過去の登頂記録  (2007年9月〜12月)

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2007年 12月 29日〜1月2日 蓮華岳
22日〜24日 常念岳
18日〜19日 北横岳
15日〜16日 富士山雪上訓練
11日 夜叉神峠
8日〜9日 谷川岳雪上訓練
5日 奥多摩笹尾根
1日〜2日 阿弥陀岳ビバーク訓練
11月 28日 大常木林道
20日〜21日 十文字峠越え
17日〜18日 五竜岳
14日 南大菩薩
2日〜11日 アフリカ・タンザニア・キリマンジャロ
10月 27日〜28日 三つ峠岩登り講習
23日 大菩薩嶺
20日 日和田山岩登り講習
16日〜17日 二軒小屋尾根
10日 サヲウラ峠
7日 谷川岳一ノ倉沢・南稜ルート登攀
6日 谷川岳マチガ沢・東南稜登攀
2日〜3日 金峰山
9月 29日〜30日 大洞川荒沢谷
22日〜24日 剣岳チンネ登攀
19日 瑞牆山
15日〜16日 笛吹川ヌク沢左俣
11日〜12日 谷川岳
8日〜9日 笛吹川久渡沢ナメラ沢
3日〜6日 栂海新道
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2006年 11月〜2007年2月の登頂記録へ
4月〜10月の登頂記録へ
2005年 9月〜2006年3月の登頂記録へ
2005年3月〜8月の登頂記録へ
2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
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蓮華岳 (敗退)

ひたすらラッセル
ひたすらラッセル

 以下の者は、2007年12月29日〜2008年1月2日にかけて北アルプス北部後立山連峰南端の蓮華岳を目指して日向山ゲートから扇沢を経て丸石尾根に取り付き、豪雪の中、2215m台地まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 入山から下山まで一瞬たりとも雪の止むことの無い強烈な冬型の中の後立山連峰でした。豪雪到来の知らせに針ノ木岳から爺が岳の縦走を、出発の時には蓮華岳の登頂に切り換えての行動でしたが、30日夜半に降り出した雪は勢いを増し、扇沢を出発する時には既にワカンでの登りでした。そして、それは日向山ゲートまで降りきるまでついに脱ぐことはありませんでした。鬱陶しいツルを交えた雑木林の藪漕ぎとラッセル、続いてのブナ林の中のラッセル、そして、コメツガ、ダケカンバの中の登りになっても雪はドンドン深くなるばかりでした。31日、森林限界を目指して出発した僕達は3時間を越えるラッセルの後、全く高度を稼げずコンスタントに腰を越えるラッセルに高度で100mを稼ぐことができず、ついに蓮華岳登頂も断念するに至りました。前日、付けた標識さえも雪に埋もれ、下山の為の空身のラッセルと標識の増強を行う始末。テントもドンドン埋まり、除雪さえも一苦労する有り様でした。視界も効かず、どんな形の山に向かったかも判らない雪、雪、雪の毎日。下りでも先頭が空身でないとトレースの付かない中の下山でした。もともと雪の多かった状態の中でも登りとは別の山のように変わった様相、豊富に積もった雪はブナやコメツガの森を美しく化粧させました。扇沢からは関西電力のラッセル車の除雪を当然と期待した僕達は、股までの雪が車道に積もっているのを観て愕然としました。再びワカンを付けてのラッセル。精根尽き果てて下り付いた日向山からのクルマの下山の道付けと最後の最後まで徹底的な豪雪との闘いに終始した今年の合宿講習でした。暖冬と言われながら五竜岳、谷川雪上訓練、常念岳と連続して敗退を強いた今年の冬山。次は絶対に登頂して流れを変えて見せると強く決意した蓮華岳の雪でした。

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常念岳 (敗退)

ヘッドランプで重い雪の中を出発
ヘッドランプで
重い雪の中を出発

 以下の者は、2007年12月22日〜24日、北アルプス南部・常念岳を目指し、烏川・ホリデー湯から林道を辿り、大平原、三股を経由して森林限界を越えて前常念岳を目前とした2450m付近まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

稜線に出ても激しいラッセルについに断念
稜線に出ても激しいラッセルに
ついに断念

 登山者にとって夏山で降る雪と冬山での雨、これが一番困り果てた物です。常念岳を目指した私達の上に降った物、それは、衣服に着くと直ぐに溶けだす霙でした。見る見るうちに積もる重い雪。それは足元に重く絡みつきました。薄暗くなるころに到着した夏ならば登山口と言って良い三股。しんしんと降り積もる雪はテントをすこしづつ埋めていきました。そして、ヘッドランプで出発した翌朝。重い雪に遅々として進まない行程にイライラと登り続ける鬱蒼たる森。進行が遅々としているために改めて見回す周囲の木々の立派なこと。コメツガの巨木があり、徐々にシラビソが出てくるあたりの森の美しさは夏には感じられない独特の魅力がありました。やがて、朝を迎えて、驚いたのは、その気温の高さでした。この12月にはありえないプラスの気温。木々に降り積もった雪はドカンドカンと音を立てて大きな塊となって私達の上に落ち、さらには雨のように落ちてきました。あたかも春雪の後の北八ヶ岳の森林高地を思わせる湿気の多い森の中の登りでした。朝、五時半の出発に10時を過ぎるとラッセルを交代しても進まない者も出てきて、それでも到達しない稜線。11時を過ぎてやっと着いた稜線からもラッセルは止むことなく、ついに到着した期待の森林限界からもワカンを外すことはできない有り様でした。時折、視界が開け、たおやかな蝶ヶ岳への稜線、見上げる前常念への岩混じりの尾根と広々とした展望も開けた時もありました。しかし、12時を廻り前常念のはるか手前の小ピークの上で踵を返すこととしました。高い気温で一気に変わった周囲の雰囲気。重い雪で化粧し、それが溶けてまた変わった変化の激しい二日間でした。最後の下山の日、最後の最後に一瞬の姿を見せた常念岳。今度、何時か、絶対に再び目指し、必ずや頂上に立ちます。

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北横岳

背後に八ヶ岳の山が眩しい
もうすぐ山頂
背後には八ヶ岳の山が眩しい

 以下の者は、2007年12月18日〜19日、北八ヶ岳の盟主である北横岳(2472m)に坪庭から七つ池を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

北八ヶ岳に樹氷の季節がやってきた
北八ヶ岳に樹氷の季節がやってきた

 北八ヶ岳の魅力とは何だろう?それは、森の美しさであり、雪の美しさであり、そして、はてしなく広がる展望の良さであると思っています。山では天気が良く、太陽がサンサンとまぶしく、遠くまで山々が見える時がもちろん素敵です。一方で、この北八ヶ岳で雪が舞い、木々を化粧させ、何処を歩いているのかも判らない、そんな天気も大切な一つの顔です。今回、その両方と見事に出逢うことができました。茅野の町からビーナスラインを登っていくと蓼科の別荘地から上でチラチラと舞いだした雪。そして、ロープウェイ乗り場では本格的な雪の中でした。降り立った山頂駅はマイナス9度。本格的な雪と冬の風が吹いていました。どこがルートかも判然としない坪庭をボコリボコリと穴を空けながら登り切り、どんどん白い石膏細工のように木々が変身していく中の道でした。稜線に出て暖かい煙を上げる北横岳ヒュッテに荷物を置き、股までのラッセルをしながらやって来た七つ池は白い広がりの中でした。翌朝、布団の中でも冷たくなる花の頭。窓に張りついた氷が朝日にオレンジ色に輝き、青空の下に浅間山がピーンと凍りつくように光る中、一転して素晴らしい天気の中に朝が始まりました。樹氷が付き、モンスターのように成長した森。登る斜面の背景には奥秩父から八ヶ岳南部の雄大な展望、そして、白サンゴのような白い広がりがありました。そして、登り着いた南峰。北岳を筆頭とする南アルプス、木曽駒ヶ岳を中心に大きく広がる中央アルプス。槍・穂高を中心に不機嫌そうな雪雲を漂わせた北アルプス。見事な展望がありました。
 北横岳は幸か不幸か標高2300mまでロープウェイが通じ、山頂部分だけが森林限界を越える雪山の美味しい部分だけを楽しめる素敵な山です。暖冬とは言われていても一気に冬山が訪れた今年の八ヶ岳。深いラッセルと冷たい風が何故か心地よかった二日間でした。

