカンバの森を抜けて向かった十二曲の登りからは、すでに白馬岳から鹿島槍ヶ岳の美しい北アルプスの山々が望まれました。降り立った黒沢湿原の広大な広がり。クマザサと湿原性の草原にチョロチョロと流れ込む沢。期待していた紅葉、クサモミジは色づいた物から先日の台風で吹き飛ばされた感じはあるものの、近くの高谷池よりも一層広い山上の楽園は見事でした。満天の星が一つ一つ消えていく中での出発。振り返れば色とりどりに染まった火打山と焼山が見えました。妙高山は厳しい山でした。下りにくい長沢分岐へのガラガラとした下りとネマガリダケのトラバース。そして、沢の中を歩くような急斜面のゴロゴロとした岩の道。それでも、周囲の木々がダケカンバへと変わり、木の間越しに思わぬ大きさで北信の山々が眺められる登りは、疲れにもかかわらず意外に早く広々とした山頂へと登らせてくれました。まさに360度の大展望。朝日岳、雪倉岳から白馬、剣、槍、穂高と北アルプスの山々には手が届きそうな近さでした。そして苗場山から谷川岳の山々。足元に迫る近さで見えた日本海。いつまでも居たい山頂でした。北信の山々は重厚で素晴らしい山ばかりです。黒姫山、高妻山、戸隠。また、初秋の季節に訪れたい山です。

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八つ峰から劔岳

Dフェースの核心部
Dフェースの核心部

 以下の者は、2011年9月23日〜25日、北アルプスを代表する名峰・劔岳(2999m)に剣沢から長次郎雪渓を経てY峰Cフェースを登攀し、八つ峰上半から八つ峰の頭に登り、剣主稜を縦走して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

劔岳を背景に快適な登攀
劔岳を背景に快適な登攀

 剣沢にテントを張ろうか・・・と言うとき、パラパラと落ちてきた雪。まさか?そして周囲はドンドンと白く染まっていきました。急に冷えてきた気温。サラサラとテントを打つ雪の音。そして強く吹き上げる風。そして、寒さの中、首を縮めながら降りた剣沢。暗い中、クレバスを避けながら入った長次郎雪渓からはテッペンを朝日に赤く染めながら輝く劔岳の岩峰群がありました。そして、取りついたC、Dの各フェース。どちらも暗く、まだ凍てつく寒さの中、最初の1〜2ピッチ目はまさしく、かじかむ指とホールドに張りついた雪、所々透き通った氷のスタンスとの格闘でした。そして、ようやく陽の当たるリッジに出ると一気に快適になる登攀。見渡す限りの展望の中、八つ峰の稜線に立つことができました。Y峰ノ頭からの八つ峰。それは前方にチンネから八つ峰の頭、池ノ谷の頭、長次郎の頭、そして劔岳を見ながらの快適な登りでした。登り着いた八つ峰から劔岳山頂への主稜。一歩ずつ近づく山頂。遠く富山湾から白山、能登半島、槍ヶ岳から南アルプス、八ヶ岳・・・。真青な空の下に輝く山々を楽しみながらのルートでした。
 劔岳の登攀は見事なものがあります。暗い中を雪渓を下り、微妙な岩場のアプローチをこなし、岩場に取り付き、登攀を貫徹し、そして、そこからも安全地帯までは遥かな道のりがある・・・。本来の岩登り、総合的な登攀の要素があります。また、ぜひ、劔岳へ!

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谷川岳連峰

キラキラと光る草モミジと笹の稜線
キラキラと光る
草モミジと笹の稜線

 以下の者は、2011年9月13日〜14日、谷川岳連峰の核心部を天神平から谷川岳トマの耳、オキの耳(1977m)に登頂し、一ノ倉岳、茂倉岳を経て蓬峠まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

蓬峠へ!
蓬峠へ!

 谷川岳連峰に秋が来た!朝の気温でも13度あり、登りという登りで徹底的に汗を絞らせられても、それでも、稜線を吹き抜ける風は間違いもなく秋の風でした。ハクサンフウロウや、ハクサンイチゲの咲き残る稜線でも、すでに「草モミジ」と言ってよい、赤や黄色の色が見られました。そして、風が吹くたびにキラキラと輝くどこまでも続くクマザサの光・・・。まさしく秋の谷川連峰の景色でした。標高2000mに届かない山々。それなのに、1500m前後でブナの森は姿を隠し、遮るものもない森林限界に似た剥き出しの自然がどこまでも続く・・・。それは、何故でしょうか?豪雪地帯ならではの独特の厳しい自然によるものなのでしょう。谷川独特の霧が、それでも午後には出ました。夜には一面の霧。それが、雲一つない朝を迎えて、どこまでも続くたおやかな峰々と朝日が迎えてくれました。振り返れば万太郎山、オジカ沢の頭、仙ノ倉山と続く稜線。そして行く手には、今日、越えていく山々が見事でした。一ノ倉沢を「ノゾキ」、一ノ倉岳に登り返し、茂倉岳、武能岳と笹原の明るい稜線を歩きました。「どこまでも歩いて行けそうだね・・・。」そんな声の出る、蓬峠への明るい広々とした草原。一転して大きなブナの林立する原生林から湯檜曽川沿いの静かな道、幽ノ沢、一ノ倉沢、マチガ沢の壮大な岩壁と次々と現れる変化に富んだ光景に、見とれた二日間でした。まだまだ歩きたい谷川連峰。次は、清水峠を越えてみたいものです。

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餓鬼岳

ナント、ブロッケン参上!
ナント、ブロッケン参上!

 以下の者は、2011年9月6日〜7日、北アルプス常念山脈の北端の不遇の名峰・餓鬼岳(2647m)に白沢登山口より紅葉ノ滝、魚止ノ滝、大凪山を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

やっと訪れた乾いた快晴!槍を見ながら頂上へ!
やっと訪れた乾いた快晴!
槍を見ながら頂上へ!

 北アルプスの中にこんな雰囲気の山があることを多くの人は知らないのかもしれません。沢の中を直接歩く、独特の道、濡れた木の橋、微妙なトラバース、ヌルヌルと滑る岩場、そして、無茶苦茶な急登とガレ場。道に覆い被さる笹と踝まで潜るヌカルミ。それでも思い出せば、花崗岩独特の真白な岩肌を滑るように落ちる流れ、ガスの中に浮ぶ勇壮な滝・・・・。何れも見事なものでした。緊張の沢沿いの道から緩むことの無い急坂。標高差1600mを越える登りは厳しいものがありました。それに絶えず緊張しなければいけない道、それは、転んだらどこまでも落ちていきそうな斜面もあったし、滑りやすい木の根っこもありました。そして、ついに一番傾斜のキツイ所で降り出した雨。それだけに、小屋手前の緩傾斜の所では「ホッ」としました。突然、現れる小屋。そして、突然に射してきた太陽の光。吹き抜ける爽やかな風、夕方の美しい日没とブロッケン現象。昔ながらの小屋がありました。
 一転して快晴の抜けるような空の下の朝。頸城の山々を真っ赤に染めながら昇ってくる太陽。そして、槍・穂高から劔岳まで北アルプスの全ての山々と南アルプス、八ヶ岳の展望。足元のコケモモとブルーベリー。北アルプスの端っこにあるからこそ、全てが少しだけ距離を置いて見られる・・・、そんな山がありました。餓鬼岳・・・なかなか来るチャンスを作れない、なかなか、大変な山。でも、最高の静けさがありました。

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ナメラ沢から甲武信岳

 以下の者は、2011年8月27日〜28日、奥秩父・笛吹川のナメラ沢を峠沢から中ノ沢を経て水源まで遡行し、西破風山(2325m)に登頂し、甲武信岳まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 クルマの窓から見下ろす、小さな河川も茶色く増水していました。深い谷、ゴルジュの発達した谷へ入るのは自殺行為に等しい・・・、まして、谷の中に泊まるのも・・・。塩山へと向かう道すがら、クヨクヨと考えて出した結論は笛吹川ナメラ沢への転進でした。荒川水系からの沢登りの後、最も早く里へと降れる谷としてこの六月にも下降したナメの続く谷。雁坂峠から破風山にかけてを流域にしており、比較的増水の少ない谷・・・、そんな安心できる谷でした。それでも、雁坂トンネル入口で聞える谷の音は大きく、林道終点から降りた支流も激しい流れを見せていました。雁坂峠から流れる峠沢、さらに雁坂嶺から降りる中ノ沢、それぞれを分けて入ったナメラ沢も強い流れで岸を洗っていました。何時もはサラサラと涼やかな音を立てるナメも激流で岩の上を落ちていました。それでも澄んでいた水が濁りだしました。上流で雨が降り出した気配です。そして、強い雨。連日の降雨で山にはタップリと雨が含まれ、もはや「お腹一杯」に水をため込んでいます。その上に更に降った雷雨は、そのまま山から吹き出した感じでした。更に降ったらどうしよう・・・?普段、水の現れる苔の斜面。そこから美しいダケカンバの笹の斜面、コメツガの倒木の森、何時も歩きにくい巨岩の台地。ズブヌレで飛び出した西破風山へと登り着きました。雨の奥秩父の稜線は、既に夏の終りと初秋の気配に満ちていました。

