登頂証明書

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 山岳ガイド「風の谷」では、講座にご参加いただいた皆様に登頂証明書をお送りしています。たどった道筋や風景を山田ガイドがまとめたものです。山にもいろいろな表情があることがおわかりいただけると思います。ひととき、素敵な山の風景をお楽しみください。

             
2013年 12月 12月21日〜23日 塩見岳
12月14日〜15日 富士山・雪上訓練
12月10日 谷川岳天神平・「やまあるき」雪上訓練と黒斑山
11月 11月30日〜12月1日 赤岳・ビバーク訓練
11月26日〜27日 唐松尾山から和名倉山
11月23日〜24日 空木岳
11月2日〜6日 マレーシア・ボルネオ島・キナバル
10月 10月29日 牛ノ寝通り
10月8日〜9日 鳳凰三山・薬師岳
10月1日〜2日 甲武信岳から雁坂峠
9月 9月21日〜23日 剣岳Y峰Aフェース・Cフェース
9月18日 日和田山・岩登り入門講習
9月10日〜11日 甲斐駒ヶ岳
9月3日〜4日 安達太良山
8月 8月27日〜30日 槍ヶ岳から北穂高岳縦走
8月24日〜25日 ヌク沢
8月20日〜21日 北岳
8月18日 大常木谷
8月17日 水根沢
8月3日〜5日 赤木沢から北ノ俣岳
7月 7月29日〜30日 槍ヶ岳
7月27日〜28日 剣岳
7月23日〜24日 金峰山
7月20日〜21日 前穂高岳北尾根
7月13日〜15日 真ノ沢
7月9日〜10日 鬼怒沼湿原
7月3日 編笠山
6月5月 6月30日 勘七ノ沢
6月29日 葛葉川本谷
6月25日〜26日 北八ヶ岳縦走
6月22日〜23日 股ノ沢
6月15日〜16日 釜ノ沢から甲武信岳
6月11日〜12日 甲武信岳
6月9日 水根沢
6月4日 笠取山
6月1日 逆川
5月 5月25日〜26日 和名倉沢
5月21日 日和田山・「やまあるき」岩登り講習
5月18日 三つ峠・岩登り講習
5月14日〜15日 雲取山
5月8日 川苔山
5月3日〜6日 白馬岳北方稜線
4月 4月27日〜29日 大天井岳から常念岳
4月23日〜24日 丹沢主脈縦走
4月21日 日和田山・岩登り訓練
4月17日 大岳山
4月13日〜14日 笊ヶ岳
4月9日 浅間嶺
3月 3月30日〜31日 仙ノ倉山
3月26日〜27日 天狗岳
3月23日〜24日 権現岳
3月16日〜17日 唐松岳
3月2日〜3日 小仙丈岳
2月 2月26日 鷹ノ巣山
2月24日〜25日 タカマタギ
2月19日〜20日 やまあるき・赤岳
2月16日〜17日 赤岳
2月9日〜11日 鳳凰三山
2月5日 三頭山
1月 1月19日〜20日 赤岳真教寺尾根
1月12日〜14日 越百山
1月8日〜9日 安達太良山
12月30日〜1月2日 爺が岳
2012年 1月〜12月の登頂記録へ
2011年 3月〜12月の登頂記録へ
2010年 10月〜2011年2月の登頂記録へ
4月〜9月の登頂記録へ
2009年 9月〜2010年3月の登頂記録へ
3月〜8月の登頂記録へ
2008年 7月〜2009年2月の登頂記録へ
1月〜6月の登頂記録へ
2007年 9月〜12月の登頂記録へ
3月〜8月の登頂記録へ
2006年 11月〜2007年2月の登頂記録へ
4月〜10月の登頂記録へ
2005年 9月〜2006年3月の登頂記録へ
2005年3月〜8月の登頂記録へ
2004年 12月〜2005年2月の登頂記録へ
9月〜11月の登頂記録へ
6月〜8月の登頂記録へ



塩見岳・・・撤退?

そう言えばクリスマスでした
そう言えばクリスマスでした

 以下の者は、2013年12月21日〜23日、南アルプスの中核にある塩見岳に鳥倉林道から目指し、三伏峠、本谷山、権右衛門沢源頭を経て塩見小屋まで到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

もう少しで頂上なのに
もう少しで頂上なのに

 ガンバリにガンバッたけれど、やはり頂上には届かなかった・・・、もう目の前に見えて岩の一つ一つまで見えているようで、やはり、その山頂は遠い存在でした。塩見岳の大きさと奥深さを実感させられた三日間でした。ずいぶん山奥に来たもんだ・・・と感心させられた大鹿村から更に奥へと続く林道が、雪が恐くてクルマを下りた先からの前方に開けた大きな山の眺め。雪をかぶり、南アルプスの主脈かと思えば、ただの前衛の尾根でしかない、本丸はまだまだ先でした。先行者の労苦のトレースがあっても、なお、三伏峠への道のりは大変でした。迫る夕刻、そして、ヘッドランプを準備してのテント設営、少しずつ降り出した雪、でも、満天の星空が頭上を覆いだしました。三伏山を越えて、本谷山を越えて・・・オレンジ色の輝く駿河湾と目を見張る大きな南アルプスの山々を眺めながらのラッセルが続きました。けして、手を抜いたわけでも休憩が長かったわけでもない。ひたすら、山の大きさに時間が足りなかったとの思いの強かった塩見岳です。本気で頂上を目指した者は十一人でした。そのうちの十人は時間切れで塩見小屋で撤退し、頂上に立った一人が自力では帰れなかった・・・。次は、このことの重大さを肝に銘じて必ず頂上に立ちましょう。

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富士山・雪上訓練

雪上訓練!
雪上訓練!

 以下の者は、2013年12月14日〜15日、富士山吉田口で行なわれた雪上訓練に参加し、五合目付近、吉田大沢等で、雪山雪上訓練に参加したことを証明します。

氏名 風 の 谷

噴火?いや、風が強いんです!
噴火?いや、風が強いんです!

 吹き下ろす風と共にバチバチと身体に音を立てて当たってくる小さな氷の粒、そして、富士山独特の砂礫。十二月の富士山は、雪上訓練に相応しい冬型の季節風の中にありました。ちょっと五合目下にテントを張るのは・・・厳しいかな?一晩中吹きつける強い風にバタバタと煽られるだけでなく、時としてはポールを抜かなくてはすっ飛んでしまう危険を感じて、遙か下の三合目にベースを置きました。ヘッドランプでの出発。やがて相模湾方向が明るくなり、赤く染まり、そして、前日に歩行訓練を専ら行なった斜面に出ました。あんなに沢山いたように見えた登山者は姿を隠し、僕たちの選んだ斜面には他に一パーティーのみ。危険を感じる強い風のために、より下の樹林の中で訓練していたようです。今回の訓練の中で、もちろん、滑落停止、カッティング等の技術もありましたが、基本的には、「雪の上を安全、確実に歩くこと」に主眼を置きました。「踏みつけ」、キックステップ、アイゼンを付けてのフルフラットの歩行、氷の部分でのフロントポイントでの登高こそ、最も大切にしたい技術です。そして、雪山登山に欠かせないピッケルの技術。手の延長として自分の物としてピッケルを使い切ること。歩く、支える・・・これを身につけていただく事が今回の訓練の目的でした。

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谷川岳天神平・「やまあるき」雪上訓練と黒斑山

大迫力の浅間山
大迫力の浅間山

 以下の者は、2013年12月10日、谷川岳天神平での「やまあるき」雪上訓練に参加し、11日、中信に転進し、車坂峠からトーミの頭を経て黒斑山(2414m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

黒斑山への登り
黒斑山への登り

 突然、スピードを落とし止まってしまったかと心配させられたゴンドラ。大きな室内もユックリと揺れ続けます。窓を打つ雪、霙。視界は全く効かず、ちょっと心配になります。これは、「やまあるき」雪上訓練の後、天神平からのロープウェイの帰りの事でした。初日に雪上訓練をして、翌日、天神尾根から谷川岳に登頂する予定でした。二つ玉低気圧の通過と激しく変わる天候と気温。最初は天神平へと上がるのも躊躇しました。霙から吹雪へと変っていく天候の中で、スキー場脇の雪面で基本的な歩行、アイゼンの装着から歩行、ピッケルの基本的な使い方・・・を繰り返し練習し、その上で天神峠からの周回のルートを歩きました。展望が効かず吹雪状に変っていく天候の中で改めて谷川岳周辺の雪のブナの森の美しさを感じました。翌日は、陽が差してはいたものの、強い風と雪雲を見て、中信の黒斑山へと転進しました。車坂峠からの八ヶ岳、奥秩父の佐久盆地を挟んでの美しい眺め、雪雲に徐々に占領されていく北アルプスが見事でした。そして、トーミの頭からの浅間山の大迫力な眺めは凄まじいものでした。谷川岳とは違い、サラサラとした雪の感触とその下に凍てついたバーンの経験は、また、一つの雪山経験だったと思います。雪の季節の始まりの「訓練」でした。

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赤岳・ビバーク訓練

見上げる大同心
見上げる大同心

 以下の者は、2013年11月30日〜12月1日、八ヶ岳西壁の大同心稜を赤岳鉱泉、大同心沢から登り、横岳を経て天望荘下でツェルトビバークをして赤岳に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

夕暮れの稜線を行く
夕暮れの稜線を行く
ビバーク中
ビバーク中

 赤岳鉱泉へと向う沢を何回も渡り返す大岩の所から、頭上に真白に雪化粧した大同心と小同心が見えました。「あそこを登るのかァ。」ついため息混じりで声が漏れます。ガイドで賑わう鉱泉を過ぎて、大同心沢から稜に取り付き、次ぎに大同心と出会ったのは、もう、頭を圧する位置の岩峰でした。ハラハラと氷のカケラを落としながら頭上にドーンとある姿は、中央道からも見えている姿とは違って大きく力強い物でした。右手の小同心にも一パーティー頑張っています。ルンゼに入り、次々と現れる傾斜の強い部分を乗り越え、少しの緊張と急傾斜の闘いを制して、急激に広がる雪の原。そして、もう、夕方の雰囲気が漂う横岳下の稜線へと飛び出しました。ずっと見えていたのに、初めて振り返られる北アルプスの稜線全て・・・。それは、登りはじめの銀色から背後から夕陽に照らされての金色へと変っていました。横岳からビバーク地点の天望荘下への稜線歩きはステキでした。気持ちは日没との競走で急いでいるものの、全く雲を見ない雪の夕暮れの稜線の美しさ、南アルプスが大きく、先週登った中央アルプス空木岳に夕陽が没しようとしていて、絵のような光景でした。胴震いと満天の星と夜景と風に明けて行ったビバークの一夜、光溢れる赤岳山頂も見事でした。

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唐松尾山から和名倉山

和名倉山への笹の道
和名倉山への笹の道

 以下の者は、2013年11月26日〜27日、奥秩父東部・奥多摩に跨がる多摩川水系最高峰・唐松尾山(2109m)に三ノ瀬集落から七つ石尾根、午王院平、山ノ神土を経て登頂し、将監峠から将監小屋に宿泊し、再び山ノ神土から東仙波、八百平を経て和名倉山(2036m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

唐松尾山近し
唐松尾山近し

 唐松尾山山頂付近から南北を見下ろすと埼玉県・荒川側と山梨県・多摩川側との全く異なる景色に改めて驚きました。南面の多摩川側は落葉しキツネ色に染まった穏やかな暖かな雰囲気に満ちた緩やかな斜面が足元に大きく広がっていました。反対の荒川側は対照的に深々と、暗い急峻な斜面となり激しく落ち込んでいました。奥秩父東部の登山地図を読むと、北面の荒川側はどこを見渡しても登山道の記載はなく広大な人跡未踏の地域として広く太古の姿で広がっています。僕自身、この広大な広がりに憧れ、「沢登り」という独特の登山方式で一つ一つの「暗い谷」を歩き続けてきました。黒くツルツルに水流で磨かれたゴルジュと呼ばれる両岸の迫った淀んだ淵、腹に染み渡る大音量で谷の全水量を落とす大滝。僅かに広がった小さな岩棚や自然にできた岩小屋での大焚き火を囲んでの一夜。そこは、長い間、僕の学校でした。唐松尾山、和名倉山は、そうして出会った山です。無数の滝を攀じ登り辿り着いた和名倉山、その下降も沢でした。ついに誰にも会わなかった二つの山、ブッキラボウなのに夜、薪を足してくれた将監小屋主人。楽しい二日間でした。

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空木岳

最後の登りをガンバル
最後の登りをガンバル

 以下の者は、2013年11月23日〜24日、中央アルプスの中核・空木岳(2864m)に伊那谷側・池山林道から取り付き、池山小屋、マセナギ、大地獄、空木平を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

帰り道、待っていたのはカモシカ
帰り道、待っていたのはカモシカ

 冬型気圧配置の通過と移動性高気圧の張出しの見事なまでの晩秋の晴天の下に中央アルプスはありました。伊那谷に向いた池山林道からは大きく、見事に南アルプスが甲斐駒ヶ岳から笊ヶ岳に至るまで全山が銀色の屏風となって輝いていました。ガサゴソと賑やかに音を立て続ける落ち葉の音。足元一面に広がるカラマツの金色の針。それも美味しい水を迸らせる池山の水場を過ぎると一面の雪となりました。木の間から見える木曽駒ヶ岳、宝剣岳の雪を纏った姿。それを見上げながらの登りが続きます。緊張の道が続き、ヨナ沢ノ頭からはどんどん増える雪。晩秋の中央アルプス・・・いつも、この時期、必ず積雪があり、その年初めての雪の感触が楽しめる山として登ってきましたが、ちょっと今年はワンランク上でした。ついに、先行者のトレースにワカンの跡が出てきて、空木平へのトラバースでは、完全なラッセルでした。目標の空木岳が目の前に聳え、振り向けば甲斐駒ヶ岳が天空に浮び、満天の星空の輝く空木平の一夜でした。早朝、ヘッドランプの出発。膝近くの新雪のラッセル。背後に焼けていく南アルプス。森林限界を越えて、今年初めての雪の感触に有頂天になる登りの果てに大展望の山頂はありました。

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マレーシア・ボルネオ島・キナバル

黄色いシャクナゲ
黄色いシャクナゲ

 以下の者は、2013年11月2日〜6日の日程で、マレーシア・ボルネオ島の東南アジア最高峰・キナバル(4095,2m)にコタキナバルからノーマルルートを経て11月4日早朝に登頂し、ヴィアフェラータルートを下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