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富士山雪上訓練

強い風の中の訓練
強い風の中の訓練

 以下の者は、2007年12月15日〜16日、日本最高峰・富士山で行った雪上訓練に参加し、吉田口馬返しより吉田口登山道を登り、六合目から七合目で訓練を行い、八合目付近まで登高したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

訓練を終えて全員集合
訓練を終えて全員集合

 日本で一番広大なバーンの形成される山・富士山。その標高からくる、そして、独立峰だからこその厳しい自然条件、強い風、時々刻々と変化する雪面、やはり一年に一度、冬山シーズン前にぜひとも体験したい富士山の斜面です。富士山雪上訓練の目的とは何か?それは、登山靴、アイゼン、ピッケルといった雪山装備が自分の手足の一部のように感じられることにあります。例えば初めて雪山用の登山靴を履いたときの感触。ゴツゴツした硬い履き心地と、普段の靴とは違う深さ・・・それらが自然な歩きを妨げ、大変歩きにくい物との印象を持つはずです。しかし、それが雪山に一歩入ると、氷雪から足を守り、靴底が雪面を捉え、自分を目的地へと運んでくれる大切な道具に感じられるはずです。ピッケルが自分の歩行を支え、足場を作り、ちょっとしたバランスの崩れから守り、手がかりとなり、困難な斜面を高みへと連れて行ってくれる手の一部と感じられる、また、アイゼンがしっかりと固雪を捉え、氷に足をシッカリと乗せる貴重な道具に感じられる・・・・、すこしでもそんな風に思えたら雪上訓練は意味があります。一方で、今回の雪上訓練は何れも基本中の基本の確認に終始しました。しかし、実はそれ以上の雪上技術は殆ど無い、と言っても過言ではありません。もし、足りないものがあるとするとザイルワークだけです。逆に言えば、雪上技術とは、斜面に合わせた靴の適切な置きかた、足運びを覚え、絶えず不足の事態に備えてピッケルを山側に持ち、ピックを瞬時に効かせられるように斜面に向け、急斜面では手がかりとして使う、アイゼンをフルフラットに置き、全ての爪を極力利用するように歩く、これに尽きます。北八ヶ岳でもヒマラヤでもこの技術が変わることはありません。そして、それらを疲れていてもできる体力、これがあれば全ての雪山登山が可能です。最初の一歩の富士山の上に一歩上の雪山を目指すキッカケとなれば幸いです。

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夜叉神峠

峠は寒々とした雪の中でした
峠は寒々とした雪の中でした

 以下の者は、2007年12月11日、南アルプス前衛の夜叉神峠を夜叉神の森から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

もうすぐ峠!見る見るうちに周囲は真っ白
もうすぐ峠!
見る見るうちに周囲は真っ白

 子どもの頃、雪が降ると嬉しかった頃を思い出します。人は年をとり、感動する心をなくし、雪が降ると、足が滑る、道がぬかるむと、文句ばかり言いたくなります。でも、この夜叉神峠に降った雪は、とても楽しいものでした。そもそも、この夜叉神峠をこの冬枯れの時期に考えたのは何故か?それは、この古くからの歴史ある峠の上に立ち、北岳を筆頭とする白根三山、南アルプスの雪の付いた雄大な展望と向かい合いたい・・・、そんな気持からでした。しかし、暖かい陽差しの中を歩き始めた僕達の上にハラハラと風花が舞いだし、みるみるうちに雪の舞う中の登りとなりました。最初はカラマツが、やがてミズナラやブナが現れる頃には雪は本格的な降りとなって周囲を見る見るうちに白く変えていきました。サルオガセの下がるブナ林、雪の被ったクマザサの広場、それら全てがアッと言う間に雪の景色の中になりました。そして、小さな稜線の鞍部に出て、その先が広々とした、そして寒々とした風の渡る夜叉神峠でした。当然ながら峠からの、あの大展望は無く、ただ、ただ、冬の気配が満ちていました。背後の高谷山へは、急斜面を雪の中を歩く準備も無く、仮に準備があったとしても、ただ、落ち葉の上の積雪にアイゼンが効くわけもなく、残念ながら峠の往復のみとしました。登る時には、枯れたカラマツの針のような黄色い尖った落ち葉が道を埋めつくしていた峠道は、自分達の歩いてきた踏み跡さえ消えて、白い世界へと変わっていました。思わぬ今年最初の「風の谷の山歩き」最初の雪との出逢いとなりました。

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谷川岳雪上訓練 (敗退)

「風の谷」は今日も早朝出勤
「風の谷」は今日も早朝出勤

 以下の者は、2007年12月8日〜9日にかけて、谷川岳天神平周辺での雪上基礎訓練に参加し、天神尾根を熊穴沢避難小屋、天狗の踊り場とホワイトアウトの中を登り、頂上直下の天神ザンゲ岩上まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

時折、足元も見えない吹雪
時折、足元も見えない吹雪

 冬型の気圧配置の影響を強く受ける谷川岳。その豊富な積雪がいち早く僕達に雪山の最初の感覚を与えてくれます。谷川雪上訓練の目的は、とにかく豊富な雪の山の登高に慣れること。都会育ちの者には馴染みの薄い「雪」と言うものを相手に登山ができるようになることに尽きます。しかし、今回の谷川岳は、もう一つ「吹雪」との対面もさせてくれました。暖冬化が進み、時として年末近いこの豪雪の山でも「本当の雪山の素顔」と出逢うことが少なくなっていました。「登れなくて悔しい」との思いも雪山ならではの物です。言い訳染みますが撤退の大嫌いな「風の谷」で頂上に肉薄していながら(事実、夏ならば15分程度の距離には到達していました。)撤退をするのは滅多にないことです。しかし、時として自分の足元さえも見えかねる風雪、時折、吹き倒される者も出る状況では、肩の広場から先の群馬県側に大きな雪庇の張り出す中で安全に頂上に立つことは不可能でした。今回の大きな目的が雪上訓練でした。とりわけ身につけて欲しかったのはアイゼンが足の一部と感じられ、ピッケルが手の一部と感じられる実感です。雪の斜面をアイゼンを履いていればこそシッカリと捉えられる感覚であり、何かの時に咄嗟に手を出すようにサッとピッケルを斜面に突く感覚です。これが少しでも身につけば意味があったことと思います。いよいよ、雪山のシーズンがやってきています。「風の谷」では、既にして五竜岳で延々たるラッセルを経験し、阿弥陀岳頂上では降雪の中で苦痛のビバークを経験しています。気分は完全に厳冬期です。多くのメンバーが初めてアイゼンを履き、ワカンを履いたことと思います。次回には、ぜひ、本格的な輝く森林限界を越えた雪山で出会える事を期待しています。「偏西風が戦士を鍛える」! 全てを自力で片づける素晴らしい雪山に挑戦しましょう!

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奥多摩笹尾根

笹尾根からは終始富士山の真っ白な姿が
笹尾根からは終始、
富士山の真っ白な姿が見えた

 以下の者は、2007年12月5日、奥多摩の三頭山から高尾山に向けて伸びる甲武相国境尾根の中で鶴川上流の郷原から西原峠に出て、田和峠、笹がタワ峠、笛吹峠と笹尾根を縦走し、丸山(1098m)に登頂し、小棡峠から土俵岳(1005m)に登頂し、日原峠を経て浅間峠まで長駆縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