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モンゴル・オトゴンテンゲル山

フフノール湖からオトゴン
フフノール湖からオトゴン

 以下の者は、2011年8月12日〜20日、モンゴルの大草原のハンガイ山脈のオトゴンテンゲル山を目指し、フフノール湖から対岸の3230m峰、バヤン峰(2950m前後)、ツーリストキャンプ対岸の2890m?峰に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

モンゴルに徳さん現れる
モンゴルに徳さん現れる

 その日だけ、時々、雲のかかるオトゴンテンゲル。強く降りかかる雨。その国立公園のゲートの前で、正装した女性が地面に敷いた敷物の上に繰り返し倒れ込んでは白く山頂付近に雪を付けた山に向かい、繰り返し拝む。その真剣な姿は「無信仰」な僕にとっては、不思議な光景だった。降り出した強い氷雨の中でも、それは全く躊躇することなく繰り返された。僕たちにとって、宗教とはお葬式に時の「飾り」であり、教会に通うステータスだったりするが、生きていく中で自らを律する物でもなんでもない。彼らにとっては、「山」は神様の住む場所なのだ。山上の瞳のようなフフノール湖からオトゴンの対岸の山に登った。登頂ルートは目の前で、山襞の一つ一つがよく見えた。美しい山だった。足元を埋めつくすエーデルワイスをまさしく踏みしだきながら下山した。次ぎに登ったバヤン峰は見事な山だった。その山容と言い、黒に近い真青な空に沸き上がる積乱雲と言い、まさしく「霧ヶ峰」だった。その次ぎに登った山頂からは、更に北へと広がる広大な山とも丘とも言える新しい広がりが新鮮だった。
 モンゴルで最も驚いたのはゲル訪問で見た人々の暮らしだった。けして広くないのにとっても暮らしやすい作り、美味しい揚げパンと馬乳酒、ちょっとショッパイミルクティー。おそらく百年前と大きく変わらない暮らしがいつまでも胸に残るように思えた。山頂に勝るとも劣らない人々の暮らしでした。

大草原 ゲル訪問 羊の解体
大草原 ゲル訪問 羊の解体
オトゴンテンゲルの姿 見事なエーデルワイスを
踏みながら
見事なエーデルワイスを踏みながら
オトゴンテンゲルの姿

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小川山・フリークライミング講習

指先の指紋もすり減らして登ったガマの頭
指先の指紋もすり減らして登ったガマの頭

 以下の者は、2011年8月6日〜7日、奥秩父小川山山麓・廻り目平周辺の岩場で数多くのルートを登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 毎日のように降り続く雷雨。ゴロゴロと雷鳴がしだして僅かで降り出すスコールを思わせる夕立。小川山でのフリークライミング講習は、そんな天気の中で行われました。それにしても小川山は本当に楽しい所です。周囲を埋めるシラカバとカラマツの林。整った設備の中で、テント場直近までクルマを乗り入れられる快適さ。ここの所、毎週のように重荷を担ぎ、ヤブを漕いできた僕達にしてみれば本当に快適な場所です。いつもの質素な食事とは全く違う楽しい食事時間も魅力でした。一年に一回くらい、こんな山も悪くない・・・、そんな思いです。
 初めて小川山のクライミングを体験した方は、どんな印象を持ったのでしょうか?花崗岩のペラリとした一枚岩。ちょっと遠いな?といった感じで打たれたペツル系のボルト、最初は何がホールドで、何がスタンスかと一切判らないようなただの岩の広がり・・・。しかし、少しずつ、岩の中に弱点を見つけ、足場を探し、指先だけがかかるホールドや掌を押しつけるようなホールドを見つけジリジリと登り詰めていく感触。これが・・・何もない・・・という意味でのフリーなクライミングの基本だと思います。本チャンのクライミングとは大きく異なる小川山でのクライミング。でも、身体能力と想像力で「登れっこない」ような岩壁を登っていく楽しみ方は本チャンのクライミングにも必ず役立つものと確信します。爽やかな高原の風の吹く、小川山にまた訪れたいと思います。

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槍ヶ岳

イヨイヨ岩稜 トリコニーの岩場
イヨイヨ岩稜 トリコニーの岩場

 以下の者は、2011年8月1日〜3日、北アルプスの象徴・天空を刺す槍ヶ岳(3180m)に上高地より横尾、槍沢、ヒュッテ大槍を経て、登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

唯一見えた夜明けの光景
唯一見えた夜明けの光景
昨日登った穂先。なんだか信じられない
昨日登った穂先。なんだか信じられない

 せっかく、あんなに苦労して登ったのに、その山頂も本当の姿も、見ないままに下山するのかと思っていた三日目の朝、僕達の願いがかなったようにあの見事な穂先が姿を現しました。天空を突き刺す姿は素晴らしく、ちょっと槍沢側に傾いて上から倒れてきそうな大迫力がありました。そして、全く期待していなかった展望。穂高連峰の全てが姿を見せ、常念岳、蝶ヶ岳が目の前にありました。そして、遠く富士山と南アルプスも。槍ヶ岳は遠い山頂でした。上高地からの延々たる梓川沿いの道。頭上に明神岳から前穂高の素晴らしい山々があるはずなのに、見えているのは屹立した岩壁ばかり。澄んだ梓川の水。沸き上がる伏流水。そして、ちょっと恐い猿の群れ。期待と不安を胸に一歩一歩、確実に登り詰めていく槍沢の登り。何時の間にか「木」と呼べる物はなくなり、雪渓と素晴らしい花、花、花。でも、それを鑑賞できたのは下山になってからでした。東鎌尾根の上に張りつくようにへばりついたヒュッテ大槍。それなりに緊張させられる尾根の上を辿り、全く姿の見えない「槍」へと向かう緊張感。降り出した雨に濡れた岩にしがみつき、ハシゴを攀じ登り、再び岩と格闘し、最後のハシゴを恐々と登れば「もう、それ以上に高い所はない!」穂先でした。何も見えず、もっと岩の濡れる事を恐れてソソクサと立ち去った山頂。降りて、振り返り、自分が登った事が信じられない尖った山頂。槍ヶ岳は、やはり日本で一番カッコイイ山でした。

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奥穂高岳南稜

 以下の者は、2011年7月30日〜31日、北アルプス・穂高岳連峰最高峰・奥穂高岳(3190m)に、上高地から岳沢に登り、大滝下より南稜に取り付きトリコニーの岩峰を越えて登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 急峻な雪渓を越えて大滝の下から無理矢理取りついた南稜。ウェストンが上条嘉門治を伴い初登頂したと言われる稜線は、おそらく当時と大きくは違わない状況で、ヤブ漕ぎから少しずつ岩場となり、トリコニーの岩峰を越えていく爽快なルートでした。浮き石だらけのルンゼからは、この日、唯一と言って良い素晴らしい眺めが広がりました。隣に屹立するコブ尾根。ジャンダルムからロバの耳にかけての主稜線。そこに朝日が当たり、岩の殿堂である穂高の中にいる幸せをかみしめました。連続する岩峰を、できるだけ忠実に乗り越え、トラバースし穂高独特のカラカラと乾いた音を立てる岩を登っていく感覚はステキでした。岩場の直登、チムニーからルンゼ、そして、最後の微妙な下降を経て稜線に向けてのガレ場の登りを征して到達した南稜ノ頭。山頂に立った途端の激しい雨。激しく変化する山の自然を満喫した一日でした。岳沢から穂高連峰に至るルートは、コブ尾根、畳岩、そして、ジャンダルムからロバの耳、天狗のコルを経て西穂高に至る稜線として、一般ルートとはひと味違う穂高本来の魅力を持つルートを沢山持っています。実は僕自身は積雪期、残雪期以外でのこれらのルートを登った経験は僅かです。今回、登った南稜も初登頂のルートに相応しい上高地から距離的には最短の場所を辿った合理性に改めて脱帽させられる思いがありました。岳沢、そして明神からの前穂高へのルート。いつかは登ってみたいとの思いを新たにしました。

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鹿島槍ヶ岳

爺が岳への登りからは前日に登った鹿島槍ヶ岳が大きい
爺が岳への登りからは
前日に登った
鹿島槍ヶ岳が大きい

 以下の者は、2011年7月25日〜27日、北アルプス後立山連棒の盟主・鹿島槍ヶ岳(2889m)に扇沢から柏原新道を登り、種池より爺ガ岳南峰、中央峰(2669m)を越えて冷池から布引山を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