点々と灯るヘッドランプの群れ
点々と灯るヘッドランプの群れ
頂上付近の岩原

 連日の雨に濡れた広大な花崗岩の岩原に飛び出し、頭上を見上げると満天の星。日本だと地平に近い位置にあるはずの、この時期のオリオン座は天空のど真ん中に美しく輝いていました。天の川は空の中に輝く「川」として光り続けていました。星雲の塊・大きな星の渦であるマゼラン星雲は特定できず、天の川の中に埋もれていました。ここまで、通常とは違う熱帯雨林の長時間降り続けた雨の中を登り、滝のようになったキナバルの山腹を不安に眺めての道程でした。それだけに、妙に暖かい、快晴の朝の中を眠気を堪えて出発できた心の高まりは独特でした。日本と違い3700m付近まで密集した熱帯雨林がシットリとあり、ヘッドランプの灯だけがたよりの道が続きます。そして、太いロープが設置された岩の中に入ったとたんの延々たる岩の道。振り返れば、山麓の村落から遠くコタキナバルまでの光の屑をまき散らしたような夜景。急な岩場を登りきり、サウスピークの裾を巻くと一気に開ける岩の原。ゆるやかな傾斜を一歩一歩と登り詰めるといち早く先行した登山者の灯が山頂付近に揺れています。最後の岩場を登りきり、山頂に立ったとたんの圧倒的な展望。そして、岩峰、日の出!全てがありました。

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牛ノ寝通り

紅葉のトンネルを行く
紅葉のトンネルを行く

 以下の者は、2013年10月29日、大菩薩連嶺と奥多摩を結ぶ歴史あるルート「牛ノ寝通り」を大菩薩峠から石丸峠を経て玉蝶山、榧ノ尾山、ショナメ、大ダワ、鶴寝山を経て松姫峠まで核心部を縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

ブナと紅葉
ブナと紅葉

 「牛ノ寝通り」なんと可笑しい楽しい名前なんでしょうか。例えば雲取山石尾根から、この大菩薩連嶺を見渡した時、大菩薩黒々としたヤマナミから三頭山とを結ぶ大きな尾根が見えます。遠目にも広々とした雄大な尾根。そして、なだらかで小さなピークを連ねながらユーモラスに続く稜線。それが牛ノ寝です。古い文献を見ると日本の登山の黎明期に田部重治氏らは、遠く御岳山から大岳山、御前山を越えて鶴峠から、この牛ノ寝に至り大菩薩に登っています。また、高尾山から三頭山に出て、やはり牛ノ寝を歩いています。僕が少年の頃、ショナメ、大ダワ、松姫峠辺りには点々と炭焼き竃があり、広葉樹が燃えるような色に染まった晩秋の森の中に静かに紫煙をたてながら炭焼きをしていたのを思い出します。毎年のように歩いている、このルートですが、本当に全山紅葉になるのは11月に入ってから。そして、時々、木枯らし一番に全ての紅葉が散り、色とりどりの登山道をガサゴソとキレイすぎる絨毯を蹴散らして歩いたりしたこともありました。思わぬ丸一日の雨。大変でしたが、濡れたブナやミズナラの巨樹。霧の中にボッと浮ぶ紅葉の道はそれなりの感動もありました。また、来年も晴天の下で、ぜひ!

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鳳凰三山・薬師岳

見事な薬師岳の紅葉
見事な薬師岳の紅葉

 以下の者は、2013年10月8日〜9日、南アルプス北部の白根三山の大展望台・鳳凰三山の薬師岳(2780m)に夜叉神の森から夜叉神峠、杖立峠、苺平、南御室小屋、砂払ノ頭を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

雲海
雲海

 台風の接近は、登山をする側からは大きな脅威です。まともに当たれば、下山自体が難しくなる・・・そんな心配をしながらの二日間でした。しかし、一方で台風という激しい自然の表現は、大気を動かし、風を入れ、次の季節を準備する物でした。夜叉神峠に登り着いた僕たちの目の前に現れた黄色や、赤に彩られた白根三山の冴え渡った展望、静寂の支配した原生林の中の道、そして、豊富な水が溢れ出る南御室小屋の素朴な佇まい、静かな時が流れました。そして、奥秩父の空が赤く焼けるような色に染まる中のヘッドランプでの出発でした。本当に急な森の中の斜面を登りきり、巨大な「ガマ岩」の一枚岩の影からは夜叉神から見たのとはワンランク違う凛とした北岳の姿がありました。砂払ノ頭からの、ようやく森林限界を迎えた白砂の道は有頂天にさせられる何かがありました。黄色く染まったダケカンバの最後の姿の上に美しく立つ花崗岩の岩峰、レンズ雲が舞う中に広がった夏には絶対に見られない群青色の空。そして、立った山頂からは白根三山の切り取ったようなクリアな姿と赤石岳までの広大な展望がありました。吹きつける風、降り出した雨、観音岳を諦めて逃げるように降りた鳳凰の山でした。

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甲武信岳から雁坂峠

着いた!雁坂峠
着いた!雁坂峠

 以下の者は、2013年10月1日〜2日、奥秩父唯一の岩稜・鶏冠尾根を目指し、台風の接近で断念し転進し、戸渡尾根から甲武信岳(2475m)に登頂し、笹平、西破風山、東破風山、雁坂嶺を越えて日本三大峠の一つ・雁坂峠まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 

ひたすらの雨の中の登り
ひたすらの雨の中の登り

 道の駅「みとみ」から見上げた鶏冠尾根。去来するガスの中、チンネ、第一岩峰、第二岩峰、鶏冠山、2017mピークを林立させて見事な山水画の世界を創り出していました。そして、予報どおり降り出した雨。向った近丸新道からの戸渡尾根は標高差も大きく、斜面も厳しく、道の整備も不十分で、それなりの登り応えのある道でした。鬱蒼とした森の道。時折、鶏冠尾根が見える以外、ジッと耐えての登りです。やがて、森の中の苔が増え、原生林が厚みを増し、主脈縦走路に出た嬉しさ。そして、木賊山を越えて煙を上げる甲武信小屋に着いた時の安堵感。寛いだ後、イオリさんの案内で「オコトヌシ様」を見に行きました。森の中に苔むしたコメツガの古木の株。まさしく荒川水源の主の風格がありました。屋根を叩く雨の音。「昼頃、最接近」の台風の情報。呻吟しながら向った雁坂峠への道でした。実は、この笹平、西破風山、東破風山、雁坂嶺、そして、雁坂峠への尾根道は奥秩父の中で最も人里離れ、奥まった部分です。原生林の北側、明るい雰囲気に満ちた南面。鹿の食害で多くの木々が傷つき、倒れていても、そこは深山の奥深さがありました。三大峠の一つ・雁坂峠には、秋の風が吹き抜けていました。

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剣岳Y峰Aフェース・Cフェース

剣岳Aフェース
剣岳Aフェース

 以下の者は、2013年9月21日〜23日、劔岳八つ峰に剣沢から長次郎谷を経てY峰Aフェース魚津高ルートを登攀し、下降し、Cフェース剣稜会ルートを継続して登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 劔岳の登攀ルートは、どこを登っても「登った!」という実感と達成感のあるルートばかりです。それは、一方で、それなりの苦闘の末に登りきる喜びでもあります。劔岳の場合、どうしても延々たるアプローチをこなし、剣沢にテントを張り、他の山々では考えられない早朝出勤をして、暗い中を独特の危険を孕んだ雪渓をヘッドランプで下降し、狭い出合から長次郎雪渓を辿り・・・頭上はるかに白んでいく空の下に目指す岩壁が茜色に染まって明けていく光景の素晴らしさを感じる・・・これが劔岳の登攀です。今回、期せずしてAフェースを登攀し、続いてCフェースを継続して登攀する充実の二本の岩壁を経験できました。しかし、その一方で八つ峰の岩稜を辿り、八つ峰の頭から劔岳主稜に入り劔岳に登頂し、別山尾根を下降するという登山としての「頂上」を踏むことはできませんでした。Aフェースはフリクションの効く快適な花崗岩の岩質と、キレイに入ったクラックのおかげで、傾斜は急峻でも、リスクを感じずにグイグイ登れる好ルートです。けれども、技術的には、やや容易でも空に向って真っ直ぐに登り、スリリングなリッジを通過するCフェースは、ぜひとも挑戦してもらいたいルートでした。テントから振り返るY峰は最後まで美しく双耳峰で天を刺していました。

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日和田山・岩登り入門講習

抜けるような青空の下でした
抜けるような青空の下でした

 以下の者は、2013年9月18日、奥武蔵・日和田山の岩場で、岩登りの入門講習に参加したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 真青な空が丸一日広がっていた日和田山です。乾いた岩場は、何故か訪れる者も少なく、岩登り初体験や入門の者には、とても登りやすい一日でした。「やまあるき」の岩登りの目的は二つ。登山の中で出現する「岩場」で安全に不要な恐れを感じることなく安心して行動できるようになること、そして、「岩登り」そのものを一つの登山の形態として楽しめるようになることです。
 最初に女岩の南面の比較的登りやすい斜面で、三点支持、確実なフットワーク、丁寧な登り方を確認しました。その上で、実際の登攀と似た形式で、ガイドがトップを登り、後続で全員が登り、懸垂下降で下降する・・・という形で練習しました。その上で、男岩南面のワンランク難しく傾斜のある岩場で様々な形態の岩場を登りました。最初の凹角が上部にある岩場では、細かいホールドの使用と不自然な形になりがちな岩の登り方を、次の上部が少し被った岩場では、上手なスタンスの使い方がメインの課題でした。日和田山を出発点に、もっと大きな岩場に挑戦していただければ幸いです。

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甲斐駒ヶ岳

最後の岩尾根を登る
最後の岩尾根を登る

 以下の者は、2013年9月10日〜11日、南アルプス・甲斐駒ヶ岳(2967m)に北沢峠から仙水峠、駒津峰、直登ルートを経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 全国にたくさんある「駒ヶ岳」の中でダントツで美しいのが、この甲斐駒ヶ岳。冬晴れの朝、中央線が甲府を過ぎるころ、中央自動車道が韮崎インターを過ぎるころ、左手車窓一杯に天空を突き刺す激しい山容で甲府盆地に迫り出すように聳えています。「あの頂きに立つ」それは、山が好きな者なら誰もが思う山です。出発点の北沢峠、入山中にも何回か話しましたが、この鬱蒼としたシラビソに覆われた峠は標高2032m、亜高山帯の始まりで、典型的な登山基地としての場所でした。1971年3月、登山者の多い北沢のテント場を嫌い、峠の長野県側に一人でテントを張った頭上を巨大なムササビが滑走して行った、あの静寂に満ちた雪の原生林の記憶が今でもあります。ヘッドランプを点けてのまっ暗な原生林から岩原の登り、星が一つ一つと消えていき、仙水峠方向が明るくなり、そして、見上げる位置に近すぎる圧迫感で迫る摩利支天の白い岩峰。既に姿を隠していた本丸である山頂は、ついに、僕たちには全容を見せてはくれませんでした。それでも、胸を突くような駒津峰への登りから急激に緑の失われた岩だらけの山頂への岩尾根、風化した花崗岩の白砂の一歩一歩は、まさしく、山頂へと迫る道のりでした。展望もなかった山頂。でも、満足感で一杯でした。

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安達太良山

美しい朝の空に騙されて・・・・
美しい朝の空に騙されて・・・・

 以下の者は、2013年9月3日〜4日、東北南部・の日本百名山の一つ安達太良山(1699m)に奥岳温泉から勢至平を経由してクロガネ小屋に宿泊し、峰ノ辻から登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

なんにも見えない山頂
なんにも見えない山頂

 秋雨前線と台風で日本海側を中心に大荒れが予想され、転進した先が安達太良山。夏から秋へ・・・静かに季節が移り行く中の独特の雰囲気の東北の初秋でした。強く吹く風と頭上の青空。初日によほど先に山頂に行ってしまおうかと悩みました。それでも稜線付近で一向に取れない黒雲、吹きつける強い風に雷を警戒し、まっすぐにクロガネ小屋へ!クマザサに覆われた馬車道と交差する登山道を登り、標高1000mを過ぎると飛び出した感じのある安達太良山から広々と続く広大な高原状の勢至平の灌木と草原の広がり。アサギマダラが飛んでいました。リンドウとアキノキリンソウが彩りを添えています。そして、何種類ものツツジ、ヤマブドウ、サルナシ。ちょうど花の季節ではないものの、秋の豊かな気配を満喫しました。実は、恥ずかしながら山田哲哉ガイドは、積雪期のクロガネ小屋、安達太良山は熟知しているつもりですが、夏から秋は初めて。豊かな緑に感激しました。素朴で優しい雰囲気のクロガネ小屋。目に入っても痛いほどの強く、熱い硫黄の温泉でした。明け方、上空を流れる巻雲に午前中の好天を託したのですが、出発直後に降り出した雨は止むことなく、山頂は強い風と雨の中でした。這いあがった山頂にしがみつくような安達太良山。また、雪の季節に来ます!

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槍ヶ岳から北穂高岳縦走

 以下の者は、2013年8月27日〜30日、北アルプスの盟主・槍ヶ岳(3180m)に上高地から槍沢を経由して登頂し、大喰岳、中岳、南岳を越えて大キレットを通過し、長谷川ピーク、「飛騨泣き」を経て北穂高岳(3106m)まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 槍ヶ岳の穂先に立ち、南を望み、岩だらけの穂高岳連峰と対峙し、他の北アルプスの多くの山々が岩と雪に覆われていながら、緑なす山であるのに対して、なんと厳しく激しい容貌であるかと改めて思いました。悪天を告げる天気予報、それでも、夕方の飛騨側の一瞬の夕焼けに・・・もしかして・・・の思いをもって迎えた朝、満天の星空と吹きつける風。そして、快晴の空の下、勇躍して目の前に聳える巨大な岩の塊・・・北穂高へと向かいました。岩だけしかない、殺風景な眺め、激しい姿で屹立する滝谷の岩場、そして、優美に広がる横尾本谷と北穂ノ池の穏やかな表情との対比。大きく下り、大キレット、そして、一つ一つ切り立った岩場を乗り越えて長谷川ピークを過ぎ、到着したA沢のコル。見あげる北穂高への岩場は急傾斜で、気持ちの上では、ほとんど垂直にも見えました。岩を乗り越え、リッジを恐々と渡り、クサリにしがみつき、滝谷の上をトラバースし、思いの外、近くに北穂高の小屋が見えました。大きな岩の堆積のような急斜面。ときおり、滝谷が覗けて、吹き上げる風は既にガスが混じっていました。最後の急斜面を攀じ登り、小屋のテラス、そして、久遠の北穂高の山頂はありました!