明るい雑木林が続く
明るい雑木林が続く

 ガサゴソ、ガサゴソ、今、家に帰っても耳に残る落ち葉を踏みしめていく音。稜線を越えていく冷たい冬枯れの風の音。そして、大菩薩から奥秩父、奥多摩全域を絶えず見回しながら歩く冬枯れの尾根の景色。権現山の上に頭を出した富士山が真っ白く輝いて、すこしづつ、その位置を変えて何時も私達の目に入っていました。遅く始まって、一気に散ってしまった今年の紅葉。しかし、一方でそれは冬枯れの素晴らしい展望を見せてくれました。笹尾根と浅間尾根。似たような明るい雰囲気と穏やかな表情、そして、カヤトと雑木林の交互に繰り返される独特の魅力があります。僕自身が初めてこの尾根を歩いた40年前、笹尾根はもっともっと里との結びつきの強い尾根でした。雑木林の随所に炭焼き窯の跡があり、カヤトは茅葺き屋根の材料を提供する場所としてありました。そして何よりも笹尾根の稜線の通りも遥かに立派な峠越えの道があり、実際に多くの人々が生活のために峠を行き来していました。道端にある石仏も馬頭観音もそういった人の行き来を見守る物だったに違いありません。しかし、一方で絶えず目に入る鶴川奥と秋川奥の集落。時折、聞こえてくる里の生活の音、えっ!こんな所にも?と思わず声に出てしまう人家の姿。いかに不便でも、いかに効率的でなくとも、人々は、この山奥の谷間、山腹に間違いもなく暮らしていました。足元にひっそりとあったシモバシラの花の姿は暖冬と言われても間違いもなく冬は訪れていることを教えてくれていました。晩秋から初冬、そして早春にかけてが、この山域の最も美しく輝く季節です。さまざまに、この尾根や里を訪ねてみたいと改めて思いました。

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阿弥陀岳ビバーク訓練

住めば都のツェルトの中
住めば都のツェルトの中

 以下の者は、2007年12月1日〜2日にかけて南八ヶ岳の好展望台・阿弥陀岳(2805m)に舟山十字路から広河原沢を遡行し、二俣から中央稜に取り付き登頂し、降雪の中、頂上ビバークを経験し、御小屋尾根を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

あまりの寒さに早朝出勤
あまりの寒さに早朝出勤

 この季節の八ヶ岳は判らない。全く雪がなく土埃の舞い上がる年もあれば、全山が雪に真っ白に覆われる年もある。今年は11月中旬から雪に覆われ、それでも小春日和の度に溶けては凍りを繰り返してきた。そして、誰もいない広河原沢を左右に渡り返しながら辿る僕達の目には見事な氷柱が上に行くに従ってみえてきていた。冬は確実にやって来つつある。そんな実感を持った入山だった。およそ25年ぶりの中央稜。かつては考えられなかったほどのシッカリした踏み跡。茅野の町からもハッキリと判る傾斜の強い稜線は、実際には踏み跡さえ出来上がってしまえば、南稜よりもむしろ歩きやすい美しい稜線だった。雪が積もると中々見事なナイフリッジを形成する上部の稜線もハイマツの中の踏み跡を辿り抜けました。それでも標高差1400m近い登りの末、凍りついたヤセ尾根を登り到着した阿弥陀岳の絶頂は、何時も通りの見事な八ヶ岳自身の展望の中にありました。
 毎年、今年こそは最後のビバーク訓練と、必ず誓う八ヶ岳山頂でのビバーク。
阿弥陀岳の正しく山頂そのものに張った二張りのツェルトは吹きすさぶ風の中にありました。ある者はシュラフを、ある者は、シュラフカバーのみで、ある者は羽毛服を着て挑んだビバーク。それは、食事が終り、周囲の居並ぶ明峰達が星空に浮かぶと同時にサラサラと寒気に伴う降雪と共に始まりました。容赦なく吹き込む粉雪、凍りついたツェルトからバラバラと落ちる氷、何回となく寝返りを打ち、何回となく時計を見て朝を待つ時間。それだけに、雪が止み、月が皓々と照らす山並みと、下界の見事な夜景を見ながら朝を迎えた感激は小さくはありません。八ヶ岳は多くの物を与えてくれる手近な山です。最も手に入りにくい楽しみを与えてくれたビバークでした。

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大常木林道

龍喰谷を過ぎると随所でミズナラの巨木
龍喰谷を過ぎると
随所でミズナラの巨木が
待っていた

 以下の者は、2007年11月28日、多摩川水源の水源林巡視路である大常木林道を三の瀬からムジナの巣を経て龍喰谷を越えてシナノキのタル手前まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 僕自身がもっとも親しみ、そこには何かがある!と言い続けてきた多摩川水源地帯。何回となく語っているように東京の水資源の確保の為に行政的には山梨県にある多摩川水源一帯を明治時代に買い取り、保護してきた長い歴史。土木王国・山梨県のなかあって貴重な太古の森が守られ、そのままの姿で置かれている貴重な姿は、その地を訪れるたびに繰り返し語ってきた所です。大常木林道は、その水源地帯の標高1500m前後を中心に、ムジナの巣から龍喰谷を越えてモリ尾根のシナノキのタルを越えて大常木谷に下り、更に岩岳尾根のハシカキのタルを越えて小常木谷、ナメトロ淵と辿り丹波山の余慶橋に至る延々たる歩道です。とりわけ龍喰谷を越えて大常木谷に至り、岩岳尾根に登り返す間は、一切の伐採、一切の堰堤の無い多摩川水系唯一の自然が残された地です。モリ尾根まではミズナラが、それ以降はブナが林立し、盛夏にその下から頭上を見上げると鬱蒼たる原生林に空さえ見えない見事な森として訪れた者を感動させます。この大常木林道は、森林巡視の道として一部の人工林の手入れ、整備のために古くから歩かれていました。1970年代には大常木谷の御岳沢出合い上流には会所小屋と呼ばれる立派な造林小屋があり、多くの人々が生活していた記憶があります。今回、全く頂上を目指さない「風の谷」では珍しい山歩きとして出向きました。今年9月の台風の影響で斜面のトラバース道が崩壊し、龍喰谷からシナノキのタルを目指す、まさしく「ここからが最高」の手前で撤退を余儀なくされました。それでも訪れる事の滅多にない多摩川水源の谷の一つ一つを訪ね、ミズナラやモミの巨木で出逢い、苔むした岩と清流と出逢い、親しんできた奥多摩の本来の姿の一端と巡り逢えた思いがします。晩秋の乾いた晴天の下ではなく、肌寒い寒風の曇天の下の一日でしたが、何時の日か紅葉、新緑の時に再び訪れたいものです

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十文字峠越え

ノゾキ岩からの奥秩父主脈の展望
ノゾキ岩からの奥秩父主脈の展望

 以下の者は、2007年11月20日〜21日、奥秩父北部の長野県、埼玉県の県境の十文字峠を長野側・毛木平から八丁坂の頭を経由して登頂し、四里観音、赤沢山、岩ドヤ、白泰山、一里観音と辿り、栃本まで踏破したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

古くからの峠道は先日降った雪が落ち葉にのっていた
古くからの峠道は
先日降った雪が
落ち葉にのっていた

 頭上を吹き抜ける木枯らしの音、振り返る八ヶ岳の雪雲に覆われた姿、人っ子一人いない駐車場は既に冬の気配の中にありました。すっかり葉を落とした峠道、その果てに煙を静かに上げる峠の小屋の暖かいランプの灯は嬉しいものがありました。翌朝、まだヘッドランプが手放せない薄暗さの中、長年に渡って十文字小屋を守ってきて、現在は栃本にお住まいの山中邦治氏が「奥秩父で一番美しい原生林はここだ!」と語ったコメツガの森と足元を覆う分厚い苔の上にうっすらと積もった雪、そんな中の出発でした。それにしても、毎回思う十文字峠道の長いこと。コメツガ、シラビソの鬱蒼たる原生林の中を静かに上下する道。前方の東側が明るくなり、股の沢林道を分け徐々に下がっていく標高。北側、僅か20kmほどで群馬県の迫る、そんな中に雪雲の中に浮かび上がる浅間山の姿。尾根の上を行き、南北の斜面を恐る恐るトラバースを繰り返し、振り返る十文字峠の切り明けが徐々に小さくなっていく姿。遠く遥かにみえる明るい関東平野の広がり。そして、けして下りばかりではない赤沢山、岩ドヤ等の小さな登り返し。いつしか、三里観音も過ぎ、纏まった登りの末に白泰山のノゾキ岩に着きました。ノゾキ岩は荒川源流の一つ・赤沢谷の上に突き出したような岩場です。普段、滅多に見ることの無い奥秩父主脈を北面から眺められる貴重な存在です。荒川が生まれ出る全ての水源の山々。雁坂峠から破風山を越えて甲武信ヶ岳に至り、十文字峠へと連なる馬蹄形の山脈。それらが黒々と浮かぶ様子。そして、足元に集まる荒川水源から聞こえる微かな沢音。白泰山からは緩やかな下りが続き、明るい雑木林と笹原、そして、ついに一里観音が現れて、里の気配が漂い始めます。棒の様な足、そして、神社があり、車道が見え、甲武信小屋主人・山中徳治さんの出迎えるクルマがありました。