コマクサ
コマクサ

 鹿島槍ヶ岳は美しい山です。安曇野のどこから見上げても優美な双耳峰はたおやかで美しく堂々とした山容は、後立山連峰のまさしく盟主に相応しいものです。振り返って考えてみると、歩きだしから山頂に立つまで、珍しい花からよく見る花まで、絶えず視野の中に花のある山でした。ハクサンシャクナゲの咲く柏原新道を登り、キヌガサソウと出会うと種池山荘直下のお花畑に出ました。一面に咲くチングルマの中を登り、爺が岳南峰と中央峰の間ではコマクサが咲いていました。冷池山荘の手前ではタカネバラが咲き、鹿島槍ヶ岳への道にはシナノキンバイやテガタチドリがありました。花、花、花の三日間でした。上空に寒気が入り、毎日似たような天気のようでした。カッパを脱いだり着たりの種池への登り。夜明け前の屋根を打つ雨音にガックリしていたら爺が岳からは鹿島槍が見えました。そして、ガスの中の登頂、午後からの強い雨。それでも、最終日には劔岳から薬師岳、そして遥か彼方の槍ヶ岳まで見えて実は、北アルプスの多くの山頂を見ることができました。鹿島槍ヶ岳、爺が岳は比較的無理なく安心して登ることのできる山だと言われています。徹底的に整備された登山道と山小屋、優雅な山容のおかげです。ライチョウやサルまでが、人を恐れず道端で歩いていたのが印象的です。北アルプスの最初の一歩に相応しいステキな鹿島槍ヶ岳でした。

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劔岳源次郎尾根

 以下の者は、2011年7月23日〜24日、北アルプス北部を代表する劔岳(2999m)に剣沢より平蔵谷出合を経て源次郎尾根に取り付き、T峰・U峰を越えて登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 左手に大きく屹立するT峰正面壁。垂直に近い大きな岩壁を従えた見上げるT峰。剣沢のテント場から見上げて、その大きさと雄大さに胸を打たれた劔岳を支える二本の支柱の様な八つ峰と源次郎尾根の岩稜は今、足元にありました。劔岳は雄大な山です。日本で一番豪快な山だと思っています。最も容易と言われる一般登山道の作られた別山尾根にしても雪渓を越えてガラ場の急斜面を攀じ登り、足元に大きく開けた高度感一杯の岩場を登り初めて到達できる山頂です。そして、源次郎尾根。剣沢からの月明かりの中の雪渓の下降から始まり、草付きのトラバース。嫌になる木登りとハイマツ潜り、そしてようやく始まる快適な岩場の登高。背後にグイグイと広がる後立山連峰の雄大な展望、吹き上げる雪渓からの涼やかな風。所々、傾斜の強い岩場を乗り越え、落石に注意しながら意外にも早く到達したT峰。長次郎雪渓を挟んでの八つ峰の岩場。見上げる劔岳山頂で動く人の姿。U峰からの一気の懸垂下降。一歩ごとに大きくなっていく山頂。アレ?と思うほど山頂は近くにありました。劔岳は沢山の魅力的な課題を与えてくれる素晴らしい山です。目の前にあった八つ峰やチンネの岩場。山頂から北へと大きく伸びる北方稜線。夢が一杯詰まった「試練と憧れの山」劔岳。何回でも行きたい名山です。
 最後に本当にスイマセン。実は前科があります。不愉快で辛い藪コギとニッコウキスゲトラバース。反省してます。

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真ノ沢木賊沢

入川本流は徒渉の連続
入川本流は徒渉の連続

 以下の者は、2011年7月16日〜18日、奥秩父荒川水系本流である入川を川又より赤沢谷出合より遡行し、柳小屋から真ノ沢に入り「通らず」、千丈ノ滝と遡行し、支流の木賊沢を水源まで遡り、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

真ノ沢千丈ノ滝荒川水源の焚き火
真ノ沢千丈ノ滝 荒川水源の焚き火

 木賊沢が花崗岩の白砂の間にヒッソリと消え失せた後、登り詰めた破風山と木賊山との間を目指しての登り。完全な「藪の中」という訳ではない。かすかな鹿道を拾い、稜線へ向けて少しずつ上げていく高度。やがて、南からの風を感じ、空の領分が増え、目に入るハクサンシャクナゲの上品な淡いピンクの花。サイの河原の直下の稜線に飛び出した。振り返れば飛竜山から雲取山にかけての奥秩父東部の山々。荒川水系の山々を挟んで両神山が大きく見える。長かった入川渓流釣り場からの遡行が最後を迎えた瞬間だった。甲武信岳に立ち、小屋から荒川水源へと改めて下降し過ごす一夜。大きな焚き火が燃える。静かに煙がシラビソの森の中に消えていく。深夜に皓々とビバーク地を照らす月明かり。都会では熱帯夜に寝苦しい思いをしている時に、寒さに震え目覚める贅沢さ。それにしても、荒川水系本流の遡行は見事だった。胸までの徒渉、流れに、激流に対抗してジリジリと進む入川。真ノ沢の優美な流れ。ツルツルに磨かれた「通らず」。頭上はるか上から堂々と、しかし静かに流れ落ちる奥秩父で最も雄大な滝・千丈ノ滝。苔むしたナメと凄まじい倒木の谷・木賊沢。苔の上をサラサラと流れる水源。素晴らしい、見事な、本物の沢登りがそこにあった。花崗岩が風化し、それを苔が埋めつくす独特の光景がしばらく、僕達の頭からは消えそうもない。

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火打山

天狗の庭に映る火打山
天狗の庭に映る火打山

 以下の者は、2011年7月12日〜13日、花の名山として知られる火打山(2461m)に笹ヶ峰より高谷池、天狗の庭、雷鳥平を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

巨大なブナの森

 新潟県から長野県にかけての豪雪地帯の山々の初夏。そこは、見事なまでの森と山の生き生きとした気配に満ちていました。豊富な残雪が夏の暑さに一気に溶けだす今、小さな流れも勢いを付けてブナやダケカンバの森の中を流れていました。ずいぶん、昔から付けられた真白なブナの幹に刻まれた落書き。一抱え、ふた抱えもあるブナやミズナラの巨大な木々。その下を覆う密生したネマガリタケと小さな花。急斜面であった「十二曲がり」を経て小さな流れを越えて飛び出した高谷池の湿原。そこは、今こそ一気に咲きだした花の宝庫でした。大輪のまだ咲いたばかりのキヌガサソウの群落。コイワカガミのピンク、サンカヨウの群れ、そして季節外れのサクラの花。池の辺に建つ三角屋根の風景にマッチしたヒュッテは居ながらにして北アルプスから焼山、火打山が大きく見える展望の小屋でした。高谷池は、周囲にまだ点々と残雪を残しながら湿原部分全てを濃い色のハクサンコザクラで埋めつくしていました。夕刻、雷を伴った夕立。その後、雲を染めて火打山、焼山が夕焼け空の下に並びました。
 朝食の窓からも大きく眺められた白馬から槍、穂高の展望。そして、雪の残る天狗の庭の広大な広がり。池に映る火打山。そこから山頂への急斜面は厳しいものの、広々とした山頂に立てました。すぐ近くにある日本海を一瞬でも見たい・・・と粘りましたが、時折、太陽が顔を出すだけでした。次は秋。あの素晴らしかったブナの森。一面のクサモミジとなるであろう池と湿原。それを訪ねたいと強く思いました。

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鳳凰三山

観音岳への途中からも真青な空の下に北岳が!
観音岳への途中からも
真青な空の下に北岳が!

 以下の者は、2011年7月5日〜6日、南アルプス北部の鳳凰三山の観音岳(2840m)に夜叉神の森から夜叉神峠、杖立峠、苺平を経由し手、南御室小屋に泊まり、砂払いノ頭を越え薬師岳(2780m)から登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

背後には富士山!

 梅雨末期。絶対にカッパを着る羽目になると覚悟していた鳳凰三山。でも、結果として爽やかに晴れ上がった空。気持良く吹きつけてくる風。そして、上空を流れていく雲は秋を思わせる巻雲。先週のジッとしていてもポタポタと落ちる汗に苦しんだのとは対称的な出てきた汗が気持ちよい二日間でした。登り着いた夜叉神峠からは見事に北岳、間ノ岳、農鳥岳が並んでいました。決定的に急ではないけれど、コメツガ、シラビソの中を緩むことのない傾斜で登り続ける原生林の中の道。沢山の鳥の声が響き、数メートル離れたところでツツドリが気高く「ポポ、ポポ」と鳴き続けていました。静けさに満ちた、小屋の前を水の流れる南御室小屋はシラビソの森の中で乾いた空気の中にありました。翌朝、なんと5度以下の冷たい空気の中を登りだしました。途中「ガマ石」の横から手が届きそうな近さで白根三山が見えました。まるで日本庭園のような薬師岳への道。薬師岳からは背後に大きく聳える富士山を感じながら観音岳へと向かいました。雲海が足元を埋めつくしながら、遠く北アルプスは槍ヶ岳、劔岳を筆頭に中央アルプス、八ヶ岳と広大な展望が待っていました。
 鳳凰三山は2800mを越える標高を持ちながら、南アルプスの「本丸」とも言うべき3000mの山々の前衛的な山です。中央線の車窓に大きく広がる山容に思わぬ好天の下に登れたことを嬉しく思います。

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転進の水根沢

スベリ台!
スベリ台!