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ヌク沢

大滝を登る
大滝を登る

 以下の者は、2013年8月24日〜25日、奥秩父笛吹川ヌク沢左俣右沢を出合から近丸新道を横断し、三段200m大滝を攀じ登り、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 最後の堰堤の下からまっ茶色な水が吹き出しているのを乗り越えて、初めて僕たちは、本来あるべきヌク沢の姿と出会うことができました。ヌク沢の「ヌク」とは「温い」から来ているとか。あの堰堤ができる以前、というより、鶏冠山林道が建設される以前は、出合からナメ滝を越えて近丸新道を越えてから二俣の間は、比較的広い沢床にずっとナメ床が連続していたことを知っていてください。鶏冠山林道から、そのまま落ちてきた巨岩と、工事のブルドーザーの通過が、石だらけの死臭のする谷を作ってしまいました。それだけに、二俣からの白い花崗岩の滝の連続は有頂天になるほど嬉しいものでした。大滝下段を乗り越えて、はるか上から飛沫となって降り注ぐ大滝中段の雄姿と出会った感動は毎回、小さくありません。そして、ナメ滝となった上段を越えて、その上から始まる両岸にシラビソの森の迫る風化した花崗岩の苔むしたナメの連なり、地形図にも明瞭に記された大崩壊を越えて、ヒッソリと森の中に消えていく静けさ。以下に中流部が荒れ果てようとも、この沢は、やはり、魅力的です。本当は行くはずだった和名倉沢。大きな山容とエスケープとりにくいため、今回は転進しました。いつか、遠くない日に必ず行きます!

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北岳

頂上近し!
頂上近し!

 以下の者は、2013年8月20日〜21日、日本第二位の高峰・南アルプスを代表する名山・北岳(3193m)に広河原より白根御池小屋に宿泊し、「草スベリ」を経て小太郎尾根を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

降りてきてヤナギランの花畑から見あげる
降りてきて
ヤナギランの花畑から見あげる

 雲が垂れこめ、星一つない夜明け前の空。「やまあるき」では滅多にないヘッドランプを点けての出発。ライトの灯の照らす中には「草スベリ」に点々と咲く花が浮かび上がります。シラビソの森がダケカンバの中の道となり、それもハイマツの中に続くころ、ようやく小太郎尾根の稜線に登り着きました。いきなり、強く吹く風、連日の猛暑が嘘のような寒さ。それでも少しずつ、背後に鳳凰三山が浮かび上がり、そして、去来する霧の中に時折、仙丈岳と甲斐駒ヶ岳が見えだしました。肩ノ小屋を前にして、よりいっそう強い風が吹き、一気に周囲の山々が広がりました。鳳凰三山から遠く南部の兎岳までの山々が浮かび上がります。足元、伊那谷を挟んで中央アルプスの姿も見えます。そして、雲海の上に富士山の姿も。文字どおり、北岳の「肩」に建つ肩ノ小屋までの道も、そこから先の岩の中の道も様々な種類の高山植物の中にありました。もう・・・頂上?と思った最後の高まりの先に、人が立っている場所。そこが待ちに待った山頂でした。全く期待していなかった四方に広がる展望。間ノ岳への広大な大きな稜線はとりわけ魅力的でした。周囲に、北岳より高い場所はない!満足感一杯の山頂でした。

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大常木谷

 以下の者は、2013年8月18日、奥秩父東部・奥多摩最奥部の多摩川水系・大常木谷を一ノ瀬林道から一ノ瀬川に下降し、大常木谷出合から五間ノ滝、千苦ノ滝、山女淵、早川淵、不動ノ滝と核心部を溯行し、御岳沢出合から会所小屋跡から大常木林道を「ムジナの巣」へと周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 記憶を辿れば十五歳の時に、この谷を溯行してから四十三年の年月が経過しました。まだ建設途上だった一ノ瀬林道。青梅街道から林道を辿り、あの、大きく大常木谷が見下ろせる場所から少しガスのかかった久遠の谷と対峙した時の胸の高まり、そして、懸垂下降を含めて一ノ瀬川に下降し、出合に到達した時の感動は、今も忘れられません。足元が水流で磨かれた玉砂利だったこと、五間ノ滝が釜が深く、高巻きをしようとしかけて、水線どおしに直登したこと、千苦ノ滝で高巻きが大きすぎて、下降に苦労したこと、山女淵は今より埋まっていて胸までの徒渉で通過したこと、そして、会所小屋には作業員がいて、賑やかだったことを思い出します。伐採、堰堤、人工林、多摩川水系の他の全ての谷に行なわれて人の手の破壊が一切ない谷、それ故に頭上を覆う原生林が分厚く、太古の自然の中に居ることが本当に心を休ませることを嬉しく思います。今回、このシーズンの初体験講習としての前日の水根沢のステップアップのプランとして日帰りだった、この谷ですが、ぜひ、再び大焚き火を囲んで溯行したいものです。

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水根沢

 以下の者は、2013年8月17日、奥多摩・鷹ノ巣山付近より多摩川へと流下する水根沢を水根集落より、第一のゴルジュ、修行ノ滝、大滝、半円ノ滝と核心部を溯行し、水根沢登山道まで到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 炎天下の奥多摩駅前、出発点の集落にもギラギラと照りつける太陽がありました。それだけに、冷たい水に足から身体全部を漬けての沢は爽快でした。水根沢は独特な谷です。鷹ノ巣山の東側・水根山から注ぐ谷は中間部で傾斜を落としてから両岸を屹立させて、標高からは考えられないゴルジュを形成し、黒々とした廊下として見事な谷間を作り上げています。大きな滝こそないものの、次々と現れる淵、釜を「へつり」で越えて、滝を乗り越え、進んでいく爽快感は独特のものがありました。本来の沢登り・・・それは、山頂へと最も合理的に変化に富んだルートとして、出合から水源まで辿り、登ってきた谷を見下ろす・・・という登山形式とはちょっと違いますが、駐車場から二分で谷に入り十五分で駆け下りてくるゲレンデ的な楽しさがありました。沢登りの楽しみ方は、沢の数だけあります。一つ一つの谷の魅力を引き出すのは登山者自身の創造性にあります。また、今回は、この谷の比較的無理なく、誰でも入れ、簡単にエスケープできる事から多くのパーティーと出会いました。これも、沢登りとしては極めて珍しい事です。今回の水根沢を出発点に多くの沢に挑戦してください。

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赤木沢から北ノ俣岳

 以下の者は、2013年8月3日〜4日、北アルプス最奥部・黒部川奥の廊下に折立、太郎平経由で入山し、兎平手前に宿泊し、赤木沢を出合から水源まで完全溯行し、北ノ俣岳(2661m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 シュラフに入り、見あげた夜空には一つ一つと星が増え、アッと言う間に空一面、見事な星屑で埋めつくされました。ときおり、彗星のような流れ星が夜空を横切ります。激しい瀬音を立てていた黒部川源流奥ノ廊下は、ここでは、美しい瀞となって静かに流れていました。北アルプスの最奥部に泊まっていること、人里遠く離れた場所に寝ていることが無常の幸せに感じられた一夜でした。赤木沢は見事な谷でした。上の廊下から奥の廊下、源流に至るまで、急流であっても、滝を持たない独特の川である黒部川が、初めて小滝とゴルジュを連続させだした、その只中に美しい瀞と堰堤のような滝となって注ぐ谷は、そこから水源のさいごの一滴に至るまで、徹頭徹尾、ナメ滝とナメ床、連続する美しい滝となって、続きました。普段見慣れた奥秩父などのたにと決定的に違うのは、赤木沢に入れば、既に原生林は疎らとなり、両岸は見事な花畑となって続き、底抜けに明るい谷筋は圧迫感なく続きます。残念なことに、悪天につかまり、目の前の景色のみが見られた状況でしたが、背後に大きく広がる水晶岳、鷲羽岳を筆頭に広大な大展望の中を溯行する幸福感は最高です。最後の見事な花園、雪渓も最高でした。

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槍ヶ岳・・・撤退

増水した槍沢・・ちょっと恐い

 以下の者は、2013年7月29日〜30日、北アルプスの象徴・槍ヶ岳を目指して上高地から明神、徳沢、横尾と辿り、一ノ俣谷出合を越えて槍沢ロッジまで到達し、悪天のために撤退したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 ついに、穂高岳連峰の勇壮な姿も、槍ヶ岳の姿も、拝見しないままに終わった二日間でした。梓川の上流部分ではあっても、西鎌尾根と横尾尾根の大きな稜線に挟まれた谷筋は、雨は強く、谷は濁り、激しい山の姿を見せてはいても、風などは吹いていませんでした。中央アルプスでの大きな事故の様子を聞いても、3000m近い稜線では、歩行不能な厳しい条件もあったのではないでしょうか?それでも、上高地からの道は、明神岳、穂高岳の高まりがガスの中でも感じられ、ふと、見る、道端の花もセンジュガンピ、シャジン、シロバナイチヤクソウと独特の北アルプスの花でした。徳沢を過ぎ、横尾が近づき、いっこうに衰えることの無い、雨足に少しずつ恐怖感を感じました。狭い谷筋を通る槍沢への道の状態への不安に、下山してくる人毎に「槍沢は大丈夫でしたか?」「槍には登れましたか?」と尋ねる時が続きました。風化した花崗岩が、谷にせりだした箇所などは安全に不安を感じる箇所もありました。そして、到着した槍沢で、願いも虚しく、屋根を打つ激しい雨音。「山は逃げない」とは言うものの、本当に登りたかった槍ヶ岳の穂先の雄姿が頭をかすめます。

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剣岳

カニのタテバイ・・・雨

 以下の者は、2013年7月27日〜28日、北アルプスの王者・剣岳(2998m)に室堂から剣沢に宿泊し、別山尾根を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 剣岳は大きな山です。おそらく、日本の山の中で、その大きさ、峻険さ、四季を通じての困難さ・・・それら、全部を合わせて最も困難で厳しく、美しい山だと思っています。剣岳は岩と雪で出来上がったピークです。涙を呑んで中止した源次郎尾根もそうですが、今回登った別山尾根にしても、名前こそはいずれも尾根ですが本峰南壁のA4に当たる立派な岩稜が一般登山ルートとして整備されただけです。あそこから、全てのクサリとハシゴを撤去したら、シッカリした岩の登攀ルートの一つに変身するはずです。別山乗っ越しに立った瞬間にドーンと音を立てそうな勢いで出会う巨大な岩の塊、あらゆる稜線、リッジに白く食い込む真白な雪のアクセント、剣岳は剣沢のテント場から一日中見ていても飽きない何かがあります。
 源次郎尾根は絶対に登りたいルートの一つでした。花崗岩のフリクションの効く岩質、左右に平蔵、長次郎の雪渓を従えた高い露出感、そして、山頂そのものへ突き上げる登山としてのバリエーションルートの完成度の高さがあります。今回、初日の雷雨の迫力に「こんな目に登攀中にあったら、大事。」と当然の心配をして、やはり、登りようのなかったルートでした。次ぎも、そのまた次ぎも、ぜひ、より魅力あるルートから剣を目指してください。 

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金峰山

八ヶ岳に沈む夕陽

 以下の者は、2013年7月23日〜24日、奥秩父の王者・日本百名山の一つ・金峰山(2598m)を廻り目平から中ノ沢出合を経て金峰山小屋に宿泊し登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 車道だけれど、金峰山川に沿った道端には小川山の岩場が山水画のように屹立し、ボルダーと格闘するクライマーの姿も見え、独特の楽しさと爽快さがありました。水晶の屑を探した場所、メボソムシクイが目の前に止まっていた場所を過ぎ、タマネギの置いてあったクルマの横には悠然と泳ぐイワナの姿がありました。カラマツの明るい森なのに美しい苔がビッチリと付き、急激に一歩一歩と登り詰めていきました。時折、バラバラと降る雨にカッパを脱いだり着たり、そして、地面に点々と落ちる上品なハクサンシャクナゲの花びらに見上げる木には見事な花がアチコチに咲いていました。「もう、限界」という頃に見つけた大岩。より一層、深くなった原生林とゴヨウマツの木々の間にポンと、金峰山小屋が待っていました。アットホームな小屋と、全く期待していなかった金色に輝く八ヶ岳連峰に沈む夕陽、そして、清里の夜景。ステキでした。
 朝一番の濃いガスに期待していなかった山頂への道。でも、八ヶ岳が前日以上の大きさで聳え、甲斐駒ヶ岳が姿を見せ、明るく岩だらけの五丈岩の広場に出ました。歩きにくい岩の上を渡り、立った山頂。行き交うガスの中に時折開ける展望に、奥秩父の異色の王者の姿を感じました。

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前穂高岳北尾根

ビバーク中の食事風景
ビバーク中の食事風景

 以下の者は、2013年7月20日〜21日、北アルプス穂高岳連峰の前穂高岳北尾根を上高地から横尾、涸沢と辿りX・Yのコルに宿泊し、V峰のチムニーを登攀し、登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

V峰へ!
V峰へ!

 残雪の多さと、打ち続いた悪天の報せに出発直前まで予定通りの行動を逡巡していた僕たちの寝不足の目の前に、真青な空と巻積雲が流れる穂高岳連峰の姿がありました。この夏、最初の好天が訪れていました。初めて穂高を訪れた者が三人。上高地、徳沢、横尾と時々刻々と移り変わる素晴らしい光景は、素晴らしいものでした。新村橋で北尾根が見えました。圧倒的な迫力で屹立した東壁と奥又白谷の真白な雪渓、そして、スカイラインとなって明るい表情を見せる北尾根。「アソコを登るんだ、アソコを!」心の高まりは、何回も、何十回も見てきても変わることのない思いです。屏風岩の裾を廻り、ジグザグの急坂を登り切り、傾斜は落ちたように感じる涸沢への道。最初に北尾根が見え、奥穂高が見え、そして、涸沢ヒュッテの鯉のぼりが見え、雪の上を眩しさに目を細めて辿り、そして、北穂高岳を見上げる涸沢圏谷に辿り着いた感慨は、いつも最高です。X・Yのコルでの泊まりは北尾根登攀の最も楽しい時です。穂高岳連峰を独り占めにする快感。ザイテングラードを辿る登山者を尻目に飲むビールの味。満天の星と月と下界の打ち上げ花火と、そして、夜景。夜中に大きな動物の気配がして、目覚めると流れ星が飛びました。ハイマツ混じりのX峰の登り、一変して殺風景なW峰のガラガラの岩壁。そして、緊張のV峰。目の前に前穂高の標識が見え、最後の岩場を乗り越えると上高地が見える快感!北尾根は素晴らしいルートでした。

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真ノ沢

釣れた!秩父イワナ
釣れた!秩父イワナ

 以下の者は、2013年7月13日〜15日、奥秩父北面・荒川水系の荒川本流・入川を入川渓流釣り場から赤沢谷出合、柳小屋と辿り、真ノ沢に入り「通らず」を越えて、武信白岩沢出合で大焚き火を囲んで泊まり、千丈ノ滝、不動ノ滝、駒鳥ノ滝を越え荒川水源に至り、甲武信岳(2475m)に登頂し、十文字峠へと縦走し、十文字峠道に入り、三里観音手前の尾根から赤沢谷を下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

水源近し!
水源近し!