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五竜岳 (敗退)

遠見尾根から白銀の鹿島槍が大きい
今年初めてのワカンを履いた
遠見尾根からは
白銀の鹿島槍が大きい

 以下の者は、2007年11月17日〜18日、北アルプス・後立山連峰の中核・五竜岳(2814m)を目指し、神城から遠見尾根を登り、地蔵の頭、小遠見山、中遠見山を越えて大遠見山(2106m)まで到達しましたが積雪の為、敗退したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

目指せ!五竜岳
目指せ!五竜岳

 なかなか登れない山がある。毎回、撤退を強いられる山がある。五竜岳はなんとなくそんな山となってしまった。信濃大町の駅頭から見上げた後立山連峰。もちろん、この時期、時として大量の降雪があることは知っている。もちろん、この時期にラッセルだけして引き返した多くの経験もある。しかし、それでも、見上げた稜線の白さ、時折、雪煙を上げる様、そして、何よりも白銀の山々を見上げた新鮮な喜びは久しぶりの物があった。そして、アルプス平でテレキャビンを降りた我々の目は地面一つ出ていない見事な雪景色に驚かされた。最初はあったトレース。登山靴の大股の元気の良い足跡は、しかし、小遠見山の手前までだった。大きく広がる展望。鹿島槍ヶ岳が北壁を前面に何時もの双耳峰とは違って北峰だけが目立つ山容。その左に爺が岳。そして目指す五竜岳から唐松岳、白馬三山の雄大な広がりが僕たちの前にはあった。膝まで潜りだした積雪にオーバーズボンを履き、ワカンを履き、そして、交代のラッセルが始まった。時折、小規模な雪庇まで張り出させて、谷に向けてルンゼも落ちて、それなりの緊張の中にあった。鹿島槍ヶ岳北峰とキレットの間に夕陽が落ちても、まだ大遠見山への登りの最中だった。そして、尾根が広がりだし、遠見の池の手前にやっと安住の地をみつけた。日没と競争の設営、水作り、炊事、そしてビールの缶が廻り・・・、そんな耳にサラサラとフライを打つ音。今年最初の雪との出逢いは、こんな風に始まった。夜中も降り続く雪。天井を蹴飛ばして屋根の雪落としを何回も繰り返し、入り口から入り込む雪を警戒するほどの積雪がテントを見舞った。朝、昨日のトレースも綺麗に消え、更に降り続く雪。今年最初の本格的な雪山を体験できたことを嬉しく思いながら、遠見尾根をくだっていった。

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南大菩薩

草原の前には終始、大きく富士山が
草原の前には終始、大きく富士山が

 以下の者は、2007年11月14日、大菩薩連峰南端の南大菩薩を湯沢峠から山梨百名山の一つ・大蔵高丸(1781m)に登頂し、草原の稜線をハマイバ丸(1752m)、天下石、米背負峠と辿り大谷が丸(1643m)まで縦走したことを証明たします。

氏名 風 の 谷

 稜線では紅葉も散り尽くした南大菩薩の稜線。この稜線の良さは晩秋と、新緑の季節にあります。春、この草原はギボウシ、ヤナギラン、アツモリソウ等の奥多摩の山々でとっくに無くなった多くの花が埋めつくします。そして、晩秋。きつね色に枯れた明るい草原からは、富士山、南アルプス、八ヶ岳の新雪を被った美しい姿がありました。草原に点在するダケカンバの木々、眩しい太陽の光、振り返ると小金沢連峰の広がりの後に奥秩父の山並みが観られました。かつては出発点の湯沢峠まで5時間。夜行列車で来て暗い夜道を歩き、森林軌道の枕木を辿ったアプローチでした。幸か不幸か、標高1600mからの登山はいきなりの稜線の明るさの中の登山でした。考えてみれば大菩薩の稜線ほど多くの変化と魅力に満ちた山々はありません。柳沢峠から丸川峠にかけての水道水源林として手厚く保護された原生林の美しさ、大菩薩嶺から大菩薩峠にかけての広々とした明るい草原、そして、小金沢連峰の変化に富んだ奥深さのある山々、ひたすらに雑木林が続く幅広い尾根の牛の寝通り。日本百名山として大菩薩嶺が知られ、多くの人々が週末には訪れるものの、大多数は上日川峠から大菩薩嶺、大菩薩峠と僅か3時間にも満たない歩行で辿ります。たしかに、この部分は、この山域の魅力を凝縮したような場所で楽しい山々ではあっても、東西10km、南北12kmの広大な山々の一部に過ぎません。とりわけ、今回歩いた南大菩薩の山々は更に、笹子雁ヶ腹摺山、滝子山と二つの尾根を分けてそれぞれの魅力を持っています。絶えず進む方向に富士山を眺め、それ故に秀麗富嶽十二景の道と言われた稜線。草原と、雑木林と、そして、降りていけば紅葉の谷と明るい秋のイメージが随所に満ちた南大菩薩の山々でした。もうすぐ冬。雪の大菩薩も素敵です。

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三つ峠岩登り講習

季節はもうアイゼン岩登り
季節はもうアイゼン岩登り
背後の富士山も真っ白

 以下の者は、2007年10月27日〜28日、御坂山塊・三つ峠の屏風岩で行った岩登り講習に参加し、登攀の他に、冬期登攀の訓練、レスキュー訓練等に参加したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 振り返る富士山が真っ白に雪化粧しています。木無山から見る南アルプスも、北アルプスも八ヶ岳も、そして、金峰山から甲武信岳にかけての奥秩父の山並みも全て白くなっていました。季節は秋から冬へ、足早に次の季節へと移っています。毎回、ブヨに悩まされる三つ峠も、虫の気配も無く、カラカラと乾いた風が台風一過の真青な空の下に吹いていました。初日が台風の土砂降りで室内でのレスューやセルフレスキューの講習になってしまい、二日目は、初心者パーティーも、ベテランパーティーもキチキチの忙しい日程となってしまいました。今回の講習で強調したかつたことの一つはクライミングのシステムの確認でした。もう一つはセルフレスキューを中心としたレスキューの基礎の習得でした。そして、冬期登攀への訓練でした。とりわけ、レスキューは、ザイルを使用する登山の中で、日常的に使用する物ばかりです。今回も、山田パーティーで一名が小さなスリップをして岩場から離れてしまう事がありました。残念ながら、前日に行った宙づりからの脱出を現場で応用することはできませんでしたが、そういった状況で、フリクションヒッチを冷静に施し、1m程度の脱出なら簡単に行えることが大切です。また、アイゼン、手袋での岩登りも経験しました。アイゼンでの登攀は、訓練によってほんの小さな岩の窪み程度の物でも、一本の爪が確実に岩場に正しく立つことが可能ならば意外にチャント足場となることが経験できた事と思います。一方、手袋をつけての登攀は、思いの外難しく、とりわけ丸みを帯びたホールドとの相性の悪さを痛感させられた事と思います。今回のトレーニングがこの冬の本チャンとしての岩登りへの第一歩であることを理解していただければ幸いです。レスキューにしても、冬期登攀の練習にしても、「考えて」行う内は実践への道は遠いです。自然に身体が動く・・・、ためには繰り返しの練習の必要を痛感した講習でした。

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大菩薩嶺

大菩薩峠から見た大菩薩嶺
大菩薩峠から見た大菩薩嶺

 以下の者は、2007年10月23日、大菩薩連峰の青梅街道最高地点・柳沢峠から東京都水道水源林を多摩川水源展望台から六本木峠、ブドウ沢峠、天庭峠、寺尾峠を経て草原の丸川峠へと辿り、日本百名山の一つである大菩薩嶺(2057m)に登頂し、雷岩から大菩薩峠まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