 以下の者は、2011年7月3日、多摩川源流の大常木谷の遡行を目指し、一ノ瀬川まで下降しましたが、アクシデントで転進し、奥多摩湖下に注ぐ・水根沢を水根集落から大滝を越えて半円ノ滝まで遡行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 青梅街道から三ノ瀬へと向かう林道を一段登った所から大きく見下ろすことのできる大常木谷。はるか上から見下ろしてもクッキリと刻まれたゴルジュ。深く鮮明にジグザグを四回ほど繰り返して飛竜山まで突き上げる姿は奥多摩・多摩川水系随一の強い印象を与えました。しかし、最初の取り付きである谷への下降の際に小さな転落があり、大きな怪我はなかったものの、大きな谷に取りつく事の不安から転進しました。一昨年の竜喰谷の増水からの転進の時と同じ水根沢。奥多摩湖の下に注ぐ谷です。
 小滝の通過と「へつり」に終始する水根沢は集落の最後の家の庭先から谷に降りるほんとうに手軽に取り付ける沢です。ここ数年、中間部のシダクラ沢の丈夫が崩壊し大量の土砂が流れ込み、この谷の最大の魅力である釜の通過を簡単にしてしまい、ちょっと残念なことが続いていました。それが、少し落ち着いたのが、ここ一年のことです。最初の滝と釜、その上のゴルジュ。全身ズブヌレで次々と現れる滝の最も楽しそうなルートを選んで越えていく遡行でした。そして大滝。さすがに梅雨末期。水量も比較的多く、ドードーと落ちる姿はステキです。そしてナメ滝では滑り台を楽しみ、最後の美しい半円ノ滝をスリップしながら全員、登り切りました。転進・・・、雄大な大常木谷と違いゲレンデ的な要素の強い谷でしたが、沢登りの楽しさを満喫できる楽しい半日を過ごしました。

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逆川

10m幅広ノ滝水量が多くてビックリ
10m幅広ノ滝
水量が多くてビックリ

 以下の者は、2011年7月2日、奥多摩・日原川支流・川苔谷に注ぐ、逆川を出合から二段11mの滝、ゴルジュ、10m幅広の滝、左俣大滝を直登し完全遡行し、川苔山(1367m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

トイ状の滝

 跳ね上がるシブキが、ドードーと落ちる滝の流れが本当に心地好い沢登りに最適の季節に遡った逆川でした。黒々とした磨かれた岩で合流する出合。所々でゴーロを点在させるものの、一つの角を曲がると、一つの小滝を越えると、また新しい違った何かが待っている・・・絶えず刺激のあるステキな谷でした。谷に入って僅か。全水量をいきなり派手に落とす二段11mの滝。ここで全身ズブヌレになって、もう恐いもの無しの遡行でした。石積みの滝が続き、それが少しずつ狭まり、両岸の屹立した本格的なゴルジュ。ツルツルの岩のヘツリの後に大釜に胸まで浸かり取りついた滝。逆川は僕が初めて遡行した44年前から今までに、何回となく破滅的な危機の中を生き抜いてきた谷です。1970年代初頭には中間部の広葉樹が伐採され、杉などが植林され、その伐木が谷を埋めてしまった事もありました。大ダワ沢出合付近には伐採小屋までありました。そして90年代後期からの数年、鹿の食害を主因とする水源地帯の崩壊があり、谷全体を土砂が埋めた事もあります。今も中流部の釜が浅くなり、泥が出ているのは、その名残です。文字どおりのシャワークライミングとなった10m幅広ノ滝。そしてサラサラと高い所から水を落とす大滝。ウンザリするザレ登りの後、直接、山頂に立てた感激。何回も破滅の危機にあっても、必ず蘇り、この山の最も刺激的なルートを提供してきた逆川。これを機会に沢登りが大好きになってほしい沢です。

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秩父槍ヶ岳

 以下の者は、2011年6月29日、奥秩父中津川に聳える「奥秩父のマッターホルン」・秩父槍ヶ岳(1341m)に相原橋より北東に伸びる岩尾根を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 中双里の小さな集落から見上げた秩父槍ヶ岳。小さな山ながら天空を突き刺す山容は、まさしく「槍」。地形図と照らし合わせて登るべき尾根を辿ってみても、何やら濃い緑の急峻な斜面が広がるばかり・・・・。「本当に登れるのかな?」の思いが募ります。いきなりの急な尾根。従来の野鳥観察路が崩れ気味のため、間違いのないヤセ尾根にかじりつく様に這いあがっていきました。左右は切り立った斜面・・・落ちたら止まらないなぁ・・・。最初からのロープを着けての登りでした。今回の、もう一つの目的は地図読み。僕が知って欲しいのは、地形図とは、この山域の山々が「二万五千分の一」に縮尺された情報の図であること・・・、10m毎に付けられた等高線が、この山の斜面や尾根、沢を上手に表現していること・・・、これを知ってもらう事でした。「等高線が混み合っているから、ここからは急斜面だ。」「等高線が山頂から尖って並んでいるからヤセ尾根だ。」と考えられるようになれば、そこに意味があると思います。いよいよ、本格的な岩稜。岩を這いあがり、ボロボロの固定ロープを掴み、少し開けた場所からは背後に大きく広がる緑の見事な山と谷が見えました。そして、登り着いた狭く、地味な山頂。秩父の槍ヶ岳は山頂は何一つ見えない頂上でした。奥秩父北端の群馬・埼玉県境は無名の無数の岩山の林立する場所です。そこには、小さな冒険と新しい発見が沢山あります。次は紅葉の季節に、また訪ねたい山域です。

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両神山八丁尾根

 以下の者は、2011年6月28日、奥秩父の北端の両神山(1723m)に八丁橋より「作業道」、大笹を経由して登頂し、八丁尾根を東岳、九頭竜神社、西岳、八丁峠と縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

  まるで、消えない耳鳴りのようにハルゼミの声が山々に鳴り響く中の歩き出しでした。濃い、力強い緑のカーテンの下の急激な登りでした。両神山への実は最短コース。本来、森林作業の人々が、山火事対策で作り上げた道は、連続する急坂と次々と現れる小さな横断を繰り返しながら、梵天尾根の頂上直下・大笹に飛び出しました。登り着いた山頂は、真夏を思わせる熱気の中でしたが、中津川を挟んで奥秩父主脈の山々が雲取山から北奥千丈岳に向けて黒く長々と伸びていました。この季節、期待していなかった広大な展望がありました。四方に岩稜を張り出した両神山の中にあって、現在、登山道として整備されているのは、ここ八丁尾根だけです。かつて、修験者の道として歩かれていた天理岳へと続く尾根、辺見岳へと続く尾根、石舟と呼ばれる石灰岩の中を歩く道・・・何れも手を入れられることなく「廃道」となっています。途中、仲さんが「これが16番目のクサリだ。」と呟いていたように、遠くから見て鋸の歯のようにギザギザと上下を繰り返す尾根は、実際に歩くと、急峻な岩場の連続する「やまあるき講座」では限界に近い激しいルートでした。クサリや岩角を頼りに慎重に降りると、その分を取り返すように立ちはだかる岩峰。東岳、九頭竜神社、西岳、それぞれに優れた展望を持つ尖峰を楽しむ余裕もなく緊張の縦走が続きました。心も身体も精根尽き果てる思いで到着した八丁峠。クタクタになりながらも歩ききった嬉しさで一杯の両神山・八丁尾根でした。

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大荒川谷

源流部は大きなナメ滝が続く
源流部は大きなナメ滝が続く

 以下の者は、2011年6月25日〜26日、奥秩父荒川水系入川本流に注ぐ最大支流・金山沢から大荒川谷を遡行し、西破風山(2318m)に登頂し、青笹尾根から久渡沢ナメラ沢を下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

頂上直下に今も残る歩道跡

 川から谷、そして沢、原生林の中に吸い込まれるように消えていく流れ・・・。それを徹底的においかけた大荒川谷の沢登りでした。最終の集落から森林軌道の後を辿り、かつては甲武信岳への最も人気ルートだった真ノ沢林道の末端を長々と登り、ようやく下降点に着くまでの長さ。そして滔々と流れる入川本流を越えて、ようやく入る黒々とした谷・金山沢。一見、簡単に見える小さな滝であっても、その両岸は徹底的に磨かれ、ツルツルと長い年月をかけて水流に洗い流されていることを感じさせます。全水量を落とすゴンザの滝。そして豊富な水量で合流する小荒川谷。大荒川谷に入ると急に増える滝。しかも、その大部分がサラサラと苔の上を流れるナメ滝でした。暑さに火照った身体が苔の軟らかさで癒される思いでした。やがて二俣。ちょっと傾斜はあるものの、美しく笹の生えた台地。燃え上がる焚き火。大きな谷の中にいることをシミジミと感じさせる一夜でした。源流になっても、次々と現れる大きな滝。最後の最後まで徹底したナメ滝の連続と苔の中の谷でした。シャクナゲ咲くツメ。思わぬヤブ。そして霧の立ち込めた山頂。下降も沢に向かいました。何回も通ったナメラ沢ですが、数年前に倒木が目立ち土砂の流入もあった沢ですが、少しずつ回復していた谷は、今回、大きなナメの連続する素晴らしいルートへと復活しつつありました。何回もシリモチを着いたナメ床の連続。秩父・荒川から甲州・笛吹川へと沢を繋いだ二日間でした。

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釜ノ沢

東ノナメ。大きく開けてナカナカ凄い!
東ノナメ。
大きく開けてナカナカ凄い!