 東京湾に注ぐ雄大な荒川を最後の集落、川又奥から水源まで辿る見事な沢登りでした。久しぶりの三連休とあって、荒川本流には釣り師の姿が見られました。柳小屋を過ぎると、そこから水源までは誰一人の姿も見ない、太古の谷の中の溯行でした。真ノ沢に入ると、頭上を覆う緑は濃さを増し、顔の色まで緑色になりそうな気配でした。それにしても、なんと大きな木々が林立する谷なんでしょう。サワグルミ、シオジ、カツラ・・・。一抱え、二抱えあるような巨樹の中の溯行です。ツルツルに磨かれたゴルジュの続く「通らず」。高巻きから見下ろす滝と釜の連続は素晴らしい物でした。長時間の行動にヨタヨタになって泊まった谷の中。焚き火がゴーゴーと音を立てて燃え、錆色のお腹をした秩父イワナが楽しい一夜を見せました。千丈ノ滝は不思議な滝です。大水量を落としながら、何故か激しい音のしない、静かに落ちる巨大な滝でした。真ノ沢の溯行は、ここからが魅力でした。次々と現れるナメ滝、水温は冷たくなり、苔の上を滑るように落ちる光景は奥秩父随一です。やがて水源の碑が見え、甲武信岳、十文字峠への縦走が待っていました。下降に使った赤沢谷の不思議な雰囲気。人家の跡。夢のような三日間は夏ツバキと共に過ぎました。

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鬼怒沼湿原

 以下の者は、2013年7月9日〜10日、鬼怒川温泉のはるか奥、奥鬼怒温泉郷を女夫淵温泉から鬼怒川沿いを溯行し、八丁の湯を経て日光沢温泉に宿泊し、オロオソロシの滝展望台を越えて鬼怒沼湿原に到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 地形図の上で想像するよりも、はるかに長い距離の登りを征し、はるかにキツイ傾斜の中を歩き続け、道は静かに湿りけの多い濃い原生林の緩やかな登りへと変わりました。奥秩父や八ヶ岳の単一の森と違い、広葉樹の中にアスナロの真っ直ぐな木があり、シラビソの森の中にトウヒの木もあります。対岸の根名草山が少しずつ、確実に肩を並べてきました。「もう、近いはずなのに・・・。」ちょっと焦らされているようなもどかしい気持の末に、鬼怒沼湿原は唐突に姿を現しました。森の中から飛び出すように躍り出た高層湿原。まず、目に入ったのはコバイケイソウ。そして、点々と散らばる小さな湖と池、そして、広々とした見事な草原の広がりでした。至る所に花があります。小さな小さなヒメシャクナゲがありました。青い星をばら蒔いたようなタテヤマリンドウがありました。湿原一杯にワタスゲが揺れています。モウセンゴケ、チングルマ、イワカガミ。そして、ノンビリと広がる湿原の上には移動するに合わせて日光白根山や、まだ雪をいただいた燧ヶ岳も見えます。前日の素朴な宿の温泉と、静かすぎる一夜で休まった身体が素直に解放されていく鬼怒沼湿原の一時でした。

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編笠山

展望はなくても花がキレイでした。
コケモモとゴゼンタチバナ

 以下の者は、2013年7月3日、八ヶ岳南端・連峰最後を飾るその名の通りの山容の編笠山(2523m)を観音平から雲海、押手川を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 梅雨真っ只中。もしかして、一日、雨かも。でも、結局、防寒目的以外ではカッパを着ることはありませんでした。歩き出した観音平は、既に標高1400m以上。もし、晴れていれば南アルプス北部の雄大な展望の中のはずでしたが、展望に目を奪われない分、周囲の花に目が行きました。クルマの中からは最近、鹿の食害ですっすり姿を消したと思っていたシモツケがピンクの花を見せていました。歩きだす頃にはアヤメとレンゲツツジが見送ってくれました。観音平から編笠山までの標高差はらくに1000m以上。地形図を見ても一瞬たりとも傾斜が緩むことはありません。緩く続く、カラマツと小笹の気持ちよい明るい広がり、疲れた頃に到着する「雲海」の広場。徐々にカラマツがモミとシラビソに代わり、それに伴って広がる重厚な苔の斜面。積み重なった火山性の岩の間に倒木が積み重なり、その上に濃く薄く着いた苔。岩と展望のイメージしかなかった南八ヶ岳の南端に北八ヶ岳を思わせる苔と原生林の美しい森のあったことを改めて知らされた思いがします。押手川を過ぎてガスが周囲を覆い、展望への期待はますます萎んでいきましたが、一方でゴゼンタチバナ、イワカガミ、ハクサンシャクナゲが辺りを囲みます。風とガスの何も見えない山頂でしたが編笠山はステキでした。

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勘七ノ沢

 以下の者は、2013年6月30日、表丹沢・四十八瀬川の勘七ノ沢を出合からF1を越えてF2、F3、F4、大滝と乗り越えて核心部を溯行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 勘七ノ沢は丹沢らしい滝登りに終始する、なかなか特徴的な谷です。沢登りに人気があった頃は、一つ一つの滝に順番待ちができるほどの大盛況だった時代を持ちます。出合からすぐに現れるF1、次々と滝が現れて、微妙な釜のヘツリ、違った雰囲気の滝の出現、前日の葛葉川と違って両岸が屹立したゴルジュとなり、黒々と光る岩とあまり陽の射さない独特の暗さは威圧的です。それでも、一つ一つの滝は、確実なハーケンが適度にあり、終了点にも安定的なアンカーがあり、ある意味で落ちても確実に止められる環境があり、滝そのものも難しい物はなく、沢登りの一つのタイプの典型だったと思います。残念なのは沢登りがもっとメジャーだった頃の名残で、滝には看板が着けられ、自分たちで地形から沢の全体像を想像する楽しみが少なかったことです。人数が多く、様々なことがあり、沢の途中、核心部として大きな滝が連続するのが終了する地点で溯行を終了してしまいました。「風の谷」の沢登りは、体験として沢を歩いてみた・・・ことを目標とする物ではありません。沢が創り出す独特の世界を楽しみ、その課題を解決しながら水線から山頂を目指す「登山としての沢登り」です。どんなに小さな突起でも、「頂上としての場所」に至る変化に富んだルートとして沢登りに親しんでいただきたいと思います。花立まで登れなくてスイマセン。

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葛葉川本谷

 以下の者は、2013年6月29日、丹沢・葛葉川本谷を「葛葉ノ湯」から溯行し、横向きノ滝、板立ノ滝、曲滝、冨士形ノ滝と直登し、水源まで溯行して三ノ塔(1204m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 沢登り人気が少しずつ翳っているように思える最近でも、ここ葛葉川だけは大人気。前後に四パーティー、さすがに順番待ちまではいきませんが、久しぶりの他のパーティーのいる沢登りでした。なんと言っても、クルマから降りて30秒で降り立てる沢。すぐに現れる釜を持った小滝。ここで、さっそく落ちる人がいたりで盛り上がり、最初に現れる立派な滝では、最初の一歩で頭から大量の放水を浴びて、全身ビショヌレで、もう恐いものなし!次々と現れる小滝は、サラサラと流れる水を浴びながら快適に越えて行けることができました。沢は滝が連続する割りには屹立したゴルジュはなく、明るく開放的です。見上げる緑は濃く、丹沢の中では自然環境が維持されているように思えました。ちょっと頭を使う板立ノ滝、曲滝を越えると、残念な車道の横断でした。車道の上も飽きることなく滝が続き、ザイルを使わないでも良い程度のキレイな小滝が続きます。そして、冨士形ノ滝。正面を登り切ると、少しずつ水が減り、靴を履き替えました。ここからが一番大変。滑りやすい泥斜面を恐々と登り、杉の植林地帯に出た時にはホッとしました。見渡す尾根には白い花が点々と咲き、「なんの花だろう?」と言い合っていたら、近くでみたらキレイな四枚の花弁?を着けた手裏剣のような形のヤマボウシの花でした。登り着く三ノ塔の山頂からはすぐ直下まで迫る住宅街と相模湾の姿、そして、塔ノ岳への表尾根・・・。楽しさの一杯詰まった葛葉川でした。

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北八ヶ岳縦走

一面に咲くイワカガミ
一面に咲くイワカガミ

 以下の者は、2013年6月25日〜26日、北八ヶ岳の核心部を麦草峠から茶臼山(2384m)、縞枯山(2403m)、雨池峠を経て坪庭から北横岳(2480m)に登頂し、亀甲池から天祥寺原を通り蓼科山(2530m)へと縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

亀甲池から・・・
亀甲池から・・・

 梅雨時の北八ヶ岳。一見、原生林だけの世界と思える森林高地の山々は、実は、中に分厚い溶岩台地を抱えており、その上に十重二十重と倒木が積み重なり、それが苔むした広大な森でした。所々に、その溶岩台地が取り残され、岩峰となって原生林の海の上に聳え立ちます。茶臼山展望台、縞枯山展望台等と名付けられた晴れていれば展望の地は、そんな場所です。クルマの疾走する麦草峠から一歩山に入れば、茶水池の小さな池を通り、僅かで物音一つしない静寂の世界へと代わりました。中小場から見上げる茶臼山は一面にシラビソ、モミの樹林を分厚く纏い、大きくも聳えていました。展望台の廻りだけ高山の雰囲気を醸しだし、イワカガミの咲く斜面からは遠く横岳奥ノ院が見えました。早くも降りだした雨に縞枯山を越えて三つ岳はあきらめ、蕭々と風の抜ける雨池峠から北横岳のヒュッテに向かいました。メボソムシクイの鳴き声に起こされた朝、期待した日の出ではなく濃いガスの中でした。北横岳を越えて亀甲池へと向う道は、おそらく北八ヶ岳随一の深い原生林です。幽玄な亀甲池に降り立つまで気づかない森の深さでした。天祥寺原からの谷そのものを辿るような将軍平への登り。岩だらけの蓼科山への登りは激しくなっていく雨の中の道でした。風雨の荒れた蓼科山の岩原。遠く麦草峠から歩き続けて、ようやく到達した遙かな縦走の終着駅でした。

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股ノ沢

終了点近く「美しい滝」
終了点近く「美しい滝」

 以下の者は、2013年6月22日〜23日、奥秩父荒川水系入川股ノ沢を入川渓流釣り場から赤沢谷出合、柳小屋を経て、二俣から左俣に入り股ノ沢林道まで溯行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 股ノ沢は、奥秩父の最も奥を流れる穏やかな谷です。もちろん、真ノ沢を分けると両岸は屹立し、大きなゴルジュを形成しますが、頭上を覆う太古からの原生林は濃く、斜面も木々に覆われ、そのために威圧感の少ない、激しさを感じさせない谷筋です。足元を素早くイワナが逃げていきます。谷には鳥の声が響きわたります。沢というよりは、「谷」という雰囲気に満ちた入川。柳小屋の先で本流である真ノ沢と分かれた股ノ沢は、極端に激しい流れや、滝場は少なく、所々にある、大きな釜を持った滝を小さく高巻きしながら越えていく谷です。かつては、柳小屋を拠点に周辺の谷を何日間かにわたって釣り歩く、本物の釣り師が多く入っていましたが、そんな釣り師の着けた踏み跡も消えがちで、谷の音だけが聞える静寂の谷が続いています。谷自体は激しさは無いものの、奥秩父の中でも、最も奥まった所にあり、周囲を通る股ノ沢林道、真ノ沢林道(特に後者)は踏み跡程度となり、しみじみと山奥にいることを感じました。上流に向かい、水量が減ってくると、サラサラとスダレ状に流れ落ちる滝が増え、涼しげな滝の音を響かせていました。入山から下山までついに登山者には会いませんでした。かつては、三峰神社から川又を経て最も多くの登山者が通ったと言われる真ノ沢林道が、実質的に廃道となり、地図を広げれば奥秩父の埼玉側・北側斜面は広大な地図の空白部として広がっています。その一つ一つの山肌、谷筋に自分たちならではのルートを作る喜びに満ちた山域でした。

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釜ノ沢から甲武信岳

両門ノ滝到着!
_両門ノ滝到着!

 以下の者は、2013年6月15日〜16日、奥秩父を代表する渓谷・笛吹川東沢釜ノ沢を二俣から東沢に入り、清兵衛沢、ホラの貝沢、ホラの貝を越えて山の神から東沢本流に入り、東御築江沢、乙女ノ沢、東のナメ、西ノナメを経て釜ノ沢を溯行し、魚留ノ滝、千畳のナメ、両門ノ滝、ヤゲンの滝を越えて最後の大ナメを越えて水源まで到達し、甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 西沢渓谷二俣から水源まで、標高差1300m、6時10分に出発して甲武信小屋到着が午後3時30分。最後の最後まで刺激的な出会いが続き、精一杯の溯行でした。笛吹川の水源に至る、この釜ノ沢の溯行は、文字どおりの登山としての沢登りの典型です。二俣では「川」といった雰囲気を持った笛吹川は、ホラの貝を越えて「谷」といった様相になり、釜ノ沢に入り水源の沢らしい雰囲気を醸しだします。水師沢出合付近、頭上に咲き残ったアズマシャクナゲが霧の中にぼやんと霞んで見える頃、とても水が冷たく代わり標高がグイグイと登ってきたことが判ります。それにしても、なんと多くの素晴らしい景色を見せてくれる沢だったことでしょう。澄み切った水の中を徒渉し、鶏冠谷が合流し、清兵衛沢が滝となって目の前を落ち、ホラの貝の大きく磨かれたゴルジュに感嘆し、乙女ノ滝のシブキを浴びて、東のナメの雄大すぎる岩壁と出会い、西のナメの穏やかな表情と出会い、そして、釜ノ沢に入る。釜ノ沢に入ってからの夢のような光景の連続とヒタヒタとナメの上を歩く感触もステキでした。これら一つ一つの支流も全て溯行価値があり、その支流も遡れます。何回、何十回と通っても引き出せる魅力があります。釜ノ沢バンザイ!