稜線の紅葉は真っ盛り
稜線の紅葉は真っ盛り
赤いトンネルを歩く

 なかなか訪れなかった今年の山の秋。しかし、山々は間違いも無く紅葉の季節へと進んでいました。クルマが爆走する青梅街道から入ると、ほんの僅かでそこは太古からの原生林の中でした。林立するブナの白い肌、多くの木々が入り込み、東京都水道水源林として手厚く保護された森はすこしづつ染まった紅葉と常緑樹との対比が見事な森でした。多摩川水源展望台と呼ばれる小広い広場からは甲武信ヶ岳から小雲取山にかけての奥秩父主脈の東半分が黒々と大きく並んでいました。山の中でもお話しましたが、この多摩川の水源をなす山々は行政的には山梨県でありながら明治時代から東京都民の命の水としての多摩川の水源林として手厚い保護がなされています。今回、辿った柳沢峠から大菩薩嶺までの見事な森林は所々で人工林を交えながらも基本的には本来の森の姿を留めた貴重な場所でした。柳沢峠から草原の丸川峠に至る登山道ももともとは水源巡視路として作られ、ピークを丁寧に巻き、大きな上下無く距離を稼げる楽しい道でした。暗い森からいきなり放り出されるように飛び出した明るい丸川峠。ポツンと立つ素朴な山小屋と富士山、キツネ色の草原と点々とある紅葉の木々。大菩薩でも大好きな場所の一つです。そして、一転して続くコメツガやシラビソの鬱蒼たる森。足元を埋めつくす分厚い苔の絨毯。遠くから聞こえる繁殖期を迎えた鹿の声。本来の大菩薩の姿がここにはありました。長い距離を歩いた上の、纏まった登りに疲れるころ、大菩薩嶺に登り着き、そこから明るい展望の尾根を大菩薩峠へと辿りました。
 百名山巡りの一環として大菩薩嶺に立つ者の実に95%は福チャン荘までクルマで入り、大菩薩嶺、大菩薩峠と一周して下山するそうです。しかし、大菩薩の顔は至る所にあります。その全ての顔との出合いたいものです。

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日和田山岩登り講習

 以下の者は、2007年10月20日、奥武蔵・日和田山で岩登り講習を受講し、多くのルートを登攀し、冬期登攀に向けてのアイゼントレーニングを行ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日和田山の岩場は小さな岩場です。最も高いところでも高さ20mちょっと、市街地の外れにあり男岩の上に登ると集合住宅の屋根が並んで見える上に大岳山の尖った山頂が見えます。しかし、この小さな岩場は多くのクライマーを生んだ場所でもあります。かの平山ユージは15歳で、この地を訪れ、ステミングフェースに何度挑戦しても登れず、その悔しさから本格的にここに通うことになったと言います。「もし、簡単にあの壁が登れたら、岩登りなんてやってない!」との名言を残しています。そして、この日和田山の岩場は初心者の岩場です。豊富な支点と落石を徹底的に片づけた結果、初めて岩登りをする者、岩登りはしないけれども岩場での安全な登高やザイルの使い方を知りたい者等も多数訪れる岩場です。だからヘタでも恥ずかしくない、基本的な事、岩登りの基礎を学べる岩場です。今回、少人数の為、沢山のルートを登ることができました。一つ一つのルートには、いかに簡単であろうとも必ず独特な課題があります。正面の壁の最初に登ったルートは、基本的な岩の登り方、カラビナ等のギアの回収のタイミング、小さなハングも足で登る事、等が大切です。正面真ん中のチムニー状の所は、大きく外から出る動きが、ステミングフェースでは、基本的なスタンスの発見と無理の無い動きが核心です。最初は無茶苦茶に登っても全然OKなのですが、次に登るとき、前回の教訓をもとに綺麗に楽に登れることが大切です。また、充分な時間はとれませんでしたが、アイゼンと手袋での岩登りにも挑戦しました。快適に登れるクライミングシューズと違い、ゴツゴツした感覚と必ず着実なスタンスを見付けないと登れない難しさはありますが、やはり、ここでも能書きが大切です。壁に正面から向き合い、無理のないステップでスタンスを拾う事。これらが本当の冬の壁に通じます。今回を機会に岩登りが好きになることを願っています。

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二軒小屋尾根

長沢谷の巨木
長沢谷の巨木。迫力満点

 以下の者は、2007年10月16日〜17日、東京都最高峰である雲取山(2017m)に突き上げる日原水系で最も長大な未開の尾根・二軒小屋尾根を長沢谷を越えて1300m付近から取り付き、モミソの頭を越えて芋の木ドッケまで踏破し登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

二軒小屋中間のミズナラの巨木
二軒小屋中間のミズナラの巨木
デカイ

 本格的な秋の到来を予感させる氷雨の中の二軒小屋尾根でした。雲取山から長沢背稜を見るとき、芋の木ドッケに突き上げる大きなボリュームを持つ尾根。野陣尾根よりも稲村岩尾根よりも長い幅広の尾根、全て一切の人工林を持たない原生林の尾根、一度はトレースしてみたいとの思いを強く持っていました。朝から降り続く雨、「いつかは小やみに」の希望も虚しく、カッパを打ち続ける雨音。しかし、一歩、二軒小屋尾根に足を踏み入れると幸か不幸かかつてのスズタケの延々たる藪漕ぎは影をひそめ、大きなブナ、ミズナラの木々の下に下生えもなく、必ずしもキツクはない斜面をグイグイと登っていくことが可能でした。太古から斧一本入らない原生林の尾根は随所に巨樹を林立させていました。長沢谷出合い上のミズナラの木。しかし、二軒小屋尾根の中では随所に同程度の太さの木々があり、そして、標高1593m・モミソの頭の直下に他を圧する堂々たるミズナラの巨樹が周囲を見下ろす大きさで屹立していました。
そこからの尾根ば所々で広場のような広がりを見せ、時には痩せ、時には太り・・・を繰り返しながら一気に傾斜を増して芋の木ドッケへと突き上げていました。実質の登高時間3時間強、冷たい雨がソソクサと歩かせた事、雨で地面が滑りやすかった事、それぞれ差し引いて、ちょうどの時間のようでした。落ち着いて周囲を見渡す余裕のできた目には、改めて始まりだした紅葉が見事でした。山荘に着いても止む気配のない雨。外の気温は4度。霙になるかなるか?と気を揉んでいたら朝になっていました。北東気流に代わって冬の季節風が吹いていても濃いガスは相変わらず。山頂からの展望こそないものの、下り着いた富田新道も葉の色づきが目立つ素敵な道でした。「次はヨモギ尾根かな?」等と未開の雲取山の尾根に思いを馳せる二日間でした。

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サヲウラ峠

丹波天平
丹波天平・・・かつてのミズナラの森が
残っている

 以下の者は、2007年10月10日、奥多摩・飛竜山から多摩川にむけて延々と伸びるミサカ尾根のサヲウラ峠(1415m)に丹波山村奥秋から登頂し、山稜の上の広場・丹波天平(タバデンデーロ・1342m)へと稜線を辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

カラマツ林にキノコが
カラマツ林にキノコが

 急激にやってきた秋。山村の里山、それを訪ねた一日でした。好転した天気予報とは裏腹にときおり陽差しはあったものの、楽しみにしていた雲取山から笠取山にかけての黒々と連なる奥秩父東部・多摩川水源地帯の山並みはついに見ることができず、大菩薩北面の不機嫌そうな斜面がすこし見えただけでした。サヲウラ峠への一気に高度を稼ぐ峠道。急斜面を交えているものの、古くから丹波山と三条の湯を結んでいた山道は丁寧にジグザグが切られ、最も疲れずに最も効率よく登ることを心がけた素敵な道でした。カラマツと赤松が伸びてかつての展望は無くなったものの、大きなミズナラの木が立ち静寂に満ちた忘れられた峠の気配が一杯でした。そこから辿った丹波天平への尾根。カラマツ林は思わぬキノコの恩恵をあたえてくれて、カラマツと広葉樹の交互に混じる森と、静かに尾根を越えていく霧、始まりだした紅葉と、里山の気配が一杯の尾根です。歩きながらお話ししたように、しかし、一方で天平尾根は大きく変わってしまいました。僕が初めてこの地を訪れたのは1968年の9月でした。鴨沢から夜明け前の青梅街道をヘッドランプで歩き、親川から天平尾根、そしてミサカ尾根から飛竜山、更に雲取山までを一日で歩いた中学校二年生の時でした。霧の中の天平尾根は随所に広々とした草原を広げ、そこに白樺と灌木、広葉樹の森とが続く、潤いに満ちた道でした。このデンデーロと呼ばれる山上の広場は当時、春にはワラビが群生し、秋にはススキ野原となり、明るさに満ちた見事な広場でした。それがこの10年、鹿の食害で全てが失われ、かつての伐採と植林でカラマツ林が出来上がったわけです。それでも、大きな広がりは訪れた者に驚きの声をあげさせる物があります。多摩川水源地帯の山、全く誰にも会わなかった静寂の道でした。