 以下の者は、2011年6月18日〜19日、笛吹川東沢釜ノ沢を二俣から遡行し、ホラの貝ノゴルジュ、山の神、東のナメと東沢を遡行し、魚留ノ滝、千畳のナメ、両門ノ滝、ヤゲンの滝を越えて水源まで遡行し、日本百名山の一つ、奥秩父の中核・甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

千畳のナメ。やっぱり最高!
千畳のナメ。やっぱり最高!

 川から、谷。そして沢から水源へと本来の「遡行」という言葉がピッタリくる笛吹川東沢釜ノ沢の沢登り。それは、まだ奥恥部全体が登山対象としては未開で登山道等も未整備であった時代に唯一、間違いなく山頂に到達しうる登山ルートとして存在しました。ボロボロに朽ち果てた看板、頼りない針金の手がかり、それも「山の神」までで、本来の沢登りルートとしての遡行が甲武信小屋の水場まで続きました。距離的に長い釜ノ沢出合いまでの道のり。しかし、左右から滝となって注ぐ大小の沢は清兵衛沢、ホラの貝沢、東ノ御築江沢、乙女ノ沢、東のナメ、西のナメと素晴らしい物でした。それら一つ一つもまた、本流と同様に、遡行価値があり、個性があり、一つの見事なルートです。しかし、やはり、釜ノ沢に入ってからの凝縮した沢の「美」こそ、笛吹川の神髄があります。次々と現れる新しい光景。ナメを越え、滝を越え、最後のヤゲンの滝を越えるまで、徹底的な感嘆の声の上がる見事な谷の美しさだったと思います。疲れた身体に厳しい広河原のウンザリする登り。そして、再び緊張の遡行の頭上には、アズマシャクナゲのピンクのトンネルと、イワカガミの群落とクモイコザクラがありました。小屋の水場が水源という、ちょっと残念な笛吹川の水源ですが、素朴な甲武信小屋と甲武信岳が僕達の訪れを待っていました。

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石保戸山

まるで庭園のような森の道
まるで庭園のような森の道

 以下の者は、2011年6月14日、奥多摩多摩川水源地帯の不遇の名峰・石保戸山(イシヤスド山・1672m)に犬切峠から二本楢、指入峠を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

背後には大菩薩の山々が
背後には大菩薩の山々が

 石保戸山は多摩川水源の山です。東京都水道水源林として徹底的な保護の下に置かれています。ハンター達によびかける「撃ち急ぎをするな!」の看板の横から上がった広々とした草原。それは、一方の森に上がった山火事の炎が他の斜面に燃え移らないように人工的に造った防火帯でした。かつては一面が盛夏にはお花畑となっていた草原は、鹿の食害と踏圧のせいで一時期、土の斜面と化しました。有害獣駆除で少しずつ回復した緑。そこには点々とワラビが生えるようになりました。水道水源林のせいか、広々とした草原の中に、ポツリポツリと大きな木が残っていました。ミズナラの大木、ブナの古木・・・。森のダムとしての水源林を守る者にとって、伐採のマニュアルと違ってどうしても守りたい山の生き証人としての木々だったのでしょう。やはり梅雨時の晴れ間だったようです。背後には大菩薩嶺や富士山が奥には黒々とした奥秩父主脈の山々が見えているべきなのに、ときおり、雲の晴れ間にその雄姿を見せるだけでした。かつては巡視路だけの通る山の中に残念ながら三年前に林道が通り、幽玄な雰囲気に満ちていた指入峠は車道の脇に押しやられてしまいました。それでも、その脇に立つ二本の木は健在です。最後の急斜面の尾根を大きなワラビに誘われながら登り切り、その奥の藪の中に間違いも無い三角点はありました。帰り道、車道脇に稜線から100mも降りてこない場所に水がコンコンと湧いていました。改めて水源の山を意識した石保戸山です。

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小川山

大日岩。巨大な岩の塊をいく
大日岩。巨大な岩の塊をいく

 以下の者は、2011年6月7日〜8日、奥秩父西部の金峰山(2599m)に廻り目平より登頂し、千代の吹き上げ、砂払いノ頭、大日岩を経て八丁平、シオサブより秘峰・小川山(2418m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

八丁平近くの森
八丁平近くの森

 奥秩父の原生林の魅力とは何か?それは、何千年もかけて蓄積、堆積した自然倒木の朽ち果てた物がうずたかく積もり、それが腐朽し、分厚く苔を生やし、その上に新たにシラビソ、コメツガが幼木となって生まれ、その何十本かに一本が、巨樹となって山々を覆う・・・・、そんな景色にあります。その湿潤な苔の台地の上に点々と新たに生えてくるシャクナゲの木々。それが広大に、あの山塊の大部分を埋めています。その最も元祖とも言うべき荒川水源地帯が「遺伝子保存林」とされ、それこそ倒木さえも勝手に動かすことが禁じられながら、鹿の食害等によって、荒廃しているのに対して、金峰山北側・長野側の山々は本来の奥秩父の原生林の姿を留めています。右往左往しながら大日岩を巻き、八丁平へと向かう道すがら、コメツガの幼木が膝位の高さでビッチリと生え揃う姿に昔見た真ノ沢林道の森を思い出し見とれてしまいました。そして、頭上を覆うシャクナゲの木々。呼吸そのものが楽になるようなシットリとした「奥秩父の森」を旅する嬉しさが蘇りました。2290mピークと勘違いをした「シオサブ」の岩峰。樹海の上に浮ぶ、小さな展望台からは今朝、歩きだした金峰山が見事でした。ヒョッコリと飛び出した小川山。あまりに見事に展望もない山頂は、逆に嬉しくなるほどでした。小川山から金峰山荘への道。ようやく「シャクナゲの花のピンクの海」がトンネルのようになり、ミツバツツジのトンネルへと続きました。ステキな奥秩父の二日間でした。

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新茅ノ沢

傾斜のきつい大棚!ズブヌレだぁ
傾斜のきつい大棚!ズブヌレだぁ

 以下の者は、2011年6月5日、丹沢・水無川水系の新茅ノ沢を出合いからF1、大棚、と遡行し水源上の7mチョックストーンの滝下まで登り、表尾根の烏尾山(1136m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 谷に入り、いきなり現れた最初の滝。次々と大小取り混ぜて黒い岩肌を見せて続く、滝、滝、滝。けっこう水しぶきを浴びながら、初夏ならではの滝登りを続けました。そして、見上げる角度で堂々と雄大に落ちる「大棚」。高さそのものより、傾斜のキツさと登れるところにバシャバシャとかかる水がなかなかの厳しさでした。頭から水を被り、這い上がる落ち口。丹沢ならではの滝登りらしい沢登りでした。途中、少し平凡な所はあったものの、その後も適度な滝を連続させてグイグイと高度を稼いでいきました。途中から見下ろす山の斜面の緑の濃さ、山中に響きわたるミソサザイ、ツツドリ、ジュウイチ等の繁殖期の鳥の声。何やら剥き出しの山の斜面が無機質な感じを残す表丹沢の山々の中にあって、この季節だけは山が生き生きと光ってみえました。最後のチョックストーンの枯滝は、その上の岩の堆積が不気味で、なんとなく登るのを避けている所。今回も、より以上に登りにくかった泥斜面を這いあがりました。
 僅かで登り着いた烏尾登山道。僅かで立った山頂は爽やかな強い風が吹き上げていました。新茅ノ沢は丹沢の沢の宝庫・水無川水系の中でも、比較的難しい部類に入り事故も多い沢です。それだけに登り切り、山頂へと抜けた時の感触は独特の物があります。日帰りの小さな沢であっても山頂に立ち、登ってきた緑に満ちた沢を見下ろす時の感触は沢登りの一つの重要な達成感です。また、水無川水系の沢を登りましょう!

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勘七ノ沢

いよいよ大滝。登れるかなぁ?
いよいよ大滝。
登れるかなぁ?