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甲武信岳

荒川水源への道
荒川水源への道

 以下の者は、2013年6月11日〜12日、奥秩父の中核・日本百名山の一つ・甲武信岳(2475m)に、毛木平から、ナメ滝、美味しい水の平、千曲川水源を経て登頂し、武信白岩、大山を経て十文字峠まで縦走し、毛木平まで周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

乙女の森
乙女の森

 今回、千曲川水源から甲武信岳、十文字峠へとグルリと一周する間、二回にわたって、「秘密の道」を歩いてきました。一つは千曲川水源から三宝山と甲武信岳とのコルに出て甲武信岳に行く、甲武信小屋のボッカ道。もう一つは、真ノ沢林道を一部降り、2380mピークと三宝山とのコルから十文字峠へと至る尾根へと巻いていく道。ボッカ道は長野側の荒川水源の上部を通る道であり、巻き道は、埼玉・秩父側をトラバースして行く道でした。長野側の明るい森に比べて、秩父側の巻き道は重厚なシラビソの森と分厚く積もった苔、その下に何重にも積み重なった朽ち果てた倒木、そして、苔や倒木から生える生れたばかりの幼木の小さな芽。何代にも渡って静かに、確実に積み重ねられた森の歴史と生命の循環・・・、この重みズッシリと感じ取る太古からの原生林でした。あいにく、台風が梅雨前線を刺激し細かい雨が静かに降る中の二日目でした。空梅雨に乾いていた森は、久しぶりの恵みの雨にキラキラと元気を取り戻し、シットリとした潤いに満ちていました。僕が、尊敬している十文字小屋の開祖・山中邦治さんが、「私は長い間、晴れていると良い天気で良かった・・・と言ってきたが、最近、それは違うのが判った。この十文字峠では、霧が立ち込め、苔や木がシットリとした時こそが良い天気なんだ」と言っていました。奥秩父の本当に良い天気とシャクナゲの花と共に出会えた事に感謝します。

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水根沢

最後の滝・半円の滝で!
最後の滝・半円の滝で!

 以下の者は、2013年6月9日、奥多摩・鷹ノ巣山から流下し、奥多摩湖下に注ぐ水根沢を水根集落から、第一ゴルジュ、修行ノ滝、大滝、半円ノ滝まで溯行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 半円ノ滝から登山道に這いあがり、15分もかからずに振り出しに戻って、アッとビックリ。この僅かな距離を溯行するのに5時間近く・・・。水根沢は楽しい谷です。でも、それは、溯行する者が「この沢を楽しむ!」という気持を持たないと、悪い箇所は高巻きに終始するだけの沢になってしまいます。この沢は一つ一つの滝、釜を、最も魅力あるルートから越えていく、独特の楽しさが魅力です。両側が屹立した岩に沢が狭められ、井戸のそこになったような地形をゴルジュと言います。日本では廊下と呼びます。水根沢は入ってすぐに小さなゴルジュが現れ、その後は大滝を過ぎるまでは廊下の連続です。そして、ワサビ田から冷たい水と開けた谷に変わります。「これが、沢登りなんだ!」と感じた方も多いと思いますが、「これも、沢登りの一つの楽しみ方なんだ。」と言うのが正解です。沢登りとは、本来、沢、谷にルートを求めて山頂を目指す登山の方法です。もちろん、滝や釜があり、それを一つ一つ越えていくのが沢登りです。でも、例えば笛吹川東沢釜ノ沢等はもともとは甲武信岳の山頂に最も合理的に立つための登山コースです。したがって、現れた困難は、できれば最も安全で素早く乗り越えられる箇所から越えていく・・・そして、千畳ノナメや両門ノ滝のような絵のような絶景の箇所は釜ノ沢の一つのステキな要素として溯行者の記憶の中に留められる。甲武信岳山頂に立ち「僕は、この山頂に至る最も魅力あるコースから来た」という自負・・・これが沢登りです。

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笠取山

頂上付近はシャクナゲのトンネル
頂上付近はシャクナゲのトンネル

 以下の者は、2013年6月4日、奥多摩・奥秩父多摩川水源地帯の笠取山(1953m)に一ノ瀬高原の中島川橋から黒槐尾根を経て多摩川水源・水干を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 中島川橋を出発した直後から、耳鳴りのように絶えず聞えていたハルゼミの声。そして、終始、聞えていたホトトギス、コマドリ、ジュウイチ、ウグイス、オオルリ等の鳥の声。新緑から濃い緑へと移りつつある多摩川水源地帯の森は生き生きとした躍動感に満ちていました。美味しい多摩川水源の水で入れたコーヒーを楽しみ、背後に大きく広がる雁峠にかけての奥秩父、奥多摩随一の規模を持つ山の上での大草原を背後にしながら、登り着いた山頂への尾根は美しいシャクナゲの花のトンネルの中でした。いかにも水源の山に相応しい木々に囲まれた山頂を過ぎ、秩父・埼玉側を見下ろせば鬱蒼とした原生林と分厚い苔の絨毯、そして、点々と咲くシャクナゲのピンクが見事な森を見せていました。それと対照的に明るい展望に満ちた南面・山梨側の姿。足元、直下まで明るい緑の森が迫っていました。ここが東京都民の生命の水・多摩川を生み、育てた森です。登山中、なかなかお話しできませんでしたが、この美しい森は、東京都水道水源林として手厚く保護された森です。行政的には山梨県・甲州市の一角となっている地域の大部分は戦前から、東京都が所有しており、安全な水を守るために、森を守り、育ててきたのです。見渡す限り、大規模な伐採も堰堤もなく、可能な限り、緑のダムとして保護されてきた山々。だからこそ、静けさと、湿潤な森が訪れた僕たちを安心させてくれる山だったのだと思います。まだ、耳の奥に鳥の声が残っています。

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逆川

 以下の者は、2013年6月1日、奥多摩日原川支流・川乗谷の逆川(サカサガワ)を出合から溯行し、二段11m滝、大釜ノ滝、三段トヨ状ノ滝を越えて10m幅広ノ滝まで溯行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 奥多摩にも沢登りの季節がやって来ました。毎年、沢登りの最初の第一回は、この逆川でやってます。それは、なんと言っても今から45年前に、当時中学校1年生だった僕が、最初に遡った沢が逆川だったからです(関係ない?)。あの日、出合が林道からは判らず右往左往したこと、滝の越え方なんか全然知らなくて子供の無鉄砲さで、全ての滝を徹底的に直登し、夕暮れの川苔山の山頂にズブヌレで這いあがり、誰でも良いから「僕たち沢を登って来たんです。」と自慢したかった少年の日が昨日のように思い出されます。あれから、伐採の枝が谷を埋めて溯行できなかったこともあります。谷全体に点々と「ワサビ田」があり、その作業の人がいたり、今とはずいぶんと雰囲気が違ったこともあります。そして、今から20年ほど前、鹿の食害で川苔山山頂西側斜面が大崩壊をおこし、逆川に泥が流れ込み、釜も埋まり、滝は汚れ、悲しくなるような時期もありました。土留めの完成、何回かの増水を経て、かつてと大きくは変わらない逆川が復活しました。黒々とした硬い岩肌、頭上を覆う濃い緑、谷一杯に響きわたる鳥の声。誰にも会わなかった谷の中。素晴らしい一日でした。
 沢登りそのものが初めての方が半分以上でした。通常の状態より水量が少なく、そのため、溯行そのものは、やや楽、との印象でしたが、ちょっと迫力に欠けました。でも、登山道ではない場所を自分たちのセンスで登っていく冒険としての沢登りは理解していただいたと思います。

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和名倉沢

大滝近し!
大滝近し!

 以下の者は、2013年5月25日〜26日、奥秩父の秘峰・和名倉山に突き上げる無数の滝を秘めた和名倉沢を出合から弁天滝、「通らず」、大滝を越えて舟小屋窪出合上まで溯行したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 やはり、すごい谷だな・・・、との思いを新たにしました。出合から大滝上まで一瞬も途切れることのない見せ場。それは、滝であったり、ゴルジュであったり、木々の間から注ぐ木漏れ日であったり、そして、所々で見られた瓶や一升瓶、ワイヤーなどの生活の跡がありました。僕が最初に「それ」と認識した和名倉山は、全山伐採の真っ最中でした。雲取山でも、飛龍山でも耳を向けると必ず聞えたチェーソーの音。夕方になると、アチコチから立ち上がる夕餉の煙。それがピタリと止み、十数年立つと道の形さえない荒れ果てた山となりました。その頃、笹が山を覆い尽くし、若木が生えた、この山に沢を遡り、沢を下降して訪れた日々。市ノ沢、惣小屋谷、金山沢、曲沢、槙ノ沢、手戸沢、八百谷、滝(大除)沢、そして和名倉沢と、次々と訪れました。ナメ滝の多い、黒々としたゴルジュに包まれた谷は、その多くが全山伐採のガレが埋めて、現在とは比べ物にならない破壊の中に沈んでいました。それでも、山頂三角点に立つのさえ、右往左往を繰り返し・・・それだけに和名倉山に登ることの嬉しさは格別でした。今回、最も迫力ある「通らず」と大滝を見ました。次は、ぜひ、山頂へ!

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日和田山・「やまあるき」岩登り講習

頑張りました
頑張りました

 以下の者は、2013年5月21日、奥武蔵日和田山の岩場で行なわれた「やまあるき」のための岩登り講習に参加したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 「やまあるき」での岩登り?「やまあるき」の講座では、基本的に整備された登山道を歩きます。だから?でも、登山道の上に岩を交えた歩きにくい所、細い岩稜を恐々と歩くところ、そして、西穂高からジャンダルムを越えて奥穂高に向ったり、大キレットを越えたりとルートそのものが岩場中心の箇所を歩くこともあります。そこで・・・岩登りの練習をしてみました。そして、ザイルの操作に慣れること。「やまあるき」でも簡易ハーネスである腰だけのスワミベルトは例えば高尾山でも、高水三山でもたぶん絶対に使わない山でも、用意してもらっています。それは、山とは、都会の道路と違って時には道が崩壊して恐る恐る斜面を横断したり、普段は何でもない、ひとまたぎ・・・で通過できる小さな沢が一時の雷雨で濁った危険な代物に変化することがあります。そんな時「気をつけて通ってください」と言っても、それは無意味です。スワミベルトを付けてザイルで確保して・・・初めて安心して通過できます。そんなことを含めて「岩登り」をやってみました。そして、終わってみて、「岩登り」そのものを目的にしても、なかなか面白いと感じてくれたでしょうか?これからは時期を見て、三つ峠などの大きな岩場でも、クライミングをしてみたいと思います。

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三つ峠・岩登り講習

三つ峠の岩場は明るい
三つ峠の岩場は明るい

 以下の者は、2013年5月18日、三つ峠屏風岩の数多くの登攀ルートを登り、岩登り練習したことを証明します。。

氏名 風 の 谷

 三つ峠の岩場の魅力は、自然の中の大きな岩場であることです。整備された支点や、数多くの拓かれたルートの存在と共に、終始背後に大きな富士山の姿があり、上に登っていくにしたがって開けていく展望。南アルプスや奥秩父も見えます。そして、この岩場には、現在、数少なくなってきている「登山としての岩登り」を試みようとする多くのクライマーの玉子達が来ています。一つ一つの動きを見れば、現在の確立されたフリークライミングの安全の常識からすれば、時には不十分な下降用に設置された支点やリングボルトでトップロープをしていたり、トップへのビレーを支点で行なっていたりしますが、「登山をする仲間」としての独特の雰囲気は大切です。こんかい、一応の・・・といっても大したことはないのですが・・・、経験者のグループと、ほとんど未経験のグループに分かれて、丸一日、ひたすら、登り、下降を繰り返しました。もちろん、ランナーの回収忘れ、かけ替えの失敗、小さな落石と、数多くの失敗は当然ながらありましたが、一人一人の「岩を攀じ登る」力そのものは、相当高かったと嬉しく思います。本来は丸々二日をかけて一つ一つの行動を確認しながらの練習にしたかったのですが、「とにかく登る」中で岩登りの技術を習得したように思います。夏の初級とは言え、数多くの古典的なルートへの挑戦のキッカケになると思います。

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雲取山

富田新道の新緑の尾根
富田新道の新緑の尾根

以下の者は、2013年5月14日〜15日、東京都最高峰、日本百名山の一つ、原生林に囲まれた・雲取山(2018m)に奥多摩湖畔・鴨沢から、堂所、ブナ坂を経て登頂し、新緑の富田新道を下降したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 五月というのは、こんなに明るい季節だったのか・・・・と改めて思わさせられた雲取山でした。二日間、キレイに晴れました。たしかに、冬のように冴え渡った晴れではなく、靄のかかった晴れではあっても、気温は高く、初夏を思わせる光の中でした。鴨沢からキラキラ光る奥多摩湖を眼下に繁殖期を迎えた鳥の声が響きわたる中の登りでした。ハルゼミの声が耳の中に残ります。視界の中に絶えず色とりどりの花がありました。ヤマツツジが高度を上げるとミツバツツジに変わります。風の吹き抜けるブナ坂からは大菩薩、飛龍山などの大きな山を眺めながらの登りです。奥多摩小屋を過ぎての一歩一歩は少しずつ展望も大きくなる中の道です。「後、百メートル山頂が高かったら潰れてた・・・。」全力を使っての登頂でした。雲海の上から昇る朝日。雲の海の上に島のように浮ぶ両神山。再び立った山頂は昨日とはひと味違う展望の中でした。南アルプスと富士山が、昨日の展望にプラスされました。朝日に際立つ周囲の山々。山襞の一つ一つが鮮明で見事でした。下りにとった富田新道は、まさしく森の道でした。カラマツの明るい森と小笹の明るい尾根は、少しずつブナの道に取って代わり、やがて新緑が木々を飾り、急激に降っていきます。見上げる長沢背稜から石尾根の雄大な姿。そして、足元から聞えだす唐松谷の滝の音。流れが見え庭園のような唐松橋周辺のマミ谷、唐松谷、大雲取谷の合流する絶景!誰もいない僕たちだけの道がありました。

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川苔山

ハイライト!百尋ノ滝
ハイライト!百尋ノ滝

 以下の者は、2013年5月8日、奥多摩多摩川北岸を代表する名山・川苔山(1364m)に川乗橋から百尋ノ滝を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