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谷川岳一ノ倉沢・南稜ルート登攀

衝立岩に向けてテールリッジを行く
ぐいぐいと大きくなる
衝立岩に向けて
テールリッジを行く
一ノ倉南稜上部
一ノ倉南稜上部
滝沢に向けて高度感がスゴイ

 以下の者は、2007年10月7日、谷川岳一ノ倉沢を出合いからヒョングリの滝を越え、テールリッジから南稜テラスに至り、南稜ルートを登攀し、一ノ倉岳(1977m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

南稜の岩場は明るい
南稜の岩場は明るい

 谷川岳一ノ倉沢。岩登りを志す者が一度は憧れ目標とする岩場。その中でも南稜は全てのルートを見渡せる独特の位置にあり、その露出感の高さと変化に富んだルートは一ノ倉沢を登る全てのクライマーが必ず最初に登るべきルートしてあります。一ノ倉沢の登攀は登山としての岩登りの全ての要素がある所に魅力があります。首都圏から遠くないこと、そして、出合いに立ち、沢を遡行し、ヒョングリの滝を高巻き、再び沢に下降し、所々で難しい部分もあるテールリッジを辿るとき、出合いではあんなに遠かった衝立岩やコップ状岩壁が目の前に立ちはだかり、その裾を絡みながら辿るアプローチ。そして、烏帽子奥壁の下を通り、一つ一つのルートを確認しながら向かう南稜テラス。そこから辿るルートもスラブからチムニーフェース、そして草付きの斜面、更にリッジから最後のフェースと終始、滝沢スラブを背後に感じながらの次々と現れる課題をこなしていく楽しさ、けして、大きな長いルートでは無いものの、初めて一ノ倉沢に向かった者に、この岩場が、谷川岳の岩場がどういう魅力を持っているのかを間違いなく教えてくれます。ヘッドランプを点けて出合いを出発する時、奥に待つ多くの困難を思い身の引き締まる緊張感の中を登る真剣な気分は、やはり、日本のクライマーの全ての共通する気持だと思います。僕たちが終了点のテラスに着き見下ろすと、南稜テラスは多くのクライマーが順番待ちをしていました。さらに、その下にはアプローチを登ってくる多くの人々がいました。登山としての岩登りを志す者として、そこから濡れた岩場を登り、クマザサの繁る中を登り、5ルンゼの頭を越え、終始、緊張の中の岩尾根を登り切り、一ノ倉岳へと登りました。辿る稜線の灌木の紅葉、足元の見事な草モミジ、そして、見渡す限りの秋晴れの展望。殆どの者が終了点から下降する中で頂上を目指して本当に良かったと思えた見事な頂上でした。

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谷川岳マチガ沢・東南稜登攀

マチガ沢東南稜1ピッチ目
マチガ沢東南稜。1ピッチ目

 以下の者は、2007年10月6日、谷川岳マチガ沢本谷を出合いから遡行し、東南稜を登攀し、オキの耳(1977m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

明るいスラブの続くマチガ沢
明るいスラブの続くマチガ沢
山頂まで見える!

 奥秩父や奥多摩の沢を登りなれた者にとって、全く樹木を谷の中で見ないマチガ沢の光景は独特の明るさがありました。その出合いから稜線までの谷筋が晴れていれば全て見ることができ、登った東南稜もクッキリと見える、そんなマチガ沢の登攀でした。鬱蒼たる樹林の中の沢を知っている者にとって、沢とは先の見えない物であり、次の滝を越えたら、次の釜を越えたら、次の角を曲がったら・・・・と絶えず新しい驚きと発見のあるのが沢登りのはずが、白く磨かれたスラブの上をペタペタと辿り、越えていく滝の上には出合いから見えたゴルジュが立ちふさがる・・・といった先の見えやすい沢登りでした。しかし、一方で標高差は実に1200m近く、全てを自分の身体の力だけで、手足の力だけで登り詰めていく登攀は、その内容のグレードとは一味違った困難をあたえていました。一つ一つの沢を分け、も

東南稜は濡れた岩が続いた
東南稜は濡れた岩が続いた

う稜線を行く登山者が見える所まで登って初めて東南稜の登攀は始まりました。もう、7年近く登っていない東南稜は、かつてと大分趣を変えていました。おそらく、こういった延々たるアプローチの末に登るルートが敬遠されるせいでしょうか?もともと濡れた部分の多かったルートはヌルヌルの部分が多く、本来の凹角を越えていくルートは到底登る気になれずなかなか苦しいトラバース等もありました。それでも頂上からの登山者の声援を受けて夏にはお花畑となる稜線を頂上へと抜けていくのはそれなりの爽快感がありました。頂上から辿ってきた全てのルートが見え、出合いの「風の谷」テントも見え、全てを自分たちの手足でトレースしてきたことを実感できたマチガ沢本谷と東南稜の一日でした。予想以上にかかった時間と日暮れとの競争をして駆け下った西黒尾根。夕陽に光る山頂を再び戻った出合いから見上げる嬉しさは独特の物がありました。マチガ沢は他のパーティーもいない静寂の谷でした。

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金峰山

始まりだした紅葉
始まりだした紅葉

 以下の者は、2007年10月2日〜3日、奥秩父の盟主、日本百名山の一つ・金峰山(2599m)に廻り目平から中ノ沢出合いを経て登頂し、千代の吹き上げ、大日岩、富士見平と辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

巨大マツタケ
見よ!巨大マツタケ!

 天気予報が全面的にはずれて、絶えず霧と霧雨の中の二日間でした。その霧の中、最後の最後に瑞牆山荘の前で登山者に逢った以外、全く人の影を見ない静寂の山でした。ようやく始まりだした紅葉は山頂付近ではダケカンバの葉を黄色く染めて這い松の中に点々と彩りを添えていました。金峰山の長野側からのルートの魅力は、廻り目平周辺の独特の岩峰の林立と原生林の中の落ち着いた雰囲気、そして、いきなり放り出されるように飛び出す森林限界の魅力にあります。自然の魅力に溢れたルートは山道の上に水晶のカケラが落ち、キノコを採り、奥秩父北面のシットリした道を満喫しながらの道です。しかし、身体を湿らすほどに降り出した霧雨の中、展望には恵まれず登り着いた金峰山小屋の前からも時折、瑞牆山や小川山がボウッと見えはしてもあの見渡す限りの展望との出逢いはありませんでした。何回も繰り返した言葉ですが、かつて、晩秋のある日、この小屋の前から八ヶ岳へと沈む日没の中、八ヶ岳から南アルプス、浅間山に至るまでの山々が金色に輝きながら暗くなっていくさまが忘れられず何回となくこの時期の金峰山を企画している僕ですが、今回はそれらとの出逢いはありませんでした。しかし、若く素朴な小屋番達の心暖まる歓迎が代わりにありました。赤ちゃんの顔位の大きさの松茸、キノコの味噌汁、何時間もずぶ濡れになって採ってきた来てくれた心持ちが嬉しく思いました。翌日の緊張の千代の吹き上げのルート。そして、再びもぐり込んだ奥深い原生林の下り。展望の山で展望がなくとも、やはり秋の気配を満喫できた金峰山でした。
 小屋番のシンちゃんが、「この冬は山田さん達なら予約してくれれば小屋に上がる・・・」と言ってくれました。北八ヶ岳を思わせる樹氷を思わせる原生林。風が雪の上に創り出す独特の模様。そして、何よりも冬ならばこその圧倒的な展望。再び、雪の季節に訪れたいとの思いを新たにしています。

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大洞川荒沢谷

ベンガラの滝
ベンガラの滝。赤石沢の岩とそっくり

 以下の者は、2007年9月29日〜30日、奥秩父荒川水系の大洞川の支流である荒沢谷を出合いからベンガラの滝、井戸淵を越えて水源まで遡行し、東京都最高峰・雲取山(2017m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