 以下の者は、2011年6月4日、丹沢・四十八瀬川の勘七ノ沢を出合いからF1、大滝、ゴルジュ帯まで核心部を遡行し、堀山に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 クルマを降り、小草平沢を分けていきなり現れるF1。堂々たるシブキを上げて全水量を滝壺へと叩きつける黒々とした滝でした。振り返ってみると、このF1が一番難しかったと思います。次々と現れる滝。鹿の食害で周囲の緑が失われ、地面が露出している状態でも、それでも沢の水は美しく白い岩の上では見事な雰囲気の中にありました。所々で見られるヤマツツジの朱色、ウツギの白い花と見事に合っていました。釜を「へつり」、滝を攀じ登り、少しづつ上げていく高度。人気の沢なのに他の遡行者の姿はなく、自分達の納得いく登り方で「はじめの沢」を体験することができたと思います。まっすぐサラサラ落ちる大滝は、他の滝と違い高さがあるにもかかわらず、圧迫感がなく快適に登ることができました。そして、古い堰堤越えの後、沢登りらしい「ゴルジュ帯」を堪能することもできました。そして、その上で時間切れ。初めての者が多く、無理矢理ヒッパリ上げるような登り方をしなかったことで、どうしても普段より多くの時間がかかりました。そこから、稜線までの斜面は厳しいものでした。ズルズルと滑る土と枯れた笹。そして最後には鹿避け柵に行く手を阻まれて右往左往。登り着いた大倉尾根には沢山の登山者が行列していました。
 勘七ノ沢は丹沢らしい沢登りの雰囲気を代表的に持った沢です。他の地域の沢では絶対にない、滝の位置を示す看板があり、徹底的に滝登りを楽しむ沢です。沢の数だけ沢登りはあります。一つの典型的な沢として勘七ノ沢を最初のステップとしていただきたいです。

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皇海山

まだ残る雪と濃い霧。何も見えないけど本物も深山だ
まだ残る雪と濃い霧。
何も見えないけど本物も深山だ

 以下の者は、2011年5月31日、日本百名山の一つで渡良瀬川の源流の山である皇海山(2143m)に不動沢登山口より不動沢のコルを経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 不動沢のコルを越えて鬱蒼としたオオシラビソ(アオモリトドマツ)の原生林の中を登り詰めて行く時、ときおり聞える鳥の声以外、一切の音が聞こえませんでした。深い霧、所々にまだ残る残雪。本当の深山の気配が、ここにはありました。かつては本当に奥のまた奥・・・、深山だった皇海山。渡良瀬渓谷鉄道から入り、庚申山を越えて鋸山に至る沢山の尖った岩峰を乗り越えて、全行程15時間近い行動を強いられる山でした。無人の庚申山荘に自炊で泊まり、重荷を背に痩せ尾根を辿る百名山の中では厳しい山の一つだったといって良い山でした。そして、今回の不動沢コース。たしかに標高差は800mを切り、コースタイムも五時間程度とのことでしたが、ダートのきわどい山道をクルマで軽く1時間、そこから取りつく登山道も入口のトイレや看板が立派なのとは裏腹に沢の徒渉点には丸木橋もなく、沢の流れの中をジャブジャブと沢登りの様に遡行して行くのは改めて驚きの未開のルートだったと思います。えっ?まさか?と思わせる急峻な斜面にブラリと下がる頼り無い感じのロープ。でも、谷を挟んだ斜面に点々と咲くアズマシャクナゲとムシカリの花、谷一杯に声を響かせるミソサザイやエゾムシクイの声、苔むした沢床と清流。そして、展望も無い鬱蒼とした原生林を一層深く感じさせる濃い霧。地味な、名山の雰囲気とは対称的な静寂の山。改めてステキだと思いました。いつかは紅葉の時期に訪れたい皇海山です。

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和名倉山

大滝へ!霧のようにシブキが飛んでくる
大滝へ!
霧のようにシブキが飛んでくる

 以下の者は、2011年5月21日〜22日、奥秩父主脈北側に聳える不遇の名山・和名倉山(2036m)に和名倉沢を出合から弁天滝、「通らず」、大滝、三段25m滝を越えて水源まで遡行し登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

  簡単に燃え上がった焚き火は、煙も出さずに強く激しく燃えていました。上流から下流に静かに流れていく炎の動きは、とりあえず今夜の晴天を約束していました。シャクナゲが満開の斜面に二つの光る目玉が現れて、僕たちの方をジッと見つめてソソクサと立ち去っていきました。今年最初の焚き火を囲んでの沢の一幕です。和名倉沢は見事な谷です。谷に入るなりのドードーと腹に染み渡る谷の音。強く流れる豊富な水量の谷。この谷はいったいいくつの滝があるのだろう?遡行図に書かれている沢山の滝の間を埋める数多くのナメ滝。サッと岩影にもぐり込む秩父イワナが住む淵、釜。見上げる頭上のミツバツツジの濃いムラサキ。そして中流部以降で出会ったシヤクナゲのピンク。弁天滝、10m前後の滝と次々と越えて出会った「通らず」のゴルジュ。何段にも重なったナメ滝が豊富な水量で両岸の屹立した中を激しく流下する様はまさしく「通らず」でした。そして、その上に霧となって降り注ぐ、迫力満天の大滝。その大きさ、水量、美しさにおいては荒川本流・真ノ沢の千丈ノ滝を上回る雄大さであると確信します。その大滝上のビバーク地で一夜を過ごした後の連続する滝との格闘。1000mを更に稼いだ沢登りでした。少しずつ支流を分け、雪が顔を出し、細っていく渓流。シラビソの森に消え入るように入って行った流れ。そして登り着く稜線、和名倉山の奥秩父主脈を見る頂上直下の広がり。完成された「奥秩父の沢登り」がありました。

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雲取山

雷雨の翌朝・・・、快晴の雲取山直下
雷雨の翌朝・・・、快晴の雲取山直下

 以下の者は、2011年5月17日〜18日、東京都最高峰であり日本百名山の一つであり唯一の2000m峰である雲取山(2017m)に鴨沢からブナ坂を経て登頂し、富田新道を下山したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 標高1500mが一つの区切りでした。それより下では、萌えだした新緑がミツバツツジを初めとする沢山の花と共に見事な輝きを見せていました。それより上では木々を良く見れば点々と次の葉を準備しているものの、山全体は冬枯れの景色のままでした。渇水ぎみの奥多摩湖を背に、新緑にむせ返りそうな初夏の気配を感じながらの道でした。それが、ポツリポツリと降り出した雨と、遠くで鳴り出した雷、生暖かい風が吹く中の道となりました。ブナ坂手前でとうとう本格的な雷雨と雹混じりの中の道となりました。光る雷の中、奥多摩小屋から先は稜線の背を外し、巻き道を繋ぎ、小雲取山からは山荘へと向かう遠回りの道を歩きました。おそらく雪が消えて間のない道だったのでしょう。原生林の苔の上に点々と咲くバイカオウレンの白い花が導く道は、雲取山荘へと続きました。
 見上げる青い空。静かな春の山頂の雲取山でした。快晴にもかかわらず富士山はかすかに見えるものの、南アルプスは見えず、それでも、視界の大部分を締める飛竜山を筆頭に少しづつ標高を上げていく奥秩父の山々が眼前にはありました。昨日とは一転した鬱蒼たる原生林の中の道。巨木のブナ、ミズナラの中、微かに聞えていた谷の音が一段と高くなり、唐松谷、大雲取谷の出会うのが見えました。どんなに多くの人に歩かれようと、やはり大きな雲取山の静寂を感じた二日間でした。

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三つ峠・岩登り講習

二日間徹底的に登った三つ峠の岩場
二日間徹底的に登った三つ峠の岩場

 以下の者は、2011年5月14日〜15日、三つ峠の岩登り講習会に参加し、屏風岩の数多くのルートを登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 三つ峠での岩登りの核心は、実際の岩場と同様のシステムでの本格的な岩登りの体験にあります。比較的良く整備された岩場の中で、トップが登り、セカンドがビレーし、トップがテラスに着いてパートナーに対するビレーの準備を整えて、セカンドがランニングビレーを回収しながらフォローする・・・。この繰り返しの中で確実に岩場を登り、高度を上げていく・・・。このシステム理解が大切です。また、絶えず落ちる可能性のある浮き石、剥離の可能性のあるホールド。自然と渡り合いながら安全に登攀を貫徹する厳しさと楽しさを知ってほしいものです。今回、一定の経験者と初心者と分けての講習でした。その中で気づいた事がいくつかあります。一定の難しさの岩場を登る・・・単純なクライミング能力は極めて高いように思えました。一方、実際の岩場の中のルートファインディング能力・・・簡単に言えば岩場の中で最も登りやすい場所を探して安全に登る能力は初体験とは言え、ダメでした。「まさか、わざわざ、こんな難しいラインは登らないだろう」というラインを登る傾向が目立ちました。僕達が目指す岩登りは「登山の岩登り」です。目の前の岩場のできるだけ傾斜の緩いライン、デコボコとしてホールド、スタンスを得やすい箇所をつなげて登る本能的な力を付けて欲しいと思いました。また、「落ちる」事への抵抗の無さも印象的です。自然の岩、沢の中では「無傷で落ちる」事は至難の技です。今回の講習を「実際の登山の中で岩を登る技術」として捉えていただければ嬉しく思います。

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両神山

ブナ平の森を行く
ブナ平の森を行く

 以下の者は、2011年5月10日、奥秩父北端に聳える日本百名山の一つ・両神山(1723m)に白井差より昇竜ノ滝、水晶坂、ブナ平を経て登頂し、梵天尾根をミヨシ岩より第2ルートを下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂に咲くアカヤシオ
山頂に咲くアカヤシオ