山頂からの緑のトンネル
山頂からの緑のトンネル

 とうとう、丸一日、雲らしい雲を見なかった快晴の川苔山でした。空気は乾き、澄み、春とは思えない快晴の展望がひろがっていました。川苔山に至る川乗谷林道の魅力とは、沢に沿ってあたかも「沢登り」をしているかのような谷の持つ個性豊かな表情と出会える所にあります。車道の下のため残念な所はあっても、大小の滝が続き、釜や淵が創り出す独特の眺めが続きます。登山道に入ると微妙な高巻きが続き、緊張感と共に谷の創り出す造形美が楽しめます。そして、百尋ノ滝との出会い。今回は、滝壺横にまで行くことができ、そこだけ冷え冷えとした空気に包まれていました。川苔山の魅力のもう一つは、標高的には1300m代の奥多摩の中でも中くらいの高さにも関わらず、複雑な地形が創り出す変化に富んだ山容があります。随所に走る仕事道、広葉樹の自然林と人工の針葉樹の森が交互に現れ、新緑が見事な景色を創り出しています。最後の展望もない樹林帯を飛び出したとたんに放り出されるような明るさの中、山頂に向って登るほどに開けていく展望も見事でした。北側に、春なのにまだまだ豊富な雪を纏った谷川連峰から日光にかけての白い山々。下には箱庭のように広がる東京方面の眺め。そして、山頂からは富士山と来週訪れる雲取山が大きく見えました。
 川苔山はたくさんのコースを持っています。特に、埼玉県と東京都とを分けながら延々と伸びる長沢背稜方面と繋げるならば奥多摩の持つ最も静寂な山域が楽しめます。春、秋、また訪れたい川苔山です。

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白馬岳北方稜線

朝日岳の登り
朝日岳の登り

 以下の者は、2013年5月3日〜6日、北アルプス最北端の白馬岳北方稜線を栂池から小蓮華山を経て白馬岳(2932m)に登頂し、雪倉岳(2610m)、朝日岳(2418m)、長栂山(2267m)と縦走し、アヤメ平に宿泊し、黒岩平、黒岩山、サワガニ山(1612m)、犬ヶ岳(1593m)、菊石山から白鳥山山頂避難小屋に宿泊し、坂田峠、尻高山(677m)、入道山を経て日本海親不知の海岸まで完全踏破したことを証明します。

氏名 風 の 谷

日本海に沈む夕陽
日本海に沈む夕陽

 下山して鏡で見た顔には白馬岳から雪倉岳に向う寒風吹きすさんだ稜線での凍傷と、アヤメ平から白鳥山の間の栂海新道の最もステキな部分で付いた日焼けのギトギトの顔がありました。まさに、冬山から初夏の山、雪庇の判断と暑さとの闘いと、なんだか、何時の季節に行ったのか判らないような激しく変化に富んだ最高の達成感ある大縦走の結果でした。最後の最後、入道山を越えて新緑の輝くばかりの木々の間から見える青が全て海であることが判ってから、なお、大きな登り返しがあり、イライラしながら歩いた時間を思い出します。そして、六日午前9:25観光ホテル前に立ち、自動販売機に走る前に駆け下りた海岸。暖かい風、打ち寄せる磯の波。この感激と達成感は、忘れられません。この栂海新道は山田哲哉ガイドは過去七回歩いています。八月が一回、厳冬期に犬ヶ岳手前で撤退した以外は全てゴールデンウィーク。その中では今回が最も雪が多く、それなりの厳しさがありました。また、過去、毎回、長時間履いていたワカンを一度も履かなかったのは新雪の下の雪が硬く扱いにくかったからです。あの、静謐なアヤメ平、黒岩平、朝日岳手前のトラバースなどは初夏にはまさしく「お花畑」。季節を変えてぜひ、行ってほしい山域です。

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大天井岳から常念岳

「槍」へ向けて前進
「槍」へ向けて前進

 以下の者は、2013年4月27日〜29日、北アルプス常念山脈を中房温泉から合戦尾根を経て燕岳(2763m)に登頂し、蛙岩、為右衛門吊岩を経て最高峰・大天井岳(2922m)、常念岳(2857m)と核心部を縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

大天井岳への登り
大天井岳への登り

 思わぬ形で、思わぬ登山をしてしまいました。常念山脈の縦走は、北アルプスのど真ん中を歩く深山を旅する魅力ある山域です。予想していなかった降雪の中を延々と続く合戦尾根の登り、途中、富士見ベンチ辺りからの「吹雪?」と言っても良い冬の様相。そして、辿り着いたはずの燕山荘のグルリと一周した風の中の苦闘。それが、日没近くになり、急激に晴れ、正面に野口五郎から水晶岳、そして槍ヶ岳まで顔を出す、素晴らしい展望との対面がありました。浮足立ちそうなまでの圧倒的な展望。花崗岩と雪の創り出す燕岳独特の庭園のような中を山頂に立ち、そこから始まった大縦走。北鎌尾根の悪相を正面に「槍」と言う以外に名前の付けようのなかった穂先へ向けて進んでいくような表銀座の稜線。ベットリと雪を付けて岩と凍った斜面のスリリングな登高となった大天井岳への斜面。そして、大天井岳に到達したとたんの槍から穂高の絵のような光景。素晴らしい展望の中の最高の一日でした。最後の常念岳への登りは、既にかかりだした稜線の雲の中、再びの強風の中でした。見下ろす上高地、そして、まだ一張のテントも見られなかった涸沢。本州の中心部の全ての山を見渡した三日間でした。長く、遠い縦走でも小屋泊・・・と言う普段使わない形式はやはり楽でした。でも、全てを背負い、一歩一歩自力で勝ち取っていく山行が、やはり充実の登山だと改めて思った常念山脈でした。

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丹沢主脈縦走

塔ノ岳を越えるとブナと笹の本来の丹沢の道が蘇る
塔ノ岳を越えるとブナと笹の本来の
丹沢の道が蘇る

 以下の者は、2013年4月23日〜24日、丹沢主脈縦走を目指して大倉から入山し、花立を越えて塔ノ岳(1491m)に登頂し、丹沢山(1567m)へと縦走し、丹沢三峰へと転進し、大礼ノ頭、円山木ノ頭、本間ノ頭を越えて高畠山へと踏破したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 丹沢を歩いていて思うのは「海の背後に聳える山脈」ということ。歩きにくく、少しイライラしだす頃、堀山を越えて花立の下に到着するころから背後に大きく広がる何も無い空間の感覚。その下に視界の半分を占める相模湾の広がり。春の気配に霞み、海岸線さえもハッキリとはしないものの、それでも「海」の感触はずっと背後にありました。実際に登っていくと、塔ノ岳付近から徐々に強まった風は、海から吹き上げる強い風となって、主脈の縦走路に吹き続けました。平日にもかかわらず、元気一杯に早足で登下降する登山者が沢山いたのに、塔ノ岳を越えるとピタッといなくなり、それと同時に稜線はブナと笹原の続く本来の丹沢の姿へと変わります。奥多摩でも、北アルプスでも、谷川岳でも、今年は春は早い・・・と感じていましたが、ここ丹沢は逆。1200mを越える辺りから緑は消え、蕭々とした風が稜線を越えていました。丹沢山山頂そのものに建つ「みやま山荘」は二階の寝る場所が四方ガラス張りで居ながらにして展望が楽しめます。特に深夜の夜景は凄かった。小屋に到着して一瞬明るくなり外に出ると浮かび上がる富士山との対面。夜半から風が強まり、朝は濃いガス。本当に数歩だけ蛭ヶ岳を目指して長時間の風雨の中の行動に無理を感じて三峰の縦走に変えました。シロヤシオこそ無いものの、丹沢本来の自然の残る大きな尾根は、それなりの魅力がありました。

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日和田山・岩登り訓練

 以下の者は、2013年4月21日、奥武蔵・日和田山の岩場で岩登り訓練に参加し、登攀したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 日和田山の岩場は首都圏の岩登り初心者が一度は訪れる岩場です。恐怖にとらわれるほどの高さはなく、支点が豊富で、駅から近く、登りやすい。それが災いして、今では週末ごとに恐ろしいほどのクライマーの玉子達がおしかける。僕たちも、その中の一人なのには変わらないけれど、それなりの混雑の中の岩場です。土曜日は、すごかった。岩場には縄暖簾状態でザイルが下り、ほとんどがトップロープのために、一度セットしたロープは一日中、そのまま。横から登ると叱られる・・・なかなか大変でした。それでも、実際の岩登り同様、トップがリードし、フォローで支点を回収しながら登り、終了点から懸垂下降する・・・という流れは体験できました。そして懸垂下降。最初から「足で登れる人」なんていません。だから、一日が終了して、腕が、掌が、指先が疲れ切っている・・からといって、ダメとは思いません。でも、最後の方で登った垂壁では、どうしても足を上手に使わないと身体が持ち上がらないのは判ったことと思います。それが判れば、次の岩登りは、グッと快適になるはずです。
 二日目は大変でした。雨でした。それに寒くって、「つづら岩」では、雪、または霙の可能性が大でした。そのため、はるばると前日、行った日和田山に転進しました。岩は濡れて滑りやすく、練習は困難を極めました。それに寒かった。それでも、トップロープで登り方を繰り返し練習し、懸垂下降を行い、実際の登攀に近い形でのリードとフォローも経験できました。今回の日和田山のトレーニングは一つのキッカケに過ぎません。ここから次の大きな

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大岳山

帰り道の天狗滝・・・大きい
帰り道の天狗滝・・・大きい

 以下の者は、2013年4月17日、奥多摩主脈・奥多摩三山の最も目立つ大岳山(1267m)に御岳山からロックガーデン、芥場峠、大岳神社を経て登頂し、馬頭刈尾根を富士見台、「つづら岩」と縦走し、綾滝、天狗滝を経て千足まで踏破したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 大岳山は奥多摩で最も目立つ山です。空気の澄んだ晩秋から早春にかけての
西の空に東京のどこからも浮かび上がる丹沢から富士山、大菩薩、奥多摩の山々。その、どれ一つもなかなか、その名前まで特定できない中で、ただ一つ、この大岳山・・・台座の上に頭だけ乗っけたような姿・・・椅子のようにも・・・八王子からだとキューピーの頭のようにも見える・・・この姿は一度覚えたら忘れることはありません。そして、山頂からの展望が、奥多摩でも屈指の物だと思っています。西側に大きく開けた山頂からは大きく、端正な形をした御前山が霞の中にクッキリと浮かんでいました。三頭山、大菩薩と奥へ西へと少しずつ標高を上げながら広がる展望は、独特の物があります。実は、僕にとって
大岳山は自力で登った最初の山です。小学校5年生の時、友人と三人で御岳山から往復しました。真夏の暑い日で、炎暑でボウッとなりながら見た山頂からの景色。同じように御前山が見えて「次は必ず御前山」と決め、ほどなく、登ったこと、遠くに雲取山が見えて「中学生になったら行く」と決意し・・・そうやって、一つ一つ、奥多摩の山を歩いて行った事、今回は、何故か強く、その時のことを思い出しました。今の季節、毎週、週替わりで花と出会えます。スミレ、カタクリ、ヤマブキ、イワウチワ、ミツバツツジ。立ち止まり、覗き込み、そんな季節がしばらく続きそうです。

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笊ヶ岳

富士川を挟んで富士山が大きい
富士川を挟んで
富士山が大きい

 以下の者は、2013年4月13日〜14日、南アルプス白峰南嶺の最後の高まりである笊ヶ岳(2629m)に富士川流域・雨畑の老平から奥谷沢沿いに登り、広河原を徒渉し、桧横手山に宿泊し、布引山(2583m)を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

布引山からの稜線では南アルプスがすごい!
布引山からの稜線では
南アルプスがすごい!

 もちろん、入山中には誰にも会わないし、人の気配が全くキレイサッパリとなかった笊ヶ岳の二日間。雨畑・老平を歩き出し、見下ろす奥沢谷。少しずつ高く巻く道は、吊り橋を渡り、滝が降り注ぐ下を微妙にトラバースし、そして、広河原での徒渉を迎えました。新緑が辺りを覆う中、ミツバツツジの花を見ながらの徒渉。前回は全く同じ時期に、膝までの冷たい徒渉でしたが、今回は、なんと飛び石伝いも大丈夫。そして、そこから始まった見事なまでの急登の連続。所々にカラマツの植林があり、かつての伐採跡らしく、ワイヤーが散乱する場所、慰霊碑のある場所等が数少なくポイントとなる以外はひたすら我慢の登りでした。桧横手山手前で雪が現れると、一気に、一面の凍りついたザラメ雪の斜面となりました。物音一つしない、桧横手山のコル。木の間越しに星の輝きが見えました。超早朝出発!これ以上ないような急斜面。しかも凍りついた斜面の上にフワリと新雪の乗った歩きにくい登り、やがて、突然の風。そして、闇に白く浮ぶ聖岳から上河内岳への赤石山脈主脈の大きな山。背後を真っ赤に染めて昇る太陽と大きな富士山。布引山からは、息をのむ素晴らしい南アルプス核心部の荒川岳から赤石、兎、聖、茶臼の山々を正面に遠く北岳、仙丈岳まで見える素晴らしい眺めの中を登り続けました。そして、立った遙か彼方と思われた笊ヶ岳山頂。きつかった、辛かった笊ヶ岳。最高でした!