水量は豊富
水量は豊富
荒川水系の谷らしい

 夏から秋への季節の移り変わりを今年最後の泊まりの沢で身体で教えられてしまいました。今年最後かもしれない秋雨前線の停滞で秩父駅前でも強い雨が降り、その行程の長さと下降の困難から和名倉沢の遡行に黄色信号が点滅する中の出発でした。今にも上がるかも・・・という期待も虚しく、強く降る雨に同じ大洞川の支流で山頂避難小屋の使える荒沢谷に転進しました。雲取林道は随所で崩れ、鷹巣沢から林道歩きの末に辿り着いた出合い。大洞川水系では比較的穏やかな谷であるはずの荒沢谷は、今回は水量も多く全体の雰囲気も荒々しいものがありました。9月中旬に奥多摩を中心に荒れ狂った台風9号はこの谷にも激しい増水と崩壊をもたらしたようです。随所で堆積した流木とえぐれた沢床、そして真っ白に磨かれた沢そのもの。沢床の石も不安定で、それなりの緊張の沢登りとなりました。しかし、荒川水系に共通する奥深さと静けさ、人の気配の全く感じられない幽玄の世界は変わらない物がありました。次々と現れるゴルジュ、飛沫を上げて流れ落ちる滝。両岸を鬱蒼たる原生林が覆い尽くす姿は奥秩父北面に共通する何かがあります。南アルプス・赤石沢を思わせる真っ赤なベンガラの滝。染め物の材料の朱色の素であるベンガラのような赤い滝を直登し、深々としたゴルジュを越えての延々たるツメ。ガレ場を越えて原生林の中を右往左往し、ヘトヘトになって登り着いた登山道でした。標高差、実に1000mを越える遡行は、やはり奥秩父荒川水系の谷そのものでした。
 下山に下り着いた三峰神社は狛犬ならぬニホンオオカミを守り神として置く独特な神社です。荒沢谷も支流に狼谷を持ち、その水源には狼平があります。今でもニホンオオカミの生存を信じている方もいるようです。絶滅が信じられ、その姿を消したと言われる狼が谷の向こうから顔を出してもちっとも不思議のないような太古からの姿を残した荒沢谷でした。

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剣岳チンネ登攀

チンネの頭近し!
チンネの頭近し!

 以下の者は、2007年9月22日〜24日、北アルプス北部の剣岳・チンネを剣沢から長次郎雪渓、熊の岩、池の谷乗っ越し、池の谷ガリー、三ノ窓を経て左稜線ルートを登攀し、さらに北方稜線経由で剣岳(2999m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 剣、三ノ窓、チンネ、小窓の王、ジャンダルム。本格的な山を志す者にとって、なんと鋭く胸に突き刺さる言葉だろうか?剣岳の岩登りの特徴は、長いアプローチをこなし、テントを張り、剣沢雪渓を挟んでドーンと音のしそうな剣岳と対峙するテント場で、その姿を眺め続け、超早朝にヘッドランプを点けて出発し、雪渓を下り、登り、朝の光の中の岩峰を見つめながら取り付きへと向かう、本格的な山との対峙の中にあると思う。そして、まさしく今回のチンネ登攀はそうした登山だった。剣沢のテントを叩く雨の音。しかし、一時過ぎに起きた空に輝く満天の星。あまりの真っ暗な雪渓の様子に長次郎谷の出合いも確信の持てない漆黒の闇の中の登山だった。今年の剣は大量の積雪だった春の印象とは裏腹に、雪渓は著しく後退し一ルンゼの出合いからはすでに岩やガレの登りになっていた。まさしくアプローチが核心部の剣だけれど、それにしても池谷乗っ越しへの蟻地獄のような登りには参りました。そして三ノ窓へのガリーの下り、取り付きまで実に6時間近くを要するチンネへの道だった。そして、チンネの登攀!見上げる大きな岩、快適に辿る一手ごとのジリジリとした登り、取り付きも判らないほどの濃いガスはいつしか晴れて背後に大きく広がる白馬から鹿島槍にかけての後立山連峰の山々。そして、足元に広がる仙人池周辺の綺麗な展望。どこまでも広がる素晴らしい雲海。ビレーし、登り、グイグイと稼いでいく高度。そして飛び出すチンネの頭。岩また岩。どこを観ても登ってみたいルートがあちこちに見える素晴らしい岩登りだった。
 それにしても三連休。快適な岩の登攀の時なのに、この剣の岩場の静けさはなんだろう?八つ峰の美しいフェースには人影もなく、チンネも我々二パーティーを含めて四パーティーのみ。大きな岩登りの衰退を痛感した。

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2時半出発! 中央チムニーのバンド チンネ左稜線中間部
2時半出発! 中央チムニーのバンド
すごい高度感
チンネ左稜線中間部

瑞牆山

山頂直下の大ヤスリ岩
山頂直下の大ヤスリ岩
でかい!

 以下の者は、2007年9月19日、奥秩父の西端に奪える岩峰からなる瑞牆山(2230m)に、瑞牆山荘から富士見平、天鳥川を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 深田久弥が日本百名山を選定するにあたって最も重視したのは「山の風格」であるとのことでした。しかし、一方で間違いなく「依括贔屓」とも言うべき山の偏りがあるのも事実です。八ヶ岳は赤岳でも権現岳でもなく、ただの「八ヶ岳」。丹沢も蛭ヶ岳でも檜洞丸でもなく「丹沢」。その一方、奥秩父は雲取山、甲武信ヶ岳、金峰山、両神山、そして我が「瑞牆山」となんと沢山の山を選んでいただいたことでしょう。きっと、原生林の森と渓谷を山の風格として重んじていた結果だと思います。瑞牆山の特徴は、「えっ?ここを登るの?」と我が目を疑う岩峰の林立する岩山でありながら、その岩峰が見事なまでのコメツガ、シラビソの原生林の中に点々と立っていることです。山水画を思わせる奥深さと厳しい表情が特徴の山です。視界が効けば里宮坂を登り切った所からカラ松林のむこうに吃立する瑞牆山との出逢いが最初の強烈な印象をあたえてくれるのですが、今回は、富士見平を過ぎて天鳥川への下りに入り、初めて谷を挟んでの一部の岩峰と出逢えました。真の山頂は見えず、その全貌をついに観なかった瑞牆山でしたが、天鳥川からの文字通りの急坂の途中から霧の去来する中に青空をバックにした大ヤスリ岩を観て、この山の持つ独特の風貌の一端には触れることができました。実際に岩場を登り降りする部分は少ないものの、やはり全く緩むことの無い急斜面の連続でした。岩の間にはコメツガがビッチリと生えその間を見事なシャクナゲの群落が埋めていました。僕自身も開花期の瑞牆山には来たことはありませんが岩峰の間をピンクに染める姿は想像するだけでも素敵な物があります。山梨県側を吃立した岩壁で囲まれた岩山である瑞牆山山頂は、本来は360度の圧倒的な展望の中にあります。しかし、ミルク色の霧と上空だけ時折青空の覗く眺めは全て想像の世界となってしまいました。峻険な山容と人が居ても静けさに満ちたやはり名山に相応しい山でした。

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笛吹川ヌク沢左俣

ヌク沢下部
ヌク沢下部。大水量だ

 以下の者は、2007年9月15日〜16日、奥秩父笛吹川ヌク沢左俣右沢を出合いから遡行し、三段200mの大滝を越えて水源まで遡行し、甲武信ヶ岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