 奥秩父の北端、埼玉県でも、もう僅かで群馬県との県境・・・。そんな所に立つ両神山は本当の山奥の山でした。頂上直下、露岩の所で初めて大きく展望が開けました。時折、降る雨は強く、ユックリと展望を眺める余裕はありませんでしたが、奥多摩との境をなす長沢背稜から雲取山から甲武信岳にかけての奥秩父主脈の山々を北側から覗き見る、独特の角度と共にその間を埋めつくす多数の無名の岩峰が見事でした。秩父槍ヶ岳、南天山といった名前の付いた山から、八丁尾根から連なる赤岩岳、大ナゲシ、そして上武国境の名前さえ無い山々。奥秩父らしからぬ岩峰の林立する山水画の世界が広がっていました。白井差ルートは見事な登山道でした。顔色かせ変わるほどの輝くばかりの新緑の中の道でした。登山口にはシャクナゲが足元にはニリンソウとスミレが、見上げる鮮やかな色はミツバツツジの紫でした。谷一杯に繁殖期を迎えた鳥の声が響きます。ミソサザイの甲高い声、ちょっと時期的には早すぎるツツドリの声、下手なオカリナの様なアオバト。昇竜ノ滝を初めとする見事な渓谷美と澄んだ水、走るイワナの影。そんな中を高度を上げていく道は何時の間にか、芽吹きの気配さえない早春の中に入りました。雨雲に追い立てられながらの山頂。帰路にとった荒れ果てた古くからの梵天尾根の中に点々と咲くアカヤシオ。両神山は・・・、奥秩父の山は一年で一番、躍動感に満ちた季節を迎えているのだと思います。

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毛勝三山

早朝の毛勝谷
早朝の毛勝谷

 以下の者は、2011年5月3日〜5日、北アルプス剣岳北方の毛勝三山を目指し、魚津市片貝のキャンプ場から東叉谷に入り阿部木谷に入り板菱を越えて1500m付近まで到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

アッと驚く大雪崩
アッと驚く大雪崩

 連休前半と一転して穏やかな風の中の毛勝三山。大渋滞で魚津出発は大幅に遅れたものの、雪解け水を集めて豊富な水量を集めて流す片貝川を夕暮れの中を歩きだしました。道端には色鮮やかなカタクリ、ショウジョウバカマが咲き、フキノトウが顔を出し、心弾むアプローチでした。二俣で既に道端に雪が壁となって迫り「雪が多いな・・・。」とは思いましたが、深刻には受け止めていませんでした。摘んできた野草を入れた鍋を食べ、英気を養い、真っ暗な四時前の片貝山荘を出発し、まるで室堂の「雪の大谷」状態で除雪された中を進みました。標高1000m前後の取水口まで除雪された道は例年に無い豊富な雪の状態でした。いつもは両側が屹立した「板菱」のゴルジュ状の中を恐々と通るのも、深い雪に埋もれて何の恐怖感もなく通りすぎました。そして大明神沢出合いで、凄まじい光景と出会いました。それは、毛勝谷全体を埋める見事なまでのブロック雪崩の跡でした。まだ、デブリの上に生々しい大きな溶けていないブロックを並べて不安定に積み上がった雪崩跡でした。更に毛勝谷二俣付近まで登った後、そのデブリが稜線直下から発生している事、稜線には何故か西向きにも大きな雪庇が残っている事が見られました。デブリを越えて行くのは危険すぎ、まだ新たなブロックの可能性もありました。デブリに背を向けて一気に逃げ帰りました。もし、豊富な積雪を真剣に受け止め、最初から西北尾根に向かっていたら・・・、後悔と反省は尽きません。

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黒部五郎岳

激しい強風の中、一歩づつ山頂へ!
激しい強風の中、
一歩づつ山頂へ!

 以下の者は、2011年4月29日〜5月1日にかけて、北アルプスの中核である黒部五郎岳(2840m)に、岐阜県神岡和佐府先より飛越トンネル、1842mピーク、寺地山を越えて北ノ俣岳より登頂しました。

氏名 風 の 谷

ついに立った黒部五郎岳
ついに立った黒部五郎岳

 それにしても黒部源流地帯の山には魔物が住んでいるのでしょうか?実に「風の谷」では積雪期三回目の正直、毎回、手痛いしっぺ返しを受けながら、それでも何時か必ず登るべき山として黒部五郎岳はありました。あらゆる天気予報が好天を約束していた4月30日。その天気予報は日本海に低気圧が入り、南から安定した高気圧が張り出す・・・・、はずでした。それでも、なんとなく「もし、低気圧が予想より南を通ったら・・・。」の心配が心の中にありました。そして、高曇でも無風の快適な空の下、ヘッドランプで出発し、北ノ俣岳を越える頃から強烈な西風の体当たりを受けました。悪天の雲に霞む白山。吹きつける氷混じりの吹き倒されそうな風。中ノ俣乗っ越しを越えるころ、もう、あの黒部五郎岳が眼前に大きく立ちはだかりだした頃、もはや、悪天は時間の問題となりました。行くか、戻るか・・・?強風に向かい、一歩、また一歩と進んだ先に、あの毎回、自分達の限界を嫌というほど知らしめさせられた山頂はありました。本当の山奥の見事な山頂でした。そして、雷鳴、稲光、霙、そして分厚くヤッケにザイルに凍りつく氷の鎧。そしてホワイトアウト。あの寺地山のテントへの登り返しのキツカッタこと。そしてついに12時間行動の末、帰り着けました。憧れの、因縁の、そして迫力満天で美しかった黒部五郎岳。仲間全員で頂上を踏めた事を本当に、嬉しく思います。

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高水三山

高水山から岩茸石山へは薄い緑色の世界が広がる
高水山から岩茸石山へは
薄い緑色の世界が広がる

 以下の者は、2011年4月26日、奥多摩入口の高水三山に軍畑駅より平溝集落を経て高水山(759m)、岩茸石山(793m)、惣岳山(756m)と登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 最も高い岩茸石山でも標高は800mにおよばず、本当に奥多摩の入口の山のせ以下、シッカリと尾根の上にも緑色は上がってきました。高水山の頂上直下のカタクリも、もう、いよいよ最後になってきました。春本番。萌黄色のトンネルの下を歩くと、いろんなことがあっても、必ず来る春に心がはずみます。岩茸石山からは、西武ドームや春霞にボンヤリした東京の光景と一緒に、川乗山の後に雲取山が、大岳山、御前山の背後に大菩薩が・・・と、少しづつ高まり行く奥多摩の山々が見えて嬉しくなります。多摩川水源の山々が雲取山に至り、そこから標高を下げ、東京と埼玉県を分けながら長々と尾根を伸ばし、最後の高まりが高水三山となる・・・、山から丘へと変わる、その接点の山として春の最初に訪れたい山です。平溝の集落への道も、平溝川にはヤマメ?の稚魚が群れなして泳ぎ、山里の春を演出していました。稜線の上には色の濃いミツバツツジが咲いていました。高水三山の直下まで大丹波川沿いの集落、青梅市の成木の集落が長閑に広がっている光景はステキです。先週の丹沢から眺めた奥多摩の山々が1000m前後から上に再びの残雪がありましたが、一週間でサッパリと消えていました。もう、再びの雪が降ることは無いのか?あるのか?山の春は行ったり来たり、それでも、確実に花を咲かせ、緑色を濃くして少しづつ間違いなく季節は動いています。岩茸石山から、見えた山々。それら一つ一つに足跡を記す季節の到来です。

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もう一回の杣添尾根

厳冬黄り真っ白!横岳山頂直下
厳冬黄り真っ白!
横岳山頂直下

 以下の者は、2011年4月23日〜24日、野辺山高原から八ヶ岳の中核に突き上げる杣添尾根を登り、三叉峰から横岳(2830m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 春の山は激しい変化の中にあります。当初、目指していた白馬岳。北アルプス北部の豪雪の山の上にも二つ玉低気圧の激しい気候が予想されました。豪雪の山に降る大雨・・・雪ではない雨・・・、それはかき氷の上に大量のシロップがかかった状態・・・。天狗原への登り、白馬乗鞍岳の登り・・・随所での雪崩が予見されました。そして、転進したのは先月・・・ちょうど一カ月前に同じく北アルプス北部から転進した八ヶ岳杣添尾根でした。結果として、標高2200m付近にテントを張り、深夜までの大豪雨の中を耐えました。冬山で、最も恐ろしいのは、豪雪でも、吹雪でもなく雨です。濡れに弱い冬山装備は、ことごとく濡れ、急激に転化した冬型の気圧配置の中、朝には多くの装備が凍結しました。それでも、強い風と寒気の中、真っ白に雪化粧した雪尾根を左右に張り出した小さな雪庇をかわしながら、登り詰めました。冬型の風は八ヶ岳では強烈な西風となり、風下にあたる杣添尾根は上部で初めて強烈な風と出会いました。踏み跡一つ無い赤岳の尾根、雪煙を上げる稜線。それは厳冬期と変わらない美しい真っ白な雪山でした。三叉峰で主稜線に上がった僕達の前に北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈岳を筆頭とした南アルプス、そして、白馬岳は雪雲に隠しながらも圧倒的な迫力の北アルプスの銀屏風がありました。辿り着いた横岳。そこは、もしかしたら、今シーズン最後になるかもしれない冬の風が舞っていました。

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丹沢主稜

丹沢主稜はずっと富士山を見ながら
丹沢主稜は
ずっと富士山を見ながら

 以下の者は、2011年4月19日〜20日、丹沢の神ノ川から風巻ノ頭、袖平山(1432m)、姫次、原小屋平を経て最高峰・蛭ヶ岳(1673m)に登頂し、主稜を西に向かい檜洞丸(1601m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