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浅間嶺

今年も待っていたカタクリ
今年も待っていたカタクリ

 以下の者は、2013年4月9日、奥多摩の南北秋川を分けるかつての甲州古道の通る浅間尾根を数馬下から数馬峠に上がり、一本松(930m)、人里峠を経て浅間嶺(903m)に登頂し、瀬戸沢の一軒家、時坂峠を経て払沢ノ滝入口まで縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

浅間嶺近くの広葉樹の林・・・もう緑色が一杯
浅間嶺近くの広葉樹の林・・・
もう緑色が一杯

 道端に所々に置かれた一つ一つ、全部表情の違う馬頭観音。「嘉永」なんて文字を見ると、この尾根の道が辿った歴史を感じます。馬が通り、薪炭や、塩、そして重要な産業だった絹の運搬・・・。上野原奥。鶴川上流で繭を育て笹尾根の峠を越えて秋川奥に入り絹糸として紡ぎあげ、八王子で銘仙として仕立てられた・・・実は、そんな大昔ではなかったようです。道端で炭が焼かれ、林業の槌音が響き、いまより、ずっと賑やかだったのかもしれません。終始、大きく見えていた大岳山、御前山、三頭山。その背後に聳える鷹ノ巣山から雲取山への明るい尾根。昔の旅人もきっと見ていたはずです。この浅間嶺にも春は一気に訪れていました。毎年楽しみにしていた数馬峠先のアブラチャンの黄色いトンネルは、既に青々とした緑色に代わり、ミツバツツジが迎えてくれました。そして、毎年、その面積を広げて僕たちを迎えてくれるカタクリの群落。人里峠手前の群落は盛りを過ぎてはいたものの、最初に見つけたときの小さな広場は、大きく拡大し登山道の上まで咲いていました。登り着いた浅間嶺から展望台に登りなおし、出会った真っ白い、少し霞んだ、大きな富士山。「浅間」の名が示す「富士見の道」だったことを教えてくれます。そして、その先の広葉樹の森に一斉に付きだした新しい緑。奥多摩にも春が来た!しかも、元気よく。楽しかった春の一日でした。

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仙ノ倉山

山頂直下・・・濃いガスで何も見えない
山頂直下・・・濃いガスで何も見えない

 以下の者は、2013年3月30日〜31日、谷川連峰最高峰である仙ノ倉山(2026m)に、毛渡橋からバッキガ平を経て北尾根に取り付き、小屋場ノ頭、シッケイの頭を越えて登頂し、平標山(1983m)へ縦走したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 あの、シッケイの頭先のテント場にした広大な雪原での一瞬の晴れ間以外、全く谷川連峰がどんな山であるのか姿を見せなかった仙ノ倉山でした。あの、豪雪のタカマタギに比べて、たしかに新雪のフカフカ雪は無くなっていました。それでも、積雪はやはり多い。かつて、取水口の下まで軽トラックが入ったこともある林道をワカンで進みながら思いました。広々としたバッキガ平。あのスリル満点の「スケルトン橋」は無くなり、立派すぎるコンクリート橋に変っていました。嬉しいようながっかりしたような・・・・。いきなりの急登。樹林帯ながら恐いくらいの急傾斜。飛び出した小屋場ノ頭には雪洞がありました。そこからの北尾根こそが今回の目的の地。「案内」に「白馬のタテガミを思わせる」と記した痩せたリッジは濃いガスのために、急であること、小さな雪庇が出ていること、左右が切れ落ちていることは判りましたが、よく見えないままに、ちょっと緊張だけして登っていきました。「絶対に越えないとマズイ」・シッケイの頭はGPSでようやく判りました。そして、左右・・・真っ白い空間が広がり・・・ここが雪原?そして、一瞬の晴れ間に僕達が頂上近い大雪原にいることが判りました。眠れないほどの強い風の一夜の後、全身に氷を付けて登った山頂。そして思わぬ木道の出ていた平標山への稜線。全ては強い風とガスの中でした。厳しい、でも、何故か優しい雰囲気の仙ノ倉山でした。

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天狗岳

天狗岳への登りからは北アルプスが大きい
天狗岳への登りからは
北アルプスが大きい

 以下の者は、2013年3月26日〜27日、北八ヶ岳の盟主である天狗岳(2645m)に渋ノ湯から賽の河原を通り高見石に登り、白駒ノ池から「オコジョのコツ」を通って高見石小屋に宿泊し、中山を越えて中山峠から登頂しことを証明します。

氏名 風 の 谷

 高見石小屋の夜、大きく開いた天窓から顔を照らす強い灯。「エッ」と思って起き上がるとそれは皓々と夜空を照らす月明かりでした。高見石と小屋は僕の大好きな場所です。たくさんの小屋が建ち「小屋が岳」等と悪口を言われることもある八ヶ岳の中にあって最後まで「ランプとマキストーブの小屋」を守り、その後、ソーラー発電は導入されても、その森の中の小屋としてのイメージは大きく変わることはありません。高見石の廻りには雪のときだけ、訪れることのできる場所がたくさん隠れています。今回、白駒ノ池の帰りに訪れた「コツ」もその一つ。丸山の下、麦草峠の東斜面に点々と存在する広大な溶岩台地は、北八ヶ岳の「別の顔」を見せてくれます。翌朝、延々たる中山の登り。北八ヶ岳の森林高地と呼ばれる森も戦後、随所に伐採が入り痛めつけられた中で箕冠山南側斜面と並んで手つかずの原生林が大きく残された貴重な場所です。どこが頂上か判らない中山の展望台からは北アルプスが文字どおりの銀屏風となって大きく広がっていました。真冬とはひと味違った少し穏やかな表情になった天狗岳。「えっ、登れるの?」と思ってしまう雪の急傾斜もユックリユックリ、足元に注意して登れば、何時の間にか山頂に立つことができました。突然のように飛びこんでくる赤岳から阿弥陀岳、権現岳の雄大な眺めは苦労した者のみが目にすることのできる物でした。

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権現岳

「八ヶ岳核心部に向けて歩く」そんな感じの三つ頭の上でした
「八ヶ岳核心部に向けて歩く」
そんな感じの三つ頭の上でした

 以下の者は、2013年3月23日〜24日、八ヶ岳南端に聳える名峰・権現岳(2704m)に小荒間から八ヶ岳神社、ヘリポート、三つ頭を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 春が、とうとう3000m近い山のテッペンまでやってきた!朝でも、目出帽もいらない気温、そして穏やかな春の雪山の展望。寒さに凍えることのない八ヶ岳の二日間でした。実は、積雪量だけで言えば三月末というのは、ここ八ヶ岳に限って言えば最も深い雪の中にあるはずです。歩き出して僅かな八ヶ岳神社、延命水の辺りでも全く乾いた土の上、積もったカラマツの葉の上の道だったことに正直・・・あせりました。そしてテント場付近で五月を思わせるザラメ雪と出会ってホッとしました。僕が、「はじめての雪山テント」でこの場所が大好きなのは、正面に富士山と北岳という日本で一番高い山と二番目の山、そして「山の團十郎」甲斐駒ヶ岳が見え、仙丈岳が見え、金峰山が見えるという展望と甲府盆地の夜景(今回は、残念!)が素晴らしく、そして、微妙に冬の季節風が遮られる場所だからです。そして、「今日はダメだなぁ。」と思っていた濃いガスの中の出発でしたが、頭上が少しずつ青くなり、突然に雲海の上に飛び出し、複雑に張り出した森の中の雪庇を越えて登り着いた三つ頭の山頂からは圧倒的な展望が待っていました。八ヶ岳の核心部へ真っ直ぐに歩いていくかのような心のワクワクする登り、「風の谷」のテント場を越えてグイグイと登り詰めていく感触はここだけの物です。北アルプスの全山が見えました。戸隠や浅間山も見えました。訪れた春の気配を感じながらゆったりと楽しめたテント泊の雪山に感謝します。

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唐松岳

頂上直下。風も少し収まって・・・
頂上直下。風も少し収まって・・・

 以下の者は、2013年3月16日〜17日、北アルプス後立山連峰北部の唐松岳(2697m)に八方尾根名木山ゲレンデから兎平、第一ケルン、丸山を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 ゴンドラがリフトが止まったことにより、改めて唐松岳の本来の大きさを知らさせられた今回の登山でした。2000m近い八方池山荘前が当然の出発点だと信じていた僕たちは、結局、初日は、その「出発地」まで登ることで終わってしまいました。夜、降り続けた雪。吹き続けた風。しかし、満天の星と細い月の中、出発できました。それにしても強い風。僕たちよりも一足、早くでかけた人達が次々と下山してきます。石神井ケルン前からの後立山の主稜線。背後の戸隠連峰から出てきた太陽でピンクから朱に染めていく光景は、この北アルプス北部だけのものです。不帰ノ峰を越えて吹きつける強風は、ときおり弱くなりながらパンチの様に当たってきます。下ノ樺から上の痩せた尾根が恐ろしく、早くから付けたザイル。丸山を越えて一段と強くなる突風の中、ジリジリと獲得していく高度。もう、主稜線まで僅かの所から岩混じりの硬く凍結した尾根。一歩一歩を確実に刻み、緊張の場面で吹きつける強風に舌打ちをしながら飛び出した尾根からは、突然に激しく、地獄の山のような剣岳、立山連峰、薬師岳が見えました。最後の斜面をユックリユックリと登りグイグイと広がる展望。そして登り着いた山頂は小さな雪庇と風のため夏の三分の一の狭さでした。遠く日本海が、槍ヶ岳が谷川連峰が見えます。あんなに強かった風も弱くなって、周囲の山々の斜面は白くテラテラと光っています。この北アルプスの山頂にも春が訪れたことを全身で感じた唐松岳でした。

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小仙丈岳

甲斐駒ヶ岳をバックに!
甲斐駒ヶ岳をバックに!

 以下の者は、2013年3月2日〜3日、南アルプス北部を代表する仙丈岳を目指して戸台から赤河原、八丁坂を経て北沢峠を経由して大滝ノ頭を越えて小仙丈岳(2864m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 砂塵を上げて吹きつける強い西風。実際の気温以上に冷たく感じる寒さ。ソソクサと歩く戸台の河原からは大きく、近よりがたい雰囲気で甲斐駒ヶ岳が見下ろしています。徐々に出てくる凍った川。悪魔的な様相で頭上に大きくのしかかる鋸岳の岩稜。荒涼とした河原を後に、取りついた八丁坂ではいきなり、オオジカの大きな角が見えました。南アルプスでは国立公園でありながら、その森林の大部分は紙バルプの会社の社有林となっており、この森も大昭和製紙という会社の物です。コメツガ、ウラジロモミの大木の森は奇跡的に残された貴重な森です。大木の林立する原生林をしてなおかつ、吹き抜ける風。意外にも早く着いた北沢峠は、それでも明るい陽差しの中にありました。夜半に止んだ風。静かに聞えるフクロウの声。皓々と照らす月明かりの中、ヘッドランプで出発です。当初はアイゼンで行けるかと思われた雪は10分後にはワカンに代えられ、最初は表面の硬いモナカ雪が、全体が重い春の新雪となり、全員交代のラッセルとなりました。夜の底が白み、野呂川の谷を隔てて北岳が天空を突き刺す見事な山容を見せ、背後に甲斐駒ヶ岳が大きく見られる中、ドンドン深くなるラッセルを続けます。ダケカンバの森となり、ようやく効きだしたワカン。目の前には真青な空を背景にした小仙丈岳に向けて、こんどは急斜面のアイゼン歩行となりました。一段と急な斜面、360度の圧倒的な展望の中、小仙丈岳ですでに9時半過ぎ。それでも全員で勝ち取った山頂です。

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鷹ノ巣山

山頂直下背後には南アルプスが大きい
山頂直下背後には
南アルプスが大きい

 以下の者は、2013年2月26日・奥多摩雲取山から伸びる石尾根の盟主である鷹ノ巣山(1736m)に奥多摩湖畔・峰谷の上の奥集落から取り付き、浅間神社、避難小屋を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

  鷹ノ巣山の周囲はまだまだ自然の原生林がたくさん残っています。実際に登ってみて、浅間神社周辺の杉林、その上のカラマツ林を過ぎると美しいブナの森になり、シラカバがダケカンバに代わり、防火帯の左右に明るい広葉樹の森が広がり・・・という本来の奥多摩の森のあり方が見られます。実は、これほどの明るい森が広がるのは、この石尾根周辺と長沢背稜、三頭山くらいです。当たり前のような明るい闊達な雪の森の景色との出会いを、まず嬉しく思います。前日までの強い冬型が緩み、しかも、まだ次の低気圧は夜から来る・・・そんなウマイ具合の隙間の一日でした。ついに太陽が雲に隠れることもなく、真青な空の下、強い風にも吹かれずに登れました。奥多摩の全ての山が視界に入り、大菩薩が思わぬ大きさで黒々と見えました。避難小屋から山頂へと向う雪の尾根の背後には南アルプスが真白に見えました。そして、浅間山や遠く北アルプスまでが見えました。僕自身は、鷹ノ巣山から北アルプスが見えるとは知らずに来ました。思わぬ出会いに本当に嬉しくなりました。ほぼ貸し切りだった鷹ノ巣山。山頂で出会った男性も、いかにも奥多摩の山が好きそうで嬉しそうに山を見ていました。奥多摩や大菩薩の山々。実は、これからの季節が一番、雪の深くなる季節。雪、雨、霙・・・それらが積もったり、溶けたりを繰り返して少しずつ春へと変っていきます。一年で一番ステキな展望の季節を楽しみましょう。

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タカマタギ

 以下の者は、2013年2月24日〜25日、谷川連峰の北端に並ぶタカマタギを目指して毛渡橋からハンノキ平を経て入山し、1045mに到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

  たしかに大雪の予報でした。それ以前から降っていた雪も降り積もり、日本を代表する豪雪地帯・上越国境谷川連峰の北端を飾る山脈は深い雪の中にありました。関越道を越えて二本のJRの線路を越えて取りついた雪尾根。最初は植林らしい杉の木もありましたが、明るく美しいミズナラの森となりました。トレースを追っての入山でしたが、三つの先行パーティーと出会う先は微かなスキートレースがあるだけ。ザックを下ろしてのラッセルが交代で続きました。二月も末になると本来ならば、豪雪にも「お休み」の時が見られ、それが何層かの雪の履歴を作り上げてワカンが留まる硬い層を作るはずなのですが、まるで1月の雪のようにどこまでも潜る雪が続きます。何も見えない雪の尾根ですが、降り続く雪の合間に対岸のブナの尾根が絵のように美しく見えました。ブナが生えだし小広い尾根の広がりの中にブロックを積んでの静かなテント場が作られました。魚野川を挟んでの足拍子山、荒沢岳が寝る前の夜空に白く浮かんでいました。翌朝、一歩ずつ獲得していく標高。遅々として進まないラッセル。膝下だった雪が腰を越えて時には胸に迫る深さになっていきました。明け方からの雪の降り方は、前夜とはレベルが違い、タカマタギを目指しての登山がいつしか棒立山になり、ついには1045mのジャンクションピークになりました。最後に現れた雪庇の着いた急斜面。それを切り崩した上に僕たちのささやかな「山頂」は風雪の中にありました。

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やまあるき「赤岳」行ってきました!

寒いけど快晴の山頂に立った!
寒いけど快晴の山頂に立った!