大滝中段
大滝中段
全体が
大きな滝となってしまった

 沢登りは天候に大きく左右され、その判断は極めて難しい!改めて実感したこの二日間でした。先週の直撃型の台風9号と、その後の大雨、これらの前に山々は場所を選ばず増水の可能性を随所に秘めていました。当初予定の甲斐駒ヶ岳黄蓮谷。その露出感の高い山容と厳しい傾斜、そもそも豊富な水量の尾白川渓谷と傾斜の強いスラブ。一瞬の増水はパーティー全体の事故となる可能性が高く、先週に続いて転進を余儀なくされました。ヌク沢はかつては、延々たるナメ滝の遡行の末に傾斜を増し、奥秩父最大と言われる大滝、三段200mの登攀となる見事な渓谷でした。しかし、ここ15年ほどの間に実、次々と6基の堰堤、しかも巨大な堰堤が築かれ、一時は遡行価値そのものが失われたかに思えた時期もあのました。今でも、下流部のナメ床とナメ滝を越えて戸渡尾根道を越えてからいきなり出てくる巨大堰堤は実にガックリさせられ、その高巻きは極めて消耗です。それでも、なお、この谷の魅力は消えていない・・・そんな想いを持って向かったヌク沢でした。
 まず驚かされたのは出合いからの水量でした。いつもはザイルを出すことなく越えていく滝も、流れ落ちる流水に抵抗しながらの登りでした。しかし、一方でツルツルのナメが続くヌク沢では、最も苦労するのがヌルヌルの水垢の存在。それが綺麗に流されて真っ白な輝く花崗岩の沢床が続き、案外と登りやすかったのも事実です。イヤな堰堤越えが終了すると、急速に現れる大きな滝、それが切れ目なく続き、そのまま大滝下段の登りとなり、思わず歓声の上がる大滝中断にでました。滝全体が白く落ちる流水となり、その中をずぶ濡れとなりながら直登しました。激しい流水との格闘、3ピッチの登攀の末にブルブル震えながら到達した落ち口からは富士山が見えました。原生林の中、最後まで激しい水勢を保ったヌク沢の遡行でした。

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谷川岳

トマの耳からオキの耳
トマの耳からオキの耳
後に茂倉岳が見え隠れ

 以下の者は、2007年9月11日〜12日、谷川連峰の主峰・谷川岳に天神平から熊穴沢避難小屋、天狗の溜まり場、天神ザンゲ岩を経由してトマの耳(1963m)、オキの耳川(1977m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 「肩の小屋」として長年利用されてきた小屋は、夜半過ぎから強い風の吹く中にあった。雨がザーザーと強く屋根を叩く。昨年、谷川岳から平標山への縦走を行い、今年は反対の蓬峠までと、強く思っていた気持が少しづつダメになっていくのが判る。茂倉岳から土樽におりるか?イヤイヤ、あの吹きっさらしの稜線を辿る自信はない。来年かなぁ?そして、夜が明けた。外は雨は相変わらずだが、クマザサがビロードのように光る山肌、そしてオジカ沢の頭から背後の山魔やに至る展望はむしろ昨日よりも良い。見下ろす万太郎谷の深い景色も鮮明だ。しかし、風も強く、急速に縦走への夢は萎んでいった。強い風雨の中を昨日、登ったトマの耳に続いて、少し高いオキの耳に立ち、奥の院にも足を伸ばした。無念の下山をする足元には、昨日はなかなか判らなかった西黒沢の小さな細い滝が山頂直下から中腹まで一気に連なる見事な滝となって見事に続いていた。
 谷川岳は、その天候の激しさ、そして東面に連なる、一ノ倉沢、マチガ沢、幽ノ沢の大岩壁で知られ、厳しさと激しさの面ばかりが知れ渡っている。しかし、実際に登ってみると食い込む谷は深く、大きいけれど稜線一杯に谷まで続く見事なクマザサの明るさと遮る物の無い稜線の連なりは、必ずしも標高の高くないこの山脈が大きな山脈として感じられる独特の物を持っている。難しいのは季節。天候の安定した夏では、遮るものの無い稜線と低い標高の下では、暑さとの戦いだけの登山となり、一方、9月末には霙が混じり、10月下旬には毎年降雪を見る厳しさの中、どうしても9月が最も登りやすい季節となってしまう。昨年に続いて、蓬峠へと縦走したかっ僕達。これは、いつか必ず果たそうと思う、更に、朝日岳、白毛門、そして清水峠。これらを何時の日か歩いてみたいものだ。

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笛吹川久渡沢ナメラ沢

まっ白なナメ床を登りつづける
大雨でまっ白になったナメ床を
登りつづける

 以下の者は、2007年9月8日〜9日、奥秩父・笛吹川久渡沢のナメラ沢を峠沢出合いから遡行し、50mナメ等を越えて西破風山(2318m)まで遡行し、甲武信ヶ岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 久方ぶりの直撃の台風。奥多摩に700mm近い降雨と不吉な情報が相次いだ週末。笛吹川流域なら、ヌク沢なら・・・、と散々の動揺を重ねた末に、甲武信小屋の情報で全く沢に入れる状態ではない、唯一、ナメラ沢なら・・・との話で、いつもは下降路専門として使っているナメラ沢に向かいました。雁坂峠道を辿る耳にゴーゴーと響く久渡沢の渓声。しかし、アブローチで垣間見た抹茶色に濁った渓谷ではなく、すでに澄んだ大量の水流がありました。谷に下り、沢を下降して驚いた真っ白な花崗岩の沢床。大量の激しい水流は、岩に付着した全ての水垢、汚れ、土を落とし本来の白く輝く花崗岩の谷を蘇らせていました。しかし、木のある谷はやはり、木々が山のダムとして水をおさえ、本来濁流となっていても不思議ではない谷を一晩で清流に蘇らせた力は思わず脱帽させる何かがありました。いつもは失礼にも、大きな谷の下降路として専ら使っていたナメラ沢。ナメ床とナメ滝が延々と続くこの独特の美しい谷は、改めて登ってみて、その優美さに驚かされました。白く美しいナメ滝、左右から滝となって落ちる支流の滝、そして、周囲を埋める原生林の美しさは奥秩父笛吹川独特の明るい雰囲気の中にありました。二俣の上で出来たばかりの大倒木帯を越えて、最後の最後まで豊富な水量と戦いながら辿り着いた水源。そこから鹿道を追って果てし無く思われるシラビソの森の急斜面を登ること一時間。奥秩父主脈の一角に飛び出すことができました。
 奥秩父の中核・甲武信ヶ岳から雁坂峠にかけての稜線を水源とする優美な谷・ナメラ沢。そんな谷でも、自然の猛威が吹きすさんだ後には、激しい動きと激流が支配することを教えられました。稜線を吹き渡る風はいかに強い陽差しの下にあっても乾いた秋の風でした。次の季節の沢、去って行った季節の沢を思わせるナメラ沢の二日間でした。

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栂海新道

次々とあらわれるきれいな沼
次々とあらわれるきれいな沼

 以下の者は、2007年9月3日〜6日にかけて、北アルプス最北端の朝日岳(2418m)に、黒部源流の北又からイブリ山を経由して登頂し、栂海新道を長栂山、アヤメ平、黒岩平、黒岩山と縦走し、犬が岳から白鳥山を越えて坂田峠、尻高山、入道山を経て0mの日本海・親不知海岸まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

犬が岳から振り返る朝日岳
犬が岳から振り返る
辿ってきた山々
大きいのが朝日岳

 台風が後ろに迫った感覚を全身で受け止めながら下り続けた僕達の鼻を潮の香りがくすぐった。波の音が聞こえた。それなのに、小さなピークが次々と顕われる。そのもどかしさは、標高2400m、森林限界を越えた這い松と草原の高山から延々と辿ってきた者だけが理解できると確信します。そして、国道を越えて駆け下った磯は、日本海の荒々しい海が波を打ちつけていました。それにしても遠い遠い道でした。もしかしたら、この夏で一番の暑さが山の上にあり、身体中から吹き出た汗と飲み続けた水の印象が強く残る山でした。もう、トップシーズンが過ぎたのか、逢った登山者は朝日平での三人だけ。静寂の中の四日間でした。北又からの登りはブナの森が過ぎると飛び出した草原は、新しい標高に登り着くごとに新しい景色を見せてくれました。花の百名山でもある朝日岳は花期を過ぎても多くの花を見せてくれました。朝日岳からの栂海新道は、後で振り返ってしみじみと判ったのは、大きな高層湿原を何段にも雛壇のように重ねて、その中に清流や池塘、豪雪に押さえつけられたシラビソの木々を庭園のように連ねた素晴らしい景色の連続でした。そして、犬が岳からは絶えず海の気配のある、海に降りていく独特の雰囲気に満ちていました。雪国なのに夏は暑く、独特の森を持つ最後の部分。随所に動物の生き物の気配のあった栂海新道。「もう、二度と行きたくない。」とも思った下山後なのに、既に、違った季節の訪問を考えたくなる不思議な山でした。真夏は暑いだろうな?でも、花は良いよなぁ。本当は白馬から・・・、できれば後立山から繋げたら・・・、そんな想像がかきたてられる素敵な道でした。これほどの完成度の高い縦走、充実感のある山は中々無い・・・夏の終りに相応しい四日間でした。

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