檜洞丸先の一番綺麗だったブナ林
檜洞丸先の一番綺麗だったブナ林

 春の風と冬の風、暖かい空気と冷たい空気。それが激しくぶつかり合う、春独特の天候の下の丹沢でした。多くの登山者が訪れる塔ノ岳。バカ尾根と呼ばれる延々たる階段の連続の尾根は、高尾山に次いで沢山の登山者が列をなします。それが笹の美しい丹沢山へと向かうと人の波が途切れ、蛭ヶ岳になるとパタリと人影が消えます。強い雨の中、咲きだしたミツバツツジのショッキングピンクの花を見て、ミソサザイの甲高い声を聞きながら脹脛の攣る様な急斜面を登りました。明日辿る主稜を右手に見ながら、その高さと肩を並べる様になると袖平山でようやく「縦走」の雰囲気になりました。まだ上までは新緑は届かず、広葉樹の葉を落とした明るく美しい森の中を再び濃くなったガスと強い風の中を登り続けました。登山道の荒廃で意外な体力を使わさせられた蛭ヶ岳の最後の登り。「参った!」という感じで山頂そのものに建つ山荘に転げ込みました。翌朝は月明かりの中に浮ぶ真っ白な富士山と南アルプスの山々を寝室から見る所から始まりました。そして、雲海を真っ赤に染めた東京湾からの日の出と共に歩きだしました。山崩れが深刻な丹沢は稜線上の登山道まで谷からの浸食が迫り、緊張感のある道が続きます。「富士山に無かって歩く」道も立ち止まらなければ鑑賞している余裕はありません。小さな上下を繰り返し、所々に点在するブナの美林を越えて登り着いた檜洞丸からは南アルプス南部が雄大でした。冬から春へ目まぐるしく動く丹沢の二日間でした。

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日和田山・大岳山馬頭刈尾根の「つづら岩」 

 以下の者は、2011年4月16日、奥武蔵・日和田山で、4月17日、奥多摩・大岳山馬頭刈尾根の「つづら岩」で岩登りの入門講習、レスキュー講習を受講したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 日和田山、つづら岩、共に初めて岩登りを経験するのにピッタリの岩場です。豊富な支点と浮き石が少なく落石の心配のないこと、初心者どうしがお互いに教え合う雰囲気のあるゲレンデです。今回の講習で一番、身につけていただきたかったことは「岩登りを行うシステム」です。とくにビレイ=確保です。トップはヌンチャクでランニングビレー・支点を取りながら登っていき、それをパートナーは「確保」します。テラスに着いたらトップはセルフビレーを施し「ビレー解除」のコール。このコールでパートナーはトップへの確保を解除します。そして、トップはパートナーへのフォローの確保を行い「登って来て!」のコール。これでパートナーはセルフビレーを解除してランニングビレーを回収しながらテラスに向けて登りだします。・・・つまり、絶えず「セルフビレー」で自分の安全を確保しているか、パートナーによってビレーされているか、の何れかの状態が、岩登りを終了するまで続けられている・・・・、ことが大切です。また、今回の講習で感じたのは、本物の岩場でのクライミングは初めてでも、かなりの方がクライミングジムで一定の経験を持っていることでした。ジムの経験と岩登りは必ずしも同じではないけれど、動きがスムーズで上達が早かったのは一つの特徴です。今回は、どちらの岩場も1ピッチ+10m位の規模でした。本物の岩場、実際の岩登りの経験に近づくためには、ぜひ、三つ峠などのマルチピッチに挑戦してください。

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浅間尾根

アブラチャンの淡い黄色の花の下の道

 以下の者は、2011年4月12日、奥多摩秋川を南北に分ける甲州古道の通る浅間尾根を数馬下から数馬峠に登り、一本松下、石宮、人里峠と辿り、浅間嶺(903m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 丸々一日、ついに全く雲を見なかった青空の下の奥多摩でした。早春と言う

今年も沢山待っていたカタクリ
今年も沢山待っていたカタクリ

よりも晩秋や初冬を思わせる真青な空でした。そして、陽差しの割に冷たい風の中の浅間尾根でした。毎年、四月の第一週に必ず訪れていた、この尾根に今年は第二週に訪れました。三月の気温の低かった事、遅い雪の訪れがあったこと・・・・それを考えての事でした。数馬峠の先のアブラチャンも、一面に斜面を覆うカタクリも、また、僕達の訪れを歓迎してくれました。そして、山頂からの真っ白い富士山。震災から一カ月の間、本当に完璧にストップしていた「山歩き」が再びできたことへの感謝で一杯でした。やはり春の訪れは遅れていて、稜線上では、木々はまだ芽を付けていない状況です。それだけに人里峠手前の毎年拡大しているカタクリの群落が、点々と緑色の葉を広げているのに出会い、「カタクリの路」の見事な開花には歓声が上がりました。北秋川を挟んで終始、雄大な姿を見せていた御前山のカタクリが年々減少の一途を辿っているのとは対称的に広がる花畑は嬉しい気持にさせてくれます。まだ、緑を見せない雑木林は太陽の光を受けてキラキラと輝いていました。「奥多摩に春が訪れた」素朴な尾根道と素晴らしい展望に、それを実感させてもらいました。浅間尾根。毎年、必ず春に訪れる場所。震災や原発事故、それらが仮に大きく世の中を変えてしまうかもしれない・・・、そんな思いの中でも、ここだけは変わらない沢山の物があり、ホッとした一日でした。

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奥秩父・金峰山

山頂への雪の尾根の後には南アルプスの大展望
山頂への雪の尾根の後には
南アルプスの大展望

 以下の者は、2011年4月9日〜10日、谷川連峰マナイタグラから転進し奥秩父・金峰山(2599m)に瑞牆山荘前から登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 日本海と太平洋を進む低気圧。長々と伸びる前線。谷川連峰には雪の季節にしか登れない魅力的なルートが沢山あります。連峰最高峰・仙ノ倉山にダイレクトに突き上げる北尾根。連峰北側に独立し美しいブナ林を持つタカマタギ。そして長大なマナイタグラ。標高2000mに満たない谷川岳であるにもかかわらず、豊富な積雪で4月になっても稜線上に巨大な雪庇を張り出させ白馬のタテガミを思わせるナイフリッジを形成するステキな尾根です。しかし、この時期の「雨」。雪ならばいかようにも処理できる稜線も、「山盛りのカキ氷の上に大量のシロップを注いだ状態」では、随所で予測不能の状況が生まれます。散々、無い知恵を絞った上で、奥秩父へと転進しました。日本海側の天候の影響が小さく、最悪、土砂降りでも開放小屋に逃げ込め、原生林の発達のため雪崩の可能性の無い・・・場所。それは金峰山でした。三週間前に震災直後、瑞牆山を訪れた時とは別の山のように、急激に奥秩父には春が訪れていました。雪の代わりに顔を出したのが「氷」。厳冬期の高山でも絶対に見ない様なスケート場を急にしたような氷の連続。思わず腰の引けるような斜面の連続でした。鬱蒼たる原生林の中、ノッソリと聳え立つ大きな岩峰・大日岩の裾に二張りのテントが立ち並びました。深夜から満天の星。雪の急斜面を登り詰めて飛び出した森林限界からは、足元に広がる雲の絨毯のような雲海。その上に絵はがきの様に広がる南アルプス、八ヶ岳、富士山。最高の雪の稜線歩きが待っていました。転進した金峰山。なかなかの雪山でした。

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杣添尾根

強い風の主稜線に向けて最後までラッセル
強い風の主稜線に向けて
最後までラッセル

 以下の者は、2011年3月26日〜27日、八ヶ岳・横岳(2823m)に野辺山高原・海ノ口登山口から杣添尾根を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 南アルプスを大きく覆う雪雲。甲府を過ぎるころから高い山にスッポリとかかる吹雪の気配。唐松岳を目指した僕達でしたが、どう考えても猛吹雪の中の二日間となりそうな予感。急きょ、向かった横岳でした。清里を過ぎる前からハラハラと落ちだした乾いた真冬のような雪。別荘地の中を右往左往してやっと見つけた登山口。そこから、いきなりのワカンを着けての行動でした。茅野・諏訪側と全く違った静寂の世界。鬱蒼としたシラビソ、ダケカンハの森の中、降り続ける雪の中、ボコリボコリとラッセルしながらの登りでした。背後に時折、晴れ間の気配を感じながら重荷を背負い、森林限界ギリギリの尾根上の平坦地にテントを張りました。夜半、テントを照らす月の明かり。しかし、天候の回復の気配と共に急速に強まってきた風。ドカンドカンとテントを雪の塊が打ちつけます。朝は、入口付近を埋めるような地吹雪の強さに、一瞬、出発をためらうほどでした。そして、森林限界を越えても相変わらずのラッセル。真青な空の下、八ヶ岳主稜線に向けてグイグイと伸びていく杣添尾根の最後のシーンは見事でした。小さな雪庇を形成し、小ピークを次々と越えて三叉峰へと突き上げていく最後の急斜面の登りは天へと向かう独特の迫力がありました。登り着いた人気の稜線にも人影はなく、赤岳にもトレースはなく、強く吹きつける西風の中、立った横岳山頂は大展望の中にありました。思わぬ形で登った杣添尾根。大きな達成感がありました。

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