 いつもは、ピッケルやアイゼン、ハーネスなどは絶対に使わない「やまあるき」。創業以来、初の冒険でした。結果的には気温は無茶苦茶に低かったものの(行者小屋前でマイナス21度)満天の星空と、無風に近い状態の出発でした。まっ暗い中を歩きだし、露出した?が冷たくてロレツが回らないほどの寒さ。中山乗っ越しで少し白くなっていく周囲。そして、横岳西壁が影絵のように浮びます。硫黄岳の頭が赤く染まり、見上げる八ヶ岳の西壁がのしかかります。最も一般的な文三郎尾根はなんと、トレースなし。昨日、あんなに沢山下山してきたのに・・・、それでも、森林限界からは吹きさらしのために雪はなく、真青な空に向けて登っていくような強烈な露出感のある雪山登高が続きます。八ヶ岳の全山が足元になり、中央アルプス、南アルプスと肩を並べ、岩と雪の創り出す刺激的な世界を登り詰めて、とうとう飛び出す山頂!やはり、難しく、寒く、厳しい世界でしたが、それでも登り着いた山頂は最高でした。

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赤岳

甲武信岳を真っ赤に染めて昇る朝日
甲武信岳を真っ赤に染めて昇る朝日

 以下の者は、2013年2月16日〜17日、八ヶ岳連峰主峰・最高峰・赤岳(2889m)に美濃戸口から行者小屋、地蔵尾根を経由して登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

背後には大きく空間が広がる
背後には大きく空間が広がる

 太いシラビソの木々からドスンドスンと落ちる雪の塊。行者小屋へと向う北沢沿いの道は前日に降った雪がシャワーとなって降り注ぐ中にありました。僕は冬の八ヶ岳にやってきて、夏には広い河原となっている雪原に出た瞬間の横岳西壁との出会いが楽しみです。突然、眼前に広がる圧倒的な白い岩壁。今までの森の中の道と違い、全く違う雪の高山に囲まれた実感の持てる強烈な時です。そして、赤岳が初めて見える小屋周辺。一般ルートとして登るには急峻すぎる傾斜。そぎ落ちた雪の急傾斜。背後に広がる阿弥陀岳の美しい山容と肩を並べるようになると飛び出す稜線。佐久側の今までとは全く違う景色との出会い。天望荘はかつては石室と呼ばれ、雪の稜線上に建つ貴重な拠点です。一晩中、吹き続ける強風と吹雪が朝には明けて、甲武信岳を真っ赤に染めて周囲の山々を銀色に輝かせて朝日が登る中、一歩一歩と目指す山頂。八ヶ岳の全ての山々を見下ろす孤高の絶頂として赤岳山頂はありました。
 何回も繰り返し言ってきましたが、赤岳は基本的な雪山登山技術を全て行使して立てる山頂です。四方には切り立った岩壁を持ち、僅かなミスが致命的なトラブルとなります。今回、不安なく登れた人もいれば、ザイルの確保なしには極めて危険な状態の方もいました。赤岳を出発点に山頂から見えたたくさんの雪山に、一つ一つ経験を積み、自由に雪の世界を楽しめるように、登っていただけたら嬉しく思います。

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鳳凰三山

鳳凰三山の稜線は圧倒的な展望の中にありました
鳳凰三山の稜線は
圧倒的な展望の中にありました

 以下の者は、2013年2月9日〜11日、南アルプス北部の大展望台・鳳凰三山を夜叉神ノ森から夜叉神峠に登り杖立峠から山火事跡にテントを設営し、南御室小屋、砂払ノ頭を経て薬師岳(2780m)、観音岳(2840m)、地蔵岳(2764m)オベリスク基部と往復したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 南アルプス北部を見渡すと、最も高い北岳から始まる白根三山をグルリと取り囲むように鳳凰三山から始まる甲斐駒ヶ岳、仙丈岳、塩見岳と続く尾根があり、その最も甲府盆地に近い部分に鳳凰三山があります。入山後、初日と二日目は完璧な快晴の中にありました。吹く風は強く、夜はシンシンと冷えましたが、その分、雲一つない真青な空の下に屹立する真白な雄大な山々を眺めながらの縦走でした。改めて思ったのは森林限界の高さでした。薬師岳直下、砂払ノ頭まで密集したシラビソの森があり、2700mまでダケカンバの疎林がありました。豊富な積雪を吹き飛ばした白砂の斜面の広がりとハイマツ、それが創り出すどこかの「お庭」の様な優美な世界と、冬のキラキラと光る太陽の下に真白と聳え立つ北岳。どこかに向けて適当にシャッターを切っても、素晴らしい光景が手に入る、そんな縦走でした。今回もテントを張った「山火事跡」。初めて訪れた1970年の七月。まだまだ、山火事の惨禍の傷跡は深く、随所に焦げた太い木々が不気味に立っていました。それが、所々に開けた場所はあるものの、シラビソとダケカンバの美しい森として再生していったのです。甲府盆地の夜景と、眼前に大きく聳える白根三山をテントの入口からも眺められる最高の泊まり場でした。真白な輝く名峰と、重厚な森。この二つを冬の真っ只中にジックリと味わった三日間でした。

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三頭山

ブナの森に続く道
ブナの森に続く道

 以下の者は、2013年2月5日、奥多摩三山・奥多摩主脈の盟主である三頭山(1527m)に数馬の「都民の森」から鞘口峠を経て登頂し、ムシカリ峠から凍結した三頭の大滝を経由したことを証明します。

氏名 風 の 谷

凍結した三頭ノ大滝
凍結した三頭ノ大滝

 山々に春がやってまた!それを実感させる三頭山の一日でした。この冬はときおり寒さが緩むことはあっても、「暖かい日」は全く実感できませんでしたが、二月に入り、立春の声を聞いた途端の突然の暖かさ、その余韻の残る一日でした。凍りついていた登山道の雪も溶けだしていました。道の上には半分くらいは雪のない部分があり、時には泥んこになっていました。コガラの声、キツツキのドラミング、真青な空には静かに雲が流れていました。全山を広葉樹を中心とした原生林で覆われているためか、落葉し、すっかり見晴らしが良くなった稜線からは奥多摩の全ての山が見られました。奥多摩湖を挟んでの飛竜山から雲取山、鷹ノ巣山にかけての堂々たる眺め、川苔山から蕎麦粒山、三つドッケにかけての山々が美しく眺められます。溶けかけた雪と地面が露出した斜面は必ずしも登りやすくはありません。それでも、シロブナの美しい幹、巨樹の中の登りは本来の奥多摩の姿だと思います。頂上では思わず歓声の揚がる大きく白い富士山との出会い。そして、黒々と大きく横たわる大菩薩の山々が手を伸ばせば届きそうな近さです。そして、降りに取った三頭沢沿いの道は、まだまだ冬の気配を残していました。最後に降り立った大滝は、水量が多いためか完全ではないものの、ビッチリと氷を付けてガラス細工の様な美しさでした。三頭山は、奥多摩周遊道路の完成と都民の森の出現で大きく変ってしまった山です。それでも原生林は手つかずに残り、雪の楽しさ一日を体験しました。

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赤岳真教寺尾根

真っ赤に染まる朝の赤岳

 以下の者は、2013年1月19日〜20日、八ヶ岳東面・赤岳真教寺尾根に美ノ森から取り付き、牛首山を越えて赤岳(2889m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

上部はそれなりに緊張
上部はそれなりに緊張

 ヘッドランプ¢出発した牛首山を緩く降りだした頃、見上げる八ヶ岳の稜線の上から一気に赤い色が斜面を染めて行きました。左手に権現岳が朱色に染まり、それに見とれている内に赤岳が山頂に射していた赤い色が東壁全体を染めていきました。訪れる者も少ない小海線方面からの八ヶ岳はいつも素晴らしい光景を静寂の中に見せてくれます。本当は阿弥陀岳北西稜と北稜に行くはずでした。御存知のように14日に一日降り続いた雪は八ヶ岳でも凄まじく、正月以降少なめだった積雪の上に大量の不安定な雪が分厚く乗っている状態との情報が入ってきました。どうしても沢筋にアプローチを取らざるをえず、極めて危険との判断で転進した真教寺尾根でした。牛首山に張ったテントからも権現岳の東面が見え、絶えず南アルプス、金峰山が見える素晴らしい場所でした。真教寺尾根は夏の一般ルートながら傾斜は強く、下部のラッセル、上部の緊張感ある岩場の連続が魅力のルートです。今回は、雪質が悪く、足元が決まらず、岩の上ににフワリと雪が乗っている状態で、極めて登りにくい状態だったと思います。最後のトラバースの箇所では斜面全体が雪崩そうで、ちょっと行くことを迷うほどでした。それだけに稜線に出た途端の槍・穂高の姿と、中央アルプス、そして山頂への岩稜歩きには感動しました。「人が一杯の八ヶ岳」のイメージを一新する本来の2889mの雄大な山が東面からの八ヶ岳にはあります。こんどは転進ではなく、行ってみたい小海線からの八ヶ岳でした。

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越百山

真青な空の下の山頂!やったぜ
真青な空の下の山頂!やったぜ

 以下の者は、2013年1月12日〜14日、中央アルプス南部・日本百名山の一つ越百山(2613m)に木曽川伊奈川ダム下から福栃平に泊まり、御岳展望台、越百小屋を経て登頂し、南越百山を往復したことを証明します。

氏名 風 の 谷

登りから振り返ると御岳がデカイ

  満天の星空の下の出発でした。コメツガの鬱蒼とした森の間からチラチラと見える星。その中をガツンガツンとアイゼンの音を立てながら登りました。無風の寒い超早朝の中央アルプス。下のコル、オコジョ平、シャクナゲ尾根。真っ暗で夏に歩いていなければ判らないような尾根の中の道。斧一本入ったこともないのか、大きな木がニョキニョキと生い茂る中の雪の登りです。やがて、少しずつ夜が白み始める頃、背後に少しずつ見えてきた御嶽山の巨大な白い塊。そして、前方に大きく見え始めた南駒ヶ岳から仙崖嶺への絵に描いたような稜線。御岳展望台を過ぎれば真青な空の上に向けて舞い上がるような登り。十一月の白馬岳、十二月の八方尾根雪上訓練から谷川岳、八ヶ岳縦走、正月の爺が岳と雪の激しい天候と寒さ、風に苦しめられ続けた今シーズンの雪山と比べて、寒さは強いものの驚くほどの穏やかさと静けさ、そして圧倒的な展望の中を登りました。越百小屋を前にして、ついに対面した越百山の白く見事な山頂。森林限界から先の一歩一歩山頂へと踏みしめていく真白な稜線。御嶽山が、乗鞍岳が、穂高や白山、そして、墨絵のように広がる奥美濃の無数に連なる山、山、山。風の吹き渡る中央アルプス主稜線である越百山の山頂に飛び出したとたんの白い竜が居すわるような南アルプスの全山の雄姿。塩見岳の横に見えた富士山。そして、八ヶ岳。遠かったけれど本当にステキな山頂。登れて本当に良かった!と思えた越百山でした。

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安達太良山

クロガネ小屋近し!温泉が待ってる
クロガネ小屋近し!
温泉が待ってる

 以下の者は、2013年1月8日〜9日、南東北・福島奥岳温泉からクロガネ小屋に宿泊し、峰ノ辻を経て日本百名山の一つ・安達太良山(1699m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

やっぱり吹雪!山頂直下

 たおやかな山容と深い雪。激しく変わる気象条件。安達太良山の魅力は、「行ってみないと判らない」変化の激しさにあるのかもしれません。何回か訪れて、展望に恵まれたのはたったの一回。半分くらいは深いラッセルに苦しめられています。穏やかな山容なのに、時々、大変な山に変身するのは、風の強さによるものかもしれません。必ずしも豪雪地帯の山ではありません。会津地方の天候と、太平洋側の天候の特徴を併せ持つにしても、冬型の気圧配置の間中、吹雪というわけではありません。過去二回連続して、岳温泉からの延々としたラッセルに日没近くになっての到着・・・ということもありました。それだけに、あの熱い、強い硫黄臭の温泉がピリピリと肌に沁みて身体がジワッと回復するのを感じました。今回は、他にも何人かの泊まりの仲間がいましたが、いままではほとんど貸し切り、夜半に吹きすさぶ風の音を聞きながらの小屋の夜でした。今回、今までより好条件に恵まれましたが、それでも、山頂の入山から登頂、下山に至るまで一度も姿を見せてはくれませんでした。小屋からの急斜面を登り、大きく広がる大斜面を登り詰めていく最中に、背後の鉄山に徐々に明るさが増していく姿はとても1000m代の山とは思えない雄大さでした。展望こそなかったものの、見事なエビノシッポと霧氷の森。山頂付近での吹きすさぶ北の国の風雪を体験できたのは嬉しかったです。次ぎに訪れる時、今度こそ、展望に恵まれたい安達太良山です。

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爺が岳

山頂に立つ!風雪の中で勝ち取った山頂だ!
山頂に立つ!
風雪の中で勝ち取った山頂だ!

 以下の者は、2012年12月30日〜2013年1月2日にかけて、北アルプス部後立山連峰・鹿島槍ヶ岳を目指して日向山ゲートより、扇沢経由で入山し爺が岳南尾根からジャンクションピークを経て爺が岳南峰に登頂し、さらに中央峰(2667m)に到達したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 出鼻をくじかれたのは信濃大町を出たタクシーのフロントガラスに降り出した雨。おそらく終日、降り続くだろう雨は、装備を濡らし、足元を崩し、ザラメ雪を形成し・・・嫌だなぁ・・・でした。そして、凍った道路を歩き続け、いち早く扇沢のスノーシェードの下での停滞となりました。翌朝、取り付きの雪崩を心配しながらの出発。ありがたい先行パーティーのトレースもたちまちのうちに追いつき、全員でのラッセル。雪は深くはないものの、樹林の上を吹きすさぶ風雪の音は強く、森林限界にあるジャンクションまで行くことも躊躇されるほどでした。途中、一緒にラッセルしていた名古屋のパーティーは賢明にも樹林の中でテントを張っていました。そして、到達したジャンクション。シラビソの疎林がかろうじて風の直撃を弱める貴重な一か所にブロックを積み上げて設営されたテントがベースとなりました。天気図は太平洋側に移動性高気圧が移り、東シナ海に低気圧が発生し地上天気図では期待が持てそうです。その後の強烈な冬型の再来を恐れ、このジャンクションからの日帰り鹿島槍ヶ岳往復を考えました。しかし、翌朝も風雪は弱まらず降雪こそ多くはないものの、爺が岳南峰、中央峰の登頂は安全な登頂のギリギリの線だったと思います。四日間、ついに目指す山どころか視界が開けたのは元日夜の大町の夜景だけ。それでも、きっと大展望の中の雪山に登れる日を信じてガンバロウ!

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